西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。
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17/03/28(火)

[]最前線 21:45 最前線 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 最前線 - 西川純のメモ 最前線 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ゼミ生から何度も言われることです。指導教員のようになりたい人が集まるゼミもあるけど、西川ゼミはそうでない。ゼミ生は西川先生のようになりたいとは思っていない。と。

 ということを、ニコニコしながら、誇らしげに、私に語ります。

 私は、それをイジケて、誇らしく、ゲタゲタと笑いながら聞きます。

 私のような生き方が万人すべからく幸せでないと思っています。でも、そうでないと生きられない役回りの人もいます。その人と一緒にやればいい。ゼミ生にはとりあえず幸せであって欲しいと願います。

 最前線は、ゼミ生であるかないかではなく、教師経験が何年かであるかではなく、その人の本性の問題です。もちろん、その本性を持つ人はゼミ生にいますが。

 自分のひな形を作りたい人には分からないと思います。私は常に集団で考えます。

 私はゼミ生に接するときは教師です。だから、甘い。でも、それ以外(OB:OG含めて

)に対しては社会人としてつきあいます。

[]上の人 21:23 上の人 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 上の人 - 西川純のメモ 上の人 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私のゼミ生は色々な研修に参加します。『学び合い』と真逆で、私を蛇蝎のように嫌う人の研修会にもです。私はそれは素晴らしいと思います(ま、最近は公的に蛇蝎のように嫌う人は少なくなりましたが)。多様な人と折り合いをつけることを学ぶ機会は大事です。

 ある西川ゼミ生と話したとき、ある発見をしました。その学生がある研修団体のことを説明するとき、「その会の上の方の人と話したとき・・・」とふらっと言いました。私は「上の方の人って何?」と思わず聞き返しました。ゼミ生は私の疑問を瞬時に理解し、「そうですね。『学び合い』の場合「上の人」という概念がないですね。本を書いた人とか、会を開いている人、というのはありますが、「上の人」ってないですね」と。

 あ~、『学び合い』で当たり前の事って、普通では当たり前のことではないことを理解しました。

追伸 ちなみに、ゼミ生は私のことを「親戚のおじさん」のような人と理解しています。ですので、講演会での私を見るとびっくりしています。親戚のおじさんは年長者ですが、上の人ではありません。

追伸 年に何回か、管理職に豹変します。年に何回かでいいのです。

[]不思議 07:25 不思議 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 不思議 - 西川純のメモ 不思議 - 西川純のメモ のブックマークコメント

今度の本(特別支援)の原稿を色々な方に見てもらっています。不思議なぐらい反発はない。不思議です。だって、九九を教える必要は無い、と今まで一生懸命にやっていたことを否定しています。「そんなことはない!」という気持ちが起こるのが当然です。不思議だな~っと思いました。しかし、分かりました。今度の本は、保護者の生の声、事業所の生の声を元にしているからです。つまり、私ではなく。だから、反発するのではなく、納得するのだと思います。じわーっとくる感動を味わっています。

17/03/27(月)

[]軽重・順序 06:45 軽重・順序 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 軽重・順序 - 西川純のメモ 軽重・順序 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 九九や漢字を教えるな、とは申しません。特別な支援を必要とする子ども同士、また、健常児といっしょに九九や漢字を学び合えるならば、それはOKです。でも、「いや、あの子はいっしょにやるのは無理です。」という特別支援担任がいたら、「だったら、あなたがマンツーマンで漢字や九九を教える前にやることがあるでしょ」と言いたいのです。

 事の軽重、順序が違うのです。

[]求められる特別支援教育(知的) 06:10 求められる特別支援教育(知的) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 求められる特別支援教育(知的) - 西川純のメモ 求められる特別支援教育(知的) - 西川純のメモ のブックマークコメント

 多くの特別支援担任(知的)はマンツーマンで九九や漢字を教えています。しかし、それが在学中に必要なので、就労後は必須ではありません(出来たら出来た方がいいですよ、もちろん)。それが出来ないことで苦労することは殆ど無いでしょう。

 「もし、人とのコミュニケーション」が出来るなら。計算が出来なくとも、読めなくとも、身振り手振りでコミュニケーションが出来るならば、仕事は体で覚えることが出来ます。だから、特別支援の子どもを就労させている保護者も特別支援の子どもを就労させている企業・事業所も九九や漢字を重視していません。その代わりに「人とのコミュニケーション」が出来ることを重視しています。

 じゃあ、どうしたらいいか?

 学校に適応するための特別支援から社会に適応するための特別支援に転換するのです。そのためには教師が社会のひな形になるのです。具体的には、職場のようにグループで課題を解決する経験することを中心とすべきです。

 企業・事業所、特別支援の子どもを就労させた保護者とのインタビューで確信しました。今の学校に適応させる特別支援は、特別支援担任が抱え込むように指導する特別支援は、無益、いや有害でありさえします。多くの人から非難されることを理解した上で、言わざるを得ません。

 特別支援の子ども同士の『学び合い』、健常者との『学び合い』を定常化するしか救う道はありません。教材は何でもいいのです。だって、九九や漢字すら必須でないのですから。その子の不得意なことではなく、その子の得意なことをしましょう。

学び合い』で「気になる子」のいるクラスがうまくいく!(学陽書房)をお読みください。

[]義務教育の特別支援 06:10 義務教育の特別支援 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 義務教育の特別支援 - 西川純のメモ 義務教育の特別支援 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 公立の義務教育の強みは、物理的に近くに住む子どもが集まって学ぶことです。これによって未来のコミュニティを創っています。障害のあるこの多くは地元で生活すると思います。そして、障害があるとは分類されない、知的に問題が無く、教師とだけはコミュニケーションをとれる子どもは地元で生活すべきだと思います。

 健常児を含めて、失業したときの世話をしてくれる人、生活保護の手続きを一緒に福祉事務所に行ってくれる人が近くに必要です。そして特別支援の子どもの場合は、各種の障害年金やグループホームの手続きを、親亡き後にしてくれる人が必要です。それも一人で抱えていたら大変です。続かない。多種多様な人によって構成される地元コミュニティの創成が急務です。

 その子たちの幸せを確実に出来るのは義務教育における『学び合い』です。私は額面通りに子どもの生き死にを決めていると思っています。九九や漢字のレベルのことではありません。

学び合い』で「気になる子」のいるクラスがうまくいく!(学陽書房)をお読みください。

17/03/26(日)

[]私の限界 21:17 私の限界 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 私の限界 - 西川純のメモ 私の限界 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 現状の「特別な支援が必要な子」とは、生活・学習に困難がある子どもです。そして、この困難を感じる主語は「教師」です。教師が困難を感じないならば、ケース会議も開かれないでしょう。つまり、勉強が出来て、教師とはコミュニケーションがとれる子であれば、様々な障害があっても「特別な支援が必要な子」に分類されません。そして、そのような子は社会に出た後、ものすごく障害を感じます。文部科学省は通常学級にいる特別な支援を必要な子は6.5%いると言っています。でも、その数に入っていない障害のある子どもはかなりいると思います。教師だったら思いつくでしょ、「周りの子どもと関わることが出来ない子」です。でも、その子が勉強はある程度出来て、教師とは話せるならば、一斉指導の授業では困難を教師は感じません。

 大学教師として30年間勤めました。ゼミ生は約二百人います。当然、そのような子がいます。そのような子に対して、私の出来ることは限られています。私のゼミにいる間は排斥されないようにすることは出来ます。『学び合い』の中で障害が見えにくく出来ます。でも、その多くは、卒業・修了させたとき、「この子の人生は厳しいだろうな」と分かった上で送り出します。

 私が高校教師だったら、手帳を取らせるでしょう。それさえあれば、厳しい人生の中で「生きられる」可能性を高めることが出来ます。そして、そのような子どもを受け入れられる就職先を探すように保護者に勧めるでしょう。

 でも、高校教師は大学教師と同じで限界があります。その子どもが幸せになるためには、その子どもを理解し受け入れる大きな集団が身近になければならないのです。ゼミのような小さい集団では支えきれずに、ゼミから出てもらった学生がかつて一人だけいます。ものすごい学生でした。ただし、私に対しては可愛いのです。泣いて、絶対に先生のゼミにいたいと願ったのですが、断りました。他の学生が支えることにへとへとになってしまったのです。高校の場合もそれに近いものがあります。高校は広域から生徒が集まります。結果として、その子の近くで生活する人は数が限られてしまいます。

 だから、義務教育が果たすべき役割は大なのです。

[]特別支援教育 16:57 特別支援教育 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 特別支援教育 - 西川純のメモ 特別支援教育 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 特別支援の本を書き終わって、ハッキリしたことがあります。それは義務教育段階の特別支援教育の目的は、子どもを学校教育に適応させることだということです。多くの先生は、そのことが子どもの将来に繋がると思っています。しかし、子どもの就労を理解していないので、それは単なる思い込みにすぎません。そして、多くの場合、学校に適応させることは社会に不適応させることなのです。

 恐ろしいことです。

 例えばです。特別支援の子が就職して、職場でお漏らしをしてしまいました。何故だと思いますか?学校で休み時間までトイレを我慢することを教えられ、それが出来ると褒められたからです。ところが職場には小一時間ごとの「休み時間」はありません。

 就職している特別支援の子どもがいる親、特別支援の子どもを受け入れている企業、事業所の方々は、義務教育の特別支援の先生方が一生懸命に教えていることを「全く」、「全然」大事だとは思っていません。しかし、その声を聞くことがないので、気づきません。そして、無意味なことを延々と教えています。

[]広がる・広がらない 11:50 広がる・広がらない - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 広がる・広がらない - 西川純のメモ 広がる・広がらない - 西川純のメモ のブックマークコメント

 高校2年生が私の所に来ることを書きましたが、その生徒の質問は以下の二つです。

①西川先生の『学び合い』について書かれている本を拝読した上で、なぜ、今学び合いが注目されていながら日本の教育の主流ではないのかということ。

②何が『学び合い』の普及を阻んでいるのか。

 きっと同じように疑問である方もおられると思います。そこでここに書きます。

 生物は生きるために様々な形質をDNAの中に刻みつけていますが、行動もその一つです。例えば、ウスバシロチョウの幼虫はムラサキケマンなどのごく限られた植物(食草と言います)の葉だけを食べます。そして親は食草に卵を産み付けます。だから、幼虫は生まれたら、近くのムラサキケマンを食べれば生きられるのです。このような単純な生活であれば、その中で生き残る行動はDNAに刻みつけることが可能です。

 ところが人間は違います。熱帯雨林、砂漠、極北と様々な環境の中で生きています。食べるものも違うし、その食べ物を得る方法も違います。身を守る方法も違うでしょう。人類が宇宙で生活するようになったら、そこにも適応するでしょう。こんなことをDNAの中に全て刻みつけることなど無理です。じゃあ、どうやっているか?

キャンポスという人は面白い実験をしました 。実験では母親の近くに小さい子どもが遊んでいます。その近くには大きなドラが置いています。子どもが遊んでいるとき、いきなりドラを鳴らしたら、どんなことが起こると思いますか?おそらく、子どもが泣くと思うのではないでしょうか?しかし、違います。

ビックリした子どもが最初にやるのは、母親の顔を見るのです。もし、母親の顔が穏やかであれば、遊びに戻ります。しかし、母親の顔が恐怖の表情である場合は、泣きながら母親にすがりつくのです。

子どもは何が危険か、危険じゃないかを知りません。それを母親の判断に仰ぐのです。とても優れた戦略です。子どもが大きくなるに従って、他の大人に判断を仰ぎます。例えば、皆さんがどうしても路上駐車をしなければならないとします。片一方にはきつきつのスペースしかありません。他方は一台も駐車していません。さて、みなさんはどちらに駐車しますか?アマゾンで何かを買うとき、何を手がかりにしますか?今一番売れているもの、一番評価の高いものですよね?つまり、他の多くの人達を参考にしています。

人類は、様々な環境で生きる術を全てDNAの中に刻みつけることはしませんでした。ただ一つだけ、「周りの人達に合わせる」ということをDNAの中に刻みつけたのです。だから、幼児ですら母親の判断に従っています。(このあたりの詳細は『理科だから出来る本当の「言語活動」』(東洋館)に書いています。理科以外の方も参考になると思います)

これが高校2年生の生徒の質問に対する答えです。つまり、「多くの人が『学び合い』以外を実践しているから」というのが理由です。

でも、それだったらいつまでも変わらないはずですよね?でも、変わらない生物は緩慢に自滅します。生き残る生物は、周りの環境に合わせて変化しうる生物です。

それ故に群れの中に「周りに合わす」という程度がきわめて弱い、弱い、若干弱い、個体を含んでいます。この「周りに合わす」ことはきわめて弱い個体が、アスペルガー症候群ではないかと考えている人もいます。

人がものを買う際の行動を理論化した人に、ロジャーズやムーアがいます。それによれば、イノベーター、アーリーアダプター、アーリーマジョリティ、レイトマジョリティ、ラガートがいます。イノベーターが周りに合わせず、後になるに従って、合わせます。ラガートになると周りが変わっても、「過去の周り」に合わせて決して変わりません。

二十年前は『学び合い』を実践するのはイノベーターばかりでした。今は、アーリーマジョリティにも広がっています。だから、高校生には「安心していいよ」と言うつもりです。

17/03/24(金)

[]評価 18:18 評価 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 評価 - 西川純のメモ 評価 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 河野太郎議員が大学に対する評価に関して「こんなにたくさん大学の評価が必要なのでしょうか。五年に一回、六年に一回、七年に一回のセミがある年、そろって地上に出てくるようなことがあったらどうするのでしょうか。きちんとした評価を一つ、しっかりやればよいのではないでしょうか。」と書いています(http://bit.ly/2nY1ADI)。

 理由は簡単です。評価をゴチャゴチャやれば、訳が分からなくなり、みんながスルーできるからです。色々な人のやっていることを評価し、それを総合評価すれば、全員横並びになります。村社会で出せる結論はそのようなものです。文部科学省でも、あんまりキツい評価をしたら、自分たちがソフトランディングさせようとしているイメージよりも、過酷に早く大学を潰さなければならなくなります。

 評価は単純です。研究者養成を目的としている旧帝国大学あたりは一流雑誌に掲載される論文数と、研究者として採用された博士学生の数でやればいい。

 それ以外は、定員充足率と就職率。ただし、就職率はいくらでも誤魔化せるので、卒業生の10年後の就職率(学生支援機構のデータを使えば分かると思います)で評価すればいい。

 評価は目標と対応しなければなりません。ところが、目標を達成したかではなく、方法が正しく行われたかで評価されている。これはいくらでも誤魔化せる。

 ただし、偉そうに書いていますが、もし、上記になれば苦しむのは私も同じです。

追伸 実は、小中高の評価も同じです。

[]未来社会 15:06 未来社会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 未来社会 - 西川純のメモ 未来社会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

記事になりました。

是非読んでいただき、周りの人のに知らせて下さい。

http://ure.pia.co.jp/articles/-/72872

17/03/23(木)

[]アクティブ・ラーニング 09:05 アクティブ・ラーニング - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - アクティブ・ラーニング - 西川純のメモ アクティブ・ラーニング - 西川純のメモ のブックマークコメント

 学習指導要領にアクティブ・ラーニングという言葉は使わない方針です。それが決まってから色々な人から「何故ですか?」と聞かれました。あまり何度も聞かれるので、外野の一人として、まとめたいと思います。完全な想像であることを最初に申します。

 まず、公的には「学習指導要領は広い意味での法令であり、しっかりした定義のない片仮名語はなかなか使えない」と説明しています。

 しかし、これは噴飯物の説明です。もし、それが正しいならば、そんな「しっかりした定義のない片仮名語」言葉を使って文部科学大臣が諮問をしたのでしょうか?

 高等教育局は大学に対して「しっかりした定義のない片仮名語」で指示をしています。これはどうなるのでしょうか?

 また、アクティブ・ラーニングの代わりになる「主体的・対話的で深い学び」はしっかりした定義があるのでしょうか?面白いのは、「主体的・対話的で深い学び」とは、という文章はどこにもないのです。あるのは『「主体的・対話的で深い学び」の実現』の説明があるだけです。そして、『「主体的・ 対話的で深い学び」の実現(「アクティブ・ ラーニング」の視点)』と答申で書いてあります。もし、「アクティブ・ラーニング」がしっかりした定義のない言葉であるならば、「主体的・対話的で深い学び」も同様に「しっかりした定義のない言葉」となります。

 突っ込みどころ満載です。

 お役所は言葉を大事にします。特に国の役人は見事なぐらいに言葉を使います。それがこれぐらいに無茶苦茶なことをしているとしたら、理由として3つ考えられます。

 

1) お役所の中のセクト主義

アクティブ・ラーニングはもともと高等教育局マターの答申で使い始めました。そして、それをキーワードとして使っていたのは高等教育局と官房の人達です。それを初中局マターの学習指導要領で使うのを初中局の人達が嫌がったのではないでしょうか?

2) 1)に関係しますが、高等教育局の使っているアクティブ・ラーニングとはアメリカのトップ大学の教育をモデルにしたものです。日本人の大部分の教育を定めた学習指導要領とは違います。だから、使わなかった。

3) 学習指導要領はもの凄く多くの人が関わっています。その中には、今まで通りの授業をしたい人がかなりいます。アクティブ・ラーニングがかなり先鋭化したので、その行き過ぎをとどめたいために使わなかった。つまり、「しっかりした定義」が現場で生まれつつあったがために、ありふれた表現である「主体的・ 対話的で深い学び」を使うことになった。

 

 おそらく3つが複合した理由(私は3が大きいと思います)が原因と思います。

 

 さて、今後はどうなるでしょうか?

 学習指導要領のキーワードは答申が出されたときがピークです。特に、実際に実施する段階になれば、見事に陳腐化されます。だって圧倒的大多数の教師は変わりたくないですから。だからアクティブ・ラーニングという言葉が残るか残らないかは決定的ではありません。

 しかし、学習指導要領より決定的なものは依然変わりません。

 第一に大学入試です。トップ大学がアクティブ・ラーニングで育つ能力を問う試験をするようになるでしょう。2020年の段階でどれだけかは分かりませんが、継続して試験は変わります。高等教育局もそれで圧力を大学にかけ続けると思います。トップ大学の試験が変われば、高校教育は学習指導要領より大きな影響を受けます。トップ大学の入学者でイライラしている県教育委員会は、県立高校の試験を変えてくるでしょう。それ以上に私立高校、私立中等学校は変わります。それは義務教育にダイレクトに影響します。学習指導要領はやったふりは出来ますが、試験は出来ません。

 第二に子ども達が大人になる社会の変化です。終身雇用、4月一括採用は今後崩れていきます。否応なく、大学教育、高校教育は変わります。これは第一と違って、全ての大学、高校が対応しなければならないことです。対応しなければ潰れます。その中で必要とされる能力を育てなければなりません。

 

 私は上記のことを理解する教師を増やしたいと思います。全員なんて無理です。出来れば2割程度の教師、せめて身銭を切って本を買うような教師の2割に分かって欲しい。Know-HowではなくKnow-Whyを学ぼうとする教師です。

 

追伸 私が面白いと思うのは、言葉を大事にする国の役人が突っ込みどころ満載の説明をするにあたっての文部科学省の中での議論に興味があります。もしかしたら高等教育局に何の説明もなく初中局がやったのかな?と思います。まあ、もし、省内でちゃんと議論した結果だったとしたら、今後の高等教育局マターの文章にはアクティブ・ラーニングではなく「主体的・対話的で深い学び」という言葉が使われるのでしょうか?想像するだけでほおが緩みます。

追伸2 「これからの時代に求められる資質・能力と、それを培う教育、教師の在り方について(第七次提言)」を出した教育再生実行会議(内閣総理大臣を長とします)は「しっかりした定義のない片仮名語」で答申を書いたと言うことになります。内閣官房とちゃんと話しているのかな?

[]次の一歩に進むために 07:02 次の一歩に進むために - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 次の一歩に進むために - 西川純のメモ 次の一歩に進むために - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今年度から『学び合い』に取り組んだ方だったら、もう山は越えていると思います。『学び合い』は最初の3ヶ月ぐらいが山です。それを超えれば、「あ~、こうすればいいのね」という感覚が分かります。そして3学期を終わる頃には、「こんな風に子ども集団は変わってくるのね」という感覚を得ます。

 思い出して下さい。

 教員人生で一番忙しかったのはいつです?おそらく初年だと思います。ところが、2年目になると忙しさがグッと緩和される。何故かと言えば、1年というスパンでものを考えられるようになるからです。そこで分かれ目です。流せるようになること慣れるか、その先を進むことを望むか。

 後者の方のための本を用意しています。私の本の大多数は、最初の3ヶ月をのりきるための本です。いわば初級編です。1年の流れをとらえた方のための中級編の本として以下を紹介します。今のうちに読んで新年度に備えませんか?

汎用的能力をつけるアクティブ・ラーニング入門(http://www.meijitosho.co.jp/eduzine/interview/?id=20160759

学び合い』の手引き:アクティブな授業改革編(http://www.meijitosho.co.jp/eduzine/interview/?id=20160564

学び合い』の手引き:ルーツ&考え方編(http://www.meijitosho.co.jp/eduzine/interview/?id=20160564