五蘊皆空 このページをアンテナに追加 RSSフィード

群馬県の小学校教員のkuro106raです。mailはgan.son.desu☆gmail.com(☆を@に)にお願いします。

2015-07-10

nao-taka学級の残像

23:58 | nao-taka学級の残像 - 五蘊皆空 を含むブックマーク

5月に訪問したnao-taka学級では、いくつかの大きな気付きをもらっていたことが、時間が経って分かり始めました。

まず、教室で感じた「怖さ」。

「怖さ」の正体は、ある子の視線が僕らに向けられていたからでした。

刺すような鋭い目つき。僕らは見られていました。試されているような感覚。

でも、この感じは自分の教室にも存在していることが、あとで分かりました。こうした鋭い子に対してできるのは、ひたすらに誠実であることだけだなあ、と思いました。あなた方を、本当に良くしようと思っていることを、常日頃発し続ける。覚悟だなあと思います。

でも、同時に聖人であろうとしても無理だということもきちんと理解して、正直にならなければいけないとも思います。

次に、トップランナーの子の動き。

それぞれの時間で、構成される小グループは毎回違いました。意図的に、集団を混ぜているのが分かりました。

単元を任せ始めて実感したのですが、長丁場になるぶん、放っておけば自分の落ち着ける仲間と固まりやすくなる。単元を任せた後に1時間ぽっきりの課題を行うと、如実に分かります。1時間ごとの課題の方が、流動的に色々な人と関わりやすい。でも、単元ごとに任せた時には、それに勝る「自然さ」がある。

単元を任せることの問題を乗りこえる術を、自分たちで実践しているのがすごい。

最後に、「つながっている」ということ。

クラスのある子が、何やら苦しんでいるようでした。その空気を、クラスみんなが瞬時に察知して「ピリッ」となりました。すぐに周りの子がその子に近づき、何やらサポートを始めました。

クラスの子たちがつながっているのが、すごくよくわかりました。大きな反応ではなく、「ピリッ」とか「ピピッ」とかいうレベルで反応する感じ。

ことさらに大人にアピールしなくても、安心感が得られているからこそ「ピピッ」でいけるんだなと思います。

単学級ですから、お互いがツーカーの仲になっているというのもあると思います。でもそれだけでは片づけられないつながりが、高橋学級にはありました。

正直、この時のイメージが頭にこびりついて、自分の教室でイライラしていることもたくさんあります。でも、上のレベルを見せてもらったことで、僕自身も子どもたちも、もう一歩を進めたいと思えるようになりました。

セミナーのためだけではなく、僕個人としてもnao-taka学級訪問は大きな分岐点になっています。

rx178gmk2rx178gmk22015/07/11 21:01「どうしたら子どもたちの状態がそうなるのか」と考え、子どもたちに『させること』を考えてしまうと罠にかかりますよ。(笑)
『学び合い』のミソ(?)は子どもを変えるのではなく、教師が変わるというところです。教師の立ち位置、行動、発言、そして~観を変えることで子どもが変わるということです。(こんなことはわかっていると思いますが・・・)大切なのは自分の何を変えたことで子ども状態がどのように変わったのかを常に見極めることです。その積み重ねで、ベテランの人たちの言う「感覚」で適切な指導ができるようになると思います。

nome2733nome27332015/07/11 21:47割り込むようで申し訳ありません。

RXさんが

>「どうしたら子どもたちの状態がそうなるのか」と考え、子どもたちに『させること』を考えてしまうと罠にかかりますよ。(笑)

とコメントしたのはどうしてですか?

kuro106rakuro106ra2015/07/11 23:30RXさん、nomeさん
ぼくがnao-taka学級の形だけを追っかけて、失敗しているのが分かるから、ですよね?

rx178gmk2rx178gmk22015/07/12 07:32nomeさんの質問に応えます。kuroさんの応えは正解です。それに自身が気づいていれば大丈夫です。すこし(?)長くなりますが補足しますね。
kuroさんが、トップランナーの動きに気づいたことはとても大切なことです。でもそれは、トップランナーが「やらされている」のではなく、「やっている」と捉えなければなりません。実は、私はほとんど他の先生の『学び合い』のクラスを参観したことがありません。だから、実際のクラスを見て、「まねる」ということがないのです。一方で実際に他のクラスの子どもの良い姿を見るとリアルすぎて、それがすべてと思い、子どもに「目指させて」しまうと考えたのです。そして、手っ取り早いのが教師がその姿を子どもに強いるということです。それが「罠」の正体です。
私の実践は、自分の目の前の子どもが『学び合い』をしている姿を脳内でイメージしながら自分が『させない』ようにしながら子どもが『していく』手だてを考えています。最も使うのが子どもとの問答です。「なぜ、そのようにしているの?」「どうしてこのような結果になったの?」と聞きまくります。子どもはどうして先生はこんなことを聞くのかと思うところから入り、こちらの腹を探ります。それがまず子どもたちの『学び合い』を自分たちのものにしていく一歩だと考えます。
他の人の実践を見ることは、考え方と同時に手だて(テクニック)も見ている側に伝わってきます。何は『学び合い』のオリジナルで何はその先生やクラスのオリジナルなのかを見極める観点が『学び合い』を作る上で重要だと思います。

kuro106rakuro106ra2015/07/12 09:17RXさん
様々な授業実践の追試が上手くいかないのは、「これをやれば、子どもたちは「同じように」なるだろう」と考えるからですよね。

nao-takaさんは授業を見せ合うことを肯定的に捉えている先生ですが、形ではなく「オーラを吸収する」ことで子どもたちの姿が変わると話していました。

子どもたちが息を吸うように自然で、かつ懸命に学ぶ「オーラ」に、自分の教室の子どもたちも気づいてくれたようです。
でもそれは、こちらが形を求めるようになればすぐに崩れてしまいます。あくまできっかけづくりに過ぎません。最後は教師の肚が全てです。

ただ、リアルタイムを見ることが邪魔になる人がいるのと同様に、リアルタイムを見ることでその奥を見られる、または見られるようになっていく人もいるのだとは思います。

そのためにも、RXさんの指摘している
「何は『学び合い』のオリジナルで何はその先生やクラスのオリジナルなのかを見極める観点」
は非常に重要なのだと思います。

rx178gmk2rx178gmk22015/07/12 09:31その通りです。この考えが、いつも心の中にあれば、子どもがkuroさんの心の中を見透かしても大丈夫です。kuroさん自身も自分の言動に自信が持てます。結果として子どもたちは、自分からやっていきます。セミナーを通して、見えたこと、できるようになったことが増えましたね。やっぱりやったもの勝ちかな?(笑)

kuro106rakuro106ra2015/07/12 14:19いやあ、神様や色々な方がごほうびをくれていますね。
ついこの間までは思いも及びませんでした。