西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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18/03/10(土)

[]平成三十一年 16:38 平成三十一年 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 平成三十一年 - 西川純のメモ 平成三十一年 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今から書く事は、私個人が書いている事です。大学が書いているのではありません。こんなの当たり前なのですが、入試に関わる事ですので、念押しします。

 今、日本中の教員養成系大学・学部が大変な大騒動になっています。理由は、三十一年度から教職免許法が変わるからです。そのために、教職科目担当者は色々な書類を書かねばなりません。ただし、既に設置されている多くの大学では、基本的には現状を踏襲する形で書類を書くと思います。それが最も安全ですから。

 もう一つは大学院改革です。教員養成系大学・学部には修士課程と専門職学位課程(教職大学院)があります。今回の改革では、国立大学は基本的に教職大学院にしなさい、つまり、修士課程は縮小しなさいという「強い」指導を受けています。ところが、現在の教員は修士課程を担当することを前提に採用されています。だから、「さあ、教職大学院の担当になりなさい」と言われても対応できないのは当然です。だから、大学管理職は国の方針なのだから教職大学院化することは認めても、それを緩やかに進めたいと思います。なにしろ生首を切るわけにはいきませんですから。

 遠目で見ても、現在の大学管理職は「可哀想」としか思えません。

 私は十年前から教職大学院担当です。ですので、例外的に落ち着いて推移を見ています。

 これから書く事は、現状での案を、私なりの理解で書いているものです。つまり、現状の案であって、変わる可能性があると言う事です。さらに、現状の案を私がパーフェクトに理解している分けでは無い事を、繰り返し注意します。

 

 私に所属する教職大学院は、管理職養成・研修部分を分離しました。現教職大学院の特徴である教育実習は、学校に中長期に入り、その学校の先生方とその学校の課題を協働的に解決する実習です。その課題の多くは教科教育と学級経営が主です。従って、管理職になっている人やなろうとする人には必ずしもフィットしません。だから分離し、あらたなカリキュラムを設けるのは妥当だと思います。

 教科教育と学級経営に関する若手教員の養成、ミドルリーダーの養成・研修、指導的ミドルリーダーの養成・研修を担当するコースに再構築し、私はそこに所属します。しかし、カリキュラムは基本的に現教職大学院と同じです。十年以上の教育・指導の経験しているスタッフが担当するのですから、安心です。管理職養成・研修を分離した事によって、管理職養成・研修を配慮したカリキュラムをカットする事が出来るので、かえってシンプルになりました。

 

 ただ、いくつかの改良をした部分があります。

 第一に、必修科目の履修方法です。今までは必修科目は全て決まった科目であり、全教員がオブニマスで担当していました。関係法規の改定により、三十一年度からは選択の幅が広がります。つまり、教科教育を主に学びたい人は、教科教育に関する科目を多めに履修する事が出来ます。逆に、学級経営を主に学びたい人は、学級経営に関する科目を多めに履修する事が出来ます。教員個人で担当する選択必修科目を多種多様に用意するので、選択の幅が広がります。

 第二に、免許無しの学生さんを受け入れる事が出来るようになりました。本学教職大学院は何らかの免許を持っていることを受験資格にしていました。そのため、今までにも多くの人が本学教職大学院に進学する事を断念していました。しかし、今後は免許無しの人も受け入れる事が出来ます。最初の年は免許関連科目を履修する事に専念します。2年目、3年目は免許がある人の1年目、2年目と同じようなカリキュラムを受ける事になります。

 

 以上2点が今までとの違いです。安心して下さい。現教職大学院が最も大事にしている点は不動です。

 第一に、スタッフです。現職経験を持ち、学術業績(学会誌論文等)と実践業績(教師用図書等)の両方を持っているスタッフで固めています。従って、学術の授業と実践の授業を学生が聞いて融合・往還せよとは申しません。学術と実践を融合・往還したスタッフが、学術と実践を融合・往還した講義・演習・実習指導を行います。

 第二に、協働的です。おそらく現職院生と学卒院生の協働的な講義・演習・実習を実現しているのは本学だと思います。これによって、先輩教師に可愛がられる若手教員、若手から慕われる中堅教員を養成しています。

 以上によって、採用される事のみならず、務め続けられる教員を養成しようとしています。

 

 では、なんでこんなことを今書いているかといえば、三十一年度の学生を選抜する試験は三十年度(つまり、今年)にあります。だから、一足早めにお知らせしようと思います。ちなみに現在、申請をしようとしている状態ですから試験がいつあるかのレベルも流動的です。決まるのは6月以降になると思います。

 以上、西川個人のつぶやきでした。

追伸です。

教職大学院は拡大します。我々が担当する教科教育・学級経営実践コース以外に、現修士課程の先生方が担当する別のコースが数多く新設されます。そのコースの場合は、教職大学院の基本的枠組みの中で、我々とは別の考え方で教育・指導すると思います。

18/03/05(月)

[]教師の仕事 08:41 教師の仕事 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教師の仕事 - 西川純のメモ 教師の仕事 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 医者の仕事は注射や聴診器で聞く事ではありません、病気を治す事です。病気を治すのに注射や聴診器が不必要なら使うべきではない。教師の仕事は発問や板書ではありません。「平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成」(教育基本法第1条)です。

 かつてある教師と話し合ったときです。子どもは多様で、子どもにフィットする説明は多様である事を話しました。それは認めました。次に、一人の教師で多種多様な説明をすることは物理的に不可能である事を話しました。それも認めました。塾・予備校・通信教材は普及し、保護者の半数は4年制大学の卒業生であることを話しました。そして、学校の勉強の大部分は成績中の下に合わせており、その程度ならば教えられる子どもが2割はいる事を話しました。それも認めました。だから、教師が教えるより、子ども達が学び合う方が分かる子が増えることを話しました。それも認めました。しかし、教師は教えるべきだと言い張りました。ビックリして、「教師が教える方が分からない子が増えるのに、それでも教師が教えるべきか?」と聞くとうなずくのです。理由を聞くと、「教師は教える事が仕事だから」と。呆れて二の句が継げませんでした。

追伸 その方は、話していて一斉指導の授業者としてはかなりのレベルと感じました。子どもの事も考えている良い教師だと思いました。しかし、固定観念を捨てられません。それ以降、分からない教師は実証的かつ論理的に説明しても分からない事を理解しました。理解力が無いのではありません。理解したくないのです。

13/04/28(日)

[]良い方向 19:29 良い方向 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 良い方向 - 西川純のメモ 良い方向 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 「なぜか仕事のできる教師の7つのルール」に書きましたが、多くの教師は授業の上手い教師が教師に好かれ縦糸を作れると思っています。しかし、それは誤りです。授業のうまさや、明るさや、話術で子どもを引きつけら得るのは、ま、1ヶ月程度でしょう。それ以降は、その人の人柄、心なのです。

 思い出して下さい。我々が尊敬した教師は授業がめちゃくちゃ上手かったでしょうか?おそらくそういう人もいますが、そうでない人もいたと思います。実は、授業のうまさが重要なのではなく、授業を上手くしようとするその人の心が子どもを引きつけていたのです。

 だからです。名人教師の授業案通りに授業をしても、見事にひどい授業も出来ます。名人教師の作った教材を使っても失敗する事が出来ます。なぜなら、授業や教材はその人の心と一対になって効果を出すからです。心が伴わなければ、心の方の影響の方が大きいからです。

 だから、いわゆる世にあふれるノウハウ本に不満を持っていました。多くはそれを書いた人の心が伝わらず、ただノウハウのみが伝わるのです。結果として、切り売り可能なプリント類のみが残ります。その程度のノウハウしか生き残れない。

 しかし、最近は実践者の心を伝えようとする本が前より多くなっているように思います。例えば、その人の生き様を追体験させようとする本もあります。ノウハウのみならず、そのノウハウが生まれた状況をエピソードで語る本も出ています。それらは読みやすく、小説を読むようにスルスルと入ります。

 が、理科人である私には不満なのです。つまり、確実に伝わるとは限らないのです。例えば、聖書の解釈は十人いれば十通りとなります。仏教のように様々な表現をした仏典のどの部分を重視するかで、数限りなく宗派が生まれます。

 それに対して数学は、極限まで無駄なものを排除し、シンプルにして、根源となるものは何かを定めます。そして、それをもとにして、ありとあらゆる事に演繹するのです。数学の本の基礎の部分は一般には読みづらいものです。

 例えば、ユークリッド幾何の第一公理は「点と点を直線で結ぶ事が出来る」というものです。一般の人が読んだら、「何、当たり前の事を・・・」と思うと思います。しかし、そのレベルまで純化するからこそ、数学は確実に伝える事が出来るのです。

 私が『学び合い』を考えるとき、それは生物学的妥当性を考えます。でも、それを理論としてまとめる際は数学をモデルにしたいと願います。『学び合い』は1行で表現できる学校観と子ども観だけで、全ての方法論が導かれます。もちろん、多くの方に分かってもらうためには、様々な実践のノウハウを整理し、提供しています。でも、それは原理原則というものの影に過ぎません。本体は学校観と子ども観です。ノウハウではいつか壁にぶつかります。その時、学校観と子ども観の凄さを実感できるのです。

 私としては、世にある優れた実践者の心を、一度、極限まで整理したら、もっと面白い事が起こるのにな~っと思います。

maya-1maya-12013/04/28 12:47私が、ネットで先に辿り着いた佐藤先生の「学びの共同体」ではなく、その後で知った西川先生の『学び合い』を選択したのは、「学びの共同体」の手法は素晴らしいが、教師の指導力という点でかなりハードルが高いと感じたからでもあります。『学び合い』の考え方をきちんと押さえてやるのも簡単ではないと思いましたが、その考えに納得した方なら必ずや実戦可能だと判断したわけです。

jun24kawajun24kawa2013/04/28 15:33私もそう思います。理由は私が単純バカの理系出身者であると言うことが原因と思うのです。

13/04/27(土)

[]安定 21:59 安定 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 安定 - 西川純のメモ 安定 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は生活的には常に定職に就き、安定していました。理由は二つです。

 第一は、私の父を見ていたからです。私の父は手八丁口八丁の人でかなり有能だと思います。が、倒産も何回かあります。その時の家族の状態が身にしみているからです。だから、大きく稼ぐより、安定を望みます。

 第二は、ハマトンの知的生活という本です。高校時代に出会って、大きな影響を受けた渡部昇一さんが推薦する本なので読みました。そこで書かれているのは、人から侵されない地盤を持つ事が節を守る道だと言う事です。

 私は教え子に定職に就く事を勧めます。私は教員養成系大学の教師なので、とにかく、教員になることを勧めます。公務員も大変です。色々なプレッシャーにさらされるでしょう。でも、クビになる事は希です。尻をまくれば、かなり凄い事しても大丈夫な職業です。少なくとも民間に勤めているより、また、無職より、安定しています。

 安定しなければ、自分の節を守れない。

 だから、安定していない職で頑張っている人を見ると、凄いな~っと思います。同時に、安定していない職の人が、節を守っていないと、「あ~、プレッシャーに負けているんだよな」と察します。その他方で、プレッシャーに負けず、前向きに進み続ける人を見ると、私より若い人でも、率直に尊敬します。そして、俺には無理だ~っと思います。でも、そういう人がいるのです。

mana-mama5mana-mama52013/04/27 23:31塾、予備校、通信教育が発達したのはそもそも学校が何も教えられないからでしょう?学校で基礎的な事が学べると思えば、猫も杓子も塾に行くような今の状況にはなってないと思いますね。

jun24kawajun24kawa2013/04/28 07:30今の学校の授業は、全員を教える事は無理なのです。明治当初の状況に合わせた授業方法ですから。そのころから、教室の6割以上の子どもには意味のない授業です。今、状況が変わりつつあるのは、その6割の保護者が発言するようになったからだと思います。

13/04/25(木)

[]誤解 05:51 誤解 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 誤解 - 西川純のメモ 誤解 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』に対する誤解、非難は、『学び合い』を学び合わせる事が目的だと思っている事に由来しています。また、結果として生まれた、「現状」の授業方法の表層を見て、「教えない授業」(実は色々な事をしているのですが、従来の人は見えませんから)と見てしまうからです。

 『学び合い』を正しく理解するには、「目の前の教え子を一人の例外もなく生涯にわたって幸せに出来るか?」と自分に問い直して下さい。

 例えば、授業をすれば5分ぐらいで宇宙に旅立つ子どもがいるでしょう。いや、最初から聞く気が無い子がいるでしょう。その子も含めて例外もなく、その日の授業を分からせるにはどうしたら良いかを考えて下さい。それを「無理だ」とか、「必ずしも分からなくても良い」と思ったら『学び合い』ではありません。分からないで毎日を過ごす子どもの苦しみを考えて下さい。『学び合い』はそれを真剣に求め続けました。結果として、そんな事を実現しようとしたら、一人の教師で抱え込んでは無理だという結論になりました。そして、どんな素晴らしい教材や発問より、ごく普通の会話を、でも、膨大に積み上げることしかないという結論に至りました。

 例えば、教師から見ても「性格が悪く」、「嫌なやつ」という子どもがいます。案の定、その子は周りの子どもから嫌われ、阻害されています。その子を子ども集団の中に受け入れられるようにするのかを考えて下さい。それを「無理だ」とか「自業自得だ」と思ったら『学び合い』ではありません。その子も仲間に入りたいと思っています。だって、ホモサピエンスの本能だから。でも、自分の何が悪いのか、分からないのです。『学び合い』はそれを真剣に求め続けました。結果として、その子を変えるより、周りの子ども集団がその子を理解すべきだという結論に至りました。そのためには、膨大に関わり、膨大に失敗し、その子の扱い方を集団が学ぶべきなのです。そして、関係を成立させた後に、その子が徐々に変わります。

 もし、上記の子どもに着目するのが、その子のためだと思うならば『学び合い』ではありません。実は、勉強や人間関係で見捨てられている子がいることを他の子も知っているのです。そして、ビクビクしています。だから、クラスの全員が安心するためには、みんなが支え合わなければならないのです。

 さて、自分が授業をしているとき、担任をしているとき楽しそうにしているし、分かっているようにしていたとします。さて、来年はどうでしょうか?あなたが担任でないかも知れません。卒業したらどうでしょうか?社会に出たらどうでしょうか?今、あなたはその子の一生の幸せを実現するための確かな何かをしているでしょうか?そして、一人も例外なくでしょうか?そんなの「無理」とか「その時の教師の担当」と思ったら『学び合い』ではありません。教師は教え子を幸せな人生をおくれる大人にしなければなりません。それは教育基本法の第1条をお読み下さい。『学び合い』はそれを真剣に求め続けました。結果として、一人も例外もなく支え合う仲間を学校で獲得するべきだという結論に至りました。それは同級生ばかりではなく、様々な学年、様々な学校の様々な繋がりの中で獲得すべきです。そして、本当に一人例外なく幸せにするには、地域コミュニティを再生することが必要だと考えています。

 このような大それた事を実現できる場は、毎日の教科学習だと『学び合い』では考えています。なぜなら、コンビニのない地域、郵便局のない地域でも学校はあります。公立、私立に関わらず、国が最も多くの予算をかけ、膨大なマンパワーと施設を整えているのは自衛隊ではなく学校です。それを使うべきです。そして、我が子、我が孫のためというのが、地域の人や保護者集団が最も共有できるミッションだと思います。

 その学校の多くの時間は教科学習に費やしています。その場で実現しなければなりません。教科学習はテストすることが出来ます。仲間になったふりは出来ても、100点取るふりは出来ません。点数分布で確実に仲間であるかを知る事が出来ます。

 現状の授業方法は「目の前の教え子を一人の例外もなく生涯にわたって幸せに出来るか?」を実現できるための方法に過ぎません。本体は「目の前の教え子を一人の例外もなく生涯にわたって幸せに出来るか?」です。もちろん、『学び合い』によって直近の様々な問題を解決出来ます。例えば、受験も、それが団体戦だと子ども達が理解したならば、内申書レベルで足を引っ張り合っている学校に負けるわけはありません。しかし、受験だけを目指している限りは、子どもの心に本当の火を付ける事は出来ません。周りの仲間を安易に切り捨てる事は自分にとって損であることを分からなければなりません。そして自分の仲間はそれを理解していると確信しなければならないのです。

 しつこいようですが、『学び合い』は学び合う事を目的としていません。「目の前の教え子を一人の例外もなく生涯にわたって幸せに出来るか?」を求めた教育なのです。

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20120421/1334983839