西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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16/09/27(火)

[]危ういな~ 21:29 危ういな~ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 危ういな~ - 西川純のメモ 危ういな~ - 西川純のメモ のブックマークコメント

「有能であることよりも、有能であり続けることは遙かに難しい。恋愛における嫉妬より、仕事関係の嫉妬は陰湿で持続的だから。」

 これは私が大事にしたいと思っている、有能な人に語った忠告です。

 そして、アドバイスとして自分がベースとしている組織に対して貢献をすることを勧めました。その人が、これこれのことをしていますと語ったので、それでは足りないと申しました。その人が対外的に目立つ程度に合わせて、それに倍する、倍々する貢献しなければなりません。

 ネットを通じて様々な若い人が頑張っている姿が垣間見られます。しかし、「危ういな」とも思います。校内での貢献はもちろんですが、市レベル、県レベルでの貢献が必要です。例えば、市レベル、県レベルでの割の合わない仕事を請け負わなければなりません。

 自分が目立つところでの活躍と、自分のベースとしている組織における貢献とのバランスが必要です。カリスマ教師の寿命は長くはありません。せいぜい中堅半ばまでです。どう考えても、中堅半ば以降でカリスマ教師だったら、十中八九はベースとなっている組織で嫌われます。若手ならば、自分のことに重心を置いても許されたとしても、中堅半ばであれば組織に対する政治的貢献を大きく求められるからです。対外的な活躍に倍する組織への貢献を出来るほどの政治力のある人は希ですから。私の場合、本を執筆する能力や講演する能力とタフに政治をする能力は別物ですし、多くの場合、相反するものです。ま、嫌われても、なんでも大丈夫という抜群の才能と、タフな精神力があればいいですが、そんな人は希です。才能のある若い人が、上手く成長して欲しいと願います。

 私は嫌われると落ち込みます。だから、嫌われたくない。だから、自分のベースとしている組織にプラスとなるありとあらゆることを、常に考え、行動しています。我が身大事さからです。

追伸 私は上司に恵まれました。根本先生、戸北先生という二代のボスのおかげで我が儘いっぱいのことが出来ましたし、うまく立ち回れたと思います。私ほどの幸運は望めないと思いますので、若い人は危うさを自ら意識しなければなりません。身近な人には、お節介で、何度も説教します。そうできない人のために、不特定多数で情報発信します。

[]教材研究 19:52 教材研究 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教材研究 - 西川純のメモ 教材研究 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 教材研究シリーズです。

 普通の教材研究は、教師が知識・技能を貯めて、それを必要に応じて小出しに出す。というイメージですよね。

 でも、『学び合い』における教材研究は教師が貯めて、それを出さない。にじみ出る感じ。

 教師は一言も発しなくても、意図した仕草がなくても、自然と雄弁にボディーランゲージを語り続けます。そして、ホモサピエンスはそれを理解する能力に長けています。とくに集団をリードするメンバーは。その教材に対する愛、思い、理解があれば、それは伝わります。それが「心」だと思います。

 逆に言えば、愛、思い、理解がなければ、それもバレます。若い教師には理解は無理です。でも、愛、思いは持てます。それがあれば子どもは認めてくれます。

 心と言ってもスピリチャルなものではありません。言語化すれば分かりやすいものです。アメリカドラマに「ライツウミイ」というものがありますが、それの簡易版です。我々はそれを膨大なICレコーダー、ビデオで記録し分析します。ただし、それによって演じようとはしません。そんなの無理ですから。何故、記録するか?それは、どんなに隠しても、逆に何もしなくても、雄弁に語っていることを理解するためです。嘘がつけないと分かれば嘘はつきません。

追伸 よく、「この一言で問題解決」みたいな本があります。たしかに数週間程度のつきあいならば有効でしょう。でも、1年以上の勝負である教師には使えないですね。子どもは、特に大人の腹を読む能力に長けたクラスにいる数人は騙せません。そして、クラスの子は、その子の意見を尊重します。

[]教材研究 10:30 教材研究 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教材研究 - 西川純のメモ 教材研究 - 西川純のメモ のブックマークコメント

学び合い』の実践者が、「『学び合い』は教材研究しなくても出来るが、教材研究したくなる」と言います。前の教材研究と後の教材研究は似て非なるものです。「しなくなる」という段階に至らないと分からない。そして、「しなくても出来る」が分からないと、自己満足の教材研究になります。意味不明だと思いますが。

大多数の人はしなければならないと思っている教材研究で始まりますが、ま、それでいいのです。

[]教材研究2 12:26 教材研究2 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教材研究2 - 西川純のメモ 教材研究2 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は教材研究が大事だと思っています。同時に、それが大変であることも知っています。

 教材研究をある程度積み上げると、1学んだことによって10も100も波及します。しかし、その蓄積がない状態では1学んだことは、1にしか使えません。いや0.1も使えないでしょう。具体的に言えば、10時間かけて1時間分の授業に使えるか使えないかです。これでは毎日毎日新作の授業を組み立てなければならない若い教師は続けられません。結局、早晩、手の抜き方を学んで、終わり、になってしまいます。

 だから、1学んだことが10にも100にも波及する声の出し方、板書の仕方、表情の作り方を学ぶべきです。それがあれば教科書棒読みでもなんとか授業らしきものが出来ます。そして、『学び合い』のテクニック(考えではありません)を使えば、かなりのレベルの授業が出来ます。まずは、そこからです。

 教材研究に時間を使っては若い教師が不幸ですが、それ以上の子どもが不幸です。

 余裕が出来た当たりから、じっくりと腰を据えて教材研究です。

 ただ、この当たりが弱いですね。原因は五十歳代だと思います。

 私の時代には、かなり強引でも研修会に誘う先輩がいました。尊敬する先輩だし、お世話になっているのでむげに断れず、参加しているうちに発表者になり・・・。でした。が、それ以降、平成に入ってから若手が既存の研修会に参加しなくなりました。誰が悪いか。そりゃその頃の若手を既存の研修会に誘わない、実は、誘えない年代です。

 広域の研修団体は大事です。しかし、地域の、そして校内の研修を充実させなければ。教材研究の復権はそこからだと思っています。

[]授業検討会 10:30 授業検討会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 授業検討会 - 西川純のメモ 授業検討会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 こんな調査をしたことがあります。

 教師に「これぞ教師の職能」というエピソードを書いてもらい、それが教師人生何年目にあったことかということを書いてもらいました。色々と分析したのですが、結論だけ書くと以下の通りです。

 最初は「教材」の事で始まります。ま、何も知らない学生が教師になれば、まずは「教材」が分からないと授業になりませんね。

 次は「教材」+「指導法」に変化します。教材だけ分かっても伝わらないことが分かりはじめます。

 次は「教材」+「指導法」+「学習者理解」になります。普遍的にいい教材、いい指導法などはなく、一人一人違うことが分かるようになります。

 そして、郡市で数人ぐらいの教師は、「教材」+「指導法」+「学習者理解」+「集団理解」にいたります。個々人をおってもどうしようもないことが分かる人もいるのです。

 授業検討会での会話を分析すると圧倒的に「教材」レベルです。もちろん、遠回しな批判、露骨な追従、話題と関係ない自慢話を除外してです。しかたがありません。いきなり見る子どもを理解することは出来ません。だから、普遍的な教材が話題の中心となります。ところが、教材の場合は知識量勝負となってしまいがちです。そうなると、ベテラン・中堅は発言は出来ますが若手は発言できません。

 なかには特定の班や子どもにべったりついて記録する人もいます。その人は子どものことを話します。しかし、その子を知っているのはその人と担任ぐらいですので話が発展しません。

 ということで、現場の研究授業はあまり意味が無いのです。

 ところが、先に挙げた郡市で数人ぐらいの人が発言するとがらりと話しの流れが変わります。それまでに出たバラバラな参観者の発言が、一気に筋が見えるようになるのです。この人を見分けるのは簡単です。授業中の眼の動きを、立ち位置を見ればぴたりと当てることが出来ます。

 ちなみに、先に挙げた「教材」→「教材+指導法」→「教材+指導法+学習者理解」は全ての人が辿る道ではありません。退職まで「教材」に留まり、それに関して一目置かれる人もいます(といえば、なんとなく特定の人が思い浮かべられるのではないでしょうか?)。三者とも「教材」を含んでいますが、三者の「教材」は全く違います。特に、集団理解に至った人の「教材」は全く違います。その人が教材研究をしたとき、それがどのようにその人の中で理解されるかは、「教材」の人の教材研究とは違います。

 ちなみに、『学び合い』は教師の職能の最終段階であり、郡市で数人の人が持つ集団理解を組織的に学びます。だから、「『学び合い』は教材研究しなくても出来るが、教材研究したくなる」という発言も出るのです。

追伸 集団理解より上の段階があります。それは「心」です。