西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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本格的にトライする人も多くいると思います。その際、人とのつながりが大事です。身近にいる人と繋がれるとありがたいですよね。『学び合い』を実践される方は、『学び合い』マップ(https://www.google.com/maps/d/edit?mid=zDInXkSSxyO4.kNDji5uDNm0Y)に、是非、登録下さい。登録は、『学び合い』マップ登録フォーム(http://form1.fc2.com/form/?id=77081b4d4f40dd2f)から出来ます。  「私なんて、人になんか教えられるレベルに行っていない」と思う方へ。だからいいんですよ。一番知っている人が、一番の教え手ではないことは『学び合い』を実践しているならば、子どもを見れば分かるでしょ。それに、教える必要はないのです。共に学び合えばいいのです。いや、愚痴を言ったり、笑ったりする、それでいいのです。  是非、一人でも多くの人がマップに登録下さい。強く、強く、お誘いします。

13/09/30(月)

[]学部4年 22:14 学部4年 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学部4年 - 西川純のメモ 学部4年 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今、学部4年も一緒に九州ツアーに参加しています。

 教育実習で、へーこら、へーこら、するべき学部4年生の学生がいっちょまえに先生がと関わっている。ありがたいことです。ゼミ生の担任として、関わっていただいている先生方に「ありがとうございます。」と心に念じています。

[]大平山小学校 22:09 大平山小学校 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 大平山小学校 - 西川純のメモ 大平山小学校 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は、別府の大平山小学校を参観しました。さまざまな形での『学び合い』を参観しました。堪能しました。

 その学校で学校研究を推進する立場の方々には、「もっと」という焦りがあるようです。でも、私は何も問題を感じません。何度も書きますが、『学び合い』に疑問を持つ方の方がまともであり、日本の教育の不易を守っている人です。根本的な意識改革を求める『学び合い』に「本当に大丈夫か?」と疑問を持つのは当然です。にもかかわらず、管理職をはじめとする職員一同が何かをしようと藻がいいてる姿、心地よかった。

 あとは、「はいどうぞ」の『学び合い』だけができる全校『学び合い』をやって先生方がいっぱい雑談できれば、学校はもう一段変わります。楽しみです。

 色々書きたいことがあります。でも、朝4時半から起きて仕事をしている私には長く書くことは出来ません。で、一つ選びました。子どもです。

 今回は子ども相手の講演を頼まれました。小学校1年から6年相手の講演です。人生が年の子どもと12年の子ども相手に話すのは20歳から80歳相手の講演をするより大変です。それも、「分かったふり」が出来ない低学年も含めてです。普通に考えれば無理です。

 でも、『学び合い』のセオリー通りに考えました。つまり、どんな話をしても全員に分かるわけはありません。それは5年生だけの講演会だって同じです。ですので、セオリー通りに、分かった人に伝わるような話をしました。つまり、大学で話している内容と全く同じ話をしました。(ビックリでしょ)ただ、子ども同士の関わりの時間を多くする工夫はしました。

 子ども達の集中力が切れるのが分かります。純一斉指導の高校教師だった頃だったらおもしろ話をするところですが、20歳と80歳では笑うジャンルが違います。と、分かっているので、初期の方針で押し通しました。そして終わりました。

 ハッキリ言ってへとへとです。講演料は30万円でも、やです。

 そこでです。司会の人が「質問のある人」と言いました。私は心の中で「無駄なことを・・・」と思いました。というのは、私が教師相手の講演をしても、唖然としている先生方から質問をする人はほとんどいないのです。だから、無理、と思いました。

 が、あとから、あとから、質問が出るのです。それも教師レベルの質問です。もし、学校の先生だったら本当では無いけど、多くの先生方が納得できる説明(つまり方便、つまり嘘)を言います。が、子どもが頼もしかったので、あえてゼミ生レベルの返答を返しました。私の返答を受けた児童は不満そうな顔をしているのが分かります。でも、初期の方針を変えずに、ゼミ生レベルの本当のことを言いました。

 子ども達に語りました。「君たちは別府を変え、大分を変える存在だ」と。私は常に本気で語ります。これだけの質問を言える子どもを含む集団ならば、それは出来ます。

 先生方に、私の本を全部教室において欲しい、とお願いしました。今日、私に普通の教師が質問するレベルの質問を出来る子どもの半数はそれを読むでしょう。それにつられて、読む子が生まれます。そうしたら、下手な教師より『学び合い』のセオリーを理解する子どもが生まれます。

 あ~、妄想が止まりません。子ども達は偉大です。彼らだったら、私の予想を超える結果を出してくれるに決まっています。

 ということで、気持ちよく眠れます。ふ~・・・

[]安徳南小学校 21:00 安徳南小学校 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 安徳南小学校 - 西川純のメモ 安徳南小学校 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 10月31日に福岡県の安徳南小学校で『学び合い』の学校研究発表会があります。お誘いします。http://p.tl/oAEp

13/09/29(日)

[]セミ生の能力 21:56 セミ生の能力 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - セミ生の能力 - 西川純のメモ セミ生の能力 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 若いゼミ生にも、多くの期待が寄せられます。ありがたいことです。

 おそらく、多くの教員がゼミ生に質問をぶつけても、私と同じ答えを言うはずです。それは学部生も同じです。なぜなら、『学び合い』のセオリーは非常にシンプルで、まるで物理学のようだからです。

 が、出来るか。それは分かりません。実際の問題で、自分が語ったことを自が出来るか、それはわかりません。

 私は『学び合い』のセオリーと、具体的なテクニックと、その背景となる事例は伝えることはいくらでも出来ます。しかし、セオリーの基礎となる「一人も見捨てない」という願いにどれだけ拘り、ふんばれるかは、その「人」の問題です。でも、多くの人にセオリーを語ることによって、自ら変わって欲しいいと願います。だから、多くの人に関わらせたい。

1380457482*「嬉しい」ゼミ

 私は出張中で、来週の土曜日まで上越に帰れません。が、『学び合い』を学ぶため、遠方の学生さんが上越に来るそうです。

 『学び合い』を伝えるのに、私が必須では無いと思っているゼミ生、全幅の信頼を持っています。『学び合い』の醍醐味です。

 ということでいつでもどうぞ。

[]大分の会 21:12 大分の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 大分の会 - 西川純のメモ 大分の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は大分の会です。実に多様な方が集まりました。各人、10秒から20秒の自己紹介。そして、それからフリートーキング。みんなゴチャゴチャと1時間半立ち話です。

 面白かった~!楽しかった~!

 私に関して言えば、大分で3校の『学び合い』学校の誕生が今年度中に期待できそう。

[]ありがたい 21:12 ありがたい - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ありがたい - 西川純のメモ ありがたい - 西川純のメモ のブックマークコメント

 夜は大人の飲み会です。関あじ、関鯖が出る大人の飲み会です。そこに、よれよれの服とズボンをはいたゼミ生が参加です。

 その学生に、校長先生が両手を添えての名刺交換。笑っちゃいます。

 その後は、ゴチャゴチャ。

基本的には一斉指導で、子どもを信じられず、細かい私はずっと学生を見ています。でも、細かい指示は言いません。

 開始、1時間強になって、少し成長しました。この段階で成長できたのは、さすがゼミ生。私が初任の時には出来なかった。でも、それができたのも、参加者の雰囲気のおかげです。ゼミ生は、また、成長しました。教師として、関係者に感謝の言葉もありません。ありがとうございました。

[]広島の会 11:07 広島の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 広島の会 - 西川純のメモ 広島の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 10月5日に広島で『学び合い』の会が開かれます。お誘いいたします。http://p.tl/r92x

[]神戸の会 07:54 神戸の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 神戸の会 - 西川純のメモ 神戸の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日は神戸の会に参加してきました。楽しかった。充実しすぎていたので、部屋に帰ったらバタンキューで寝てしまいました。

 今から十年ぐらい前は、私とゼミ生だけで『学び合い』の考え方を伝えようとしていました。しかし、今は、全国各地で私と全く関係なくそれをやってくれる仲間がいます。なんかほっとします。出来るだけ早く、私が出張する必要性が無いようになって欲しいなと思います。

[]基本 07:54 基本 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 基本 - 西川純のメモ 基本 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 神戸の会で桔梗さんが自分の実践を発表するとき、「こんなことを言うと西川先生にしかられるかもしれないが」と言ったので、「私はしかったことなんか無いでしょ」と言いました。ま、毎度の掛け合いなのですが、二人の間だったら分かるのですが、知らない人が聞いたら本当に私がそういう人なのかと思われるのでは無いか、とヒヤヒヤします。

 私はしかることはほとんどしません。これは教師人生全般にいえますが、特に大学教師になってからの27年間では5回しかありません。ゼミ生は私が笑っている顔やからかっている顔は思い起こすことは出来るでしょうが、しかっている顔は思い出せないと思います。だって、無いですから。

 話変わって。

 今まで数多くの人に『学び合い』の手ほどきをしました。たいていは、特定の良い方法があると思っている人が大部分です。例えば小学校低学年の先生に算数の『学び合い』の手ほどきをすると、「ブロックを使って」ということを課題の中に入れたがるのです。困ってしまいます。私は「たしかにブロックを使った方が分かる子もいます。でも、そうで無い子もいます。だから、ブロックを教室に置いておき、使っても良いよ、はOKですが、使いなさいは望ましくありません」と言います。それでも、「でも・・・・」という場合は引き下がります。

 私が本などで書いてあること、それは『学び合い』を始めて3ヶ月ぐらいまでの手引きなのです。せいぜい1年間程度のことです。それ以降は一人一人が多様にやっていいのです。私が困ったな~っと思うのは、『学び合い』の熟達者が、最初の入門を終わった人が自らが編み出した方法を入門者に「良い方法」だと思うことなのです。そのような方法はたいていは私が本で書いたことにプラスアルファをしたものなのです。そして、その方法は有効である場合も多いことは十分に分かっています。と、同時に、その方法が危険であることを知っているのです。先のブロックと同様に合う先生もありますが、合わない先生もあることを知って欲しい。そして、その方法がうまくいくためには、『学び合い』の考え方が分かることが必須なのです。

 私が本で書いたことにプラスアルファーすることによって従来型に近づきます。そうなればより多くの人が入りやすくなるのは分かっています。しかし、そのようなプラスアルファーで入ってしまうと、絶えずモニターし、チェックしない限り、「な~んちゃって『学び合い』」にすくなります。だって、一度、プラスアルファーをしはじめれば、際限なくプラスアルファーをします。そして、早晩、『学び合い』に似ている『学び合い』になってしまいいます。一番分かりやすいのは、全員が分かることでは無く、その日の課題が出来るレベルの思考に陥ってしまうのです。

 もし全員が分かるということを追い求めれば、とりあえずのテクニックの改良では無く、子ども集団のモチベーションとモラルをどのように高めるかに目が行きます。そうなれば、自らの心を自省する方向によって改良すると思います。

 シンプルが一番なのです。

追伸 ということをブログに書き込むと「西川先生は自分以外のことは許さないんだ」と思われるのが怖いので、入門を終わった人のブログに書き込むことはしません。するとしたら相手が求めているときに、面と向かって話します。

 ただし、ゼミ生とゼミOBは別です。2年間もつきあえば、私がカーボンコピーを求めているわけでは無く、乗り越えることを求めていることを知っています。そして、乗り越えるのはとても大変であることを知っています。でも、それは可能であることも知っています。ま、指導教員バカです。

[]私の思考方法 07:54 私の思考方法 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 私の思考方法 - 西川純のメモ 私の思考方法 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は『学び合い』を考えるとき、自然科学や数学をモデルにします。ホモサピエンスの集団を考えるとき、生物学を参考にします。そして、理論を考えるとき数学と物理学を参考にします。

 数学と物理学の理論の発展は、単純化と拡張だと思っています。数学者はチャーミングとかエレガントという言葉を使います。現れた式がシンプルであればあるほど、美しと感じるのです。

 『学び合い』は「一人も見捨てない」という願いから発し、学校観、子ども観、授業観によって成り立っています。それは『学び合い』の理論化を始めた段階から一貫しています。しかし、当初は授業観を中心としていました。しかし、学校観と子ども観がやがて中心となり、授業観は先の二つの考え方より導かれるように単純化しました。いま、中心は学校観に移行し、やがては「一人も見捨てない」という一つの願いに修練する方向に進ませたいと願っています。

 もう一つは拡張です。整数で成り立ったことを実数で成り立つ理論にしたり、3次元の理論をN次元においても成り立つ理論に拡張することを数学や理論物理でよくやります。『学び合い』も当初は健常児を中心としたクラス単位を対象としていました。しかし、特別支援の子どもにまで拡張し、学年や学校、さらには地域社会にまで拡張しつつあります。そのいずれにおいても、『学び合い』の理論は見事に同じなのです。観察する範囲をどのように変えても見える現象が同じであるべき乗法則がなりたちます。本当にゾクゾクするほど美しい理論だと思います。

 私は数学や物理学や哲学は素人です。いつかそれらの専門の方々が理論をよりシンプルに、より拡張してくれるのではないかと願っています。が、私は研究者です。いつかは追い越されるであろうことは理解していますが、必死で最先端を走り続けます。私の大好きな言葉に「自らの製品、サービス、プロセスを自ら陳腐化させることが、誰かに陳腐化させられることを防ぐ唯一の方法である。(ドラッカー)」があります。私自身が最初に私自身の語ったことを陳腐化します。しかし、その陳腐化の方向性は、人類が数千年にわたって使っており、成功している、単純化と拡張という方向です。なかなか負けませんよ。ふぉふぉふぉ

追伸 単純化と拡張という方向性で発展させようという人は少ないですがいます。嬉しくもあり、怖くもあり。ワクワクします。

13/09/27(金)

[]岡方第一小学校 20:17 岡方第一小学校 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 岡方第一小学校 - 西川純のメモ 岡方第一小学校 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 新潟市立岡方第一小学校で11月22日に『学び合い』の学校公開があります。単学級の『学び合い』と合同『学び合い』の両方見られます。子どもたちとも話せます。お誘いします。http://p.tl/r8zv

[]立ち位置 10:14 立ち位置 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 立ち位置 - 西川純のメモ 立ち位置 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 従来型授業と『学び合い』における教師の立ち位置の違いは、経営学的に言えば下級管理職(主任・係長)と上級管理職(社長、専務、常務)の違いに対応します。部下と同じようなことをやっている管理者と、部下とは全く違うことをやっている管理者です。学校に置き換えれば、学年主任と校長の違いに対応します。

 両者の仕事は根本的に違います。前者は部下の相談相手になることが仕事です。後者は部下が働きやすい職場を作り、モチベーションを高めることが仕事です。だから職能を高める方法も違います。前者は部下がやっていることを自分もします。後者は部下のやっていることの意味は何かを考えます。

 教材研究に置き換えましょう。従来型授業における教材研究は、子どもたちのやっていることを自分もします。算数・数学だったら問題を解くでしょう。国語だったら、作品を読むでしょう。そして、子どもたちより高度な問題を解くでしょう。とにかく、子どもたちより熟達することを求めます。

 『学び合い』は、算数・数学、国語等は何故学ばなければならないのかを求めます。例えば「二桁の足し算」は何故学ばなければならないでしょうか?一般的には「足し算が出来ないと買い物が出来ない」と説明します。でも、今の時代は「ピピピ」の時代です。計算できなくても買い物が出来ます。こう私が言うと、多くの先生は「極論だ」と言います。でも、子どもたちがその極論を信じていたとき、彼らに「二桁の足し算」を学ぶ意味を「納得させる」ことが教師の仕事なのです。繰り返します。「二桁の足し算」は何故学ばなければならないでしょうか?これは、ものすごく難しい問いであり、これに答えられるためには高度な職能が必要です。

 『学び合い』をやり始めた方は、最初はどのような課題を作ったら良いかを悩みます。これは従来型授業のしっぽがあるからです。しかし、集団創りが出来れば、課題は凝らなくても良いことに気づきます。そうなると、そもそもこの日の学習は何のためにあるのかを考えるようになります。そして、学習指導要領を読むようになります。

 読む本も変わります。いわゆる直ぐ使えるマニュアル本を読んでいた人が、それをあまり読まなくなります。そんなのがなくても授業が出来ますから。その代わりに、教育史や思想史、コーチング、経営学等の多様な本を読むようになります。今まで興味のない専門書のコーナーに行くようになります。

 何故なら『学び合い』を実践して悩むのは、「能力的に無理な子がいるのに、本当に全員達成を求めて良いのか?」、「子どもたち全員が、学校を卒業した後も幸せになるにはどうしたら良いだろうか」、「子どもたちの中で対立が起こっている、どちらにも言い分があり、理がある。子どもたちの中で解決するにはどうしたらいいか?」ということです。それを学校教育の大部分を占める教科学習の時間も含めて考え続けているのです。

 『学び合い』への批判に、「教師の仕事の放棄だ」というものがあります。これは教師の仕事とは何かというものが違うために生じる誤解です。もし若い教師が校長に「掲示物をどのように貼ったら良いでしょうか?」と質問したとき、校長は何をすべきでしょうか?まず、そのようなことを校長に聞く職員関係を憂慮するでしょうね。もし、その校長が若い教師の質問に応えず、職員間で学び合う必要性を職員集団に語ったとき、「校長の仕事の放棄だ」という非難が起こるでしょうか?馬鹿馬鹿しいですよね。

 では、教師の仕事は学年主任の立場にあるべきでしょうか?それとも校長の立場にいるべきでしょうか?

 私は校長の立場にいるべきだと思います。何故なら、学年主任(主任、係長)の立場で管理できるのはせいぜい五六人程度だからです。クラスにはもっと多くの子どもたちがいます。もちろん、そのレベルのクラスサイズの学校はあります。しかし、そのような学校の子どもも進学すれば大きな集団の中に入らなければなりません。それを今、学ばなければ、中一プロブレム、高一プロブレムに直面することになり、多くの教え子を潰してしまいます。

[]小規模校の先生のお気持ち 10:14 小規模校の先生のお気持ち - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 小規模校の先生のお気持ち - 西川純のメモ 小規模校の先生のお気持ち - 西川純のメモ のブックマークコメント

 NRTで高い結果を出している小規模校の子どもが進学すると全然駄目だった、ということは良くあることです。最悪、不登校になる子もいます。残念ながら、教師の善意が子どもを潰している例の一つだと思います。

 だから、「小規模校の先生には、進学した後のことを考えて、そこでつぶれない子供を育てるにはどうしたらいいかを考えてください」と言います。

 が、と言っている私自身が小規模校の先生と全く同じことをしています。それは息子に関してです。それがどんな危険性を持っているか、それを熟知しているのですが、選択肢がないためやっています。危険性を配慮し、できるだけ自主的に育つようにするしかないのです。

 小規模校で 『学び合い』をすると、初めての先生は子どものそばによってべったりと教えるということをします。しかし、周りの子どもが関わり、教え/教えられる関係が出来ると、子どもたちの声に耳を傾けます。そして、子どもたちが信じられるようになると、遠くから見ることが出来ます。

 私も、子どもたちの関わりが期待できるならば、私が小規模校の先生に言っているようにやれます。しかし、それが期待できない。だから、馬鹿馬鹿しいとわかっていて、子どもの自主性を阻害することを熟知しながら、小規模校の先生と同じようなことをしています。ほかに選択肢がないから・・・・

13/09/26(木)

[]天然資源・爺婆 07:21 天然資源・爺婆 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 天然資源・爺婆 - 西川純のメモ 天然資源・爺婆 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日のメモの補足です。2010年段階で年金を貰う65歳以上の年齢は22.8%です(http://p.tl/k8IU)。今のままだと50年後の2060年には40%になってしまいます。こりゃ無理だ。でも、定年を75歳にすれば税金を払ってくれる人が千百万人増えることになります。いや、働けるうちは、働いて貰うのです。

 老後は悠々自適というようなことを望める人は殆どいなくなるでしょう。でも、死ぬ直前まで働くという人生を送れる人は少なくないと思います。そもそも日本人の平均授業が男で60歳を超えたのは1953年(昭和28年)です。ところが今は80歳です。

 定年制が広がったのは1940年代の後半です。厚生年金の支給開始年齢が55歳から60歳に引き上げられたのは1954年。当時の平均的な定年が55歳でした。つまり、1954年の感覚で言えば、現在は75歳ぐらいが妥当なのです。

 現在、日本には十分働ける爺婆が千五百万人もいます。これは凄い天然資源です。

 しかし、この天然資源を生かすには弾力的な雇用が必要です。その人一人一人の家庭環境にあった雇用が必要です。これは霞ヶ関の奥の院では調整は出来ません。私は地域コミュニティの再生が鍵だと思っています。それを実現する第一歩は、学校が核にならなければならないと思います。そして、その第一歩が学校『学び合い』で、そのゴチャゴチャに保護者を巻き込み、地域の人を巻き込むことだと思います。

 ドラッカーは今後の社会の未来をNPOに託しました。しかし、私は学校に託したい。だって、日本で最も広く配置され、多くの予算とマンパワーが注がれている組織は、学校以外ないですから。

 教材だ指導だというレベルとは異次元ですよね。

13/09/25(水)

[]収入 22:19 収入 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 収入 - 西川純のメモ 収入 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は今の収入より10%、20%ぐらいは多くしたいなと思います。が、十倍、百倍にしたいとは思いません。だから書店に並ぶ、「ニートだった私が○億稼ぐには」等の本には興味はありません。

 というのは、私の今の収入の十倍なれば、別種の悩みが生じ、十倍幸せになるわけではないからです。今の自分の幸せの枠組みの中で、幸せになれば良い。多ければ、多いほど良いというわけではありません。

 収入と望みがバランスがとれることが大事です。収入の多寡ではない。

 ということは、学生の頃には分かりませんでした。

[]価値の創造 22:11 価値の創造 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 価値の創造 - 西川純のメモ 価値の創造 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今の日本の天然資源は、日本海に眠るメタンハイドレートではありません。それは元気がある爺婆です。その人たちを支援の必要にしているから高齢化社会が問題になる。その人たちが働き手になるならば、それは凄いこと。日本だけが出来ることです。

 全国各地に潜む天然資源、それは親であり、子ども時代を共有した仲間です。それさえあれば、二千円のもちよりの飲み会は、銀座のドンペリよりも美味しくなる。月10万円の保育より、親や友達に子どもを預けることのようがパフォーマンスが高い。

 価値は、人と人との間に生まれものです。人様があおり立てる価値ではなく、自分たちが価値を生み出す。価値の創造、それがこれからのポイントです。

[]同じか? 21:35 同じか? - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 同じか? - 西川純のメモ 同じか? - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、ある人から「○○教育」と『学び合い』同じですか?と聞かれました。この種の質問は、ずっと昔から何度も、何度も聞かれました。例えば、「学びの共同体」も、「アドラー心理学」もそうです。その他、色々な人から聞かれました。そのたびに語ることです。

 一般的に言えば、似たところもあるでしょう。だって、今の教育の出口は協働しかありません。ちょっと前だったら、少人数が出口だと思われていました。でも、フロンティア授業や少人数加配を実際にやったので、少人数は出口ではないことがハッキリしてしまったのです。

 今は、ICTがもてはやされています。でも、そんなのは道具にしか過ぎません。道具があればハッピーになる、それは私の大学院時代のCAI,CMIと同じ枠組みです。早晩、道具ではなく、道具を何のために使うかが重要であることは分かります。

 で、話を戻します。

 「○○教育」その○○に何を入っても良いです。それらは道具、ツールにしか過ぎません。そのツールを使う人が、何を願うかによって、『学び合い』と同じになり、別物になります。

 『学び合い』は何かを教える、分からせることが目的ではありません。色々なところで講演で、『学び合い』で成績が上がると言います。でも、それはレトリックです。それは付随的に起こる効果に過ぎません。『学び合い』の目的は、子どもたちが生涯にわたって幸せになることです。それを実現するには、一人も見捨てられないと確信できる仲間を地元で確保できることです。そのために、教師は「一人も見捨ては、自分が損だ」と語ることです。これが『学び合い』です。だから、どんな「○○教育」であっても、それを求めれば『学び合い』だし、それを求めなければ『学び合い』ではありません。

 様々な人が素晴らしいツールを開発しています。素晴らしい。でも、どんなツールも、全ての子どもに有効ではありません。大多数はそうであったとしても、全員ではありません。だから、ツールを強いてはいけないのです。「一人も見捨てて損だ」ということを語り続けて、子どもたちが生み出したものを信じるのが教師です。これは素晴らしい成果を上げている企業がやっていることです。だから、素晴らしいと教師が思うことを子どもに「例示」することはOKです。しかし、その方法をやるかやらないかではなく、結果が何をなしたかを評価すべきです。

 この『学び合い』の学校観、子ども観を理解してるならば、どんな一斉指導のツールも有効です。しかし、二つが理解されていなければ、どんな協働的なツールも、『学び合い』とは無縁なものになります。

 教育は、繰り上がりを分かるためにあるわけではない。子どもの一生涯を幸せになるためにある。そして、それを軸として、教師が幸せになり、保護者が幸せになり、そして、地域社会が幸せになるためになるのです。このことを荒唐無稽と思うのが普通です。でも、私は本気で信じています。それはやる気になれば、5年も必要ありません。

 と、最初の質問をした人に語りました。

[]影と本体 07:14 影と本体 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 影と本体 - 西川純のメモ 影と本体 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 以下は超難解で、意味不明だと思います。すみません。

 『学び合い』とは「一人も見捨てないことは全ての人にとって得であり、実現可能である」と信じること。実現する方法は「みんなで自分の出来ることをやり続けること」です。なんてシンプルなんだろう。そこには「課題がどうのこうの」、「教師の支援は云々」はありません。

 「一人も見捨てないことは全ての人にとって得であり、実現可能である」と信じることが出来れば、自ずと子どもたちにそれを求めるはずです。そして、それを求めるならば、子どもたちが実現できるように「みんなで自分の出来ることをやり続けること」を許すはずです。そして、子どもたちは細かい制約を与えられず、自由を与えられれば、ホモサピエンスの100万年の生存戦略である群れを形成します。これは本能ですから、教師がああだこうだ言う必要性もないですし、いってもしようがありません。それは、子どもが歩き出そうとするとき、親がああだこうだ言う必要性はないし、言ってもしようがないのと同じです。

 ただ、「一人も見捨てない」という戦略は、文明が生まれてからの数千年の戦略です。だからDNAには確かに植え付けられていない。だから、教育が必要です。教師が「一人も見捨てない」を揺るがさず求めることが大事です。

 教師も悩むことが多いでしょう。でも、子どもと同様に「みんなで自分の出来ることをやり続けること」をやればいいのです。クラスで問題が起これば、自分一人で解決策を考えるのではなく、子どもたちに解決する意義を語ればいいのです。そうすれば子どもたちが、みんなで自分の出来ることをやり続けます。

 学校で悩みがあれば、同僚といっしょに出来ることをやり続ければいいのです。もし、学校で仲間を見いだせなければ、学校外のみんなといっしょに出来ることをやり続ければいいのです。

 悩むとき、人は、短期間の完全解決を求めます。しかし、そんなのどだい無理です。我々が出来るのは長期間かけて徐々に解決するしかありません。もしくは、問題を先送りするだけでもいい。問題を先送りするうちに、その時点の問題がどうでも良くなることは多い。学校での問題の過半数は1年後にはどうでも良い問題になります。そして9割以上の問題は数年たってその学校から異動すれば、どうでも良い問題になります。

 自分や自分たちではどうしようもない問題は先送りでいいのです。でも、どんな状態であっても出来ないことはありますが、出来ることはあります。出来ることを部分解決し、その積み上げでさらなる改善をします。

 教師自身がそのような生き方のノウハウを会得し、実感し、確信すれば、子どもたちに「一人も見捨てないことは全ての人にとって得であり、実現可能である」と求められるし、悩んでいる子どもに「みんなで自分の出来ることをやり続けること」をすることを求められます。

 が、それをいきなり信じろと言われても信じられないのは当然です。そのため、数多くの先人が積み上げたノウハウを整理し、書籍にまとめました。あの通りやれば、本当にあの通りやれば上記のことは実現できます。そこから入ればいい。

「みんなが、と、みんなで」や「徳や得」の矛盾はありません。子どもの行動がどうのこうの、教師の支援がどうのこうの、はありません。だって一人一人は違うし、その場その場の状況は違います。ようは「一人も見捨てないことは全ての人にとって得であり、実現可能である」を信じた教師も子どもも「みんなで自分の出来ることをやり続けること」で出た言動が、その人、その場における最適解なのです。

 テクニックから入り、テクニックを捨てる。守破離の「離」の段階です。もちろんテクニックを使っても良い。私だって一斉指導のテクニックを使うことはあります。でも、それが重要ポイントと思わず、まあ、便利程度と思っているならばOKだと思います。しかし、重要ポイントと思えば、子どもたちが「みんなで自分の出来ることをやり続けること」を制約してしまうのです。それは『学び合い』からの離脱である危険性をはらみます。十歩下がって「破」の段階かもしれませんが、「離」ではありません。

追伸 上記の文章に”学び合い”という言葉は『学び合い』の一カ所しか使っていません。実は『学び合い』を記載するのに”学び合い”を使う必要性はありません。

13/09/24(火)

[]学級経営 18:30 学級経営 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学級経営 - 西川純のメモ 学級経営 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ゼミ生の教育実習の研究授業があるので参観に行きました。ゼミ生は「フルの『学び合い』」をやりますと宣言していました。それを聞いて私は笑いだし、「実習の先生にはOKもらっているの?無理しちゃ駄目だよ」と言っていたのです。

 ちょっと早めについたので、その先生の授業を廊下の外から聞いていました。実に雰囲気が良い。子ども達が活発なのです。それでいて締めるときには締めている。メリハリを感じます。『学び合い』をやれば直ぐにハマるタイプの先生の授業でした。

 ゼミ生の授業です。意外だったのは声が良い。つまり、大声を出さなくても通る声なのです。これは天賦の才能です。私はそれがないからトレーニングが必要でした。

 最初の語りは良かったです。課題の説明ですが、ちょっともたついていたような気がしましたが、許容範囲です。そして「さあどうぞ」です。子ども達が経験する最初の『学び合い』の授業です。実習校での授業ということで、分かった人が教えるという形式にしていたようです。

 先生の動きで、クラスの中で気になる子はだれかは直ぐに分かります。さて、その子がどうなるか、楽しみです。そこでです。最初に課題を達成した子が教えに行ったのはそのクラスの上記の子でした。そして、その子に準じた子どもの所にも直ぐに行きました。こりゃ凄い、と思いました。というのは、普通のクラスで『学び合い』を最初にやったとき、分かった子は教えれば直ぐに分かる子どもに教えに行くのです。理由は「楽」だからです。そして、気になる子に行くのは最後になります。当然、全員達成は出来ません。

 また、その後も3人ぐらいの子どもが集団規律を正す発言をしているのです。これは凄いと思いました。日頃の学級経営がなされていることが明白です。

 『学び合い』の初期にやるべきテクニックがゼミ生は不十分でした。しかし、設定した時間より短い時間で全員達成です。あのクラスなればという部分はあります。が、かかんにフルの『学び合い』に実習でトライしたゼミ生にエールを送ります。同時に、それを許した指導教員に敬意を表します。でも、クラスの様子を見て、その理由も分かった気がします。

 ゼミ生は様々な学校で実習を行いました。程度の差ありますが、ゼミ生の希望を生かして子ども達の関わる時間を与えていただいたこと、感謝です。ほんとうに有り難い。

13/09/23(月)

[]広島、唐津 10:01 広島、唐津 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 広島、唐津 - 西川純のメモ 広島、唐津 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 10月4日に唐津(福岡にも近いです)で『学び合い』の会が開かれます。http://p.tl/ibgJ

 10月5日に広島で『学び合い』の会が開かれます。

http://kokucheese.com/event/index/116135/

[]脱皮 08:50 脱皮 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 脱皮 - 西川純のメモ 脱皮 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私の研究生活は理科教育学で始まりました。そして私の研究者人生の半分以上はそれで占められています。その分野で多くの論文を書き、数々の学会賞を頂き、学会誌編集委員長を務めました。が、今はそれを知る人は少ないと思います。

 私への質問の大部分は汎教科学習である『学び合い』に関してです。教科に関することも、算数・数学、国語、社会が大部分で理科のことは殆どありません。理科の一斉指導に関してだったら本を出せるほど知識・技能があるのに・・・・・。以前は、講演会で頼まれるのは理科の先生相手だけだったのに、最近はありません。むしろ国語の先生相手の講演会を頼まれます。ある意味、脱皮です。

 最近、ポツポツと『学び合い』とは無関係の質問や仕事が入り始めました。また、教育関係者以外の仕事も入りました。次の脱皮が近づいているのかもしれません。

追伸 あまりにも理科教育出身であることが忘れられているので、今年度末に「理科本」を出す予定です。

13/09/22(日)

[]研修方法 10:08 研修方法 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 研修方法 - 西川純のメモ 研修方法 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 学生が授業を観察すると、大抵は教師が何をしているかを見ます。そして、子どもが動き出すと、特定の一人の子のそばによって、じ~っと丹念に記録します。多くの教師は学生と同じように、教室の後ろに立って教師の立ち居振る舞いを観察します。ただ、子どもたちが動き出すと、グループ内の子どもの相互作用を見ます。だから授業検討会では、「○○さんがどうやった、どういった」、「○○さんがこう言ったら、○○さんがこう反応した」という会話が主です。

 でも、郡市レベルには数人は、上記のレベルのことを語り、検討会の視点を一気に変えることの出来る人がいます。その人は、教室の対角線上にいるような子どもたちの行動を結びつけることが出来るのです。つまり、あるグループでの気づきが、全く離れたグループにどのように影響を与えるかをちゃんと説明できるのです。何故でしょうか?それは見ている視点が違うのです。実は、『学び合い』での教師の立ち位置と同じなのです。

 私は一斉指導の授業を見るときは後ろからでは無く、前から見ます。というのは教師が何を言った、何を書いたでは無く、そのクラスにはどんな子どもがいるかを見ているのです。分からない授業を見ている時に、注目すべき子どもは目の動きで分かります。

 さて、一度動き出すと、教室の壁に寄っかかってボーッと全体を見ています。何故、ボーッと全体を見ているかと言えば、クラス全体の中でエポックな現象が、いつ、どこで起こるか分からないからです。例えば、子どもが他班に行くときは大抵は一人で行きます。偵察です。ところが、数人で行くことがあります。これは議論をするために他班に行くときの特徴的な行動です。そうしたら、そっと近づいて彼らの議論を聞きます。素晴らしい議論がなされているはずです。その他、色々な兆候を見取ってクラス全体に何が起こって、何が課題かを見取るのです。これは個人やグループに近づいて見ている人には絶対に見えないことです。そして、この現象こそが大事なのです。だって、一人の子どもがどうだ、ああだ、と分かったって、数十人を教える授業では個別対応なんて出来ないですから。我々教師に出来ることは集団をどのように動かすかです。

 授業後の検討会です。大抵は、思い思いの人が自分の感想を述べることが中心となります。しかし、それらが絡み合うことは少ないです。そして大きな研修会になると、特定の人が発言の多くを占め、その会話の大部分は露骨な追従と遠回しな非難、そして授業と関係ない自慢話が大部分を占めることになってしまいます。そして、本当は意見を言いたいし、学ぶべき若手が発言できないと言うことが起こります。

 かつて私が大学院生だった頃、ロジャーズの授業分析が全盛を極めました。授業をカテゴリーによって数値化することによって科学になるというものです。ところが、問題はそのカテゴリーに妥当性があるか否かが、分析している教師がスッキリしないのです。ど偉い外国の先生が言っているんだから正しいのだろうな~っとは思っているかもしれませんが、納得しているわけではありません。結果として、それでどんな結果が出たとしても、腑に落ちると言うことはありません。だから、授業改善には繋がりません。第一、ものすごく手間です。だから、一時的にはやっても続くことはありません。

 授業分析は、楽で、それでいて参加者全員が自分の意見を言えて、それらが絡み合うものであることが必要です。当たり前ですよね。では、どうするか?

 模造紙に授業開始以降5分ごとに区切った大きな枠を書きます。そして参加者はポストイットを持ちます。各人が気づいたことをそこに自由に書きます。その際、その現象が起こった時間と、自分の名前を書きます。授業後にそれを先に書いた大きな枠にペタペタ貼るのです。そして、貼り終わったら、その前でどのような現象が起こったかをわいわいと自由に共有するのです。

 この方法だと、全員が自分の見たものを表明できます。面白い現象であれば、新採用の先生であっても、その事を一番知っているのはその人です。当然、ベテランの先生が聞くことになります。そして、時間軸はとても簡単に分類することが出来ます。そして、それで分類すれば郡市で数人レベルのクラス全体の動きを見て取れることが出来ます。この方法は今は同僚であるK閣下が私のゼミで博士論部研究で研究したものです(彼はそれで博士の学位を取得しました)。

 しかし、これをもこえる研修方法があります。ただし、これは『学び合い』だけが出来るものです。それは合同『学び合い』、全校『学び合い』です。なんの仕組みも、手立ても必要ありません。子どもたちは実に様々な行動をして、相互作用します。それをゆったりと先生方が雑談をするのです。これほど気楽で、突っ込んだ授業研究の方法を知りません。(詳しくは『学び合い』ジャンプアップをご覧下さい、と宣伝する)

[]学校研究 07:50 学校研究 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学校研究 - 西川純のメモ 学校研究 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 高校から大学に異動し、学校の研修・研究というものを知りました。(当時の高校は、教科さえやっていればいいという風土でしたので、学校の研修・研究はほぼ皆無でした)最初は唖然としました。特に理学部出身者としては、「これは研究なの???」と思うのです。具体的には以下の点です。

 第一に、仮説が無い。研修会の最初に研究主任が「本校の研究主題」と発表しプレゼンをします。それがよく分からないのです。色々の心理学者の名前が出てきて図で整理されているのですが、それが明らかな誤りなのです。どう考えても、全く理論が違う心理学者が並列で並べられているのです。「え?」と思います。

 理論はつまみ食いは出来ません。天動説と地動説を併存して天体観測は出来ません。

 統合して使える理論は、大学研究者が既にそれは統合しています。彼らの仕事は、そこなのですから。もし、そうしていないならば統合できないということです。

 自分がどの理論によって立つかということを明確に持つべきです。

 第二に、測定がなされていない。特に、結果の測定がなされていないのです。なんとなくやってみて、なんとなく出たものをみて、なんとなくやった気分になる、そんな感じなのです。

 何かを測定している場合、「何をやったか」は測定します。例えば、「板書は3色使う」とか、「声の大きさは3段階であることを指導する」ということは測定します。ところが、求める結果が何かが曖昧なのです。だから、上記の指導で目的が達成したか否か、指導は有効だったか否かが曖昧なのです。まあ、そんなことは最近は見かけませんが、「子どもたちの目がキラキラ光っていました」という表現で終わってしまうのです。

 第三に、実は、これが最大の謎なのですが、「それを変」と思わないで研修会が進という点です。特に、理学部でトレーニングされてた人もそうなのですから、私には意味不明なのです。最近は、宗教行事なのかもしれない、と理解しようとしています。

 では、どうすべきか。上記の逆なのです。

 第一、自分たちがよってたつ理論は何かを明確にして、それをちゃんと読むことだと思います。例えば、問題解決学習で研究を深めている学校の先生が、デューイや上田先生の本をどれだけ読んでいるのだろうと思うことがあります。読んでいないため、本来の願いが失われ枝葉末節が有り難がられているように思うのです。

 第二に、測定するものを明確にすべきです。特に最終結果として測定することを明確にすべきです。例えば、学力という言葉は分かったようで分からない言葉です。だから「業者テストの平均点」と決めるべきです。もちろん「業者テスト=学力」ではないことは当然です。しかし、それ以上に明確で多くの人の共感を得られるデータが無いならば、とりあえずそれを選び、決めるべきです。例えば、植物の生長に何が必要かを測定するならば、植物の大きさや乾燥質量で測定するのが一般的でしょう。「植物のがんばり」や「植物の元気パワー」では測定は出来ませんから。

 しかし、自分たちがどんな理論によって立つか、また、自分たちが目指している子どもの姿は何であるかがハッキリしていない場合があります。その場合でも、最終結果として測定することを明確にすべきです。それが無ければ、宗教行事に過ぎません。

 ただし、それで終わりでは無く、それとの関連で一人一人の教師が見えたものを議論し、そこから自分たちが何を目指しているかを深めて下さい。人は、人を分析する最高のツールです。それを生かさない手はないです。ただ、同床異夢では困ります。色々な実際に起こった子どもの言動を見て、それをみんなで共有する中で、次の「最終結果として測定するもの」を定めるのです。

 また、よってたつ理論を一つに定められなかったら、定めなければいいのです。大事なのは理論によって立つかでは無く、「最終結果」なのですから。最終結果に繋がる理論がよって立つべき理論です。一人一人が思い思いの授業をすればいい、そして最終結果でどの理論が正しいかを議論すればいいのです。まあ、多くの先生方は理論的には考えないでしょう。しかし、少なくとも研究を主導する人は、理論を定め、その結果によって他の先生に提案する必要があると思います。

 (ここまでは一般論です。次は、『学び合い』で学校研修をする際のポイントをかきます)

[]『学び合い』の学校研修 07:50 『学び合い』の学校研修 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 『学び合い』の学校研修 - 西川純のメモ 『学び合い』の学校研修 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 何度もかいたことですが、再度書きます。

 『学び合い』で学校研修を進める際の最大のポイントは、『学び合い』を前面に出さないで下さい。

 『学び合い』は多くの教師には直ぐには受け入れられないことです。だから、『学び合い』をすると決まっても、心はしたいとは思いません。ところが『学び合い』は教師の心でやる授業です。心が伴わなければ『学び合い』は出来ません。結果として、『学び合い』の約束する成果は出ません。さらにいえば、『学び合い』はクラスの現状をものすごくあらわにします。例えば、クラスの中にイジメがあれば、それが非常に見えやすくします。具体的には、1時間中、一人ぽつんとしている子が目につきます。また、クラスが分かることとは何かを理解させるような授業をしていないクラスの場合、丸写しをするでしょう。でも、その原因はその教師の普段の授業にあります。つまり、何も分からなくても、授業の最後に教師が板書したものをノートに写せば勉強していると教えられているのです。教師の板書を丸写ししていれば勉強していると教えているのです。が、多くの教師はそれを認めないでしょう。そして、『学び合い』によって露わになったことを、『学び合い』のために起こったというと思います。

 私は本でも講演でも『学び合い』で成績が上がると豪語しています。しかし、それは『学び合い』ステップアップやジャンプアップに書いてあることを、そのままやった場合です。そして、少なくともその教科の全てを『学び合い』でやった場合です。その状態でも成績が起こらない場合は、原因として3つあることも明確に書いてありますし、その改善方法も明確に書いてあります。が、『学び合い』をやりたくない人は本も読まず、書いてあることに従わず、週に1回程度やるだけです。それで成績が上がらないといわれても困ってしまっています。(ただし、その程度であっても週1の合同『学び合い』でも人間関係の向上はあることも書いてあります。困るのは優れた『学び合い』実践者の中には、業者テストなんてどうでもいいという人がいます。そりゃ、それでいいのですが、そういう授業をすればテストの結果は出ません。そうすると反対する人が、鬼の首を取ったように吹聴するのが困るのです。)

 では、どうするか、です。各先生方がどのような授業をするかは自由でいいのです。しかし、最終的な結果は何で測定するかを明確にすべきです。実は、何を測定するかが決まれば、自ずと何をしなければならないかが決まってしまうのです。

 まず、「一人も見捨てない教育」を実現することを職員で合意するのです。これに反対する人はまずいないでしょう。次に、それが実現したか否かを明確にしようと合意するのです。これも反対する人はいないでしょう。そこで、学力は「業者テストの期待得点以下の子どもが何人か」で測定しようと提案するのです。平均点で無いということがポイントです。おそらく、ここでは議論が分かれるところですが、「一人も見捨てない教育」ということが押さえられていれば、これを超える指標は合意できないでしょ。(全国学テもありますが、あれば年一回ですから)。中高の場合は自作テストが多いと思いますが、その場合は最低学力がある場合は80点になるテストを作って下さいと言えばいいだけのことです。また、「QUテストでの満足群以外の子どもは何人か」で評価しようと決めて下さい。これが決まれば、チェックメイトです。

 平均点を上げる方法は山ほどあります。しかし、期待得点以下の子どもを0にするには『学び合い』以外はあり得ません。また、一見、力強い授業をして力量のある先生と言われる教師であっても点数の分布は、そのような授業の限界を明確に示します。そして、それはQUテストと一致するはずです。

 ことさら『学び合い』をやりましょうと強いなくても、結果が全てを示します。たいていの人は、結果さえでれば、やろうと思いますから。そうしたら、合同『学び合い』で徐々に伝えればいいのです。合同『学び合い』、全校『学び合い』は、『学び合い』だけが出来る定常的な教師の『学び合い』です。その効果に多くの『学び合い』の同志に気づいて欲しいと念じています。

[]正確と精密 06:19 正確と精密 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 正確と精密 - 西川純のメモ 正確と精密 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ものを測定するとき、正確と精密の二面から吟味する必要があります。前者は、真の値を測定しているか否かを示す尺度で、後者は測定値の安定性を示す尺度です。簡単な例を挙げましょう。

 ある子どもが植物に興味があるか否かを、観察者が観察し10段階に評価するとします。人間は人間を評価する最高のセンサーだと思います。それが無ければ群れを形成し、生存競争に勝ち残っていないでしょうから。だから概ね正確です。しかし、観察者が変われば評価は変わるでしょう。そして同じ観察者であっても、前後に見た子どもの評価に引き面レ手島います。そのため、評価は安定していません。従って、精密ではありません。

 一方、ある子どもが植物に興味があるか否かを、その子どもが授業中に何回頭をかいたかで評価します。頭をかいた回数ならば、誰が観察してもほぼ同じ値を安定して測定することが出来ます。従って、精密です。しかし、頭をかいた回数と植物に対する興味関心を示すとは思えません。従って、正確ではありません。

 測定には正確と精密の二面があるのですが、正確であるか否かの評価は難しいのが一般的です。それに比べて精密か否かの評価の方法論は確立されています。そのため、精密のみが前面に出ることが多いです。

 大学の評価は昔から大ざっぱです。あまりにも大ざっぱすぎるために、評価を厳密化すべきだという議論は最近多くなってきました。その方法として、A評定の数を一定数にすべきだという議論はあります。そして、それによって「質保証」できると考えるのです。でも、本当でしょうか?上記によって実現できるのは精密さを高めることのみです。正確さは保証していません。

 教員養成系大学は養成すべき対象がハッキリしています。しかし、良い教員を養成するとして、「良い教員」とは何なのでしょうか?どの段階でも○○スタンダード等を定め、それによって評価の厳密化をしようとします。しかし、私の知る限り、「良い教師」とはどのようなものなのかという定説はありません。一つの学会レベルでも百家争鳴の状態だと思います。結局、何の根拠も無く、単に素人的な思いつきは、いくつかのプロセスを経ることによって、まことしやかな基準に変身します。しかし、どこまで行っても思いつきを積み上げても、思いつきのレベルを超えるものでは無いのです。

 この正確さを高めるには、最終的なアウトプットで自らを評価しなければなりません。例えば、教員養成系大学であれば、教員採用率と評定の相関を分析するというプロセスが必要です。ところが、そのためには教員採用率という最終結果に向き合わなければなりません。そして、自らの評価を評価します。が、方法はなんとでもごまかせますが、最終結果はごまかせません。ましてや教師は自分は評価しているのにもかかわらず、自分が評価されることは極力避けます。ということは正確さを高めることはせず、精密さを高めることでごまかしているのです。

 おそらく、精密さを求めている雲上人は、それが精密さを求めているだけで正確さを求めていることは分かっているはずです。日本の雲上人はかなり優秀ですから。その指示の元、正確さと精密さの違いが分からない多くの人が、精密さを高めた「ふり」をどうするかという手続きを精緻化しているのです。

 だれが悪いというわけでは無く、どうしようもないことです。ようは、やればいいだけのことであり、結果に関してはだれも責任をとらないのですから。

13/09/21(土)

[]見える 21:15 見える - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 見える - 西川純のメモ 見える - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ゼミの3年生は現在教育実習中です。ウイークデーは忙しいので、本日、ゼミをしました。彼らが一様に言うのは、従来型授業で授業をすると見捨ててしまう子どもが何人もいると言うことです。彼らなりに工夫をするのですが、どうしても駄目であることを語ります。

 私は、ゼミ生が出来ないのはゼミ生が能力不足や経験不足のためではなく、従来型授業ではそもそも無理であることを語りました。そして、分かったつもりにさせるテクニックや、楽しくさせるテクニックを伝授しました。でも、全員がわかることは無理です。

 ゼミの最後に、他コースの同級生にそのことを話し合ってみることを勧めました。話し合えば、ゼミ生のような悩みを持たず、自分はみんなを教えられていると思っていると思うよと語りました。ゼミ生は、最初、「え?」という顔をしましたが、直ぐに「あ~・・・」と納得したようです。

 同じ子どもを見ても、見える人もいれば、見えない人もいます。それは教師経験を数十年であっても見えない人は見えません。子どもたちは「分かったよ」という仮面がかぶって授業を受けます。そして、「分かって欲しい」と願って教師は授業をします。人は、信じたい嘘には騙されます。結果として、だいたいの子どもは程度の差はあるけど自分の授業を分かってくれていると思い込みます。ま、そう見えない子は数人いますが、それはその子の問題であって自分の問題では無いと合理化します。

 頼もしくもあり、可哀想でもあります。知恵の実を食べたアダムとイブは、無知の楽園には住めなくなってしまったのです。

[]越後『学び合い』の会 20:33 越後『学び合い』の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 越後『学び合い』の会 - 西川純のメモ 越後『学び合い』の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 11月15日、16日に上越で越後『学び合い』の会を開きます。大々的に宣伝します。売りは、『学び合い』の子どもや先生方、校長先生といっぱい話せることです。黙って聞いている会とは違います。

 面白いです!http://p.tl/v3-d http://p.tl/uSyE

[]岡山の会 09:10 岡山の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 岡山の会 - 西川純のメモ 岡山の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 11月2日に岡山の会があります。私も行きます。http://p.tl/GnWK

[]民間 06:17 民間 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 民間 - 西川純のメモ 民間 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 大阪市で採用された民間校長の11名中6名が不祥事を起こしたと報じられています。少数事例ですが、統計学上、明らかに有意な結果です。では何故こんなことが起こったのでしょう。

 民間校長を各自治体で採用する理由は、「民間の優れた経営感覚を学校に取り入れよう」というものです。そしてそれに反対する論は、「学校には営利が無く、民間と別種だ」という論が多いように思います。

 しかし、ドラッカーは非営利団体の経営は、民間企業の経営に比べて遙かに難しいと看破しています。どこが違うかと言えば、民間企業の利害関係者(ステークホルダー)の構造は簡単で、まあアメリカだったら株主が主だし、日本の場合はそれに社員が関わる程度のものです。そして、その利害は企業が儲かるという営利と言うことで一致しています。だから、 営利を上げればみんなハッピーになってくれるのです。

 ところが学校は違います。教育委員会や教員ばかりでは無く、子どもや保護者が利害関係者です。そして子どもや保護者の利害は一人一人違います。されに、地域社会の利害関係者です。さらに、よく働いたからといって教員の給料を上げるということはありません。一人一人の教員の利害は異なっているのです。そして、民間と違い、基本的に公立学校において「解雇」がないのです。民間だったらとうに解雇する職員と、折り合いをつけてつきあうという経験は、その民間出身者にはなかったのだろうと思います。

 民間校長がパワハラで訴えられましたが、その人が校長になったとたんに人が変わったわけではありません。その人は民間で普通に行われている程度のことを、普通にやってしまっただけです。おそらく、当人は「え?何故?」と思っているはずです。

 優れた学校経営を出来る校長は、民間企業の経営者を楽々に超える能力があります。もちろん、能力の無い校長はいるものです。しかし、行政の力でなんとか目立たないようにしていますし、2、3年で異動するので壊滅的な状態になっていない。

 高校生には小学生並みの学力が無い子もいます。それだからといって、中学生を高等学校に入学させれば当然問題を起こします。高校生を高校生並みの学力を獲得させるべきなのです。

 残念ながら学校経営に経営学の知見は生かされていないと思います。教頭試験では教育法規が出され、校長試験では願いが問われています。つまり、学校経営とは「教育法規+願い」のような現状と思います。せめて民間企業「程度」の経営学を必修にすべきだと思います。たとえばMBA程度のカリキュラムは必要だと思います。おそらく採用された民間校長はその程度も学んでいないはずです。MBAのカリキュラムにはコンプライアンスや労務管理は必修ですから。

追伸 もちろん優れた企業経営者は、優れた校長と同じように経営能力はあります。ただ、民間出身者だから、当然ある、というようなことは無いということです。

13/09/20(金)

[]親子二代 07:12 親子二代 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 親子二代 - 西川純のメモ 親子二代 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日、今日と我がゼミに学びに来た学生さんの親御さんは、古くからの『学び合い』の同志です。その学生さんは『学び合い』を学ぶためにある本を読んだら自分の親の名前があってビックリしたそうです。そうえば、親御さんがなんか本を書いたということは聞いたことを思い出したそうです。

 『学び合い』が生まれたのは二十年弱です。しかし、その多くの時間は学術の世界にとどまっていました。本当に現場に広がったのは5、6年でしょう。その今、親子二代の『学び合い』の仲間が生まれ始めています。

 なんか面白いな、と思いました。

 学部生で教えて、現職派遣の院生として教えることとなったゼミ生も生まれています。早晩、親子二代の教え子も生まれるかもしれません。ま、年をとったと言うことですね。

[]楽しい 07:03 楽しい - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 楽しい - 西川純のメモ 楽しい - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日、お客様を囲んでのゼミの飲み会がありました。楽しかった。何が楽しいって、ワンノブゼムになれるから。ゼミ生は私の取り扱いを心得ています。つまり、管理者としての私のモードになっていないときは、馬鹿なおっさんという扱いでいいのです。いじりすぎても駄目だし、だからといって無視すればいじける。

 たえずおこる誰かの馬鹿話に爆笑し、酒を飲めるのは楽しい。

 そういえば、昨日のゼミで、ゼミ生から教師として大事な立ち位置は何かを問われました。言下に「愛」と応えました。ただし、愛と言っても、親の愛、お兄さん、お姉さんの愛ではなく上司の愛です。つまり、自分の幸せ、自分の家族の幸せを第一優先するという前提の元に、子ども、子どもたちの幸せを願うことなのです。

 ゼミ生は私の三つの顔を見ています。第一は、授業や講演会での私。第二は、馬鹿話をしまくる手のかかるおっさん。第三は、やるべきことをやるべきであると圧倒的にかつ静かに語る指導教員。第一は、演じている私です。第二、第三が「愛」で一貫しています。でも、これは第二、第三の私の姿を見ないと、そのギャップと一貫性は分からんと思います。

[]パラダイムシフト 07:03 パラダイムシフト - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - パラダイムシフト - 西川純のメモ パラダイムシフト - 西川純のメモ のブックマークコメント

 クーンの科学革命の構造を読んだゼミ生と議論しました。パラダイムシフトをしたあとは、そのパラダイム(ま、色々な前提、おやくそくだと思ってください)の中でちまちまと消化試合をするしかありません(通常科学)。

 彼は『学び合い』というパラダイムシフトをしたあとは通常科学に過ぎず、ワクワクしないと言ったのです。そこで説明しました。

 『学び合い』はパラダイムシフトの連続を起こしています。今から二十年弱前に『学び合い』は誕生しました。当初は、テクニック的な『学び合い』です。でも、「教えて学び合わせる」から「子どもたちの中にある学び合う本能を邪魔しない」というパラダイムシフトをしました。その結果、それまでは数多くの段階をふんで数ヶ月から1年かけて学び合わせていたのが、4週間以内に学び合う集団が出来るようになりました。(このあたりまでは一般の先生方にも分かりやすい)

 ところが次のパラダイムシフトがあります。それは「こどもは教材やテクニックによって動くのではなく、教師の心で動く」というパラダイムシフトです。一見、精神論のように見えますが、具体的なデータによって明らかにしました。分かってしまえば当たり前のことです。我々は四六時中自分の心の中にあるものをボディーランゲージで語り続け、人はそれを読み取る能力があるということです。そうなると何をやるかでは無く、何を信じるかが重要であることが分かります。

 ところが次のパラダイムシフトがあります。それはクラスというものを超えたのです。異学年の合同『学び合い』、全校『学び合い』です。ホモサピエンスは一回の出産で生まれる人数は少ない生物です。従って、兄弟は異年齢になります。我々の本能の中にある学び合う性質は、本来、年長者から若年者が学ぶのが基本になっています。一斉指導は均質で少数であるほうが楽なのです。ところが自立的な集団を形成するには多様で多数の方が楽なのです。だから「異学年『学び合い』、全校『学び合い』の方が単学年の『学び合い』より遙かに楽」なのです。がクラスの『学び合い』しか経験したことが無い方にとっては、信じがたいと思います。この信じがたいということ自体が、このことがパラダイムシフトであることの証拠です。そして、異学年『学び合い』や全校『学び合い』によって、教師の『学び合い』を定常的に出来るという新たな地平を切り開くことが出来ました。

 同様に、特別支援の子どもを集団に受け入れた方が、特別支援の子どもにとっても楽で有効だという、多くの教師には驚天動地なパラダイムシフトをしました。

 ゼミ生にとっては、この段階は通常科学になってしまっているのです。だから連携している学校で全校『学び合い』を経験したとしても、わくわく感がないのも当然です。だって、どのような問題が起こり、それに対してはどのように対応すればいいかは、既に確立されているものです。それを知っているゼミ生にとっては、「あ、あれが起こったのね」と再確認し、それに対して定石の対応をすると、定石通りの改善が起こります。「やっぱりね」となります。

 数学は数少ない前提と論理によって果てしなく数の世界を構築できるというパラダイムに一貫してのっています。しかし、その中で数々のパラダイムシフトを起こしています。物理学は自然現象は単純なモデルによって記述できるというパラダイムにのっていますし、化学は物質は粒であるというパラダイムにのっています。しかし、その中で数々のパラダイムシフトを起こしています。

 『学び合い』の「一人も見捨てたくない」という願いと、3つの「観」は一貫しています。しかし、パラダイムシフトの連続です。それが証拠に、先に述べたように、『学び合い』を実践している方々でも、我々のゼミでごく普通に交わされている会話は、とても信じられないおとぎ話にしか聞こえません。

 ゼミ生は、「じゃあ、どうやったらワクワク出来るのか?」と聞きました。

 私は、全校『学び合い』は既に我々にとっては通常科学になってしまった。だから、次は地域コミュニティの再生がワクワク出来る地平であることを語りました。そして、その地域コミュニティの再生が通常科学になる頃には、次の課題が見えてくることを語りました。そして、教育の殻をどんどん破り、今以上に教師以外の人たちを仲間とする道を明らかにすることが次に進む道であることを語りました。

 今から三十二年前に教育研究の世界に足を踏み入れたとき、今、私が書いてあることを思いつくとは想像も出来ませんでした。自然科学から教育学に入った当初は、十年一日の学問で、百年前の文献を有り難がって訓詁学をやっている噴飯物の学問だと思いました。しかし、今は、実にダイナミックな学問だと思います。そして、数学者が数学が学問の王者だと確信し、物理学が物理帝国主義を信じているように、私は教育学こそ学問の王者だと思っています。何故なら、全ての学問は人によって生み出され、その人を生み出すのは教育だからです。教育帝国主義ですね。

 私は大学の学部では、イースト菌に紫外線や放射線を当てて、遺伝子の修復機構を研究しましたが、今は、ホモサピエンスという複雑な生物の、もっとも複雑な精神活動である教育を研究しています。もっとも面白い生物学であるとも思っています。

mei-c5mei-c52013/09/21 18:55お話しをする時間を取っていただいてありがとうございました。
ご助言いただけたことで、もやもやしていた気持ちがすっきりしました。
自分に出来ることを着実にこなしていきます。
28日の兵庫の会でも、よろしくお願いいたします。

mei-c5mei-c52013/09/21 18:55お話しをする時間を取っていただいてありがとうございました。
ご助言いただけたことで、もやもやしていた気持ちがすっきりしました。
自分に出来ることを着実にこなしていきます。
28日の兵庫の会でも、よろしくお願いいたします。

jun24kawajun24kawa2013/09/21 20:18遠路ご苦労様でした。再会を楽しみにしています。

13/09/19(木)

[]スパイ 07:21 スパイ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - スパイ - 西川純のメモ スパイ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近、現職派遣のゼミ生に「俺って、嫌なやつだな~って思われるよな~」とぽろりと愚痴りました。

 夫婦(妻が専業主婦)が奮発して高級旅館に泊まって、その店の食事を食べたとします。夫がその旅館の料理をいくら褒めても妻は気にならないでしょう。しかし、その夫婦が知人の夕食におよばれしたとします。夫がその知人の家の料理を褒めれば、妻はかちんとくるでしょうし、言いたいことが山ほどわきます。

 多くの大学教師の言っていることは、旅館の料理みたいなものです。それなりに美味しいが、日々の生活には役に立たない。そいうことがハッキリ分かる。でも、大学教師が学校現場の中で「それは言わない、お約束」というようなことをぺらぺら喋って、その無意味さを平易な言葉で理論的に説明したら・・・・。こりゃ難儀だ。

 私の教師人生の殆どは研究者としてであり、私の業績は研究者として積み上げられたものです。私は実務教員ではありません。でも、私は数多くの教師と繋がっていて、そこから「それは言わない、お約束」という情報が毎日流れてきます。

追伸 全国各地で講演で活躍する我が同僚のAさんをからかう言葉の一つに、「私には日本全国にスパイがいるから、あなたの言動はみんな私には筒抜けだよ」というのがあります。私がそう言うと、彼は「だから、仲がいいってわざわざ言わなければならないんですよ~」と言って、最近の事例を喋ります。(ということを言い合える仲ということです。)

13/09/18(水)

[]全体の前で 21:32 全体の前で - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 全体の前で - 西川純のメモ 全体の前で - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』を理解してからは、理論的に理解できたのですが、一般の人には真逆なことを私は自分に課しています。それは「反対意見が起こるであろうことは全体で求める」ということです。

 ある集団にあることを求めるとします。当然、反対意見が出るでしょう。そうなると、自分の意見に賛同する人に個別に会って、こんこんと説明し、その人から説明させるということを多くの多くの先生はします。つまり、クラス委員に言わせるのです。これって、校長が教頭や主任を校長室に呼んで、その人から説明することを求めることと同じです。

 私はそれはしません。

 ただ、私が集団の状況から見て無茶苦茶なことを言っている場合もあります。だから、あくまで雑談として、「こういうことは大事だと思うけど」ということを集団のメンバーの何人かに相談することはあります。でも、私の判断は、私がします。私は、集団(個々人)がやりたいと思うか否か、ではなく、集団がやるべきか否かなのです。もちろん、その決定が誰一人の利害に反することでは無いことを確信できるか否かです。そのための情報収集です。

 その情報収集の中で、まず集団の利害に一致するかを判断します。次に、そのことが個々人の利害に一致するよう、個々人の関わり方に関して、個々人が加減できる余地があることを確認します。それが出来たならば、個々人の反対意見に対して、踏ん張れる自信がわきます。

 その上で全体を集めて、説明します。私は集団を超えて、日本の教師や子どもたちのためになることを語ります。そして、それが集団内部の利害と一致することを語ります。ただし、個々人レベルでは関わり方に関して集団に任せます。もちろん、個々人の利害に一致する「おりあい」が大事であることは前提です。

 こうすると反対意見は殆ど出ません。だって、集団の利害に一致してるのですから、集団は反対しません。私が注意すべきは、「一人も見捨てず」という一点です。それが自分の理解にも、集団の利害にも一致することを繰り返し語ることです。

 と分かっている私にとっては、「自分の意見に賛同する人に個別に会って、こんこんと説明し、その人から説明させるということを多くの多くの先生はします。つまり、クラス委員に言わせるのです。これって、校長が教頭や主任を校長室に呼んで、その人から説明することを求めること」は効率の悪いことだな~っと思います。

[]平均点 07:14 平均点 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 平均点 - 西川純のメモ 平均点 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 もし分布が正規分布であるならば、平均値は中央値であり、最頻値です。だから、その集団の様相を最も端的に表す数値になります。でも、それは分布が正規分布だった場合です。

 一斉指導において子どもたちの成績を上げる最も簡単な方法は、成績が中の下の子どもに合わせたドリル学習をテスト前に集中することです。国語の場合だと、漢字の書き取りと基礎的文法のドリルです。「深い読み」なんて短期間に向上できません。しかし、単純なドリル学習で向上できる部分があります。そこをやるのです。

 成績上位の子は伸びしろがありません。成績下位の子はやる気が元々無いので、一斉指導で対応できません。そのため、限られた労力で効果が大きいのは中の下の子どもです。このような方法をやれば、中の下の子どもは点数が上がり、中の上の子も上がります。その子たちが成績上位にシフトします。しかし、成績下位の子どもは影響がありません。その結果、点数分布が横に広がり、ひどい場合はフタコブラクダになるのです。そうなると、もう平均点は集団を表す指標にはなり得ません。

 現在、全国学力テストでは平均点ばかりが議論されています。しかし、その分布を議論すべきだと思います。各学校、各クラスの分布を見れば、そのクラスの教育の健全性が見て取れます。もっとも端的に表せる指標は分散です。私は分散に注目すべきだと思うのです。

 でも、『学び合い』的に言えば、分散さえも不十分です。最低限学ぶべき学習内容に対応した点数を設け、その点数以下の子が何パーセントであるかを議論すべきだと思うのです。もし、全国学力テストがそのような数値で評価されたならば、学校の教育は激変せざるを得ません。

ogymogym2013/09/19 00:26>>成績上位の子は伸びしろがありません…
以降の内容が、一文一文、本当にもっともだ、と思います。
子どもの前で語る場合も同じように、子どもたちに「もっともだ」と納得が得られるよう語りたいと思いました。

jun24kawajun24kawa2013/09/19 06:56教師が本気で信じていれば、必ず伝わります。少なくとも2割は。

13/09/17(火)

[]評価 08:46 評価 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 評価 - 西川純のメモ 評価 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 以下は多くの教師からは嫌われることを書きます。

 教師は自分は子どもの評価をしているのにも関わらず、自分が評価されることを嫌がります。ま、だれで嫌でしょうが、教師は人には評価しているという点では特異な職業の一つでしょうね。

 私はどんどん教師は評価されるべきであると考えています。だって、そうでもしない限り、現在苦しんでいる子どもを何とかしようとする動機付けは学校には少ないですから。その地域がのんびりとした地域で、勉強が出来なくても「俺の子だもの」で納得し、不登校があっても恥ずかしくて世間様に顔向け出来ないと思うところの教師はパラダイスです。そのような地域では、現在苦しんでいる子どもを何とかしようとする動機付けは皆無ですから。(そんな地域なんて無いだろう、と思う人もいますが、実際にあります)

 ただ評価を個人攻撃の対象とするならば実りが少ない。あくまでも改善の手立てとして使うべきなのです。「ある子どもを指導出来ない」ということは、その教師の資質を示すデータにはなりません。しかし、「クラスを指導出来ない」というのは、その教師の資質を示すデータになります。ましてや、その教師が担任すると学級崩壊が起こることが連続しているならば、その教師の資質を示すものです。

 が、ここで終わりません。そのような教師が一人だけで、問題が頻発しなければ、学校の問題ではありません。しかし、そのような教師の問題が何年も起こったり、複数の教師が同様の問題を起こしたりした場合、それはその学校の問題です。そして、それは学校長の資質を示すものです。

 これは学級崩壊ばかりでは無く、成績に関しても同様でしょう。だから「成績の悪い学校の学校長の名前を公表する」と言った知事の気持ちは分かります。だって、成績が悪いというこは、訳も分からない授業を週30時間、1年間、ずっと聞いている子どもが多いと言うことを示しているのですから。それは、日本で最も一般的に行われている拷問です。

 が、ここで終わりません。そのような校長が一人ならば、校長個人の資質です。しかし、そのような校長が多いならば、それは教育委員会の責任であり、行政の長の責任なのです。つまり、無罪の人はいないのです。そのことさえみんなが理解していれば、「誰が悪い」という攻撃がエスカレートしないと思います。評価のイロハですが、子どもに対して行うテストは、子どもの達成度を測るものですが、同時に教師自身の能力を測る物差しです。できが悪ければ、反省すべきは教師なのです。

 教師であるならば、自らに課される評価を否定すべきでは無いと思います。むしろ積極的になるべきだと思います。ただし、その扱い方が教師が子どもに評価していると同じ扱いと意味を持つべきであることを議論すべきだと思います。

追伸 『学び合い』は外圧が無くとも、改善しなければならないと考えられる一部の教師によって支えられています。しかし、もう一歩すすませるには外圧が必要なのでは無いかと思っています。その外圧とは子どもであり、保護者です。啓蒙的専制君主国家を民主国家にしなければならないと、民主国家の市民の一人として思っています。

追伸 私は明確な物差しの評価のない方が恐ろしいことが起こります。つまり、特定の権力者が、その人の思い込みで特定の教育を否定し、そのことを人に強いることが起こりえるからです。評価が無いので、その人が人に強いていることが正しいのか正しくないのかの評価がなされません。つまり、その権力者が評価を受けず、暴走するのです。我が国では希ですが、皆無ではありません。

13/09/14(土)

[]誕生日 21:14 誕生日 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 誕生日 - 西川純のメモ 誕生日 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 先ほど、家族の誕生日パティーは終わりました。終われば息子は勉強、家内は後始末。つまり日常です。この幸せと、大事さを、学部生と学卒院生に教えたい。

 人間の幸せは、巨万の富、絶対的な権力、酒池肉林、そして歴史に残る聖なる治績、ではなく、当たり前のことなのです。

[]ツアー 19:29 ツアー - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ツアー - 西川純のメモ ツアー - 西川純のメモ のブックマークコメント

 月末からのツアーは以下の通りです。

9月28日 朝一で出発、神戸にて「学び合う会in神戸」(ow.ly/ox8qb)に参加します。関西の同志と飲みます。神戸泊

9月29日 朝一で出発、別府にて「『学び合い』大分の会」(http://p.tl/dVS9)に参加します。大分の同志と飲みます。別府泊

9月30日 別府市立大平山小学校で1日研修会に参加します。終わり次第、博多に移動。博多泊

10月1日 安徳南小学校で1日研修会に参加します。博多泊

10月2日 大野東小学校で1日研修会に参加します。福岡の同志と飲みます。博多泊

10月3日 午前中は二日市中学校の研修会に参加します。終了後、佐賀県の久保泉小学校の研修会に参加します。佐賀の同志と飲みます。佐賀泊

10月4日 唐津市の鏡山小学校での公開授業研に参加します。講演もします。終わり次第、博多空港に移動、飛行機で東京に移動します。

10月5日 東京で資料収集をして上越に戻ります。

 いずれも参観はウエルカムだと思います。時間が合えば、雑談しましょう。飲みましょう。必要ならば、私が学校等の仲立ちをします。

13/09/13(金)

[]怒濤の一日 21:49 怒濤の一日 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 怒濤の一日 - 西川純のメモ 怒濤の一日 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は、関西と北海道の学生さん3名、大阪の先生2名と市会議員2名、佐賀の指導主事2名と指導監1名、広島の校長1名と先生2名で『学び合い』参観しました。気持ちよい時間を過ごしました。

 参観者は頭がパンパカパン状態で帰路につかれたと思います。帰り道で徐々に消化されるのでしょう。

 本日まいた種がどのように花開くか、楽しみです。

 そしてゼミ生と学生さんの参観者の方々に一日早い誕生日を祝って頂きました。

 この昨日の飲み会や本日の集団を見ていて確信しました。

 教育関係の会に集まる人の多くは教師であり、その目的は「自分」の授業改善です。自分のためなので、繋がりは講師と自分という関係が主です。参加者同士の関係は現在の同僚、かつての同僚等です。

 ところがそれを超えた志を持った人が少なくありません。その方々は学校や市や県や日本レベルの視野でものを考えます。それが自分に得だと言うことを知っています。だから、まったく違った県の初対面の人が語り合えます。また、違った業種の人が話し合えるのです。大阪の先生と市議会議員の会話も、あまりにも自然すぎてビックリしました。

 そして、確信しました。大義は我にありと。

 この種の多様性と広域性のあるネットワークにはものすごい可能性があります。

追伸

それにしても、我がゼミ生は自分たちの環境が、いかに不思議な環境であるか分かっているだろうか・・・と思います。だって、指導主事や教育事務所の副事務所長や校長や市会議員と、気軽に学部生が学卒院生が酒を飲みながら話し合っているという状態が普通な環境なんですから。

 県の義務教育課長や県教育長と学部生、学卒院生と酒飲みながら馬鹿話をするようになるのも遠くないように思いました。

13/09/12(木)

[]朋遠方より来たる 21:56 朋遠方より来たる - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 朋遠方より来たる - 西川純のメモ 朋遠方より来たる - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は、佐賀、広島、兵庫、大阪からお客様が来ました。そして飲み会。『学び合い』を学ぶ人は、直ぐにゴチャゴチャとする。楽しい会でした。

13/09/11(水)

[]授業参観 21:21 授業参観 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 授業参観 - 西川純のメモ 授業参観 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、ゼミ生の教育実習を参観しました。私を超えていることは確かです。一斉指導の私だったら、色々の突っ込みはあります。しかし、『学び合い』の私からは、願い・折り合い・立ち居振る舞い、立派なものです。誇らしいです。

[]ゲバラ 20:01 ゲバラ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ゲバラ - 西川純のメモ ゲバラ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 久しぶりにゲバラが我が子に贈った言葉を思い出しました。それは以下の通りです。

 『世界のどこかで、誰かが蒙っている不正を、心の底から深く悲しむことのできる人間になりなさい。それこそが革命家としての、一番美しい資質なのだから。』

 私は革命家になりたくありません。だって、幸せな最後は迎えられないから。ましてや我が子になって欲しくない。でも、そのような共感能力を持って欲しい。世の中で活躍するに必要な能力は、話がうまくて、人の喜びと悲しみを共感する能力だから。

 『学び合い』においての壁は声高に『学び合い』を非難する人ではありません。ごくごく普通の先生方が、2割の子どもがどれほど苦しんでいるかを感じられないことにあります。そして、その2割を見捨てて大人になる8割の子どもの将来を恐れられないことです。しょうがありません、教師になる人は学校教育フィットし、まともな家庭で育った人が大多数ですから。

 でも、少なからざる教師が、その苦しみに気づいています。ただ、それを目視すれば苦しくなることが分かるから、それを無意識に気づかないようにしています。我々は最後は死ぬことを知っているのに、それを恐れて毎日を過ごしていないのと同じです。そのような方々に、2割の子どもの苦しさを直視し、そして「まし」になる道があることを知って欲しい。

toukonyukitoukonyuki2013/09/11 22:24問題を起こして教師の頭を悩ませる生徒のほとんどが低学力…と思うのは気のせいでしょうか?低学力の子ども達のためにこそ、教師がいるですよね。でも、「勉強分からなくても黙って座って、他の生徒の邪魔をするな」って…コレって、普通のことなんでしょうか…。悲しみは感じられても、自分ができることの小ささに、毎日くじけそうになります。

jun24kawajun24kawa2013/09/12 07:18我々は凡夫です。だから出来ることは小さいこと。だから『学び合い』では教師は一人で背負わず、まず2割の子どもといっしょにやる。やがて8割の子どもと一緒にやれます。だから、一人でやるよりかなり「まし」になります。辛いときは、直ぐに完全に解決する道を求めます。でも、そんなことは無理です。だから時間をかけて「まし」になるものを積み上げましょうね。

13/09/10(火)

[]課題 21:14 課題 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 課題 - 西川純のメモ 課題 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 息子の国語のテストが帰ってきました。×をつけられた部分を読みました。採点する教師のお気持ちもわかるし、×をつけられた息子の気持ちもわかる問題がありました。

 その問題は、身近な自然に関して百四十文字程度の作文を書くことを求めているのです。息子は「たな田」について書いたのです。しかし、「たな田」は人工物であるとして10点満点の0点となっています。う~ん。

 日本において本当に人工物で無い自然は、白神山地、また屋久島の奥地以外には無いのです。だから、日本中の森や林を書いても「人工物」です。ソメイヨシノも人工物です。

 それに、この問題は「書くこと」が主題です。従って、「主題」が誤っていても、書いたことの評価はあると思います。ということで「主題」が誤っているから0点というのはどうかな?と思うのです。

 が、国語の業界では成り立つとしたら、それに合わせなければなりません。でも、どうやって息子に説明したらいいのか・・・。教えて下さい。

[]安心 07:10 安心 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 安心 - 西川純のメモ 安心 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日も息子の添い寝をしました。寝るときは、必ず私の枕を自分の枕の横につけて、頭をつけて寝ることを求めます。昨日、ふと「何故?」と聞きました。息子は「安心するから」と即答しました。

 安心して私は寝ました。息子は中1、いつまで続くかな。

[]豊橋の会 05:53 豊橋の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 豊橋の会 - 西川純のメモ 豊橋の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 9月29日に愛知県豊橋で『学び合い』の会があります。お誘いします。http://kokucheese.com/event/index/114026/

scorpion1104scorpion11042013/09/10 06:29いつか豊橋の会に参加したいと思っています。今回は、残念ながら行けませんが、次回を楽しみにしています。

jun24kawajun24kawa2013/09/10 06:51生きている限り、願っている限りは、常に次があります。

ogymogym2013/09/11 00:43たな田、「里山の自然じゃないですか」と保護者さんからコメントをいただいたら「勉強になりました!」と感謝します。^^;

jun24kawajun24kawa2013/09/11 05:48考えてみれば、小学校の生活科で「里山の自然」を追求していました。とほほ

13/09/09(月)

[]授業検討会 21:09 授業検討会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 授業検討会 - 西川純のメモ 授業検討会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 以前、ある小学校でゼミ生の提案の元に検討会が開かれました。テーマは今後の全校『学び合い』をどのように改善するかです。その話し合いに参加したい人は休み時間に集まってと声がけしたら色々な学年の子が二十人強集まりました。そして、先生方と話し合いがありました。

 子どもを教育に関わらすべきでは無い、というお考えの人もいます。しかし、それは校長だけで決めている学校と同じです。

 でも、大人と子どもは違う、と普通の人は言います。でもね。大人の学校だって、最終決定権は法律上は学校長にあります。でも、職員の力を引き出す人は、どのようにすべきか。それと同じなのです。

[]授業検討会 18:17 授業検討会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 授業検討会 - 西川純のメモ 授業検討会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、ある学校の授業検討会に参加しました。この学校は毎週、全校『学び合い』をやった後に、その日の授業を職員間で振り返ります。こじんまりとした学校ですので、アットホームな会です。そこでの先生方の話を聞きながら、この話をダイレクトに子ども達に聞かせたい、と思いました。つまり、授業検討会の画像を教室に流すのです。みたい子どもは見るでしょう。そして、そのような子が『学び合い』の質を決めます。

 我々には隠すようなものはないのだから。

[]ジャンプアップ 07:23 ジャンプアップ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ジャンプアップ - 西川純のメモ ジャンプアップ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 同志の方々へ。

 『学び合い』ジャンプアップで紹介した合同『学び合い』、全校『学び合い』の潜在的な価値の大きさを理解して頂ければと思います。

 1校時の殆どを子どもに任せた『学び合い』の合同『学び合い』、全校『学び合い』「だけが」、教師の定常的な学び合いを可能とするものです。

 それだけが、定常的にやれます。何故なら、時間割調整も不要で、準備も不用だからです。また、授業公開の後の検討会と違って、その場で話し合えます。それ故に、子どもをネタに雑談が出来ます。

 今、教師集団に不足しているのは雑談なのです。膨大な雑談によって自己開示が出来る。それによって血の通った質の高い議論も出来る。負のスパイラルに陥る前に、相談できる。

 全校『学び合い』を始めた学校の校長がかつて言いました。「先生方が職員室にいる時間が長くなった」と。みんな本当は雑談がしたいのです。

13/09/08(日)

[]風立ちぬ 18:57 風立ちぬ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 風立ちぬ - 西川純のメモ 風立ちぬ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、「風立ちぬ」を見ました。私的には絶賛です。でも、2回は見ません。というのは、ハッピーエンドでは無いからです。

 しかし、見ていて不思議な感じがします。一つの映画では無く、いくつかの映画の合体のように感じるのです。ストーリーは一貫しています。色調も同じです。しかし、絵のタッチが微妙に違うのです。かなり凝っていて、ストップして観察すれば、かなり遊び心を楽しめると思える部分もあります。ところが、一見してエラーと思える部分もあります。例えば陰の方向の統一性など。演出なのかなとも思えるのですが、他の部分ではそのようなエラーは無いのです。つまり、チェックが弱い。おそらく、複数のチームの合算のように思います。

 ですが、とても映画であることは確かです。私的に。

[]アンバランス 07:13 アンバランス - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - アンバランス - 西川純のメモ アンバランス - 西川純のメモ のブックマークコメント

 亀井勝一郎は私の中学校から大学まで最も影響を与えた作家の一人です。私の大好きな言葉に彼の「羅漢は何かに没頭する姿の象徴である。羅漢の視野は狭く、如来の間は遠く離れている。しかし、羅漢のみが如来に至ることができる。」という言葉があります。大好きな言葉です。

 昨日、「バランスの良い若者のになるな」とゼミ生に語りました。

 どんな人も、与えられた時間は同じです。その時間をバランスよく使ってしまえば、可も無く不可も無くの人になります。何かをなそうとすれば、何かを諦めねばなりません。そうでなければ、何かをなす時間を生み出す方法は無いのです。

 人との折り合いをつけながら年を重ねれば、自ずとバランスはつくものです。私も結婚してから家内に指導して頂いて貰っています。とほほ

 そして、もう一言付け加えました。バランスのある年長者に繋がることを。それも出来れば複数。

 私の場合は大学で二十数年間お仕えしたT先生です。若い頃、毎日、1時間以上、ありとあらゆることを話し合いました。直近の打ち合わせから、長期展望まで。それを1円365日のうち、300日以上話していました。それを二十年間ぐらい続けていたのですから、六千日以上話していることになります。とにかく何でも話しました。それによって私は自分のリスク管理をしていました。

13/09/07(土)

[]私と同じ世代の方々へ 19:10 私と同じ世代の方々へ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 私と同じ世代の方々へ - 西川純のメモ 私と同じ世代の方々へ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 何度かメモったように、私はゼミ生がテクニックを学ぶことを奨励しています。自分が学びたいと思っていることを学ぶことは良いことです。でも、「学びなさい」と強いるつもりはありません。何故か。

 落語は基本的に同じことを喋ります。ところが、名人の人と二つ目の人では天と地ほどの開きがあります。話は同じなのですが、それに付加する大小様々なものによって生かされます。その付加されるものは、その人によって天と地ほどの差があります。師匠/弟子であっても米朝と枝雀では違います。名人といえども米朝が枝雀のまねをしても、枝雀が米朝のまねをしても、枝雀には及ばず、米朝に及びません。

 教師のテクニックも同じです。研修会や本で学べるテクニックは落語の話と同じです。それを生かすには、そのテクニックは子どもの前にさらし、厳しい批判を受けなければならないのです。この批判の厳しさが前座といえどもプロの落語家と落語研究会との違いです。しかし、多くの教師は、大多数がよい子たちの前で授業をします。結果として、下手なテクニックでも、下手であることがわかりません。本当の教師修行をしたいならば、荒れに荒れているクラス、最底辺の学校の子どもたちの前で授業をするべきです。彼らは容赦がありません。漫才師の最高の修行の場は寄席や演芸会では無く、ストリップ小屋だと言われます。私の学校現場の経験は2年間です。しかし、その2年間は上記の場でした。不遜ながらぬるま湯の二十年以上の経験はしたつもりです。

 じゃあ、若い教師にそれを経験しろとは申せません。そのような環境はテクニックを短期間に驚異的に上昇するでしょうけど、とにかく苦しい経験です。後進の若い教師にそれを経験させたいとは思いません。事実、弱い私は耐えられなくて大学に異動したのですから。そして、かつての私には暖かい職員室がありました。可愛がってくれた多くの先輩方がいました。でも、今の若い教師が全員、そのような環境を保証して貰えるとは限りません。今、学校の教育力は低下しているのです。

 さらに本質的な問題点は、テクニックで引きつけられるのは、せいぜい3ヶ月に過ぎないということです。子どもたちは、3ヶ月以内にテクニックでは無く、その教師の人間性を見ます。落語だって同じです。最初は「話」で笑います。しかし、「ご通家」であれば定番の落語だったら、数百回、数千回聞くことになります。そうなれば「話」で笑いません。次は技巧を鑑賞するでしょう。そして声に至るでしょう。でも、最後は落語家の人柄を感じ、安心して身を任せられる人に引きつけられます。子どもたちも3ヶ月もたてば何回も教師の話を聞いているのですから同じです。

 でも、人柄と言っても、若い教師に滝に打たれろ、断食せよとは言いません。それはテクニックの修行と同じように苦しいことですし、第一、あまり効果はありません。だから、『学び合い』では「一人も見捨てない」というシンプルな基本方針を提案しているのです。

 私は子どもも一人も見捨てたくないけど、教師も一人も見捨てたくない。その中には、第三者からは「なんで教師になっちゃったの?」と思われる教師もです。私はそのレベルの人を頭に浮かべて色々なことを考えます。そうなれば、その人を変えるのでは無く、その人を見捨てず、支え合える教師集団が必要です。だから、クラスの『学び合い』段階を脱し、『学び合い』ジャンプアップで紹介した合同『学び合い』を提案しています。これは『学び合い』だけが出来ることです。

 各人の出来ること、正しい道だと思うことは色々でしょう。私と同じで無くてもいい。しかし、若い世代を守ることが私の世代の責務だと思います。おそらく、そう思っている人は少なくない。でも、第三者からは「なんで教師になっちゃったの?」と思われる教師に対してもそう思っている人は多くないように思います。でも、そのような人を切り捨ててしまえば際限ないのです。

[]テクニック 07:27 テクニック - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - テクニック - 西川純のメモ テクニック - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』では話術も教材も不要、と私が言うと、「今までの自分の努力を否定するのか?」と反発をされる方がいます。気持ちとしては分かります。しかし、誤解です。

 不遜ながら。私には話術もあります。そして膨大な教材のストックもあります。しかし、『学び合い』において助けになることはあっても不利なることはありません。

 私は細かい人で心配性です。学生さんが何かをやれば、どんなことが起こるだろうかとシミュレーションを直ぐにして、だめ出しをしたくなります。これはリスク管理の上で重要なことです。ようは解決方法を自分で考え、それを学生さんに強いるのでは無く、集団作りに力点を置き、解決すべきであることを語ればいいのです。ある方法が最良の解決方法だと自分で思っても、例示はしても、それを強いること無く、それ以上の方法を出すことを求めればいいのです。そうすれば学生さんたちの考える方法の踏み台になります。ようは強いないことです。

 ようは、どれが根幹で、どれが運用であるかが分かればいいのです。

 『学び合い』の根幹は「一人も見捨てない」ということです。それがあれば、どんなテクニックを運用で付け加えてもOKです。しかし、「一人も見捨てない」ということを忘れれば、再現も無いテクニックの加算になってしまう。自分一人が使えるテクニックは一つです。しかし、それがフィットする子どもは全員では無い。全員がフィットするテクニックとは、クラス全員が目の前にいる子どもにフィットするテクニックを考え使おうとする集団作りしか無いのです。

 様々な「オレ流」はありです。しかし、「一人も見捨てない」という根幹を失ったら、どんなに立ち歩きがあっても、どんなに可視化があっても、それは『学び合い』とは似て非なるものです。この違いは「一人も見捨てない」ということを求め続けている人にしか見えません。見捨てられている2割の子どもの苦しみ、そして、その子たちを見捨てて大人になる8割の子どもたちの将来に恐れる人だけが分かります。私は、そのような人の輪を広げたいと思います。

 ま、4割の子どもが分かって、3割の子どもが分かったつもりになった授業だったら、教育実習生だって出来ます。いや、中学生でも出来ます。だって、2~3割は塾・予備校・通信教材で学習済みですから。そして、わかったつもりにするのは簡単です。着ぐるみや、器具や、話術で5分強に一度笑わせて、「君らは賢いな、わかったね」と言えばいいのです。なにしろわかってない子どもは「わかった」ということがわからないのですから。教師がわかったと言えば、自分たちがわかったと思い込みます。

 数十年の研鑽を深めた教師であっても、4割が6割に上昇する程度のことです。もちろん「わかったつもり」の子どもを含めれば全員ハッピーにすることも出来ます。しかし、実態はわかってはいません。そして見捨てられている子どもは必ずいます。教師の目の前ではハッピーに見えるかもしれないけど。

 もちろん、私だって全員をハッピーにしているなんて思っちゃいません。でも、それをもとめたとき、私が出来る唯一の道が『学び合い』であるということを疑ったことは一度もありません。その根幹の上でテクニックを併用しています。

 そんなことを昨日、ゼミ生に話しました。

makiwarisanmakiwarisan2013/09/08 20:31「一人も見捨てない」の考え方は、今は教務主任として職員室の教職員同士一人一人がそうなるように、行動しています。
担任の時と違い、大人の方が見捨てられたくない思いが強いことを感じています。

jun24kawajun24kawa2013/09/09 07:16期待しています。
クラスの問題と捉えるより、学年、学校の問題と捉える。
子どもの問題と捉えるより、教師、地域の問題と捉える。
問題をより広い範囲で捉える方が、安定して確実に解決する道だと思います。
是非、ジャンプアップで紹介している、合同『学び合い』・全校『学び合い』に誘って下さい。

13/09/05(木)

[]メール 21:59 メール - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - メール - 西川純のメモ メール - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、地元で『学び合い』にトライしている人がいることを知りました。でも、分からないところがありそうな感じです。

 私が思うのは、分からなければ聞けばいいのです。今までの経験上、『学び合い』の実践をする前の人と話し合うには数時間、数回は必要です。でも、『学び合い』を既に実践している方だったら、1時間話せば、問題は解決します。

 『学び合い』で一番難しいのは、やると決心すること。やり始めて起こる問題は、既に多くの人が経験したこととです。一人の子どもの対応だったら、100人いれば100通りのベスト解があります。しかし、数十人の子ども集団のベスト解は安定しています。『学び合い』ではその知恵の集積がなされています。『学び合い』ステップアップにはそれが書いています。が、自分の問題が○ページに書いていることと同じか、ということは、頭に血が上っていると分からないものです。でも、1時間も話せば、「あ~」となって終わりです。

 子どもに言っていることを、自分がすればいいことです。分からなければ、聞けばいい。それだけのことです。

 ちなみに、私は誠意あるメールに、不誠実な対応をしたことは一度たりともありません。

13/09/04(水)

[]神戸の会 22:04 神戸の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 神戸の会 - 西川純のメモ 神戸の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 桔梗さんのツイートをコピペします。

 9月28日 第12回 学び合う会 in 神戸のお知らせ

今回は,学級経営や授業づくりについての交流を中心にします。西川純先生も来てくださいます。部屋がせまく20名が限界なので興味のある方はお早めにお申し込みください。ow.ly/ox8qb

[]両方 19:50 両方 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 両方 - 西川純のメモ 両方 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 落語のまくらに昔の職人は文字が書けなかったという話がよく使われます。職人同士の会話で、ある職人が「あいつ、字を書けるだって」と言うと、別の職人が「それだから仕事がだめなんだ」という会話があります。

 昨日のメモに繋がりますが、学術の世界で生きるものにとって、実践の世界での業績はマイナスにすらなります。つまり、ある研究者が「あいつ、実践本を出したんだって」と言うと、別な研究者が「それだから研究がだめなんだ」という会話になります。でも、これは実践の世界でも同じでは無いでしょうか?つまり、ある教師が「あいつ学術論文を書いたんだって」というと、別な教師が「それだからまともな授業が出来ないんだ」という会話になります。

 教育研究者の何パーセントが本屋の教師本のコーナーに定常的に行くでしょうか?でも、逆に言えば、教師の何パーセントが本屋の教育学のコーナーに定常的に行くでしょうか?そんな社会で生き残るには術があります。

 だから、上越教育大学の教職大学院は基本的に学術論文の業績と、実践の業績を兼ね合わせた人で固めています。もちろん、スタッフの中には相対的に学術の業績に偏っている研究者教員と、相対的に学術の業績に偏っている実務家教員がいます。前者の人は、本学教職大学院のスタッフであれば、自然と実践の業績は増えます。そういう環境をカリキュラム上位置づけられているのです。つまり、「実践なんてしーらん、ぴ」ということが絶対出来ないカリキュラムです。しかし、学術の業績はそれなりのトレーニングが必要です。ま、作法ですね。だから、みんなでサポートして学術の業績を上げられるようにしています。

 ちなみに上越教育大学の専任スタッフ17人の中で実務家教育は10人です。この比率は画期的です。これが成り立つのは、実務家教育の殆どが学術研究の業績を持っている人だからです。だから、本学教職大学院においては研究者教員と実務者教員の差が殆どありません。ちなみに研究者教員の中で博士の学位を持っているのは私を含めて3人です。しかし、実務家教員の中にも3人の博士の学位を持っている人がいます。

13/09/03(火)

[]自慢 21:03 自慢 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 自慢 - 西川純のメモ 自慢 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今から十年弱前に新潟市の研究の中心校で講演をしました。そんなときです。新潟市から派遣された現職院生が、知り合いの教員に私のことを話したのです。院生さんは私の学会での業績で色々説明したのです。しかし、いくら説明しても生返事でした。ところが、その中心校で講演に呼ばれたということを言ったとたん、「ほ~」と言って納得したそうです。その話を聞いて、学会で育った私は「ほ~」と言いました。それぞれには納得する物差しが違うものだと思いました。

 北海道の堀さんの音頭取りで本が出版されました。The教師力という本です(http://p.tl/oI41)。出版社のコピーは以下の通りです。

教育界で活躍する16人の教師が語る「教師像」!

教育界で活躍する16人の人気教師が、「教師像」「教師力」について語る、必携の1冊!【執筆者】堀 裕嗣/青山新吾/赤坂真二/池田 修/糸井 登/石川 晋/大谷和明/金山健一/佐藤幸司/多賀一郎/寺崎賢一/中村健一/西川 純/野中信行/堀川真理/山田洋一

 大学院を25歳で修了してから、28年です。高校教師は2年間で、それ以外の26年間はずっと大学人です。学会から多くの学会賞を貰い、学会誌の編集委員長を長らく務めました。そして学会長をつとめている、純粋の研究者です。

 なのに、きら星のような教師の中に混じって「教育界で活躍する16人の教師」の中に混ぜて貰いました。きっと、きら星、令名を誇る教師の皆さんに並ぶことによって、すこしは私がましな人間であることの証明になると思います。

追伸 標準的な大学人は私のようなことを思わないでしょうね。それが困ったもんです。私の学術上の業績を評価しなかった小学校の先生と同じように、実践上の業績を評価しない大学の世界があります。どっちも、どっちも、です。

[]大分の会 16:57 大分の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 大分の会 - 西川純のメモ 大分の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 9月29日に大分県別府で『学び合い』の会が開かれます。お誘いします。http://kokucheese.com/event/index/112525/

[]住 06:58 住 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 住 - 西川純のメモ 住 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 朝起きて、窓を開けると、山が見えて20m~100mの空間を隔てて隣の家が見えます。聞こえるのは虫の音だけ。そして爽やかな冷気が入ってきます。家のドアを出て、研究室のドアを開けるまで15分以下。なんて贅沢だろう、と思います。都会でこれを味わうとしたら年収は億のレベルが必要だろうな、と思います。

 衣食住と言われます。

 私は東京で生まれ、東京で育ちました。若い頃は「衣」でした。子煩悩な親のおかげで、高校以上では毎週デパートで服を買って貰いました。それが大学で開花(?)し、両手の7本の指にオニキスの銀の指輪をはめ、髭を伸ばし、パイプを吸っていました。今考えると、もっとも安易に人に認めて貰う道だったのだと思います。しかし、大学院に入り、私を教えてくれた教員よりも凄い論文業績を上げる頃から、それが馬鹿馬鹿しくなりました。金で買ったものでは無く、自分がなしたものを身にまとう方がいい。

 「食」は大事です。しかし、ありがたいことに私は日本に生まれた。基本的な食は満たされています。数十万円のシャトーマルゴーを飲んでも、その価値を分かりません。その代わり300円あたりのワインの中でも美味しいと思える銘柄は何かを知っています。100円寿司で十皿も食べたり、すき屋の牛丼に生卵を賭けて食べたりすれば大満足です。なにより家内の食事を毎日食べられます。グルメ番組は数々あれど、最高の料理は家族のために創ってくれる妻や母の料理であることは、日本中に出張するたびに感じます。

 グルメ番組で漁師の家庭の料理が写される場合があります。まあ、豪華絢爛です。が、それは漁師という職と一対の関係です。私にはなれません。しかし、新潟は酒所、米所です。毎日食べる米と酒が美味しいところで良かったと思います。ちなみに出張では麺類や親子丼やカレーなどを食べます。米単独で食べると当たり外れが多いからです。

 「住」の価値は東京に住んでいる頃は分かりませんでした。そして、上越にうつってからも独身時代は分かりませんでした。なぜなら「住」は寝る場所以上の意味は無かったから。今は家にいる時間が宝です。だから通勤時間が往復で30分以下の生活がとても凄い意味を持ちます。そして隣家に気を遣わなくて良い生活が意味を持ちます。

 こんなことを若い人に教えたいと思います。だから、ゼミ生には何度もその手の話をします。そして、小中高においてもそれがあるべきだと思うのです。

 キャリア教育のベースは、自分の幸せは何かという「富の創造」だと思います。その富を生み出す手段として職業があります。職業体験がまずありきは本末転倒だと思うのです。それよりも自分にとっての幸せは何かを考えさせるべきです。それには衣食住の意味を考えさせるべきでしょう。それがなりたてば、とりあえず偏差値の高い学校に入学し、とりあえず都会に就職するという高度成長のモデルから脱せます。

 そんなことを朝の冷気の中で考えたので、とりあえずメモりました。

追伸 大学院の時にアルビン・トフラーの第三の波を読みました。彼の描く未来像は実に的確であると何度も感じます。我々の価値観は速やかに変わるべきだと思います。残念ながら現在の教育(特に高等学校レベル)は高度成長モデルの人がつくっています。そのため未だに、とりあえず偏差値の高い学校に入学し、とりあえず都会に就職するという高度成長のモデルの中にいる。しかし、それでは子どもたち全員は幸せになれません。

13/09/02(月)

[]続けること 22:05 続けること - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 続けること - 西川純のメモ 続けること - 西川純のメモ のブックマークコメント

 リンカーンは「多数の人を少しの間騙すことはできる。 少数の人を長い間騙すこともできる。 しかし、多数の人を長い間騙すことはできない。」と言っています。

 これは一人も見捨てない、においても同じです。全員を一人も見捨てないことを短期間やるのは可能です。そして、少数をずっと見捨てないことも可能です。テレビドラマの良い教師はそれをやっていました。

 しかし、全員をずっと見捨てないことは難しいことです。それを実現するには、ごく普通のことをずっとやり続けることです。これが難しい。

[]神戸 21:24 神戸 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 神戸 - 西川純のメモ 神戸 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 9月28日に神戸で『学び合い』の会があります。私も行きます。http://p.tl/gr31

13/09/01(日)

[]千葉の会 21:55 千葉の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 千葉の会 - 西川純のメモ 千葉の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 9月7日に千葉で『学び合い』の会が開かれます。お誘いします。http://kokucheese.com/event/index/105598/

[]嫌な気持ちになる 07:46 嫌な気持ちになる - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 嫌な気持ちになる - 西川純のメモ 嫌な気持ちになる - 西川純のメモ のブックマークコメント

 人間は過去の経験から理解します。そのため、新たなものを、誤って理解してしまうことがあります。そのため『学び合い』で子どもが嫌な気持ちになるという誤解が生じます。

 確かに私は学校で一番嫌な一言は“好きなもの同士で”という言葉がありました。

 本当に『学び合い』を実践していない人がおっしゃる嫌な部分は、だいたい4種類です。

 第一に、教えられてばかりいると、嫌になる。第二に、先とは逆に、教えてばかりいると、嫌になる。第三に、同調圧力。第四に、ひとりぼっちになる子がいる。

 第一の、教えてばかりいる子が嫌に気持ちになる、ということですが、何故、嫌になるのでしょうか?これをおっしゃる方は、「教える子=偉い、教えられる子=駄目な子」という図式が当然のようにできあがっています。そのため、教えられている子は「自分は駄目な子で、それをみんなに分かってしまう」と思うだろうと予想します。たしかに、今までの“学び合い”であれば、そんなことが起こります。しかし、『学び合い』では「多様な人と折り合いをつけて自らの課題を解決する」ことが最高の能力だと考えています。だから、教えられてばかりいる、という子は能力の高い子なのです。教師がそのような価値観を持ち、折に触れ、語れば、その価値観はクラスの価値観となります。そうすれば、「教えられてばかりいると、嫌になる」ということは馬鹿馬鹿しいことであることが分かります。

 なお、子どもたちの『学び合い』の姿を子細に分析すると、教え手と学び手はクルクルと変わるのです。そして、クラスの成績の一番よい子が、一番不得意な子に教えて貰う場面もあります。これは、教師の考える正答を教える、という狭い意味の「教える」では理解できないでしょうね。なお、この部分の研究に対して学会から賞を頂きました。

 第二は、教えてばかりいると嫌になる、ということです。教えてばかりいると自分が勉強できず、「先生は自分が楽になりたいから学び合いをしているんだ」と思い始めます。まあ、ミニティーチャーみたいな実践ではありがちです。そして、『学び合い』の実践をする方も、初期段階に通過する儀式みたいなものです。

教師が『学び合い』の「多様な人と折り合いをつけて自らの課題を解決する」の「自ら」の部分が分かっていないと起こるのです。そして、「自分が楽だから」やるとそうなります。みんなが分かるために自分の出来ることをすることは大事です。しかし、それによって自分が出来ないことが起こっては本末転倒です。『学び合い』は自分にとって得であることをみんなが分からなければなりません。従って、自分が忙しい場合は「忙しいから、今は駄目」ということは良いことなのです。第一に、上記のようなことが起こるのは、一部の子どもに負担が集中する場合におこります。起こる可能性が多いのは異学年学習の最高学年に起こります。でも、教えられるのは他学年にもいますし、同学年、そして下学年にもいます。もう一つ起こりやすいのは、情緒障害のある子がいるクラスです。その子どもと相性のよい子がいた場合、教師が「あなたが頼りなのよ~」とオーラを出します。みんながみんなを支えなければなりません。「多様な人と折り合いをつけて自らの課題を解決する」を教師が正しく理解することが大事なのです。

第三は、同調圧力です。これはある程度はしようがないし、逆に、そうあるべきです。学校教育とは、社会が決めたルールを同調圧力で学ばせるところです。そのために、数十人の子どもが学ぶのです。そして『学び合い』で圧力をかけているのは「みんなが出来る」です。これは圧力をかけても問題はありません。しかし、程度があります。

 何度も書きましたが、「多様な人と折り合いをつけて自らの課題を解決する」の理解が大事なのです。この言葉の中の「おりあい」が大事です。同調圧力で問題になるのは、多数者が少数者に対して「おりあい」をつけないことから生じます。民主国家なのですから、法に反しない限り全体の意見に反対する権利を持っています。その事を理解し、多数者は少数者に理解を求める必要があるのです。そしてその時点での妥協点を見いだします。

 これは教師が民主主義はどんなものであるかを理解しなければ解決できません。当然、教師自身が専制君主(啓蒙的専制君主)であれば、問題となる同調圧力は起こります。教師は民主国家における公僕になるべきなのです。

 第四はひとりぼっちになる子がいるということです。これが私にとってのトラウマでした。でも、『学び合い』の実践をしている方だったら分かると思いますが、基本的にそんなことは起こりません。何故なら、「一人を見捨てるクラスは、二人目を見捨てる、そして三人目は自分かもしれない」ということが徹底しています。結局、仲間を見捨てる集団は「おりあい」を放棄したのです。「多様な人と折り合いをつけて自らの課題を解決する」の「多様な」ということを意味が分かっていないことによって生じます。

 もちろん、みんなみんな仲良しこよし、ということではありません。腹の中では、相性が悪いな、と思う人がいていいのです。折り合いをつければいい。太くなくても繋がればいい。いや、自分が直接繋がらなくても、自分が繋がっている人を通して繋がればいいのです。という集団が出来れば、「自分はひとりぼっちにならない」ということがみんなの前提となります。

 さて、以上の誤解の原因は、いずれも「多様な人と折り合いをつけて自らの課題を解決する」という学校観を教師が理解していない場合に起こることです。ま、最初から分かるのは難しいと思います。しかし、上記のような問題が生じ、それを乗り越えたとき、「多様な人と折り合いをつけて自らの課題を解決する」という言葉の意味の深さを分かります。

 そして、上記の問題は、『学び合い』をしていないクラスでも起こっているし、起こり続けています。例えば、「私は駄目な子で、それがばれたら馬鹿にされる」とびくびくしている子はいます。色々なクラス活動で同調圧力を受けている子はいます。かつての私のように、ひとりぼっちで、「好きなもの同士で」という言葉が怖くてしょうがない子はいます。上記の問題は、『学び合い』だけの問題ではありません。

 しかし、『学び合い』では上記の問題が生じやすい環境を整え、クラスに問題があるならば教師の目の前でハッキリとさせます。そして、教科学習ではそれを乗り越えたか否かをテストの点数で評価できます。それに基づいて、何度も「多様な人と折り合いをつけて自らの課題を解決する」ことの意味を教師が語り続けるのです。

 以上とは違って、本当に『学び合い』を実践している人が知る、子どもが思う嫌なところがあります。

 『学び合い』を実践して、しばらくすると子どもたちは『学び合い』を支持します。でも、「たまには一斉指導もして欲しい」という声も起こります。何故だろうかと聞くと、一斉指導はボーッとしても終わるが、『学び合い』はずっとフル回転しなければならない、だから大変だから、という理由なのです。私は爆笑しました。なるほどなと思います。

toyohashi-starttoyohashi-start2013/09/02 21:124つの視点とてもうなずけます。
そして、後半の部分。自分のクラスでもそうでした。
中の上ぐらいの子が、一斉を選ぶことはありました。
それは、自分だけではわからない、けれど先生がわかりやすく教えてもらうのなら理解はできる。つまり、単純に楽なのだろうと思いました。
一緒ですね。

jun24kawajun24kawa2013/09/02 21:22でも、その子も本当に大事なのは何かは分かっていると思います。