西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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18/07/31(火)

[]受験勉強 21:00 受験勉強 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 受験勉強 - 西川純のメモ 受験勉強 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 息子に何度も言うことです。

 受験勉強は勉強と違う。受験勉強は問題を解くこと。勉強は合格してからいっぱいやればいい。受験勉強はくだらない。でも、くだらなくても、それを徹底した人を選別できる。

 なんと、非生産的なことをしているのか。実は、小学校1年からやっているのです。

[]人付き合い 20:54 人付き合い - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 人付き合い - 西川純のメモ 人付き合い - 西川純のメモ のブックマークコメント

 皆さんには幼なじみ、親友はいますか?

 私は我が儘です。というより、相手の気持ちを分からずに相手を不快にしてしまいます。ということで、中学校まで距離をおくことによって、自分は「相手の気持ちが分からない」、「友達が出来ない」という負い目を感じないように身を守りました。

 高校時代に一人の親友が出来ました。彼が一方的に興味を持ってぐいぐい引っ張ってくれました。「こいつには嫌われない」という安心感を持ちました。

 基本的に、私は人付き合いが下手です。ものすごく気を遣いながら世間を生きています。だから、「一人も見捨てず」と言われたときの子どもの気持ちがよく分かります。私が学校時代に教師から言われて一番嫌いだった言葉は「好きなもの同士で」という言葉です。

 でも、一斉指導の中ではそれを感じなくてもいい時間が大部分です。

 ということで、私が今でも嫌いなのは「対談」です。教え子は笑ってそれを課します。私の教え子は私と違って普通の人です。だから、私が初対面の人と語るのがどれほど苦しむことを知りません。

[]邪魔しない 08:50 邪魔しない - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 邪魔しない - 西川純のメモ 邪魔しない - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私が「スマホを授業で自由に使わせればいい」と言えば、工業化社会の人は「家庭の事情で持てない子はどうするのだ?」と言うでしょうね。あ~、馬鹿馬鹿しい。持ってない子は使わなければいいし、必要があれば持っている子を「使えば」いいだけなのに。

 私が願うのは平成21年の「学校における携帯電話の取扱い等についての(通知)」(http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/1234695.htm)を廃棄し、公的文書で「携帯電話を授業で使う試みもあり得る」と書いて欲しいだけ。つまり、奨励しなくていい、ただ、邪魔しないで欲しい。

 「子どもによる子どものためのICT入門」(明治図書)に書いたことですが、禁止は責任の放棄です。学校の管理下で安全に失敗させるべきです。だれも携帯電話の使い方を学ばせずに高校生になり、大学生になったら、大失敗するのに。

[] EdTech 08:14  EdTech - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク -  EdTech - 西川純のメモ  EdTech - 西川純のメモ のブックマークコメント

 NHKでEdTechの特集がありました。見ていてため息が出ます。

 見事に工業化社会の論理でした。子ども達が一人一台の機器を持ち、そのデータを教師が中央集権的に管理する。苦笑してしまうのは半世紀前にパパートが開発したLOGOと全く同じようなコンピュータ言語が、さも最近開発されたもののように扱われている。

 あ~。こんなものでSociety5.0は、絶対に100%確実に生まれない。

 なんで、こんな馬鹿馬鹿しいことが分からない。

[]普通のこと 06:30 普通のこと - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 普通のこと - 西川純のメモ 普通のこと - 西川純のメモ のブックマークコメント

 多くの人は知らないと思いますが、私は教育工学の専門家として上越教育大学に採用されました。日本教育工学会にも業績がありますし、人工知能のプログラムで論文を書きましたし、部品からコンピュータを組み立てたことがあります。

 30年間、教育工学の世界を見ていますが、「どうして最先端の技術を使いたがるのかな」と思います。ま、論文にするにはその方が楽だからであることは分かっているのですが。

 学校で使われる、広がるものであれば、既にその原型は一部に広がっていると思います。ただし、研究指定校ではなく、普通の学校の普通の先生が使っているという意味です。電子黒板のようにそうでないものは、行政が莫大な予算をつけて普及させようとしてお普及せず、ほこりにまみれます。

 これからの教育において、何が正解かなんて分かるわけありません。例えばAIの専門家が一人一人違ったことを言っているのに、AIが発達した社会での教育なんて予想できるわけありません。どうしたらいいか?

 普通のことをやればいい。教室の外で携帯を使い放題ならば、使い放題にすればいい。大人がワード・エクセルを使っているならば、それを使ってもいいようにすればいい。携帯に様々なアプリをダウンロードし、使っているならば、そうすればいい。子ども達が「不便だ」と言うならば、そこに未来のブレークスルーがあります。

 という私には自明なことを、なんでみんなは分からないのか、分からない。キラキラした技術による未来の教育を見ていると、「あ~三十年前からちっとも進歩していない」と思います。

[]荒れた学校 06:14 荒れた学校 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 荒れた学校 - 西川純のメモ 荒れた学校 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私が大学院を修了して勤めた高校は学力的に最底辺の学校で、暴走族・暴走族OBが多くを占める高校でした。私はその学校で授業が成り立つような技術を獲得しました。獲得しないといきられない学校でした。その技術は講演会で役立っています。

 その事を知っている人から、「勤めた高校で授業をするとしたら『学び合い』をしますか?」という質問を受けます。また、「荒れた学校で『学び合い』は出来ますか?」と聞かれることがあります。私の応えは「もちろん!」です。

 考えてみてください。そもそも、そんな学校で一斉指導がなりたちますか?

 「座りなさい、黙りなさい」と子どもに求めるのと、「立ち歩いてもいいよ、相談してもいいよ、でも、一人も見捨ててはいけないよ」と子どもに求めるのと、どちらが求められますか?

 思い起こせば、そのようなクラスで授業を成り立たせるために、一斉指導の中に『学び合い』の「テクニック」を使っていました。一人で授業を成り立たせるのは、かなりしんどい。だから、子ども達の集団として動かす必要がありました。しかし、決定的に抜けていたのは「学ぶ意味」でした。当時の私はそれを語れなかった。だから、芸人になり、親兄弟になってなりたたそうとしていました。今の私は「学ぶ意味」を語れます。だから、集団の管理者、つまり上司の立ち位置で個々の子どもではなく、集団として繋がることが出来ます。

 荒れた学校でも、進学校でも同じです。

 どんな学校の子ども達も学校は多くの責任がある。それを一人の教師が背負えるわけありません。子ども達と一緒に背負うべきです。子ども達は一緒に背負うことによって、一生涯の宝になる仲間を得ることが出来るのです。かつては就職先が一生を保証していました。しかし、今後の日本では学校が子ども達の一生を保証するのです。学校が核になった地域コミュニティだけが一生を保証できます。