西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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13/08/14(水)

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 今から十年弱前のことです。私のゼミ生が、上越教育大学内で開催されたTOSSの勉強会に参加していました。それも隠れて。なんかの拍子で、それを私が知るところになりました。その学生は恐縮して私の所に来ました。私は大笑いして、TOSSが職場で見捨てられた若い教員をどれだけ救ったかを歴史的に説明し、そこで学ぶことの意義を語りました。それ以降は、我がゼミ生がTOSSの研修会に参加することを悪いことだとは思っていないと思います。

 ちなみに、我がゼミ生は様々な研修団体の会に参加し、色々なことを学びます。『学び合い』を否定する団体にも。また、私をお名指しで下品(?)に罵倒される方の講演会にも参加します。それも団体を組んで。私はとても良いことだと思っています。

 何故かと言えば、それらで技術をいくら学んでも得にこそなれ、損にはなりません。私だって、「7つのルール」に書いたように一斉指導時代の技術は使っています。使えるならば使った方が効率はいいですし、気持ちがいい。しかし、『学び合い』をしれば、その技術では一部の子は見捨ててしまうことは分かります。一斉指導の技術をどれほど積み上げれば「全員を分かった気にさせることは出来ても、全員を分からせることは出来ない」ことは、『学び合い』の全員が分かったという場面に出会えば分かります。これはゼミ生も同じだと思います。

 また、一斉指導の技術を積み上げれば、授業中は全員がハッピーになれることも力量ある教師ならば可能です。しかし、目の前の子どもが次の学年になり、次の学校に進学した後のハッピーを保証しているわけでは無い、ということを全校『学び合い』、また、地域コミュニティーの再生を目指しているゼミ生だったら明白です。

 『学び合い』や私をあしざまに言う人の講演会に行けば、その人自体はとても志の高い人であり、子どもたちのことを考えている人であることが分かります。なのにあしざまに言う姿を見れば、「何故だろう」と考えるでしょう。そうすれば、『学び合い』を技術的な表層で捉え、「一人も見捨てない」という言葉を軽く捉えていることに気づきます。その方が喋る一言一言を聞いて納得する部分と同時に、「でも、あの子はそれじゃあ無理よね。『学び合い』だったら・・・・・」という事例が頭に浮かびます。それによって「一人も見捨てない」という言葉の重さを再確認できるはずです。

 ということで、私は奨励しています。

 歴史的に言えば、宗教は他宗教を否定します。共産主義が宗教を否定したのは、それ自体が宗教だったからです。『学び合い』は科学です。徹頭徹尾、学術的な裏付けによって構築された理論です。宗教とは違います。

 が、宗教的な部分もあります。それは「一人も見捨てたくない」という願いです。私が現状の教育を否定するとしたら、それは技術のレベルのことではありません。それが暗黙に是認している「一部の子どもは無理だよな」という諦めを否定しています。その諦めを前提にしている全てを否定したい。

 私のゼミで2年間以上過ごしたならば、「一部の子どもは無理だよな」は思わないと思います。そして、私の管下を離れて荒波にもまれて「一部の子どもは無理だよな」ということに囚われてしまったとしても、それを恥じるであろうことは確信は持てます。つまり、なんとなく意識せずに「一部の子どもは無理だよな」とは思えないように育つ環境には置いたことには自信があります。私の管下を離れ、荒波にもまれれば「一部の子は無理だよな」という思いに囚われると思います。しかし、そう思ったときに現れる子どもの姿が、大学院で見た子どもの姿とは違うことを忘れないと思います。そして、そのためにチームが必要だと言うことも。