西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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07/01/26(金)

[]セオリー通り(その2) 12:52 セオリー通り(その2) - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - セオリー通り(その2) - 西川純のメモ セオリー通り(その2) - 西川純のメモ のブックマークコメント


 ある学生さんより以下のメールを頂いた来ました。

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 『西川先生にお詫びとお礼を申し上げたくてメールさせていただきました。○曜○限の授業を聴講させていただいていた○○です。直接お詫びを申し上げたかったのですが、昨日言いそびれてしまったい、西川先生とのコンタクトの取り方が分からなかったため、メールさせていただきます。

 何度か授業を欠席したこと、本当に申し訳ありませんでした。自分の勝手な都合で欠席し、先生にたいへん失礼なことをしてしまったと思っています。申し訳ありませんでした。また、今回この授業で「学びあい」について知ることができ、さまざまなことを考えるきっかけとなりました。お借りした本には、「目からウロコ」のことがたくさんありました。そして、実際にこの授業で西川先生が「学びあい」を体験させてくださったことから、何よりも強く「学びあい」のよさを感じました。「学びあい」では、目標子ども同士が目標を共有しあうと、それに向かってどんどん進んでいこうとするんですね。あまり親しいとは言えない他コースの学部生の方と「学びあい」ができたことは、貴重な体験だったと思います。本当によいメンバーに恵まれていたというのもあると思いますが、話し合いの活動は面白く、自分がいる意味があることを実感でき、「学びあい」のすごさを感じずにはいられませんでした。また、私は、勝手な理由で欠席しいていたことを強く後悔し、「もうみんなに迷惑はかけられない。みんなに少しでも貢献したい。」と思いました。自分の心の変化を感じながら、「あぁ、学びあいって人をこんな気持ちにさせるんだ!」と感動しました。欠席していたことは本当に申し訳ないのですが、そのことで、さらに「学びあい」のすごさに気づけたような気がします。』

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 次のことを付け加えます。上記の授業に関しては、既に評価を出した後です。もう一つは、これだけ感謝された授業で私がやったことは、ごく僅かです。

 1)我々の研究室の本を6冊与え、この本を分かりやすくして欲しいと求めたこと。

 2)2回に1回程度、3分間程度のお説教をいったこと。

 3)学生さんに聞かれたことを、授業あたり数回応えること。

 4)それ以外の時間、即ち1時間半の95%以上は、教室の隅で寝ていること。

 本当に、セオリー通りです。

07/01/21(日)

[]セオリー通り 12:56 セオリー通り - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - セオリー通り - 西川純のメモ セオリー通り - 西川純のメモ のブックマークコメント


 本日は学部の学び合いの授業の最後の日です。そして評価の日です。先週には、みんなの前で「自分の評価は○です」と言えばいいことを宣告しています。私としては、全員をAにしたいことはオーラで伝わったはずです。

 本日、「自分の評価はAだと思う人?」と聞くと、大多数の人が手を挙げてくれました。ところが、それ以外もいます。そこで「自分の評価はBだと思う人?」と聞くと、17人のうち4人が手を挙げます。正直、「目が点」になってしましました。そこで、「何故、Bなの?」と純粋に聞きました(私には想像できませんでした)。ある学生さんは「数回、休んだから」と言いました。ある学生さんは「本の読みが雑だった」と言います。「へ・・?そんなことで自分をBにするの?」と思いました。彼らに対して、彼らの活動は十分にAに値すると評価すると宣言しました。しばらく、学生さんの活動があり、授業の終了です。終わりだな、と思っていると一人の学生さんが手を挙げて発言を求めました。曰く、「さっきはBだと思う人というので手を挙げなかったが、自分はCだと思う」です。私は思いっきり「え??????」と思いました。そこで「何でCなの?」と聞くと?「自分は欠席も多かった」と言います。そして、みんなに対して「迷惑かけてすみませんでした」と 他の学生さんに対して言います。学生さん一同は、ニコニコ笑って、そんなことないよと言っていました。

 先ほどのAで手を挙げてくれた学生さん、自分をBだと言った学生さんのことで、不覚にも泣きそうになりましたが我慢しました。しかし、自分がCだと言った学生さん、そして、それを受け入れた学生さんの姿で、本当に泣きそうになりました。でも、ぐっと我慢しました。

 まさにセオリー通りです。みんなという課題においては欠席はありません。上記の学生さんが「欠席した」というのは、私が演説した授業の時です。みんなという課題においては、一斉授業では考えられないほどの集中力があります。みんなという課題においては、教師の評価より厳しい評価を自分に課します。最後の学生さんが全員に謝ったことに、その理由があります。それは、教師の評価を誤魔化すことは出来ても、みんなの評価を誤魔化すことは出来ないことを知っているのです。まさに、我々のセオリー通りです。

 私が評価を初めて学んだのは23歳の大学院の時です。そこで学んだのは子どもの評価は教師の評価であることです。そこで、そのことを語った後に「私はこの授業の私の評価をAにしたい。それ故、全員をAに評価する」と宣言しました。

 私は25歳で初めて教師になりました。現在まで22年間教師をやっています。授業でいっぱい子ども達から感激させてもらいました。研究指導でいっぱい子ども達(その中には40代のオッサンも含まれます)から感激させてもらいました。しかし、最後の、最後の評価の段階で、ウルウルしたのは本日が初めてです。本日の私の経験は、学び合いの授業で自己評価をさせた教師にとってはおなじみのことでしょう。多くのゼミ生から聞いたことです。そして、私は「セオリー通り」と言い放っています。しかし、自身の実践の場でセオリー通りのことが起こると、それでもウルウルします。学び合いは凄い、と思います。

07/01/13(土)

[]子どもの捉える学び合い 09:00 子どもの捉える学び合い - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 子どもの捉える学び合い - 西川純のメモ 子どもの捉える学び合い - 西川純のメモ のブックマークコメント

 以下はある同志より送って頂いたものです。そのクラス小学校6年)で「授業のことを残したい」というテーマの作品を作りたいという子どもたちの声によって作成されたものです。その同志曰く『イラストの得意な子はイラストで,作文の得意な子は作文で,授業を表現してくれる。どっちも得意じゃない子でも,にこにこ笑っていることで表現してくれている。』ということでした。

07/01/11(木)

[]同志 13:10 同志 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 同志 - 西川純のメモ 同志 - 西川純のメモ のブックマークコメント


ある同志に、特別支援のクラスにいる?と聞きました。以下がその返信です。

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 「特別支援を必要とする子」について考えてみました。

 私のクラスには,例の介助員等による「特別支援を必要とする子」はいません。西川先生,分かってて聞いていらっしゃるでしょ?

 自ら助けを求める子はいます。全員です。困った時に「助けてー」と言える子,という意味です。そういうクラスでは,介助員等はむしろ邪魔です。子ども学習を阻害します。たとえハンディキャップをもった子でも,「助けてー」と言える限り「特別支援を必要とする子」ではないと思います。そして,環境次第で「助けてー」は言えます。まわりの仲間が「助けてー」を無視する環境,見てみぬふりをする環境では,「助けてー」と言えなくなるから,「特別支援を必要とする子」が生まれるのだと思います。なんだかいじめみたいです。いじめられている子に介助員がついていじめがなくなりますか?その子は救われるのでしょうか?必要なのは介助員ではないですよね。

 今の自分はそんな風に考えていますが,これまでの自分の教員生活を振り返ると,私はずいぶんむごいこともしてきたと思います。きっと。もっと救われた子がいたように思います。

 前任校で私はよく「たいへんな学年」というのを受け持ちました。現実は,全然たいへんじゃなかった。でもそれは,私の力ではない。子どもと同じで「助けてー」と言わせてくれる先輩教師がいたからです。その先輩教師は私にああしろ,こうしろと指示はせず,「あんたどう思う?」といつも聞いてきました。今にして思えば,その人は自然学び合いを身に付けた人だったのだと思います。そこで学んだ。それから「たいへんな学年」という意識はまったくない。なんとなくいつも楽しく過ごしてきました。 (忙しいのは忙しかったですよ,これ愚痴ですけど)なぜかは分からなかった。こういうのがいいんだろうなあ,ぐらいの意識しかなかった。それが確信に変わったのが昨年の夏の西川研での3泊4日です。

 養護学校に勤務する私が尊敬する後輩がいます。昨日その方が今年度の実践記録を送ってくれました。小学部6年Aさんについて,

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教室で耳をふさぐようにしてうつむき,座っていたA児が教室内を歩き回り始めた。

私は「Aさん,座ってください」と言葉掛けをしたが,A児はそのままである。

私はA児に近づいていった。すると,A児は私を見て,笑い,逃げるようにして教室

内を走り回った。

一般的に離席は不適切な行動である。しかし,このような行動には必ず子どもの思い

が隠されていると考える。

A児の行動の中に私に伝えきれない思いがあるに違いない。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 と考えたその後輩は,Aさんとのかかわり方として「注意をしない」「代替の行動を提示する(決めるのはAさん)」を選択しました。この後輩も普通学級であったら,間違いなく自然学び合いができるはずです。

 「かかわりたい,思いを伝えたい,でもどうしていいか分からない」Aさんは,時に「不適切な行動」をします。かかわり方のスキルをもたないがためです。そういう子に思いを伝えるためのカードをもたせることは,養護学校先生はよくやられることなのかもしれません。ただ,実践記録の中で,保護者からの連絡帳の内容として

「Aは家でも,カードを見てうれしそうにしていることがあります。とても大事にしているようです」が紹介されていて,私は感動しました。そりゃあAさんはうれしい。「助けてー」が言えて,助けてくれる仲間が(今回は教師だけど)いて,「助けてー」を言う,言わないを自分で選ぶことができるのですから。

 後輩の中でAさんは,養護学校小学部6年生であっても「特別支援を必要とする子」ではきっともうないはずです。まして普通学級において「特別支援を必要とする子」がそんなにたくさん(6.3%)いるはずは,ない。西川先生と同じく,私もそう思います。

 長いメールでした。

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 私の返信は以下の通りです。

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ありがとう同志!

今泣いています

家内に見つかる前に、涙を拭きます。

ありがとう

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 今回、同志の方から色々なメールをいただきました。半数以上は上記のように「特別支援の必要な子」はいないという反応です。残りの方の反応は、「特別支援の必要な子」を意識しています。しかし、それらの方は、それなりの立場におり、自分のクラスのことを心配しているのではなく、関係する教師のクラスのことを心配している方です。そのような方も、自分のクラスにおいては上記のような感覚だと思います。しかし、いずれの方も、自分が対応できなく、医師や介助員のほうが適切であると考える方はいません。

 私には同志がいます。

07/01/04(木)

[]求めるもの 16:14 求めるもの - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 求めるもの - 西川純のメモ 求めるもの - 西川純のメモ のブックマークコメント


 本日、同志より「勉強しなさい・・」の感想メールをいただきました。その中で、以下のことが書かれていました。とてもためになるので、メモります。

 『早速拝読させていただきました。10心と頭~13未来学校 とても感銘しました。特に,教師と子どもの違い(P.192~3)は,よくわかります。頭の固い教師には,ここから切り出すと解りやすいかなと思いました。また,十数年前に聞いた話を思い出しました。企業の人事課担当者の話です。

 *新規採用者を決める面接では,専門のことや技術のことを話す者は殆どが落とされ,やる気のあることが伝わる者が採用されるそうです。やり気があれば,専門的な知識も技能も身に付いてくるものであって,それ以前のそれらは,企業内においては陳腐なものでしかないということだそうです。

 *中途採用者を決める面接では,やる気があることを話す者は殆どが落とされ,専門のことや技術のことが伝わる者が採用されるそうです。本当にやる気のある者であれば,既に専門のことや技術が身に付いているからだそうです。

 *管理候補者を決める面接では,専門のことや技術のことを話す者は殆どが落とされ,人間関係のことが伝わる者が採用されるそうです。』

 これを読みながら、私もそうだよな~、と思いました。

 大学院西川研究室希望される方から、「私は何も勉強していません。それで研究室に所属できるでしょうか」と不安な気持ちを書かれたメールをいただきます。しかし、「そんなのは気にする必要はありません。不遜ながら、現場勉強するレベルとうちのレベルは比べものになりません。したがって、勉強するしないは意味ありません。それよりも、あなたがどんなことを喜び、どんなことを嫌うかを知りたい。そして、よい教育を成り立たせるために、どれだけの時間を費やせるかを知りたい。」(実際はもっと長文です)と返信します。このメールやりとりは、本当に何回もやっています。

 ところが、西川研究室に入ったとたんに、やったことを評価します。つまり、「遊んでも、何してもいいんだよ。結果さえ出せればね。(ニコッと笑う)」となります。やる気や努力なんていうのは相手にしません。それがあれば、必ず結果に結びつきますから。

 それでは西川研究室卒業・修了したら、何を求めるのか・・・。上記は、その答えを与えてくれると感じます。即ち、その人の実践が、どれだけ多くの人に伝わったかです。

 もちろん、私も同じです。助手時代・助教授は腕力でどんどん学術論文を書きます。今考えれば、冷や汗ものですが、あれだけの論文生産量を維持したのは驚異的です。助教授時代の後半からは、学術論文の他に、実践論文書籍、講演などの幅が広がりました。それらは、実践論文書籍、講演を通して我々の研究室を知ってもらった優秀な方々との繋がりで成り立ちました。では、教授としてのこれからは、どれだけ多くの方に伝えられるかが勝負です。がんばらねば(いや結果を出さねば)。