西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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18/07/21(土)

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 『学び合い』では全員達成を求めます。本当は、全員達成を諦めないことを求めます。しかし、この全員達成を求めることに疑問を持たれる方がいます。

 簡単な説明から始めます。

 我々、教師は教科の深い学びを成立させる以前に、学習指導要領に定められていること、即ち、国民全てが学び取らなければならないこと、即ち、ものすごく基本的なことを国民全員が獲得することを求められています。だから、教師は全員達成を求められています。これを実現することを教師だけで出来るでしょうか?無理です。だから、子ども達と一緒にやるしかありません。ならば、全員達成を求めることは当然です。

 ただし、ここで教師がその責任があることは分かるが、それを子どもに押しつけるのは責任放棄ではないか、という疑問が生じます。

 これは、『学び合い』で全員達成を命じているという誤解があるからです。違います。『学び合い』では全員達成は自分にとって得(徳ではありません)だということを語るのです。従って、全員達成に参加しなかったとしても、ペナルティを与えることはしません。参加しないこと自体がペナルティなのですから。その事が分かるので、徐々に参加するようになるのです。

 さて、上記のような誤解が生じるのは、多くの教師の方は、学習指導要領で定められたこと、特に、教科編で書かれたことを教えることが教師の仕事と思われています。しかし、違います。教師の仕事とは、教育基本法第1条に書かれている「第1条(教育の目的) 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」なのです。学校で学ぶ時間は一分、一秒の例外もなく、この目的のためにあります。では、人格の完成とは何でしょうか?『学び合い』は「多様な人と折り合いを付け、自らの課題を解決すること」だと考えています。であれば、「一人も見捨てない」ということは子どもにとって分かりやすい表現です。もちろん、人格の完成に関して別な考え方を持つのはアリです。しかし、その考えに一致する教育が一分、一秒の例外もなく出来るでしょうか?私はかなり無理があると思います。

 ちなみに、『学び合い』の初心者は全員達成を毎回しなければならないと思いがちです。違います。そんなことしたら子ども達がダレてしまいます。だから、学習指導要領で定められた最低限の課題の他に、かなり嚙み応えのある課題を含ませなければなりません。その中でも一人も見捨てないことを諦めない集団に育てるのです。(このことは本に書いているのですが、多くの人が読み飛ばしてしまいます)

 さて、多くの教師は比較的短期のことしか考えません。小学校の先生は1年単位、中高の先生は3年単位で物事を考えます。『学び合い』では最低限で1年から数年をかけて集団を創りあげ、一回一回の授業で一喜一憂しません。さらに言えば、自らの教育が30年後、40年後、50年後の子ども達の人生に大きく影響することを知っています。

 子ども達の生きる時代は長期不景気の時代です。AI・ロボット・外国人が活躍する時代です。子ども達の多くは非正規雇用になるでしょう。終身雇用は崩壊し、正規採用された人も何度も解雇されるでしょう。生活保護を受ける子どもはいるでしょう。その子達が言葉通りに生き残るには仲間が必要です。我々の時代は勤め先が一生涯を守ってくれました。しかし、今後は守ってくれません。守ってくれるとしたら、学校を核にした地域コミュニティだと『学び合い』は考えています。

 『学び合い』の初期の段階で集団になじめない子どもはいます。さて、その子の顔を思い浮かべて下さい。これからの厳しい社会で生き残れますか?断言します。生き残れません。それは、その子だけではないのです。だから、一人も見捨てずは得であることを理解した子ども集団を育てなければなりません。