西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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13/08/18(日)

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 『学び合い』にはいろいろな方が関わります。いずれも志の高い方です。でも、いろいろなことを考えます。何度か書いたことですが・・・。

 一流の研究は、長々、説明不要です。たいてい長く説明を必要とするようなものは、重箱の隅をつつくようなものです。私の学生が自分のテーマを私にしゃべるとき、一言(まあ、点が二つ以内)でしゃべれないものは拒否します。

 でも、それを「そりゃそうだ」で言われたら、当たり前すぎます。つまり、最初の反応は「え?」なのです。

 次に、説明をします。そうすると、「な~るほど」と納得します。少なくとも教育に関わること、それはみんな経験していることです。義務教育は9年、多くの人は高校までの12年間経験しています。そして私の関わる人の多くは大学の4年をプラスして16年間の経験のある方ばかりです。だから、正しいことであるならば、ゴチャゴチャ説明しなくても、納得するはずです。

 でも、次に、それを現実化するにはどうするか?と問えば「う~ん」となることが一流の研究です。それが簡単だったら、とっくのとうに誰かがやっていることなのです。

 つまり、一流の研究とは、今は一般的になされていないことであり、その理屈は単純、でも、それを現実にするのは難しいということです。

 頭のいい人、つまり、みんながやるべきだと気づくことを解決できるのは、超天才だけが出来ることです。たとえばフェルマーの問題や4色問題は昔から解決すべきであることは分かっていることです。そして、みんなそれを解決しようとしました。でも、解けなかった。それを解決できるのは超天才です。でも、私も多くの人はそうではありません。凡人は、正しくて、基本的には解決すべきことを解決するしか一流の成果は上げられません。

 私は二十二歳で、「教育を数値的に表そう」ということを志しました。ペスタロッチ、コメニウスであーだ、こーだ言っている時代でした。何を戯言と言われることです。でも、現象を客観的に数量化すべきであると言うことは了解するのは難しくありません。でも、それを実現するのは多くの人には難しかったと思います。私はそれを乗り越えられました。なぜなら、その当時は一般的では無かった、大型コンピュータの統計パッケージを駆使することが出来たからです。そのため、数千人のデータを統計的に扱うことが出来ました。

 私は三十代になって、子どもの頭の中を分析しようとしました。当時は、典型的な問題を与えて、その正答率を吟味する時代でした(不遜ながら私が先鞭をつけたものです)。頭の中をどうやって調べるの?という時代でした。まあ、フロイドの精神分析のいかがわしさと同じものを学会のみんなは感じていたと思います。しかし、子どもの頭の中をコンピュータのメモリーとCPUでモデリング化する認知心理学の知見が勃興した時代です。その成果を数例でも紹介すれば納得してもらえます。しかし、具体的に教科教育でそれを実行する方法は、と言えば、みんな二の足を踏みます。認知心理学的な分析は単純なアンケート調査とは違います。かなり込み入った手続きを学習者にやってもらわなければなりません。だから、みんな出来ないのです。しかし、私は上越教育大学に言いました。現職院生がいっぱいいる世界で生きていたのです。そのため、普通の大学研究者では出来ない研究が出来ました。

 私は四十代になって、「一人も見捨てない」という荒唐無稽な志を立てました。当然、無理だと思われます。そこで、いろいろな講演会で、それが可能であること、少なくとも今よりましになることの説明をします。おおかたの方は、「まあ、そうかな」と思っていただいていると思います。だって、至極、単純な説明ですから。でも、「でもね・・・」と思います。で、今、日本中の仲間と教師の意識改革とやっているところです。これはなかなか手間がかかる。今までの私は学会で戦っていました。これは、政治も必要ですが、それ以上に正しいか、正しくないかの世界です。が、今回の戦いの場合、正しいか正しくないかでは無く、それを信じるか否かの世界ですから。

 で、話を戻します。

 いろいろな志の高い若い人と話して感じるのは、自分の志を短くシャープにいえない人がいます。また、言う人に関しては、当たり前すぎて、「じゃあ、今までとどこが違うの?」と聞くと説明できない。まあ、当人は説明しているつもりなのでしょうが、私には分からない。つまり、最初の「え?」が無い。

 次に、それがあったとして、それが正しいと思わせる短い説明が出来ない。ものすごく専門用語があふれてくるのです。もしくは自分の熱意で何とかしようとしている。まあ、当人は説明しているつもりなのでしょうが、私には分からない。

 そのたびに、残念だな~っと思います。

 でも、今の若い人は、凄い、と思います。だから、なおさら頑張って欲しい。そうでないと私の老後が危うい。