西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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14/01/01(水)

[]教科教育法 21:30 教科教育法 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教科教育法 - 西川純のメモ 教科教育法 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私のもともとの専門は理科教育学です。今から26年前に大学に職を得てから、最初の十数年は理科教育学という教科教育学を「学」として成り立つための政治闘争の連続でした。

 もともと教科教育学という学問はありませんでした。何故成立したか、それは方によって教科教育法という単位が免許の必修科目なったからです。最初は、それを学校教育領域と教科教育領域のどこにおくか闘争がありました。結果として、教科領域に置かれることになりました。

 法の規定により、教科教育法の担当者を教科教育領域で選ばなければなりません。選ばれた人たちが教育方法学から独立するために各教科の学会を立ち上げました。私が教科教育の世界に足を踏み込んだときには、その黎明期を過ごした人が生きていました。学会に行けば「生」を見られました。だから、どの教科教育の学会の成立年ほぼ一致しているのは、法の規定によって生まれた学問だからです。

 教科教育学という新たな学問を立ち上げることの意義を感じ、頑張った諸先輩もいます。でも、そうで無い方もいます。物理、化学、生物、地学では教授にはなれない、でも、理科教育の単位を担当すれば教授にしてあげるよ、ということで理科教育の担当者になった方もいます。当然、やっていることは物理、化学、生物、地学の授業そのままです。でも、良心ある多くの方は、その中で少しでも教育に迫ろうと努力した方もいます。でも、一方、「わたしゃ、教科教育学は馬鹿馬鹿しい」と学生の前で宣言し、教育の「きょ」の字も語らない猛者もおられました。

 私が教科教育の世界に足を踏み入れたのは、そんなときです。私は教科教育の専門家として生きようとして大学教員の世界に入りました。ところが大学は上記のような状況です。馬鹿にしまくられました。イジメも多かった。そんな中で、教科教育の二十代、三十代の若手研究者が「まけるもんか!」と戦いました。

 独自の研究方法論も確立しました。博士課程で博士の学位を持ち、他学問領域と対等のつきあいが出来る人も生まれてきました。

お世話になった学会に対しての恩返しの意味で、平成15年~18年は学会事務局長を務め、平成19年から23年は学会誌編集委員長を務めました。しかし、平成12年に理科教育学会賞をいただき、平成15年にそれまでの巨視的時間概念の研究で博士の学位を得ました。私なりに、教科教育に関して一段落し、『学び合い』に専念することになりました。

 で、今の教科教育学の現状を憂います。

 先に述べたように、教科教育学は法令によって生まれた異常な学問なのです。では、その根拠となる法は何かと言えば、「教育職員免許法施行規則」の付則に記述があるのが根拠なのです。法令にも種類があります。国会でつくられた法律、内閣が作った「施行令」、文科省が定めた「施行規則」です。つまり、教科教育学は文部科学省が決めて生まれたものなのです。逆に言えば、文部科学省が「や~めた」と言った瞬間に、その根拠を失うほど危ういものです。

では、他の学問はどうでしょうか?文科省が「数学」を免許法から抹消しても「数学」は生き延びます。だって、それを必要としている人がいますから。では、教科教育学が無くなったとき、だれが困るでしょうか?

 教科教育学の研究成果が、いったいその学問以外の人から参照されているでしょうか?学校現場で流通している書籍の中で、教科教育学の学徒が出している本がどれほどあるでしょうか?数少ない本は、私の同年代か、それより先輩で、教科教育学の生き残りで戦った方々です。今、書店で並ぶ教科教育の本の圧倒的大多数は、学術研究によるものでは無く実験経験の基づくものです。

 教員養成は暴風雨状態の逆風の中です。私のような五十代はなんとか定年まで誤魔化せるでしょう。でも、今、教科教育学で生きようとしている人たちの将来は大丈夫なのだろうか、と思います。各教科の狭いコミュニティーの中にいる限りは、何の変化も無いように思えるでしょう。その中の業績を積み上げれば、昇任することが出来ます。でも、自分のよって立つ根拠が「教員免許状施行規則」の付則に過ぎないことをどれほど知っているのでしょうか?

 若い研究者のために、何が出来ることがあるのだろうか?