西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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11/08/15(月)

[]質問に応えて 16:48 質問に応えて - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 質問に応えて - 西川純のメモ 質問に応えて - 西川純のメモ のブックマークコメント

 東京でのフォーラムでは、私の講演の後、質問・感想がポストイットに書かれ、張られました。それに書かれたことに対して、レスをしていませんでした。それに対して、レスをしたいと思います。

 なお、時間の関係で短いレスしかできません。ご容赦下さい。足りない場合は、是非、メール下さい。誠意を持ってレスします。なお、私のメールアドレスはグーグルで検索すれば私のHPやブログがヒットし、そこにメールアドレスが分かるようになります。なお、HPの『学び合い』を学ぶコーナーを見れば、読み終わるには1週間以上かかる膨大な情報が公開されています(無料で)。

 なお、私は全てのメールには誠意を持って返答いたしますが、以下の場合はそうしません。第一は、大人と大人の会話のお約束が守れない方です。面識のない相手と直にあったときにしないようなことはしないで下さい。第二は、不誠実な方です。例えば、自分が必要なときは直ぐにレスを求めるのに対して、私からのメールに対してのレスがないか、自分が必要なときにレスするような方です。返答が遅れる場合は、とりあえず受け取ったという返答は必要だと思います。また、誠意を持ったメールには「ありがとう」という一言は直ぐに必要だと思います。もちろん、私の返答が納得できない場合は、納得できないという返答(たたし大人の会話のルールで)を送ることは、誠意だと思います。少なくとも返答無しの場合は不誠実だと思います。

 ということで私のメールのやりとりをする方の99.9%以上はそうではないですよね。だからご安心下さい。

 さて、ポストイットの内容と私のレスを以下に挙げます。

Q:ミッション「1人も見捨てない」「子どもの力を信じる」

A:質問形式ではないので、エールとして受け取らせていただきます。

Q:今、大変になっているところからでも実践できるのですか?

A:はい、実践できます。というより、他にないと思います。考えて下さい。その大変な状態をどのように脱しますか?教師一人で出来ますか?出来ませんよね。だから、子どもたちみんなと脱するしかありません。考えて下さい。そのクラスの多くは、今の状態は自分たちに不利であることを理解しています。そして、クラスのオピニオンリーダーは、それをハッキリ意識できるはずです。であれば、その子達にみんなが出来るようになろうと声がけするのが『学び合い』です。大変な状態から『学び合い』をするのは、クラスがよい状態から出発するより大変です。でも、それより他に道はないとは思いませんか?

Q:何から始めたらよいですか?

A:出来れば生の『学び合い』を見ることがお勧めです。それがかなわなければ、私や三崎先生の本をお読み下さい。私のHPには各種の資料があります。とりあえずはネットブックの「導入書」をお読み下さい。そして何よりも大事なのは、疑問を持てば知っている人(例えば私に電子メールで)に聞くことです。理解には対話が必要です。子どもと同じです。

Q:西川先生の講演の目的は?

A:あははは。主催者からは私のライフヒストリーを30分程度でまとめて欲しいと依頼がありました。

Q:Skypeを使う意味は何?必要?

A:今回は十分に活用できたかは疑問があるかもしれませんが、今後活用すると良いと思います。

Q:子ども同士の自己評価の方法

◦ 自己評価

▪ 正確な評価ができる。

▪ 生徒の方が厳しい傾向

▪ …とのことでしたが、具体的な自己評価方法が気になりました。評価方法は生徒が考えるのでしょうか?

• 『学び合い』による子どもの自己評価の厳しさを、私も実感しています。彼らの凄さを感じる場面の一つです。

A:詳細は以下をご参照下さい。

中井弘子・水落芳明・桐生徹・神崎弘範・西川純:中学校理科授業における学習者の相互作用による自己評価に関する事例的研究、理科教育学研究、日本理科教育学会、51(1)、93-102

 なお、小学校については杵渕さんの修士論文があります。ようは、指導要領の原文を示し、それに基づく評価をするよう求めるだけのことです。子どもの中には、それが出来る子は2割はいて、その子から広がります。

Q:本当に『学び合い』のみで授業が成立するのか。自信がありません。

A:事実として、それで成り立っている人がいます。逆に聞きますが、元気いっぱいの子ども、中にはADHDの子がいるクラスで、子どもたちを1時間、黙って、座らせて、ノートをとらせる授業のみで成立するのですか?あはははは

Q:「1人も見捨てない」心に深く残りました。

A:ありがとうございます。

Q:『学び合い』とは何ですか?

A:一人も見捨てない、という原初の願いを徹底的に突き詰めた結果です。

Q:「全ての子を救う」ということに対して、何を基準に「救った」と言えるのか?

A:一人一人によって救われたいものは違います。しかし、それを教師が分かるわけありません。では、教師は何に注目するか、第一にクラスの最低点だと思います。「救われた」ふりを子どもは出来ます。しかし、テストの点数を上げるふりは出来ません。クラスのひずみは、テストの最低点にまずは現れます。それで救ったとは思いませんが、まずはそこからだと思います。

Q:西川先生の「夢」の中に、「全校生徒が体育館で集まって「学び合い」を…」というものがありましたが、全校集会とはちがう形なのでしょうか?具体的に教えていただけると嬉しいです。私も「いいなあ、やってみたいなあ。」と思いました(将来)。

A:全校『学び合い』自体は4年前から実践を積み上げています。現在は複数の学校の全校『学び合い』をやり始めたところです。

 全校集会・運動会のようなものとの違いは、第一に目的が共有しているかです。例えば、全校集会をやっているとき、子どもにこの全校集会の目的は何?と聞いたとき応えられる子どもはどれだけいるでしょうか?おそらく限りなく0だと思います。運動会との違いは定常的にやっていることです。ある学校では、年間の算数は全て全校『学び合い』で実践しました。そして、子どもたちに全校『学び合い』の目的は何?と聞けば、「全員が課題を達成すること」と答えられます。見たければ上越においで下さい。いつでもやっています。

Q:失敗談を教えてほしい。

A:私の『学び合い』の手引き書でQ&Aは過去の失敗事例とお考え下さい。なお、「はてな」の『学び合い』グループ(私のブログからリンクされています)を読めば、どんなことに悩み乗り越えているか、リアルタイムで読めます。もちろん、私もです。偉そうに言っていますが、私自身も自分のゼミでは失敗をします。それはブログで書いています。

Q:子どもの自己評価の具体的な項目、やり方を教えていただきたいです。

A:先に紹介した自己評価関係の文献をお読み下さい。なお、私にメールいただければ対応いたします。

Q:子どもたちが「つながりたい」「つながれる」と信じて、私も「学び合い」を始めたいです。

A:是非。『学び合い』で一番難しいのは「やる」と決意すること。やれば、それほど難しくはないですよ(ただし、何でも同じですが、簡単だというわけではありません)

Q:共感>研究授業の検討会は子どもたちに問いかけた方がおもしろい。

A:考えれば当たり前だと思うのです。ね。

Q:クラス全体に、教えるために勉強するまで追い込んでいいのか?

A:はい、それは教える側の子どもにとっても重要なことだと思います。なぜなら、『学び合い』はテストの点数を上げることを目的としているわけではありません。大人になってから大事なことを学ぶことを目的としています。100点を取ることを目的としているのだったら、それほど追い込む必要はありません。しかし、彼らが大人になったとき頼れる仲間を得ることは重要だと思うのです。

Q:もっと学びたい。

A:是非、たたけよさらば開かれん、求めよさらば与えられん。

Q:課題のあることない子との

A:すみません、質問の意味が分かりません。メールいただければお応えします。

Q:Pとの関係

A:すみません、質問の意味が分かりません。メールいただければお応えします。

Q:全員が分かるようにするのは、教師の仕事(子どもではない)のでは?

A:はい。そう思います。一人一人が分かるためには、その子にあった支援が必要です。ところが、一人の教師では物理的に不可能です。だって、一校時ごとに支援が必要があり、一校時をクラスの人数で割れば、その時間で支援は不可能であることは明らかにです。だから、『学び合い』では教師が教えるのではなく、クラス全員が支え合う集団づくりにエネルギーを費やしています。それが教師の仕事だと思うのです。

Q:どうでもいいけどどうしてみんな(共有ボードに)端から貼っていくんだろう。もったいない…。

A:あははは。それは社会心理学のパーソナルスペースの項をお読みなるとヒントがあると思います。

Q:「子どもが全て運営する研究会」実現したら素敵ですよね。

A:ほぼそれに近い実践をしている中学校はありますよ。とても素敵です。なお、方法は子どもに任せますが、目標の設定と評価は、教師の専権事項だと思います。

Q:研究主題を子どもに伝えることはすごく有効だと思います。今度子どもたちに話してみます。

A:是非。少なくともそれで失うものは殆ど無いはずです。

Q:「1人も見捨てない」この考えがクラス全体に浸透することが、『学び合い』がよく成り立つのだと感じました。

A:はい。それで一貫した行動を教師がするのですから浸透します。

Q:「1人も見捨てない」ということを忘れてはいけないことを、改めて強く思いました。

A:はい。それは道徳の徳目ではなく、実利的な得なのだと思います。だから続くのです。

Q:分かっている子(分かる子)がいるという前提で成り立つように思うのですが、塾などで先取り学習をしていない子が多数派であるグループでも成り立つのでしょうか?

A:はい、0でなければなりたちます。おそらく日本の殆どで成り立ちます。例外は僻地小規模校で同級生が数人という場合があります。その場合は、異学年学習を定常化すればよいのです。

Q:「少し分かる子」が少し、大多数が「分からない」場合は?

A:上記と同じです。

Q:仰っていた「荒れた学校(分からない子がほとんど)」でも可能?

A:可能です。学力低位の高校で成立させた事例を持っています。しかし、先に述べたように、あれた学校で始めるのは大変ですが、『学び合い』以外に出来るかを考えて下さい。おそらく、カリスマ教師や怖い教師の前ではよい子になります。しかし、そうでない教師の前でしわ寄せが来ます。そして、その教師が「力のない教師」と攻められます。なによりも、古典的な社会心理学の研究が成果が示すように、そういう学校ではいじめが発生します。つまり、見栄えは良くなっても、実態を悪化させるのです。

Lewin,K.,Lippitt,R. & White,R.K., Patterns of aggressive behavior in experimentally created “social climates”, Journal of Social Psychology, 10, 1939, pp.271-299

Q:あらかじめ分かってる訳じゃなくて、その場で分かるかどうかってことじゃないですかね。

A:そういう場合もありますが、日本の現状では、学校でやっている中の下に合わせた授業レベルを答えられる子は2割はいます。そういう国に育っています。現状の一斉学習が生まれた明治当初の状況とは違います。このあたりの詳細は私のHPに公開しているネットブックの手引き書に書いています。

Q:学び合う集団づくりの意味は分かるが、「①塾やベネッセで下積みがある」「②補習するでなく、集団で全員が分かる」この2点についてはハードルが高すぎて、もっと実践例を知りたいと思っています。

A:あははは。これが成り立ってないクラスは僻地小規模校以外無いですよ。試しに、授業をする前に、単元テストをされると良いですよ。2割以上は約8割の点数をとるはずです。

Q:学ぶ構えのない子どもに対し、どのような形でスイッチを入れるのか?学び合いとの関わりで、どのように変えていけるのか?

A:その子達にとって学習でスイッチは入りません。入るとしたらクラスの人間関係です。だから一人も見捨てずということがスイッチになるのです。

Q:「分かった!」と言うことがどういうことか分からない子どもたちに、「本当に分かった!」というレベルに達するまでのプロセスを見てみたいなあと思っています。

A:長いプロセスです。それを本気で見るならば上越教育大学の西川ゼミにおいで下さい。いやっていうほど、膨大な子どもたちのつぶやき・行動を通して学べます。結論から言えば、エポックメーキングな行動ではなく、馬鹿馬鹿しいほど普通の行動が、気の遠くなるほどの積み上げによって出来上がることが分かります。だからほど、本当に分かるためには、気の遠くなるほどの子どもたちのつぶやき・行動を見るしかないのです。

Q:子どもたちのモチベーションはどうやって高める?少しずつ「ぼくたちはできる!」という体験を積み重ねる?

A:最初は、単純に黙って座っている授業より楽しい、から始まります。でも、もっと上を目指すには、本気で一人も見捨てないことしかないことが分かるのです。ま、「クラブ」の野球クラブが「部」の野球部になり、甲子園を目指せる野球部になる過程を想像下さい。

Q:「これがクラス全員で目指し達成できた『学び合い』だっ!」と生徒達が実感できる体験をさせたい。それができないと、生徒が動かない…。

A:それはいきなりは無理です。上記の通りの積み上げが必要です。しかし、そこで必要になるのは段階にあった指導プロセスではなく、一貫した「一人も見捨てず」という教師のスタンスです。

Q:日本の学校だと人間関係の部分は、教科学習以外にも学べるところがたくさんあると思う(文化祭なり体育祭なり)。勉強までみんな「同じ目標」にするのは疑問。できない子にはよいのだろうが、できる子はどうなる?

Q:私はそう思いません。日本の学校の「全て」の子どもが今日学習以外で学べるとは思いません。『学び合い』は一人も見捨てずにです。なお、出来る子が出来ない子を教えるという枠組みで考えるならば出来る子はメリットはありません。しかし、『学び合い』はそうではありません。折り合いを付けて自らの課題を解決することです。ちなみに『学び合い』を一番強く支持するのは、出来る子です。なぜなら、それが自分にとってメリットがあることをもっとも深く理解しているのは彼らですから。そのあたりは、私のHPのネットブックの手引き書をご覧下さい。絶版した「勉強しなさい!を言わない授業」には詳細があります。

Q:「学力向上と人間関係は表裏一体である!」と言い切ろう!「勉強するってかっこいい」と思う集団を形成しよう!

A:はい。そう言い切ることの方が、かけ算の繰り上がりを教えるより、はるかに教師の仕事だと思います。前者は教師だけが出来ることです。

Q:「学びの共同体」と『学び合い』との違い、あるいは同じところ。

A:最も質問される回数の多い質問の一つです。以下をご参照下さい。http://bit.ly/lSGq8w

Q:教師の必要性、役割。

A:一人も見捨てるな、と言い続けることが教師の仕事です。経営学のリッカートを読むと分かると思うのですが、管理職には上級管理職と下級管理職がいます。前者が社長や取締役で後者が係長・主任があたります。後者は部下と同じような仕事をしつつ管理職の役を一部行い、前者は管理職の仕事に専念します。後者は、部下が行っていること(学校の場合、漢字の書き取り、かけ算の速さ)の知識・技能の高さが業績に比例します。しかし、前者の場合は、その相関はほとんどみられません。前者に必要な職能とは、集団の達成すべき課題を部下がやる気になるような語りを出来るか否かなんです。また、人からいやがられても、評価を行い、駄目ならば駄目という能力です。学校で言えば、先輩教師と校長の違いと考えればいいでしょう。従来の授業における教師の役割は下級管理職であり、『学び合い』における教師の役割は上級管理職です。

Q:教師の役割がイマイチピンと来なかった。いいなあと思う未来は見えたと思う。

A:役割は上記の通りです。

Q:他の先生から「場のシメ方」を学ぶ、と言う話。『学び合い』は単に放任しているだけじゃないことが分かった。その塩梅が難しそう。

A:塩梅はあればあったに超したことはありませんが、必須ではありません。重要なのは、一貫して求め続けるか否かです。どんな塩梅をしても、それにフィットする子どもはいるし、フィットしない子どももいます。集団の利害に一致する占め方(一人も見捨てずに)なれば、集団のメンバーの中で納得させあいます。ま、一般論ですが、昔から言われることですが、一つしっかり叱るためには十褒めねばなりません。駄目なところに目を奪われるのではなく、良いところに目を向けることが大事です。

Q:子どもの持っている力を信じるというのは、簡単そうで難しい。『学び合い』で教師はどんな役割で、何をして、何をしてはいけないんだろう?分からなくなってきました。

A:子ども個人を信じる必要はありませんし、してはいけません。するとその子に「ミニ教師」を押しつけて負担を負わせることになります。我々が信じるべきは子ども集団です。最初はクラスの2割程度の子ども集団が動いてくれます。しかし、それが4週間程度で6割になり、3ヶ月程度で8割になり、そして1年かけて十割の子どもを信じればいいのです。少なくとも、自分一人を信じるよりは、信じられますよ。少なくとも私は2割の子ども以上のことが出来るとは自分を評価していません。だから、少なくとも「まし」と信じています。

Q:昔の教え子(暴走族?)達が、今の西川先生の主張を聞いたら、なんて言うかなあ…?

A:それは自信がありません。でも、彼らの前に教師として前に立つとしたら、『学び合い』以上のものは無いと思いません。少なくともかってやった、面白くて、分かったつもりにさせる授業の結果として生まれるものをよく知っていますから。

Q:ミッションを課すこと(課された課題を解決すること)から、課題・目的(ゴール)を自ら見つけることへは、大きな飛躍が必要な気がしますが?

A:個人としては大きな飛躍ですが、集団としてはなめらかな変化です。ある程度成長したクラス(まあ、3ヶ月ぐらい、純『学び合い』を実践したクラス)だったら、かなり無茶な要求もこなしますよ。というのは、それをこなせる子が数人いれば、集団の力をその方向に向けられますから。

Q:「話を聞こうとする態度」と「構え」はどう違うのか?コンテンツとミッションの違いですか?受け身とインタラクティブな授業の違いですか?楽しそうだなという思いは共通ですね。

A:態度と構えは、ま、同じ意味と考えて下さい。強いて言えば、構えの方が学術用語の縛りがないので広い意味で使えます。ただし、『学び合い』は相互作用を目的としているのではなく、結果として相互作用的になります。あくまでも目的は、多様な人と折り合いをつけて自らの課題を解決することを学ぶことですから。なお、『学び合い』は楽しいのは最初です。最後は大変です。ま、炎天下の中で校庭を走っている野球部を思い出して下さい。炎天下で校庭を走ることは楽しくありません。しかし、その意味が分かれば、やります。

Q:『学び合い』は技能教科では想像しやすいけど、算数や理科などでは「1人も見捨てない」状況を作り出す環境はどのようなものなのだろうかと、とても興味が湧きました。

A:小中高の全教科は基本的に技能教科だと思います。そして、どの教科も大学の専門レベルを超えれば技能を超えます。でも、いずれにせよ、我々は課題を解決する際、最大の「ツール」は人です。

Q:『学び合い』が成立しやすい教科や単元があると思うのですが。全ての授業できちんと成立するものなのでしょうか?

A:教師が入りやすい教科はあるかもしれませんが、子どもにとって成立しやすい教科はありません。全部成立しやすい。だって、黙って黒板を写す授業より分かりやすいし、楽しいですから。そして、全ての教科で実績がありますよ。

Q:管理職の強い意志がないと難しいと感じています。

A:管理職が意志を持っていただければやりやすい。でも、それは必須ではありません。管理職に望むのは反対しないで欲しい、それだけです。重要なのは、その学校の職員集団の中で一定数の教師から「徳」があると思われる教師を含む3人が『学び合い』に取り組もうと思っているか否かです。それが出来るか否かが学校で取り組む場合の大きな山です。それを成り立たせるためには、職員集団の中で折り合いを付けることと、結果です。

 逆に、管理職がどんなに求めても、「徳」のある教師を説得できないならば、無理です。

Q:保護者への理解は得られるのでしょうか?

A:基本的にはちゃっとした理解のプロセスを行い、結果を出せば理解してもらえます。その詳細は、私のHPに公開しています、導入書の後半に書いてあります。ポイントは、一人の保護者からクレームが出たとたんにおたおたするぐらいだったら、ちゃんと事前に布石を置くと言うことです。

Q:中学校の教科担任制だと、クラスによって、学年によって『学び合い』が成り立ちにくいことがある。どうしたらいいのか。今の悩みです。

A:そんなことはありません。子どもは教師ごとにその姿を変えます。『学び合い』が成立する時間は小学校も中高の変わりありません。子どもが変わる時間ではなく、教師の替わる時間なのです。

 中学校での問題は、中学校の学年意識です。学年主任が強制的だと横並びを要求する場合があります。その場合は、したたかにやって下さい。でも、一度、理解されれば中学校の方が学年意識があるので広がるのは楽ですよ。だって、あなたが国語で『学び合い』を成立させれば、それは学年全員が『学び合い』で何が求められるかを子どもは経験しているのです。ですので、数学の先生が『学び合い』をやりたいというならば、その先生の授業であなたが数学をすればいいのです。課題は数学の先生と相談して決めて下さい。おそらく子どもは「先生、なんでいるの今は数学だよ」と言うかもしれません。でも、「今日は私が数学を教える。では、本日の課題は○○だ。いつも通りの『学び合い』で良い。絶対に一人も見捨てるな。どうぞ」と言えば、『学び合い』が成立します。「国語では『学び合い』は成立するけど、数学では難しい」と言っている数学の先生に対する証拠は、一目瞭然です。

Q:年齢の違いでの『学び合い』は、知っていることに大きな幅がある場の『学び合い』はどんな感じなの?

A:以前、そのような研究をしました。でも、結論から言えば、それは本質的ではありませんでした。大事なのは教師のスタンスでした。

古田豊、西川純(2001.9):小学校理科学習における『学び合い』の発達に関する研究、話し合いケースに着目して、日本教科教育学会誌、24(2)、日本教科教育学会、11-20

Q:『学び合い』を始めるにあたって、小1~6と段階があると思うのですが、どういった段階を踏んでいくとよいのか。そのあたりについて聞いてみたいと思います。よろしくお願いします。

A:上記の通りです。殆ど段階を踏む必要はありません。まあ、低学年での「喧嘩」の対応策程度です。詳細は、私のHPに公開している、導入書をお読み下さい。

Q:特別支援学級内でも『学び合い』は可能か?一般級と同じやり方でよい?

A:殆ど同じです。ただ配慮がいる場合もあります。

 特別支援学級の子どもの中には、『学び合い』においては通常学級で学んで問題が無く、中には100点を取れる子どももいます。それらの子どもは、疲れている担任から特別支援に追いやられた子どもたちです。おそらく特別支援学級の半数以上がその子達です。ちなみに私は小学校3年までは知恵遅れと担任に思われていました。その子の場合は、通常学級が『学び合い』が成立したら、いつでも戻すことが出来ます。

 しかし、ごく一部ですが、本当に能力的に障害のある子がいます。その子の場合は、常に通常学級で学ぶのは疲れてしまいます。しかし、その子も社会に出なければなりません。そこには特別支援の人はいません。その子は、通常学級の子どもと折り合いを付けることを学ぶ必要があります。だから、通常学級と特別支援学級とを並行しなければなりません。その塩梅は、その子に合わせるしかありません。

 きつい一言ですが、もし、その子を特別支援学級でずっと学ばせていたら、その子は社会に出る勉強をいつするのでしょうか?このことを考えながら、バランスをとって下さいい。

Q:多動で教室を出て行く子がいる学級で、その子も入れて『学び合う』ことは可能でしょうか?

A:あはははは。そのタイプの子どもが一番楽です。だって、『学び合い』だと全員が多動状態になるのです。だから、その子が目立たなくなります。おそらく1週間以内に問題が解決します。その場合、クラスに語るべきは「静かにしなさい」ではなく「動いて良いのよ。でも、みんなが出来るために全力を出しなさい」と。

 以上、準備委員会よりいただいたポストイットは以上でした。時間の関係で短いコメントですが、分からなかったら場合は、いつでもメール下さい。誠意を持って回答します。

scorpion1104scorpion11042011/08/15 20:04「一人も見捨てない」とは、どのようなことなのか。
N先生が個々の感じた一つひとつのQにも誠意を持って応えてくださっておられること自体が、「一人も見捨てない」そのものであることを私たちに言葉だけでなく行動でも示してくださっておられる。そして、「子どもの力を信じる」とは、私たちそれぞれの力をも信じてくださっているということだと思う。
お盆のお休みのときにまで、私たちのために本当にありがとうございます。

sakana10sakana102011/08/16 00:48ブログに書くと記事が流れていってしまうので「Q&A」といったカテゴリーをつけるか、HPの方にQ&Aのページが欲しいです。

sumi-chansumi-chan2011/08/16 00:54西川先生、ありがとうございます。
フォーラムのスタッフブログ、および、フォーラムHPにも掲載させて頂きたいと思います。よろしくお願いします。

jun24kawajun24kawa2011/08/16 05:14scorpionさんへ
 出来ることを、します。
sakanaさんへ
 直ぐ対応するでしょ?
sumi-chanさんへ
 ご苦労様でした。

10/08/05(木)

[]質問に応えて 08:04 質問に応えて - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 質問に応えて - 西川純のメモ 質問に応えて - 西川純のメモ のブックマークコメント

先だっての講演会で、質問書がまとめられました。本日、質問書を受け取りました。その中には、ありがたいご意見を多数いただきました。ありがとうございました。元気になりました。以下では、講演会では回答しきれなかった質問に関してのみ書かせていただきます。なお、個人情報が多数含まれる部分もありますので原文を記すのは控え、概略のみを書かせてもらい、その後に私なりの回答をさせていただきたいと存じます。なお、講演会でも申しましたように、質問メールはいつでもOKです。

Q1)塾に行っているなど先に理解している子が中心になるなら、理解することが中心となって自力で解決したり、全体で練りあがったりする場はどこにあるのか?

A1)まず理解していただきたいのは、子ども一人一人理解の仕方は違うと言うことです。教師の発問・板書が授業の大部分を占める授業では自力解決は出来ません。また、教師が主導する全体の練り上げでは、クラスの中の優秀な子が数人が発言し、それを理解できるクラスの上位3分の1だけの練り上げとなります。結果として、中位3分の1は「他人さんの練り上げ」であり、下位3分の1はちんぷんかんぷんとなります。もちろん、それ以上のパフォーマンスを実現する教師もいるでしょうが、大多数の教師では無理です。それに優れた教師であっても、クラスの能力差から考えて全員の練り上げは不可能です。『学び合い』は一人も見捨てない教育を目指しています。子どもたちは膨大な会話を積み上げることによって、一人一人自分の自力解決や練り上げを実現します。

Q2 中学校の国語科の教師です。国語科での『学び合い』の実践例があれがご紹介ください。成績評価の方法を教えてください。

A2 例えば「学び合う国語」という本を出しています。成績評価は従来通りで結構です。

Q3 この取り組みは、いつ頃から生まれたのか?また、始めようと思った理由は何故か?

A3 講演会で配布した手引き書をご覧下さい。詳細は、私のHPに公開しています手引き書(完全版)をご覧下さい。

Q4 人はサボりたいという気持ちがあるので先生が提案された『学び合い』でもサボる生徒はいるのでは?

A4 います。特に導入当初は、2~3割はいます。その子は、今まではやっているふりをしていた子で、実質は勉強していなかった子です。でも、『学び合い』ではそれがどんどん減ります。理由は、教師の「勉強しろ」より、同級生の「いっしょにやろうよ」の声の方が強力だからです。

Q5 全員が達成できるシンプルな課題というのが今ひとつぴんときません。

A5 お配りした手引き書に具体的な事例があります。ご覧下さい。

Q6 どのような集団においても、必ず指導リーダーは生まれるのでしょうか?

A5 はい。指導力というのは固定的なものではなく、集団の関係の中で生まれるものです。

Q6 教師は子どもの理解の道筋を確認するのですか?

A6 それは不可能です。物理的な時間の制約から言って、数十人の子どもの理解の道筋を確認するのは不可能です。さらに言えば、無限の時間をかけても理解できない道筋もあります。ですので、『学び合い』では、教師が全員の道筋を理解するのではなく、互いに理解し合う集団を創ることにエネルギーを費やします。

Q7 高校でも可能でしょうか?

A7 幼稚園から大学院まで可能で、実践されています。さらに言えば、企業も同じです。『学び合い』は集団管理のセオリーです。

Q8 習熟度別教育をどのように思われますか?

A8 非常に効率の悪い方法だと思います。さらに言えば、民主国家の構成者の育成する教育とは私には思えません。

 以上が受け取った質問の残りです。抜けがあったり、まだ分からないのでしたら、どうぞメールをお送りください。誠意を持ってお応えします。

09/11/23(月)

[]質問に応えて 14:27 質問に応えて - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 質問に応えて - 西川純のメモ 質問に応えて - 西川純のメモ のブックマークコメント

ある同志より、以下の質問を受けたのでレスしてください、と頼まれました。

そこで、以下の可視化します。

Q『クラスを大切にするということが、学力にも直結するということは、ずっと考えていたことです。学び合いということにはまだまだまったく至っていないんですがよく生活班で話し合いというのをよく使っています。うまくいく班もあれば人間関係がうまくいっていないため話し合いが進まない班があったり言う状態です。強制的に話し合いをさせればしますが自分達ではなかなかしようとはしません。(させきれていません)だからクラスもまとまりがいまいちないように思えます。今後どのようにしていくことがよいのかアドバイスをいただけたらと思っています。一人の子どもを切りたくないというのを私達は忘れてはいけませんね。』(教師)

A 今までの「話し合い活動」、「ペア学習」、「班学習」また、世にあふれる“学び合い”と『学び合い』とは全く違います。HPに公開しています「手引き書」をご一読いただければと思います。

Q 『親として『学び合い』の会に参加する時に注意すべきことはありますか?』(保護者)

A ありません。教師だって、家庭では保護者の人は大部分です。保護者だって、職場や家庭では教師の役割を果たしている人が大部分です。気楽に参加下さい。子どもの幸せを願っているのは同じです。

09/10/12(月)

[]質問に応えて 21:58 質問に応えて - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 質問に応えて - 西川純のメモ 質問に応えて - 西川純のメモ のブックマークコメント

 同志から「お忙しいところ,大変申し訳ないのですが,いくつかの疑問に対して,西川先生の見解を教えてくださいませんでしょうか。ブログのここに書いてあるという形でもかまいません。」という質問を受けました。

 何度も書いていることですが、改めて書きます。

A 『学び合い』の考え方と,グループ学習や「学びの共同体」との違いは?

 子ども達が関わる教育というのは山ほどあります。おそらく、大きな書店であれば、本棚一つや二つ分はあります。それらとの違いは学校観と子ども観にあります。

 圧倒的大多数は学校教育の目的として捉えているのではなく、手段として捉えています。例えば、効率の良い授業として、子ども同士の教えあいを活用しようとするものがあります。また、人間関係づくりの一貫として活用しているものがあります。また、話し方や効き方を学ぶための手段として捉えています。(残念ながら、この種の誤解は『学び合い』にもあります。ですので、私は頑固に、それは『学び合い』ではない、と主張します)そこでは教育の一部しか担っていません。そのため、そのような活動は学校の時間のごく限られた時間のみになります。

 しかし、ごく少数ですが、我々の学校観と極めて似た考え方に基づく教育もあります。しかし、それであっても、子ども達を有能とは考えていない点では、他と同じです。結果として、色々な手だてが必要だと考えます。(『学び合い』では、良い課題があると思う誤解はあります。良い課題はありますが、指導要領を理解するレベルだったら、そのようなものは不要です。むしろ、良い課題を考えようとすることによって、子ども達の活動を阻害するデメリットの方が大きいのです。)

 そのため、ありとあらゆるテクニックを駆使します。それによるデメリットが生じます。第一に、そんな大変なことを続けられません。結果として、定常的に出来なくなります。第二に、あくまでも教師のテクニックによって子どもは動いているので、教師の力量にその正否が大きく依存します。しかし、多くの教師はスーパーマンではありません。そして、家に帰れば、待っている家族がいる、普通の人です。その人の生活を冒します。第三に、どんなテクニックであっても、それに合わない子どもがいるのに、その子にも強いるという問題が生じます。

 つまり、学校教育は何のためにあるのかという考えと、子どもはどんな存在であるのかという考えに違いがあり、それから派生する様々な違い生じます。

 おそらく、『学び合い』に最も近いものはモンテッソーリ教育やシュタイナー教育のように幼児教育の考え方に最も近いと思います。両者とも、子どもを大人にしたいという強い願いがあります。だから『学び合い』に近いと思います。ところが小学校以降となると教科の色合いが強くなり、何のために学校教育は何のためにあるのかが、いつのまにか漢字の書き順や、二桁の足し算を学ぶことに置き換えられてしまうために歪んでしまいます。実は、大人になることこそが学校教育の目的です。そして、大人になることによって、漢字の書き順も二桁の足し算も学ぶことができます。

 我々が教師になろうとした原点に立ち戻って欲しいと思います。漢字の書き順も二桁の足し算を教えたくて教師になった人はいないと思います。我々は子どもを大人にすることを願っていたはずです。『学び合い』はそれを学校にいる間中、常に実現できる道です。そこが違います。

B やはり教師が最善の教え手であるべきではないか?

 おそらく、個々の子どもとの比較であれば、教師は子どもよりも良い教えてである場合が多いと思います。だから、クラスの中の過半数を教えるというレベルだったならば、教師が最善の教えてであっても良いのかも知れません。でも、我々の仕事は、クラス全員を大人にすることが仕事です。

 出来ない子が支援を求めていることは分かりやすいですよね。その子が一人や二人だったら教師が頑張れば教えられるかも知れません。でも、そのような子が四人、五人だったら教えられそうにないですね。また、勉強の出来る子だって支援を求めています。だって、そのような子は塾や予備校や通信教育で、あなたが教えているところを終わっているのです。ためしに、教える前に業者テストをやってみて下さい。かなりの点数を取れる子どもがいるはずです。そのような子は、授業中は満足しているでしょうか?思い出して下さい、自分にとってわかりきったことの伝達のために、職員一律に黙って座って聞くことがいかに苦痛か。そして、あなたにとって手のかからない子も教師の支援を求めています。私の場合、最後まで年賀状を送り続けてくれる子は、特別手のかかった子どもでも、特別に優秀な子どもありませんでした。あまり印象のない子どもでした。

 さて、そのような数十人の子ども達全員に支援することが、一人の教師に出来るでしょうか?無理です。1校時を人数分で割って下さい。何も出来ないことは当然です。しかし、教師には凄いことが出来ます。それは、クラスみんなを最善の教え手になる集団づくりが出来ます。そこが教師の仕事だと我々は考えます。

 医者の仕事は、病気を治すことです。注射を打つことでも、聴診器で心音を聴くことではありません。それらは病気を治すための手段にすぎません。もし、病気を治すためにそれらよりも有効な道があるならば、それを選ぶべきです。教師の仕事は、子ども全員に指導要領で規定されている内容を学ばせることです。そして、子ども全員に居心地の良い環境を保証することです。そして何よりも子ども全員を大人にすることが仕事です。板書すること、発問することが教師の仕事ではありません。

 子どもにとっての教師は、皆さんにとっての校長と同じ関係です。校長先生から、授業のやり方を懇切丁寧に教えて欲しいですか?おそらく違いますよね。皆さんが求めているのは、職員集団が凝縮できるような目標を与えて、それをしっかり評価して欲しいと願っているのではないでしょうか?子どもも同じです。

 もう一つあります。例えばです。小中高大の先生の中で、最もちんぷんかんぷんの話をしたのは誰でしょう。おそらく、大学の先生だと思います。では、小中高大の先生の中で、そのことに関して最も分かっていて、知っているのは誰でしょう。おそらく大学の先生だと思います。だって、それで飯を食っているのですから。では、何故、大学の先生の授業が難しいのでしょうか?我々は知っているほど、分かっているほど、上手く教えられると考えています。教員養成も教員再教育も、それを前提としてプログラムされています。しかし、心理学的に言って、それは誤りです。あまりにも両者の認知的ギャップが大きいと情報は伝わらないのです。例えば、あなたが「何でこんな簡単なことが出来ないの!」と思う子どもにとって、教師は最善の教え手ではありません。むしろ、つい最近までそのこと同じように間違って、ちょっと分かってきた子どもの方が「その子」にとって良い教え手になれるのです。

C 子どもが有能であるということが信じられない

 そういうことを書いたとき、特定の子ども達を思い浮かべていましたね。確かに、子どもの中には、かなり愚かで、かなり問題のあると思われる子どもはいますね。そうです。その通りです。でも、それとは逆に、かなり優秀で、よい子と思われる子どももいますよね。その子が中心となって、集団が作り上がり課題に取り組んだら、かなりのことが出来るのではないでしょうか?

 今の状態では、前者の子どもをなんとかしようとしてヘトヘトになっていると思います。でも、後者の子どもが教師の視点で動き始めたらかなりのことが出来るはずです。少なくとも、教師が一人で何でもしなければと思うよりは、かなり楽になるはずです。我々が子どもが有能である、と主張するとき、それは子ども達が有能であるということです。

D 学力低位の子に分からせるにはどうするか?

 分かりません。分かるわけありません。だって、学力低位の子と言ったって、一人一人、その原因は違います。何を好み、何を嫌うかも違います。学力低位の子というように、十把一絡げでまとめることは出来ないと思います。結局、一人一人と徹底的に対話し、様々なことをやるしかないのです。教師には出来ません。でも、三十人の子ども全員が教師となればそれが出来ます。

E 学力が低位なために,やる気の起きない子

 学力が低位なために、やる気の起きない子だったら、学力を高めれば良いだけのことです。しかし、実際の場合、百人のやる気のない子どもがいれば、百通りの理由があります。結局、一人一人と徹底的に対話し、様々なことをやるしかないのです。教師には出来ません。でも、三十人の子ども全員が教師となればそれが出来ます。

F 『学び合い』が成立する以前に学級経営ができていないのをどうすればいいか?

G 教師と子どもの人間関係ができていないとできないのではないか?

H 学習規律ができていないといけないのでは?

 これはいずれも同じです。では、今までのやり方で、学級経営が出来ていたのですか?人間関係が出来ていたのですか?学習規律が出来ていたのですか?

 出来ていたのならば、問題なく『学び合い』が出来るのですから、いいですよね?でも、この質問が出たのは、それがかなり難しいと実感されているのではないでしょうか?しかし、それらが難しいのは当然です。一人の教師の力で、それを成り立たせることはかなり困難です。もちろん、子ども達を隷属し、学級の中にある問題を教師の目の前には表出しないようにすることは可能かも知れません。しかし、そうなると帰って陰湿な問題になる可能性は高くなります。

 『学び合い』ではみんなの力で、学級経営をしますので、教師一人でやるよりは高い成果を期待できます。

I やっていない子を「叱らない」ということが難しい

 やっていない、ということを「その子」の問題だと考えてしまうと、それを叱らないというのは困難かも知れません。しかし、本当は「その子」がやっていないことを黙認している周りの問題なのです。そのように考え、集団を叱る方にエネルギーを費やす方が生産的です。だって、やっていない子を叱って、改善されるのですか?改善しませんよね?しかし、集団の問題だと考え叱ると、それを理解できる子どももいます。その子が、「ねえやろうよ」と言った方が、教師が叱るより効果があるとは思いませんか?

J 「みんなができる」を求めるが,なかなか全員達成できない

K 「教えてあげる」と「教えてもらう」の関係性ができてしまう

 いずれも、教師の心の問題です。教師がみんなが出来ることを求めていながら、心の中で「あの子は駄目だろうな~」と思っていると、賢い子がそれを見抜いてしまいます。そして、その子を教えることに関して手を抜いてしまいます。

 教師の心の中で「教えてあげる=偉い、教えてもらう=駄目」という心があると、クラスのみんなが見抜いてしまいます。そうなると教える側が尊大になり、教えてもらう側が卑屈になります。

 是非、上記をふまえて、自分の心を見直して下さい。その心はありとあらゆる言動ににじみ出ます。ホモサピエンスは、その言動を元に、腹を探ることをDNAの中に組み込んだ生物です。

tomkicktomkick2009/10/12 22:24西川先生
ありがとうございます。
自分から(というか,自分の職場から)質問させていただいて,なんですが,やはりブレが全くありませんね。
「考え方」が理解されていれば,その上に出てくるものは,土台になっている「考え方」の上に乗っているものなので,どうあったってぶれない。
ところが,今論じらている問題というのは,根っこを同じにしない花の美しさを競うようなもので,それは,好み以外の何ものでもないことになってしまう。やはり,根っこの部分が大切ですね。
お手数をおかけして申し訳ありません。
自分たちの実践から出てきた疑問なだけに,腑に落ちる部分がたくさんあると思います。
職員に紹介しながら,また深めていきたいと思います。
ほんとうにありがとうございました。

jun24kawajun24kawa2009/10/12 22:38はい、私はバカの一つ覚えみたいに、二つの考え方に基づいて考えるのでぶれません。物忘れが多くなりましたが、二つぐらいは覚えられますから。あははは

Kyo_TokyoKyo_Tokyo2009/10/13 00:10ご無沙汰しています

『学び合い』の普及活動は出来ない状態ですが、「子どもたちを大人にする」という事については、努力をしたいと思っています

『学び合い』を実践するうえで、課題の良しあしを、あまり考慮する必要がないとの事ですが、それでしたら「こどもたちを大人にする」上で教師が心掛けるべき事は何なのでしょうか?

子どもたちを励まし続ける熱意を持つ

ことや

子どもたちを信じ続ける熱意を持ち続ける

ということなのでしょうか?

他業種から転職したという事もありますが、教師というのは専門職なのではと思っているので、それならば教師が磨き続けるべき能力というのは何なのかな?

と疑問に思う時があります

もし、よろしければお答え頂けると嬉しく思います

jun24kawajun24kawa2009/10/13 06:31『学び合い』の手引き書の第2章第2節第2項、第7章第2節をお読み下さい。

Kyo_TokyoKyo_Tokyo2009/10/13 23:26お返事ありがとうございます

花の研究をしていて知識も豊富なのに、他人には花の魅力を伝えられない研究者と、自分が好きな花を植えているだけなのに、他の人にも園芸をやってみようかな?と思わせる力のある園芸家

その違いは、どこから来るのかな?と思います

なんとなく解る気もするのですが、他の人にも自分が学んでいる事の面白さを伝えられる人間になりたいなと思います

jun24kawajun24kawa2009/10/14 06:28人に対する興味と愛、だと思います。

Kyo_TokyoKyo_Tokyo2009/10/14 20:28ありがとうございました

いつまでも成長を続けたいという意欲と、自分と周りの幸せを願い続ける熱意を忘れないようにします

jun24kawajun24kawa2009/10/14 21:51小さくまとまらないでね。
ま、そういうことはないと思うけど。
あははは
志を維持することは、そうとうハードです。
期待しています。

Kyo_TokyoKyo_Tokyo2009/10/15 21:57ありがとうございます

09/08/25(火)

[]質問に応えて 14:30 質問に応えて - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 質問に応えて - 西川純のメモ 質問に応えて - 西川純のメモ のブックマークコメント

 高知の会で時間の関係で応えきれない質問に関しては、感想・質問事項に書いていただければ応えます、と申しました。高知の会から送られたコピーを読むと大多数は力強い感想でした。私が質問と認識したのは3名の方でした(間違っていたらメールして下さいね。)。諸般の事情で遅れましたが、お応えします。基本的に、私のHPの『学び合い』を学ぶコーナーにアップしています、手引き書に質問事項のことが詳しく書かれていますので、詳細はそちらをご覧下さい。下記には、ごくごく簡単に書かせていただきます。分からなくて当然です。

理解で必要なこと、それは会話を続けることです。理解するためのただ一つの最高の方法はありません。いろいろな人と会話を続けることによって、自分にとって最高の方法をみんなで探ることしかないのです。下記で分からなければいつでもどうぞ。

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●専門知識は?

 おそらく今までは教科の内容に関する知識・技能を教師の職能としてとらえられたとします。それの意味で言えば、『学び合い』の中期段階までは殆ど必要ありません。むしろ、子どものやる気をどう高めるかという部活指導で必要となる力量が必要となります。しかし、『学び合い』が最終段階に達するならば、教科に対する知識が必要となります。ただし、それを使って教えると言うより、子ども達が多様に発想するものの善し悪しを評価するに必要となります。

●理解スピードにズレは?

 まさに、そこに『学び合い』の意味があります。一人一人の理解のスピードは違います。従来の授業では一律にコントロールするため、それらに対応できません。『学び合い』では一人一人が自らのスピードで学びます。そして、分かった子は分からない子に教え、それによって遅れがちの子どものスピードアップが図られます。

●教え方がうまい子にみんな集まるのでは?

 ある子にとって教え方のうまい子というのは、別な子にとっても教え方がうまいとは限りません。実に多様な要素で相性は決まります。さらに、自分が教えて欲しい人が手一杯なときは別なこのところに行きます。子ども達は、折り合いをつけてうまくやります。

●学習に対して意欲のない子は遊び出す子も

●学習意欲がない、どうする??先に進もうとしない、ひとりぼっちにならないか?嫌われないか?

 従来の授業においても意欲のない子はいます。その子は今までは黙って座っているだけで、勉強していません。従って、『学び合い』だから特に悪くなると言うわけではありません。ただ、それが見えやすくなっているだけです。

 さて、このような子に意欲を高めるにはどうしたらいいでしょうか?今までは、教材や話術などに頼っていました。しかし、どんな教材も話術も全ての子どもを引きつけるわけではありません。我々人間がもっとも興味関心を引き出すものは「他の人」だと『学び合い』では考えています。従って、関わり合うことによって、興味関心を引き出すことが出来ます。

 少なくとも、一人の教師が興味関心を引き出すより、クラスのみんなで興味関心を引き出す方が有効だと言うことは、至極シンプルな理由です。

●生徒はどこまで学べているのかをどうやって把握するのか?(例 確認問題)

 最終的には定期テストではっきりと分かります。

 途中段階でどれだけ学べているかは、同級生が見取ることが出来ます。逆に、そのような教師の視点で同級生を見られる子どもを育てられるかがポイントとなります。

●異学年だと集中できない子が生まれる

 職員室を思い出して下さい。一人一人は違った仕事をしています。しかし、折り合いをつけて聞いたり、教えたりしています。そのような折り合いをつける経験を学ぶことが出来るのは『学び合い』の良いところです。

●良い怒り方、まずい怒り方とは?

 その子を怒ることはまずい怒り方です。それをすれば、クラスの大多数の子は、「その子」が悪いと考えます。『学び合い』では集団を怒ります。つまり、「その子」の行動を許した集団を叱るのです。それによってクラス集団が「その子」を律するようになります。

●『学び合い』を始めるいくつかのポイントとは

 色々ありますが、手引き書に詳しく書きました。

●説明の仕方がよかったり全体の場で認めたりしたいときは、『学び合い』の時間を止めて授業の最後にまとめを行うことはいいか?

 基本的にはそのようなことは不要だと思っています。即ち、子ども達が授業時間の殆どの時間を費やしコミュニケーションをすれば「練り合い」、「認め合い」をしているからです。これは『学び合い』の時の子どもの会話を聞けば分かります。

●何も教えないとおしゃいました。発言の意図することがよく分かりません。

 『学び合い』では一杯教えます。ただし、それは「右」と「左」の「ノ」の書く順番は違うというような子どもでも教えられることは教えません。その代わりに、大人になるとはどういうことかを教えます。

●学校組織として取り組まれている実践校がありましたら教えて下さい。

 日本中にいろいろな学校があります。どのようなことを知りたいかをメールしていただければ、ご紹介いたします。」

●『学び合い』をすすめるにあたりポイントがあるとおっしゃいました。そのポイントを教えて下さい。

 色々ありますが、手引き書に詳しく書きました。

daitouirukadaitouiruka2009/08/25 20:50高知の会のフォロー、ありがとうございます。
私自身も改めて勉強になりました。
upされたこと、参加してくださった方々にお知らせできる範囲でさせていただきます。

jun24kawajun24kawa2009/08/25 21:07よろしくお願いします。

o4dao4da2009/08/25 22:17怒り方と教材研究の書きぶり、いいですね!

jun24kawajun24kawa2009/08/25 22:30いいでしょ!