西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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15/09/16(水)

[]授業のみかた 06:30 授業のみかた - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 授業のみかた - 西川純のメモ 授業のみかた - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私が授業を見るときは子どもの顔を見られる位置で参観します。でも、それを奇異に感じる方もおられるかもしれません。しかし、私から言えば、後ろから参観する方が奇異に感じます。

 何故なら、後ろからでは子どものことが分からないのです。これは生物学的にも正しいと思います。ホモ・サピエンスは社会的な生物です。常に相手が何を思って、何をするであろうかを予想して生きています。そして、そのための能力を獲得しています。さて、我々が相手に接するとき、どの方向から接するでしょうか?明らかに正面を向き合って接します。それは数百万年前の猿人の時代から同じです。だから、正面からの情報を分析する能力を高めているはずです。

 大脳皮質の中でどの部分をコントロールしているかという領域を調べると、表情を動かす領域が大きな領域を占めていることが分かります。ホモ・サピエンスにとって大脳皮質は最も貴重な資源です。それを無駄に使うわけありません。何のためにそれが発達したかと言えば、「目は口ほどにものを言う」ということです。

 「私は子どもの背中から子どもを見取ることが出来る」と言われる方もいるかもしれません。しかし、ホモ・サピエンスが数百万年洗練した能力を一世代で凌駕できるとは信じられません。そして、仮にその人がその能力があったとして(信じられませんが)、その他の多くの人がその能力を獲得できないと断言できます。

 次に、研究授業は何のためにやっているかといえば、授業能力の向上です。さて、「一斉指導」の授業中で、教師はどの方向から子どもを見ているでしょうか?前からですよね。

 次に、道義的な意味です。前から見れば、子どもの視界に入ります。それが子どもの学習の邪魔になるという方もおられます。しかし、参観者の存在が子どもの学習の邪魔になるというならば、参観すること自体すべきではありません。参観者が前の方にいようと、後ろにいようと、子どもの気は散ります。ちなみに、筑波大学附属小学校に講演で呼ばれたとき、そこでの研究授業に参加しましたが、なんと体育館の真ん中に机を並べ、参観者がそれを取り囲んでいました。

 『学び合い』では授業参観大歓迎です。何故なら、参観者の存在によって、子どもたちがいつも以上の姿を見せてくれるからです。例えば、それまで関わらなかった子どもが関わるきっかけになります。一斉指導における研究授業も参観者の存在が子どもにとってプラスになるように仕組むべきです。そうであれば、前にいる参観者の方が望ましい。

 では、「一斉指導」における授業参観は何故後ろから見るのでしょうか?理由は子どもを見ていないからです。まあ、うっぷして寝ている子がいるかいないか程度の情報以上を必要としていないのです。その代わりに教師が何を言い、何を書いたかを見ているのです。何故か、「正しく教えれば、正しく分かる」という19世紀的な注入主義的なモデルの中にあるのでしょう。

 私の場合は、「子どもがどのように受け取ったか」を重視しています。だから、前から見ます。

 なお、『学び合い』の授業の場合、前も後ろもありません。あはははは

追伸 名人と言われる人の授業でも、前から見れば色々なことが分かります。子どもの目が泳いでいるのです。大村はま先生に自分が小学校時代に教えてもらったという教師に会ったことがあります。その方は「我々は、はま先生をババアと呼んでいました」とおっしゃっていました。これは当然です。小学校の子どもにとって、三十代の教師も「オジサン、オバサン」です。五十代は「オジーサン、オバーサン」です。では、六十代以上は何なんでしょうか?ちなみに、私は56歳です。さしずめ「クソジーサン」だと思います。