西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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本格的にトライする人も多くいると思います。その際、人とのつながりが大事です。身近にいる人と繋がれるとありがたいですよね。『学び合い』を実践される方は、『学び合い』マップ(https://www.google.com/maps/d/edit?mid=zDInXkSSxyO4.kNDji5uDNm0Y)に、是非、登録下さい。登録は、『学び合い』マップ登録フォーム(http://form1.fc2.com/form/?id=77081b4d4f40dd2f)から出来ます。  「私なんて、人になんか教えられるレベルに行っていない」と思う方へ。だからいいんですよ。一番知っている人が、一番の教え手ではないことは『学び合い』を実践しているならば、子どもを見れば分かるでしょ。それに、教える必要はないのです。共に学び合えばいいのです。いや、愚痴を言ったり、笑ったりする、それでいいのです。  是非、一人でも多くの人がマップに登録下さい。強く、強く、お誘いします。

13/07/07(日)

[]屍にならないように 16:18 屍にならないように - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 屍にならないように - 西川純のメモ 屍にならないように - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』は革命です。というと、「先生、そんなこと書くから、また誤解されるんだよ~」という声が聞こえますが。ただ、革命と行っても武力革命ではありません。いつのまにか公衆電話が無くなったような革命です。だれも公衆電話を無くそうと政治闘争をしたわけではありません。公衆電話と関係なく別な便利なものが生まれたからです。そして、それに付随して、テレカも世の中から見えなくなりました。

 レコード針の場合は利害団体があったので公衆電話より戦いがありました。CDが生まれたとき、レコード針の会社はアナログの良さを説きました。しかし、マニヤはさておき、一般大衆は結果オーライでCDにシフトしました。

 おそらく今後、『学び合い』が通る革命において、上記に似たようなことがあると思います。基本的に直接対決はありません。ごく普通の人がどちらを選択するかによって決まります。そして、静かにそれが進行しています。

 が、短期的には、局所的には闘争があるでしょう。その際、だれも傷ついては嫌です。だから同志の方はしたたかになって下さい。ではどうするか。

 面と向き合っている個人と個人の場合(つまり同僚)は、意見の相違があってもそれを荒立てない方が良いともいます。隣のクラスの人がどんな考えで授業をやったとしても、基本的は「ご勝手に」だと思います。その隣の人があなたと授業のこと闘争があるとしたら、それは『学び合い』が原因ではありません。

 第一の理由は、あなたが同僚にあなたの考えを強いた場合です。また、あなたの考えが同僚より優れていると主張した場合です。そりゃ、喧嘩になる。ちなみに私は私の職場である上越教育大学の教職大学院の同僚に対して、上記のようなことはしません。

 第二の理由は、あなたのパフォーマンスが低いため同僚に迷惑をかけた場合です。そうなったらば「○○さん、何かにとりつかれているよ。いろいろなことに目を向けなさい」とアドバイスするでしょう。ちなみに私は私の職場において、研究においても教育において他から絶対にとやかく言われないような抜群の成果を上げ続けています。

 『学び合い』ステップアップの通りのことをやっているならば、「まし」になっているはずです。そしてステップアップで書いたとおり週1程度で結果を出せるまで穏やかにやれば文句の言われる筋合いはありません。

 その上で、もう一つアドバイスがあります。

 周りの人の仕事を積極的に受けましょう。分からないことがあったら聞きましょう。とにかくコミュニケーションを積み上げましょう。『学び合い』は理解されなくとも、あなたは理解されるよう努力しましょう。ちなみに私の職場の会議において、会議中の爆笑を生み出す原因の半数以上は、私のオバカな発言によるものです。

 『学び合い』をやったからといって屍にはなりません。社会人として守るべきことを守れば良いのです。互いに人として尊敬し、尊重し合えば良いのです。

[]部活 16:18 部活 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 部活 - 西川純のメモ 部活 - 西川純のメモ のブックマークコメント

私がゼミ生によく言うことです。

私は、私のカーボンコピーが欲しいわけではない。

カーボンコピーはオリジナルを絶対に超えられない。

私が求めているのは、私を超えること。

超えたゼミ生から学ぶことによって、私は成長し続けられる。

部活指導で以上を部員に語るべきだと思うのです。そうすれば体罰は起こるわけありません。

そもそも愛で体罰する人はいません。少なくとも傷が残るほどの体罰は。http://p.tl/L2k2

[]東京の会 10:54 東京の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 東京の会 - 西川純のメモ 東京の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 7月21日に東京で『学び合い』の会があります。なお、「高校」という言葉がありますが、高校以外の方、教師以外の方も大歓迎です。というより、そういう方々がゴチャゴチャと参加するということが『学び合い』の会の特徴ですから。

 主催者からの文面を以下にコピペします。

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久々に『学び合い』高校部会とおにぎりの会を同時開催いたします。

(一応、前半が高校部会、後半がおにぎりの会です。)

最近『学び合い』という言葉を知ったけれど、なぜ『学び合い』なの?『学び合い』って何?という方・・・

学び合い』を実践すればするほど、ますますわからなくなってきた方・・・

夏の『学び合い』フォーラムに申込みたいけれど、突然福島まで行くのは、、、という方・・・

教職員から保護者、大学生まで、どんな方でも参加できます。

【日時】7月21日(日)13:00~17:00

【場所】江戸川区立某小学校1年教室(詳しい場所は、FBメッセージ、またはメールでお知らせします。)

【参加費】お茶菓子代300円

【申込み&問い合わせ】tm43919☆hotmail.com(☆を@に変えてくださいね。)

どうぞ、お誘いあわせの上、ご参加ください。

[]民主国家 10:31 民主国家 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 民主国家 - 西川純のメモ 民主国家 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私が大学院の時です。ブレジネフが死にました。その直前からニュースのアナウンサーが黒服に着替えたとか、クラシック音楽が流し続けたということで西側は憶測していました。そして、死が発表され、ソ連の番組は全て追悼番組一色になりました。私は「あ~、独裁国家だからだな~・・・」と思いました。その後、アンドロポフ、チェルネンコが立て続けて死にましたが、過程は同じです。何度も続くと独裁国家を馬鹿にする気持ちで滑稽になりました。

 ところがです昭和天皇が崩御されると民主国家であるはずの日本でも全く同じ状態になりました。日本国の象徴であり日本国の統合の象徴である天皇がお亡くなりなったのですから、それなりの敬意は必要です。しかし、それにしても異常でした。例えば、2万人弱がお亡くなりになった東日本大震災の時でさえ、平常番組は存在していたのに、それが全くありません。マスコミ全てが「死を悼め」と強要する状況に恐怖を感じました。ここまま日本が独裁国家になるのでは無いか、とさえ思いました。

 誤解を恐れずに言えば、天皇崩御の時にお笑い番組や旅行番組を流すマスコミはあっても良かったと思います(せめて深夜帯)。民主国家のいいところは、法に反しない限りは、意見の多様性を認めることだと思います。

 ソ連の小学校の写真を見ると、赤いスカーフを巻いて、挙手の方法は一様です。うでを直角にして挙手するのです。それがクラス中がやっているので異様で有り、滑稽です。かつての共産圏では、この一様性に強さを見いだすのでしょう。どこかの国のマスゲームも同じです。

 が、少なからざる我が国の学校の黒板の上に、「挙手のうでの角度」、「1の声の大きさ、2の声の大きさ、3の声の大きさ」と細かく書いた紙が掲示されています。それを見ると、ソ連の小学校を思い出すのです。

 教育基本法の第1条では「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」と書かれています。現状の学校は民主的な国家の形成者を育てているでしょうか?

 学校における教師は、専制君主であってはなりません。たとえ慈悲深い啓蒙君主であっても駄目だと思います。教室における教師は公務員なのです。法で定められたことは求めてはいい。しかし、法で定められていないことを求める場合は、民主的な手続きが必要です。そのあたりを自覚している教師がどれほどあるかということを考えます。例えば校則です。あれには何の法的根拠はありません。一度、校則に関して法的訴訟が日本各地で連発されると学校も子どもや保護者に対してリーガルマインドを持つのではないかと思います。おそらく、そのような時代はそう遠くない時代に来ます。

 暴言、暴行を繰り返す子が教師に反発しても教師は怖くありません。非常識な保護者がクレームを言ってきても怖くありません。ところが、礼儀正しく子どもと保護者が、正当な手続きを踏んで戦ってきたら・・・・。それは革命です。教室、学校における専制君主に対する革命です。

 と、「挙手のうでの角度」、「1の声の大きさ、2の声の大きさ、3の声の大きさ」と細かく書いた黒板の上の紙を見ると思います。

[]見ざる、聞かざる、言わざる 10:11 見ざる、聞かざる、言わざる - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 見ざる、聞かざる、言わざる - 西川純のメモ 見ざる、聞かざる、言わざる - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今、ある方から相談メールをいただきました。多くの方に関係することなのでアップします。

 西川ゼミは大所帯で、年齢もバラバラです。私は「一人も見捨てない社会・教育を実現しよう」ということを求めます。それ以外は、自由です。基本的に自己責任のルールで運営されています。様々な問題が起こっても、私はそれに対する彼らが知らない情報を全て明かし、解決すべきであることを語り、それからは任せます。そして、彼らが決めたことに関しては信じ、それから生じたことの責任は私が負う覚悟です。

 多様で多数な人がいるのですから、個々人レベルのいざこざはしょっちゅう起こります(というか、起こると思います)。しかし、そのことは私は知りません。ゼミ生も、私には知らせません。もし、ゼミ生が「先生~、ゼミのことで話したいのですが」と言ってきたら以下のように語ります。

 『私が小心で、心配性で、基本的に一斉指導タイプであることは知っているよね。その私が細かいことを知れば、オロオロしてしまうよ。そして結局、事細かな指示を出してしまう。その結果が良い方向に向かうとは思わないけど、どう?私に相談する前に君たちで解決するようにしなさい。ただし、ゼミのみんなで解決できないような問題だったら相談に乗る。ゼミのみんなで解決できないような問題というのは、予算や対外的な交渉だ。それは相談に乗る。君たちの望みを叶えるように全力を尽くそう。また、ゼミの中でどのような目標であるかが意見が分かれているならば、私が裁断を下します。もし、ゼミの中で話せない人間関係だったら、それは私の責任だ、その場合はみんなを集めてほしい』と語ります。

 たいていの場合は、そこで引っ込んでゼミ内部で問題解決します。

 しかし、内容によっては私が問題解決します。その場合は、出来るだけ全員を集めさせます。

 内容が、人権侵害(まあ、大学生なので暴力は無いので)場合は、有無を言わさず、その言動はいかなる理由があっても悪であると断定します。その上で、それを引き起こした状況を解決することを求めます。

 内容が、予算や対外的な交渉だったら、改めに現状を包み隠さず話し、今できること、来年出来ることを語り、その状況の中で何を求めるかを決めることを求めます。

 内容が、私が求めたことが、具体的場面で何を意味するかで意見が分かれたならば、説明します。

 内容が、ゼミの人間関係の悪化であるならば、最初に私に訴えてきた人のことは明かさず以下のように語ります。

 『今、ゼミで問題があるようだ。その内容は分からない。しかし、それがゼミ全体で解決すべきものであり、かつ、そうにもかかわらず、今のゼミはみんなで解決できない状態であることは私は了解している。これは誰かが悪い、ということを言っているのではありません。根本的な問題は、その問題があることを知らない人がいることです。そして、もっと問題なのは、その問題があることはうすうす知っているが、自分が関わらなくてもいいや、と思っている人がいることです。君らは『学び合い』でのクラスを知っている。今、我がゼミの状態をそのままにしたならば、どのようなことになるかは知っているはずだ。今の問題の状況を全員で理解し、全員で解決しなさい』

 子どもたち(私の場合はゼミ生)を私は信じています。少なくとも、私は自分が愚かで無力であることを知っています。だから、私よりも子どもたちの方が有能であることを疑いません。だから、積極的に知らないようにするのです。

 知ってしまえば、私はだれが悪役で、だれが被害者であるかという図式を想定してしまいます。私が得られる情報は偏っています。だから私の図式は誤る可能性は高い。そして、仮に私の図式が正しくても、善悪は人によって違います。私が「悪」と判断してしまえば、「悪」と判断された人は、私のどんな言葉も受け付けなくなります。だから出来るだけ細かいことは知らないように努力します。

 今までは教師は何でも知れば知るほど良いと思われています。しかし、知ってもしようも無いことを知れば、改善は無く、ただ、教師の心がぶれるだけのことです。

tm43919tm439192013/07/07 10:57早速、宣伝ありがとうございます。
「挙手の腕の角度」までは知りませんでした・・・驚きませんが(^^;;

twoyoshitwoyoshi2013/07/07 14:19全く同意見です。私たち教員は、何の法的根拠も持たないまま子どもの権利を奪っています。問題はほとんどの場合、無自覚なのです。私の院生時代に西川先生の授業を蹴ってまで学びに行った、結城忠先生の「生徒の法的地位」を全ての教員が読むべきです。

jun24kawajun24kawa2013/07/07 18:34tm43919さんへ:そういう学校もあるんです。もっとの学校も。
twoyoshiさんへ:全ての人はあの大著は読めませんよ。あははは。あの本のエッセンスを一言で言えば、子どもも大人も同じ人権を持っているということです。