西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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本格的にトライする人も多くいると思います。その際、人とのつながりが大事です。身近にいる人と繋がれるとありがたいですよね。『学び合い』を実践される方は、『学び合い』マップ(https://www.google.com/maps/d/edit?mid=zDInXkSSxyO4.kNDji5uDNm0Y)に、是非、登録下さい。登録は、『学び合い』マップ登録フォーム(http://form1.fc2.com/form/?id=77081b4d4f40dd2f)から出来ます。  「私なんて、人になんか教えられるレベルに行っていない」と思う方へ。だからいいんですよ。一番知っている人が、一番の教え手ではないことは『学び合い』を実践しているならば、子どもを見れば分かるでしょ。それに、教える必要はないのです。共に学び合えばいいのです。いや、愚痴を言ったり、笑ったりする、それでいいのです。  是非、一人でも多くの人がマップに登録下さい。強く、強く、お誘いします。

15/06/30(火)

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 私が受ける代表的な質問に、「学びの共同体との違いはどこにあるのですか?」というものがあります。今までは考え方のレベルの説明(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20081124/1227514428)をしていました。でも、最近はもっと簡単なレベルの説明をしています。それはマニュアルがあるか、ないか、です。

 『学び合い』には様々なマニュアルがあります。言葉がけの仕方、見取りの仕方、課題作りの仕方のマニュアルがあります。そしてそれらの仕方の背景にどのような考え方があるかを書いてあります。また、理論に関してもネットブックでアップしています。だから、私や私に直接指導を受けた人に問わなくても、『学び合い』の実践は出来ますし、その質は判断できます。そして、そこに書かれているノウハウはシンプルです。起こるであろう失敗は出尽くしていて、分析され、対応策も整理されています。だから、経験のない教員でも安心して出来るマニュアルがあるのです。

 学びの共同体で目指す教師の姿は、現状の一斉指導における教師の究極の姿です。たから多くの教師の心をとらえます。ただ、カリスマ教師に憧れる人は多いですけど、カリスマ教師になれる人は少ない。だからカリスマ教師なのです。

 『学び合い』は子どもを一人も見捨てたくないけど、教師も一人も見捨てたくない。だから、マニュアルがあります。だから、学校で取り組めます。

追伸 違いを問われるたびに思うことがあります。学びの共同体とは何か?と。随筆ではなく理論書が無いのでその実態が捉えられないのです。例えば、学力という言葉があり、教師の間で普通に使われます。しかし、学力の定義はありません。各人が別々なことをイメージしている。浅い議論で済ますだけならいいのですが、具体的にいっしょにやると同床異夢になります。理系人間の私にはそれがとても「いずい」(仙台言葉)のです。