西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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17/01/18(水)

[]理解する 06:59 理解する - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 理解する - 西川純のメモ 理解する - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日の学習成果発表会で他の研究室の院生さんが「いい授業をするには、一人一人の子どもを理解することが必要だ。それによって、その場、その子に対して適切な言葉がけが出来る」と言いました。私は「子どもを理解することは無理だよ」とアドバイスしました。

 結婚して二十年以上もたった家内のことを未だに理解不足です。家内からも「あなたがわからない」とたびたび言われます。我が子だってそうです。そんな私が他人の子どもを1年ぐらいで分かるわけない。そして、三十数人の子どもはなおさら理解できない。

 じゃあ、どうするか?

 集団を理解すればいいのです。コップいっぱいの水分子の挙動は分からなくても、コップいっぱいの水の挙動は分かる。だから、小さい子どもでもコップで水を飲めるのです。コップいっぱいの水が熱力学や流体力学の法則に従っているように、一定数の子どもたちを集団にすれば一定の法則に従います。それが『学び合い』のセオリーです。

 が、教育の世界では安易に「一人一人の子どもを理解する」という言葉を使います。

 私はその言葉の本当の意味を知っていると思います。

 暴走族だらけのクラスで物理学を教えたときにそれを使っていました。クラスの中にはキーパーソンがいます。その子は、その集団の中である役割を演じます。例えば、ある子をいじくれば、必ず面白いことを言って、その子が言うと、クラスが爆笑する、というような構造が出来ています。ある子に語れば納得し、その子が語るとみんなが従う、というような構造が出来ています。最初は涙あり、笑いありのジェットコースターのような授業をしているうちに、その構造を読み取ります。そして、徐々に、その小数のスイッチを押すことによってクラスを動かすのです。

 つまり、私はクラス全員の理解をしているわけではありません。ごく少数の子どもを理解しているのです。そして、その子を理解しているのではなく、その子のクラスにおける「役割」を理解しているのです。それだけのことをすれば、暴走族だらけのクラスで物理の授業が成立する。ましてや、普通のクラスだったら、もっと簡単です。

 でも、それを「一人一人の子どもを理解する」というふうに言うのは反吐が出ます。何故ならば、圧倒的大多数の子どもを何も理解していない。そして、その技術が上手ければ上手いほど、教師がいないときに集団がどうなるかを私は知ってしまった。