西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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16/07/03(日)

[]主導権 21:31 主導権 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 主導権 - 西川純のメモ 主導権 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 文部科学省は教育行政に関して絶大な権力を持っています。しかし、多くの教師はどんなところに権力を持っているかを誤解しているように思います。

 国が権力を行使する場合、それは予算と人事で行使します。例えば、学校あたりの教員定数は何人かというレベルのことです。ところが教育内容に関して殆ど手を出せません。学習指導要領で実質的にコントロール出来るのは総時間ぐらいだと思います。

 だって、「これこれを教えなさい」と書いてあったとしても、1やるか2やるか10やるか100やるかは現場の裁量権です。「これこれは教えては駄目」と書いてあったら、それは教えては駄目です。しかし、それ以外のことを教えてもOKです。まあ、教育基本法に規定している、政治と宗教のところぐらいは注意すべきですが。教科書で細かくコントロールしても、法で定められているのは主な教材であるという位置づけぐらい。全く使わなければ問題ですが、どの程度使うかは現場の裁量権です。

 今回、内容ばかりではなく教育方法も規定してきました。それがアクティブ・ラーニングです。でも、これも同じです。どうとでもなります。だから、多くの人は言葉遊びをしています。いや、文科省の一部にも言葉遊びをしているとしか思えません。(同じ文科省のお役人であっても、所属する部局で話すことが天と地ほどの違いがあります)

 じゃあ、何でもありでしょうか?

 まあ、今まではそうでした。

 小学校、中学校は都道府県レベルでなんとでも出来ます。まあ、中学校は高校入試が影響しますが、その問題を都道府県が作っているのですから何とでも出来ます。だから高校教師から見たら、意味不明な教育用語が飛び交っています。

 ところが高校は違います。都道府県のコントロール出来ない大学が大学入試があります。意味不明な言葉遊びにつきあう暇はありません。

 それが総合的な学習の時間に表れています。

 総合的な学習の時間は子どもが主体になるべきなのに、今まで通りの授業の延長上に教師が主体なクロスカリキュラムに収束してしまいました。学習指導要領には「自ら課題を見付け,自ら学び,自ら考え」とあります。しかし、その主語はすべて教師なのです。だって、子どもが主体的に決めたとしたら、なんで計画が事前に立てられるのでしょうか?事前にたてた計画に子どもを押し込めているだけのことです。

 そして、高校は無視です。そんな言葉遊びつきあう余裕はありません。

 つまり、教育内容に関して文科省はコントロールすべを持たず、高校は大学によってコントロールされました。

 大学は研究者である大学教師が、学習指導要領の範囲内という縛りをつけられていますが、とにかく学問に一致する内容を問題に出します。そして、大学で大学教師に指導された高校教師が指導しているのですから、問題ありません。

 しかし、今回は違います。文科省のある部局が大学の入試に手を突っ込み始めましたのです。当然、大学教員はパニックです。そして、公立高校の教員もじわじわとわかっています。しかし、義務教育の教師も行政もわかっていません。いや、文科省のある部局も。

 大学だって大部分はわかっていません。だから、高大接続実行プランでどんなに縛っても、逃げ道を見いだします。大部分の大学は変わりません。しかしトップ校は違います。それはスーパーグローバル大学支援事業が決定打ではありません(きっかけではありますが)。ようは、安泰だった就職が危うくなってきたのです。そして、そのレベルの大学の教師は、今後の社会はどうあるべきかを考え始めたのです。

 今までは、教育内容を決めていたのは、義務教育は都道府県教育委員会で、高校は大学、そして大学は学問でした。しかし、今後を決めるのは社会です。社会とは企業なのです。

 なのに、わからない。まあ、バブルが崩壊しても、土地神話を信じていた人は山ほどいるのです。

 すみません。もう、決定権は学校にも、教育委員会にも、大学にもありません。

 でも思います。今、決定権を持っている企業も、どのような教育方法、教育内容であるべきかはわかりません。それは我々にしか決められないのです。

 急流で船をコントロールするには、急流よりはやく進まねばなりません。

 言葉遊びでなんとかしようとする人が大部分であることはわかっています。でも、そうでないことを理解し、主導権を奪い返す人が増えてほしい。企業は生き残りを願っています。しかし、生き残りたいのは自分です。日本ではありません。子どもでもありません。

 ならば、子どものことを考える我々が、企業を操るだけのしたたかさを持たなければなりません。主体だの、協働だの、また、3要素がどうのこうのなんてどうでもいいことです。子どもたちを企業が奪い合うようになるような人材にすればいいのです。そのためには、あえて魂を売ってでも、企業の置かれている状況を教師は理解すべきなのです。

 主導権を奪い返しましょう。そのために言葉遊びはやめましょう。私が最近、気が狂ったように本を書きまくっているのは、そのためです。

 以上、晩酌で酔った勢いで書きます。

 ということで、明日は削除するかもしれません。ま、個人攻撃にはしていません。