西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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15/06/08(月)

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 2014年9月16日に「@」以下を書きました。おそらく今年の下旬頃から第三段階に移行すると思います。アンテナの高い方の中に「パクリ」に移行した人がいます。

 同志の方々は気づいていますか?5年ぐらい前でしたら、「学び合いの奴ら」とか「死んじまえ」のような2チャンネル的な発言をする方がかなりいました。中には実名でそのような発言をする研究者や教師がいました。その頻度がかなり減ったと思います。

 理由はいくつかあります。

 第二段階の人は本を読まず、見た目の異質さに反発しています。ところが最近は、見た目の異質さの背景にある、ごく普通の理屈があることが分かる書籍が充実しています。第二段階の人の中に、その書籍を読み、自分は実践しないにしても「まあ、これもありかな」と思われる方が増えたのだと思います。

 もう一つは『学び合い』の実践者が増えたため、それを単純に否定すれば危険があると感じ始めたのだと思います。少数者が無視し得なくなったとき、その権利が認められる例は歴史上いくつもあります。最近だったら「性的マイノリティ」という言葉が認知されたことにも現れます。

 私は民主国家の市民の権利意識が醸成されるに従って、今の教育は崩壊すると確信しています。民主国家の市民を育成するのは、啓蒙的専制君主の教師が君臨するクラスでは不可能です。民主国家の市民を育成するには、市民たる子どもが法に基づき合意形成をするクラスで育つ必要があります。その中で教師は法に基づき行動する公務員になるべきです。

 民主国家において封建制度が残っているならば、革命が起こります。私は成績上位者が教師を見限る「良い子の反乱」によってそれが思っていました。ところが、文科省が大学入試改革という禁じ手で現在の教育を改革することを予想していませんでした。それほど経済産業界が危機的な状況にあることを理解していませんでした。

 先だっての京都の会で、イノベーターの発言を聞いて、アーリーマジョリティがため息を出す場面を目撃しました。今までだったら、アーリーマジョリティの人は無視するか感情的に反発するかのいずれかでした。しかし、アーリーマジョリティの人も変化は避けられないと理解しつつあるのだと思います。だから、取引をし始めます。

 もうこうなると「な~んちゃって『学び合い』」は避けようがなくなります。その中で私が出来ることは、「『学び合い』/「なーんちゃって『学び合い』」」比率を高めることです。そして両者の合同『学び合い』を推進することです。

 さて、そのために何が出来るか、と考えています。とりあえず、この1週間で2冊の原稿を書き終えました。

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 何度か書きましたが、死に直面した患者がどのような行動をするかという研究したロスの「悲嘆の五段階説」というのは面白いです。

 第一段階は、その存在を否認し、たいしたことはないと無視します。第二段階は、怒りで攻撃的になります。第三段階は取引です。第四段階は抑鬱です。そして第五段階が受容です。

 『学び合い』は非常に面白いグループ学習だと思って飛びついた人は、しばらくして、自分の大事なところを変えることを求めていることに気づき、無視するようになったと思います。つまり、「『学び合い』。あ、新潟の先生の本で読んだことあるけど、でもね~、あれは理想論だよ」と片付けるのが第一段階です。

 3年~4年前から第二段階に達しました。つまり、このまま進むと自分では制御不能のレベルになりそうなので、とにかく潰そうと思います。が、感情的なレベルなので、つぶし方が稚拙です。感情的なので攻撃も稚拙です。何の資料も読まずに表面的なことを感情的に述べ立てます。

 最近は第二段階から第三段階に移行しつつあるようにあります。つまり、資料を読み妥協点を探り始めたようです。ただ、出発点が「自分は変わりたくない、納得したくない」なのですから読み方が浅く、不正確です。

 では、次はどうなるでしょうか?私にはありありと見えます。「『学び合い』で言っていることは、我々のパクリだ」と言うはずです。その言明の一部は正しく、一部は間違っています。

 教育自体は、数百万年以前からホモサピエンスは行っています。我が国の学校教育においても、積算すれは十億弱の人が十数年間の営んでいるものです。ありとあらゆることが起こり尽くしています。優れた教師も多く、多くのノウハウは蓄積しています。『学び合い』で述べていることは100%天地開闢以来はじめてだと主張するつもりはありません。『学び合い』は自然科学をモデルにしています。過去の事実はちゃんと踏まえ、その基礎の上に成り立っています。『学び合い』の始原の形は、優れた教師の姿をモデルにしています。それを整理したものでした。ただし、『学び合い』の特徴は、徹頭徹尾、実証的な学術研究によって記録・分析したものを基礎としています。これがオリジナリティの第一です。不遜ながら申しますが、我が国で全国的に広がった教育実践の中で、実証的な学術研究に基礎づけられている教科学習は、『学び合い』だけだと思います。

 私が認知研究から『学び合い』研究に本格的に移行し始めたのは平成9年頃です。初期は優れた教師の姿をモデルにしており、問題意識も現状の教師が思いつくレベルのものです。例えば、どんなグループを形成したら話し合いが活性化するか、などを研究していました。『学び合い』で述べていることは、明治以降の多くの優れた教師の気づいていることです。本を丁寧に読めば、斎藤喜博や大西忠治の本にもその片鱗はあります。しかし、それらは実証的な学術研究によって分析されているわけではありません。

 学校現場の先生方は忙しいし、他人のお子さんを預かっているので冒険は出来ません。結果として、常識の範囲を超えることが難しいのです。学術は物事を理論的に考えますので、今までの常識を純化し、推し進めると、こうなる、というものが分かります。そして、我々は一つ一つ検証してきました。そして平成14年ぐらいから、常識から乖離し始めるようになったのです。そして、それを十年以上爆走しているのですから、学校現場で普通に思いつくレベルでは理解不能になっています。ま、それがご批判の原因なのですが。

 ですので、「『学び合い』で言っていることは、我々のパクリだ」と主張しても、現実には違いがありすぎるので無理があります。そうなると第四段階に移行します。さて、いつ頃になるでしょうか?

 ま、いずれにせよ、感情的な議論の第二段階よりは、少しは勉強した人の第三段階の方がやりやすいです。妥協点は、週1の合同『学び合い』だと思っています。