西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。
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17/04/30(日)

[]職能 16:10 職能 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 職能 - 西川純のメモ 職能 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私の考える教師の職能、力量は以下の通りです。

 「新任1年目を生き抜く教師のサバイバル術教えます」(学陽書房)に書いてあります。

『圧倒的大多数の善意の教師と私の思っている教師の職能は全然違います。たいていの場合は網羅的な知識・技能が必要だと思います。授業記録や指導案の書き方は基礎的だと思っています。そう思っている先生方が善意である故に辛いのですが、私はそうは思っていません。『学び合い』に至った考えと同じです。たしかに、それの有効性を全面的に否定するわけではありません。しかし、それが有効である場面は、それほど多くはないのです。教師が勤める学校は千差万別、教える教材は千差万別、教える子どもは千差万別です。だら、個々の知識、個々の対応を覚えるとするならば、そりゃきりがない。

 じゃ、何が必要かと言えば、

 私の考える教師に職能は以下の三つです。網羅的、箇条書き的な普通の教師の職能とはかなり違い、静的ではなく、動的に職能をとらえています。

 1)子どもや親のせいにしない。確かに、それが原因なのかもしれないが、それを言ってはおしまい。

 2)尊敬すべき、先輩、後輩を捜し、その人といっぱい雑談をする。見いだす方法は、子ども「たち」、地域、保護者に聞けばいい。そして、地域、保護者とのつながり方も先輩・後輩から学べばいい。

 3)まねられるところはまねる。まねられないところは、まねる必要はない。今の自分のままで、出来る授業はある。

 補足します。

 第一の職能がないと、教師の進歩は止まります。教師が求められる能力は多種多様です。例えば偏差値70以上の子どもたちを相手にするのと、暴走族だらけの子どもを相手にするのとでは、求められる対人能力も教材の力も全く違います。小学生を相手にするのと中学生を相手にするのでも違います。また、同じ学校、同じレベルの子どもを教えるのだって、自分が二十代前半であるときと、四十代後半では全く違います。学問的にそれを抽象化することは出来ますが、理論物理学者が車を作れないのと同じ理由で、現実の教室では無力です。結局、教師にとっての最高の教師は「子どもたち」だと思います。子どもたちに教えられながら、常に学び続けなければならないわけです。

 若い先生の場合、過去の自分の経験や、他人の経験を知りません。そのため自分を相対化できません。さらに、年を経ると、失敗しても、その失敗を目立たなくするノウハウは確実に増えます。その結果、職員室の中で、あたかも自分だけが駄目のように感じてしまいます。いえいえ、中堅・ベテランでも追い詰められると、自分だけが駄目みたいに感じます。

 でもね。今まででは通用しないのは、ごくごく当然です。子どもも変わり、自分も変わっているのですから、調整しなければならないのは当たり前です。これは、『学び合い』だって、一斉指導だって同じです。それが嫌になると、子どもや保護者のせいにしたくなる。人情です。でも、このブログを読んでいる方々だったら、そうした先生がどのような先生であるかは「よ~~~~く」ご存じなはずです。もがくしかありません。もがくのが当たり前です。偉そうなこと言っている私も「当然」、一杯失敗し、落ち込みます。でも、もがくから成長もあります。少なくとも、もがかなければ、現状維持はあり得ません。

 でもね。人の能力なんて、たががしれている。もがいても解決できないことが殆どです。そんななかでもがき続けるなんて、神仏でなければ出来るわけありません。当然です。では、子どもや保護者のせいにして合理化する教師になるか、成長しつつけることの出来る教師になれるか、その分かれ目は何かといえば、それが2番目の職能です。これって大事です。自分が分からないこと、困っていることを、解決する方法をこともなげに教えてくれる人っているんですよ。「あ、それね。あははは。知らない人は、なやむよね。それってね・・・・」と教えてくれる人っているもんですよ。答えを知っていなくても、一緒に考えてくれる人はいます。そして、何よりも愚痴を聞いてくれる人はいます。

 教えてもらえる、一緒に考えてくれる、そして愚痴を聞いてもらえる。そこで得られる最大のものは何か?そりゃ、もう一度、自分で考える勇気をもらえることなんです。教えてもらえることでさえ、結局、自分の場面にそのまま使えるものではありません。やっぱり、子どもたちという教師の教師の前で実践して、自分でもがくしかありません。これは『学び合い』も同じです。

 私も落ち込んだとき、いつまでも愚痴を聞いてくれた先輩教師が、十数人の職場でしたが片手以上いました。職員室の横のお茶飲み場では足りない時は、その愚痴を聞いてくれるために酒場や自宅で「奢って」もらえる機会が、週1回以上はありました。今から考えると、驚異的に恵まれていたと思います。でも、今の職場は年齢バランスの崩壊や、様々な要因で私のいた頃とはだいぶ様変わりしていると思います。その場合は、あらゆるチャンネルで繋がることが大事です。(でも、本当は『学び合い』が広がれば、職場が第一の場になると思いますが)さて、自分が悩み、人と相談し、再度自分で考えるとき重要なのが第三の職能です。溺れている人は浮いているものに必死にしがみつきます。でも、本当に重要なのは自分で泳ぐことです。あくまでも主体は自分であることを忘れてはいけないと思います。』

[]理論と実践 14:17 理論と実践 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 理論と実践 - 西川純のメモ 理論と実践 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 子どもは「人」を見て、その教師に従うか否かを決めます。その教師がどんな指導法、指導テクニックを使うかで判断しません。その教師がどんな考えであるかで判断します。その考えを、その教師の指導法、指導テクニックを通して類推します。実は、教師が黙っているとき、ボーッとしている時の全てを数人の子どもは観察し、分析しているのです。数週間もあれば、その教師の考え方が分かってしまいます。

 以上のことが「?」と思った方は、「教師」を校長に、「数人の子ども」をあなたに置き換えて下さい。そうすれば上記が自明であることは明らかです。

 世の中には、読んでいるだけで心が温かくなるような現場教師の本があります。「いい先生なんだな~」と思えます。しかし、その方の本を含めて、不満があります。多くの場合、具体的なテクニックは書かれているのですが、その方が何を考えてそのテクニックを使うかという説明があまりないのです。まあ、ぼや~っとは書いてありますが、明文化されていない。明文化されていないものはぶれます。理論にはならないのです。

 理論は分かる本もありますが、その理論が分かったら子どもはどんな反応をするのか不安になるような本もあります。

 例えば、「あほな職員を上手い具合にコントロールできる校長術教えます」という本を読んでいる校長がいたら、あなたはどう思いますか?まあ、そんな考えであれば、校長の腹を読むのに長けた職員が見抜くでしょう。そして、コントロールされたふりをするでしょう。そして、周りの職員にもそれを教えるでしょう。それは子どもも同じです。

 では、子どもに対して見破られていい「腹」とはどんなものでしょう?

 陳腐ですが、愛だと思います。

 そして、その愛が、自分たちの考えられない広さと深さに基づいているとき、尊敬となります。

[]指導案 13:57 指導案 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 指導案 - 西川純のメモ 指導案 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 教員養成大学では指導案の書き方の「指導」があります。また、学校現場でも指導案検討会というものがあります。

 私は今までに一度も指導案を書いたことがありません。大学は理学部で、そのようなことを指導してもらっていません。教育実習は筑波大学附属高校でしたが、指導案を書けとは言われませんでした。まあ、簡単な板書計画は見てもらっていました。勤めた学校は怒濤の学校で、悠長に指導案など書く暇がありませんでした。

 ということで、指導案の指導を私は出来ません。

 負け惜しみみたいですが、指導案って意味あるのでしょうか?

 指導案が良いと良い授業が出来るのでしょうか?それだったら、大村はま、斎藤喜博の指導案で授業すればいいだけのことです。小学校だったら、同僚の赤坂真二、水落芳明、阿部隆幸の指導案で授業すればいいだけのことです。自分で書く必要はありません。

 しかし断言できますが、大村はまの指導案で授業して、見事に悲惨な授業にすることは可能です。おそらく、そうなる可能性の方が高い。結局、授業を決めるのは「人」であって指導案ではない。

 が、指導案が大事と思い込んでいる学校現場で生き残るためには、指導案の書き方を覚えている方がいいに決まっています。が、ここで問題があります。指導案は都道府県によってお約束が違います。同じ県でも地域によって違います。ところが、他県の指導案の書き方を知る教師は殆どいません。事務所管内で一生涯を過ごす教師の場合、同じ県の他地域のお約束をしりません。だから、自分が知っていること、これが「正しい」と思い込んでいて、それを若い人に教える。

 予想される子どもの反応という欄があります。

 そんな子どもの反応を予想できますか?学術的にも難しいのに。それに、子どもという子どもはいません。どの子の反応なのですか?まさか、全員が同じ反応をすると思っているのですか?

 私は大学の講義1時間半を3行程度のメモで出来ます。そこには学生の反応なんて書いてありません。そこには学生がどんな反応をしたとしても、この時間で分かって欲しいことを書いています。例えば、数日前にイジメの講義をしましたが、その時は「生物は自分にとってメリットの無い攻撃はしない。では、イジメをする人のメリットは何?そのように思わせられる人は誰?」の3つのセンテンスで終わりです。(『学び合い』ではなく、一斉指導ですよ)

 細かいゴチャゴチャしたものを書いても無駄です。授業は生き物です。なにしろ人という生き物が何人も相手のことなのですから。ゴチャゴチャしたものを書けば、そこに合わせようとして流れの中で融通無碍に出来なくなる。しかし一方、絶対に押さえなければならないことは、学生がどんな反応をしたとしても押さえます。だから決めます。

 小中高の授業も同じだと思います。どのように教えるかを考えるより、何を学ぶべきなのかに頭を使うべきなのに。大抵は、学習指導要領に書いています。が、多くの人は学習指導要領を読まず、教師用指導書を読んで「教科書」を教えようとする。だから、指導案がありがたがれる。

 

追伸 ちなみに私は職場では「おりあい」をつけているので、他の先生が指導案の指導することに反対しません。

[]しょせん 12:56 しょせん - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - しょせん - 西川純のメモ しょせん - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私の講演を聴いた方だったら、かなりのレベルだと分かると思います。暴走族相手に物理を教えなければならなかったのですから。教材研究だって、それで学術論文を書いたこともあります。

 が、それが授業で役立つということは、殆どありません。

 だって、教材研究にはもの凄く時間がかかる。半年かけて1回分ではないでしょうか?

 話し方、子どものあしらい方は、修羅場をくぐらないと分かりません。その事を書いた本を読んだり、研究会に参加するぐらいで学べるわけはありません。そこそこよい子が多くを占めている子どもを何十年教えても、修羅場のようなクラスを立て直した1年の経験に勝てるとは思いません(修羅場のようなクラスで立て直せなかった経験も、無価値です。認知心理学の知見によれば、我々は成功からは学ぶことは出来ますが、失敗から学ぶことは希ですから)。そして現状の日本のクラスの殆どは、そこそこよい子が多くを占めているクラスです。

 が、それも使えるのは、ごくごく短期間です。まあ、3ヶ月がいいところ。多くは数週間。それ以上は、大人の腹を読む子どもに見切られてしまいます。逆に、読まれていい腹なら、数週間で教師に従ってくれる。

 大事なのは、自分は何のために教師をやっているのか、子ども達をどんな存在であると思っているかなのです。(『学び合い』の場合は学校観と子ども観を持っているか否かです)

追伸 テクニック満載の授業をやれば、年間を通してついてくれるかもしれません。しかし、それは芸人にすぎません。威圧してコントロール出来るかもしれません。しかし、賢い子どもが3人いたら、制圧されます。

[]反省 10:06 反省 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 反省 - 西川純のメモ 反省 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今、思い出しました。

 私は男の大厄の年に不整脈になりました。あまりに出張し続けたからです。あの頃は、身を削って出張し続けました。年間、80日は講演で出張したでしょう。10日間連続で、1日3つで講演したこともあります。クレージーです。

 妻にしわ寄せをかけたと反省します。そして、我が身に悪いことをしたと思います。

 今の私は、誰でも出来ることしかしていません。

 ま、毎日、毎日、十年以上やり続ける人は少ないかもしれませんが。

[]限界 09:43 限界 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 限界 - 西川純のメモ 限界 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は教師の力量を否定したことはありません。ある方がいいに決まっている。しかし、全ての人がそれを高められるとは思っていないだけです。例えば、家庭の事情でアップアップの人はいます。

 昔だったら「家のことは奥さんに任せて」で力量を高めた人がいるでしょう。でも、今の時代、それを許す女性は多くはない。日本各地の研究会に参加したり、講演したりする人もいますが、それが許される家庭は多くはない。

 校内事情もあります。部活に過重な負担を強いる地域もあります。それを手を抜くと、保護者からにらまれてしまう地域もあります。ある方から聞きました。「優勝しなければ、どうなるか分かっているか?」と「その筋」の保護者会長から脅された人もいます。

 私は子どもも一人も見捨てたくないですが、教師も見捨てたくないのです。

 私は教材研究を否定したことはありません。ただ順序があるだろうとは申します。

 その業界の教師からたたえられる教材研究があります。さて、その教材研究を他教科の教師が理解出来るでしょうか?多くは、そうではありません。全科の小学校教師ですら、「なんだか分からないけど凄いんだろうね」程度で畏怖される程度ではないでしょうか?教師ですら理解出来ない教材研究が、子どもにとって意味があるとは、私には思えません。

 考えて下さい、ラーメン屋の店主の中で「美味しい」と言われるけど、一般には「美味しい」とは分からないラーメン屋で食べたいですか?まあ、一度は食べようとは思いますが、毎回は食べに行きません。自分の口に合った店を選びます。

 私の本やブログをチェックして下さい。私は教師の力量形成や教材研究を否定したことはありません。私はその限界と順序があることを述べているのです。そして、普通の人が普通に出来ることをちゃんとしましょうと申しているのです。

 でも、私は教師の力量形成や教材研究を否定していると捉える方もおられます。

 その方々と私との大きな違いは二つです。

 私は「より多くの子ども達」のための教育を目指しているのではなく、「全ての子ども達」のための教育を目指しているのです。

 その違いから、二番目の違いが生じます。それは、子ども達の多様性をあまり考慮しないか、重視するかの違いです。

 教師の力量形成、教材研究は誰のためにあるのでしょうか?

 もちろん子どものためです。

 しかし、子どもという子どもは一人もいません。目の前には、将来は東京大学に行きそうな子どももいれば、知的障害が疑われる子どももいます。家庭教育がしっかりしている家庭の子どももいれば、犬畜生のような親の家庭の子どももいます。数学が大好きな子どももいれば、数学が大嫌いな子どももいます。さらに、同じ子どもであっても、毎日毎日違います。

 これを前提として、その教師の力量、その教材研究は、誰のためにあるのでしょうか?

 ま、多めに見積もっても3割程度の子どもを対象としています。では、わかりきっていることを教えられてふきこぼされている子ども、チンプンカンプンで落ちこぼれている子どもにとって、その教師の力量、教材研究はどのような意味があるのでしょうか?

 ありません。

 では、私はどう考えているか。「個に寄り添った教育」を教師はすべきだと言われます。噴飯物です。だって小学校の子どもでも分かる計算で自明です。1校時を人数分で割れば1分少々です。それで、一人一人の子どもを理解し、それにあった授業を出来ますか?無理です。実際は、従来型授業では板書発問が大部分を占めています。教師と子どもが個別対応する時間はものすごく短い。それをクラスの人数分で割れば十秒程度です。

 さらに、認知心理学のエキスパート・ノービス研究から、教師は全ての子どもを理解出来ないことは明らかです。ま、簡単に言えば、専門家の話は分からないし、逆の、素人の話は専門家は分からないのです。教科において子どもより遙かに専門家である教師は、分からない子どもの気持ちが分かりません。これはトレーニングしても無理です。何故なら、我々の頭の構造はそうなっているのですから。あることを熟達すると言うことは、その事は頭の奥底に保存され、意識的に操作できなくなることが熟達の真の姿なのです。引き出しを多くすると言います。しかし、我々の頭の構造は引き出しではありません。何層にも重なった記憶の倉庫です。熟達するには、建物の奥の奥の奥の大金庫にためるようなものです。

 残念ながらそれを意識化できないので、自分の考える教師の力量形成、教材研究が万人に有効だと思い込んでしまう。実際は、教師になるような子ども、即ち成績「上の下」もしくは「中の上」あたりフィットする程度なのです。

 また、そもそもホモサピエンスは1対30の関係でものを学んだり、ものを教えたりする生物ではありません。基本的に、1対1の関係で学び、教える生物です。幼少期は親に、青年期以降は同じ群れの大人から学びます。そもそも1対30の現在の授業は生物学的に不自然なものです。こんなことをやっているのは人類の歴史の中で200年ぐらい、それも学校という特殊な環境でやっているものです。

 では、わたしはどのような教師の力量が必要であるか?

 一人の教師は30人の子どもをコントロール出来ません。しかし、30人の子どもを集団にすることは出来ます。その集団を動かすことは一人の教師でも出来ます。それこそが教師の力量だと思います。

 そのためには、その集団が凝縮力を持つミッションを考えることが出来なければなりません。それが教材研究です。ただし、その教科から出発する教材研究ではなく、そもそも学校教育とは何かから出発し、それが、その日の授業と繋がる教材研究です。

 以上が『学び合い』です。

17/04/29(土)

[]小さい決断 18:53 小さい決断 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 小さい決断 - 西川純のメモ 小さい決断 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 大学の学部時代、本当に遊びまくった。楽しかった。でも、進路を考える3年の後半に気づいた。自分には誇るべき専門性が無いことを。同級生の中には若いながら専門性と志を持った人がいた。その人と比べると自分が惨めだった。何とかしたいと思い、学部の専門と違う教育の大学院に進学した。

 入学式があり、歓迎会があり、授業が始まった。それなりのペースが生まれる。

 夜、下宿の前の空き地で空を見上げた。その風景は学部時代の風景と全く同じであることに気づいた。「これでは学部時代の繰り返しになってしまう」と思った。「どうしたらいいのだろう?」と思った。「とりあえず大学に行こう」と思った。

 おそらく誰もいないと思った院生控え室に行くと先輩が研究をしていた。挨拶をして、自分の席に座り本を読んだ。翌日も、院生控え室に行った。その先輩がいた。その繰り返しの中で学部時代と違う、毎日の習慣が生まれた。

 思えば「とりあえず大学に行こう」と思ったことが、今に繋がっている。

 

 今、ゼミ室に行ったら、他ゼミの修士1年の子がいた。昔を思い出した。未来に繋がればと、願いました。

[]焦燥感 08:58 焦燥感 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 焦燥感 - 西川純のメモ 焦燥感 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日はFBで五月雨式の書き込みをしました。理由はツイッターを見ていたら、青森の長者中学校、福岡の東光中学校の卒業生が、高校でも『学び合い』をしてほしいとツイートが多かったからです。申し訳ない、という気持ちが起こります。

 同時に、「学び合いとかいう学力下げるだけの洗脳教育は今すぐやめるべきだ」という高校生の書き込みがあります。『学び合い』とは書いてありませんが、「洗脳教育」と書かれているならば、『学び合い』である可能性はあります。なにしろ、『学び合い』は「安易に仲間を見捨てるのは『損』」という一般的には認められていない考えを、繰り返し、繰り返し語る授業ですから。

 これに対しては、この子に対して「仲間」を与えられなかったのは何故だろうと思います。そして、この子の将来を憂います。この子が特殊な能力を持っていない場合、今後の社会で最も厳しい生活に陥る危険性が高い。それは一般にも認識されている障害児よりも危険性は高いのです。なぜなら、障害者に対するセーフティーネットは健常者は持てないからです。

 地方の一国立大学の一教員としては、かなりのことをやっているという自負はあります。でも、まだ何が出来るのだろうという思いが、五月雨式の書き込みになりました。ご心配をおかけしました。

17/04/27(木)

[]会話 21:42 会話 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 会話 - 西川純のメモ 会話 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 専業主婦の妻は、家に帰ると色々なことを話してくれます。テレビで紹介している健康法、買い物の時に話しかけられたこと・・・。ニコニコと話してくれます。

 退職したら、妻と、妻と話していることと同じようなことを話して、毎日過ごせたら、とても幸せだと思います。出来るだけ、二人だけで過ごして、外の世界から離れる。そう、研究者に徹すれば、今からでもそれが出来る。

[]研究者 21:22 研究者 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 研究者 - 西川純のメモ 研究者 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ふと本日も思います。

 私は研究者に向いており、教育者や実践者に向いていないように思います。理由は、私は誰も理解できなくても、私が正しいと思えるエビデンスを積み上げることは得意です。しかし、論理的には正しいことを、一般の人に伝えるのは不得意です。

 今から二十年前に研究者であるよりも実践者であることを優先しました。でも、もうそろそろ実践者であるより研究者を優先してもいいかなと思います。

17/04/25(火)

[]幸せ 21:23 幸せ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 幸せ - 西川純のメモ 幸せ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、ちょっと時間が出来たので、大学の中を散歩しました。そして、植え込みの植物をじっと見ながら色々と考えました。そんなときです。K閣下のゼミ生が近づいて来て「何をしているのですか?」と聞いてきました。そこで、そこにある植物を題材に、何故、アブラナを使って植物観察するかを、キク科植物、バラ科植物、ランなどを題材に話しました。そして、燃焼を題材に小学校、中学校、高等学校の関連を話しました。真面目な学生さんだったので、ちゃんと聞いていました。そして、学習指導要領をどう読み込むか、そこに書いてないノウハウの話をしました。

 真面目な学生さん相手に、理科の話をしました。一つ一つの現物を見せながら、発問し、誘う。すてきな時間でした。最後に、「私が理科の教師だったこと分かったでしょ?あはははは。今は封印しているから」と言いました。頭の中に容量以上の情報を与えた学生さんに、「もう、行きなさい」と言って去らせました。

 その後も、植物を見ながら、色々なことを考えました。

 もし、私の初任校が定時制でなければ、そして、その後の赴任校が成績中レベルの子どもたちの学校であったなら、と思います。きっと、幸せな人生を送れただろうと、漠然と思いました。そう、私が伝えたい人は、そういう人なのだと。つまり、迷惑なのです。

[]余裕 11:18 余裕 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 余裕 - 西川純のメモ 余裕 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は常に目的のために何かをやっています。でも、疲れたと思うことはありません。(ま、人間関係でそうなることはありますが)

 理由は4つあります。

 第一に、人から「まだですか?」と追い立てられていないからです。人からの仕事は直ぐに終わらせます。100%の完成度を求めたらきりがない。だから、相手が想定する以上のレベルのことを、短期間に終わらせます。社会で求められるのは、レベルの高さより、納期だと私は思っています。

 第二に、私は常に5つ以上の仕事を平行して進めています。あるものが進まなくなると、こだわらずに別な仕事をします。そのうち、進まなかったものが進むようになります。

 第三に、自分より適任者がいる場合は、その人に仕事を任せます。最初は自分がやった方が楽かもしれませんが、長期的には仕事を任せた方が楽です。

 第四に、家族との時間を大事にします。家族と朝食と夕食を食べます。休日は三食食べます。息子と一緒に風呂に入ります。家族と一緒に寝ます。当たり前のことを、毎日しています。

 以上の4つが大事だと思っています。

 以上のことを守っているから、ありとあらゆることをマシンガンのようにこなしています。

strongmind222strongmind2222017/04/26 11:33私自身、西川先生に救っていただいた一人だと思っております。だからこそ、私が救えるようになった子どもたちも増えました。幸せになれました。
だから、志を忘れず、続けられます。

jun24kawajun24kawa2017/04/26 19:43そういう方がいるから、私も続けられます。

17/04/24(月)

[]保護者へ 19:32 保護者へ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 保護者へ - 西川純のメモ 保護者へ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』の実践者にお願いがあります。もし、家庭訪問の時、また、学級通信で今後の社会のことを話す際は、学歴の経済学、サバイバル・アクティブ・ラーニング入門を紹介してください。ごく一部の保護者は読みます。その人たちが周りに伝えます。我々は急がなくてはいけません。

[]乗っ取り 18:39 乗っ取り - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 乗っ取り - 西川純のメモ 乗っ取り - 西川純のメモ のブックマークコメント

 乗っ取ったアカウントは「今忙しい?」と最初に聞くようですね。でも、私に対して「今忙しい?」なんて聞く人は、世界中に妻以外いません。だって、私と仕事でつきあっている人は、私が常に何かをし続けていることを知っていますから。そして、プライベートな時間に家族以外から連絡を取られることを嫌うことを知っていますから。ということで、とたんに「あ、乗っ取りだ」とわかります。