西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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授業公開の仲介のガイドライン http://dl.dropbox.com/u/352241/manabiai-data/koukai.pdf
だめで元々で、とりあえずドロップボックス(http://db.tt/bMZAZwx)とjimdo(http://jp.jimdo.com/)の無料アカウントを登録してみてはいかがでしょうか?実に簡単ですから。

本格的にトライする人も多くいると思います。その際、人とのつながりが大事です。身近にいる人と繋がれるとありがたいですよね。『学び合い』を実践される方は、『学び合い』マップ(https://www.google.com/maps/d/edit?mid=zDInXkSSxyO4.kNDji5uDNm0Y)に、是非、登録下さい。登録は、『学び合い』マップ登録フォーム(http://form1.fc2.com/form/?id=77081b4d4f40dd2f)から出来ます。  「私なんて、人になんか教えられるレベルに行っていない」と思う方へ。だからいいんですよ。一番知っている人が、一番の教え手ではないことは『学び合い』を実践しているならば、子どもを見れば分かるでしょ。それに、教える必要はないのです。共に学び合えばいいのです。いや、愚痴を言ったり、笑ったりする、それでいいのです。  是非、一人でも多くの人がマップに登録下さい。強く、強く、お誘いします。

14/01/31(金)

[]ぐんたまの会 05:27 ぐんたまの会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ぐんたまの会 - 西川純のメモ ぐんたまの会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 群馬、埼玉の『学び合い』の実践者が頑張っています。HPを立ち上げました。http://manabiaiguntama.jimdo.com/

 繋がることによって、みんなは強くなれます。お誘いします。

14/01/30(木)

[]安く使う 21:38 安く使う - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 安く使う - 西川純のメモ 安く使う - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、ゼミ生に指導しました。

 人を安く使おうとする人には先は無い。

 ゼミ生は私が言う前に分かっていました。見くびっていた自分を反省。でも、詰めが甘い。ま、学生なのですからね。

14/01/29(水)

[]飛び込み授業 19:45 飛び込み授業 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 飛び込み授業 - 西川純のメモ 飛び込み授業 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 某学校のご理解によって、以下の飛び込み授業をHPにアップしました。ありがたいことです。それにしても、セオリー通りのことやれば、一発で子どもは変わります。というより、『学び合い』はそもそも子どもがある能力を邪魔しないだけのことですから。

http://www.youtube.com/watch?v=nBnIcCHGVZk 単学級『学び合い』出前授業

http://www.youtube.com/watch?v=EcEbEkgqFcc 全校『学び合い』出前授業

http://www.youtube.com/watch?v=AMso7j03HRY 『学び合い』授業検討会


[]不思議 19:36 不思議 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 不思議 - 西川純のメモ 不思議 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は『学び合い』で学校作りをしようという合意の成される前の学校に呼ばれて講演するのは基本的にお断りします。理由は、私の話を聞けば聞くほどやりたくないと思う人が増えるからです(http://p.tl/Lnek)。

 今回、大阪の小学校に呼ばれました。合意が成されているわけではないようです。ですので、お断りしたのですが、上越まで学びに来るだけの熱意のある方がいて、その方より是非にというお願いがあったので行きました。

 昨日の午後に懇談をして、翌日の午前に授業を見るという形です。最初の話では、いわゆるフルの『学び合い』をしている方は数人で、足して2で割る『学び合い』をしている方がちらほらという状態です。その方々の教室を参観するという計画でした。

 懇談をしてみると、予想に反して反応が良いのです。私はフルの『学び合い』の良さ、合同『学び合い』の良さを語りました。そして、2時間続きでフルの『学び合い』をすることを提案しました。さらに合同『学び合い』をやることを提案しました。

 そうしたら、ビックリです。生涯で初めてのフルの『学び合い』、初めての合同『学び合い』にトライする人がどんどん出てきたのです。

翌日、つまり本日、全校で17クラスのうち、なんと12クラスがトライしてくれました。それらが全て5分ぐらいの語りで、「さあどうぞ」のフルの『学び合い』が出来ているのです。ビックリです。2時間目になると、最後のまとめで力強く人の道を語るようになっているのです。ビックリです。

学び合い』ステップ通りのことをやれば、確実に一定以上の成果を上げることが出来ます。そのあたりを感じられたか、それが不安でした。

3時間目に先生方と懇談しました。先生方からは色々な質問を受けました。それらがやらなくて良い理由探しでは無いのです。良さを感じ、今後もトライすることを前提とする質問なのです。これにはビックリです。

 もしかしたら、本日の出張は、私の出張の中で、最も実りを実感できた出張のように思うのです。たって、講演したら本当にやり始めた人が、学校の過半数なんて、信じられない。どんな学校だったんだろう・・・・・。おそらく、私を呼んでくれた人が、少しずつ耕してくれたことがあって本日があるのだと思います.嬉しかったのは、「一人も見捨てたくない」という願いの可能性を感じてくれた人が多かったこと。嬉しかった。

 『学び合い』学校がまた生まれました。

kanjii4dakanjii4da2014/01/29 19:51共感してしまいます。本校も・・と思いますが、本校に無理のないよう、自分にもある意味ブレーキをかけながら(^_^;)進めていきます。必ず、結果を出します。いえ、結果はついてくると信じています。西川先生のアドバイスを守り、中途半端をせず、今は少しずつ進んでいます。また、出張された大阪○○小学校に心より大きな拍手を送りたいと思います。(^^)//""""""パチパチ

jun24kawajun24kawa2014/01/29 21:36あはははは
大絶賛!

karakusa01karakusa012014/01/30 23:02ステキな学校ですね。来週は研究授業です。種蒔きしてきます。

jun24kawajun24kawa2014/01/31 07:14期待しています。

14/01/27(月)

[]種まき 21:22 種まき - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 種まき - 西川純のメモ 種まき - 西川純のメモ のブックマークコメント

 明日から大阪に種まきをします。楽しみです。

kanjii4dakanjii4da2014/01/27 21:41昨年転勤していった教員が3年前の私の未完成な「学び合い」の授業を見てまねしたいと思ったそうです。昨日、メールしてきて『学び合い』を学びたいと・・(^_^)種まきをして、いつ芽が出るか分かりませんが、可能性はたくさん広がりますね。楽しみですね。

jun24kawajun24kawa2014/01/27 21:513年前に、種まきはしていたのです。
凄いですね。

14/01/26(日)

[]群馬の会 10:12 群馬の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 群馬の会 - 西川純のメモ 群馬の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 2月1日に高崎で『学び合い』の会があります。私も行きます。関東圏での講演は今年度はこれだけです。http://manabiai.g.hatena.ne.jp/take1_No12/20140117/1389975930

14/01/25(土)

[]明るい図々しさ 19:24 明るい図々しさ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 明るい図々しさ - 西川純のメモ 明るい図々しさ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近では校長が研修旅行に来るのは、ごく普通になってしまいました。今までに数多くの校長先生が研修に来られ、自校に戻って学校体制の『学び合い』にトライされる方がいます。見た目がビックリの『学び合い』なのですから、反発される方、疑問を持たれる方が多いのは当然です。校長といえども、難儀する方がいても当然です。ところが、それを突破するような人がいます。それは校長ではなく、研究主任レベルで突破する方がいます。私は、そのような方々を多く知っています。そのような方々の特徴として、「明るい図々しさ」があると思います。

 「やろう」と言っても、反発する声が聞こえると、気が萎えるのは当然です。ところが、「明るい図々しさ」のある方は、そんな声が聞こえても、意に介さず(としか見えないのですが)どんどん前に進みます。例えば、「無理」ということをその人に言っても、「大丈夫、大丈夫、あはははは」という聞き流します。周りの人は、あれよ、あれよ、というまにその人のペースに乗せられてしまうのです。

 何故出来るのかな、と考えます。私の分析は、理科人的な思考方法をしているようです。つまり、非常に単純なのです。「良いんだから、良いんだ」、「だって、他に道は無いじゃないか」という至極単純なのです。普通の人だったら、「校内のあの人はこう思って、この人はこう思って・・・」と思案するところが、非常に少ないのです。もちろん、それを考えていると思うのですが、「良いんだから、なんとかなるさ、いつか分かるさ」と思うのです。

 私の思考はきわめて理科人的な単純馬鹿です。『学び合い』の理論が非常にシンプルなのはそのせいだと思います。しかし、人がひとたび関わると、非常に複雑に考え、念には念を入れるという思考方法をします。ですので、「明るい図々しさ」のある方は、何で、そんな風に考えるのだろう、と考えます。おそらく、「人が好き」で性善説に立っているのだと思うのです。うらやましいな~っと思います。

[]顔剃り記念日 19:24 顔剃り記念日 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 顔剃り記念日 - 西川純のメモ 顔剃り記念日 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 息子は私と同じスポーツ刈りです。何しろ手入れの必要が無いですから。

 本日、息子と床屋に行きました。横に座った息子は床屋の方に何かを言っています。見ているとスポーツ刈りでは無いのです。果ては顔剃りを頼みました。ビックリです。彼に聞いて見ると、みんなと同じに髪を伸ばしたいそうです。中学生として「色気」が生まれているようです。健康に成長している証拠。

kanjii4dakanjii4da2014/01/25 20:11おっしゃる通りです。あっはは~~です。(^_^)今のところなんとかなってます。皆さんのおかげです。まだ帰広後一週間なので、不安もなきにしもあらずですが。でも、楽観視してます。

takami_swctakami_swc2014/01/26 00:03超マイナス思考の私はどうしたらいいのでしょうか。最近特に苦しいです。

jun24kawajun24kawa2014/01/26 04:55kanjiさんへ:ばく進しましょう。
takamiさんへ:私もマイナス思考です。その場合は、人と繋がって愚痴を言うことです。

karakusa01karakusa012014/01/30 22:58「明るい図々しさ」納得です。ぼくももともと理科人間ですし、単純馬鹿です。『学び合い』はいいんだからしょうがない。

14/01/24(金)

[]短い語り 21:11 短い語り - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 短い語り - 西川純のメモ 短い語り - 西川純のメモ のブックマークコメント

 同志のブログ(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/kanjii4da/20140124/1390556735)の中に「だんだんに実感してきているのですが、学習活動を見てそれとなく言葉をつぶやくことはもちろんですが、学習中に終わりの語りの準備をしておかないといけません。この終わりの語りが、次の時間以降に強力に生きてくることになりますから。間違いなくこの繰り返しで子供たちは成長するのです。ここはかなり(最高に)重要な部分だと考えています。そのためには、教師の見取りの力と語りの力をつけなくてはならないです。短く子供たちの心に響くように。(しかし、2割を意識することになります。)」とあります。大事な指摘だと思います。

 不遜ながら言います。私はこれが得意だと思います。学生さんから、「○分話して下さい」と言われれば、ちゃんと時間ピッタリに話を組み立てることが出来ます。(ただし、少なくとも5分前には言って貰うことは必要です)

 では何が必要か?

 同志が仰るように、見取る力が必要です。

 見取る力と同時に、あと二つ必要だと思うのです。

 第一に、理論です。理論とはありとあらゆる場面に適用できるものです。

 第二は、その理論を、ありとあらゆる場面に適用するのです。それは仕事だけでは無く、日常の状況にも置き換える必要があります。これをやれば、目の前の現象に近い状況でも事前に考えています。だから、5分間前にふられてもおおよその話の組み立ては出来ているので対応できます。

 そして、そのような多様な状況に適用できる理論が必要なのです。

 若い教師がそれを短期間に獲得するのは、単純な理論が必要です。そして、その理論を適用する場が必要です。『学び合い』はそれが出来ると思います。

[] 岡山の会 08:11  岡山の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク -  岡山の会 - 西川純のメモ  岡山の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 2月1日に岡山で 『学び合い』の会が開かれます。お誘いします。http://manabiai.g.hatena.ne.jp/FlipperK/20140119/1390088887

daitouirukadaitouiruka2014/01/25 06:42私も今回の上越訪問で改めて「語り」の大切さを実感させていただきました。
特に全校『学び合い』については、子ども達だけでなく、他の先生方にも自分の思いを伝える、そして、他の先生方の思いを知る大切な時間として。
そして、第1のこと、第2のことの重要性もますます感じるようになってきています。
5分前に話を振られてうまくしゃべる自信はまだまだありませんが…(苦笑)。

jun24kawajun24kawa2014/01/26 04:56大丈夫。出来ますよ。

14/01/23(木)

[]禁断 22:05 禁断 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 禁断 - 西川純のメモ 禁断 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は子どもが可愛い。ゼミ生は可愛い。

 高校教師だったときは、抱っこもしました。ほおずりもしました。高い、高い、もしました。高校生とはいえ、暴走族や、いや、それ以外の歴代の担任から阻害された子どもたちは素直に喜んでくれました。この快感はやめられない。

 でも、その先にあるのは何か。今は分かります。だから封印しています。

 でも、私を求め、私が守ればそれを受け入れる子どももいます。可愛い。本当に可愛い。そして、教師としての充実感を感じます。でも、それはいけません。私は、彼らを大人にするのが仕事です。だから、馬鹿話を乱発しつつも、その一線は越えないように踏ん張っているのです。

14/01/22(水)

[]日常 19:30 日常 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 日常 - 西川純のメモ 日常 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 朝起きたら、家内から「今日は家で食べれるよね?」との確認がありました。「うん」と応えると、「今日はオデンだから」とのこと。「卵はいくつ3つ(夫婦と息子の分)?」と聞くので、「翌日の朝、食べたいから6つ」と応えました。大学にいる間、「今日はオデンだ」と思っていました。日常って、いいな~

14/01/21(火)

[]見事 20:32 見事 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 見事 - 西川純のメモ 見事 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日と本日、学習成果発表会がありました。ま、修士論文発表会みたいなものです。

 私は細かいことを何もしていません。ということで、本日、はじめて発表を見ました。見事です。私の出身の修士時代の発表会よりも質が高い。これが実現することを出来たことを誇ります。

 で、あとは論文にまとめるだけです。このあたりは研究者のカンが必要です。短いアドバイスをしました。せて、どんな素晴らしい論文になるか、これまた楽しみです。

14/01/19(日)

[]変化 19:34 変化 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 変化 - 西川純のメモ 変化 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 日本の教育は寛容な保護者と子どもによって成立させて貰っています。子どもが勉強が分からなくても、学校が嫌だと言っても、よほどの事件が無い限り学校には文句を言わない保護者が大多数です。クラスの過半数が分かってなくても、授業のまとめに言って欲しいことを言ってくれる子どもがいます。

 でも、今、変わっています。全ての子どもの保護者が、我が子が勉強が分かり、クラスに居場所を持てることを「要求」しはじめました。賢い子どもが教師に従順になることを蜂起し、見捨て始めました。

 はやく教師や学校が、その変化を気づくことを願います。それが遅れると潰れる教師が大量に生まれます。

 法則化運動は、職員室の教育力が低下したために潰れる若手教員を救う運動だと私は理解しています。しかし、今度の波で潰れるのは若手ばかりではありません。むしろ、採用以来ずっと相対的若手のままで中堅になりきれなかった三十代後半から四十代後半だとみています。そして、五十代は早期退職に向かうのではないか、と思っています。

kanjii4dakanjii4da2014/01/19 21:0230代になる頃、向山先生の書かれた本を読みあさりました。今でも持っています。確かに、苦しいときの・・みたいでした。それでも必然性を感じざるを得なかったのは事実です。子どもたちに向かう基本的な方法について、普遍的な学ぶべきことはそこにもありました。50代になりましたが、私はまだまだ妄想にふけってしまいます。(^_^;)

jun24kawajun24kawa2014/01/19 21:48私の気になるのは、日本の教育団体の圧倒的大多数は「自分の教育実践」にクローズしている点です。もちろん、どの団体も動かしているのは「みんな」を分かっている人です。でも、その人数比率が少なすぎるところを危惧しています。
是非、ちゃぶ台作戦を妄想して下さい。日本で最初になって下さい。

kanjii4dakanjii4da2014/01/19 22:23また、笑っちゃいました。(^_^)ちゃぶ台作戦ですね。分かりました。私も広島に帰る途中の列車の中で本校の教諭に妄想を語りまくりました。研究主任はその妄想にまたまた目が点でした・・。一つ、西川先生の妄想?(^_^;)を実現してみましょう。でも実は似たようなことを教諭の頃にやってみようとしていました・・ですから、めちゃくちゃな衝撃はなかったです。子のことは上越ではお話しできませんでしたが・・(^_^;)さて、結果はまた連絡いたします。日本の最初ですかね~。論文を書かないといけないかも・・。では。

mana-mama5mana-mama52014/01/19 23:31寛容なわけではなく、内申書の逆襲を回避しているだけのこと、従順にならずに「蜂起」しても疲れるだけで得しないことを知っている賢い子どもが増えただけだと思う今日この頃。「先生というのはいい仕事だよな、8倍の門くぐり抜けたらあとは立っているだけで、金もらえんだからさ」と言って笑いあっている中学生に明るい未来が訪れますように..

jun24kawajun24kawa2014/01/20 05:46kanjiさんへ:期待しています。
manaさんへ:学校への強い失望を感じます。深く受け止めます。教師や学校が変わらねば、中学生に明るい未来はないと思っています。そして、それは出来ると思っています。

14/01/18(土)

[]納得 19:58 納得 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 納得 - 西川純のメモ 納得 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 我が国が毎年やっている組織的行事で、最も参加者が多い行事はセンター入試です。その行事を、ある専門以外は全く出来ないという大学教員が運営しています。それで大過なく実施されています。とても不思議です。それを大学の同僚に話したら、「そりゃ、日本の受験生が有能だからだよ」と。凄く納得しました。

14/01/17(金)

[]老後はまだ 21:09 老後はまだ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 老後はまだ - 西川純のメモ 老後はまだ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 スキー合宿から息子が帰ってきました。疲れ切っているようです。色々と経験したそうです。はじめは色々話していましたが、だんだん疲れているようです。

 普通通りの時間の流れになりました。家内と二人の老後は、まだ、先でいいな。

 これから添い寝です。

[]念じる 21:09 念じる - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 念じる - 西川純のメモ 念じる - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、高知と広島のお客様を送りました。「結果を!」と言って握手して送り出しました。私はその方々と話しながら、その方々の支えている子どものことを思います。笑顔をしながら、本気で握手し、本気で「結果を!」と言います。私の出来る贖罪です。

daitouirukadaitouiruka2014/01/17 22:26たくさんの貴重な情報と出会いをいただくことができた旅になりました。
先生をはじめみなさんのお陰です。
いただいたものを元に前進します。

jun24kawajun24kawa2014/01/18 05:54結果
期待しています。

14/01/16(木)

[]一人も見捨てない 22:47 一人も見捨てない - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 一人も見捨てない - 西川純のメモ 一人も見捨てない - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、ある同志から、「西川先生は課題はどうでもいい、教科書何ページから何ページを解きなさいで十分と言うけど、課題は大事です」ということを言われました。

 私は課題が大事であることは十分に知っています。でも、そのレベルに対応できない教師がいることを知っています。対応することが出来る教師も、試行錯誤が必要です。ということが分かっています。

 私は子どもを一人も見捨てたくない。同じように教師も一人も見捨てたくない。だから、私が本やネットで書いていることのほぼ全部は全ての教師が無理なく出来ることだけを書いているのです。それで十分だとは思っていません。でも、それで全員の教師が及びその家族が幸せになれると思っていることを書いています.その先があります。でも、全員には強いたくない。

[]絶滅危惧種 22:39 絶滅危惧種 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 絶滅危惧種 - 西川純のメモ 絶滅危惧種 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は広島・高知から校長2名、教頭1名、教諭3名のお客様を迎えて研修です。そして、ゼミ生との飲み会です。『学び合い』のおかげで、教育に誇りと希望を持っている教師という絶滅危惧種に頻繁に会えるというのは嬉しい。日本の教育は捨てたもんじゃ無い。

 それにしても校長レベルの参観が普通になってきました。ま、自分の授業実践の向上、というレベルに対応できる理論は、そう多くないですから。

[]新婚 22:39 新婚 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 新婚 - 西川純のメモ 新婚 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は息子がスキー合宿です。ということで久しぶりの夫婦だけの日です。二人で晩酌をして、たわいも無い話をしました。老後はこんな生活なんだと思います。

[]お便り 05:45 お便り - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - お便り - 西川純のメモ お便り - 西川純のメモ のブックマークコメント

 我が子を持つと、色々なことが分かります。

 家内を見ていると、息子の行事のたびに大慌てです。というのは、まず、息子が担任からのお便りを持ってこない場合があります。その場合は、ママ友に電話して聞いたり、ファックスをしてもらったりしています。

 お便りがあっても、その意味が分からず混乱することがあります。よくあるのは「持ってくる物」です。担任が分かりやすいようにと思って具体的に指定します。そうなると家内は絶対にそれにしなければならないのか、それともそれに似たような物で良いのかが判断できません。でも分からないので、それにしなければならない、と判断して、わざわざ買い物に行きます。ところが、あとで、それに似たような物、つまり、既に家にある物でいいとなると怒りがわきます。

 おそらく、一般の母親が抱く、担任への不満の多くはお便りの不備のように思います。

 ですので、学校のお便りをブログにアップしはどうかと思うのです。つまり、あるブログを立ち上げるのです。行事のある未来の日付にお便りの内容をアップしておくのです。そのブログにはコメント欄があり、保護者は不明のことを聞きます。担任は質問があれば応え、お便りを修正するのです。

 仕事は基本的に増えません。ブログに書いたことを、カットアンドペーストで紙媒体に落とし、それをお便りにするのです。

 コンピュータ・スマホを持つ保護者も多くなっています。というより、過半数はそうですよね。持っていない人はママ友ネットワークで保管すれば良い。ま、今よりもましになると思います。

14/01/15(水)

[]理想の学校 05:58 理想の学校 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 理想の学校 - 西川純のメモ 理想の学校 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ゼミ生に「西川先生の考える理想の学校とはどんな学校ですか?」と聞かれると、「例えば小学校だったら、入学式に校長先生が「6年後に、全員が立派な中学生になること。さあ、どうぞ」だけの学校」と即答します。ゼミ生は呆れますが、私はマジです。

 ま、以前に書いたことですが、もうちょっと詳しく書きます。

 私の考える理想の学校のカリキュラムは基礎的内容、育児・介護、職業教育が3つの柱です。基礎的内容とは、現在の三十後半の成人にテストしたとき、その二十パーセント以上が覚えていることです。多くの人が気づいているように、学校で学ぶことの大多数は成人になってから役に立ちません。そこをカットするのです。おそらく、小学校レベルの学習内容だと思います。でも、もちろん将来理系の職業に就く人は解析学も必要でしょう。それは職業教育の選択科目で学ぶのです。

 今後の社会で人が獲得しなければならない能力は育児と介護だと思います。つまり、人と直接関わる部分です。おそらく家事の大多数は機械や有料サービスで代替わり出来る世の中が来るでしょう。でも、育児と介護は人がやるべきものだと思います。

 子どもたちは入学後に指導教諭を選びます。ま、部活みたいなものだと思ってください。各指導教諭は自身の指導理念や方法を事前に明らかにします。子どもたちは1ヶ月程度、色々な指導教諭に面談し、先輩と相談しながら、自分に合った指導教諭を選びます。そして、年度ごとに指導教諭を変えることも出来ますし、継続することも出来ます。それは子どもが決めることです。

 子どもたちは、指導教諭ごとに異学年のチームを作ります。そして、週のうち2日程度、育児・介護体験と職業体験をします。色々な問題があった場合、チームで相談し解決します。子どもたちは一人一人、自分が必要な学習をします。例えば、職場で微積分が必要だというならば、それを自習します。分からないことがあれば、先輩に教えて貰います。

 では、指導教諭の仕事は何でしょうか?一人一人の個人指導の時間が週に1時間程度あります。ただし、個人指導は1対1では基本的にはやりません。何故なら、そうすれば教師に甘えるからです。だから5、6人程度の子どもが集まって各自の問題を指導教諭に相談します。それに対して指導教諭がアドバイスをするのです。そうすれば、それぞれがどのようなアドバイスを受けたか、他のメンバーが知ることが出来ます。そうすれば、フォローも出来るのです。

 そのような活動の成果は、年度ごとに評価されるのです。上記のようなものですので、時間割もありません。チャイムもありません。各人が各人のペースト指向性で決めます。強いて言えば、指導教諭の方針がカリキュラムであり、時間割であり、チャイムです。

 それ以外の時間、指導教諭は何をしているでしょうか?対外的な折衝です。子どもたちを任せられる職場を探し、その職場責任者と調整するのです。これは誰かに丸投げするのでは無く、指導教諭の仕事です。

 学校は地域コミュニティの核の役割をします。地域コミュニティのコーディネーターの仕事をします。そして、地域の人をどんどん学校に取り込むのです。学校の中には、老人ホームや介護施設や町内会館が混在し、それらの人がうろうろしています。

 また、予算を獲得することです。子どもたちがやりたいことをやらせるために、学校外から予算を獲得します。

 これが私の考える理想の学校です。荒唐無稽と思うでしょ。でも、上越教育大学の教職大学院はそのようなことを実現できるカリキュラムを保証しています。そして、西川ゼミはそれを徹底しています。おそらく、上記のうち「育児・介護」以外は全てやっています。

 ということを頭に描きながら、「三人の武将の課題はどうしたら良いのですか?」という質問に応え、それが分かるような本を書いています。私の頭の中と現実との乖離が激しい。『学び合い』はもの凄いスピードで広がり、理解する人が増えています。しかし、それ以上のスピードで私の妄想は広がるのです。とほほ

scorpion1104scorpion11042014/06/22 22:18理想の学校の記述がリアルに感じられます。全校『学び合い』が九州で行われるようになったのですから、次が来る予感がしています。この具体的な理想の学校への一歩を踏み出すために自分が置かれた立場でできることを考え、さらに足りない部分をどうしたらよいかを決めました。このページに今夜出会えて良かったです。意味不明ですみません。

jun24kawajun24kawa2014/06/23 05:55前進してください。

14/01/14(火)

[]色々な学力 21:07 色々な学力 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 色々な学力 - 西川純のメモ 色々な学力 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、色々な学力があることを学生に説明したのですが、私の説明より院生さんの説明の事例が分かりやすかったです。それも使いながら、説明します。

 『学び合い』をちゃんとやれば、日頃の学習の成績は上がります。でも、だからといってNRTや全国学力テストの成績が上がるとは限りません(ま、上がる場合が多いですが)。そのことを取り上げて、「『学び合い』は学力を上げると言うけど、違うじゃ無いか」という方がいます。困ったな~っと思います。

 その方は学力という普遍的なものがあると思い込んでいるために起こる誤解です。

 わかりやすい例で説明しましょう。

 サッカーの練習をすれば、サッカーの競技能力は高まるし、試合をすれば勝てるでしょう。でも、だからといって野球が上手くなるわけではありません。ところが、サッカー部員に野球をやらせたら下手だったら、「サッカーは運動能力向上には役に立たないですね」と言う人をどう思いますか?

 もちろん、サッカーをしっかりやれば持久力等の基礎体力はつくでしょう。でも、野球のテクニックを知らなければ、その基礎体力を活かせる前に負けてしまうのです。

 日頃のテストに現れる点数と、NRTの点数と、全国学力テストの点数は違います。もちろん重なる部分は大きいですが、それぞれの特徴を知らなければ、その重なる部分を活かせないのです。

 だから、私が「学力」を上げたいという校長に、上記のことを最初に言います。そして、どの学力を上げたいのかを聞きます。もし、NRTや全国学力テストの点数を上げたいと希望される場合は、3つのことをお願いします。

 第一に、教職員がその点数を上げたいと願うようにして下さい。教師が願わなければ、子どもは上げようとしません。

 第二に、教職員がその点数を上げたいと子どもに求めて下さい。教師がハッキリと言わなければ、全ての子どもが上げようとしません。

 第三に、それぞれに合った問題表現・癖を意識した課題を、日頃の課題の中に混ぜて下さい。日頃のテストに現れる点数と、NRTの点数と、全国学力テストは本質では同じことを聞いているのですが、問い方が違うだけです。なれさせれば良いだけのことです。

 この3つです。これをちゃんとやれば、結果を出せます。というより、出しました。だいたい1教科あたり1020も上げました(ビックリするでしょ?)。

 困るのは、日頃の学力を上げたい、いや、学力よりは人間関係作りを重視したい、と最初に言ったのにも関わらず、NRTや全国学力テストの結果が出ると「『学び合い』は学力を上げると言うけど、違うじゃ無いか」と言う方がいます。これには困ってしまいます。

 なお、言うまでも無いことですが、私は「日頃のテストに現れる点数と、NRTの点数と、全国学力テスト」のいずれも、どうでも良いことだと思っています。求められれば応えるだけのことです。私が大事にしていることは、子どもの生涯にわたる幸せを保証する仲間を一人の例外も無く与えることです。そのために、「多様な人と折り合いをつけて自らの課題を解決する」能力を学ばせることです。それを学ばせる場が「日頃のテストに現れる点数と、NRTの点数と、全国学力テスト」のどれだっていいのです。

14/01/13(月)

[]永遠の0 19:25 永遠の0 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 永遠の0 - 西川純のメモ 永遠の0 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、永遠の0を見ました。戦争反対の映画と見ました。出演者が皆良い味を出していた。岡田准一さんはフライダディフライを見たとき、凄いと思ったけど、本当に凄い。最後の笑顔はワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカの最後のシーンがダブった。

[]批判 19:25 批判 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 批判 - 西川純のメモ 批判 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ネットサーフィンをすると『学び合い』に対する賛同と同時に批判も増えています。これは自然なことです。なかには私を名指しして、日本の教育を破壊する、とまで書いて頂いているものまであります。たかが地方大学の一教師が日本の教育を破壊できるわけ無いのに、と驚きます。

 おそらく同志の方も同様な批判にさらされると思います。で、どうするか?これは『学び合い』のセオリーと全く同じなのです。

 集団を2、6、2で分けます。自分と同じ考えの人が2で反対者が2、中間者は6です。大抵の論争(建設的議論ではありませんよ)では対極にある2の人を意識して論争します。でも、無意味です。なぜなら対極にある2の人は説得されたくないのですから、どんなに理詰めで話しても説得されません。では、どうするか?まず自分の側の2をしっかり固め、6を味方にするのです。論争の勝ち負けは理屈では決まりません。集団によって決まります。例えば、地動説が勝ったのは、理屈で勝ったのではありません。天動説の人がほぼ絶滅しているからです。ちなみに、アメリカでは天地創造説の方が、進化論より優勢です。

 自分の側の2をしっかり固め、6を味方にすることによって8割になります。その「みんながそう思っている」という世の中で最も説得力のある理屈によって、反対する2割の人が少なくなります。

 ロジャーズやムーアの理論にもある通り、自分の側の2割の人を説得する方法と、6割の人の説得の仕方は違います。とくに2割の人よりも6割の人の説得の仕方に留意すべきです。では、どう意識するか、です。6割の人は自分が変わることを求められるのを嫌います。ドラッカーは、顧客は自分を変えることに料金を払っているわけでは無いと言っていますが、自分に置き換えれば当たり前のことです。セールスの際に最初に言うべきは「何がお望みですか?」であって、「我が社の製品には・・・」ではないのです。このことを書くと、過去の自分の失敗を思い出す方も少なく無いですよね。あなたは2割の人の説得方法と、6割の人の説得方法を分けていないから失敗したのです。

 同時に、6割の人は2割の人と、反対する2割の人の論争の論点を知りません。論争の際に見ているのは、その内容では無く、仕方なのです。

 で、私、心がけていることです。

 第一に、特定される個人、組織を非難しないことです。「え?」と驚かれるかもしれません。私はネット上でかなり過激なことも書きます。でも、過去の記録をさかのぼって調べてみれば、そのような記述が殆ど無いことに気づかれると思います。

 これはいらざる軋轢を避けるためです。そして、特定されないのですから、一般の方には一般的だとしか思えません。

 第二に、私を個人特定する非難には応えません。私を非難する方の記述の過半数は、「え?あなた社会人?」というような記述です。そのような記述に対応したら、私がそのレベルだと思われます。

 反応しないことによって、そのうち収束するでしょう。また、かえっていきり立って非難をエスカレートすると、品のない批判になります。さて、その品のない批判を「そうだ、そうだ」と思う方はおられるでしょう。でも、その方はもとから反対の2割の方です。では、6割の人はどうでしょうか?内容が分からないのですから、批判する方の「下品」だけがわかります。『学び合い』を知ったきっかけが、『学び合い』を声高に批判する声であった例はかなり多いと思います。一方、私は何も反応しないのですから、そのようなきっかけにはなりません。

 第三に、批判する際は、その根拠を明らかにします。そして、その根拠は非常に単純であることを良しとします。最も典型的なのは日本国憲法や教育基本法などの法規です。また、質問されたならば、ちゃんと学術文献を示せることを書くようにしています。

 同志の方に強く勧めます。これは「何故か仕事の出来る教師の7つのルール」にも書きましたが、教育法規をちゃんと読みましょう。お上からお達しが来たら、その根拠となる文章を調べましょう。そして、理論武装をしましょう。教育行政の方でも、これが本当に出来ている人は2割もいません。そして、その2割の大多数は、よく読んでいるのであまり無理強いは出来ないことをよく知っています。だから、理論武装をして、その上でその知識を攻撃では無く、防御に使えばかなり強い。

 以上です。

14/01/12(日)

[]研究 10:37 研究 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 研究 - 西川純のメモ 研究 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 定義の仕方としては、内包的定義と外延的定義が有名です。前者はそのものの全てが満たしている条件を挙げることによって定義することです。ところが我々の概念の多くは族類似性という特徴を持っており、内包的定義は出来ないことをRoschという人が明らかにしました。つまり、我々があるものを「犬」か否かを判断するには、数多くの特徴に着目します。その特徴が多ければ多いほど「犬」だと判断するようになるのです。しかし、面白いことにその全ての特徴を持つ「犬」は存在しないのです。

 外延的定義はそのものを全て枚挙して定義する方法です。でも、日本の大都市のように数十ぐらいで収まる定義でしたら可能ですが、それ以上になると訳が分からなくなります。

 教育で扱われる言葉は、抽象的につくられた概念では無く自然発生的に生まれた概念ばかりです。その一つ一つが多様で、多数です。だから、教育では定義がものすごく難しいのです。で、定義されない言葉が踊ることになります。

 じゃあどうするか?操作的定義が有効です。つまり、概念からそれを判別する方法を考えるのでは無く、判別する方法を最初に定め、それによって概念を定義します。もっとも有名なのは知能指数です。知能指数とは田中ビネー検査で測定されるもの、と定義できます。

 では学力をどのように定義したら良いでしょうか?田中ビネーほど広く受け入れられた測定法は無いですね。その場合は、自分たちで決めるのです。例えば、日々使っている業者テストで定義すれば良いのです。

 そう言うと、学力は業者テストの点数では無い、といわれる方が少なくない。でも、その方に伺いたいのですが、では、それより測定方法があるでしょうか?おそらく言葉に詰まるはずです。だから、決めない、では宗教活動になってします。だったら、まずは、そこから始めるべきだと思うのです。

[]必要とする人 09:51 必要とする人 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 必要とする人 - 西川純のメモ 必要とする人 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 各人、それぞれの健康法がありますよね。特に、三十後半の人には。例えば、毎日、あるものを食べるとか。我が家にもあります。毎日、ゴマときな粉を混ぜた牛乳を朝飲んでいます。私はこれは良いことだと思います。少なくとも、それを食べれば良いな、と思っているならば、それだけで良い効果はあります。

 でも、万人すべからく効果があるわけではありません。効果のある人もいれば、それほど無い人もあります。ま、ゴマときな粉を混ぜた牛乳を朝飲むことがマイナスに働くことは無いですが、でも、アレルギーの人もいますよね。

 もし、私が国の絶対権力者で、私の経験から国民全員にゴマときな粉を食べることを強いたらどんなことがありでしょうか?良いとは思えません。

 さて、ここまでは納得ですよね。

 本日は臨床教科教育学会が上越でありました。学会では理論と実践の往還がテーマです。私なりの意見をシンポジウムで話しました。でもね、本音トーク満載の会でしたので、面白かったですよ。文科省のお役人(若い方で、やる気のある方です)もいっしょになって話しました。面白かった。断言します、私の参加した学会のシンポジウムで、面白さはナンバーワンです。

 懇親会です。その時、ある方から「理論と実践の往還は、大学より現場が必要としていることです」と教えて貰いました。なるほどと思いました。

 残念ながら、理論を担当している大学と、実践を担当している学校現場のは音信不通状態です。それをつなげようとして臨床教科教育学会を立ち上げました。

 ところが大学の研究者はいまのところ学校現場と音信不通であっても、その世界の中では生きられます。だれかさんの思いつきで、これこれしなさいとはいわれません。ところが、学校現場は思いつきであふれています(http://p.tl/UQXI)。数少ない自分の経験を安易に普遍化し、それを人に強いることにあふれています。私の知る限り、学校現場で強いられていることの圧倒的大多数は、学術的には効果が無いことが明らかにされています。

 文科省レベルの提言の場合、必ず学術研究者が一定数以上呼ばれ、吟味をされます。ある学者が正しいと確信していることでも、別な学者はそう思っていません。結果として、細かいところは並立表記にしています。

 ところが、県や市レベルでそのようなことはあまりなされていません。残念ながら、学術を馬鹿にしています。結果として、そのチェックを受けていません。そして、県や市のレベルでは、その組織全体の議論の結果では無く、その組織のごく一部の判断によって決められてしまします。その結果、学術的には明らかに誤りであることが、学校現場の一人一人の教師が強いられるのです。学校現場の多くの人は教育の学術の成果を知りません。そのため、強いられて、嫌だな~、効果が無いな~と思っても、それに対する反論の根拠を持たないために、それに甘んじます。

 学校現場は学術に従う必要はありません。取捨選択するのは、現場の人です。でも、学術は多くの人が、膨大なデータに基づき積み上げているものです。個々人のおもいつきよりは、「まし」であることは確かです。

[]研究 09:46 研究 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 研究 - 西川純のメモ 研究 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 多くの方は胸に手を置いて聞いて頂きたい。

 大学に異動してから、多くの研究会に参加しました。しかし、その学校の研究がどうして研究だと思っているのか理解不能でした。義務教育を理解していない私の不勉強だと思ってなんとか理解しようとしました。しかし、分かりました。あれは宗教活動なのだと。

 私が理解不能だったのは、以下の点です。

 例えば、ある学校で「豊かな言語活動」を目指した研究をしていたとします。その学校の方に「豊かな言語活動」とは何かを聞けば、99%以上は叙情的な表現をされます。次に、それが成り立ったか、否かを判断するのはどうやるのかを聞くと、目が点になります。そして、「何でそれを聞くのか?」という風になるのです。もちろん、それが成り立ったか、否かを判断する基準が明確であったほうが良いことは理解されているようです。でも、必須事項とは考えていないのです。そのことに私は目が点になります。

 科学研究とはどのようなものを指しているのでしょうか?もっとも広く受け入れられている定義は反証可能性があるものです。簡単に言えば、どのような手段によっても間違っている事を示す方法が無い仮説は科学ではないということです。もし、「豊かな言語活動」の定義が明確で無く、したがってその反証可能性が無いならば、科学研究では無いのです。

 断言します。皆さんのお勤めの学校の研究主題で、反証可能性がある場合はまずありません。「豊かな言語活動」だけではなく、学力の向上でさえ、どの点数を学力と考えるかは明確ではありません。

 不思議なことに自然科学研究をした理科系の人でさえ、そのことに奇異を感じなくなるほど学校の現状は異常です。

 研究主任の説明で使われる図は、私にとっては密教の曼荼羅図に見えます。なにしろ、関係しそうな名詞が全てそこに書かれており、そして全てが繋がっているのです。全てが繋がっている図は何の情報もありません。おそらく曼荼羅図の方が遙かに理論があります。

 その曼荼羅図を前にして、定義不能の学力等の「真言」が唱えられている状態が、研究会で研究主任が説明している姿です。そこにはその地域の枢機卿、大司教、司教、司祭が並んでいるのです。宗教活動以外の何者ではありません。だから、何十年積み上げても何も生まれません。だって、反証可能性の無い答えがそこにあり、予定調和的な営みがなされているのです。

[]不勉強 07:28 不勉強 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 不勉強 - 西川純のメモ 不勉強 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 「陰陽道」や「占星術」にもとづいた法案が国会で審議され、それが通過し、法となったらとしたら日本はどうなるのでしょうか?そんな馬鹿げたことは無い、と思うでしょ。でも、日本の一部には、それが成り立っているのです。教育です。

 職業柄、色々な学校の研究発表に参加します。そこでは研究主任がその学校の研究の理論的(?)説明をされます。それを聞いていると、吹き出すようなことはよくあることです。「陰陽道」や「占星術」レベルの時代遅れのことを書いているのはざらです。おそらく、その方が大学学部で聞いた授業で、聞いたことで進歩が止まっているのでしょう。さらに悲惨なのは、その人が聞いた授業を講義した大学教師が不勉強で、その大学教師が二十代、三十代に学んだことを五十代、六十代の授業でやれば、半世紀昔のことが最新理論のように思ってしまうのでしょう。

 また、聞きかじりレベルの理解しか無い場合、無茶苦茶な組み合わせをします。例えば、マルクス・レーニンとケインズを一緒にして、ヒトラーのわが闘争を少々加えた経済理論を発表したら、吹き出しますよね。でも、学校研究会ではよくあることです。

 そんなレベルだから百年以上前の五段階教授法の変法が、未だに学校現場に強いられている。ちょっとは勉強してよ、と思います。ま、大学の情報発信が駄目だということが最大の原因ですが・・・・

[]理論と実践の往還 07:14 理論と実践の往還 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 理論と実践の往還 - 西川純のメモ 理論と実践の往還 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 理論と実践の往還を学び取るとしたら、理論と実践の往還を果たした人から学ぶことだと思います。具体的には、一定以上売れる実践書を書き、かつ、学術の業績を持つ人です。

 実践書を書かなくても良いじゃ無いか、と思う方もおられるでしょう。たしかし実践書を書かれてはいないが、素晴らしい実践をされている方はいます。でも、その方の実践を学ぶのは「他人」なのです。「その人が出来る」ことがポイントでは無く、その人が出来ることを「伝える」ことがポイントです。だから最も確かな方法は「一定以上売れる実践書を書いたか否か」だと思います。

 学術の業績を持つ、ということも同様です。具体的には日本学術団体に登録されている学会の査読制度がある学会誌に掲載された論文業績を持っているか、否かです。その人が理論を持っているかではなく、その理論を伝えることが出来るかがポイントになるからです。

 多くの大学では、理論担当の大学教員と実践担当の大学教員がいて、両方から学んで、理論と実践の往還を学び取ります。センターの研修では、大学教員の理論的な講演を聴く機会を与えます。しかし、そんなことで理論と実践の往還が分かるわけない。絶対に。だって、自分なりの理論と実践を学ぶのは本当に大変です。

 私は高校教師として色々な経験をしました。でも、そこで大学・大学院で学んだことはほぼ役に立ちませんでした。何故ならら、大学・大学院で学んだことは、全て「学ぶ構え」がある子にどのように教えたら良いか、ばかりです。ところが学校現場で必要なのは、その構えの無い子にどのように教えたら良いかです。そのため、私の頭の中で理論と実践は全く分離しました。多くの教師は私と同じ経験をしているのだと思います。

 縁あって大学の教師になりました。高校教師で自分が実現できなかったことをどのように実現したら良いのか、その思いで研究をしました。しかし、大学のコミュニティの中で生き残るには学術業績が必要です。学術業績を上げるには、現場に役に立つか否かは殆ど関係なく、学術の作法に則っているか否かが重要です。その中で実践を意識した理論を構築する志を維持するのは並大抵ではありません。

 これは学校現場でも同じです。学校現場のコミュニティで生き残るには、そこでの実績を上げなければなりません。そして、その実績を上げるには、学術との関係を明らかにするとか理論的背景を持つことは殆ど関係なく、現場の作法に則っているか否かが重要です。だから、大抵の教師は私と同じように大学で学んだことを就職後に早々に捨てます。これは現職教員として大学院で学んだ人も例外ではありません。

 大学も現場も、「直ぐに使える」ものに走ります。自分自身で直ぐに使えないものを直ぐに使えるものに成長させるのは当人の志もさることながら、勤めている環境に大きく左右されます。

 私の場合は、大学コミュニティで生き残る膨大な業績を上げました。でも常にむなしかった。だって、私の教育の原体験を与えてくれた高校の教え子には役立たないことが十分すぎるほど、分かっていたから。

 普通の人が考える「理論と実践の往還」とはどんなものをイメージするでしょう。例えば、理科教師が実験法を開発するに際して、物理学や化学の理論を駆使すれば理論と実践の往還が出来たと思うのでは無いでしょうか?ある日の国語の教材を考えるとき、それを実践した学術論文を参考に出来たとき理論と実践の往還が出来たと思うのでは無いでしょうか?でも、それは違うと思います。

 理論と実践の往還とは、その人の実践が全て学術に基づく理論に裏打ちされることであり、その人の学術が全て実践に裏打ちされることです。そんな1時間、1単元の問題ではありません。日常の考え方、生き方レベルだと思います。

 昭和62年4月に大学教師になりました。最初は認知心理学をベースにしてそのような理論を構築しようとしました。たしかに6割以上の子どもに良い影響があり、テストの点数が二十点弱ほどあげるようになりました。でも、私的にしっくりこなかった。なぜなら私が高校で教えた子には有効で無いことは明らかだから。そこで平成8年頃から『学び合い』に全面的にシフトし、今に至ります。

 不遜ながら申します。今では、小中高の様々な教科の先生方の悩みを、直ぐに理論的に分析し、対応策を語れるほど『学び合い』は進化しました。でも、そうなれたのも数百人のゼミ生と数多くの同志の皆さんの協力を得て、三十年弱の月日をかけたから出来ました。

 このレベルのことを、理論担当の大学教員と実践担当の大学教員がいて、両方から学んで、理論と実践の往還を学び取ることが出来るでしょうか?センターの研修で、大学教員の理論的な講演を聴くことで得られるでしょうか?無理だと思います。

 理論が無くても、素晴らしい実践を出来る方はいます。でも、そのような方は希です。そして、そのような方も、その素晴らしい実践を人に伝えることは出来ません。何故なら、子どもはその人の語りや教材で動かされているのでは無く、その方の「人」によって動きます。それを伝えることは難しい。その方と日常的に接し、薫陶を受けるならば可能かもしれません。しかし、その恩沢に浴せる方がどれほどいるでしょうか?まずいません。

 あることを確実であるかを保証し、それを確実に人に伝える方法として十八世紀以降の多くの人が作り上げた作法が、学術です。それが分かりやすいか否かは意見の分かれるところでしょう。でも、最も確実であることは確かだと思います。おしかりを承知で書きます。斎藤喜博先生、大村はま先生は優れた実践者です。でも、研究者ではありません。斎藤喜博先生は大学教師かもしれませんが、研究者ではありません。なぜなら学術論文も書かれていませんから。その著作は素晴らしいものですが、学術の作法を知りません。その方々が十八世紀以降の多くの人が積み上げてきた学術を乗り越えるだけの確実性を持つと信じることは、これは信仰ですね。(ま、科学を信じるということも信仰ですが)

 繰り返しますが、理論が無くても素晴らしい実践が出来る人もいます。でも、その方も出来ないことは、その方の「コア」を人に伝えることは出来ないのです。また、お上からのお達しに対抗するとき、ちゃんと対抗できません。最終的には「私はそう思う」、「私はそうだった」の低レベルの議論になるでしょう。それではお上のお達しに対抗できません。

 これを学ぶには、教師が学ぶには実践と往還できる理論を大学・大学院で学ぶしかありません。残念ながら、現在の現場教師には理論と往還できる実践を構築するだけの時間的余裕がありません。大学には、その時間とマンパワーがあります。でも、大学で与えられるのは「種」にすぎません。その種を現場に持って行き、豊かな実践にするのは現場の教師です。多くの方は、その方から学べばいい。でも、全国的にいっても、「一定以上売れる実践書を書き、かつ、学術の業績を持つ人」は殆どいません。もっと増えて欲しいと願います。そのためには、研究者と実践者が交流し、研究者が実践書を書き世に問い、実践者が学術論文を書き学会に審査を受けるべきです。

ogymogym2014/01/12 22:24痛快・明快で励みになりました。

FlipperKFlipperK2014/01/12 22:34 我々はきっとコペルニクスであり、ガリレオなのでしょう。でも、地球は動いているという事実は動かせないのと同様、これからの方向はいずれ…。自分にできることを少しずつやります。

jun24kawajun24kawa2014/01/13 06:10お二人ともへ
大義は我にあり、です。

14/01/11(土)

[]必要な人 21:38 必要な人 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 必要な人 - 西川純のメモ 必要な人 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 各人、それぞれの健康法がありますよね。特に、三十後半の人には。例えば、毎日、あるものを食べるとか。我が家にもあります。毎日、ゴマときな粉を混ぜた牛乳を朝飲んでいます。私はこれは良いことだと思います。少なくとも、それを食べれば良いな、と思っているならば、それだけで良い効果はあります。

 でも、万人すべからく効果があるわけではありません。効果のある人もいれば、それほど無い人もあります。ま、ゴマときな粉を混ぜた牛乳を朝飲むことがマイナスに働くことは無いですが、でも、アレルギーの人もいますよね。

 もし、私が国の絶対権力者で、私の経験から国民全員にゴマときな粉を食べることを強いたらどんなことがありでしょうか?良いとは思えません。

 さて、ここまでは納得ですよね。

 本日は臨床教科教育学会が上越でありました。学会では理論と実践の往還がテーマです。私なりの意見をシンポジウムで話しました。でもね、本音トーク満載の会でしたので、面白かったですよ。文科省のお役人(若い方で、やる気のある方です)もいっしょになって話しました。面白かった。断言します、私の参加した学会のシンポジウムで、面白さはナンバーワンです。

 懇親会です。その時、ある方から「理論と実践の往還は、大学より現場が必要としていることです」と教えて貰いました。なるほどと思いました。

 残念ながら、理論を担当している大学と、実践を担当している学校現場のは音信不通状態です。それをつなげようとして臨床教科教育学会を立ち上げました。

 ところが大学の研究者はいまのところ学校現場と音信不通であっても、その世界の中では生きられます。だれかさんの思いつきで、これこれしなさいとはいわれません。ところが、学校現場は思いつきであふれています(http://p.tl/UQXI)。数少ない自分の経験を安易に普遍化し、それを人に強いることにあふれています。私の知る限り、学校現場で強いられていることの圧倒的大多数は、学術的には効果が無いことが明らかにされています。

 文科省レベルの提言の場合、必ず学術研究者が一定数以上呼ばれ、吟味をされます。ある学者が正しいと確信していることでも、別な学者はそう思っていません。結果として、細かいところは並立表記にしています。

 ところが、県や市レベルでそのようなことはあまりなされていません。残念ながら、学術を馬鹿にしています。結果として、そのチェックを受けていません。そして、県や市のレベルでは、その組織全体の議論の結果では無く、その組織のごく一部の判断によって決められてしまします。その結果、学術的には明らかに誤りであることが、学校現場の一人一人の教師が強いられるのです。学校現場の多くの人は教育の学術の成果を知りません。そのため、強いられて、嫌だな~、効果が無いな~と思っても、それに対する反論の根拠を持たないために、それに甘んじます。

 学校現場は学術に従う必要はありません。取捨選択するのは、現場の人です。でも、学術は多くの人が、膨大なデータに基づき積み上げているものです。個々人のおもいつきよりは、「まし」であることは確かです。

14/01/08(水)

[]忙しい 21:43 忙しい - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 忙しい - 西川純のメモ 忙しい - 西川純のメモ のブックマークコメント

 なんか、忙しい。休み明けは、仕事を集中的にこなさねば。

FlipperKFlipperK2014/01/08 21:56わたしは、「もう少しできるかな」の、2歩手前でやめなさい。今の敵は「もう少しできるかな」と考えるあなた自身です。といわれてしまいました。先生もお体ご自愛ください。

jun24kawajun24kawa2014/01/09 21:28あはははは。ゼミ生にとっては、私は後者ですよ。それも、かなりハードに。でもね。ような、それが納得できるか、否かです。

14/01/07(火)

[]部長 17:57 部長 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 部長 - 西川純のメモ 部長 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ある同志が顧問をしている部の部長に対して、どのように指導したらいいのか悩んでいました。具体的には、「キャプテンや副キャプテンをチームの前で叱るのは,よくないこと…ですか?呼んで個別に話すべきか,全員の前で,話すべきか迷っています。」と書かれています。多くの方に関わる事なので、メモります。

 まず、基本的に上記のようなこと私は悩みません。百歩譲っても、特定の人だけをよんでなんとかしようとはしません。

 私の説明しやすい西川ゼミで説明します。西川ゼミにはゼミ長がいます。でも、私は過去においてゼミ長を決めなさいと求めたことはありません。いつのまにかゼミ長がいました。そして、それが続いています。その間、ゼミ長を決めることに関して、関わったことはありません。決まった後に、事後連絡があります。

 つまり、ゼミ長はゼミ生の必要性から生まれました。私と無関係に。

 当然のことながら、ゼミ長だからといって私が何らかの権限を任せたこともありません。ゼミ長がゼミ長として働けるのは私と関係なく、ゼミ生の必要から役割を果たしています。

 私がゼミ生に求める時は、ゼミ全員に求めます。その連絡をゼミ長にお願いすることがあります。でも、その求めにゼミ生集団が応えなかった場合、それをゼミ長に指導しようとは思いません。(ま、ゼミ長が連絡を忘れた場合は、注意しますが)もし、応えなかった場合は私が駄目なのです。私が、それを達成する意味をちゃんと語らず、ゼミ生に納得させられなかったために起こることです。だから、達成しない場合は、全員を集め、再度語ります。

 私とゼミ生との関係は、基本的に私対ゼミ集団です。私-ゼミ長-ゼミ生という関係は結びません。従って、「ゼミ長をゼミ生たちの前で叱るのは、よくないこと…ですか?呼んで個別に話すべきか,全員の前で,話すべきか迷っています。」なんて頭に思い浮かべたことは思い出せる過去まで思い出しても、思い出せません。

  『学び合い』では、集団をリードする2割を動かそうとします。しかし、その2割が誰であるかを考えません。ちゃんと語れば、2割が動きます。それが動かないならば、自分が悪いのです。

14/01/05(日)

[]合わない子 06:34 合わない子 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 合わない子 - 西川純のメモ 合わない子 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』にはじめて接する特別支援担当の先生の典型的な意見は、「この子は『学び合い』に合わない子だから」というものです。タイプ、理由は様々です。そして自信たっぷりに「無理だ」と断言されます。

 しかし、少なくとも通常学校に通っている子どもで、「無理」だった子を私は一人も知りません。皆無です。もちろん、『学び合い』のセオリー通りにやったということを前提にしていますが。少なくとも、私が直接・長期に関わった学校で、実際に『学び合い』に参加したが、無理だったという子は誰もいません。また、メールのやりとりをしているケースで、無理だったケースもありません。

 理由は簡単です。その子は拘束衣を着ているわけでも無く、檻に入っているのでもありません。特別支援の先生と関わっているのです。特別支援の先生がその子と関わっていることに関して、特別な能力が必要な部分はどれほどあるでしょうか?皆無とはいいませんが、殆ど無いでしょう。重要なのは根気と、受容だと思います。では、それを持つ子どもが数十人の子どもの中に皆無というケースが有りえるでしょうか?有りえません。第一、そんなクラスだったら、それを何とかしなければならない。さらにいえば、一人で担当するより、みんなで関わる方が根気も受容も遙かに維持しやすい。

 専門家の合議で知的な障害があると断言された複数の子がいるクラスで『学び合い』をしたら算数で満点を出すようになりました。その子は知的な障害があるのでは無く、やる気が無かっただけなのです。ちなみに、私も小学校中学年までは知的な障害があると担任の教師からは認定されました。

 もちろん、通常学校のケースしか私は知りません。でも、私は『学び合い』は出来るし、するべきだと確信しています。

 『学び合い』が無理ってどんな子でしょうか?本当に他者と関わることが出来ない子がどれほどいるのでしょうか?拘束衣を着させて、チューブで食事をさせているとでもいうのでしょうか?本当に『学び合い』が無理な子だったら、生きていません。生きていたということは、少なくとも保護者などとは関わることが可能であったことを意味しています。従って、どれほどの程度かは分かりませんが、『学び合い』が無理ということはありません。

 そして、「無理」という方に問いたい。では、その子の二十年後、三十年後、四十年後の将来をどのように描くのでしょうか?特別支援の子どもを抱え、その子を三十代、四十代に育てた保護者は思っています。学校にいるうちは手厚い保護を受けていたのに、卒業したらそれが皆無になってしまい、全て家庭に任せられると。

 きつい書き方ですが、手厚い保護を今、自分がしていることに満足し、その後のことを考えないとしたら、無責任です。その子の将来を考えるならば、筆算や漢字よりも、人と関わる能力を与えるべきです。そして、その子を理解する仲間と社会を与えるべきです。だから、「出来る/出来ない」ではなく、やらねばならないのだと思います。

 同志の皆々様、これを乗り越えられるのは皆様方の「事実」だと思います。是非、以下をお読み下さい。

 ある兄弟がいました。お兄さんは健常児、弟は特別支援の必要な子どもも。弟は腕のある特別支援の教師に教えられています。保護者も満足しています。その弟が母親に「お兄さんには友達が遊びに来るけど、僕には来ない、何故?」と問うたそうです。母親はなんとその子に言ったらいいのでしょうか?

 そして、学校現場で日々子どもと接している同志の方は、遙かに私よりよくご存じなはずです。

 そのような子が成長し、卒業した後は作業所に入るかもしれません。そして、作業所の人としか関わらない一生を送るかもしれません。

 家庭はその子中心でいつまでも回り、疲弊してきます。

 皆さんが、そして、皆さんの子どもの家庭がいつそうなるか分からないのです。

 そして、一人を見捨て、二人目を見捨て、三人目を見捨てるクラスの中で、健常児の子どもは成長するのです。

 この閉塞感を脱するには、クラスのみんなで、学校のみんなで、社会のみんなで、支え合うしかありません。その支え合う人の中に特別支援子「も」含まれます。それを目指しているから、学級の『学び合い』を脱し、学校の『学び合い』へシフトし、地域コミュニティーの再生を学校が核になることを目指しています。

 「お兄さんには友達が遊びに来るけど、僕には来ない、何故?」と問う子どもを一人でも少なくし、1時間でも短くしなければなりません。

 私は「日本でいちばんたいせつにしたい会社」で紹介されている日本理化学工業が、社会全体に広がって欲しいと願っています。その最初の核は学校です。

 善意の「無理」を乗り越えましょう。

追伸 かつての社会の「みんな」は一部貴族でした。そこに裕福な市民が含まれ、男性が含まれ、女性を含むようになりました。マイノリティの人も含まれるようになりました。それは善とか正義でそうなったわけではありません。そのようにより広い範囲の人を「みんな」とした国が戦争で勝ち、経済発展で勝ったから、それが善となり正義になったのです。今の日本にある最大の天然資源は「老人」です。そして「障害者」だと思います。その方々が支えられねばならない人から、支える人にシフトしたらどれほどのことが起こるでしょうか?大学の世界にいるとよくわかります。研究者の中にはアスペルガーやサイコパスは一般社会より遙かに多い。ある意味、研究者はみなサバン症候群です。でも、それを生かせる場はありますし、今後の日本の産業の種はそこにあるのかもしれません。我々の老後の年金は彼らが頼りかもしれません。

scorpion1104scorpion11042014/01/05 07:28現在の支援学級の保護者の方々の言葉です。「私たちが死んだときのために障害者同士が一緒に暮らせるシェアハウスを作ろうと思っているんですよ。○○会の元保護者の方と、もう話し合っているんです。」保護者の方々は、今を生きながら未来を思い悩んでいます。学校を卒業してからの居場所を作ろうと考えておいでなのです。私は、『学び合い』で支援学級の子どもたちに通常学級での居場所をつくろうとしています。でも、卒業してからの居場所までは、今の状態ではできないと思います。やはり、日本中の先生方が『学び合い』を全ての子どもたちに体験させ続けることで実現すると思うのです。そのためには、身近な同僚に事実を伝え続けることしかないと思っています。1人でも多くの子どもたちに『学び合い』を体験させたいと願い、動かねばと思っています。

jun24kawajun24kawa2014/01/05 09:212割を動かせばいい。10割でも無く、5割でも無く、2割。そうすれば焦らなくなる。

14/01/04(土)

[]苦しい 20:25 苦しい - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 苦しい - 西川純のメモ 苦しい - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ネットサーフィンしていると、ある写真を見ました。そこには子どもたちが満面の笑みをたたえて、元気いっぱいに手を上げている写真です。とても幸せそうな子どもたちの写真。そこには「闇」は見えない。でも、私は「闇」が見えてしまう。見たとたんに動悸がして、暗い気持ちでいっぱいになってしまいます。

 私の頭の中・・・・

 全員が分かるような質問は出来るわけ無いよな。手を上げられない子がいるよな・・・

 手を上げても、教師からだめ出しくうこがいるよな。その子はどんな気持ちなんだろう。

 そして、何よりも暗くなるのは、8割がこうなれば、多くの教師は全員が満足していると思うだろう、と。教師を支持している子どもは2割。それ以外のニコニコしている子どもの心の中は何だろう・・・・

 あ~・・・・。見えてしまうということは辛い。

[]医療と教育 08:03 医療と教育 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 医療と教育 - 西川純のメモ 医療と教育 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ある方と特別支援のことでメールのやりとりをしました。その方の書かれていることの一部に違和感がありました。一言で言えば、「それは医療であって教育では無い」というものです。で、じゃあ私は医療と教育をどこで分けているのだろうかと考えました。私なりに考えて結果、医療と教育はその人の幸福を目指している点では全く同じだと思います。

しかし、それを実現の仕方が違うように思うのです。医療の場合は、「その人を大多数の人と同じ状態に同じにする」と単純に割り切れます。なぜなら医療を受ける人の大多数は「その人を大多数の人と同じ状態になる」ことと「その人の幸福」は単純に一致するからです。もちろん、安楽死の場合は単純ではありませんが、大多数は一致します。

 しかし教育は違うと思うのです。だって、その人の幸福と一致する「大多数の人と同じ状態」がそれほど多くはないと思います。

 そう考えてみると、特別支援ばかりではなく、私にとって今の教育全般が医療と同じであることが分かりました。

 今の教育で、子どもの二十年後、三十年後、四十年後を考えている教師がどれほどいるでしょうか?教師が子どもの将来を考える九割り以上は、その日の、その時間のことが分かるか否かだと思います。それが分かることが、二十年後、三十年後、四十年後にどのように影響するか考えません。学級担任である小学校の場合は、長期スパンといっても1年が基本です。学年団を組む中学校は3年が基本です。しかし、担任が替わり、進学すれば、それからはその人、その学校の担当だから、自分の担当では無いと思うのでは無いでしょうか?そして、変わった後に教え子が問題を起こせば、それは次の担任、次の学校の責任であり、自分の責任では無いと思うのでは無いでしょうか?

 偉そうなことは言えません。私もそうでした。私なりに最高のクラスをつくったと思って大学に異動しました。しかし、卒業式に呼ばれたとき、私のクラスの子どもの殆どは退学していました。当然、私の次の担任を恨みました。でも、今は分かります。その責任は私にあります。私があまりにもテレビドラマ的熱血教師になり、話術・教材をばんばん使う授業をやったため、子どもは私と強く繋がるクラスを作ってしまったのです。それが原因です。その自責の念があるから、現状の教育に不満があります。

 今、我々はある調査をしています。今、三十代、四十代になっている元特別支援学級の保護者(つまり六十、七十代)に、今から考えると学校で何を学んで欲しかったかを聞いています。さて、この保護者に対して顔向けできる教師がどれほどいるでしょうか?保護者の回答は「学校に何も期待しない」なのです。そりゃそうでしょう。社会生活で殆ど役にも立たない、筆算や書き順のために義務教育の殆どを費やしているのですから。

 これは健常児のクラスでも同じです。今、三十代、四十代になっているに顔向けできる教師はどれほどいるでしょう。少なくとも私は顔向けできない。もちろん私と違って十分に誇れる成果を上げている方も少なく無いと思います。でも、それは筆算のやり方を分からせたからでしょうか?違うと思います。その方の「人」だと私は思います。

 ここまで来て、私なりにまとまりました。医療は今に焦点を当て、それを未来につなげる。教育は未来に焦点を当て、今につなげる。少なくとも、私はそう考えたい。

suikanomeisantisuikanomeisanti2014/01/05 00:24「教育は人なり」ですね。『学び合い』をしっかり成立させるのためにも、自分磨きは必要だとよく感じます。

jun24kawajun24kawa2014/01/05 06:50子どもという鏡を通して磨いてください。

14/01/03(金)

[]老い2 21:30 老い2 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 老い2 - 西川純のメモ 老い2 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は老いることを楽しみにしています。理由は以下の通りです。

1) 私は若い頃に戻りたいと思いません。若い頃がどれほど辛いものだったかを知っています。大学入試前に戻ることも勘弁して欲しい。就職が決まる前も嫌だ。家内と結婚が決まる前も嫌だ。息子が家内のおなかにいることが分かる前に戻るのも嫌だ。では、いつに戻りたいか。それは昨日です。

2) 死は辛いもの、恐ろしいものです。でも、死なないとしたら、それも拷問です。それに、我々は毎日死んでいます。というのは眠るとは意識が途切れることです。それが長い、とても長いのが死ですから。

3) 老いるということは、自分の時間を自分のために使えるということです。もちろん100%は不健全ですが、今の状態も不健全です。

 私が楽しく老いるために、私を必要とする人がいて、その事によって生きられるだけの愛と糧を得たいと思います。それが得られたら、今より、ずっと幸せです。

 もし、今の若さが永遠で無いことを嘆いたり、老いを人にすがることによって生き残ろうと思うならば不幸ですね。でも、上記のように思えば、幸せだと思います。

[]老い 19:44 老い - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 老い - 西川純のメモ 老い - 西川純のメモ のブックマークコメント

 年を重ねると、色々なことを発見します。「え?こんなことが出来なくなるの?」ということを知ります。私の最初の老いの発見は、大学に入る頃、身長が伸びないと言うことに驚きました。次の老いの発見は、24歳頃、酒量が減ったことです。それまでは一升以上のんでも翌日に残さなかったのが、残るようになったことです。次の老いの発見は30歳頃です。高校教師の頃はジョギングをしていましたが、大学に異動して久しぶりに走ってみたら1Kmも走らないうちに足の「さら」が痛くなりました。調べてみたら足の筋肉が衰えたためだそうです。

 ま、これまでは良いのですが、これ以上、私の老いを話せば、若い人には醜悪に見られます。私がそうでしたから。

 年を重ねると、若い頃に変化すると思ったところは変化しないことに驚きます。簡単に言えば、頭の中の基本構造は中学生レベルで止まっています。ところが、若い頃にそうぞうしないところが変化します。

 二十代の学部学生、三十代、四十代の現職院生をみていると、「あ、あの段階に移行したんだな」と分かります。自分でそれを乗り越える人もいますが、私に相談する人もいます。その時は、共感的に話し合えます。

 さて、六十代、七十代、八十代、九十代、百代、百十代(このあたりでNHKで取材されるかな)、百二十代・・・・・、どう変わるのでしょうか。楽しみだな。

14/01/02(木)

[]孝行 20:27 孝行 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 孝行 - 西川純のメモ 孝行 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は色々な人から相談されました。その一つのジャンルは親との関係です。残念ながら『学び合い』の理論が適応できない数少ない事例は、親、伴侶、子どもという1対1という関係です。というので、ここからは実証的データではなく、一人のおっさんの意見です。

 私は人間社会の習慣、特に公序良俗は利害に一致するものであると信じています。

 教員養成系大学に勤めていると、実に親孝行な学生さんに出会います。親孝行だからこそ、地元とで安定した生活を実現しようと考えて教員という道を選ぶ人が多い。私のような人間はそんなことを考えず、自分が知りたいこと、やりたいことだけを考えていたから、就職のことを考えずに大学を選びました。

 その学生さんは悩みます。親と同居しないとならないと思っているからです。

 私はその学生さんに語ります。

 まず、親が子どもを育てるのは、自分のために育てているのであって、子どものために育てているのではありません。このことは自分が親になってハッキリしました。子どもを育てさせて「いただける」おかげでどれほど多くのものを子から頂いたか。だから、子どもは親に負い目を持つ必要はありません。

 では、今までの日本で親との同居が常態だったのでしょうか?特に、長男は。

 これは誤解です。

 日本の歴史の中で親との同居は常態ではありませんでした。これを理解するには、家族を「愛」で考えるのではなく、「企業」として考えた方が良い。

 かつての家族は企業です。まずは親が社長で、子どもが社員として入ります。つまり家業です。やがて家督という株・資産を子どもに譲り社長にするのです。そして、自分は会長職になります。そして、会長職の給料を貰います。つまり、子どもに株・資産を譲れない人は同居できません。

 家業を継げない子どもは家を出ます。そして親を面倒する義務もありません。これは長男も同じです。そして、次がせるべき親は子どもから面倒を見て貰えません。きついことですが、姥捨ては日本では常態だったのです。

 もちろん、戦後社会にも次がせるべきものを無かったのに同居した人もいます。それは昔の武家の次男、三男の生活のような位置にいました。つまり、厄介者でした。死なない程度に生かされていました。

 もちろん、それを超える待遇を得た人はいます。それは、それなりの働きをしたからです。

 残念ながら、現在の老齢者(次は私自身も)は誤解があります。それは「親は子どもから面倒を見て貰える権利がある。伝統がある。」という誤解です。それは日本の伝統の自分にとって都合の良いつまみ食いです。

 昔も今も、老齢者には選択肢は

 第一に、子ども世代が十分に生活できる基礎を与えて、その権利として老後を生きる。

 第二に、子ども世代に十分に生活できる基礎を与えらないが、子ども世代にその存在が十分にメリットを与えられるから、その権利として老後を生きる。

 第三に、子ども世代に十分に生活できる基礎を宛て得られず、子ども世代にその存在が十分にメリットを与えられないならば、かつての武家の次男、三男のように日陰者として生きる。

 第四に、子どもに頼らず、自活する。

 以上、4つのうちから選択しなければならないのです。

 「子ども世代に十分に生活できる基礎を宛て得られず、子ども世代にその存在が十分にメリットを与えられ」ないにも関わらず、親としての権利を「愛」で要求するのは、日本史上、最近の希な現象です。老人になれば、自分の力量に合わせた老後しか生きられません。

 私は人間社会の習慣、特に公序良俗は利害に一致するものであると信じています。私は第二、第四の道を探りたいと思います。

 我々が守るべきは、妻であり子です。父母では無い。父母は、自らのために子どもを育てたのです。父母への感謝は大事です。それを自分の子どもが見ています。でも、それが妻や子どもの幸せに反してはなりません。

 ここまでギリギリまで突き詰めた後に「愛」を考えましょう。私を育ててくれた両親を感謝しています。どれほど苦労して育ててくれたかを、今はよく分かります。同時に、その愛を妻や子どもに向けるのが孝行だと思います。我が母は、第四をしっかりやっています。それが民主国家における自由を謳歌する、方法ですから。

munehiromunehiro2014/01/03 09:47なぜか、泣けます。
悲しさではなく、感動でもない。
老いた者への慈しみ
老いていくことの儚さ
個としての生き物のあり方
うまく言えません。

jun24kawajun24kawa2014/01/03 14:43子どもと同じで、甘やかすことが優しさではありません。
自立できるように促すことが、当人の幸せになる。
社会構造が激変するとき、混乱がある。
だから、ハッキリと伝えなければなりません。
もちろん、自立できない状態になれば、支えます。しかし、そうではなくて甘えで立たなくなったら、突き放す必要があるのです。子どもと同じように、それが愛です。

14/01/01(水)

[]教科教育法 21:30 教科教育法 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教科教育法 - 西川純のメモ 教科教育法 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私のもともとの専門は理科教育学です。今から26年前に大学に職を得てから、最初の十数年は理科教育学という教科教育学を「学」として成り立つための政治闘争の連続でした。

 もともと教科教育学という学問はありませんでした。何故成立したか、それは方によって教科教育法という単位が免許の必修科目なったからです。最初は、それを学校教育領域と教科教育領域のどこにおくか闘争がありました。結果として、教科領域に置かれることになりました。

 法の規定により、教科教育法の担当者を教科教育領域で選ばなければなりません。選ばれた人たちが教育方法学から独立するために各教科の学会を立ち上げました。私が教科教育の世界に足を踏み込んだときには、その黎明期を過ごした人が生きていました。学会に行けば「生」を見られました。だから、どの教科教育の学会の成立年ほぼ一致しているのは、法の規定によって生まれた学問だからです。

 教科教育学という新たな学問を立ち上げることの意義を感じ、頑張った諸先輩もいます。でも、そうで無い方もいます。物理、化学、生物、地学では教授にはなれない、でも、理科教育の単位を担当すれば教授にしてあげるよ、ということで理科教育の担当者になった方もいます。当然、やっていることは物理、化学、生物、地学の授業そのままです。でも、良心ある多くの方は、その中で少しでも教育に迫ろうと努力した方もいます。でも、一方、「わたしゃ、教科教育学は馬鹿馬鹿しい」と学生の前で宣言し、教育の「きょ」の字も語らない猛者もおられました。

 私が教科教育の世界に足を踏み入れたのは、そんなときです。私は教科教育の専門家として生きようとして大学教員の世界に入りました。ところが大学は上記のような状況です。馬鹿にしまくられました。イジメも多かった。そんな中で、教科教育の二十代、三十代の若手研究者が「まけるもんか!」と戦いました。

 独自の研究方法論も確立しました。博士課程で博士の学位を持ち、他学問領域と対等のつきあいが出来る人も生まれてきました。

お世話になった学会に対しての恩返しの意味で、平成15年~18年は学会事務局長を務め、平成19年から23年は学会誌編集委員長を務めました。しかし、平成12年に理科教育学会賞をいただき、平成15年にそれまでの巨視的時間概念の研究で博士の学位を得ました。私なりに、教科教育に関して一段落し、『学び合い』に専念することになりました。

 で、今の教科教育学の現状を憂います。

 先に述べたように、教科教育学は法令によって生まれた異常な学問なのです。では、その根拠となる法は何かと言えば、「教育職員免許法施行規則」の付則に記述があるのが根拠なのです。法令にも種類があります。国会でつくられた法律、内閣が作った「施行令」、文科省が定めた「施行規則」です。つまり、教科教育学は文部科学省が決めて生まれたものなのです。逆に言えば、文部科学省が「や~めた」と言った瞬間に、その根拠を失うほど危ういものです。

では、他の学問はどうでしょうか?文科省が「数学」を免許法から抹消しても「数学」は生き延びます。だって、それを必要としている人がいますから。では、教科教育学が無くなったとき、だれが困るでしょうか?

 教科教育学の研究成果が、いったいその学問以外の人から参照されているでしょうか?学校現場で流通している書籍の中で、教科教育学の学徒が出している本がどれほどあるでしょうか?数少ない本は、私の同年代か、それより先輩で、教科教育学の生き残りで戦った方々です。今、書店で並ぶ教科教育の本の圧倒的大多数は、学術研究によるものでは無く実験経験の基づくものです。

 教員養成は暴風雨状態の逆風の中です。私のような五十代はなんとか定年まで誤魔化せるでしょう。でも、今、教科教育学で生きようとしている人たちの将来は大丈夫なのだろうか、と思います。各教科の狭いコミュニティーの中にいる限りは、何の変化も無いように思えるでしょう。その中の業績を積み上げれば、昇任することが出来ます。でも、自分のよって立つ根拠が「教員免許状施行規則」の付則に過ぎないことをどれほど知っているのでしょうか?

 若い研究者のために、何が出来ることがあるのだろうか?

[]長期計画 07:20 長期計画 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 長期計画 - 西川純のメモ 長期計画 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今から6年前に定常的な異学年『学び合い』を始めました。そして、その次の年から全校『学び合い』を定常化しました。

 が、難儀だった。単学級の『学び合い』の素晴らしさを分かっている同志にさえ納得して貰えない。私が「単に一緒にいれば良いだけなんだから」と説明しても、曖昧な笑顔で誤魔化されてしまう。最後は「試しに、一回だけで良いから」と粘りに粘って、異学年『学び合い』や全校『学び合い』が始まりました。やってみれば、その凄さが分かる。単に量的な変化では無く、質的に異次元の『学び合い』が生まれます。

 でも、全校『学び合い』も5年もやっているとワクワク感が無いのです。そこで起こるであろうことの学術分析はほぼ終わりつつあります。実践するためのノウハウは『学び合い』ジャンプアップで完成です。おしかりを恐れず断言します。週に1度だけでも全校『学び合い』をやれば、学校はかなり良くなります。何故なら、今まで手がつけられなかった子が、目立たなくなります。なによりも、教師間の風通しが良くなります。教師間の風通しが良くなるだけで、学校の抱えている問題の多くは解決しますから。

 で、今は6年前と同じように、全校『学び合い』の良さを分かって貰っている人に、地域コミュニティを巻き込んだ『学び合い』をはじめて欲しいと願っています。が、6年前と同じように曖昧な笑顔で誤魔化されてしまう。それが定常化したならば、劇的な変化が学校にも地域にも起こるのに・・・。私なりに、それが『学び合い』の最終ステージだと考えています。

 私を突き動かす原動力は、高校教師として救えなかった子どもたちに対する申し訳なさ、そしてトラウマです。

 世の中には鬼畜のような親がいます。それに苦しんでいる子どもがいます。その子を救うには、地域コミュニティが健全であらねばならないのです。鬼畜のような親だって、好んで鬼畜になっているわけでは無い。そうせざるを得ない環境に置かれているのです。だったら環境を変えねばならない。

 世の中には重い障害を抱えている子どもがいます。その子の多くは、生まれ育った地域で生涯を過ごすでしょう。だったら、その子が幸せになるには地域コミュニティがその子を理解しなければならないのです。そして、それが必要なのは、重い障害を抱えている子どもばかりでは無く、全ての子どもが必要なのです。愛する教え子が十年後、二十年後、三十年後、そして生涯を終えるまでの長い時間を幸せでい続けるには、複雑で豊かなネットワークのあるコミュニティが必要なのです。

 高校教師だった頃の私は、そのような子どもたちと毎日顔を合わせ、夜になると一升の酒を飲みながら自己合理化と自己憐憫に浸るしか無かった。でも、今は違います。はっきりと出口が見えます。だから焦っているのです。

 私なりの今後の計画は以下の通りです。

 全校『学び合い』の裾野を広げ、地域を巻き込んだ『学び合い』を実践してくれる学校を生み出します。そして全校『学び合い』と同様に、5年程度で学術と実践から分析をして、そのノウハウをまとめます。これによってトラウマから脱することが出来ると思います。

 その後は、学習内容の吟味の研究にシフトしたい。私を新興宗教の親玉や詐欺師だと思っている人と関わらなくて良い研究なのです。やり方は六十代になった私でも出来る単純なものです。まずは先行研究をあさります。私が二十代、三十代でやったアンケート調査が中心になるでしょう。その分析方法や論文の書き方は、既に自動化しているほどです。アンケート調査の被験者捜しは、全国に広がる『学び合い』の仲間にお願いすれば簡単に集まります。

とにもかくにも消化試合のように結果は確実に出ます。そして、出る結果も見えています。それが実際の学習指導要用に反映されるか、それは分かりません。出る結果は、『学び合い』と同様に、いや、それ以上にラディカルですから。もし実現されたら、明治当初、戦後に続く、本当の大改革になるはずです。でも、それがどうなったとしても、私の教育・研究生活は出来すぎだと納得できます。と、退職までの予定を書きました。

 退職後は、化け物みたいに長生きして、息子と息子の家族の成長を楽しみにする老後を家内と過ごしたい。

[]最初の仕事 06:18 最初の仕事 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 最初の仕事 - 西川純のメモ 最初の仕事 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 明けましておめでとうございます。

 昨年度からやっている、新年最初の仕事は初稿チェックです。私にとっては、久しぶりの理科本です。私のゼミの学生も、私が理科教師だったことを知らないほど理科から離れています。私が現場の先生方と話す内容は、主に算数・数学、国語、社会、体育が主ですから。

 この本を書いた趣旨の第一は、理科の人に言語活動の中心になって欲しいという願いです。でも、それ以上に国語や英語の人に奮起して欲しいという願いです。

 だいぶ前に、色々な教科における子どもたちの会話を調べたことがあります。もっとも悲惨な会話をするのが国語の授業だったのです。一方、もっとも自然で豊かだったのが理科の授業だったのです。

 これは今の教育で決定的に誤謬があるように思うのです。

 第一に、どんな大人にしようか、というヴィジョンに欠けています。どうも、一流の言語学者、一流の科学者を育てるための授業をしているとしか思えないのです。我々が育てるべきはごく普通のことが出来る大人です。

 第二に、一流の言語学者や一流の科学者をそだてるような教育をしているにもかかわらず、彼らがどんな会話をしているかを知らなすぎる。ちゃんとした学術データも読みもせずに、思いつきで指導しています。だから、日本中の教室に「私は○○だと思います。理由は○○だからです。」というような噴飯物の掲示がなされている。

 第三に、これは国語と英語に顕著なのですが、ツールと本体をごっちゃにしているのです。例えば、医者になるためには生物学は必須科目です。が、生物学だけを学んでも永遠に医者にはなれません。単語や文法をいくら学んでも、コミュニケーションは永遠に出来ません。コミュニケーションに大事なのは、相手意識と達成したいという何かを持つことだと私は思います。

 「理科で言語活動、理科がコミュニケーション科目、生意気な~!」と国語や英語の人が奮起して欲しいと願いつつ、朱筆を入れています。

追伸 中一の息子に読んで貰いました。小四の時、家においてあったスタートブックをかってに読むほどの本の虫である息子です。1時間半ほどで読み終わりました。私が見逃した誤字を2カ所、分かりにくい言葉を1カ所指摘してくれました。感想を聞くと、「分かりやすかった」とのこと。その後、ふと気づきました。息子は現状の授業の問題点をいっぱい知っています。でも、素直に授業を受けています。偉いな~