西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。
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17/06/24(土)

[]暴言・暴行 22:05 暴言・暴行 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 暴言・暴行 - 西川純のメモ 暴言・暴行 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 豊田真由子議員の暴言・暴行がネットで公開されていますね。それを聞けばビックリすると思います。でも、最初からではなかったと思います。最初は、ちょっと、それがOk。だから、次はもうちょっと、それがOk。その蓄積が、あれになったと思います。

 私の教師の出発点は学力的には最底辺の高校です。中学校の内申書は純粋無垢のオール1、暴走族・暴走族OB/OGがわんさかいる学校で彼らに物理を初めとする理科を教えました。その結果、教師には権力は何も無いことを学びました。そして、体罰とは、何をやったかではなく、受け取る側がどう思うかによって決まることを学びました。(そのあたりは、「資質・能力を最大限に引き出す! 『学び合い』の手引き ルーツ&考え方編」(明治図書)に書きました。

 これは私の基本中の基本として刻みつけられました。

 だから、私は子ども(私にとっては学生)は大人として接します。どんなバカなことをしてお大人として接します。𠮟るべきことは𠮟ります。それは、私より年長者に対してもです。その際には、ちゃんと理屈を語ります。そして、その学生のためであると思ったときは、頭をたたきます

 私が本学教職大学院の制度設計をつくる際、学生の選択権を確保したいと思いました。学生が指導者を選び、嫌だったら異動できる権利を確保したいと思いました。これは学生のあためでもありますが、教員のためでもあります。

 だから、豊田真由子議員を哀れと思います。学ぶ機会を得られなかったんだろうな、と。

 ミルグラム実験(グーグルで検索してください。かなり有名な実験です)から言えることは、どんな人もいくらでも残忍になれるのです。ならないためには、そうならない、システムを整備すると同時に、その恐ろしさを知るべきです。

[]人工知能 17:08 人工知能 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 人工知能 - 西川純のメモ 人工知能 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 この1週間、集中的に人工知能関係が今後の社会にどのように影響を与えるかという本を読みました。いずれも啓発されますが、途中で嫌になってしまいました。

 理由は細かいからです。

 私の知りたいのは、目の前にいる子ども達全てが幸せになるにはどうしたらいいか?ということです。

 結局、読み終わっても、私の方針は変わりませんでした。

 それは中長期にわたって蒐集しえる個人データに基づくサービスの提供が、子ども達が就くべき職業であることです。これは人工知能がビックデータによって駆動することを前提としています。少なくとも、目の前にいる子どもが一生を終えるまでは、この限界を超えないと予想しています(まあ、根拠のある予想と言うより、願望ですが)。

追伸 ちなみに、その限界を超えたら、人の欲望を生み出すことが仕事となるでしょう。さらに、それすらも人工知能が乗り越えたら、人と人工知能の差は無くなると思います。人工知能対人の戦いを起こる前に、人が人工知能化し、人工知能が人化して、両者のハイブリッド生物(?)が生まれるのかもしれません。それは、デイヴィッド・プリンの知性化シリーズにおける超越類、思念類や、アーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」におけるオーバーマインドのようなものかもしれません。ま、私に無関係であることは確かです。

17/06/23(金)

[]少数派 07:10 少数派 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 少数派 - 西川純のメモ 少数派 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 我々は少数派でしょうか?

 少数派だと思っている『学び合い』の実践者は多いと思います。でも、本当ですか?

 考えてみてください。明確に理論と方法論を示す実践をしている教師はどれほどいるでしょうか?例えば、「問題解決学習」という言葉をよく見かけます。しかし、その言葉の意味はバラバラです。そして、同じ学校でもバラバラです。方法論は表層的です。つまり、「最初の5分は・・・・、次は・・・・・」程度です。時間は明確だとしても、その時にやることが意味を理解する理論がない。だから、やっていることは同じのように見えるけど、効果がバラバラです。

 さらに言えば、その理論と方法論が、学術データ、実践データに基づいているものはどれほどあるでしょうか?現場を知らない研究者の机上の空論や、「根拠は俺」という一般性の保証されない実践ではないですか?

 我々には学術データ、実践データに基づく理論と方法論があります。だから、初めて会った人同士でも話が直ぐに通じ合います。学校段階が違っても、教科が違っても。笑っちゃうほど、直ぐに通じ合う。でしょ?それが学術データ、実践データに基づく理論と方法論の強みです。

 そのようなものを今まで出会いましたか?

 確かに『学び合い』を実践している人は多くはない。しかし、何らかの理論と法王論を持っている人たちの中では多数派です。

追伸 大きな書店に行ってください。身銭を切って学ぼうとする教師集団の中では最大勢力と言っていいと思います。

17/06/21(水)

[]責任 21:30 責任 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 責任 - 西川純のメモ 責任 - 西川純のメモ のブックマークコメント

背負っていると思うことは多い。

でも、一緒に背負ってくれる人は多い。

でも、私が背負わなければならないことがある。大変。

でも、当たり前。

17/06/20(火)

[]みんなで 21:20 みんなで - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - みんなで - 西川純のメモ みんなで - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昔に比べれば、私に対するお悩み相談は激減です。以前は、日に3時間は費やしました。原因は本を出版したからです。私に悩みを訴える人の言うことはパターン化しています。だから、本を読んでいる人は解決できます。

 あとは、対人関係の悩みです。だから「みんなで取り組む『学び合い』入門」を世に出しました。それから1ヶ月。

 私へのお悩み相談の多くは「みんなで取り組む『学び合い』入門」に書いてあることをしていなからです。

 言ってはいけないこと、でも、読んでからお悩みメールをして欲しい、と言う方が少なくない。

17/06/19(月)

[]悔恨 21:46 悔恨 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 悔恨 - 西川純のメモ 悔恨 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は良い授業を願いました。もちろん、その延長上に子どもたちの幸せがあると信じていました。でも、良い授業の延長上に子どもたちの幸せがあると、実証的なデータはありません。最大の根拠は「私の出来ること」はその程度ですから。でも、私の出来ることは良い授業以上のことはない、と思っていました。不勉強だから。でも、本当の理由は子どもの幸せを願っていなかったから。もっと正確に言えば、全ての子どもの幸せを願っていなかったから。

 と、今は分かります。というか、それが分かっているから、追い立てられるように今もいます。

 長年、色々な人とつきあい、ある理解に到達しました。

 「良い授業をしたい」と「子どもたちが一生涯幸せになる」は似て非なるものです。

 「良い授業をする先生方の学校」と「子どもたちが一生涯幸せになることを願う先生方の学校」は違います。

 私は高校教師の2年間、それを分かっていなかったことをいつまでも自分を責めます。

 脳天気な人を知ると、「あんた、どれほどの責任を背負っているか分かっているのか?その軽口の裏にどれほどの見えにくい子どもの人生が犯されたのか」と思います。

 今でも、夢の中で三十年前の教え子の顔が見えます。

 分からない人は、分からない。分かりたくないのですから。