西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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13/10/16(水)

[]学校を作る 07:15 学校を作る - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学校を作る - 西川純のメモ 学校を作る - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私の学部4年のゼミ生は「学校をつくる」という志を持っています。私は、それを尊いと思うし、実現可能だと思います。ただ、その方法を知っていれば、そして、それに必要な能力は何かを知っていればです。もちろん全国の同志の方も同じです。学校を作ることは出来ます。

 私は学校を作ったことはありませんが、コースと専攻をつくりました。

 私は大学院で理科教育学を専攻し、大学では理科コースに採用されました。それから十数年、ずっと理科という枠の中にいました。しかし、子どもの全人的な成長を願えば理科という枠内にとどまれません。ゼミ生の研究も、理科と理科以外の教科との関わりを対象とするようになりました。理科コースの先生方には、それに違和感を持たれるのは当然です。ある先生と何度も激論を交わしました。最後にその方が言われたのは、理屈は分かるが、それをやりたいならば理科を出なければならない、ということです。

 おそらく、その方は「だから諦めろ」という意味だったのでしょう。でも、私の心の中に「理科を出る」という具体的な願いが芽生えました。

 時を同じくして、橋本首相の教員養成系大学の定員削減の嵐が吹き荒れました。そこで、「臨床」という概念を当時の副学長(次の学長)に提案しました。それが通り、新コースの立ち上げが具体的に進みました。私ともう一人の若手教科教育学の助教授、そして信頼できる教授3人(そのうち一人が次の次の学長)でチームを作って、平成13年(2001)学習臨床コースを立ち上げました。

 当時の私としては大満足です。私は理科という鎖から解き放たれ、教科教育学の研究をするようになりました。しかし、立ち上げの最後の「詰め」が甘く、「臨床」の概念はシャープになりませんでした。結果的には、ジェントルマンの多様な先生方と一緒に仕事が出来て幸せでした。

 が、徐々に不満が生まれてきました。それは「臨床」をもっとシャープにした教育・研究がしたいという願いです。時は次の次の学長の時代です。

 私が「専門職大学院」という言葉を耳にした日時場所ははっきりと覚えています。それは平成16年8月4日の午前8時で場所は筑波のホテルの朝食会場です。ちょうど学会で筑波に出張し、ホテルで懇意の他大学管理職の方と一緒に朝食を食べました。その時、「西川君、専門職大学院って知ってる?」と切り出された。そこから聞いた話は驚天動地の内容でした。当然、本学が対応しなければならないことであり、それも早急に、かつ、本格的に準備をする必要があると感じました。

 お盆明けの8月19日に学長にお会いしました。当然のことながら、よくご存じでした。直ちに、学長の私的なワーキングを組むことのご指示をいただきました。ただし、私一人だと暴走するので、3人のメンバーを選んで一緒に仕事をすることを条件に出されました。そこで、藤田武志助教授、小林毅夫教授、濁川明男教授で検討を始めました。小林先生は後に上越市教育委員長として大学から転出し、濁川先生は妙高市教育委員長として転出されたが、そのような人たちと立ち上げられたことの巡り合わせを感じざるを得ません。その私的なワーキングが、公的なワーキング、準備委員会、準備講座に形を変える毎にメンバーが充実し、構想が固まりました。そして、平成20年(2008)に教職大学院が立ち上がりました。

つまり42歳でコースを立ち上げ、49歳で満足できる専攻を立ち上げることが出来ました。

私を知る方だったらお分かりのように私は規格外の人間で、バランス感覚にも欠け、徳うすい人間です。そんな私がガチャガチャ言っても話は通らない。むしろ、逆の方向に進みます。では、そんな私が願うコースと専攻が立ち上がったのは何故でしょうか?

それは私と違って徳が高く、その人が語れば耳を傾ける人も多く、そして、実際に行使できる権力のある人と私が繋がれて、その人の願いと私の願いが融合できたからです。私と同じように「臨床」をシャープにやりたいと願う人と繋がれたからです。私には分からない多種多様な手続きを根気よく教えてくれる事務の方々と繋がれたからです。

 「偉くなったら○○をする」という人は、永遠に何もしません。何かを願っているならば、今、そのために何かをする人がそれを実現します。そのためには、偉い人と繋がれなければなりません。しかし、偉い人だけでは物事を動かせません。自分と一緒になって走ってくれる人と繋がらなければなりません。それも自分よりも年上の人も、自分よりも若い人も、自分とは違う職種の人と繋がれなければなりません。

では、そのような多様な人と繋がれる自分になるためには何が必要でしょうか、それはそれらの人と繋がれる願いを持つことが必要です。自分に必要な学校ではなく、多くの人に必要とされる学校とは何かが分かっていなければなりません。そのためには教育に関わる多種多様な法規を通称していなければなりません。法規は一見、無意味に見える条文がありますが、日本の官僚は有能です。ちゃんとした意味を含ませています。その読み取りを出来る人から、それを学ばなければならない。

 また、自分自身が出来る人間であることを証明しなければなりません。「機会を与えてくれれば結果を出します」は学生だけに許された言葉です。社会においては通用しません。不十分な環境でも抜群の結果を出す人間だけが、十分な環境を偉い人から与えられるものです。抜群の結果を出さねばなりません。そのためには、抜群の結果を出している人から、そのノウハウを学ばなければならない。

 これが学校を作る方法です。簡単ですね。ふぉふぉふぉ