2015-07-04
分かるというのは難しい
|「個別指導はしない」とかいうようなものは、『学び合い』で守らねばならない掟だと思ってやってきたけれど、あえてそれを破ってみることで、そのルールの裏にあることを感じています。
例えば、「個別指導をすると子どもたちは先生に頼るようになる」「個別指導をすると『あの子は先生の担当だから私たちには関係ない』となる」とか。
言い方やその時の集団の成熟度によるのでしょうが、個別指導をしてみて、やはり教師に判断を求める子が増えたような気はします。なぜ個別に話しかけているのかを、きちんと語ろうと思っています。
「個別指導をすると『あの子は先生の担当だから私たちには関係ない』となる」に関しては、一人も見捨てないことの大事さを今の子たちはよくわかっているので、そこをしっかり語ることでクリアできているような気はします。あくまで「気はします」レベルです。
ちなみに、個別指導といっても、「結果の責任は自分がとるんだよ~」と言って回っているだけですが。
きちんとまとめられているわけではないのですが、方法論のしばりを、自分の中で取り除いてあげることで、前に進めるような気がして、こんなことをしています。
色々とやってみると、手足が自由に動く感覚がして嬉しいです。同時に、自分が潜在的に何を求めているのかも見えてきました。
問答、やってみます。