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15/05/12(火)
■ [大事なこと]責任

私は学力的に最底辺の高校で教師人生を始めました。暴走族、暴走族OBがわんさかいる学校です。シンナーのやり過ぎで頭がぼーっとしていて、歯が溶けて小さくなっている子がいるような学校です。
そこで色々なことを学べました。その中に、どんな子どもも皮一枚の差しか無く、みんな可愛い子どもであることを学べました。そして、みんな幸せになりたいと願い、必死に生きていることが分かりました。
昨日の飛び込み授業の時もそうです。『学び合い』では集団の闇がもの凄く分かります。気になった子がいたので学校の先生に聞いたら、家庭的に課題を持ち、行動面に問題がある子であると教えてもらいました。
1時間目、近くによりました、「期待しているよ」と小さく言いました。
しばらくすると、他の子と一緒に答え合わせをしています。そこに近づくと私にきれいな目をして私を見ています。私はあくまでもその他大勢の一人としてちらりとしか見ません。でも、その目は私を射殺します。(この間は10秒ぐらい)
1時間目の終わりに説教です。怖いぐらいに私を見ています。セオリー通り、ちらりとしか見ません。
1時間目と2時間目の間に次の時間の予習をしています。
2時間目の最初に語ります。そのこの目が入ってきます。見ないようにしています。
2時間目開始、そのこの動きが違います。
2時間目の終わりです。その子が「俺はやった見ていたよね」という目で射殺します。
ちらりとだけ見ます。それで十分です。
2時間の中で「その子」への関わりは1分も時間を与えていません。そして、その3分の2以上はその他大勢の一人しか視線を与えていません。私がやったのはあくまでも全体に対する見取りであり、全体に対しての言葉がけです。
でも、私は苦しいのです。『学び合い』だと、その子が必死に生きようとしていること、必死に幸せになろうとしてることが感じられ、それを感じると責任に押しつぶされるようになります。
そして、2時間の授業の中で、そのような視線を私に向けてくる子どもが約百人中三十数人ぐらいいます。その子たちは、頭を使って、その子なりの動きをしています。その子たちは私の説教の中で私を見つめ、うなずきます。その必死な視線を受け止め、でも、集団の中の一人として見なければと自分を律するのはかなりの精神力がいります。
だからです。何もしていないようにしている『学び合い』の授業中、私は何度も会場から離れ、何度も後ろで休み、授業後もへとへとになるのです。子どもたちの一生涯の幸せを短期間でも背負うことはもの凄く疲れることです。
目の前にいる子は、全てそうなのです。子どもたちが互いに支え合うようになればなるほど、楽になります。個々の子どもの幸せを背負うのでは無く、一つの集団の維持に力を注げばいい。だから、飛び込み授業はとても大変です。
追伸 西川研究室では、子ども全員にICレコーダを身に付けてもらい、言動を記録します。そして、その全てを分析します。それは学術的に一般性を出すために必要なことです。でも、わたしは、ゼミ生、その中には教員生活二十年弱のゼミ生も含めて、私と同じことを学んで欲しいと思うからです。それは、どんな子どもも皮一枚の差しか無く、みんな可愛い子どもであることを学べました。そして、みんな幸せになりたいと願い、必死に生きていることです。これは我がゼミでやっていることを学ばないと、また、私が経験した学校に勤めないと、何十年勤めてもそれは分かるのはとても大変なことです。子どもの人生を背負っているとはそういうことです。
追伸2 以前、我がゼミにある現職院生が所属し、最初の『学び合い』の授業で無様に泣きながら語りました。それは無様です。泣いてはいけない。でも、泣いたのは、上記に書いた『学び合い』での大事なことを分かったからだと思いました。ま、四十近くの教師も可愛いと思います。
追伸3 当然のことながら、模擬授業では、このような視線を教師に向けるわけありません。だからゲームにしか過ぎないのです。
西川先生にも言われました。「これから面白くなるのに・・・」
本当に残念でした。でも、予想もできました。経験者ですから。
ただ、西川先生は、6時間目の初め、何て語ったのか・・・
それにしても、直接お会いするということは良いことですね。
影響を受けやすいのか、明日の授業の課題は、昨日の参観授業の課題を参考に作り直しました。生徒がどう反応するか楽しみです。