西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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18/07/15(日)

[]強者のアドバイス、弱者のアドバイス 21:23 強者のアドバイス、弱者のアドバイス - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 強者のアドバイス、弱者のアドバイス - 西川純のメモ 強者のアドバイス、弱者のアドバイス - 西川純のメモ のブックマークコメント

 思い起こせば、就職してから先輩・上司に恵まれました。その証拠に、私は人生において直属の上司の悪口を言ったことがありません。これは誰に聞いてもいい。

 それらの先輩・上司は、みんなオッサンでした。何かが凄いという人ではありません。等身大の私の現状を認め、十年、二十年たっても本質は同じであることをさらけ出してくれました。繰り返しますが、普通のオッサンです。講演会で多くの聴衆を集める人のような人ではありません。しかし、そのような人には感じられない「徳」を感じます。それは職場を一緒にしているからこそ感じられることなのでしょう。

 若い私は、そのオッサンから色々なことを学びました。とてつもなく、当たり前のことばかりです。そして、未だに、そのオッサンの徳を学べません。

 私は自分が普通のオッサンであることをよく知っています。家庭を大事にしたいと思っています。銀婚式を過ぎましたが、家内を愛しています。家内が怖いときもありますが、家内の言うことは正しいと思っています。あまり根を詰めた仕事、連続する出張をすると体を壊します。心配性の私は私のクラスであるゼミに問題が起こるとおろおろしています。そして、それをゼミのみんなにオープンにしています。

 だから、私はゼミのみんなに「へっぽこのオッサン」のアドバイスをします。でも、それがいいと思っています。彼らの多くは強者ではない。ごく普通のの兄ちゃん、姉ちゃんであり、10年後はオッサン、オネー様になります。だから、「へっぽこのオッサン」のアドバイスが意味があります。

 世の中には、カリスマになろうとして、カリスマのまねをする人が少なくありません。無理です。そのような人になれないからカリスマなのです。

 私と直接に接した方に申します。私は無理なことを提案したことが一度でもありますか?ないと断言します。私はみんなが出来ることしか提案しません。(したくない人に関しては、時期が来るまで待ちます。)

[]時代が動いている 15:03 時代が動いている - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 時代が動いている - 西川純のメモ 時代が動いている - 西川純のメモ のブックマークコメント

 何度か書きましたが、死に直面した患者がどのような行動をするかという研究したロスの「悲嘆の五段階説」というのは面白いです。

 第一段階は、その存在を否認し、たいしたことはないと無視します。第二段階は、怒りで攻撃的になります。第三段階は取引です。第四段階は抑鬱です。そして第五段階が受容です。

 『学び合い』は非常に面白いグループ学習だと思って飛びついた人は、しばらくして、自分の大事なところを変えることを求めていることに気づき、無視するようになったと思います。つまり、「『学び合い』。あ、新潟の先生の本で読んだことあるけど、でもね~、あれは理想論だよ」と片付けるのが第一段階です。

 ところが平成22年ぐらいから第二段階に達しました。つまり、このまま進むと自分では制御不能のレベルになりそうなので、とにかく潰そうと思います。が、感情的なレベルなので、つぶし方が稚拙です。感情的なので攻撃も稚拙です。何の資料も読まずに表面的なことを感情的に述べ立てます。

 平成26年ぐらいから第二段階から第三段階に移行しつつあるようにあります。つまり、資料を読み妥協点を探り始めたようです。ただ、出発点が「自分は変わりたくない、納得したくない」なのですから読み方が浅く、不正確です。

 それは、「○○と『学び合い』は親和性が高い」、「『学び合い』を一部取り入れて」というような言説に現れています。その言明の一部は正しく、一部は間違っています。

 教育自体は、数百万年以前からホモサピエンスは行っています。我が国の学校教育においても、積算すれは十億弱の人が十数年間の営んでいるものです。ありとあらゆることが起こり尽くしています。優れた教師も多く、多くのノウハウは蓄積しています。『学び合い』で述べていることは100%天地開闢以来はじめてだと主張するつもりはありません。『学び合い』は自然科学をモデルにしています。過去の事実はちゃんと踏まえ、その基礎の上に成り立っています。『学び合い』の始原の形は、優れた教師の姿をモデルにしています。それを整理したものでした。ただし、『学び合い』の特徴は、徹頭徹尾、実証的な学術研究によって記録・分析したものを基礎としています。これがオリジナリティの第一です。不遜ながら申しますが、我が国で全国的に広がった教育実践の中で、実証的な学術研究に基礎づけられている教科学習は、『学び合い』だけだと思います。

 私が認知研究から『学び合い』研究に本格的に移行し始めたのは平成9年頃です。初期は優れた教師の姿をモデルにしており、問題意識も現状の教師が思いつくレベルのものです。例えば、どんなグループを形成したら話し合いが活性化するか、などを研究していました。『学び合い』で述べていることは、明治以降の多くの優れた教師の気づいていることです。本を丁寧に読めば、斎藤喜博や大西忠治の本にもその片鱗はあります。しかし、それらは実証的な学術研究によって分析されているわけではありません。

 学校現場の先生方は忙しいし、他人のお子さんを預かっているので冒険は出来ません。結果として、常識の範囲を超えることが難しいのです。学術は物事を理論的に考えますので、今までの常識を純化し、推し進めると、こうなる、というものが分かります。そして、我々は一つ一つ検証してきました。そして平成14年ぐらいから、常識から乖離し始めるようになったのです。そして、それを十年以上爆走しているのですから、学校現場で普通に思いつくレベルでは理解不能になっています。ま、それがご批判の原因なのですが。

 ですので、「○○と『学び合い』は親和性が高い」、「『学び合い』を一部取り入れて」と主張しても、現実には違いがありすぎるので無理があります。

 平成28年頃から第四段階の憂鬱に移行したように感じます。

 つまり、最近は第二段階の罵詈雑言、第三段階の足して二で割るような言説が殆ど見られない。実際に実践して成果を上げている人の割合が高くなっています。何故でしょう。つまり、罵詈雑言を吐いていた方々、足して二で割るような方々が、『学び合い』関係の情報を遮断したのでしょう。あたかも『学び合い』が世の中にないかのようにして身を守っているのです。ただ、第一段階の無視と違って存在を無視し得ないので、憂鬱だと思います。

 十年以上の実践者の方々、そんな感じを持ちませんか?

追伸 もちろん分布の問題ですので、未だに第一段階、第二段階、第三段階の方々はおられますよ。その比率の変化を書きました。

[]根拠俺 07:06 根拠俺 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 根拠俺 - 西川純のメモ 根拠俺 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 世にある実践書の中で、実証的なデータに基づき、学術的な根拠に基づき、書いてあるものがどれほどあるでしょうか?1%もありません。限られた自分の経験に基づく指導が大部分です。つまり、根拠俺なのです。

 教員養成系大学の推薦入試の面接では、自分に寄り添ってくれた恩師の話を涙ながらに話す生徒がいます。きっと事実なのでしょう。そして、その子は子どもに寄り添うことが大事だと思い、寄り添う教師になるでしょう。しかし、その子が気づいていないのは、一人の教師の時間は24時間で、一人の子どもに寄り添うことには膨大な時間がかかり、従ってごくごく一部の子どもにしか寄り添えないという事実です。特定の子どもに寄り添うことは、実は大多数の子どもを見ていないことなのです。

 小学生の先生の中には算数ではブロックを活用することが有効だと信じている人がいます。きっとその先生はブロックを使うことで分かったのでしょう。でも、その先生が気づいていないのは、ブロックが有効でない子もいるという事実です。

 法で禁止されているのにもかかわらず、運動部での体罰や行き過ぎた指導は無くなりません。体罰や行き過ぎた指導を乗り越えた子どもが運動部で勝ち残り、その子が教師になる。だから、体罰や行き過ぎた指導が有効だと思っているのです。その先生が気づいていないのは、体罰や行き過ぎた指導が無効だったこともが多いことです

 学術だってそうです。残念ながら「こうあるべき論」の研究の比重が高く、実証的なデータで論を積み上げる研究は多くはありません。そして、現状の教育を前提としているので、現状の教育の是非を問う研究は殆どありません。

[]体罰 06:49 体罰 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 体罰 - 西川純のメモ 体罰 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 運動部の顧問には体罰は必要だと思っている人もいます。その方はこれ(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20020701/1173055210)を読んで欲しい。