西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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14/06/24(火)

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 教育基本法第1条では以下のように書かれています。

「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」

 我々は平和で民主的な国家の形成者を育成しなければなりません。ここまでは誰も異存ないはずです。

 では、その平和で民主的な国家の形成者を育成する学校・教室はどのような社会であるべきでしょうか?そこにおける教師の立ち位置はどのようにあるべきでしょうか?明らかに、学校・教室は民主的であり、教師は民主国家における権力者であらねばなりません。

では、民主国家における権力者と、専制国家の絶対君主(啓蒙専制君主を含む)とどこが違うでしょうか?それは明文化された法に基づき権力を行使し、その権力はチェックを受けます。その法は構成者の合意に基づき形成されます。

 では、学校はどうでしょうか?教師が子どもに何かを求めるとき、命ずるとき、それは明文化されたルールに基づいているでしょうか?その権力の行使はチェックを受けるでしょうか?そのルールは構成者の合意に基づき形成されているでしょうか?

 否です。つまり、今の学校・教室は専制国家であり、教師は絶対権力者として君臨しているのです。

 絶対権力者(啓蒙専制君主を含む)のもとで民主的な国家が形成された事例は一例もありません。

 若者が政治に無関心になり、投票率が低いのも当然です。学校教育で組織的に専制国家の臣民になるよう育てられているからです。

 以上のようなことを昨日の講義の時に話しました。

 では、どうするべきか?

 子どもたちに何かを求めるとき、それは明文化されたルールに基づくものであるべきです。それらは構成者の合意に基づくルールであり、チェックを受けるべきです。

少なくとも私の研究室ではそのようにやっています。つまり、私が学生さんに求めることに関しては明文化しています。そして、そのルールは基本的に学則(その裏には教育法規)に基づくものが大部分です。

 もちろん、それを超えることを求める場合もあります。例えば、私は学生さんに「一人も見捨てられない教育・社会を実現すること」を求めます。そして最終責任を負い、決断をします。しかし、学生さんはどの教師を指導教員にするかを選べますし、選んだ後の異動も可能となっています。

 私は小学校、中学校もそうあるべきだと思っています。

 「子どもには無理」と言われる方もあるでしょう。それは植民地時代において「愚かな民族を白人が指導する」という理由と同じです。出来るか出来ないか、ではなく、しなければなりません。それが民主国家の基本である基本的人権の考え方だと思います。たしかに一人一人を見れば不可能な人もいます。でも、集団と考えれば、かなり有能です。『学び合い』のセオリーです。

追伸 と、偉そうなことを話した次の時間に、ポカで講義に大遅刻をしてしまいました。とほほ