西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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17/11/11(土)

[]褒める 22:25 褒める - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 褒める - 西川純のメモ 褒める - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私はゼミ生を褒めません。

 色々な本に褒めなさいと書いているのにです。

 理由は、ゼミ集団が成立しているので、私が褒める必要がないからです。

 が、この前の修士1年ゼミでのゼミ生の質問、そして、そこに欠席したゼミ生の理由から、成長を感じます。

 ま、本学教職大学院のシステム、関係の生物であるホモサピエンスの特性から、ある程度は伸びることは予想できます。が、予想以上の成長を感じました。

 いま、晩酌の後、じんわりとそれを思い起こし、嬉しいな~っと思い、書きたくなりました。

追伸 ゼミで「褒めてくれたでしょ」という言葉を言ったら、おしりペンペンするからね。お互いに分かっていれば、言葉にしなくていいんだよ。そして、結果を出してね。日本を動かす。

[]凄いこと 15:28 凄いこと - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 凄いこと - 西川純のメモ 凄いこと - 西川純のメモ のブックマークコメント

ある『学び合い』実践者の実体験をコピペします。

このことの重要性は『学び合い』実践者じゃ無いと見逃してしまうかも知れません。

私の願いは特別支援学級が無くなること。正確に言えば、全員が特別な支援が必要な子どもであることが一般化することです。そのために、全員が同じことを学ばなければならない、そして、教師の一種類の説明を聞かなければならないという鎖を断ち切らねばならない。

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昨日、不思議なことが起きました。

いつも交流に来ている支援学級の子どもがいます。その子と同じ支援学級の2つ上の学年の支援学級の子どもが、ある事情から私の学級で一日学習しました。いきなりの異学年の子どもも含めた支援学級2名と学習です。急遽、休みの子どもの児童の机をその子どもの机にしました。

ここで、「みんな」の枠を語らなければと思いました。

「みんな」とは誰なのか、子ども集団の枠を子どもに伝えなければ『学び合い』の考え方による授業をしても、関わることができませんのでいつもみんなをはっきりとさせることを4月から続けているのです。

不登校傾向の子どもたちが見えなくても仲間であること、今日だけでもこの学級で学ぶ年上の支援学級の子どもも仲間であることなど枠をしっかり語りながら今日の達成人数は31人だと伝えました。

支援学級の子どもたちは、ほとんど私の傍にくることはありませんでした。早くからこの学級で毎日交流できている子どもが年上の子どもの世話をしています。2人というのが安心であるということ、他の学級の子どもたちはそこに2名がいることに全く違和感を感じないので関わり合う場面もいつもの通り自然でした。2名の持ち込み学習は、課題は完全に別でした。

体育は、課題は同じです。リレーやゲームをして楽しみました。盛り上がった後は、さらに馴染んでいました。

そして、不思議なことが起こったのです。

実はもう一人、支援学級の子どもがいるのですがこの子どもは私の学級の交流授業には1度も参加していませんでした。それがなんと、昼休みにその子どもが私の学級で遊んでいるではありませんか。。。。驚きました。。。。

支援学級に支援学級以外の子どもたちが遊びに来るのはよくあるパターンです。その逆バージョン。。。

教室の真ん中で、支援学級の子どもたちがじゃれあって遊び、周囲の子どもがお絵かきをしているのをのぞき込んで話し込み普通に過ごしていました。学級の子どもたちも、全然気にしません。

全く授業参加していない支援学級の子どもが、出入りして遊んでくれたということに私自身が感動した出来事でした。なぜ、ここで遊ぼうとしたのか。。。、なぜ、関われたのか。。。、語りの中で子ども集団の枠は、あの子は入っていないが学級の子どもは違和感などなく受け入れることができていたのはなぜなのか。いくつも、疑問が浮かんできます。

鍵は、子ども集団かと思うに至りました。子ども集団は、学んでいます。AIと同じように体験をして、そこがつながり汎用的能力が培われるのではないかと。(AIよりはるかに有能な子ども集団かもしれません)個々ではつながりにくいことが、子ども集団としては可能なのではないかと思い始めています。

集団が学ぶと、個々の変容が促進される、そんな考えが頭に浮かんでいます。集団が学ぶということが、この『学び合い』の授業の真骨頂。うまく、言葉では言えませんが集団の学びがもつ可能性について、何かとてつもなく大きな示唆を与えられた気がして心臓がバクバクしています。