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授業公開の仲介のガイドライン http://dl.dropbox.com/u/352241/manabiai-data/koukai.pdf
だめで元々で、とりあえずドロップボックス(http://db.tt/bMZAZwx)とjimdo(http://jp.jimdo.com/)の無料アカウントを登録してみてはいかがでしょうか?実に簡単ですから。
本格的にトライする人も多くいると思います。その際、人とのつながりが大事です。身近にいる人と繋がれるとありがたいですよね。『学び合い』を実践される方は、『学び合い』マップ(https://www.google.com/maps/d/edit?mid=zDInXkSSxyO4.kNDji5uDNm0Y)に、是非、登録下さい。登録は、『学び合い』マップ登録フォーム(http://form1.fc2.com/form/?id=77081b4d4f40dd2f)から出来ます。 「私なんて、人になんか教えられるレベルに行っていない」と思う方へ。だからいいんですよ。一番知っている人が、一番の教え手ではないことは『学び合い』を実践しているならば、子どもを見れば分かるでしょ。それに、教える必要はないのです。共に学び合えばいいのです。いや、愚痴を言ったり、笑ったりする、それでいいのです。 是非、一人でも多くの人がマップに登録下さい。強く、強く、お誘いします。
15/09/30(水)
■ [お誘い]津軽の会

10月15日に青森県つがる市立瑞穂小学校で『学び合い』の研究発表があります。信州大学の三崎先生が講演されます。お誘いします。http://goo.gl/7dz9Kn
■ [大事なこと]支え合う

この事例とは違いますが、かつてやった研究です。
班の中での作業を記録分析しました。班の中には相対的に能力の低い子がいます。最初はリーダー格の子どもがサポートします。しかし、1ヶ月ぐらいで嫌になってきます。そうなると、遠回しな愚痴、ハッキリとした愚痴、非難となります。そして、仕事の分離をします。つまり、あなたはこれをやって、私はこれをやるというふうに協働を拒否するのです。やがてその子はいたたまれなくなり、授業中は別な班の中にまじります。さて、相対的に仕事の足を引っ張っていた子がいなくなったらどうなったか?リーダー格以外の子も別な班に言ってしまったのです。何故か、長い間、攻撃しているリーダーの姿を見ていたので、攻撃の対象がいなくなれば次は自分と思い逃げたのです。
ところが最後まで良好な班もいます。その班はリーダー格の子が最後まで能力的に低い子をサポートし続けました。
さて、二つの班の違いはどこでしょうか?
一見、リーダー格の子どもの性格のようです。
違います。
この研究をした人は現職教員で、攻撃した子たちもサポートした子たちもしっています。どの子も良い子で差は無いと感じました。
そこでリーダ格、また、相対的に能力の低い子以外の子どもの行動を調べました。その結果、そこに差がありました。サポートするリーダーの班の場合、リーダー以外の子も、少しはサポートしていました。ところが攻撃する班の場合は、リーダーだけがサポートしていたのです。
以下の事例では管理職だけの問題のようです。しかし、この事例の場合も、退職に追い込まれた人を周りの人がサポートしなかったのが問題です。そして、その様なことが起こったのは、管理職の問題です。「一人も見捨てない」ということを経営の根幹に据えていないからです。
多くの異学年学習は失敗し、『学び合い』の異学年学習は成功するポイントは、ここにあります。つまり、多くの異学年学習は最高学年のみにお世話係を期待します。しかし『学び合い』ではみんながみんなを支えることを期待します。
このあたりは『学び合い』を分かっていないと、分かりづらいかもしれません。
15/09/29(火)
■ [お誘い]大学院

大学院で学びたい教員志望の学生さんへ。その保護者の方へ。
中学校・高校免許を持っているが、小学校免許を取りたい。
中学校・高校免許を持っているが、他教科の免許を取りたい。
小学校免許を持っているが、中学校・高校免許を取りたい。
教員採用試験に合格したが、現場に出るまでに授業力をアップしたい方。
以下をお読みください。
■ [大事なこと]見識

教員養成系大学・学部が風当たりが強かったときはかつてもあります。その際、上越教育大学は0免で乗り切ることをしなかった。その代わりに「臨床」というキーワードで改革し、乗り切った。
その時の管理職の見識によって本学は今救われています。
■ [大事なこと]ギャップ

私の時代には名門と思われていた大学に簡単に入れるようになっています。今後は学問不問の試験で学生をかき集めるようになると、そんな大学に分数が出来ない生徒が入学するようになるでしょう。
その大学に入学した生徒、その生徒を入学させた保護者は、私と同じように、その大学に「名門」のイメージを持っています。だから就職は安泰だと思います。ところが状況は違います。
今から三十年前にはアメリカには大卒のタクシー運転手がかなりいました。日本がそうなりつつあるのです。タクシー運転手は立派な職業です。しかし、500万円のお金を費やし、学術を学ぶ意味があるとは、卒業後のタクシー運転手は思っていないでしょうね。
このギャップを早く埋めねば。
■ [大事なこと]2種類

文系改廃でゴタゴタしていますが、話が組み合わないのは当然です。実は、文科省、また、経済産業界が必要としている人材は2種類であることを意図的に出していません。一つはエリート、もうひとつはその他です。
エリートには即戦力を求めていません。でも、その他は即戦力を求めています。だからエリートを養成している大学に即戦力は求めていません。一方、その他を養成している大学には即戦力を求めています。
ところが文系廃止に対して、文系廃止が求められていない大学が反対の論陣を張り、文科省と経済界は我々はそれを求めていないと説明する。誰も嘘を言っていない。だけど、本当のことを言っていない。
しかし、その一方、文系改廃は意図ではないと文科省が説明しているのに、多くの大学が文系改廃を進めています。何故かといえば、文科省の中の一室で、文科省からちゃんとした説明を学長団は受けているからです。硬軟取り混ぜて。学内改革を進めるためには学長団は、表だって「はい、わかりました」とは言えません。
マスコミは文系改廃は流しますが、その背景となる日本経済の変化との関連で説明するところはないですね。なんでなんだろう。意図的に分からないふりしているのでしょうか?
http://image.itmedia.co.jp/l/im/news/articles/1509/11/l_yx_keidanren.jpg
追伸 嫌なことですが、第三の道があります。それは即戦力「も」求められない人たちです。熟達を求められない派遣とアルバイトです。その様な人が増えないように、多くの人は即戦力の能力を獲得すべきです。
15/09/28(月)
■ [う~ん]難儀

数学や自然科学の研究者は多くの人にはちんぷんかんぷんで、他の研究者からもどん引きされるような発想し、実証することが研究者の仕事です。多くの人にちんぷんかんぷんでも、他の研究者からもどん引きされるようものでも、数学や自然が判定者となってくれます。
ところが教育学のような社会科学の場合は違います。判定者は他の研究者という「人」です。それも、その道の権威と言われるような人、つまり、旧パラダイムで成果を上げていた人が判定者です。だから、その人達がどん引きされる研究は、研究として認められない。だから、旧パラダイムの装いを施さなければならない。しかし、学術の世界は説得の仕方の作法が決まっています。その「作法」さえつかめばそれは可能です。私はそれが上手い。だから、多くの学術論文の業績を得て、多くの学会賞をいただいた。
しかし、学として終わらずに、実践で実現したいと思うならば、多くの人から認めてもらわなければならない。これは難儀です。学術とは違って作法がないのです。さらに、新たなものを生み出そうという動機付けが学術と違って実践には基本的にはありません。
私は子どもを救いたいという教師の心はあります。しかし、頭の構造が理系の研究者なのです。そのため、理論的に考えてしまう。そして、多くの人からはちんぷんかんで、他の研究者からもどん引きされるような発想してしまう。『学び合い』の同志にもちんぷんかんぷんで、どん引きされるような発想が止めどなくわいてくる。
ところが、それを旧パラダイムの研究者に納得してもらい、『学び合い』の同志にも理解してもらうにはどうしたいいのかと思います。まずは、それがないと実践に結びつかない。56歳の私がそれを始めるべきかが悩むところです。理論的に書いて、あとはお任せね、もありかな?具体的な方法論は既に出来上がっているんです。
分に過ぎた妄想だけど、ヒルベルトのように23の問題を残したりして。
例えば、
「子ども達全員が幸せな一生涯をおくれるために、学校で学ぶことを精選するための基準は何か?」
「ネット時代に必要な教科内容は何か?」
などなど
ま、上記は方法論がハッキリ分かる程度のものですが。
■ [大事なこと]学ぶ意味

数学を学べば数学における論理的思考能力を高めます。しかし、数学を学ぶことが一般的な論理的思考能力を高めることを示した実証的な学術研究を私は知りません。そもそも一般的な論理的思考能力などはイリュージョンに過ぎません。だから学術研究がないのも当然です。
「数学を学ぶことが一般的な論理的思考能力を高める」は都市伝説のようなものです。
さて、幾何を学ぶことは今後の子ども達(数学者にならない大多数の子ども達です)にとって学ぶべきものなのでしょうか?
学ぶ価値はないと断定しているのではありません。あることを疑うべきです。疑うことによって、幾何を通して学ぶべきものが何かがわかります。
私のやりたいことは、そこにあります。
http://techon.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/092400430/?n_cid=nbptec_tecfb
■ [大事なこと]決定打

日本の教育を根本的に変える方法は簡単です。(ま、やれたらですが)
スーパーグローバル大学が大学入試でタブレット端末持ち込み可能、インターネット可能にして試験をすれば良いのです。問題は何?
そりゃ、現在、研究者が頭を悩ましている問題をぶつけるのです。
ただし、その問題の本質を素人でも分かる言葉に変換するのは、一流の研究者しか出来ません。が、スーパーグローバル大学にはそのような研究者が一杯います。
私だったら、「子ども達全員が幸せな一生涯をおくれるために、学校で学ぶことを精選するための基準は何か?」という問題ですね。
陳腐な回答と、そうでない回答を見分けるのは容易いことです。
追伸 通信履歴は記録されます。
15/09/27(日)
■ [大事なこと]一年

今数えたらば、今年は講演のための出張で宿泊するのは15日です(大学の仕事や資料収集のための出張は除きます)。これは驚異的です。不整脈を起こした年度は、講演のための出張で70日も宿泊したのですから。
その代わり、今年は9冊を出し、今年中にあと3冊が出ます。最初の原稿が書き上げるのは3日~6日ですが、推敲し、ゲラチェックを含めると30日はかかります。ということで、今年はほぼ本を書くことに費やした一年ですね。
■ [お誘い]福岡

九州ツアー(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20150918/1442526480)の続報です。11月14日、15日の予定(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/scorpion1104/20150927/1443319808)が公開されました。
■ [大事なこと]幸せ

本のタイトルには、多くの人が求めているものが何かが端的に表れます。例えば、「子どもを億万長者にしたければプログラミングの基礎を教えなさい」、「「灘→東大理III」の3兄弟を育てた母の秀才の育て方」という本のタイトルが目に入ってきました。最初に私も「億万長者になりたい」、「子どもを理IIIに入れたい」という気持ちがあることをカミングアウトします。その上で以下を書きます。
貧乏は嫌です。でも、億万長者にならないと幸せになれないわけではありません。ではいくらのお金が必要なのか?そして、それを明らかにするには、そのお金で何を買いたいかが決まらないといけません。そのためには、自分にとっての幸せとは何かを考えなければならないのです。
理IIIで得られるものって何でしょうか?私はあまり分かりません。きっとその本を手に取っている親も知らないと思います。高収入を得たいならば、学歴よりもコミュニケーション能力の方が大事だと思います。「白い巨塔」という小説によれば、科学研究費の配分を自由自在にあやつり、地方大学のポストを自由自在に出来るようです。しかし、実際のシステムに携わることによって、それがフィクションであることを知っています。少なくとも今は。そして、仮に本当であったとしても、それをしたいとは「私」は思いません。理IIIに入るような能力があるならば、もっと別な方面で活躍したら良いのではないでしょうか?少なくとも東京大学医学部出身者でノーベル賞を得た人はいません(もちろん、ノーベル賞受賞が幸せに直結するとはおもいませんが)。
為政者は日本が生き残るために、エリートとそれ以外の学ぶシステムを分けて、資源を集中させようとしています。そして、エリート以外に関してはジョブ型にしようとしています。そのためのアクティブ・ラーニングだと私は理解しています。私は、その方向性は正しいと思います。だれもかれもが東京大学に行くためのレースに参加し、そして99.998%が脱落する。そんなことより、一人一人が別々のゴールを目指せば良い。その選択のためには、自分にとって何が幸せかを考える必要があります。そして、どんなゴールであったとしても、ノブレス・オブリージュを意識するならば、それはエリート。つまり、子どもたち全員がエリートになれる。
11月に出す本では、自分にとっての幸せを問うことの意味を書きました。それを抽象論に終わらせるのではなく、具体の人生設計につながることを書きました。それを具体の教科内容におとしこむこと、それが私のやりたいことです。まずは第一歩です。
15/09/26(土)
■ [大事なこと]やりたいこと

本日は東信の会とスカイプで繋いだ。その会では、自主的な『学び合い』受験勉強をしているその地域のトップ高校の生徒の様子を見て、コメントすることです。『学び合い』の様子を見て、質問を受けました。実に良い質問ばかりです。その中に「これから西川先生が本当にやりたいことは何か?」ときかれました。
私の返答は以下の通りです。
『君たちはどんなになれば幸せになれるの?そもそも幸せって何?おそらく、君らは何も語れない。それは君たちの責任ではないし、私もそうだった。とりあえず、中卒より高卒、高卒より大卒、同じ高校、同じ大学だったら偏差値の高い方がいい。そう思って君らは今の高校に進学し、今、受験勉強をしている。でも、「中卒より高卒、高卒より大卒、同じ高校、同じ大学だったら偏差値の高い方がいい。」というのは本当だろうか?確かに君たちが大学に入るときはそれでも良いかもしれない。しかし、君らが大学を卒業した後の世界はどうかわからない。私がこれから本当にこれからやりたいことは、子どもたちに「君たちの幸せとは何か?」と教師が問いかけ、子どもたちにじっくりと考えさせられる教育、社会をどのように実現するかなんだよ』
授業方法としかアクティブ・ラーニングをとらえられず、子どもたちの幸せを抽象的に考えるのが不易なところを守る人の現状です。それは分かる。でも、子どもの幸せをリアルに考え、リアルに自分で出来るために様々な情報を自ら収集し、考えられる教師も必要です。多くなくても良い。2割は必要です。
ある子どもは将来は教師になりたいと言いました。子どもたち全部が興味関心を持てる授業は実現できるかを聞きました。セオリー通りのことをしゃべりました。その後、「君たちが教壇に立つころには、今よりもそれがやりやすい状況をそこにいるお兄さん・お姉さん(ゼミ生たち)が実現するよ。まっててね。」と言いました。そして、そこにいるゼミ生達に結果を出すことを求めました。
私にとっては普通ですが、多くの状況では異次元の時間が流れたのだと思います。
追伸 これを読むであろうゼミ生に向けて。自分が果たすべきミッションが明らかになるにつれて、私の術中に陥るのです。それは逃げられない。大丈夫。ゼミを卒業・修了すれば、普通の世界が広がっています。でも、その世界はドンドン変わっていきます。何故ならば、あなたと同じように、あなたの後輩が変えているから。
■ [お誘い]太田の会

10月24日に群馬県太田市で『学び合い』の会が開かれます。お誘いします。http://manabiai.g.hatena.ne.jp/kuro106ra/20150926/1443242630
■ [お誘い]仙台・東京に行きます

10月3日、4日に仙台と東京で大学院説明会があります。私が担当です。http://www.juen.ac.jp/060admissions/010graduate/010soudankai/2015-0305-1627-6.html
大学院に興味ある方、歓迎します。懇切丁寧にご説明いたします。
それと連動して、3日の夜の飲み会、4日の午前中に会を東京で開きます。どうぞおいで下さい。
■ [お誘い]越後『学び合い』の会

幸い、「アクティブ・ラーニング入門」(明治図書)、「すぐわかる!できる!アクティブ・ラーニング」(学陽書房)が爆発的に売れました。読者の中には「実際の『学び合い』のアクティブ・ラーニングってどんなの?」と思われている方もおられると思います。
どうぞおいで下さい。実際に見ないと分からない部分があります。
■ [大事なこと]無矛盾

ちょっと見には矛盾していることをゼミ生に求めます。一つは「日本を変えろ」で、もう一つは「家庭を持ち仲良く過ごす」ことです。しかし、私は矛盾を感じません。私の場合は互いが支え合っています。
私は「日本を変える」ことに関して家族を犠牲にするつもりは全くありません。でも、日本を変えることは出来ると思っています。それは、ごく小さいことで日本は変えられるからです。ただし、毎日やり続けること、みんなと一緒にやることと、これがポイントです。
昨日のゼミで、ゼミ生に「自分の出来ることは何か?」と聞かれました。私は情報発信することをまず求めました。ゼミ生に同級生、同僚でブログで情報発信している人が何人に一人かを聞きました。その結果、二十人に一人もしくは五十人に一人であると答えました。ということは、ブログで情報発信することは二十人、五十人分の影響力があるのです。ただし、それを読んで貰えなければなりません。読んで貰える最大のポイントは、毎日、更新するということです。これが言うは易く行うは難しです。私は、これを自分に課している。なお、このようにその時その時の自分の考えをまとめ、ブログに記録しているので、まとまった文書を書くのが容易いのです。だから3日で本1冊の原稿を書ける。というのは、そのタネとなる文章がブログ上で保存されているからです。
第二に、いっしょにやることです。人は大抵それが出来ます。ただし、ホモ・サピエンスが持っている対人能力は肉親・自分が所属している群れに対しての能力です。だから、物理的に会える距離の人との対人能力はトレーニングも意思の力もいりません。しかし、物理的に会えない人とつきあえるにはトレーニングも意思の力も必要です。何が必要か。ごく普通の誠意をやり続けることです。メールで聞かれたこと、依頼されたことに関して、無理のない範囲のことを「速やか」に対応することです。そして、遠方の人とも物理的に会う機会を設けます。
その結果として、私は47都道府県の中で「仕事をお願いできる人」が38都道府県にいます(今、指を折りながら数えました)。これは『学び合い』の同志の中ではトップだと思います。10以上の都道府県に「仕事をお願いできる人」は『学び合い』の同志の中で何人いるでしょか?拡大解釈しても5人ぐらいだと思います。私はそれが100人以上になって欲しいと思っています。
その地区の『学び合い』の会を開くのであれば、広域のネットワークは必要ではありません。しかし、今、『学び合い』は次のステージに進みつつある。例えば本にしても、様々な教科、学校段階、トピックスの本を企画するには日本中に広がるネットワークが必要です。それを持っているのがごくわずからだから、私が何でもかんでもやらねばならないのです。色々な方がそれが出来が出来るようになれば、『学び合い』本はもっと豊かに深くなると思います。それはシンポジウム・研究会も同じです。
学生には、「毎日、ブログを書き続けること」、「色々な地域の人とつきあえること」の二つをすることを勧めました。そして、「私が無理なことを言っている?」とにやりと言いました。
追伸 ま、ダイエットに関して「やり続ける」ことは出来ません。出来ていたら、スリムになっています。
15/09/25(金)
■ [大事なこと]たいした人生

ある学生に説教をしました。その学生は「どうせ僕の人生はたいした人生はおくれない」と言ったので、「お前はたいした人生とはどんなもんか分かっていない。多くの人にとって、たいした人生とは、生活できる仕事を得て、一生添い遂げる人と出会い、子どもを授かること。それが、たいした人生だよ。お前なら出来る。お前はバカだけど、一生添い遂げる人の指導の下に生きなさい」と言いました。私自身の人生です。
■ [う~ん]難儀

「治国は去り、乱国は就く、医の門に疾多し」という言葉があります。
研究者の性なのか、一段落つくといごこちが悪くなる。
定量的研究で研究者生活をはじめ、それが一段落すると認知研究をはじめました、それが一段落すると『学び合い』研究にシフトしました。
40歳で理科教育学会賞をいただき、42歳で教授になり、47歳で理科教育学会学会誌編集委員長になりました。理科教育学の世界にいたら、その頃から重鎮として生きることが出来ます。しかし、その頃になるとその世界の中にじっとしているのが辛くなります。
いま、その虫がむずむず動くのです。
■ [大事なこと]学問の王

私は大学で生物学を学びました。しかし、生物学をハッキリと理解するには化学が必要だと思いました。化学を学び始めると、それをハッキリと理解するには物理学が必要だと思いました。物理学を学び始めると、それをハッキリと理解するには解析学や線形代数が必要だと思いました。解析学や線形代数を学び始めると、それをハッキリと理解するには位相空間論が必要だと思いました。というころで生物学専攻なのに、読んでいる本は数学ばかりという変な学生になってしまいました。学部3年で生物学の素晴らしさに触れ、惚れ込みました。
大学院では教育学を学びました。最初に教育学の本を読んだとき、吐きそうになりました。その論理の甘さには反吐が出ます。古典を読みましたが、何故、こんなものが古典としてありがたられるのか全く分かりません。
でも、今は古典が古典であることの意味を理解できるように思います。そして、教育学こそ全ての学問の王であると思っています。何故なら、全ての学問は人が生み出すものです。その人を生み出すのが教育学だからです。(ま、そう思わせて下さい)
私の頭の中では、教育学研究によって人類のパラダイスを実現できる妄想がリアルに見えるのです。パラダイスには超科学技術は必要ありません。
15/09/24(木)
■ [大事なこと]幸せの未来

色々な媒体で、今ある仕事の多くは無くなり、子どもたちは今は無い仕事につくという情報が流れます。
このような情報が流れると、今ある職業の中で残る仕事は何か?と知りたがるのが大方の反応です。でも、正しくありません。今ある仕事の中で残る仕事も斜陽な職業です。そして、古い考えの人(つまり大多数の人)がそれが良い仕事と思うので競争が厳しくなります。
だから正しい反応は、今は無い仕事は何かということです。そして子どもたちを、今は無い仕事を生み出せる能力を育てるべきなのです。
二通りあります。一つはみんながうらやましくなるような新たな職業を生み出す人です。これを生み出せば大きな産業が生まれます。政府はそのような人材を育てようと必死です。が、これは一部の天才のみが出来ることです。
では圧倒的大多数の凡夫は何をしたら良いでしょうか?
それは、その人しかやろうと思わないことだと思う仕事です。大儲けは出来ません。しかし一定の数の人のニーズがあり、ネット販売を展開すれば生活できるような仕事です。きっとそんな仕事にはAIやロボットは参入しません。そして、そんな仕事をしている人がチームになったならば浮き沈みは緩和されると思います。
でも、今の多くの人にとっては魅力的ではありません。何故なら大儲けできませんから。でも、大儲けしようとすれば競争は激しくなり、AIやロボットに職を奪われます。だから大儲けすることを追い求めるのをやめるのです。みんなが求めるものを奪い合うのでは無く、誰でも得られるものの価値を見いだし、自分だけが求めるものは何かを自分が知ることです。
私が今本当にやりたいこと、それはアクティブ・ラーニングでも『学び合い』でもありません。幸せの創造が出来る子どもを育てられる教育です。
抽象的で分かりづらかったら、アルビン・トフラーの「富の未来」を読むことを勧めます。そして、私の理想社会の原型は高校時代に読んだホーガンの「断絶の航海」です(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20090101/1230772865)。
■ [大事なこと]フェードアウトの仕方

今考えると不思議なぐらい、若いときからフェードアウトの仕方を考えていたと思います。四十台の前半にはフェードアウトを考えました。考えてみれば、臨床教科教育学会を立ち上げたときから、我がこととして考えていたと思います。
第一に、研究者としてですが、後継者を育てました。教え子に博士の学位を与え、大学に就職させました。その中には私のかつての専門だった理科教育の認知研究の第一人者もいます。また、『学び合い』研究の次世代もいます。
次に、次世代を育てる資格である博士○合資格を取得しました。
以上によって、私はいつでも気楽に研究者としてフェードアウトできます。いま、私の代わりに重い荷物を背負っている教え子には、「町内会の会長と同じで、次の会長を育てたら私みたいになれるよ、ふぉふぉふぉ」と憎まれ口をたたきます。自分が背負えば、私が背負っていたものが重いものだということが分かります。かなりしんどいですが、私より数段上手です。
次に実践面です。
まず、理系の私的には当たり前なのですが、自分の名前を冠されることを極力避けました。それは神経質にです。自分の名前を冠されたら、責任が生じます。そして逃げられない。なによりも発展性がない。
私が名目上の「長」になる場合もありますが、基本的には『学び合い』の会は勝手連です。組織図もないし、規約もない。あるのは理論だけ。これまた教育の世界では希ですね。
最後のネックは「本」です。これもフェードアウトできそうな兆しが見えてきています。私とは関係なく、色々な人が『学び合い』の本を書き、発展させてくれればフェードアウトできます。そうすれば自分が書きたい本だけを書けばいい。そして教科内容の吟味にシフトできる。
最近、ある出版社からの本に関して、私がある程度地ならしをした後に、「私はここまでしたから、あとは私とは無関係に進めて下さい。著者の中にも入りません」と申したら、出版社の方がものすごく心配されました。おそらく、私が激怒したために、そんなことを言いだしたのだと思ったのだと思います。でも、私の本心は私と関係なく進むことが大好きなので、それが出来そうだと思ったのでそのように申したに過ぎません。
私としてはフェードアウトし、誰かの後ろでぬくぬくとしているのが大好きなのです。それだから、四十代の前半からフェードアウトを考えていました。
あともう少し、あともう少し、と自分に言い聞かせています。
『学び合い』の同志の方々にお願いです。フェードアウトさせて下さい。私の見るところ、同志の方々の多くに足りないのは、異質な人とのネットワークです。地域で固まらず、色々な地域の人と関わって下さい。お願いします。
15/09/23(水)
■ [大事なこと]引き方

あることを始めたら、どのように引くかを考えます。
法則化の最初、向山先生は私がビビるぐらいの私財を投じたと聞いています。しかし、責任を理解できれば、そうせざるをえません。私はそんなのは嫌です。そんな胆力は私にはありません。そして、家族が許すわけありません。私は小市民です。ですので、私はそういうのを避けました。そして、その方がいいと思いました。何故なら、個人が前に出れば、個人が発展の上限を決めるからです。私はそれほどの人間でない。だから『学び合い』に関して私が律速段階にならないように常に注意していました。
それを理解した上で、生涯で一度だけルビコン川を渡りました。それが臨床教科教育学会の立ち上げです。小心の私は生涯のボスである戸北先生を前面に立っていただき、裏方に引きました。何故恐れたのか、他人様から「会費」というお金を預かって、「もう駄目です」とは絶対に言ってはいけないことだからです。が、仲間達のおかげで、学術団体として公的に認めていただき、後進の研究者を育てたので、もう安心です。
自らの名前を前面に立て、お金の関わる仕組みを立て始めた方がいます。心から心配します。自分の引き際をどう考えているのか。その方を押し立てている人はもちろん本人がどう考えているのか、と。志の高さは分かります。でも、何かを始める年齢と、ソフトランディングを考える年齢があると思います。私は日本の教育にとって大事な方は、幸せなソフトランディングをして欲しいと願っています。町会長の最大の仕事は、次の会長を選ぶことです。でも、町の名前ではなく、自分自身の名前を冠したとたんに、どれほどの責任を負うのか。永遠に生きるつもりなのでしょうか。あ~。私には出来ないことです。
私個人の問題なら、私が引退すれば終わりです。でも、多くの人、その人達の「お金」に関することを引き受けるのはとても大変です。
■ [大事なこと]二流

私は高校教師として挫折し、大学に逃げこんだのです。私の一斉指導の能力はかなり高いと思っています。しかし、タフさが無い。だから、子どもと正対することによって知ってしまう彼らの業の重さに耐えられなかった。だから逃げ込みました。
教員養成系大学・学部の教師は、小中高の教師としては二流、三流です。研究者教員はもちろん、実務教員もそうです。小中高の教師として一流であるならば大学の教師になるわけありません。
子どもと正対することは辛いことです。しかし、同時に辛さと同じだけ得るものが大きい。そして正対する時間が長ければ、喜びを得られる時間も長くなる。
野球選手としては一流ではないが、コーチとしては一流の人がいます。さて、一流のコーチと、そのコーチの指導を受けている一流の野球選手のどちらが野球選手として多くのものを得ているでしょうか?私は後者だと思います。
私は本を書き、講演をします。私の本を読んでいる方、私の講演を聴いている方の中には私より多くの喜びを得ている方がいることを知っています。しかし、私は小中高の教師として一流にはなれないことを知っています。だから、大学教師として一流になろうとしています。大学教師の場合は、小中高の教師には求められない能力を求められます。それによって私に欠けている部分を補うことが出来ます。
そして、私のような人が教師になったときに、そして、その教師の教え子を救うために、もがいた結果が『学び合い』です。『学び合い』の仲間の中には私と似た香りがする人が多いです。つまり、子どもの業に共感するのに、耐えられない。その困り感があるから、今までとは違う道にトライするのだと思います。
追伸 小中高の教師にはあまり求められず、大学の教師に求められるもの、それは「貪欲」、「悪知恵」、「好戦性」であり、それらによる攻撃能力です。それが無い人は研究業績を上げることは出来ません。そして予算も獲得できない。なによりも教え子を守ることが出来ません。
15/09/22(火)
■ [う~ん]メインプレーヤー

ある雑誌を読みました。そこで感じます。
文科省すらも今後の教育行政のメインプレーヤーでないのですね。正確に言えば、教育再生実行会議に参加する現役の副大臣や審議官レベルの人は何が起こっているか分かっている。が、参加していない人は、自分たちがメインプレーヤーだと思っているようです。
早く気づいて、主導権を奪回して欲しい。
■ [う~ん]非効率

休みの日は受験生の息子を研究室に缶詰にします。その度に思います。学校にいる時間が一番勉強にならない。この缶詰が一番勉強になると思います。
慌てて付け加えますが、息子のお世話になっている学校の先生方の授業能力は、かなり、かなり高いと思います。授業参観に行くとそう感じます。明るいしい、教材研究はしっかりしているし、工夫もされています。見事です。が、それでも非効率です。
人の話を聞くよりは読む方が早い。それも自分に合った問題集を徹底的に繰り返すことが効率が良い。そして、自分に合った参考書を読めば良い。ある方が本に書いておりましたが、予備校・塾の授業は非効率です。それは名人講師と言われる人でもそうだと思います。自分に合った参考書と問題集を自分のペースで繰り返すことが一番効率が良い。
私は英語は大嫌いでした。高校2年の冬に初めて校外模試を受けました。偏差値は27だったのです。愕然としました。慌てて中学校から高校までの教科書の裏にある単語表で私が知っている単語を確認しました。「a」「the」を含めて100もありませんでした。これでは27もしょうがありません。そこで奮起して勉強しました。半年間で偏差値60を超えることが出来ました。私の5年の英語の授業より半年の学習の方が効率的です。
どう考えても今の一斉学習は非効率です。特に、学習能力のある子どもにとっては壊滅的です。
ふと思います。そのうち中高一貫校の進学校の子どもが気づくのではないでしょうか?結局、学校が提供できるのは質の高い授業ではないことを。そんなのだったら自分たちの自習の方が効率が高い。いわゆる進学校が提供できるのは、質の高い同級生であることに気づきます。そうなったら、保護者がフリースクールを立ち上げ、いっしょに勉強させるのです。
もしかしたらダイヤモンド社の東大合格ランキングで、フリースクール出身で大検で東大を受験した人が開成や灘を超えるかもしれません。可能性のある妄想だと思います。
追伸 そのため遠方から出張に戻ると、その足で息子を大学に拉致します。
15/09/21(月)
■ [大事なこと]才能

授業に関して才能のある方がいます。何の苦労もなく高レベルの授業が出来ます。例えば声です。何の力も加えずによく通る声を出せる人がいます。うらやましいな、と思えます。努力で授業能力を獲得した人は、才能のある人の授業を超えることはなかなか出来ません。しかし、負け惜しみかもしれませんが、努力で授業能力を獲得した人には強みがあります。
第一に、最高レベル時の授業を超えることはないですが、最低レベル時よりは相対的に高い授業が出来ます。才能の人は、一度歯車がずれると修正の方法が分かりません。何しろ自分の授業の仕組みが理解していませんから。努力の人は仕組みを自分で作ったので、修正の仕方が分かるのです。
第二に、才能の無い人、つまり圧倒的に大多数の人に授業改善の方法を示すことが出来ます。天才の指導は天才のみが出来ます。しかし、凡夫の指導が出来るのは凡夫です。
追伸 私は論文も本も人の十杯ぐらいの速度で書けますし、量もかけます。しかし、その方法は単純で公開しています。ただ、それをまねしつつけている人はまだいません。
■ [大事なこと]大人の戦い方

「多数決イコール民主主義ではない」という論をよく見聞きします。そのような論に出会うと、「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが」というチャーチルの言葉を思い出す。
どんな主義であれ、方法であれ全ての人が満足するものなどあるわけはない、と私は思っています。多数決に勝ると確信する方法を私は見たことがありません。最大の利点は「単純」だからです。物事、複雑にすると誤魔化しが入る余地がいくらでも生じます。
私は教科教育学出身です。教科の背景とする学問には長い歴史があります。そのため新参者の教科教育学は攻撃しやすい対象でした。色々と思い出はありますが、印象的な事例を挙げます。
博士課程の学生を指導し学位を与える資格は博士○合と呼ばれます。上越教育大学の博士課程は兵庫教育大学、鳴門教育大学、岡山大学との連合です。博士課程に関する資格は4大学で決められ明文化されています。そして審査は4大学で行います。私はかなり以前から博士○合の資格を取れる基準がありました。ところが大学の理科コースで連合の審査会に私の業績審査の書類を出してもらえないのです。
理由は「博士の学位を持っていないから」という理由です。一見もっともな理屈です。博士の指導をする人が博士の学位を持っていないのは変です。しかし当時の理科教育学の世界で学位を持っている人は日本中にも5人もいないのです。それは科学の世界と違う教育学の事情です。その現状を打破するために博士課程を新たに立ち上げたのですから。なによりも公的に定められた規則とは別に、自分たちの恣意的なルールで教科教育学をつぶしにかかっていることが嫌でした。
どうしたか。相手が私を潰した理屈を徹底的に調べ、その理屈の言質を取ったのです。そして、その相手の土俵で勝負し博士の学位を取得しました。そして、博士○合の資格を取りました。とってしまえば圧倒的に勝ちます。ま、それが怖いから潰したのでしょう。
どうでもいい思い出話を書きましたが、ようは、大人社会で弱い立場のものはグダグダ愚痴を言うより、相手の土俵で勝つしかないのです。その際、相手の土俵を徹底的に調べ、確認する必要があります。そうでなければ土俵をいつのまにかすり替えるから。
「多数決イコール民主主義」ではないというならば、「多数決イコール民主主義」で勝って、その上で「多数決イコール民主主義」を変えればいいのです。それが良い悪いの問題ではなく、法治国家における合法的な方法はそれしかありませんから。
賛成する側も反対する側も、二枚腰、三枚腰で戦い続ける。その動的平衡点が、「その時点」の最適解だと思います。私が嫌なのは、決まったとたんに収束することです。そんな程度かよ、と思ってしまいます。
■ [お誘い]東京での会

明日、9月22日に新宿で会があります。お誘いします。http://kokucheese.com/event/index/338271/
10月4日に会を開きます。なお、前日にも飲み会を予定しております。これは飲む場所が決まり次第、ご案内いたします。http://kokucheese.com/event/index/337432/
15/09/20(日)
■ [大事なこと]ルール

私は人とつきあうとき誠実であろうと思います。
私は対人スキルが上手くありません。おそらく自閉症スペクトラム傾向だと思います。
それ故、小中で友達は皆無、高校で一人だけが友達でした。
私の処世訓は、とにかく守るべきルールを徹底して行うということです。
でも、世の中で生きるためには、距離を持ったつきあい方では無理なことがあります。
家族に対しては無制限です。
ゼミ生に関しては、ゼミ生同士の中で不公平感がないようにします。
しかし、これは私の生活全般に無理が生じるのです。でも、それはすべきと思うからやります。が、私の管理下から離れたとたんに、一般のルールでつきあうようにします。そうでないと際限がないから。
一般のルールは単純です。みんなに公平であるルールを決め、それを適用します。そうでないと、裏切られると、3週間以上は落ち込むから。
私にとっては単純なルールなのですが、きっと多くの人には不自然だし、上手くない生き方のように思います。しかし、私は融通無碍な生き方が出来ない。だから、シンプルな生き方我しか出来ません。
追伸 これを書かせた原因の人は、絶対に、これを読まないことを確信しているので、書いています。だから、「私ではないでしょうか」という人は、絶対に違います。また、その手の確認は不要ですよ。
■ [大事なこと]違い

「やったふりアクティブ・ラーニング」と『学び合い』のアクティブ・ラーニングの違いはどこで判断したら良いでしょうか?
簡単です。「やったふりアクティブ・ラーニング」はアクティブ・ラーニングの授業をすること自体が目的になっています。アクティブ・ラーニングによってどのような子どもに育てるかという視点がありません。あったとしても、その授業でどのようなことが起こるかに終始しています。その授業の積み上げによってどのようなものが育つのかがありません。
教師は子どもを大人にするのが仕事です。板書したり、発問したりするのが仕事ではありません。しかし、子どもを大人にすることを放棄し、板書したり、発問したりするのが仕事になってしまっている。
もし、アクティブ・ラーニングが子どもを大人にする授業であれば、それは大人に置き換えられるはずです。例えば、アクティブ・ラーニングに「これこれの手立てが大事だ」と言う人に私は問いたい。「じゃあ、そのことを校長があなたにしたらどう思いますか?」と。そんなことをしたら、まず嫌な気持ちになるし、自分の頭を使いづらくなるし(つまり主体的になれない)、人と自由に関われなくなる(つまり協働的になれない)。おそらく、「子どもと大人は違う」と言うでしょう。それならば、「確かに違います。では、あなたの手立てと、大人の手立てをどのように繋ぐのですか?それを具体的に語って下さい。そして、その途中過程を小中高のどの段階でどのようにやるのですか?それを具体的に語って下さい?」と問います。しかし、語れないでしょう。だって、繋ぐつもりなんてないのですから。
15/09/19(土)
■ [嬉しい]ゼミ生

我がゼミはかなり特異なゼミであることを学生さんは感じます。学生さんが所属ゼミを選ぶ場合、学生さんの頭の中では、西川ゼミかそれ以外に最初に分けられ、それ以外がクラス作り系か教科系にわかれ、教科系が各教科に分かれる、そんな感じです。
そのため、歴代、良い意味でも悪い意味でもキャラが濃い人が所属します。特に、学部生の場合は先輩からの情報も流れるのでその傾向は安定しています。指導教員バカですが、かなり志の高い優秀な学生が多いと思っています。が、一方、めくら蛇に怖じず、で手のつけられない「バカ」(この言葉を私は必ずしも悪い意味では使いません)もいます。今年の学部3年の5人の見た目はさわやか青年です。しかし、つきあってみると5人ともバカです。全員がバカ、これは今までにはなかった。なにしろ教育実習における大研の日取りを私に教えないようにしているほどです。
5人のゼミ生の授業を参観しました。ビックリです。いずれも高レベルです。中には、今まで見た実習生の授業としては最高と思われる授業もありました(普通の先生でも最高レベル)。侮るべからず。5人ともダイヤの原石かも。
15/09/18(金)
■ [お誘い]千葉の会

9月26日(土)午後1時から5時に『学び合い』の会が開かれます。 千葉市生涯学習センターで行います。懇親会ありです。
内容は
1)古厩先生の「『学び合い』寺子屋」の発表
2)井上先生の「『学び合い』とアクティブラーニング」の発表
およびフリートークです。
コクチーズは
http://kokucheese.com/event/index/324042/
お誘いします。
■ [お誘い]若手本

2学期がはじまり、ちょっとしんどいなと感じている頃かもしれません。
私の新採用の学校は学力的には最底辺の定時制高校です。暴走族・暴走族OB多数、また、中学校の内申書が純粋無垢なオール1多数、そんな学校です。そんな学校で物理を教えたんです。偉いでしょ!若い私が半年ぐらいでなんとか授業らしきものが出来ました。それはその学校には尊敬すべき先輩教師が多くいたからです。その方々は教科は別です。でも、その方々から学びました。
教材研究云々では何とか出来ません。でも、短期間で何とか出来ることはあります。そのノウハウは、ゼミ生にはしつこいぐらいに語りました。私の「一斉指導」のノウハウをまとめたのが以下の二つです。
なぜか仕事がうまくいく教師の7つのルール(http://goo.gl/9eTyjI)
新任1年目を生き抜く教師のサバイバル術教えます(http://goo.gl/kkcNsH)
私がゼミ生に語るように書いた本です。
■ [お誘い]11月

11月9日に青森県で授業公開と講演をします(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20150902/1441173839)。
そのほかに11月14日から19日に九州ツアーをします。体のことを考えて、今年のツアーはこれだけです。第一報をお知らせします。
11月14日 福岡中州あたりで『学び合い』の人との飲み会
15日 午前に福岡で『学び合い』の会、午後に別府で『学び合い』の会
そのまま懇親会
16日 佐賀の西渓小中学校で『学び合い』の授業公開
そのまま懇親会
17日 大分県日出町藤原小学校で講演
夜は中津市教師塾で講演
そのまま懇親会
18日 中津市真坂小学校で講演
夜は佐賀県教育事務所の人が飲み会を用意しています。
19日 佐賀県みやき町立三根中学校で小中合同『学び合い』です。
なお、ご自身が上越教育大学の学部、大学院に進学希望の方、また、お子さんにそのことをお考えの方は、随時、私に声をかけて下さい。また、小規模校での『学び合い』の実施、特別支援の必要な子がどのようにしたら通常学級に溶け込めるか、その様なことを相談したい方も大歓迎です。また、『学び合い』の飛び込み授業をご希望の方がおられたらどうぞ。現在、長崎県から現職派遣で上越教育大学西川ゼミに所属されている院生さんが九州にいます。だから、飛び込み授業はウエルカムです。2時間で子どもたちを「魔法のように」変えて見せます。その相談もウエルカムです。
15/09/17(木)
■ [大事なこと]お願い

「すぐわかる!できる!アクティブ・ラーニング」(学陽書房 http://goo.gl/wzAxoH)の4刷が決まりました。2ヶ月で14200部です。驚異的です。一対をなす「アクティブ・ラーニング入門」(明治図書 http://goo.gl/iV8jI3)も好評です。
そこでお願いします。とりあえず上記の2冊の情報を積極的に発信し、周りの人に勧めて下さい。あれを読んでいる人が増えれば、「今までの実践の延長線上でいいんです」とは言いづらくなります。
■ [大事なこと]気づき

私の感覚的なものですが、「アクティブ・ラーニングは今の実践の延長線上でいいんです」というアピールは以前のものより強いように感じます。「生きる力は今の実践の延長上でいいんです」、「言語活動の充実は今の実践の延長上でいいんです」、「道徳の教科化は今の実践の延長上でいいんです」とは言ってなかったと思います。それは大事ですと行政は言っているように思うのです。
何故だろう?と思います。気のせいかな?
二つ可能性があります。アクティブ・ラーニングが生きる力、言語活動の充実、道徳の教科化とは違うことを感じているのかもしれません。もう一つは、私の気のせいなのかも。せめて前者であって欲しい。
■ [大事なこと]元に戻る

ある状況が50年以上続き、そ例以前の状況が分かる人が少なくなると、今の状況が昔からずっとあり、今後もずっとあると思い込んでいます。しかし、今の社会、特に経済産業の状況、また、雇用関係はたった70年弱のものです。
1954年末の神武景気から2014年末までのデジャブ景気の60年間には12の景気がありました。その総期間は429ヶ月(35年9ヶ月)です。つまり、基本的に好景気だったのです。しかしバブル崩壊後の景気(IT景気、いざなみ景気等)には「好景気」という実感がありません。つまり、昔とは違うのです。そして、今後、もっと違います。
学校関係者が全く知らないことが、「既」に決まっており、最終段階が来ています。先ごと労働者派遣法が改定になりました。そのことの意味、それ以前にそのような改定があったことを知らない人が、「アクティブ・ラーニングは今の実線の延長線上だ」と言っています。無知は罪だ。
■ [大事なこと]二枚腰

学内政治をしてきて感じるのは、最初に導入するときは色々ゴタゴタするのに、一度決まると腰砕けになる。そして、反対した人もその状況の中でどう生きるかを考え始める。
反対する人に本当に理があれば、何故、二枚腰、三枚腰で反対しないのか。そんな程度の理だったのか?と思います。多くの人はそれでいい。しかし、多くの人に理を語り続ける人がいるべきです。
反対する人にそれほどの理がなければ腰砕けになるのは当然です。しかし、そんな程度で反対し、遅らせるだけの反対は意味が無い、いや有害です。
社会的な課題には数学のような理はありません。何の価値に重きを置くかによって複数の理があります。いや、数学だって公理系を変えれば複数の理があります。
互いに、相手の理がよってたつ価値観を理解し、それとの比較で議論できれば良いのにな、と思います。健全な民主主義は流動的なものです。昔の言葉ですが弁証法的に発展すべきと思います。
と国会中継するテレビをみながら感じ、自らがこれからしばらく身を置く戦いにおいて二枚腰、三枚腰であるべきことを自覚するためにメモります。賛成、反対がお互いに二枚腰、三枚腰であるとき健全な発展が期待できます。
追伸 PISA型学力、21世紀型学力がもてはやされていますが、あれは中進国、発展途上国で必要なキャッチアップするために有効な学力です。あらたな知を創造するための学力ではありません。それは国際学力調査の順位と、ノーベル賞の獲得者数の順位を比較すれば明らかにです。その点では、経済・産業界の方が、教育の世界より先を行っています。ま、他人事ではなく我が事ですから。
15/09/16(水)
■ [大事なこと]指標

全国学力調査の順位より、自殺者のランキングを気にするべきだと思います(http://grading.jpn.org/Popy2117029.html)。何故なら、三十年後、四十年後の指標であって、1年の指標でないから。
しかし、自殺者に至る要因は様々です。一概に全国一律の条件では論じることは出来ません。しかし、為政者が三十年後、四十年後の指標を意識しつつ、教育を考えられたら素敵だと思います。
NRTの点数を上げるのは比較的簡単です。それなりの対策をすればなんとでも出来ます。だから、教育行政のトップから末端まであげようと思えば上がります。しかし、自殺者の少なくしようとしたならば、姑息な手段は効きません。
繰り返します。為政者が三十年後、四十年後の指標を意識しつつ、教育を考えられたら素敵だと思います。もちろん、三十年後、四十年後に結果を出します、では駄目です。三十年後、四十年度に、このような結果を出せる理論と、それに一致する施策を語れると素敵です。
■ [大事なこと]やったふり

全国の仲間から、アクティブ・ラーニングに関して「今のままでいいんです」の大合唱が起こっている実情の情報がリアルタイムで私の所に流れています。それは「生きる力」、「言語活動の充実」で起こったこと、そして今、「道徳の教科化」で着々と進んでいることと同じです。まあ気持ちは分かります。総合的な学習の時間で起こったことを再現したくないのでしょう。
でも少し滑稽に思います。
その話を聞いている人の中で、かなりの割合の人が私の本を読んでいる。だから、手品のタネを知っている。おかげさまで私のアクティブ・ラーニング本は爆発的に読まれています。
もし本屋に行って本を読む人だったら、素直に「今のままでいいんです」とは言いづらいでしょうね。だって、観客の1割程度人が手品のタネがバレていると思っていたら、その観客の前で手品を出来ません。
全国の同志の方にお願いです。それなりの立場の人が説明するとき、「倫理的・社会的能力」のことをふまえて「今のままでいいんです」という人がいたり、東京大学の受験問題の分析を踏まえて「今のままでいいんです」という人がいたりしたら、教えて下さい。そして、どのような理屈で説明しているかを私に教えて下さい。非常に興味深い。私の感覚では詰め将棋のようなものです。
まあ、無理だと思いますが、仮に理が通った説明があったとします。
しかし、第2波の攻撃が準備完了です。
今後、どんどん本が出ます。その本では雇用社会の変化を分かりやすく説明した本です。結局、学習指導要領の言葉遊びをしている人が手を出せない事実からアクティブ・ラーニングを説明しています。
勝てると分かっている勝負は、気楽ですし楽しい。しかし、山を越えると退屈になります。
かなりアグレッシブな表現ですね。
■ [お誘い]大学院説明会

10月3日に仙台で、翌日は東京で大学院説明会があり、私が担当します(http://www.juen.ac.jp/060admissions/010graduate/010soudankai/2015-0305-1627-6.html)。興味のある方、是非どうぞ。来年ということではなく、いつか行きたいレベルでも大歓迎です。おそらく説明会には時間があります。『学び合い』に関するお悩み相談でもおいでいただければ対応いたします。
3日の夜の飲み会、4日午前中のお仕事があれば、お申し出があれば対応いたします。ただし、20日までにお申し出下さい。先約優先です。なければ、自由観光いたします。
今年度は極力、遠方の出張は避けています。この機会にどうぞ。
■ [大事なこと]授業のみかた

私が授業を見るときは子どもの顔を見られる位置で参観します。でも、それを奇異に感じる方もおられるかもしれません。しかし、私から言えば、後ろから参観する方が奇異に感じます。
何故なら、後ろからでは子どものことが分からないのです。これは生物学的にも正しいと思います。ホモ・サピエンスは社会的な生物です。常に相手が何を思って、何をするであろうかを予想して生きています。そして、そのための能力を獲得しています。さて、我々が相手に接するとき、どの方向から接するでしょうか?明らかに正面を向き合って接します。それは数百万年前の猿人の時代から同じです。だから、正面からの情報を分析する能力を高めているはずです。
大脳皮質の中でどの部分をコントロールしているかという領域を調べると、表情を動かす領域が大きな領域を占めていることが分かります。ホモ・サピエンスにとって大脳皮質は最も貴重な資源です。それを無駄に使うわけありません。何のためにそれが発達したかと言えば、「目は口ほどにものを言う」ということです。
「私は子どもの背中から子どもを見取ることが出来る」と言われる方もいるかもしれません。しかし、ホモ・サピエンスが数百万年洗練した能力を一世代で凌駕できるとは信じられません。そして、仮にその人がその能力があったとして(信じられませんが)、その他の多くの人がその能力を獲得できないと断言できます。
次に、研究授業は何のためにやっているかといえば、授業能力の向上です。さて、「一斉指導」の授業中で、教師はどの方向から子どもを見ているでしょうか?前からですよね。
次に、道義的な意味です。前から見れば、子どもの視界に入ります。それが子どもの学習の邪魔になるという方もおられます。しかし、参観者の存在が子どもの学習の邪魔になるというならば、参観すること自体すべきではありません。参観者が前の方にいようと、後ろにいようと、子どもの気は散ります。ちなみに、筑波大学附属小学校に講演で呼ばれたとき、そこでの研究授業に参加しましたが、なんと体育館の真ん中に机を並べ、参観者がそれを取り囲んでいました。
『学び合い』では授業参観大歓迎です。何故なら、参観者の存在によって、子どもたちがいつも以上の姿を見せてくれるからです。例えば、それまで関わらなかった子どもが関わるきっかけになります。一斉指導における研究授業も参観者の存在が子どもにとってプラスになるように仕組むべきです。そうであれば、前にいる参観者の方が望ましい。
では、「一斉指導」における授業参観は何故後ろから見るのでしょうか?理由は子どもを見ていないからです。まあ、うっぷして寝ている子がいるかいないか程度の情報以上を必要としていないのです。その代わりに教師が何を言い、何を書いたかを見ているのです。何故か、「正しく教えれば、正しく分かる」という19世紀的な注入主義的なモデルの中にあるのでしょう。
私の場合は、「子どもがどのように受け取ったか」を重視しています。だから、前から見ます。
なお、『学び合い』の授業の場合、前も後ろもありません。あはははは
追伸 名人と言われる人の授業でも、前から見れば色々なことが分かります。子どもの目が泳いでいるのです。大村はま先生に自分が小学校時代に教えてもらったという教師に会ったことがあります。その方は「我々は、はま先生をババアと呼んでいました」とおっしゃっていました。これは当然です。小学校の子どもにとって、三十代の教師も「オジサン、オバサン」です。五十代は「オジーサン、オバーサン」です。では、六十代以上は何なんでしょうか?ちなみに、私は56歳です。さしずめ「クソジーサン」だと思います。
15/09/15(火)
■ [大事なこと]56歳

56歳になって、母親から「56歳になって感じることは?」と聞かれました。
私は母親の24歳の子どもです。
私の息子は40歳の子どもです。従って、息子に「56歳になって感じることは?」と聞くためには96歳にならねばなりません。医療技術の進歩によって、「憎まれっ子なんとやら」によって、それを聞けるかもしれませんが、聞けませんかもしれません。でも、どうでもいいことです。
「56歳になって感じることは?」の答えは「別に」です。年々、歳々、変わるものはありません。まあ、次に変わるとしたら退職後でしょう。でも、「退職して感じることは?」の答えも決まっています。
「なんで、あんなにハッチャキになっていたんだろう。バカみたい。」です。現役を必死に駆け抜けたならば、その感想しかありません。「まだ、やりたりない」と思えたとしたら、現役のときに手を抜いていたでしょう。現役でやりきって、でも、不十分の人ならば、後進をそだてると思います。そして「後はお任せ」になると思います。
でも、疲れない程度の仕事はし続けたいと思います。
■ [お誘い]講演

今週18日に、金沢の明成小学校で講演します。そして、急遽、10月7日に長野の下氷鉋小学校で講演します。内容は、この前の中野西高校で話した新作です。内容はアクティブ・ラーニングを受験制度の変化と雇用社会との関わりで話します。
講演会の最後には以下のようにまとめます。
アクティブ・ラーニングの定義は『教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称。学修者が能動的に学修することによって、認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る。発見学習、問題解決学習、体験学習、調査学習等が含まれるが、教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク等も有効なアクティブ・ラーニングの方法である。』です。
「結局、何をすれば良いの?」と思う人は定義の中の『発見学習、問題解決学習、体験学習、調査 学習等が含まれるが、教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク 等も有効なアクティブ・ラーニングの方法である。』に着目するでしょう。
もう少し一般性を求める人『教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称。』に着目するでしょう。
しかし、いずれもアクティブ・ラーニングを方法レベルでとらえています。そして、思いつけるだけの方法を列挙し、最後に「等」をつけ、「総称」でまとめているところに着目し、方法に縛りがないことに安心します。そして「今より、少しでも子どもが関わる場面を保証すればアクティブ・ラーニングだ」と思います。
学習指導要領の範囲内でアクティブ・ラーニングを理解しているならばそのような解釈も可能です。しかし、上記の定義の中に「認知的」と同時に「倫理的、社会的能力」が並列していることを見逃します。それは何故かを探れば「社会的基礎力」や経済・産業界の提言に至ります(PISA型能力とか、二十一世紀型能力ではなく)。そして、学習指導要領だけはなく文科省の施策全般を俯瞰すれば、アクティブ・ラーニングとは『今後の社会で活躍できる社会人(エリートとジョブ型)に子どもを育てる教育』であり、直近の課題として、『日本のトップ大学をアイビーリーグ化するための教育』であることに気づきます。少なくとも進学校の教師と保護者は既に気づいています。
しかし、文科省の施策だけではなく、政府の施策全般を俯瞰し、今後の雇用社会の厳しさを理解し、トップ校以外の子どもの将来を心配するならばアクティブ・ラーニングの定義は、『我が子が、教え子が三十年後、四十年後に餓死・孤独死することなく、豊かな人生を全うするための教育』となります。
さて、二つの定義を比較しましょう。
「今より、少しでも子どもが関わる場面を保証すればアクティブ・ラーニングだ」
と
「我が子が、教え子が三十年後、四十年後に餓死・孤独死することなく、豊かな人生を全うするための教育」
前者を語る人は無知なだけです。しかし、責任ある立場の人の無知は罪です。
■ [大事なこと]シンプルな生活

何か仕事をするためには、「家族の時間」、「平常の仕事」、「やりたい仕事」以外は出来るだけ捨てるしかありません。そのために、日常生活をシンプルにします。私の日常です。
5時半 起床
5時45分~7時15分 メールチェックと「やりたい仕事」を中心に行う。
7時15分~7時40分 朝食
7時45分 家を出発
8時 大学等着
8時~11時15分 「やりたい仕事」
11時15分~11時45分 昼飯(11時30分まではカレーとぶっかけうどんが200円です。私は家内の弁当ですが、一緒に行く学生さんのためにその時間に行きます)
12時~18時45分 「平常の仕事」(この間に2回ほど下の階の学生さんの控え室に行き馬鹿話をする)
18時45分 大学出発
19時 帰宅
19時~19時半 息子と風呂に入る
19時半~20時 メールチェック
20時~21時 夕食
21時~10時半 「やりたい仕事」
10時半 就寝
この時間をキッチリと毎日守ります。私はテレビを殆ど見ませんし、音楽は通勤の往復30分だけです。マンガは見ません。映画は出張の時の移動中に見ます。
ちなみに「平常の仕事」が6時間程度で収まっているのは、私のルーティーンな書類仕事の大部分はゼミのみんなでこなしているからです。そのため、私としては政治的なもの、予算的なものにエネルギーを費やせます。
以上の生活によって、私の生産量は維持されています。
■ [大事なこと]2割

ある主張をすれば、2割が賛成で、2割が反対で、6割が中間層。
5割以上の人が賛成になるのは無理です。
ようは中間層の6割が、賛成、反対のいずれの側の方が良しとするかです。
どうしたらいいでしょうか?
反対の2割を説得しないこと。無理です。説得しようとすると問題を悪化させます。ひたすら関わらないことです。
6割の人を説得することも避けましょう。変な宗教の勧誘みたいに思われます。
では、何をすればいいか、2割の賛成者を固めましょう。そして、その人達が、全員(反対者も含めて)にとって利と理がある主張を不特定多数に発信しましょう。
そして、「多様」な方法を「柔軟」にやり「続け」ましょう。
■ [お誘い]特典

教員志望の学生さんへ。また、教員志望の学生さんの保護者の皆様へ。
今年、教員採用試験に合格された方も、また、残念な結果になった方のいずれにも、上越教育大学教職大学院の場合、様々な特典があります。
教員採用試験に合格された方には特典があります。各県の教員採用試験を合格し名簿登載期間延長の処置を貰える人に関しては、教職大学院の授業料を全額または半額免除になります(http://www.juen.ac.jp/060admissions/010graduate/030info/files/2015-0107-1550.pdf)。ちなみに、大学院1年の際に受験し、合格した場合は、2年目の授業料は全学又は半額免除になります。
なお本学は学生寮が完備されているので安く生活できます(http://www.juen.ac.jp/090campus/030lodg/index.html)。
教職にとりあえずなりたいという人にとっては、魅力は無いかもしれません。しかし、合格した後に、今の学校現場で生き残りたい方へは耳寄りな情報だと思います。現職教員の院生さんとチームになって学び、実習を受けられることが上越教育大学の教職大学院の特徴です。つまり、採用されてから必要な自分より10歳、20歳離れた人と付き合いながら仕事をすることを学べます(http://www.juen.ac.jp/110request/h28_kyousyokudaigakuin/#page=1)。
教職大学院進学者に対する特例措置が様々あります。昨年度の資料ですが、推薦制度もあります(http://www.juen.ac.jp/kj/pdf/suisen.pdf)。また、先に述べた名簿登載期間の延長措置は多くの自治体で採用されています(http://www.juen.ac.jp/140career/files/PPgyouji_siryou_1_H25.7.31tokureisoti.pdf 申請期間に注意下さい)。これらの制度は毎年拡大されています。
小学校と中学校の交流人事がある自治体の場合は、中学校免許状だけだと不利の場合があります。出来れば小学校の免許をとることが有利です。何故なら、人事交流の自由度が増すからです。
また、中学校で受けるときも、社会科免許のみではなく、それに併せて技術や美術や音楽の免許を持っていることは有利に働く場合がりあります。何故なら、小さい中学校の場合、技術や美術や音楽で専任をとることは出来ず、非常勤にお願いするしかありません。その場合、専任教員の中でそれらの免許を持っている人がいれば、非常勤を雇わなくていいからです。
上越教育大学の教職大学院は「教育職員免許状取り増し」制度(http://www.juen.ac.jp/070graduate/files/2014-0722-1137.pdf)というのがあります。本学教職大学院は既に何らかの免許があることが入学資格です。しかし、それは何でも良いのです。例えば、高校の免許だけをもって入学した人が、本学で小学校免許を取得し、小学校で勤めている人もいます。
大学で教職免許を取得したが卒業後に教員以外の仕事をしていた。しかし、一念発起して教職の道を目指したい方もおられるかも知れません。そのような方へは教育訓練給付制度(http://www.juen.ac.jp/090campus/050fee/kyouiku_kunren.html)というのがあります。一般の大学院に比べて専門職大学院の場合は手厚い支援があります。
詳しくは、希望の教育委員会もしくは、本学に問い合わせ下さい(私に連絡していただければ、関係する部局に繋げます)。
これもご覧下さい。http://www.juen.ac.jp/kj/pdf/20150915.pdf
追伸1 学生さんの皆さん。教室に掲示物を貼る時、どのような視点で貼る物を選び、どのような配置で貼るべきか、一度たりとも大学で教えて貰ったことありますか?大学で教えて貰ったことは全て、勉強する気になっている子に有効な教材であり、指導法です。ところが、教師になって味わう悩みの8割の原因となる2割の子どもは、勉強する気になっていません。その2割の子をどうするか・・・。それらはその学校の先輩教師から教えて貰うことなのです。
追伸2 ちなみに本学学生さんの場合は、もう一つ特典があります。受験料が無料です。
追伸3 今後は教員の修士化、特に教職大学院修了生の優遇化は既定の事実だと思います。少なくとも、現在、受験する人が働き盛りの時には絶対だと思います。
■ [大事なこと]ナイーブ

あれも大事、これも大事、という人の根拠は学術的な根拠がないことが多い。残念ながら研究者も。
私の教師としての原体験は学力的には最底辺の高校で物理を教えました。当然、「なんで勉強するの?」という質問を受けました。そこで学部、大学院で学んだことを語りました。ところが見事に論破されます。ちなみに、妻帯者の男性は、伴侶を説得して下さい。子どもと同じように論破されますから。だって、そもそも普通の人が言っている「あれも大事、これも大事」は学術的に根拠がないのですから。
教科教育学で何が大事だということをまとめた論文は各教科でかなりあります。中には学会としてまとめられたものがあります。それらの多くは、その教科の背景としている学問の体系に準拠し、学ぶべきものを整理しています。しかし、これらの研究の決定的な瑕疵は、そもそも、その学問を学ばなければならないことを証明していないところです。だから、その学問を学ぶべきだということを暗黙の前提にしているのです。
私は色々な教科の人にその学問を学ぶべき理由を聞くと、非常にナーブ(素人的)なのです。例えば、「数学が分からないと買い物が出来ないでしょ」というようなものです。しかし、現在は計算できなくてもバーコード読み取りで問題なく買い物が出来ます。
理科の時間数が減ると理科教育関係の学会が、「資源のない日本は科学技術で立国している」のような論陣を張ります。私は日本の代表的な経済・産業団体の提言を全て洗い出し調べました。その結果、昭和50年代後半から、そのような団体から小中高の理科教育振興を求める提言はありません。つまり、経済・産業界は小中高の理科が大事ではないのです。それを学術論文にまとめました。私の知る限り、それを覆す学術論文を知りません。
また、数学は論理的思考能力を高めるという、一般的な能力を前提にした主張もあります。しかし、私の知る限り、それを証明した学術論文はありません。逆に、認知心理学の文脈依存性、領域固有性の知見によれば、その様な主張は誤りであることを論証できます。数学で学べる論理的思考能力は、数学における論理的思考能力です。たしかに数学者になるには必要でしょう。また、理系の仕事に就くには必要でしょう。ところが、国民の大多数は数学者にも理系の仕事にも就かないのです。そして、その国民の多くは「命題と証明」、「2次関数」を学ぶことを強いられているのです。
さらに、保護者に対して小中高で学んだことが成人になってから社会生活・家庭生活に訳だったかを調査しました。ところが、あんまり役立っていないのですね。そして、教師にその評価は妥当か否かを問う調査をしました。その結果、妥当だと判断しています。つまり、大人も教師も学校で学ぶものはそれほど役に立たないことを知っているのです。なお、これも学術論文にまとめています。
ということで、あれも大事、これも大事という人の主張には、私はもの凄く敏感です。そして、その主張の根拠は何かを調べます。大抵、というか100%はナイーブな主張です。つまり、「あった方がいい」程度のものです。
私も「あった方がいい」ことは認めます。そもそも、「あった方がいい」の逆は「有害」なのですから。
そんな程度の「あった方がいい」が積もり積もって、現在のカリキュラムになっているのです。似たようなことはありませんか?それは教師の書かねばならない書類もそうです。「あった方がいい」レベルで色々なところから求められた書類が山と増えているのです。
「あった方がいい」という主張に知恵は必要ありません。責任を負う必要はありません。しかし、教育に必要なのは『これこれは「必ずしも全国民が」学ばなくていい』という主張です。これには知恵も必要だし、責任を負わねばならない。それは研究者の責務だと思っています。
研究者になってから30年。今、その軸を得たような気がします。その軸とは、30年後、40年後の子どもが幸せになるために何を学ぶべきかという軸です。いや、それでも甘い。30年後、40年後の子どもが餓死、孤独死しないために何を学ぶべきかという軸です。
「あった方がいい」という主張に悪意はありません。しかし、知恵も無いし、責任もない。
15/09/14(月)
karakusa012015/09/14 23:06校内研修でも研究テーマは「協同学習」なのになぜか教科の話題になっています。話す論点がずれていつもう〜んと思っています。
jun24kawa2015/09/15 21:36黙っていましょう。そして、ご自身の実践で結果を出せば良いのです。
15/09/13(日)
15/09/10(木)
■ [大事なこと]ちゃくちゃくと

これからの日本社会の青写真が見えてくると、一見、バラバラなものが一つに繋がってきます。でも、あまりにも一つに繋がってくると、空恐ろしくなります。今でも、アメリカはフリーメイソンによって支配されているという都市伝説は絶えませんが、日本のどこかで日本を支配している組織があるのではないかと思いたくなります。
今年の4月から入国管理法が変わったのをご存じでしょうか?それによれば、今までにはない「高度専門職」(研究者、経営者・管理者)という分類が生まれ、その様な職種に就く外国人が仕事をしやすいようになりました。
そこに分類された「高度専門職1」は以下のような優遇措置を得ます。
複合的な在留活動の許容
在留期間「5年」の付与
在留歴に係る永住許可要件の緩和
配偶者の就労
一定の条件の下での親の帯同
一定の条件の下での家事使用人の帯同
入国・在留手続の優先処理
そして高度専門職1で3年間以上の人は高度専門職2になれます。その人は高度専門職1の優遇措置の他に、以下のような優遇措置を得ます。
「高度専門職1号」の活動と併せてほぼ全ての就労資格の活動を行うことができる
在留期間が無期限となる
つまり、日本のトップ校がエリートを育てられないならば、外国人を採用できる準備は整っているのです。国内では無敵な東大に海外のトップ校という強力なライバルが生まれたのです。
■ [大事なこと]成果が上がらないとき

『学び合い』は魔法ではありません。何でも解決できるわけではありません。しかし、すくなくとも「まし」になることは確かです。何故なら、一人で抱え込むより、子どもたちと一緒に乗り越える方がましです。
しかし、『学び合い』は成果が上がらないときどうしたらいいでしょうか?
二つのことをしてください。
第一は、『学び合い』のセオリー通りのことをやっているかを、確認して下さい。起こるべき問題は、95%以上、本に書いてあります。それを見直してくだい。
第二は、自分の心を問い直して下さい。そこに隙が無いかを見直して下さい。隙があっても恥じることはありません。人の子なのですから。隙があれば、それを自覚して下さい。
原因が分かったら、子どもたちに率直に謝り、仕切り直しましょう。全ての子どもが納得しなくても良いのです。クラスをリードする2割の子ども、すなわち、成績の上位層で、かつ社会的スキルのある子が分かればいいのです。ちゃんと語れば分かってくれます。
もし、同僚から「成果が上がっていない」と言われたら率直に認めましょう。そして、自分の一斉指導の方が成果が上がるのかを考えて下さい。おそらく、見栄えは良くなっても本質的には改善はないと思います。そして、改善の方向性が見えない。ならば、「自分の一斉指導の力量では、今以上にすることが出来ない」と言いましょう。
■ [大事なこと]高校本

今度の本の売りは、国語、社会、数学、理科、英語の高校教師が、かなりのページを割いて自らの実践を語っていることです。
それらを比較することによって、教科を超えて一致する『学び合い』のセオリーと、教科に依存するものを見いだして下さい。そして、5人の実践者は見た目も、タイプももの凄く違います。おそらく、教科の特性より、その「人」がフィットするかしないかを決めると思います。
本は高校教師をメンターゲットとしていますが、小中の先生にもお勧めです。『学び合い』の会に参加された方だったらおわかりの通り、学校段階を超えて一致するものはあります。小中の教科指導に活かせるアイディアがあります。
そして、それぞれの人が「幸せ」になっていることを読み取って下さい。
いつもながら、アマゾンは販売直後は品切れになります。急ぐ場合は、お近くの書店でお願いします。書店で注文すると、その書店で置いてくれるかもしれません。
■ [大事なこと]危機感

大型客船が沈んでいます。ところが、船の中では、船長およびAデッキのお金持ちのお客が、激論しています。
「本当に、沈むの?」
「今沈まれると困る、明日までに到着しなければならない。どうしてくれるんだ。」
「沈んだ後の保証はどうなっているんだ。ここで賠償すると明言しろ」
「そもそもこのような事態を想定したマニュアルがない。その中で、船長が退船を命令できる法的根拠があるのか」
Bデッキのお客どうしたらいいでしょうか?
そりゃ、勝手に救命ボートを下ろし、沈む船から出来るだけ離れることです。
以上、アクティブ・ラーニングにおける生き残り法でした。
追伸 マスコミももう少しまともな人をインフォメーションソースにすればいいのに。ま、大学を偏差値で選ぶように、肩書きで選んでいるのでしょう。重要なのは、その人の語ることの根拠が、個人的見解なのか、「村社会の論理」なのか、それを超えたものなのか、それを峻別しないと。
■ [大事なこと]定義

理系人間としては、まず、前提は何かをハッキリさせたがる。ま、研究者は文系でもそうですが。文科省は色々と表現を変えていますが、大本のアクティブ・ラーニングの定義は以下の通りです。これを崩すと高大接続が矛盾してしまう。
『教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称。学修者が能動的に学修することによって、認知的、倫理的、社会的能力、 教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る。発見学習、問題解決学習、体験学習、調査 学習等が含まれるが、教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク 等も有効なアクティブ・ラーニングの方法である。』
人によって、この定義をどうとらえるかが違いますね。
まず、「どうやればいいの?」と思う人は以下のところに重点を置きます。
『発見学習、問題解決学習、体験学習、調査 学習等が含まれるが、教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク 等も有効なアクティブ・ラーニングの方法である。』
もうすこし一般性を求める人は以下の所に重点を置きます。
『教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称。』
しかし、いずれも方法からとらえています。
目的、つまり、どのように子どもを育てたいかに着目する人は以下のようにとらえます。
『学修者が能動的に学修することによって、認知的、倫理的、社会的能力、 教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る。』
上記の定義の中に「認知的」と同時に「倫理的、社会的能力」が並列したことに注目し、何故かを探れば「社会的基礎力」や経済・産業界の提言に至ります。(PISA型能力とか、二十一世紀型能力ではなく)。そして、今後の雇用社会の変化という今回の一連の施策の本体を理解すると、以下のようにとらえます。
『今後の社会で活躍できる社会人(エリートとジョブ型)に子どもを育てる教育』となります。ちなみに、教授法、学習法ではありません。
また、直近の課題として、『日本のトップ校をアイビーリーグ化するための教育』となります。
そして、今後の雇用社会の厳しさを理解し、トップ校以外の子どもの将来を憂うならば以下のようにとらえます。
『我が子が、教え子が三十年後、四十年後に餓死・孤独死することなく、豊かな人生を全うするための教育』
最初の『発見学習、問題解決学習、体験学習、調査 学習等が含まれるが、教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク 等も有効なアクティブ・ラーニングの方法である。』とは次元が違います。
というようなことを、今度の中野西高校で講演します。
追伸 最初の方の定義でごたついている現状に脱力します。だから、メインプレーヤーになれないのに気づかない。
15/09/09(水)
■ [大事なこと]新作

今日、次の本の第1稿が出来上がりました。何故急いだかと言えば、次の講演に新作を出したいと思ったからです。筆が進み3日間で初稿が書き終わりました。書きたくて書きたくて、言いたくて言いたくてしたことだからだと思います。この原稿はこれから長い推敲期間に入ります。
しかし、この私の思いのままを原稿を、次の講演のパワポにまとめました。最後の方は泣きながら打ち込みました。書きながら、高校教師時代の罪を思い出したからです。
9月12日に長野県中野西高校で高校の異学年『学び合い』の授業公開と、私の講演を行います。もともとは地元の中学校の先生方にご案内しておりますが、その他の方もオープンにしています。我がゼミ生も参加します。絶対にお勧めです。
15/09/08(火)
■ [大事なこと]評価

ネットサーフィンをしたり、FBのタイムラインを見たりしていると様々な意見や情報が流れてきます。例えば、原子力発電所に関しての情報が素人の私には分からないのです。おそらく、再開を賛成する方も「絶対に安全」とは思っていないと思います。逆に、再開に反対する方も「再開したとたんに大惨事になる」とは思っていないと思います。ようは危険性の程度の評価が違うのだと思います。その差は、何を根拠としているかが違うのだと思うのです。しかし、素人の私には評価できません。
で、素人考えなのですが?
ロイズに原子力発電所の事故に関して無限責任の保険を組むことを依頼します。それを発電所ごとに依頼するのです。その金額が危険度を端的に表し、それを日本が出すか、どうかで色々と分かります。
きっとロイズは「我が事」のように計算するでしょう。だって、失敗したら破産するのは自分なんですから。
素人なので「お金」に換算してもらうと分かりやすい。いったいいくらぐらいになるのだろう。ま、素人考えです。
15/09/07(月)
■ [大事なこと]プレーヤー

今書いている本に以下のことを書きました。明日は、プレーヤーになってやるべきことを書こうと思います。
「教育委員会が逃げ道を用意しても、しなくても変わりありません。さらに学習指導要領が逃げ道を用意しても、逆に、用意しなくても変わりありません。
結局、多くの教師と学校は「そこそこ」で済まそうと思います。しかし、大学入試の結果が出たときには気づくでしょう。つまり、「今回のゲームに関して、教員や学校や教育委員会はメインプレーヤーでない」ことに気づくのです。
では、メインプレーヤーは誰でしょう。大学でしょうか?大学入学センターでしょうか?そう思っている人もいるでしょう。だから、今回の高大接続プランを出来るだけ骨抜きにしようとしています。例えば諸外国では既にそのような入試が実施されているのにもかかわらず、技術的に無理だと主張します。確かに難しいことは確かです。しかし、それは何かを変えようとするとき困難はつきものです。しかし、不可能とは違います。
政治の世界です。100%の勝利はあり得ません。改革派とそれに反する人たちのいずれも不満足な妥協案に陥るでしょう。しかし、自らが望む人材を大学が養成しなければ、企業は大学生を採用しません。最悪、外国の人材を採用するのです。そして、外国人の上司の下に日本人の部下が働く「日本企業」が生まれます。その時なって気づくのでしょう。つまり、「今回のゲームに関して、大学や大学入試関係者はメンインプレーヤーでない」ことに気づくのです。
では、メインプレーヤーは誰でしょう。企業でしょうか?おそらく、企業はそう思っていません。何故なら厳しい現実に日々さらされているからです。
メインプレーヤーは世界市場の中で生き残ろうとしている、少子高齢化で傷ついている「日本」なのです。
その視点で現状を見るとき、滑稽です。
さて、その視点に立った教師、学校は何をすべきなのでしょうか?それは今回のゲームのルールを理解することです。そうすればプレーの主導権を握れます。」
具体的に何をすべきかを考えられるのは我々なのですから。
15/09/06(日)
■ [大事なこと]量産体制

今書きたいこと、書かないと子どもたちの将来が大変だと思うことが多すぎます。そして、それぞれに関して、伝えるべき人に合わせた表現をしなければならない。
今は道を開くこと。そして次の人に繋ぐこと。
■ [大事なこと]その他の時間

ゼミ生に言うことです。
私はゼミの研究に全てを費やせとは言いません。そんなのは不自然です。例えば、彼女・彼氏との時間は大事です。その他、色々な大事なことがあります。それをやるなとは言いません。
ゼミの時間はとても大事な時間です。大学はそのためにあると思っています。それ以外は時間はどうでもいいことです。ゼミの時間に教員から個人的に指導されることが大学教育の醍醐味です。それ以外は自分で本読んだ方がいい。
だから、ゼミは大事な時間です。
どうしたらいいか、大事な時間以外を減らすことです。
例えば、楽しみのための時間は大事です。でも、それほど楽しんでいない時間を削りましょう。そして日々の生活を出来るだけシンプルにすることです。
私が多くの論文を書き、多くの本を書けるのは、それを徹底しているからです。
今から5年前に以下をアップしました。息子の成長によってスケジュールは変わりましたが、シンプルな生活をずっとし続けていることは変わりありません。
http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20101212/1292148556
ちなみに、今日は息子の体育祭の参観をしました。親ばかでビデオ撮りまくりです。しかし、2時に研究室に行ってから4時間で、今書いている本の4分の1を書きました。
15/09/05(土)
■ [嬉しい]29年

高校教師から大学に異動してから29年。ついに、ついに「高校教師用」の本を出します。教科の内容に踏み込んだ内容です。もちろん、小学校、中学校の教師が「高校だったらこうするんだ」と学ぶのは最適です。
売りは5教科の高校教師の熱い実践です。
いつもながら、アマゾンは販売直後は品切れになります。急ぐ場合は、お近くの書店でお願いします。書店で注文すると、その書店で置いてくれるかもしれません。
■ [お誘い]新宿の会

9月22日に新宿で『学び合い』の会が開かれます。お誘いします。http://manabiai.g.hatena.ne.jp/Kyo_Tokyo/20150905
■ [大事なこと]ヴィジョン

大学や入試センターやその他様々な人たちが「やったふりアクティブ・ラーニング」をしようとしても企業はそれを許しません。企業はアイビーリーグで使っているノウハウで人を採用し始めます。
仮に、成績が超甘な大学であっても、各学年でどのような科目を履修したかということは大学の成績表を見れば分かります。例えばマスコミ系の企業の入社面接の際、「私はマスコミに興味があります」と言っても、履修した科目にそれが現れていないならば嘘だということが分かります。
ジョブ型大学の場合は、そのカリキュラムに現れるヴィジョンが評価されることになるでしょう。従ってカリキュラムポリシーを総花的には書けなくなるでしょう。そして、学生と面談し、丁寧に履修指導をしなければなりません。
さらにアイビーリーグのノウハウを使うならば、事前に各種の書類を送り、それを人事が時間をかけて選ぶのです。その中で推薦状が重視されるようになるでしょう。その場合、その学生の履修履歴、大学のカリキュラムを根拠に学生のヴィジョンを書ける人の研究室の学生が採用されることになります。つまり、各種の予算獲得が上手い人が、学生も売り込めることになります。理系だったらよくある「あの先生の学生だったら」という関係が生まれます。そうなったら、教員も安易に推薦状を書けなくなります。ゼミ生に対して「後輩のために、君には推薦状を書けない」ということになります。
どんなに大学や入試センターやその他様々な人たちが「やったふりアクティブ・ラーニング」をしようとしても逃げられないにな~
15/09/04(金)
15/09/03(木)
■ [大事なこと]若い頃

いやらしいことを書きます。
私は20代から30代まで、山ほどの非『学び合い』の学術論文を書き、多くの学会の賞をいただきました。それ故、私が何を言ってもやっても学術からの攻撃は受けていません。受けたら、「じゃ、学術のお話でやりましょうか?」と言えるから。だから、私を攻撃する人は、私の学術での実績を知らない、非学術の人だけです。大学の人でも非学術の人がいますが、大学の学術の人だったら、ちょっと調べれば手強い相手であることは分かりますから。学術のルールが分かる人は、私がどんなことを言っているか分かります。でも、実践の人だって手強い相手であることは分かります。ですので、私をあからさまに攻撃する人は、学術でもないし、実践でもない人ですね。
今思います。あのとき、馬車馬のようにやってよかった。
■ [大事なこと]短期戦略

同志への業務連絡です。
この1週間ほどで2冊の本を完成し、組み版作業に入りました。
一つはキャリア教育関係です。最初に出した『学び合い』アクティブ・ラーニング本は受験との関わりでアクティブ・ラーニングの姿を明らかにしました。しかし、本当のアクティブ・ラーニングを理解するには、今後の雇用社会、そしてローカル社会の再生のあたりがわからないと分かりません。先行する『学び合い』アクティブ・ラーニングを合わせて読むと、今起こっているアクティブ・ラーニングの迷走状態がコップの中の嵐に過ぎないと分かります。分かってしまえば、ちゃんちゃらおかしいことが分かります。
私はアンテナの高い人たちに、5年後の世界ではなく、30年後の世界を分かってもらいたいと思います。それを分かった上で5年後を逆算できる人を広く生み出したい。それが迷走状態の期間を短く終わらせる道だと思います。既得権益を持ち、逃げ切りたいと思っている人が迷走させているのです。逃げ切れない人たちに、下手するととてつもない借金を背負うことを理解してもらいたいのです。
もう一つは、親本です。
『学び合い』のセオリーです。変わりたくない人、分かりたくない人を、変えたり分からせたりすることは無駄で悪化させます。だから、今、困っている人を見いだし、その人に適切な情報を提供したいと思っています。今の教育改革がなんであるかを一番本気になって知ろうとしているのは「親」です。都心部の中高一貫校の情報を必死になって知ろうとしている親です。少なくとも、その親の発する質問の方が、やったふりアクティブ・ラーニングをしようとしている教育関係者より遙かに正鵠を得ています。出版されたら保護者に紹介して下さい。ごく一部の人は読みます。そして、その様な人がキーパーソンなのです。
今は時間の勝負だと思っています。是非、力を貸して下さい。悪意のない、無責任な大人から子どもを守りましょう。
■ [大事なこと]人材

おそらく今、大学で一番必要であり、人材がいないのは本当のアドミッションオフィースが分かる人だろうと思います。日本の大学人がいくらこねくり回しても、数百年のトライアンドエラーの末に確立した英米のAO以上のものはでないでしょう。少なくとも、完全に模倣しきってからでないと乗り越えられない。彼らはそのノウハウで、ノーベル賞をばかすか獲得しているのです。今の日本に必要なのはPISA型能力ではありません。あれは発展途上国が必要な能力です。今後の日本に必要なのはノーベル賞をばかすか獲得できる能力です。
PISA型学力(その延長上の21世紀型学力)をありがたがっている現状にげんなりします。
15/09/02(水)
15/09/01(火)
■ [大事なこと]大人2

大人に育て、有能な社会人に育てる方法は一つしかありません。
まかせ、失敗させ、乗り越えさせる。
です。
その際のリスク管理は、「死なない」、「怪我しない」、「心に傷を与えるような人権侵害は許さない」の3つだけでいいと思います。
その日その日の課題が達成したかしないかで一喜一憂することはありません。中長期で考えましょう。一人で乗り越えられない人はいます。そこで必要なのは直接手助けすることではなく、互いに支えるチームを維持することです。そのために高い志のミッションを与え、語り続けること。それが教師であり、管理職の仕事です。
と私は思っているんだけどな~。
でも、多くの人は、細かい手立て、手順、課題で何とかしようとする・・・
■ [大事なこと]大人

私には当たり前すぎることが、多くの人には分からない。それが歯がゆい。
教育は子どもを大人にすることです。そしてアクティブ・ラーニングは有能な社会人にすることだと思っています。
だったら、色々と細々した仕掛けをアクティブ・ラーニングに組み込もうとするのだろうか?私には、そこから育てられる子どもと、有能な社会人とを繋ぐ線が見えないのです。おそらく、繋ぐつもりが無いのだと思います。
自分の現状は見えるけど、達成すべきものが見えていない。
二十年後、三十年後、四十年後の子どもの未来と今を繋ぐにはどのようなヴィジョンがあるか?それが見えないアクティブ・ラーニングはアクティブ・ラーニングではないのに。
今までは学校が二十年後、三十年後、四十年後の子どもの未来を考えずにいても、企業が二十年後、三十年後、四十年後の子どもの未来を考えていた。しかし、終身雇用が崩れる今後は企業ではなく学校の責任です。
大学は企業の養成機関じゃないという理屈は分かります。でも、考えて欲しい。
小学校は中学校でしょと、思い。中学校は高校でしょ、と思い。高校は企業や大学でしょ、と思い。大学は企業でしょ、と思う。そして、今、企業が「それは私の仕事でない」と言いだしたら、だれが二十年後、三十年後、四十年後の子どもの未来を考えるんだ、と言いたい。少なくとも企業は育てる義務はない。しかし、学校には義務があるのです。
■ [大事なこと]責任

ある人からあるシンポジウムのことを聞きました。そこでは来たるべき社会に対応するために、社会(企業)で必要とされる能力をいかに大学が与えるかという実践が報告されたそうです。その後に、高校生が「大学は勉強のやりたい人が行くところで、仕事に就くために行くところではないと思う。大学をどんなところだと思いますか?」(伝聞なので正確ではありません)と質問したそうです。
で、西川先生だったらどう応えますか?とある人から聞かれました。私ならば以下のように応えます。
「君のように自分の学びたいことを学ぶために大学に行く人もいる。でも、就職するために大学に行く人もいる。そのような人のためには、企業で必要とされる能力を確実に学べる大学は必要だと思う。だから、君のように自分の学びたいことを学ぶために大学に行く人は、企業で必要とされる能力を学べるか否かで大学を選ばなければいいよ。君が学びたいことを学べる大学を選んで下さい。ただし、君が学びたいことを学んだ大学を卒業した後に、君を採用し、給料を与える義務は企業にはないよ。君が就職を願うとしたら、自分が採用に値する人であるかを証明する責任は君にある。だから、君が就職するつもりがあるならば、君自身が自分の学びたいと思ったことが採用に値するものであることを証明しなければならない。どのような大学に進学するか、君が判断しなさい。ただ、私の子どもからアドバイスを求められたら、個人で説明責任全てを背負うのは大変だよ、とアドバイスするね。」