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群馬県の小学校教員のkuro106raです。mailはgan.son.desu☆gmail.com(☆を@に)にお願いします。

2016-09-30

役割を演じさせられるということ

04:54 | 役割を演じさせられるということ - 五蘊皆空 を含むブックマーク

子どもたちにとって、担任の影響力というのは絶大なものです。ただし、それは個人に、というよりは集団にとって担任の影響力が強いという意味でです。担任は一人一人の人生に介入することはできない。これを勘違いしている教員は、意外に多いのではないかと思っています。自分は子どもたちにとっての神であるとでも思ってしまう。それは別に悪意ではなく、善意から発生するものなのですが、善意から発生するものであるが故に余計に厄介です。

集団の在り方を規定しているのは担任教師の在り方です。そこでは、子どもたちは集団の中での役割を果たす必要があります。

役割というと、係や当番の仕事をイメージします。それも役割ですが、もっと見えにくい部分で言うと、クラスの中での「キャラ」のようなものがあります。一人一人の子どもたちが、担任のクラスのイメージに合わせてキャラを形成しています。例えば、「この子は明るい子」「この子は暗い子」「この子は約束が守れない子」のようなものです。

担任が「この子は落ち着かない」などと決めつけてしまえば、その子はその設定されたキャラに合わせて「落ち着かない子」を演じさせられることになります。こうしたエネルギーは非常に強いものがあり、本人が望むと望まないとにかかわらず、これを拒絶することは極めて難しいといえます。

このようなことに対して、いわゆる「ネガポ」のように「落ち着かない」を「元気がある」などと変換して、それぞれの子にポジティブなイメージを持つ手法もあります。ただ、私が一番考えるのは、良きにつけ悪しきにつけ、担任である教師は子どもたちに「役割を演じさせている」ことに自覚的であることが大切だと思うということです。これを避けることは、不可能、または極めて難しい。無自覚であるときこそ、危険であることを、知識として知っておくべきなのではないかと思います。



もちろんこれは、職員室での校長と職員である自分自身についても言えます。だから、一年くらい不遇の年があっても、それは自分の能力がないからなどではない。大して気にしないことだと思います。すべてはめぐりあわせの問題です。学校で上手くいかないことを苦にして教員が自殺するのは、あまりに悲しいことだと思います。そうなる前に逃げればいい。

私自身、学校に行きたくなくて毎日死ぬことを考えていた時期がありましたが、それなら行く必要なんてない。教員をやめたっていい。

子どもも同じです。学校は絶対だなんて、そんなことはありません。学校なんかいかなくても、すてきな大人にはなれますから。

集団に影響を受けている自分自身、担任の在り方に影響を受けているクラス集団に、いつもアンテナを張っていることは、部下として、管理者としてとても重要なことだと思います。

makine45makine452016/10/01 09:41難しい言葉で来ましたね。初めて知りました。ネットで調べたら、「人間の心身を構成している五つの要素」は「すべて」「本質的なものではない」とありました。なかなかに深い言葉です。

kuro106rakuro106ra2016/10/01 10:06般若心経にある、釈迦が言ったとされる言葉です。最近読んだ本で知って、ピンとくるものがあったのでタイトルにしました。スローガン効果です。