西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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13/08/05(月)

[]人からの脱皮 21:33 人からの脱皮 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 人からの脱皮 - 西川純のメモ 人からの脱皮 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 フォーラムでの石川さんとの対談の評価を主催者から頂いた。正直、ドキドキである。心優しい参加者は、色々な思いがあり匿名であっても心優しいコメントを書いてくれるであろうということは想定の範囲です。しかし、2割程度は、「おっさんのくだらん話を1時間半聞かせるのはなんだ!」という反応があってもしょうが無いと思いました。

 予想に反して概ね好意的な反応であり、大多数は高評価でした。

 不思議だな~・・・としばらく考えました。私なりの分析です。

 一つは、聞いていただいた方の多くはスタートブック、ステップアップ、ジャンプアップをお読みになったが、手引き書や学術書は読んでおられない方だと思います。従って、お読みになった本が理論に裏打ちされていることに感じられたのだと思うのです。

 もう一つ、そして、これが大きな部分を占めているのだと思うのですが、それは「おっさん」の昔話の中に、過去の自分を発見しているのだと思います。『学び合い』の根幹である「一人も見捨てない」という願いは、心ある教師の心の中にあります。しかし、精神衛生を保つためにも、それを心の奥底に封印しているのだと思います。私の思い出話の中に、その封印を解く道筋を直感されたのだと思うのです。

 しかし、上記のことが出来る同志の方は、日本中にかなり生まれています。つまり、『学び合い』の実践を理論的に語れる人、そして、「一人も見捨てない」という願いをリアルに持ちつつ、それを封印している人の気持ちを分かる人はかなりいます。ネットワークを育てて、私より優れた方と繋がって欲しいと願います。

 では、私に出来ること、そして、私にしか出来ないこと。それは、日本中の多くの人からは「馬鹿げたこと」、「学者の戯言」と思えることをリアルにイメージし、それを実現する道筋を見いだせることです。それこそが研究者の真骨頂です。五十三とは言え、その面では私は最前線にいると自負しています。が、これとても、もっと優秀な研究者の方々が引き継いでもらいたい。そうしたら、私の最終課題である、学習内容の精選にシフトできる。

 と妄想しました。

daitouirukadaitouiruka2013/08/07 21:36フォーラムでは夜の懇親会、その後の会を含めていろいろとお話をさせていただいてありがとうございました。
以前から「科学としての『学び合い』」についてその方向性に共感させていただいているのですが、学術研究の素人なもので、その世界では基本的なことだと思うのですがお教えください。
ある個人の判断が無条件によしとされるようなものは「科学」としては論外だとしても、心理や教育の分野では、人間の心やその他のさまざまな条件がからまっていて特に物理の世界ほどの再現性は望めない(と思う)のですが、どの程度再現できれば「科学」となるのでしょうか?
どこまでも「より確からしい」状態に「近づける」ということからは脱することはできないように思うのですが、どのような状態になれば「科学的に証明された」と言えるのでしょうか。
それから、「考え方」が大切であるということもあり、「この条件下で」ということを示していても、本人がその「条件」でやっている「つもり」でも、実はそうじゃなかったということもよくあると思うのですが、その点は具体的に「対話」しながら個々の事例に対応していくということでしょうか。
個人的なメールでご質問しようかとも思ったのですが、『学び合い』をしている人に限らず、ここに訪れる人の何パーセントかの方にとっても知りたいことではないかと勝手に思ってここに書かせていただきました。

jun24kawajun24kawa2013/08/08 05:28科学とは何かを明らかにすることは科学哲学研究の主要なテーマです。それ自体が研究のテーマになっているということは、さまざまな立場があるということです。ということを認めた上で、一般的に認められている科学の要件は「反証可能性」と言われます。つまり、「実験や観察によって、それが間違っていると証明できる」か否かです。あの人が言っから、は信仰であり反証は不可能です。だから科学ではありません。
次に、「確からしさ」つまり蓋然性についてですが、イルカさんが指摘しているように人相手の研究の場合、物理学より蓋然性が低くなると思います。しかし、相対的に蓋然性を高める努力の営みが科学だと思います。
反証によってチェックされ、その反証の反証によってチェックされ・・・、その積み上げによって蓋然性は相対的に高まっていくのだと思います。

daitouirukadaitouiruka2013/08/08 18:41なるほど、やはり「蓋然性」をより高くしていくことなのですね。
そして、「反証可能性」ということで納得できました。
ありがとうございます。