西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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18/09/01(土)

[]作家 21:27 作家 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 作家 - 西川純のメモ 作家 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 「離婚・男の場合 離婚・女の場合」というTVドラマがあります。リチャード・バートンとエリザベス・テーラーの共演です。面白いのは同じ場面が写されているのですが、夫の視点と妻の視点から見ると全く違うのです。事実は一つなのです。しかし、そこから生まれる現実は違うのです。初めて見たのは、小学生の時代です。でも、鮮烈でした。

 事実と離れている数学は論理の世界で一つの答えが生まれます。と、思っていたのですが、バートランド・ラッセルによって、そうとも限らないとされて、オロオロします。数学でさえそうならば、自然科学の万古不易と思われるようなものも危ういものです。我々が小中高で教えられた法則は、みなモデルにすぎません。100年後も残っているか分かりません。

 ということを理学部で学んだ上で教育学研究をしています。

 真理なんて無いのです。少なくとも教育学研究、教育実践研究において。

 ようは、それによってより多くの人が動き、より長い時間の変革を社会にもたらすかが社会科学におけるポイントです。

 正しい/正しくないを議論する人、その人と議論するのは無意味です。

 では、正しい/正しくないに変わりうる社会科学の次元は何か?

 チャーミングであるか否かです。

 私は日本で一番、A論文(まあ、研究者以外は分からないと思いますが)を書いた教科教育学者の一人であると思います。その経験から言えば、A論文を書くには才能は必要ありません。A論文の書き方を知っているか否かだけです。

 でも、売れる教育実践書を書くには才能が必要です。そこには最低限のテクニックは必要です。例えば、複文・重文ではなく単文を積み上げることなど。でも、その先にあるのはヴィジョンです。書いていることによって実現できる状態です。

 私はゼミ生に教育学研究とは史実に忠実な歴史小説を書くことだと教えます。

 戦国時代、どれほど書かれたでしょう。これからも書かれるでしょう。

 私は、子どもが主体的・対話的になったときの時代小説を書いています。

 その子ども達が社会を形成する時代の社会を書きたい。