西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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16/05/22(日)

[]高尚な議論 11:03 高尚な議論 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 高尚な議論 - 西川純のメモ 高尚な議論 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 以前、こんなことを書きました。

 学校教育に影響を与える研究にしたいならば、使える統計分析手法は出来るだけ簡単にするべきです。

私の最初学術論文では林の数量化理論の第3類、第4類を使いました。当時の教科学習の論文では頻度分析程度だったのに、名義尺度分析を雨あられと使いました。そして、雨あられ学術論文の業績を上げました。しかし、それらは学校教育に何らの影響も与えません。当たり前です。「林の数量化理論の第3類によってこれこれの結果が出ました」と学校現場先生に話しても、それは真言、例えば「ナウボウ・バキャバテイ・バイセイジャ・グロバイチョリヤ・ハラバア・ランジャヤ・タターギャタヤ・アラカテイ・サンミャク・サンボダヤ・タニヤタ・オン・バイセイゼイ・バイセイゼイ・バイセイジャ・サンボドギャテイ・ソワカ」を聞いている一般人と同じです。ありがたく承りますが、それによってその人は何も理解せず、従って、その人の頭を使った行動の変容はないからです。

から、その後の私の研究では、基本的論理簡単な直接確率計算かその簡易版であるカイ2乗検定程度に抑えています。そして、分析結果で理解させるのではなく、モデル理解させることを重点に置きます簡単に言えば、たとえ話を使うのです。

何故、こんなことを話すか。

最近、ある方から教育課程企画特別部会論点整理にある「深い学びの過程」、「対話的な学びの過程」、「主体的な学びの過程」、また、「学習プロセス」、「学習過程」が今後重要意味を持つのでは無いかと聞かれました。

私は、意味を持たないと申しました。何故なら、それらが何を意味するかを学校現場教師理解できるとは思えないからです。いや、それを議論している研究者だって、一致した定義合意できるとは思えないからです。

「基礎的・基本的」という言葉は50年前からよく使われる言葉です。「基礎力・思考力・実践力」や「21世紀を行き来抜くための能力」や「キーコンピテンシーだってそうです。言葉が踊っている段階では、会議参加者はみんなで「そうだよね」、「大事だよね」と言い合っています。ところが、ひとたびそれらを具体化しようとすると百家争鳴になります。結局、言葉が踊る段階から進みません。

文部科学省、そして中央教育審議会はおおざっぱな方向性を示す以上のことは出来ません(逆に具体的に示したら怖い)。その言葉を様々な実践者、研究者が受け取り、様々な形で学校現場提案するのです。そして、学校現場という市場吟味されます

追伸 アクティブ・ラーニングの特異性は、大学入試と連動させたところです。そして、労働派遣法、入国管理法と関わっている点です。ルールが変わっているのに、それが分かっていない人が、旧ルールで何とかしようとしています。悪いですが、滑稽です。

[]講演開始 09:43 講演開始 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 講演開始 - 西川純のメモ 講演開始 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 3月4月は講演はありません。ま、学校現場死ぬほど大変ですから

 5月になると講演が始まります。本年度最初5月24日岐阜聖徳学園高校での講演です。例の基準を申しました。ま、ビビッて退却するかと思ったのですが、基準クリアしました。本気なのですね。ただ、この会は岐阜聖徳学園の小中高の先生だけにオープンされている会です。

 次は5月30日の「新潟県高等学校進路指導協議会」の講演です。これも新潟県高校進路指導先生方向けの講演です。

 オープンな会としては6月4日埼玉セミナーhttp://manabiai.g.hatena.ne.jp/kuro106ra/20160521/1463806613)です。

 6月11日柏市での講演です。これは柏市教育委員会のご厚意により、人数に上限がありますオープンになっています。(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20160409/1460152502

 お誘いします。

[]勤評闘争 06:14 勤評闘争 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 勤評闘争 - 西川純のメモ 勤評闘争 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 多くの教師が嫌がることをあえて書きます

 勤評闘争代表されるように、教師自分評価されることを嫌います。ま、誰でも嫌いますが、民間だったら当然のようにやられている評価なのですが。一方、自分子ども評価することは当然であると考えます教師評価によって命を絶つ子どもがいるほど教師評価絶対的意味を持ちます

 教師に対して評価をする理由と、それに対して反対する理由があります。反対する教師自分評価する側にたつと見事に教師に対して評価する理由と同じ理由を述べます

 私は教師に対しても、子どもに対しても評価があるべきだと思います。ただし、二つの条件が成り立つとき健全性が高まると思います

 第一に、外部評価を導入し、重視する。校長教師評価する、教師子ども評価する、いずれもお手盛りになる危険性があります学習指導要領準拠した基礎的なテスト実施し、その達成度を評価します。それによって教師子ども評価されます。同時に、出席率で評価します。ただし、点数ではなく基準以下の子どもがいるかいないか評価します。

 校長評価も、教師評価形成的な評価、つまり途中経過教師子どもに伝える意味を持つに過ぎません。校長教師教師子どもに対して適切な評価をすることによって最終的な外部評価クリアするための援助者の立場に立ちます

 第二に、評価自身評価されることが大事です。外部評価、その他の情報評価される側に開示し、どの評価者の評価を受けたいか評価される側が評価するのです。教師は異動初年度から異動希望を出せるようにするのです。教師子どもが選ぶのです。

そんな無茶な、と思っているでしょうね。

 しかし、上越教育大学教職大学院ではこれが成り立っています

上越教育大学教職大学院教育実習を中心としたカリキュラムを組んでいます院生達は実習先から評価されます。学卒院生教員採用試験評価されます。つまり外部評価があり重視されています

評価の多くはアドバイザーによってなされています。そのアドバイザーは1ヶ月に渡る面談期間で学生が決めています。そして途中で変わる権利があります

 ま、「大学院学校は違う」、「そんなことをやったらこれこれの問題が起こる」という指摘はあるでしょう。私はそれに対していちいち説明することが可能ですが、それを全部書いたら切りが無いのでここでやめますしかし、自分校長から評価を受けたくないなら、自分子ども評価するとき理由を思い出して欲しいと願います子どもにとって教師は、教師にとっての校長より絶対者なのですから

追伸 日本の勤労者の圧倒的大多数は上司によって評価を受け、給料に反映されています。当然、教師に対して評価することは多くの人は当然と思っています。ところが、それがなされていないとしたら、その外圧の盾となっているのは、文部科学省教育委員会だと私は思っています。敵ではなく味方なのです。諸外国教育現場における評価もの凄く厳しいですよ。