西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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16/02/13(土)

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 ネットサーフィンをしていると、学校は人材養成機関ではないという論に出くわす。得に、最近の入試改革、アクティブ・ラーニングに対する教員側の主張に多い。

 何故分からないのだろう。(ま、理由は「分かりたくない」であることは分かっていますが)自分たちが今教えていることを必要としているのは、自分たちしかいないことを。

 教育学には実質陶冶と形式陶冶という言葉があります。前者は教える内容に着目し、後者は教えることによって得られる一般的な能力に着目します。例えば、算数だと九九を覚えること自体は実質陶冶ですし、物事を数的にとらえることは形式陶冶です。

 研究者の一人として断言します。私の知る限り、学校教育の形式陶冶があることを示す学術研究を知りません。例えば、数学を学ぶことによって論理的思考力が伸びることを示した学術研究を知りません。皆無とは言いませんが、一般の人が思っているほどのことはありません。認知心理学の領域固有性とか文脈依存性の考えから言えば、数学を学ぶことによって得られる論理的思考力は、数学の問題を解く際に必要な論理的思考力を伸ばしますが、一般的な論理的な思考力を伸ばすとは言えません。考えてみて下さい。おしかりを覚悟で申しますが、数学を専門とする教師の職員会議の発言は論理的ですか?これは、国語や社会や理科やその他の教科においても同じです。

 もし、形式陶冶に期待できないとしたら実質陶冶しかありません。

 ところが、学校教育で学ぶこと内容にあまり意味が無いことを成人は知っています。いや、教師すらも知っているのです(それの学術データを持っています)。ただし、必死にそれに意味があると思い込みます。何故ならば、それが自分の商売だからです。

 教師という自分の職業を守るための論と、人材養成だという論とどちらの方が、「子ども」にとって意味があるでしょうか?

 色々なご意見があるでしょう。でも、そのご意見に関して実証的な学術データで保証出来るかを考えて下さい。多くの方々の根拠は、「いままでそうなっている」、「多くの人がそう思っている」です。ま、多くの場合は正しい。しかし、変革期にはそれが成り立たなくなるのです。かつて多くの人は地球は平面だと思っていました。しかし、大航海時代になるとそれでは成り立たなくなったのです。

 かつては、社会は学校教育に対してあまり多くを望んでいませんでした。少なくとも、教師が必死になって教えていることに関しては。だから、とりあえず偏差値が高い学校が評価されたのです。が、前者で評価できる答えを覚える能力の価値が相対的に下がってきました。

 これからの社会は別なことを厳しく評価するようになりました。それがアクティブ・ラーニングです。それをなおざりにしている教師は、子どもを餓死・孤独死に追い込んでいるのです。悪気がないことは分かりますが、無責任で、エゴイストだと思います。

 学校は人材養成機関です。教師がそれに飽き足らないと思うのは望ましいと思います。しかし、それを教え子に求めるためには、人材養成に関して保証すべきです。それは、卒業後はもちろんのこと、卒業後もです。もし、それに対して結果を出せないならば、黙って人材養成するべきだと思います。

追伸 あるネットの記事を読んで書きたくなりました。