西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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15/09/15(火)

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 あれも大事、これも大事、という人の根拠は学術的な根拠がないことが多い。残念ながら研究者も。

 私の教師としての原体験は学力的には最底辺の高校で物理を教えました。当然、「なんで勉強するの?」という質問を受けました。そこで学部、大学院で学んだことを語りました。ところが見事に論破されます。ちなみに、妻帯者の男性は、伴侶を説得して下さい。子どもと同じように論破されますから。だって、そもそも普通の人が言っている「あれも大事、これも大事」は学術的に根拠がないのですから。

 教科教育学で何が大事だということをまとめた論文は各教科でかなりあります。中には学会としてまとめられたものがあります。それらの多くは、その教科の背景としている学問の体系に準拠し、学ぶべきものを整理しています。しかし、これらの研究の決定的な瑕疵は、そもそも、その学問を学ばなければならないことを証明していないところです。だから、その学問を学ぶべきだということを暗黙の前提にしているのです。

 私は色々な教科の人にその学問を学ぶべき理由を聞くと、非常にナーブ(素人的)なのです。例えば、「数学が分からないと買い物が出来ないでしょ」というようなものです。しかし、現在は計算できなくてもバーコード読み取りで問題なく買い物が出来ます。

 理科の時間数が減ると理科教育関係の学会が、「資源のない日本は科学技術で立国している」のような論陣を張ります。私は日本の代表的な経済・産業団体の提言を全て洗い出し調べました。その結果、昭和50年代後半から、そのような団体から小中高の理科教育振興を求める提言はありません。つまり、経済・産業界は小中高の理科が大事ではないのです。それを学術論文にまとめました。私の知る限り、それを覆す学術論文を知りません。

 また、数学は論理的思考能力を高めるという、一般的な能力を前提にした主張もあります。しかし、私の知る限り、それを証明した学術論文はありません。逆に、認知心理学の文脈依存性、領域固有性の知見によれば、その様な主張は誤りであることを論証できます。数学で学べる論理的思考能力は、数学における論理的思考能力です。たしかに数学者になるには必要でしょう。また、理系の仕事に就くには必要でしょう。ところが、国民の大多数は数学者にも理系の仕事にも就かないのです。そして、その国民の多くは「命題と証明」、「2次関数」を学ぶことを強いられているのです。

 さらに、保護者に対して小中高で学んだことが成人になってから社会生活・家庭生活に訳だったかを調査しました。ところが、あんまり役立っていないのですね。そして、教師にその評価は妥当か否かを問う調査をしました。その結果、妥当だと判断しています。つまり、大人も教師も学校で学ぶものはそれほど役に立たないことを知っているのです。なお、これも学術論文にまとめています。

 ということで、あれも大事、これも大事という人の主張には、私はもの凄く敏感です。そして、その主張の根拠は何かを調べます。大抵、というか100%はナイーブな主張です。つまり、「あった方がいい」程度のものです。

 私も「あった方がいい」ことは認めます。そもそも、「あった方がいい」の逆は「有害」なのですから。

 そんな程度の「あった方がいい」が積もり積もって、現在のカリキュラムになっているのです。似たようなことはありませんか?それは教師の書かねばならない書類もそうです。「あった方がいい」レベルで色々なところから求められた書類が山と増えているのです。

 「あった方がいい」という主張に知恵は必要ありません。責任を負う必要はありません。しかし、教育に必要なのは『これこれは「必ずしも全国民が」学ばなくていい』という主張です。これには知恵も必要だし、責任を負わねばならない。それは研究者の責務だと思っています。

 研究者になってから30年。今、その軸を得たような気がします。その軸とは、30年後、40年後の子どもが幸せになるために何を学ぶべきかという軸です。いや、それでも甘い。30年後、40年後の子どもが餓死、孤独死しないために何を学ぶべきかという軸です。

 「あった方がいい」という主張に悪意はありません。しかし、知恵も無いし、責任もない。