西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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16/11/02(水)

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 『学び合い』に出会った中堅・ベテランは「今まで自分は何をしていたんだろう・・」と思う人は少なくないです。だって、何にもしていない(様に見えるだけですが)のに自分の授業だったら寝てしまう子が学習を継続するのです。子ども達のつぶやきを聞いていると発想が高度で多様なのです。

 『学び合い』にトライしはじめると、今までやっていたことを「しない」ということに抵抗感があります。その抵抗感がもどかしい。何故なら、子ども達を信頼しきっていない自分が分かるからです。

 が、今まで積み上げてきたもの、と多くの教師が思っていることは、それほどの大事なものではないのです。

 例えば教材研究を積み上げた方に伺いたい。あなたが積み上げたものだから理解が深まる子どもはクラスのうちの何人ですか?さらに言えば、それは1週間後にどれだけ残るでしょうか?週何時間かの授業程度で伝えられるものなのですよ。それを教科の価値だと申したならば、それはその教科に失礼千万だと思います。それは各種の指導法も同じです。

 実はそんなことではなく、積み上げているものがあるのです。それは子ども達に対する愛や信頼です。もちろん、若い教師にも愛や信頼があります。しかし、中堅・ベテランは教師人生の中で実体験として得た愛や信頼があります。

 私は「一斉指導のうまい教師は『学び合い』もうまい。何故なら、おだてかた、脅し方がうまいから」と言います。でも、これは分かりやすい表現であって、真意は別なところにあります。子どもは教師のおだてに乗るのは何故でしょうか?子どもは教師の脅しに反応するのは何故でしょうか?それは言葉やテクニックではありません。人を見ているのです。この人の言うことに従うことは正しいことだし、得であると理解する人のおだてや脅しに従うのです。

 思い出して下さい。皆さんの好きだった教師を。その教師の教材研究が素晴らしかったから好きでしたか?発問が絶妙だったから好きでしたか?違うと思います。その教師の愛や信頼を感じたからだと思います。この部分が根幹だと思っています。ここは捨てなくてもいいのです。いや捨ててはいけません。ようは、それ以外の「どうでもいいこと」を封印すればいいのです。

 封印するだけで捨てる必要はありません。教材研究を積み上げた方だったら、クラス集団が成長したら使えばいい。ただし、今まで「教える」部分に使っていたのを、評価に使えばいいのです。

 鑑定士は真贋を素人に説明するとき「高台が云々かんぬん」、「サインが云々かんぬん」と説明します。嘘ではないですが、本当ではありません。鑑定士は、それらを確かめる以前に、真贋を判断します。その後に、高台やサインを確認しているだけのことです。このような鑑定士はどのように育てるか。色々な作品を見せて、「これはいい」、「これはだめ」と判断させるのです。そして、それの正誤を伝えるのです。授業における教師の立ち位置も同じです。子ども達の様々な発想を「くだらない」、「素晴らしい」と評価すればいい。子ども達が「何故ですか?」と聞いても、「知らん、自分で考えろ」と言えばいい。その代わりに、素晴らしいものを彼らに与えるのです。このようなことが出来るためには教材研究が必要です。だから、『学び合い』の実践者は「『学び合い』では教材研究は必要ないが、教材研究したくなる」と言います。

 ということで、捨てなくていいのです。一部を、一時期、封印すればいいのです。その中で発想を変えるのです。変わるべきは子どもではなく、自分。

toukonyukitoukonyuki2016/11/02 18:15「おだて方、脅し方」の話、ものすごく、そうだなと思います。そして、だからこそ、私が不本意ながら出る部活で説得力を持たないのは当然だなと思います。その競技にも心から好きとは思えていないし、経験も知識もほとんどない私の言葉に反応が薄いのは当たり前。
でも、世の中には専門外でも生徒にいいパフォーマンスをさせる先生がいますよね。その方たちのモチベーションや考え方が知りたいです。

jun24kawajun24kawa2016/11/04 09:55子どもを思う気持ちは本物ですよね。
それだけでいいのです。