西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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13/06/09(日)

[]教育研究 08:32 教育研究 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教育研究 - 西川純のメモ 教育研究 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 マラリヤの特効薬の発見の話が大好きです。(真偽は定かではありませんが、寓話として読んでください。)

 マラリヤの特効薬を探すため、南米の村々を歩き回った人がいます。そして、その村の呪術師の使うマラリヤの薬を集め、効果があるかを調べました。多くは気休め程度のものでしたが小数の薬は薬効がありました。それは様々な草木で作られたものです。その人はその草木の一つ一つを取り除いて薬効があるかを調べたのです。結果として、キナの樹皮「だけ」が薬効があることが分かりました。

 気休め程度の薬を多くの呪術師が使っているのは、薬効の評価が甘いからです。その甘い評価で「多ければいいだろう」という程度でどんどん付け加えた結果で薬効がある薬が生まれたのでしょう。確かに「効く」ということを成り立たせるならば、毒にならないものを加えても「効く」ことは確かです。

 現場の教育実践を「呪術師」にたとえたらお気を悪くする方もあるでしょう。すみません。不適切なたとえですがお許しください。

 現場の教育実践は「効果がある」ことが第一です。なぜ、効果があるかを問うことに力を入れません。これは当然です。でも、教育研究はなぜ効果があるかを明らかにする必要があります。多くの教育実践は効果のあるものを足し算する方向に進みます。『学び合い』を実践する方でも同じ傾向が見られます。しかし、『学び合い』は全く逆の方向で成立したのです。

 『学び合い』は、もともとは上越市のある一人の優れた実践者の実践の観察から始まりました。その方は子どもの自主性を重んじ、信じ、授業中の立ち歩きや相談を許したのです。西川ゼミは優れた現職派遣教師が所属しました。その方々の持っているノウハウが現在の『学び合い』のノウハウの原型となっています。

 しかし研究者、それも単純馬鹿の理系人間の私は、足し算では無く引き算を重視しました。本当のコアな部分は何かを求めたのです。結果として、『学び合い』の成立の初期段階では重要であると思われていた多くのノウハウを捨てました(ただし、入門者には有効なのでステップアップ等では、整理したノウハウを例示しています)。そして、最後の最後に残ったのは、「学ぶ意味」とは何かであり、それをどのように子どもに語るかになりました。それが方法では無く、考えとしての『学び合い』なのです。

 そこそこの効果を求める程度だったら足し算でも大丈夫な場合もあります。しかし、コアが何かを見失えば、コアの部分を阻害してしまいます(足して2で割る『学び合い』もどき)。

 そして、考えとしての『学び合い』でなければ、究極の困難を乗り越えることが出来ません。例えばです。我がゼミ生で、『学び合い』を捨てた人がいました。何故かを効いたことがあります。それによれば、その人のクラスに知的な障害を持つ子どもがいたそうです。そのクラスで「全員達成」を求めても、達成できません。達成できないことが続くことによって、クラスの雰囲気が暗くなり、なによりご当人が辛くなりました。そして足し算です。『学び合い』に出会う前に学んだテクニックを併用したのです。しかし、従来型のテクニックは子どもを有能では無いことを前提にしています。従って、併用すれば併用するほど子どもは依存的になり、どんどん愚かな存在に退化します。そして負のスパイラルに陥ります。『学び合い』は子どもの現状をハッキリと見てしまうのです。結果として、耐えられなくなり、本質的に解決できないことは十分に分かっているのですが、クラスの本質がわかりにくい一斉指導になってしまったのです。

 これを聞いたときは、残念であると同時に、その人のつらさが分かります。同時に、見えにくい中で苦しんでいる子どもの姿がありありと見えました。次の年度に、それを乗り越える研究を始めました。そして、知的な障害がある子がいるクラスでも『学び合い』を成立させるには何かが分かりました。それが分かれば、知的な障害があると専門が認定した子どもの半数以上は成績が驚異的に上がりました。そして、残念ながらそうできない場合であっても、クラスは暗くならず、明るくみんなが支え合い、学力が向上することが明らかになったのです。

 何故、それが出来たか、それは足し算では無く、引き算だからです。先に述べたように、『学び合い』において教師が教えるべきことは「学ぶ意味」なのです。それ以外は子どもたちでも出来ます。しかし、「学ぶ意味」を語り続け、評価し続けられるのは教師だけなのです。

 特別支援の子がいるクラスにおいて『学び合い』を実践する場合のポイントは、「最終的には分からないままになるかもしれない難しい課題を健常児たちと学ぶ意味」を理解し、語れなければならないのです。同時に、「教えても、教えても、分からないままの同級生といっしょに学ぶ意味」を理解し、語らなければなりません。そのためには「学校教育の意味」を理解しなければなりません。これは「深い読み」や「深い社会認識」を目指している教育では不可能なことです。

 『学び合い』を実践している方々は、「『学び合い』は分かるが、教えるべきところはしっかり教えるべきだ」と言われたことが少なくないと思います。私もそうです。そして、たいていはニコニコしながら「そうですね」と応えます。しかし、時に「では、教えるべきところは何ですか?」と聞くと、「基礎・基本」と応えます。そこで「基礎・基本とは何ですか?」と聞くと、「しっかりと教えるべきところ」と応えます。トートロジーです。この論理的にはまったく馬鹿馬鹿しいことを、何の不思議も無くおっしゃる。残念ながら、足し算していては、分からないことです。そして、引き算こそ、教育研究のやるべきことだと、私は信じています。

scorpion1104scorpion11042013/06/09 13:13特別支援の子がいるクラスにおいて『学び合い』を実践する場合のポイントは、『学び合い』を通常の学級で行う場合に教師側は絶対に押さえておかなければならないことで、語りの中で繰り返したいことです。それは、将来子どもたちが社会に出てから、学級、学年、学校種などのカテゴリーがない中で生きていくことを考えた場合、全ての方が等しく幸せに暮らせるための大切な考え方だと思うからです。

jun24kawajun24kawa2013/06/09 13:21期待しています。