西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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14/03/12(水)

[]かけ算の順序問題 08:46 かけ算の順序問題 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - かけ算の順序問題 - 西川純のメモ かけ算の順序問題 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 一昨日、ツイッターでひょんなことから、「かけ算の順序問題(http://p.tl/OE0q)」を熱く議論する方々と関わることになりました。私のもともとの専門は理科教育ですので、そのような問題が存在することを知りませんでした。最近は、『学び合い』の関係で多くの先生方と関わります。最も多いのは算数ですが、私の関わる方々からはその手の話を聞いたことがありませんでした(ま、最後の方で書きますが、『学び合い』をやっている人にとっては重要性は低いことも原因ですが)。

 限られた知識の中で、現在の私の考えを整理したいと思います。

法的なレベル

 学校教育の是非は最終的には法によって定まります。当たり前ですが、教育基本法、学校教育法、同施行令、同施行規則には順序を規定するという規定はありません。法的拘束力を持つ学習指導要領にも規定はありません。法的拘束力の無い学習指導要領解説を規定はありません。

 従って、順序を強いるという根拠はありません。

 しかし、教科書レベルでは順序を強いることを求めるものもあるようです。しかし、順序を強いてはいけないとも学習指導要領は規定していません。従って、教科書会社がある意図を持って順序を強いることは学習指導要領にもとめることを習得するに有効であると考えて、それなりの説明が出来るならば、順序を強いることは違法ではありません。

 その教科書を利用する教師、そして、準拠する業者テストが教科書通りの採点基準をテストにつけるのは当然です。また、教科書にそう書いてあるとしたら、そのように教師が採点することは非難されるべきことでは無いと思います。もちろん、教科書にそう書いてあるが、教師がそのように採点しないということもありです。

 文科省や教育委員会は法で動いています。だから、そちらに問い合わせても、「そんなこと我々に聞かないでくれ」というのが本音だと思います。事実、強いても、強いなくても違法ではないのですから。

 困ったことですが、多くの教師の方は学習指導要領をちゃんと読みません。そのため、教科書を絶対的なものと誤解しています。そして、その教科書を特定の学派の方が書かれている、そこに問題があると思います。

数学との関係

 かけ算の順序問題は、文章題でおこります。文章題は数学とは別なものです。ですので文章題で順序を強いることが、数学の乗法に影響するかを気にするならば、そうではないと子どもにちゃんと指導すれば良いことだと思います。

例えば、原子を丸い原子核を中心にして円を描きその円に沿って電子が回るモデルで描くのは一般的です。しかし、これは誤りです。原子核は素粒子によって形成されています。また、電子の軌道は円ではなく確率分布です。しかし、これに目くじらを立てる理科人は殆どいないですね。しょせんモデルなのですから。算数でかけ算の順序問題として立派に成立している理由は、文章題が数学と同じであるという誤解があるためと思います。文章題は数学を使っていますが、数学ではありません。数学の世界に具体物のような「汚れた」ものが入るわけありませんから。

だから、「かけ算は順序を変えても結果は変わらないけど、これは計算を間違えないようにする方法なんだよ。」と言えばいいだけのことです。

子どもの多様性

このあたりから、『学び合い』が前提としていることが入ります。子どもの多様性です。

子どもは多様です。たしかにかけ算の順序を強いることによって混乱する子もいるでしょう。事実、お子さんが×になった答案用紙を見せていただきました。親の気持ちとしては察するにあまりあります。おそらく、授業の時にはそれほど順序のことを指導しなかったのにも関わらず、テストの採点の時に厳密に採点されたことに由来すると思われます。

しかし、多くの算数の研究団代がその説を採用し、教科書にもそれが採用されているということは、かけ算の順序を強いた方が誤りなく計算が出来、定数と変数の違いが分かると子「も」いるということを示すものです。

このことの是非は、それらを調査してどちらの子の方が多いかという結果に基づくべきです。ところが「かけ算の順序問題」として問題が成立しているとするならば、それを決定するような実証的なデータが無いことを意味しています。

どうも教育学の世界は思弁的な議論が先行するようです。そして、その是非は「誰がそういった」とか「どの研究会でそうやっている」のような悪い意味での学派対立が残っています。そのため実証的データによって事の是非を判断しようとすることが弱いですね。ちなみに私が修士論文を書いているとき、理科以外の教科教育学の学術論文を読みましたが、大部分は思弁的な研究でした。僅かに量的分析はありますが、数十人のデータを棒グラフにして多い、少ないを論るに留まっていました。検定をかけて議論している論文を見いだすことが出来ませんでした。理学部から教育の大学院に進学した私にとっては噴飯物です。さすがに現在はそのようなことは内容ですが、実証的なデータで事の是非を明らかにしようとしないという傾向はあるようです。

ただし、『学び合い』は分かる子が多くする、ではなく、全員が分かることを目的としています。順序を強いることにメリットが多い子がいる一方、順序を強いない方がメリットが多い子がいるならば、それぞれの子が自分に合った方法を採用すればいい、というのが『学び合い』の立場です。

学ぶ意味について

 『学び合い』の学校観で「かけ算の順序問題」を考えてみましょう。『学び合い』を学んでいる人ならば、「いつものね」と思われると思いますが、ご寛恕を。

 算数の目的は何でしょうか、二つの見方があります。一つは数学を学ぶことです。おそらく、このように考える方が圧倒的だと思います。でも、そうでしょうか?数学を学んでいる方は怒らずに冷静に考えてください。

 よく、四則演算が出来ないと買い物が出来ない、と子どもにいいます。でも、買い物の時に計算していますか?おそらくバーコードをレジの人が読み込み、出た金額を疑わずにお金を払っていると思います。そして、思い出してください。この1年間に筆算をしたことどれだけあります?私の場合は、単純な計算は電卓でやっています。多段階の四則演算を必要な場合は、コンピュータを立ち上げてエクセルでやります。ということで、私はこの1年間、というより少なくとも十年間は一度も筆算をしたことがありません。

 四則演算でこの程度だったら、分数の四則演算をすることってありますか?球の体積や円錐の体積を求めることがあるでしょうか?

 皆無とは申しません、そのようなことが出来た方がいいことも認めます。たしかに受験に必要でしょう。でも算数の目的は受験を突破するためではないですよね?たしかに理系の仕事に就く場合、いや現在の経済学等の仕事に就く場合は優れた数学能力は必要でしょう。しかし、それは日本の全人口のごく一部だと思います。それにフィールズ賞レベルの人を育てるならば、「おはじきが何個」なんていう文章題で勉強するのではなく、高木貞治の解析概論から入ってもいい。いや、空間論から入ってもいい。そもそも高校までに学ぶ算数・数学と大学で学ぶ数学は別物を考えた方が良いと思います。

 いずれにせよ、国民全員が学ぶ算数を、数学を学ぶことが目的であると考えるのは無理がある。

 おそらく以上の議論を極論だと思う方の方が多いと思います。しかし、数学を国民全員が学ぶべきかを考えていただきたいと思います。以前実施した調査によれば、成人の1割弱は算数を役に立たないと考えています。それが中学校数学になると3割弱に増加し、高校数学になると過半数が役に立たないと思っているのです。そして、教師も妥当と考えていました。つまり、「いまは分からないけど、大人になれば大事だということが分かるよ」というのは正しくなく、「いまは分からないけれど、大人になればたいして大事で無いことが分かるよ。そして先生方もそれは知っているんだよ」というのが正しいのです。

 さて、算数の学ぶ意義の、もう一つは数学(その一部)をツールと使って学ぶということです。この場合は、数学というツールを使って何を学ぶか?ということです。それは学習指導要領に「算数的活動を通して,数量や図形についての基礎的・基本的な知識及び技能を身に付け,日常の事象について見通しをもち筋道を立てて考え,表現する能力を育てるとともに,算数的活動の楽しさや数理的な処理のよさに気付き,進んで生活や学習に活用しようとする態度を育てる。」と書いてあります。おそらく、算数を大事にしている先生はこのことを理解されていると思います。ただ、このレベルの説明では全員が納得しません。特に、教師と違って現在の学校教育にフィットしない子は。教師になるような人は、教師から「数理的な処理のよさに気づきましょう」と言われれば「気づこう」と従順に従います。しかし、現在の学校教育にフィットしない子は、教師から「数理的な処理のよさに気づきましょう」と言われれば「何で気づかなければならないんだよ~」と思います。

 このような子どもも含めて納得させるには、そもそも算数が何のためにあるかを明らかにする必要があります。それは教育基本法第1条にあります。第1条には「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」とあります。つまり「人格の完成」が目的です。大抵の教師はこの「人格の完成」を建前論と考えて軽く考えます。そして、人格の完成を考えず、直ぐに算数は学ぶべきだという私から考えると無根拠な出発点から議論します。

 では、『学び合い』では「人格の完成」をどのように捉えるか、それは「多様な人と折り合いをつけて自らの課題を解決する能力」がある人ということです。平たい言葉で言えば、他人の能力を借りられる人が人格の完成と考えています。これはもともとは心理学の知見に端を発していますが、経営学や生物学の知見に一致しています。

 では教科教育とは何かと言えば、それぞれの背景としている学問の一部を、人の知識技能を借りたり、かしたりすることによって獲得する過程(いわゆる学び合い)を通して「多様な人と折り合いをつけて自らの課題を解決する能力」を獲得する場だと『学び合い』では考えます。

 この考えに立てば、かけ算の順序を強いるべきか否かは、どうでもいいことです。その時間の課題が、誤りなく計算が出来ることであれば、一人一人が自分にとって良い方の立場に立って人に聞けば良いのです。また、その能力が無い子の場合は、周りの子どもがその事対話しながら、どちらの立場で説明した方が良いかを判断し、その子にあった説明をします。

 そして、学力面や人現関係に効果が高いことを実証的データで保証しています。ま、理由は簡単です。現在、教師が担っているものは多様で重いのですから、一人で抱え込むのではなく、クラス全体で担った方がましになるのは当然です。そして、週1時間の道徳や特活の時間ではなく、毎日の教科学習の場で、関わり合いながら学べば人間関係がましになるのも当然です。

 ちなみに、これはどの教科でも同じですが、算数なればこその特徴があります。算数の特徴は、体育と同様に、子どもの能力差が大きいことが特徴です。

 社会に出れば、自分がたやすく出来ることを出来ない人に出会います。逆に、自分が出来ないことをたやすく出来る人に出会います。その時、高飛車にならず、卑屈にならず、折り合いをつけて一緒に仕事をやることが大事です。それを教師の管理下に置いて学ぶ場として算数はベストな場だと思います。

 以上の理由から、『学び合い』の立場から言えば「かけ算の順序問題」はどうでもいい問題だと考えてしまうのです。

なお、『学び合い』がどのような学術データに基づいているかを知りたいならば、以下の「学術論文(レフリー付き)をご覧下さい。http://p.tl/Gg36

学び合い』の考え方が生物学とどのように関係するかを知りたいと思われるならば、以下の11~16ページをご覧下さい。http://p.tl/k_y4

 また、経営学だったらリッカートのシステム4が最も近いと思います。また、

学び合い』と一般の”学び合い”との違いを知りたいならば、以下をご覧下さい。http://p.tl/OXTM

具体的なテクニックだったらhttp://p.tl/Gg36 の著書の26,28,31が比較的コンパクトにまとまっております。

daitouirukadaitouiruka2014/03/12 23:30「宣言」の件、楽しみです。

jun24kawajun24kawa2014/03/13 04:32でしょ!