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15/05/04(月)
■ [大事なこと]教育学研究

私はもともと理科教育学が専門です。日本の教科教育学研究の構造的な問題は、「そもそもその教科を学ぶのは何故か」という問いを自らに課さない点です。その教科を学ぶのは当然だという出発点からはじまります。仮に問う場合、その業界の人の中でしか納得しない理屈で泊まります。どんな教材も指導法も、本人が学ぼうとする気が無ければ無効です。そして、教師が手を焼く子は「その業界」の人では無いのですから。
一方、教育学研究の構造的な問題は、それが毎日の授業にどのように具現化するかをという問いを自らに課さない点です。それは教科教育学の仕事であり、自分たちの仕事では無いと考えます。でも、本当に自らが掲げていることを願っているならば、教科教育学にもっと興味を持ち、対話をするはずです。が、戦後になって教育方法学から教科教育学が独立してから、そのような動きはありません。
今、大学は大きな荒波にもまれています。その業界外の人が納得するような、自らの存在価値を主張出来なければ、存在が抹消されるのです。
例えば、「理科」という教科名は、学校教育法にも無く、学校教育法施行令にも無く、学校教育法施行規則にやっと出てくるのです。施行規則は省令ですので、文部科学省の中で合意がなされれば変えることが出来るのです。教育職員免許法には「理科」という言葉がありますが、この法の上位法が学校教育法であることは当然ですので、学校教育法が変われば、それにともなって変更することは自然です。免許があるから、学校教育のカリキュラムが変えられないという論は成り立ちませんから。また、体育という教科が無い国は山ほどあります。というより、体育がある国の方が少ないとも言えます。
もちろん、理科や体育が無くなることは無いと思います。しかし、そう言ってられないのではないかと、思うようになり始めています。