西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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13/07/11(木)

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 高校教師としては失敗者ですが、研究者としての自分には満足しています。少なくとも私レベル人間にしては出来すぎです。

 平均的な教科教育研究者20倍以上のA論文を書きました。いろいろな学会、団体から賞をもらいました。歴史ある学会学会誌編集委員長を務めました。学術研究の成果を書籍として発刊し、多くの人に読まれています。中には十数年間のロングランの本もあります

 何故かと言えば、私は研究者としては傍系だからだと思います研究者世界は厳しいものです。論文を書け、しかずん死ね、という世界です。その中で生き残らなければなりません。本流の研究者は、一流大学学会の本流となっている先生のもとで博士課程に入学し、そこそこの論文を書き、学会での仕事をこなし、人望を得て、博士学位を得て、学界での重鎮となり退職というのが流れです。

 私は違います。私はな~んとなく大学院に入りました。教育大学院に入った理由が、私の不得意なドイツ語試験に課せられない大学院という、恥ずかしい理由が大きな理由です。大学院研究者養成大学院ではなく、現在、全ての教員養成大学に設置されている高度職業人を養成する大学院です。

 私は遊び回った学部時代と決別するため、むちゃくちゃに研究しました。その中で研究面白さに気づきのめり込みました。その時の業績があるから、その後、大学に異動しました。異動した後、私は研究者としての存在証明自分で行わなければなりません。本流の研究者であれば、そこそこの品のいい研究をして人柄を認めてもらえれば、学閥や恩師の力で生き残ることが出来ますしかし、私にはそれが無い。だから、下品とまで言われるほど論文を書きまくりました。下品すぎると学会のお偉い人からしかりを受けます。その場合は、その学会からしばらく距離を置き、別な学会で活動します。そしてほとぼりが冷めてからは、距離を置いていた学会に戻ります。そのようなことを続けることによって、ずっと下品に論文を書きまくることが出来ました。

 しかし、人から下品だとかフォロソフィーがないといろいろなことを言われましたが、その業績が山のようになれば、それなりに認められます。そして、ある時点からいろいろな学会から賞をもらうようになりました。そして、昔だったら六十代の重鎮がなる学会誌編集委員長に四十代になったばかりの私がなりました。

 が、研究者になった私の弟子には私の道を歩ませたくはありません。かなり厳しい道だし、丁半ばくちの部分もある。