西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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本格的にトライする人も多くいると思います。その際、人とのつながりが大事です。身近にいる人と繋がれるとありがたいですよね。『学び合い』を実践される方は、『学び合い』マップ(https://www.google.com/maps/d/edit?mid=zDInXkSSxyO4.kNDji5uDNm0Y)に、是非、登録下さい。登録は、『学び合い』マップ登録フォーム(http://form1.fc2.com/form/?id=77081b4d4f40dd2f)から出来ます。  「私なんて、人になんか教えられるレベルに行っていない」と思う方へ。だからいいんですよ。一番知っている人が、一番の教え手ではないことは『学び合い』を実践しているならば、子どもを見れば分かるでしょ。それに、教える必要はないのです。共に学び合えばいいのです。いや、愚痴を言ったり、笑ったりする、それでいいのです。  是非、一人でも多くの人がマップに登録下さい。強く、強く、お誘いします。

13/06/30(日)

[]教科教育学 19:19 教科教育学 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教科教育学 - 西川純のメモ 教科教育学 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 教科教育学で研究でもっとも遅れているのは目的論だと思っています。そりゃ、その教科で通じる目的論は山ほど知っています。しかし、他教科の人が納得するような目的論を読んだことがありません。

 原因としては大学の組織があります。基本的に学校教育と教科教育は組織が分かれています。その結果、学校教育の目的と教科教育の目的を整合する議論する機会を失っています。さらに教科教育でも教科別に組織が分かれています。学会も教科別です。まれに教科横断の学会がありますが、発表部会は教科別が通例です。その結果、大学の教科教育の研究者は、その教科の村の中でずっと生きることになります。

 学習指導要領のそうです。中央教育審議会、それに対応した学習指導要領総則編の編成は学校教育の専門家が加わり、教科教育の専門家が入ることは稀です。ところが教科編の編成は教科教育の専門家が加わり、学校教育の専門家が加わることは稀です。そのせいだと思うのですが、二つの間には大きな溝があると思います。

 『学び合い』の同志がよく言うことですが、中央教育審議会や学習指導要領の総則編を読むと、まるで『学び合い』の同志が書いたのでは無いかと見まがいます。大人を育てるという視点に立てば似たようなものになるのは当然と思うのです。

 他教科の人が納得する教科の目的論を生み出すには、学校教育と教科教育の対話が必要だと思います。また、教科間の対話が必要だと思います。

追伸 今のままの各教科の目的論を、各教科の人が集まって本音で語れば絶対に大げんかになると思います。

[]名言の続き 07:05 名言の続き - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 名言の続き - 西川純のメモ 名言の続き - 西川純のメモ のブックマークコメント

 山本五十六の名言に以下があります。

やってみせて、言って聞かせて、やらせて見て、ほめてやらねば、人は動かず。

話し合い、耳を傾け承認し、任せてやらねば人は育たず。

やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。

 でも、1行目だけが広く流布し、2行目、3行目はあまり知られていません。何故でしょう?

 1行目はいろいろの手立てが書いてあるので、多くの部下、教え子に適用できると感じさせます。

 ところが2行目には任せることが求められます。つまり、手立てが制限されます。しかし「話し合い」によっていろいろ補足できるので半数近くは適用可能と考えられます。一方、半数近くは適用できないと感じさせると思います。だから2行目は1行目より広くは知られていません、

 さらに3行目では手立てをするべきでは無いとあります。これが適用できる部下、教え子はどれほどでしょうか?まあ、2割程度だと思います。つまり8割の部下、教え子に適用できないと思います。だから、2行目よりさらに知られていない。

 『学び合い』では3行目の立ち位置に教師は立っています。なぜ立てるのかそれは「人」を「集団」と捉えているからです。つまり以下のように解釈しているからです。

やってみせて、言って聞かせて、やらせて見て、ほめてやらねば、集団は動かず。

話し合い、耳を傾け承認し、任せてやらねば集団は育たず。

やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、集団は実らず。

 多くの人が知っているように、集団の中で任せられる人は2割程度です。しかし、集団が機能的につながれば、6割の人が2割の指示に従い、その行動をまねます。つまり8割の人が任せられる人になります。そして8割の人が任せられるような人になれば、任せられない2割の人もおとなしくなり、徐々に変わるからです。

[]千葉の会 05:53 千葉の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 千葉の会 - 西川純のメモ 千葉の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 7月20日に木更津で『学び合い』千葉の会が開かれます。お誘いします。http://kokucheese.com/event/index/99867/

13/06/29(土)

[]挨拶 21:45 挨拶 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 挨拶 - 西川純のメモ 挨拶 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 道で会って、目を合わせて挨拶をして、無視されたらばどうなるでしょうか?

 関係が崩れますね。

 これってまずないです。でも、電子メール等の直接会わない場合、たまにあります。ゼミOBOGもです。私の管理下を離れているので、どうしようもありません。ただ、その子の人生を思います。問題を先送りして、問題解決すると思っている。問題解決したのでは無く、その人を「切っている」ということに気づかない。

 拡大均衡では無く、縮小均衡に陥る。そうなった人を、いっぱい知っています。そうなるとどうなるか。

 何度も、書きますが、「今日のメモは私でしょうか?」と心配そうにメールする方がいます。そう書こうとする人は、「絶対」に違います。そういう人はそのようなことをしません。だから、その手の書き込みは無用です。では何故書くか、他山の石です。そして、あなたが見捨てているのです。(大多数の人は意味不明です)

[]構成 06:02 構成 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 構成 - 西川純のメモ 構成 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 算数の教科書の構成、なんとからないかな、と思います。

たいていは最初に原理原則があり、次に基礎的な問題があり、応用問題がある。しかし、多くの子どもは最初の原理原則はチンプンカンプンで、やる気をなくす。あれは数学にフィットしているごくわずかな人にフィットする構成です。理系だって、イプシロンデルタ論法をいきなりやられてフィットする人は少ないと思います。

 日本の教科書は、その教科が大好きな人によって作られていることに起因する問題だと思います。

 日本人の大多数は演繹より、帰納の方が相対的に合っている。だから、最初に基礎的な問題があり、応用問題があり、最後に原理原則という構成の方が相対的に「まし」と思うのです。もちろん、『学び合い』的に言えば、教科書50ページから70ページを分かるように、さあどうぞ、です。そうすれば、自分に合った順序で学ぶでしょう。演繹的な人は教科書通りに学び、帰納的な人は最初の所をすっ飛ばして、最後に学ぶと思います。

maya-1maya-12013/06/29 09:39私もその一人でした。

jun24kawajun24kawa2013/06/29 10:57実は理系の私も、大学に入るとその一人になりました。

13/06/28(金)

[]モデル 07:07 モデル - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - モデル - 西川純のメモ モデル - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』は「一人も見捨てたくない」という思いが大事です。それが弱いと、「な~んちゃって」『学び合い』になる危険性が高い。二三人をとりあえず考えない、と思えば、限られた力量のある教師だったらかなりの授業は出来ますから。そして二三割の子どもを考えない、と思えば、大多数の教師でも授業が出来ますから。

 一方、「一人も見捨てたくない」という願いが強ければ、置かれた状況で撃砕すること無く、したたかになれる。

 特別支援を大事にしている先生は、その思いが強い方が多い。でも、特別支援の先生方に『学び合い』がすぐに広がらない、何故だろう、と考えてみました。

 おそらく「(その子)×数人」を一人も見捨てたくないと願っているのだと思います。その子の「今」、「もしくは数年先」を考えて、一人も見捨てたくないと願っているのだと思います。これは多くの「親」の願いと同じだと思います。

 『学び合い』は数十人(中高の先生だったら数百人)子どもを「一人も見捨てたくない」とは似て非なるものです。その人数だと親モデルの教師像は成り立たなくなる。そのレベルの子どもを対象とするには、個にとらわれず集団に心を砕かなければならない。

 では、現実に数人の子どもを相手にしている特別支援を大事にしている先生にどのように伝えたらいいだろうか?それは、その子が二十代、三十代、そして今の自分の年齢になったときに、何が必要だろうかを考えてもらうしかありません。その時に必要なのは計算でも、漢字でも、深い読みでも、深い社会認識でもないと思います(そりゃあればいいですけど)。その時に必要なのは、つながれる人のネットワークだと思います。それを「今」育てているか?と問い直してほしい。

 それを実現するには「親」であることを捨てて、上司にならねばならなくなります。辛い決断だと思います。しかし、そのこのためにはそれが必要だと理解してほしいと願います。一度分かってもらえれば、頼りになる同志になっていただける。

13/06/26(水)

[]誠実 21:01 誠実 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 誠実 - 西川純のメモ 誠実 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 凡人の出来る最高の戦略、誠実。どんな人にも、ずっと続けられることをやる。

13/06/25(火)

[]夢 21:07 夢 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 夢 - 西川純のメモ 夢 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は、兵庫からの夢を持った校長先生と、東京から夢を持った会社の方と飲みました。楽しかった。

13/06/24(月)

[]ビデオ 08:24 ビデオ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ビデオ - 西川純のメモ ビデオ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 親ばかな方へのアドバイスです。

 赤ちゃんの時、幼稚園の時はやたらビデオをとったり写真を撮ったりしていると思います。ところが、小学校高学年になると頻度が少なくなったのではないでしょうか?

 アドバイスです。家族で食事を取っているところにビデオを三脚で設置し、「だらだら」と撮すのです。これはいいですよ~。見直してみると、運動会の画像は、子どもは全体のワンノブゼムですし、遠くから撮すのでハッキリ写りません。ところが、上記だと子どもや自分や家内がしっかりととれます。そして、本当に面白いのです。ま、親以外には全く興味を引く内容ではないですが、親だからこそ、その時々の息子の特徴が表れます.我が家では、2ヶ月に1度ぐらい、1時間半ぐらいダラダラとビデオを撮ります。

 我が子の成長記録は何物にも代えがたいものです。大震災に見舞われても、絶対に守りたい。そこで、どうするか。私はハンドブレイクというソフトを使って、ビデオ画像をipad用の形式に変換します。これだけで容量を一桁下げることが出来ます。そして、クラウド上に保存すると同時に、ipadに保存しています。ちなみに我が子の映像を入れたipadは、家内へのプレゼントの中でヒットナンバーワンです。家事の合間に、見ているそうです。

 この二つのアドバイスは、絶対に良いですよ。いつか、私に感謝します。絶対に。

[]群馬の会 07:14 群馬の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 群馬の会 - 西川純のメモ 群馬の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今週の木曜日に高崎で定例会があります。お誘いします。

 http://www.mag2.com/m/0000270912.html

13/06/23(日)

[]年 21:18 年 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 年 - 西川純のメモ 年 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私の学部の指導教官は石坂昭三先生です。私の理系の部分を形作っていただいた方です。厳しい方でした。でも、学ぶことの多い方でした。お生まれは昭和三年、だから昭三です。

私が初めて石坂先生のご指導をいただいたのは学部二年の前半です。高木貞治の解析学概論の分からないことを聞いたのがはじめです。その頃は、神のような存在でした。今気づいたのは、当時の石坂先生は50歳です。今の私より3歳下です。ため息が出ます。今にして、当時の先生のお気持ちを感じます。

 今の学部学生が私の年の時、日本のどこかで、私は何を思っているかと。

追伸 ワープロの無い時代、1日かけて作ったレポートを、最初の数行の論理的な間違いを見つけられただけで、ゴミ箱に捨てられました。

 1日かけて出した実験結果、駄目なところを1時間弱、論理的に完膚なきまで指摘されます。それから実験です。結果として寝る時間がありません。5日間、完全徹夜を経験しました。みなさんそれだけ徹夜するとどうなるかご存じですか?指導教官の顔がちらつくので寝られません。一升の酒を飲んでもです。睡眠欲の代わりに食欲が増します。そして、足がむくんで靴に足が入れられません。でも、つらいというよりランナーズハイの状態です。でも、それによって理系的な思考を学ばせていただきました。

 我がゼミ生に、それは求めません。しかし、それだけのことをやれば、どれだけ伸びるかは知っています。

[]議論 19:40 議論 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 議論 - 西川純のメモ 議論 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は理系出身です。理系では議論は徹底的にやりますが、感情的になってはいけないと躾けられます。もちろん、人は感情の生物です、そう簡単に割り切れるわけではありません。しかし、感情的になることは恥ずかしいことだと言うことは身に染みついています。従って、議論しているのは議論している内容であって、その人の人格を議論することはありません。

 議論をハッキリするためには旗幟を明らかにしなければなりません。「天動説もあるけど、地動説もあるよね」という議論は、議論になりません。それは議論では無く、安易な合意に過ぎません。私は『学び合い』はあらゆる面で従来型より「まし」と思っています。しかし、そうでないと論理的に分かれば清くそれを受け入れます。そして、その可能性はあります。もともと反証不能の仮説は、仮説ですらありませんから。

 そのつもりでインターネットで発言したら、さまざまな方からコメントをいただきました。しかし、残念ながらその多くは感情論に陥ってしまうのです。論理的に進めようとして、一つ、一つ、議論の前提となる事実を確認して議論を進めようとするのですが、その場その場で論点が右に左にずれてしまう。それでも前提の確認をして、矛盾を確認すると感情的になります。まあ「お前のかーさん、でべそ」レベルの罵詈雑言になってしまう方が少なくない。

 ところがです。2年ほど前から、ぴたっとその手のコメントが無くなりました。ある意味、暖簾にうで押しです。残念だな~っと思ってゼミ生に愚痴ったら、「先生のことブロックしているんですよ」とのことです。そんなもんかな~・・と思っていました。

 ところがです。本日、議論できそうなコメントが来ました。コメントを書かれた方も大人の対応が出来そうな方でしたので、あえて噛みつきました。(本当に、久しぶりに)案の定、大人の対応のやりとりが出来ました。結局、内容云々より、表現方法の下品さが問題だとのご指摘であると分かりました。これは反省です。

 私が書いていること、その多くは学術データに基づいております。それ以外も実践的な経験に裏付けられています。そして、場面を教室場面から別な場面に置き換えれば、多くの方々の常識の範囲でその正当性は理解されるものです。と思っています。

 が、それが誤りであると分かれば私は今以上に成長できるのです。だから、そのレベルの議論を大人のルールの中でやりたいと希望しています。このままでは学校『学び合い』が広がって、その中の学校で地域コミュニティの再生の実践事例を学術データが出たら、『学び合い』は大凡「上がり」となることが目に見えています。それが誤りだと分かれば、また、ワクワクすることが出来ます。

[]学ぶ構え 17:52 学ぶ構え - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学ぶ構え - 西川純のメモ 学ぶ構え - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は暴走族がウジャウジャいる学校で物理を教えることが、私の教師としての最初の仕事でした。そして数日で分かりました。大学、大学院で学んだことは全く無意味であることを。それらは、学ぶ構えのある子に対して有効であって、学ぶ構えの無い子には無意味です。そして、大学、大学院では学ぶ構えの無い子に対して何をすべきかは教えてもらっていませんでした。そして、大学に異動して、さまざまなクラスの実態を知れば、実は多くのクラスの実態は私の初任校と基本的に同じであることが分かります。両者の違いは、ハッキリと分かりやすいか、学ぶ構えがあるように「ふり」をしてくれるかの違いしか無いことを。

 従来型の授業で力量のある教師だったら、8割の子どもに学ぶ構えを持たせられます。しかし、9割、ましてや10割は不可能です。(ま、10割だと誤解している人は少なくないですが)ましてや、ごく普通の教師は7割行けばたいしたものです。しかし、その7割の過半数は、その教師が何もしなくても学ぶ構えのある子どもですが・・・・

 従来型の授業で学ぶ構えを持たせても、それは当人の学ぶ構えであり、広がりはありません。しかし、『学び合い』では「一人も見捨てない」を軸としています。従って、ごく普通の子どもが学ぶ構えを持たせられる子どもたちが残りの子どもを説得してくれます。

 『学び合い』はあまりにも、うますぎる、と感じる方もおられるでしょう。でも、しょうがありません。血縁関係の「一人も見捨てない」はDNAに刻みつけられたものです。そして、それを拡大したのが数千年の人類の歴史です。我々が数百万年洗練させた戦略なのですから。それが証拠に、学校教育以外、それも教科学習以外の全ての学びの場では『学び合い』で行われています。そして、『学び合い』のセオリーに従っている集団が結果を出しています。

 『学び合い』が変なのではなく、従来型の方が異常なのです。

[]数学教師 10:30 数学教師 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 数学教師 - 西川純のメモ 数学教師 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 我がゼミに中学校数学の教師が現職派遣院生として所属しています。(ま、ほぼ個人特定されますが。あははは)その人と話していると、独学で数学を学んだ私(生物物理学専攻)より数学を学んでいないのではないか、と思われる言動をします。そのたびに「あんた、数学専攻でしょ?」と突っ込みを入れます。そうすると、「私は高校までの算数・数学が好きだった。大学になったら数学が合わなかった」と言います。二人で笑います。私は、「そりゃ、子どもたちと共感的に理解し合えるよ」と言います。普段は馬鹿にしまくりますが、授業を見ているときの目の動きからかなりの力量があることは明白です。

 数学の蘊奥を極めた中学校数学教師も必要ですが、彼みたいな教師「も」(いや、より多く)必要のように思うのです。

 より多く、より深く理解していれば、良い教師だという、素人的な前提が世に広がっています。日本の教員養成も、教員再教育も、その前提に立っています。しかし、認知心理学のエキスパート・ノービス研究からも、それが誤りなのは明らかです。ま、学術を引き出さなくても、過去に教えてもらった、小学校、中学校、高校、大学の教師を思い出せば理の当然です。

 より多く、より深く理解するということは、分からない子どもの気持ちも理解も分からなくなるということを意味します。

[]原因は 05:42 原因は - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 原因は - 西川純のメモ 原因は - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』のごく初期、また、週1程度の『学び合い』の場合に、いろいろな問題が見えます。

 教えている子が、ほぼ答えを示し「これを書けばいいんだよ」と丸写しを強要します。

 また、分からない子が生わかりで答えを写します。

 それが『学び合い』の問題のように指摘される方がいらっしゃいます。でも、そうでしょうか?

 その人(つまり教師)が発見できたとき、その人が丸写しの場面を見ていることに気づかなかったのでしょうか?そりゃ無理だ。丸写しの言動を見聞きするには、丸写しをしている子どもたちの1m以内にいるはずです。考えてみてください。職員室で教師同士が話し合っているとき、1m以内に校長先生が立っていることを気づかないことってありますか?ありえません。

 つまり、子どもたちは気づいているのです。つまり、上記のことを教師に隠そうとしてはいないのです。つまり、丸写しを悪いことだと思っていないのです。何故でしょうか?

 第一は、教師が本当に分かることを評価しておらず、解けたか、解けなかったかを問題としているからです。しようがありません。従来型の授業では子どもを見取る時間は殆どありません。出来るのは、最後の出来るか出来ないかを数人に問うぐらいしか出来ません。それが続けば、出来ればいい、と子どもが思うのは当然です。

 第二は、意外でしょうが、毎時間、丸写しを教師がさせているからです。しようがありません。従来型の授業では、一人の教師が一人一人と対話することは出来ません。分からない子どもがいても、そのまま授業を進めざるを得ません。そして免罪符のように、最後のまとめを書きます。それをノートに写させます。写せば、それで良しとしています。つまり、教師の板書を「丸写し」させて、それが勉強だと言っているのです。

 つまり、丸写しがおこったとしたら、それは『学び合い』の問題では無く、そのクラスの多くで行われている授業の問題です。『学び合い』ではそれがよく分かるだけのことです。よく分かるから、子どもにフィードバックできます。それによって教師が求めていること、そして、人として将来に必要なことは「解けることではなく、本当に分かること」であることが分かるのです。

 もちろん、それが分からない子もいます。でも、それが分かる子が分からないこのそばにいれば問題はありません。

 あ~・・・・、『学び合い』の問題を指摘する人は、何故、自分の今の授業を振り返って考えないのだろうか・・・・

ogymogym2013/06/23 22:54読んで非常にすっきりしました。ありがとうございます。

jun24kawajun24kawa2013/06/24 07:08どういたしまして。ニコッ

13/06/22(土)

[]嬉しい 21:53 嬉しい - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 嬉しい - 西川純のメモ 嬉しい - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、大学に行くとばったりゼミ生と会いました。彼から教育実習での研究授業の授業案の相談を受けました。既に、我がゼミの現職院生の指導を受けているので、必要は無かったのですが、その場でOKです。

 私の研究室で彼の指導案を見ました。

 ハッキリ言います。私は指導案は分かりません。だって、もと高校教師ですもん。板書計画は分かりますが指導案は分かりません。いいわけですが、これが指導案という方がいますが、全国各地で全然違います。でも、そのあたりはゼミ生がフォローしてくれます。

 さて、私の研究室で一対一指導です。「これって7万ぐらい要求しようかな」と憎まれ口を話しながら対応しました。もちろん教育実習は一斉指導が基本です。でも、その中で『学び合い』を入れて良いとの指導教諭の方の太っ腹のご判断、感謝です。彼とその一部分にどのように入れるかを議論しました。1時間半の議論の殆どは、書いてみれば2行程度の課題をどうするかということと、それと一対一対応する、その答えに関してです。

 そして手がかりは学習指導要領です。

 算数と数学は違います。

 高校でも物理と物理学とは違い、生物と生物学とは違います。

 高校教師は授業を組み立てるとき、その教科の背景となっている学問を調べます。私もそうでした。しかし、それは誤りです。

 教師が算数を教えるのは数学を教えるためではありません。高校教師が物理を教えるのは物理学を教えることではありません。高校教師が生物を教えるのは生物学を教えるのではありません。我々は学習指導要領に従ったものを教えるのがつとめです。もちろん数学につながることを禁止されているわけではありません。たた、それは学習指導要領で規定されている算数・数学をクリアーした後です。それに、学習指導要領は数学の専門家が関わって作成します。

 ということでゼミ生と学習指導要領と教科書を見比べながら1時間半かけて数行の言葉を練り上げました。彼がいままで大学で学んだこととは別次元なことだと思います。

[]何をしているか 11:46 何をしているか - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 何をしているか - 西川純のメモ 何をしているか - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』の授業を公開すると、出てくる疑問点はほぼ決まっています。それに対しては、これまた定型化した返答をしています。それがあまりにもパターン化しているので、大脳を使う必要は無く、脊椎反射のようです。

 応えながら、思うことは二つです。「じゃ、あなたの授業で、それが成り立っているの?」ということと、「じゃ、あなたの授業で、この日の学習内容では無く、子どもたちの将来の幸せのために何しているの?」です。

○教えられてばかりで可哀想だった?

●じゃ、あなたの授業でその子は可哀想で無かったの?分からないのに分かったふりをする授業を延々と続いていたんじゃ無いかな~・・・

●その子が社会に出てから、教えてばかりの状態になったとき、その子はどのようにそれを乗り越えるの?それをいつ勉強するの?

○子どもが丸写しをしていた。(子どもだけで本当に分かったのか疑問)

●じゃ、あなたの授業ではどうなのかな?分からないまま授業が終わり、最後にあなたがまとめで書く板書をノートに写させていたのではないのかな?それって丸写しじゃ無いかな

●能力の低い子は、本当に分かると言うことが分からない。その子が社会の中で生きるためにはどうしたらいいの?人とつながるしか無いのでは無いかな~

[]千葉の会 07:26 千葉の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 千葉の会 - 西川純のメモ 千葉の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 7月20日に木更津で『学び合い』の会が開かれます。お誘いします。http://manabiai.g.hatena.ne.jp/bbcsuzuki/20130622/1371852663

13/06/21(金)

[]兵庫の会 17:11 兵庫の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 兵庫の会 - 西川純のメモ 兵庫の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 7月20日に神戸で『学び合い』の会が開かれます。お誘いします。http://manabiai.g.hatena.ne.jp/tomkick/20130621

tomkicktomkick2013/06/22 07:30みなさま。
神戸観光ついでに,どうぞいらっしゃいませ。

13/06/20(木)

[]中信の会 21:41 中信の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 中信の会 - 西川純のメモ 中信の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 明日、塩尻で『学び合い』の会があります。お誘いします。http://manabiai.g.hatena.ne.jp/maya-1/20130620

[]佐賀の会 06:27 佐賀の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 佐賀の会 - 西川純のメモ 佐賀の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 8月29日に佐賀市で『学び合い』学習会が開かれます。お誘いします。http://manabiai.g.hatena.ne.jp/concert3/20130620

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 死に直面した患者がどのような行動をするかという研究したロスの「悲嘆の五段階説」というのは面白いです。第一段階は、その存在を否認し、たいしたことはないと無視します。第二段階は、怒りで攻撃的になります。第三段階は取引です。第四段階は抑鬱です。そして第五段階が受容です。

 3年ほど前に「攻撃」の段階に入ったと感じました(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20100201/1264985646)。しかし、現在は「取引」の段階に入ったことを感じます。様々な書籍やネット情報を読んでいると、『学び合い』のノウハウ・テクニックをさりげなく取り入れているものがちらほら散見するようになりました。もちろん「盗む」というものではありません。『学び合い』関係の書籍が順調に版を重ねているのですから、アンテナの高い人はそれらを読んでいます。そして『学び合い』から吸収し、自らの実践を高めているのだと思います。

 それらはノウハウ・テクニックのレベルにとどまっています。それも書籍に明示的に書いてあるノウハウです。結果として今のところ口伝のレベルで伝えている、合同『学び合い』で数百人の子どもがゴチャゴチャと動いているとき、それらを的確に見取り、コントロールするためのノウハウは広がっていないようです。ま、そのうちに広がるでしょう。しかし、そのレベルを超えることは無いと思います。

 『学び合い』の根幹は学校観と子ども観です。そこは受け入れられないだろうし、受け入れてしまえば『学び合い』になってしまいます。

 学校観を受け入れられなければ、「一人も見捨てずに」を徹底することは不可能です。徹底できなければ、集団をリードする2割の子どもというリソースを最大限に活用することが出来ません。2割の子どもの有能さは、自分自身だけに消費されてしまいます。そして、その2割の子どもが中心となった10割の子ども集団のパワーを引き出すことが出来ません。

 また、「一人も見捨てずに」を徹底できないならば、教師や地域コミュニティに拡張することが出来ません。どこまで行っても「自分のクラス」を超えることは困難(不可能とは言いません)だと思います。

 子ども観を受け入れられなければ、集団をリードする2割の子どもというリソースを最大限に活用することが出来ません。2割の子どもは教師に依存的になり、手を抜きます。そして、その2割の子どもが中心となった10割の子ども集団のパワーを引き出すことが出来ません。

 また、子ども観を受け入れることが出来ないと、教師の介入が多くなります。つまり、「今日はこれこれのことをみんなが達成しましょう。さあどうぞ」が出来ません。最初の説明が長くなったり、途中でまとめたり、最後で確認をします。そうすると合同『学び合い』や学校『学び合い』は不可能です。どこまで行っても「自分のクラス」を超えることは不可能です(ここでは不可能と言います)。

 現在の教育実践のさまざまな試み、先導的な教師の実践のユーザーは教師集団の中の2割程度の人です。いや、それも危ういかもしれません。出版関係の人から聞いたことですが、採用後5年間は本を買って勉強するが、それ以降は本を買わないとのことです。しょうがありません、その頃になれば家庭を持つ人が増えてきます。そして勉強しなくても授業は出来るようになります。よほどの志がなければ勉強し続けることはないでしょう。

 そのため、本屋に並ぶ書籍、また、様々な研修会は2割(実際はそれよりかなり少ない)の人をターゲットにしています。それがあるから2割の教師の再生産がなりたっています。しかし、8割以上の教師がそのままです。そして、日本の子どもの8割はその教師の管理下の中で育っているのです。

 今、『学び合い』に管理職レベルの人が注目しています。その方たちが求めていることに応えるには、教師の『学び合い』が必要で、そのためには学校観と子ども観を受け入れることが必要なのです。従って、「取引」は不可能なのです。学校レベルの『学び合い』が広がれば、それがハッキリとすると思います。2割の教師をユーザーとしている教育実践と、十割の教師をユーザーとしている『学び合い』の違いです。おそらく地域によって前後があると思いますが、今後3年以内に「憂鬱」に入るでしょう。いや入らせます。

追伸 様々な遷移は平行して行われます。さすがに「無視」は出来ないでしょうが、「攻撃」は続くでしょう。だから、結果は出し続けなければなりません。驕らず、腐らず、したたかに。

13/06/19(水)

[]青森 17:21 青森 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 青森 - 西川純のメモ 青森 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日から青森の中学校の校長先生と、別な中学校の教頭先生が来ました。私やゼミ生といっぱい議論し、全校『学び合い』を参観してお帰りになりました。

 帰り際に私が言ったこと。「結果を、期待しています」です。

[]和歌山 07:10 和歌山 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 和歌山 - 西川純のメモ 和歌山 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 来月、和歌山から小規模校の全校『学び合い』を視察する一行が参ります。構成は、小学校校長6名、高等学校校長1名、指導主事1名、小学校教頭1名、小学校教諭2名です。

 全校『学び合い』は凄いのです。これを分かって和歌山に帰れば、凄いことが起こるでしょう。楽しみです。

13/06/18(火)

[]ポケモン 21:02 ポケモン - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ポケモン - 西川純のメモ ポケモン - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今日、息子から「おとうさん、ポケモンっていると思う?」と聞かれました。そこで「お前はどう思う?」聞きました。彼は「いると思う」と応えました。私は、「そう、そうだったらいるんじゃないかな」と応えました。

 本日、中一の最初の定期テストが終わりまた。

[]他者理解 06:36 他者理解 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 他者理解 - 西川純のメモ 他者理解 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 池田さんから教えてもらいました。

 以下をご覧ください。

https://www.youtube.com/watch?v=YISIvygN08I

https://www.youtube.com/watch?v=O9vZoRhFqng

https://www.youtube.com/watch?v=ALplOx0eHW4

https://www.youtube.com/watch?v=7UJFGob2O8c

 これは子ども向けの教材にすべきものだと思います。そして、みんなが得手不得手があることを確認させ、一人も見捨てないためには違いを理解することが大事であることを伝えてください。

13/06/17(月)

[]駄目だ・・・ 18:20 駄目だ・・・ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 駄目だ・・・ - 西川純のメモ 駄目だ・・・ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 特別支援の子どもを持つ保護者向けの本を書きたいなと思って、いくつか買ってみました。しかし、読もうとしても、読めないのです。

 一頁を読むごとに、保護者の気持ちに共感してしまい、涙がボロボロ流れてくる。そして、胸が苦しくて、苦しくて。頑張りましたが、どの本も20頁もよめない。

 しかし、その中でも分かるのは、そのような保護者の方は学校に全く期待していないということです。おそらく、そのようなことを思わせることを学校は繰り返したのでしょう。そして、そのようなことをした教師の側も、追い詰められているのが分かります。

 結局、特別支援の子どもに直に関わっている保護者も特別支援の先生も、他の人を信じていない。だから、自分で抱え込んでしまっている。お気持ちは痛いように分かる。でも、それによって対処療法は出来ても、根治療法は出来ない。問題の先送りに過ぎない。

 学校で教えるべきことは、学校を出てから生きる術です。特別支援の必要な子にとって一番大事なものは、健常者とどのようにつきあえるかです。そして、自分を理解してくれる多様な仲間をどれだけ持てるかです。

 それを周りを信じていない保護者や特別支援の担任の先生方に、どのように伝えたら良いのだろうか。と、思うと気が重くなりました。う~ん

13/06/16(日)

[]広がり 21:33 広がり - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 広がり - 西川純のメモ 広がり - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は元校長先生が上越においでになり、明日、参観です。その方が『学び合い』を知ったきっかけは、教え子(非教員)の方からだそうです。

 いいな。と思います。

 我々の仲間は、広がっている。もっと広げましょう。我々の目指していること、それは授業のレベルを超えています。

13/06/15(土)

[]爆走 14:51 爆走 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 爆走 - 西川純のメモ 爆走 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は教え子や同志からさえも「宇宙語」と言われるようなことを主張しています。周りの人はついて行くのが大変です。しかし、「一人の例外も無く、子どもの一生涯の幸せを保証することを、今やっている」と断言できる教師がどれほどいるでしょう。不遜ながら、私は断言します。

 「一人の例外も無く、子どもの一生涯の幸せを保証することを、今やっている」と断言したいと願うならば、私の宇宙語も必然と理解できるはずです。残念ながら、「教科の深い理解」、「いじめをなくそう」レベルでは宇宙語としか見えないのはしょうがない。

[]テーマ 14:39 テーマ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - テーマ - 西川純のメモ テーマ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私ゼミでは、どのようなことを研究するか、それを半年以上、1年弱かけて決めます。

 あるゼミ生が、周りの研究室では研究テーマが決まっているのに、決まっていないのが不安だと言いました。私は笑いましたが、分からないのもしようがないことです。

 今の段階でテーマが決まっているとしたら、2つの可能性があります。

 第一は、指導教員から与えられたテーマを鵜呑みにしているということです。確かに、確実に一定以上のレベルに達成することを目指すのであれば、指導教員が与えた方が確かです。私も十五年ぐらい前までは、そうしていました。そうすれば確実に学会誌レベルの研究は出来ます。事実、我がゼミの学生さんの殆どは、学会誌に受理される論文を書いていました。しかし、何故、それが出来るかと言えばプロの研究者である私が殆ど全てを考えているからです。

 では何故、今私はそうしていないかといえば、そういうテーマの与え方、研究の与え方をすれば、私のカーボンコピーしか出来ないからです。そして、カーボンコピーはオリジナルである私を超えることは絶対にあり得ません。それでは私はつまらないのです。

 私はゼミ生が私を超えることを願って指導しています。そしてゼミ生は2年目の終わり頃には私を超えます。それが学部学生もです。私はその学生さんから学び、吸収します。だから私は成長し続けるのです。だから、私は今はテーマを与えません。

 第二は、指導教員が学生さんの願いを受け入れて、その人が入学前に持っていたテーマを研究テーマにしているのでしょう。

 しかし、私はそうしません。何故なら、学生さんが入学前に持っていたテーマは、入学前に持てる「程度」のテーマなのです。そんなことレベルならば、わざわざ大学院に来る必要は無いと思います。時間はかかりますが、学校現場でも出来ることです。いや、自分のクラスを持っているのですから、その方が研究が進む可能性すらあります。

 大学院で最初にすべきこと、それは入学前には思いもつかない視点があることを学ぶことです。その視点に立てば、今までは全く見えなかったものが見えるような、新たな視点です。そして、入学前には思いもつかなかったことを研究する、それが大学院に行く意味だと思うのです。

 だから私のゼミでは、最初の2ヶ月程度は、基礎的な文献を読み、それに関して議論することをします。それによって、多くの人には驚天動地の『学び合い』という視点を学生さんに与えます。それが分かれば、入学前に抱えていたテーマが小さなテーマと思えるのです。

 次に、今までの『学び合い』の成果に圧倒され、もう何も残っていないと学生さんは思います。そこで、その学生さんの拘りを探り、その方面で『学び合い』で明らかにしたことを議論します。そして、その学生さんが拘ったことで、まだ明らかになっていないことは何かを議論します。そして、自分の拘りに拘った自分なりのテーマに惚れてほしいのです。

 何事も本人がやる気にならなければ、どうしようもありません。だから、私は徹底的に時間をかけて、その人の拘りに拘ってほしいと願うのです。だから、半年から1年弱の時間をかけるのです。

13/06/14(金)

[]教師教育 21:55 教師教育 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教師教育 - 西川純のメモ 教師教育 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 人は自分の経験に基づいてものを考えるものです。私もです。

 教員養成系大学の教師としては異常な考えを持っています。それは、大学・大学院における指導技術の教育は無意味だという考え方です。

 私は大学院を修了して暴走族がウジャウジャいる学校に勤めました。そこで数日で学んだことは、大学・大学院で学んだことは、無意味であることです。あれは、学ぶ構えのある子どもには意味があります。しかし、学ぶ構えの無い子どもにどう教えたらいいかは、だれも教えてくれませんでした。

 もちろん私の初任校は極端だと思います。でも、結局同じです。どんな学校にも、私の初任校のような子どもはいて、教師の悩みの圧倒的大部分は、その少数な子どもから発するのです。

 そのような学ぶ構えの無い子どもにどうしたらいいか、それを乗り越えたのは3つのことです。それは、そのような子どもに対してでも、教師としてのスタンスを守っている尊敬すべき先輩がいました。だから、子どもを否定することをやめ、自分に問いました。

 そして愚痴を聞いてくれる先輩がいました。その先輩にあこがれました。でも、自分に出来ることと出来ないことあります。それを、それでもいいと言ってくれる先輩がいました。それで何とか出来ました。それを「7つのルール」に書きました。おそらく一斉指導で普通の教師が一定以上の授業をするに必要なことは、そこに書き切ったと思います。

 しかし、そこに書いているだけでは、いわゆる教師ドラマの再現しか出来ません。親や兄弟をモデルにした教師では限界があります。一定以上の子どもを見捨てます。そして、子ども同士の関係を崩します。それは『学び合い』を理解するまでは分からなかった。

 だから上越教育大学の教職大学院および教職デザインコースでは、臨床力と協働力をキーコンセプトとして構築されました。それは『学び合い』云々では無くとも、大事なことです。私の初任校レベルの教師になれるエッセンスがあります。

 結局、教師の職能は大学・大学院で本当には育てられません。それは自分が1年つきあわなければならない担任、担当する子どもたちの前でしか成長できないのです。では、上越教育大学の教職大学院及び教職デザインコースで育てられること、それは、最初の1年、教職に誇りを持てない教師にならないためのソフトランディングです。たった1年です。でも、その1年の過ごし方で、その後の教師人生が変わると思います。だから、上越教育大学の教職大学院と教職デザインコースでは現職院生、そして現場学校の教師との協働をものすごく大事にしているのです。

 で、我がゼミは、集団を見取ること、個に拘らないこと、そして一人も見捨ててはいけないことを学ばせたい。

追伸 ま、私と違う考えのいろいろな教師がいて、互いに尊敬し合っている、ということが我が専攻の最大の強みです。

[]入門 21:55 入門 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 入門 - 西川純のメモ 入門 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日のゼミでゼミ生の現職院生の方と長く議論しました。『学び合い』の本質を分かっているゼミ生がなかなか理解してもらえない理由が分かりませんでした。でも、ゲートキーパーとなってくれた院生の言葉で分かりました。

 私が本に書いていること、それは入門者用のことです。基本が何かを分かってから、それを捨てるのはありです。しかし、基本を学んでからです。

 私が本に書いたこと、それは万人受けしないこと、それは百も承知、二百も合点です。受けるだけなら、足して二で割る『学び合い』の方が受けやすい。だって、十数年前の我がゼミはそれを『学び合い』としていました。しかし、それは受け入れやすいけど、「な~んちゃって」になりやすいことを知っています。何故なら、今までと何が違って、何が同じかがハッキリ分からないからです。だから、いつのまにか「な~んちゃって」になるのです。

 もう一つは、足して二で割る『学び合い』は受けやすい。でも、それで一定以上の成果を上げるには、才能と経験が必要です。十数年前に『学び合い』にトライしている人はそれが出来る人だけでした。その頃は、『学び合い』が変質するのを恐れて、意図的にノウハウを書くのを避けました。ところが、それでも出来る人がいたのです。そういう人は、足して二で割る『学び合い』の不備を、その人の一斉指導の能力で補っていました。

 でも、それは全ての教師が出来ることでは無い。『学び合い』は受け入れがたいかもしれませんが、一度受け入れれば、ごく普通の教師でも一定以上の成果は出ます。何故なら、足して二で割る『学び合い』、そして一斉指導は授業者本人の能力、才能、経験に頼る部分は大きいですが、『学び合い』は子ども集団の能力に頼る部分が多いのです。つまり、教師個人の能力、才能、経験に頼る部分が少ないのです。それが、それがある人には分かりにくいのです。

 私は子どもを一人も見捨てたくないですが、教師も一人も見捨てたくない。だから、本人の能力、才能、経験に頼らない『学び合い』を追求しています。もちろん、「受け入れにくい」という欠点があります。でも、それを乗り越えるために、足して2で割る『学び合い』では無く、教師集団の『学び合い』を模索しています。それが合同『学び合い』です。が、なかなか分かってもらえない。

[]求む、攻めの校長 06:58 求む、攻めの校長 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 求む、攻めの校長 - 西川純のメモ 求む、攻めの校長 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 どんな集団でも「×」は2割で、「○」は2割で、6割は普通です。教員間の愚痴では「×」の校長が話題になりますが、そんな人は殆どいません。でも6割、つまり過半数の校長は可も無く、不可も無くです。与えられた任期を「そこそこ」で過ごすことを願っています。悪いことではありません。日本の教育の不易な部分を守っているのは、その方々です。

 集団は変化しなければなりません。もし「不易」だけならば、集団は必ず緩慢な死に至ります。だから2割の人が変化にトライするのです。

 『学び合い』を世に出した十数年以上前から、多額のお金と時間をかけて我が研究室に学びに来る人はいます。今から5年以上前に「校長」が学びに来ました(その頃はとても印象的でしたhttp://p.tl/yGlW)。ところが最近ではごく普通に来られます。来週は青森から二人の管理職が来られますし。その後は「和歌山から十人弱の管理職」、兵庫からの管理職、佐賀からは十人程度の管理職、秋田からは5人程度の管理職が来られることがすでに決まっています。その方々は『学び合い』ジャンプアップで書いたことを学びに来られるのです。すでに、教室の『学び合い』から学校の『学び合い』にシフトしたのが広がりつつあることを実感します。

 全国の管理職の方にうったえます。どうぞ、おいでください。私が書いたものが本物であることを、どうぞ、その目で見てください。そして、どのように学校に広げたらいいかのノウハウを伝授いたしましょう。

 荒れた学校の校長や職員は「守り」に入りますし、隠そうとします。気持ちは分かります。でも、本当は「荒れ」た学校は、私的にはとても美味しいのです。だって、「荒れ」させるには、かなり賢い子ども(少なくとも人間関係に関してはしたたかな子ども)が一定数いることを意味しています。そして、そんな学校だったら「何とかしたい」と願っている教師は一定数います。その教師がまず『学び合い』で動けば、おそらく「魔法」としか思えない変化が1ヶ月以内に実現できます。

 大見得を切ります。ステップアップ、ジャンプアップに書いたとおりのことをやれば、ただし、本当に書いたとおりのことをやるならば、人間関係に関しては目に見えた変化が1ヶ月以内に起こることをお約束できます。2割の攻めの校長を大募集です。

追伸 もちろん、「荒れ」だけではありません。何らかの学校課題を持っている学校の校長を大募集です。『学び合い』はどんな課題にも対応できます。困るのは課題意識の無い学校です。

13/06/13(木)

[]求めるもの 21:34 求めるもの - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 求めるもの - 西川純のメモ 求めるもの - 西川純のメモ のブックマークコメント

 この5年間、分かってきて、辛いこと。

 一人も見捨てない、というメッセージを意味あるものであると思っている人はそれほど多くないこと。

 尊敬すべき教師であっても、求めているのは、クラスの子どもの中で2割以上が、過去の自分と同じような喜び、発見をすることを求めていること。

 最後の2割の子どものつらさ。その2割の子どもを分かっているのに無視している6割。そして、最後の2割に、自分がなるかもしれないと恐れている2割。それが良い教育ではない。

 何でもいい。これを達成したい、と願っている人に対しては『学び合い』は語る言葉があります。そりゃ、すぐに、100%の解決策は魔法でないのですから、無理です。でも、数ヶ月、最大1年かけていただければ、かなりましになることは分かってもらえます。

 でも、なにも願っていない人に、語る言葉はないのです。

 が、その人のクラスに数十人の子どもがいます。その人も苦しんでいるのです。

katunori-skatunori-s2013/06/14 20:29先生。ご無沙汰しておりました。
一人残らず笑顔にしたいと願っています。
「今日はこういうことがあった」と,楽しい話題を持って帰宅してほしいと思っています。
わたしが知る限り,「これを達成したい」と願っている教員はあまたいます。まさに「地上の星」です。
ちょっと勉強していい気になっていた若い日の自分を叱りたくなるこの頃です。

jun24kawajun24kawa2013/06/14 22:02周りの若者に自分の轍を踏ませないでください。
私は、しつこいぐらい、自分の若い頃目指したテレビドラマ的な教師を否定しています。スポットライトの方向は教師では無く、子どもたちに向けなければならない、と思っています。

13/06/12(水)

[]認められるには 21:46 認められるには - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 認められるには - 西川純のメモ 認められるには - 西川純のメモ のブックマークコメント

同志へ

驕らず、腐らず、したたかに。

学び合い』は嫌われていい。

でも、あなたは、好かれてください。

そうすれば道は開かれます。

ゼミ生によく言うことです。

[]規格外 21:37 規格外 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 規格外 - 西川純のメモ 規格外 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は小学校3年生まで知的障害児と認定されていました。それが納得できない母は「教育ママ」に大変身して、知的障害児のラベルをはがしてくれました。

 が、そんなことは子どもの私は知りません。私が知的障害児と認定されたこと、それまでの歴代の担任に言われたこと、それを知ったのは我が子を持ってからです。我が子の問題を母に相談したとき、実は私と極めて似ているということが分かりました。そのとき、母から上記のことを教えてもらいました。そして初めてその話を聞いたとき、最後に母が行った言葉は印象的です。「今の純を見せてやりたい」です。その抑えた声ですが、迫力がありました。それを聞いたとき「お~・・」と思いました。

 我がゼミに所属する人は規格外です。「この人は教師に向いていない」と大学院試験で落とされた人もいます。でも、捲土重来で受け、合格した人です。一見、合格しても、規格外と認定される人もいます。(もちろん全員ではないですよ)でも、我がゼミは入るものは拒まず、去る者はおわずが基本原則です。いろいろ言われたのに、我がゼミを選んでくれたかわいいゼミ生です。

 規格外の人は、そりゃ、規格外です。でも、数年後に修了・卒業します。

 卒業後の姿を知り「今の彼(彼女)を見せてやりたい」と思います。そのとき、我が母の気持ちの百分の一が分かります。しかし、人の一生はこれから数十年続くこと、その時も幸せであってほしい。そして、今、私とつながれないOBOGに幸多かれと願います。私が正しい道を歩み続けるならば、必ず、彼らのためになれることがあります。それが出来る私にならねば。

[]追い立てられる 19:28 追い立てられる - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 追い立てられる - 西川純のメモ 追い立てられる - 西川純のメモ のブックマークコメント

 何もしないと気が変になりそうになります。とりあえず新しい本の原稿を書き始めました。

takami_swctakami_swc2013/06/12 22:20『学び合い』は真理です。真理は勝つと思っています。

jun24kawajun24kawa2013/06/13 06:33はい。大義は我にあり!です。

13/06/11(火)

[]保原小学校 19:24 保原小学校 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 保原小学校 - 西川純のメモ 保原小学校 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 福島県伊達市の保原小学校で7月10日にオープン研修会を開きます(http://www3.schoolweb.ne.jp/weblog/data/0710099/2/a/106493.pdf)。

 なお、本公開は12月11日に予定されています。お勧めです。

 『学び合い』で爆走する学校をご覧ください。

13/06/10(月)

[]市場 21:38 市場 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 市場 - 西川純のメモ 市場 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ある商品(その中には思想も)が広がるには、ユーザーを意識する必要があります。ユーザーには、イノベーター、アーリーアダブター、アーリーマジョリティ、レイトマジョリティー、ラガートがいます。特に、大事なのは、「イノベーター、アーリーアダプター」と「アーリーマジョリティ」とのギャップ、ギャムズを意識しなければなりません。

 この両者は求めるものが違うのです。私は両者を意識した表現を意識的にしています。そして今はアーリーマジョリティを対象にした表現を多くしています。そのため、「イノベーター、アーリーアダプター」からは変質だと言われることを恐れます。

 実は、最初の対立は今から十年以上前に我がゼミ内で起こったことです(http://p.tl/uFJO)。でも、その当時の私は対立的にとらえていました。それを乗り越えたのは2年後です。学力と心は対立するものではなく、コインの裏表であることを理解しました。この構造はいつも同じです。

 「イノベーター、アーリーアダプター」と「アーリーマジョリティ」の対立が私の中にあります。「イノベーター、アーリーアダプター」である私は、「アーリーマジョリティ」にも対応することをし始めます。その結果を分析すれば、「イノベーター、アーリーアダプター」と「アーリーマジョリティ」の対立は表層的であり、その上位の「一人も見捨てない」(これを教条的な意味でとらえると動きが止まりますが)を『学び合い』の学校観で理解すれば、コインの裏表に過ぎないことが分かります。でも、なかなか分かってもらえない。

 結果として、「イノベーター、アーリーアダプター」と「アーリーマジョリティ」の両方から、全く別方向から私は非難されることになります。これを十年以上続いているのです。つかれる。

追伸 でも、実は理系人間は基本的には超原理原則派なのです。そのため、原理原則の部分では圧倒的大多数からは教条的に見られます。でも、生物物理学で学んだことは原理原則は大事だけど、それを適応するときには柔軟にすべきだということです。「理想は高く、現実には柔軟に」これを、せめて同志には分かってほしい。

[]二元論 19:41 二元論 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 二元論 - 西川純のメモ 二元論 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 物事を相反する、もしくは重なりの無い(もしくは少ない)二つに区分し、理解しようとするのは非常に分かりやすい。私もよくやります。

 『学び合い』でも「教科指導と生徒指導」、「みんなでとみんなが」、「みんなのためと自分のため」、「受験と将来の幸せ」等々があります。でも、私にとっては、それらはコインの裏表に過ぎません。分けること自体、馬鹿馬鹿しい。でも、その表裏一体を理解するには、それらの上位のものを理解しなければならない。しかし、それを理解する人は少ない。だから、話す相手、読む相手、扱うジャンルに合わせて、一方に重点を置きます。レトリックです。

 困ったことに、多くの人は、その一方しか読まないし、聞かない。だから、ある人からは「『学び合い』はテストの点数を上げようとしない」と非難され、別な人から「『学び合い』はテストをあげようとするだけだ」と非難されます。困ったものです。

 しかし、無意味な二元論を乗り越えられる人を増やすしかありません。そして、それまでは非難を甘んじて受けるしかありません。

[]山梨の会 06:01 山梨の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 山梨の会 - 西川純のメモ 山梨の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 6月15日に甲府で『学び合い』山梨の会があります。http://p.tl/mGkm

13/06/09(日)

[]脱乳歯記念日 18:50 脱乳歯記念日 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 脱乳歯記念日 - 西川純のメモ 脱乳歯記念日 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、息子の最後の乳歯が抜けました。ということで、今夜も家族で乾杯です。

[]悩み 11:50 悩み - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 悩み - 西川純のメモ 悩み - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近の悩みです。16分半以降の7分間ぐらい、ずっと愚痴っています。http://p.tl/LUiX

[]囚われ 08:32 囚われ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 囚われ - 西川純のメモ 囚われ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』が分かるというのは、一つのとらわれと周りの人から思われると思います。でも、囚われから解放されることだと思うのです。

 究極「一人も見捨てない」それがどれほどの凄いことを起こすかを分かればいいだけのことです。至極、単純です。

 それが分かれば、今まで当たり前であることを客観的に見直すことが出来ます。

 何で国語の授業で、本読みが最初なの?

 何で算数・数学では基礎的法則の理解が最初で、基礎的問題、応用問題に続くの?

 ありとあらゆる教科の型を「なんで?」と問い直すと、たいした理由が無いことが分かります。ま、100年前にはそれなりの意味はありました。でも、それを吟味無く、続けている馬鹿馬鹿しさを理解することになります。

 F=mαという、たった一つの式を3次元に拡張し、微分・積分すれば古典力学のほぼすべての式が導かれます。それで現象を見直せば、日常生活の物理現象のほとんどは記述し、予測することが出来ます。大事なことは至極、単純です。複雑な現象を複雑のまま捉えていれば記述は出来たとしても予測は出来ません。複雑な現象を、単純な法則で近似します。ただ、それが近似だと理解し、その限界を理解しつつ予測する。生物物理学で学んだことです。これが教育においても有効だと思っています。と、単純馬鹿の理系人間は考えています。

[]教育研究 08:32 教育研究 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教育研究 - 西川純のメモ 教育研究 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 マラリヤの特効薬の発見の話が大好きです。(真偽は定かではありませんが、寓話として読んでください。)

 マラリヤの特効薬を探すため、南米の村々を歩き回った人がいます。そして、その村の呪術師の使うマラリヤの薬を集め、効果があるかを調べました。多くは気休め程度のものでしたが小数の薬は薬効がありました。それは様々な草木で作られたものです。その人はその草木の一つ一つを取り除いて薬効があるかを調べたのです。結果として、キナの樹皮「だけ」が薬効があることが分かりました。

 気休め程度の薬を多くの呪術師が使っているのは、薬効の評価が甘いからです。その甘い評価で「多ければいいだろう」という程度でどんどん付け加えた結果で薬効がある薬が生まれたのでしょう。確かに「効く」ということを成り立たせるならば、毒にならないものを加えても「効く」ことは確かです。

 現場の教育実践を「呪術師」にたとえたらお気を悪くする方もあるでしょう。すみません。不適切なたとえですがお許しください。

 現場の教育実践は「効果がある」ことが第一です。なぜ、効果があるかを問うことに力を入れません。これは当然です。でも、教育研究はなぜ効果があるかを明らかにする必要があります。多くの教育実践は効果のあるものを足し算する方向に進みます。『学び合い』を実践する方でも同じ傾向が見られます。しかし、『学び合い』は全く逆の方向で成立したのです。

 『学び合い』は、もともとは上越市のある一人の優れた実践者の実践の観察から始まりました。その方は子どもの自主性を重んじ、信じ、授業中の立ち歩きや相談を許したのです。西川ゼミは優れた現職派遣教師が所属しました。その方々の持っているノウハウが現在の『学び合い』のノウハウの原型となっています。

 しかし研究者、それも単純馬鹿の理系人間の私は、足し算では無く引き算を重視しました。本当のコアな部分は何かを求めたのです。結果として、『学び合い』の成立の初期段階では重要であると思われていた多くのノウハウを捨てました(ただし、入門者には有効なのでステップアップ等では、整理したノウハウを例示しています)。そして、最後の最後に残ったのは、「学ぶ意味」とは何かであり、それをどのように子どもに語るかになりました。それが方法では無く、考えとしての『学び合い』なのです。

 そこそこの効果を求める程度だったら足し算でも大丈夫な場合もあります。しかし、コアが何かを見失えば、コアの部分を阻害してしまいます(足して2で割る『学び合い』もどき)。

 そして、考えとしての『学び合い』でなければ、究極の困難を乗り越えることが出来ません。例えばです。我がゼミ生で、『学び合い』を捨てた人がいました。何故かを効いたことがあります。それによれば、その人のクラスに知的な障害を持つ子どもがいたそうです。そのクラスで「全員達成」を求めても、達成できません。達成できないことが続くことによって、クラスの雰囲気が暗くなり、なによりご当人が辛くなりました。そして足し算です。『学び合い』に出会う前に学んだテクニックを併用したのです。しかし、従来型のテクニックは子どもを有能では無いことを前提にしています。従って、併用すれば併用するほど子どもは依存的になり、どんどん愚かな存在に退化します。そして負のスパイラルに陥ります。『学び合い』は子どもの現状をハッキリと見てしまうのです。結果として、耐えられなくなり、本質的に解決できないことは十分に分かっているのですが、クラスの本質がわかりにくい一斉指導になってしまったのです。

 これを聞いたときは、残念であると同時に、その人のつらさが分かります。同時に、見えにくい中で苦しんでいる子どもの姿がありありと見えました。次の年度に、それを乗り越える研究を始めました。そして、知的な障害がある子がいるクラスでも『学び合い』を成立させるには何かが分かりました。それが分かれば、知的な障害があると専門が認定した子どもの半数以上は成績が驚異的に上がりました。そして、残念ながらそうできない場合であっても、クラスは暗くならず、明るくみんなが支え合い、学力が向上することが明らかになったのです。

 何故、それが出来たか、それは足し算では無く、引き算だからです。先に述べたように、『学び合い』において教師が教えるべきことは「学ぶ意味」なのです。それ以外は子どもたちでも出来ます。しかし、「学ぶ意味」を語り続け、評価し続けられるのは教師だけなのです。

 特別支援の子がいるクラスにおいて『学び合い』を実践する場合のポイントは、「最終的には分からないままになるかもしれない難しい課題を健常児たちと学ぶ意味」を理解し、語れなければならないのです。同時に、「教えても、教えても、分からないままの同級生といっしょに学ぶ意味」を理解し、語らなければなりません。そのためには「学校教育の意味」を理解しなければなりません。これは「深い読み」や「深い社会認識」を目指している教育では不可能なことです。

 『学び合い』を実践している方々は、「『学び合い』は分かるが、教えるべきところはしっかり教えるべきだ」と言われたことが少なくないと思います。私もそうです。そして、たいていはニコニコしながら「そうですね」と応えます。しかし、時に「では、教えるべきところは何ですか?」と聞くと、「基礎・基本」と応えます。そこで「基礎・基本とは何ですか?」と聞くと、「しっかりと教えるべきところ」と応えます。トートロジーです。この論理的にはまったく馬鹿馬鹿しいことを、何の不思議も無くおっしゃる。残念ながら、足し算していては、分からないことです。そして、引き算こそ、教育研究のやるべきことだと、私は信じています。

scorpion1104scorpion11042013/06/09 13:13特別支援の子がいるクラスにおいて『学び合い』を実践する場合のポイントは、『学び合い』を通常の学級で行う場合に教師側は絶対に押さえておかなければならないことで、語りの中で繰り返したいことです。それは、将来子どもたちが社会に出てから、学級、学年、学校種などのカテゴリーがない中で生きていくことを考えた場合、全ての方が等しく幸せに暮らせるための大切な考え方だと思うからです。

jun24kawajun24kawa2013/06/09 13:21期待しています。

13/06/08(土)

[]和歌山 18:56 和歌山 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 和歌山 - 西川純のメモ 和歌山 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 長らく和歌山県は『学び合い』の空白地域でした。ところが昨年度は紀の川市に呼ばれ、本年度は和歌山県の全小学校の校長先生の前で話す機会を得ました。

 で、6月14日に紀美野町立野上小学校相談室で19時から第一回『学び合い』和歌山の会が開かれることになりました。お誘いします。事前連絡は不必要ですが、問い合わせは野上小学校の松尾校長先生にしてください。

 なお、以下には和歌山にお邪魔します。

10月25日(金) 和歌山県へき地複式教育研究大会海草地方(北ブロック)大会

10月26日(土) 『学び合い』和歌山の会 海南市

追伸 今までに『学び合い』関係で呼ばれていない都道府県は、岩手、茨城、三重、愛媛、徳島、熊本、鹿児島の7県だけになりました。

[]説明する 06:55 説明する - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 説明する - 西川純のメモ 説明する - 西川純のメモ のブックマークコメント

 地元のある先生に確実に抜群のテスト結果を出してもらいたいので、現職院生の人と課題作りをやりました。『学び合い』ステップアップに書いたとおりのやりかたで課題を作るので基本的には簡単です。しかし、それだけではつまらないので「上記の問題を確実に解けるための工夫を、みんなが分かる説明を書く。それを3人の人に説明してサインをもらう。分かってもらえない場合は、その人と話し合って改良し、分かってもらったらサインをもらう」という定番をつけました。

 そして、この解答を二人で考えました。最初はその教科特有の言葉で考えたのですが、しっくりしません。私が息子に教えているような自分なりの解き方を話したら、ゼミ生も同じだと言うことが分かりました。そこでその方向で模範解答を書くことにしました。

 こんなことをゼミ生と話しているとき、楽しかった。

 きっと子どもたちは我々が考えた模範解答を超える解答を作り上げるはずです。それを来年度の模範解答にすればいい。

追伸 本屋にいくと、子どもの書いたお馬鹿な解答を集めた本があります。でも、子どもの書いた教師を唸らす解答を子どもたちはします。それを集めたら本になるな。「教師を唸らす子どもたちのスーパー解答」てな本。『学び合い』なら出来ます。

munehiromunehiro2013/06/08 09:39これは、学級通信に載せるという手も考えられますね。
やってみます。

jun24kawajun24kawa2013/06/08 18:56是非!

13/06/07(金)

[]難儀 06:55 難儀 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 難儀 - 西川純のメモ 難儀 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、ゼミ生から「西川先生の望みは?」と聞かれました。突然の質問で呆然としましたが、私の何も考えずに出た答えは「やめたい」です。なんで、矢面にいつもいなければならないのか?と思います。誰かの陰に身を潜められるようになりたい。ま、それが出来ない性格だと分かっているのですが。(そのうち動画がアップされるでしょう)

[]上越の会 06:40 上越の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 上越の会 - 西川純のメモ 上越の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 明日は上越で『学び合い』の会を開きます。大々的にお誘いします。ようは仲間が集まって愚痴と自慢を言い合う会です。http://p.tl/qXBp

[]目標と評価 06:35 目標と評価 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 目標と評価 - 西川純のメモ 目標と評価 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 体育の教師がテニスの授業で、試合練習を中心に授業を組み立てました。そして「テニスは基礎体力が大事だ」という理由で、反復横跳びや持久走で評価したら、どう思いますか?逆に、基礎体力の授業で、テニスの試合練習を中心に組み立て、テニスの試合で評価したら、どうもいますか?どう考えても馬鹿馬鹿しいですね。目標と評価は一致させなければなりません。そして、授業はその目標と評価に一致させなければならないのです。当たり前のことです。

 ところが従来型の授業では、その授業の目標は何か?ということをあまり考えずに、というようり、全く考えずに授業が出来ます。一定のパターンに沿った段取りで進めれば授業っぽくなります。国語だったら、本読み、新出漢字の確認、段落分け、段落の要約・・・みたいなものです。その結果、目標無く授業が進むことになります。

 小学校では業者テストを使っているのが一般的です。もし、業者テストで評価しているとしたら、業者テストが目標を体現しているのです。であれば、業者テストに一致する課題を毎日やるべきなのです。だから教育同人社では、業者テストに一対一対応する課題をネットで無料で配信しています(https://manabiai.djn.co.jp/)。

 もし、「いや違う。もっと教科の本質に迫ることを学ばせたい」とおっしゃる方がいたとしても結構です。その方は、その教科の本質に迫る評価をやってください。具体的には業者テストを使わずに独自の評価をやってください。でも、私の今までの経験から言えば、そのような方に「どのように評価するのですか?」と問うと「う~・・・ん」と唸るばかりで評価方法が出ません。それで業者テストを使っているならば、最初にあげたテニスの例と同じです。

 第一、業者テストを馬鹿にする人もいますが、冷静に読んでください。学習指導要領にかなりフィットしています。ある意味、当たり前ともいえます。その道のプロ、それだけで飯を食っている人たちが作っているのですから。私はそれを使う方がいいと思っています。

 中学校、高校の先生は業者テストではなく、自作テストを作っていると思います。しかし、圧倒的大多数の教師は授業の後半、テストの直前に作っているのでは無いでしょうか?でも、これまた本末転倒です。授業は目標があり、それを実現するために毎日の授業があるべきです。であれば、まず目標を意識し、それを体現する評価(つまりテスト)を作るべきなのです。そして、テストで問う内容に一対一対応する課題を日々やるべきなのです。

 『学び合い』で成績が上がらない理由は3つしかありません。第一は、な~んちゃって『学び合い』(多くは足して2で割る『学び合い』もどき)をやっている。第二は、教師本人が成績を上げたいと願っていないのです。まあ、人間関係が向上すればいいぐらいです。第三は、テニスの例のように目標、評価、授業がバラバラなときです。

 私は『学び合い』を実践する方々に願いたい。抜群の結果を出してください。「一人も見捨てない」ということを掲げても、それをそれほど大事だと思っていない人は少なくない、というようか、現状ではそれが大多数の人なのです。大多数の人は「一人も見捨てない」ということをリアルにイメージできない現状の中にいます。その方々にも分かりやすい結果はテストの結果です。

 『学び合い』の認知度はどんどん上がってきています。それによって分かってくる人も増えてきますが、同時に感情的に反発する人も生まれてきます。その中で我が身、我が教え子を守る武器は抜群の結果です。平均点の上昇が5点レベルではなく、抜群の結果なのです。でも、『学び合い』だったらそれが出来る。

 90点の子を95点にするのは大変です。でも、30点の子を60点にするのはたやすい。ようは寝なければいいのです。そういう子を一人いれば90点の子を95点にする6倍効果があります。今までは一人の教師が放課後に残して対応していました。でも、二人ぐらいが限界です。ところが6、7人の子どもが毎日の授業で対応すれば十倍以上の効果があります。もちろん、90点の子は95点になり、70点の子は90点になります。つまり、どの階層の子どもにも成績向上の効果があります。これは『学び合い』を実践している方だったら分かると思います。ポイントは教師が成績向上を望み、評価と一致する毎日の課題を与えればいいのです。

 私の知る限り、最高の結果を出した教師のクラスでは、子どもたちはテストを挑戦状と呼んでいました。教師が「全員90点以上」という課題を与えれば、全員90点以上になれば子どもたちの勝ち、出来なければ子どもたちの負けと子どもたちは思っていたのです。テストの前には子どもたちが円陣を組み「絶対に全員が90点以上をとるぞ~」、「お~!!!」で始まります。テスト中には「あきらめるな~」、「もう一度、チェックしろ」という声が交差するのです。つまり最高の部活の試合の状態になるのです。考えてみてください。『学び合い』以外で、テストでこのような集団を作れると思いますか?不可能です。そして、このような状態になったときの集団の人間関係はどれほどすばらしいか?人の人間関係は、ともに課題を克服することによって培われるのです。

 抜群の結果を出してください。お願いします。

13/06/06(木)

[]毎日 21:19 毎日 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 毎日 - 西川純のメモ 毎日 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は毎日、毎日、小さくでも何かをやります。今の現状を変える何かを。そうしなくては、気がおかしくなります。どんなことでもいい。現状を変える何かを。

13/06/05(水)

[]したたか 21:35 したたか - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - したたか - 西川純のメモ したたか - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は馬鹿だから、○か×です。でも、現場の先生方や、我がゼミの現職院生、いや、学卒院生もしたたかです。あるゼミ生の姿を見ていたら、「教師」という香りを感じました。凄く嬉しい。

13/06/04(火)

[]素直 21:38 素直 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 素直 - 西川純のメモ 素直 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は同僚のAさんの論文指導。

 朝一番に3分遅刻して私の部屋へ。開口一番、「私は西川ゼミになりました」とのこと。聞けば私が夢に出たとのこと。夢の中の私はと聞けば「遅くなったのは理由があるよね。なぜ遅くなったの?」と穏やかに聞いている私に脂汗を流したそうです。あはははは。

 宿題の論文を読む。良いできです。出来が良いので、次の段階に進めます。本当の研究は大変ですが、業績を上げるのはポイントが分かれば出来ることです。ある意味、我がゼミ限定の奥義を伝授しようとします。ま、ようは政治なのです。

 彼の必殺技は「素直」です。単なる口先だけの、小手先だけの人であれば、私の伝授する研究の奥義は会得できない。素直だから、すぐに入門できる。非常に教えやすい人です。

 ちなみに私が学部生だったら、絶対、Aさんのゼミに入ります。Aさんの十年後が楽しみです。

[]依怙贔屓 19:45 依怙贔屓 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 依怙贔屓 - 西川純のメモ 依怙贔屓 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は高校教師の時から公平でありたいと自分に課しています。しかし、そんなのは無理でした。

 高校を退職し、大学に異動するとき、先輩教師から「子どもたちは純ちゃんにべったりくっついている。そのままだと次の担任がやりにくいから、繋がりを絶つようにしなさい。」と釘を刺されました。それ故、子どもからの連絡があっても心を鬼にして返事をしませんでした。手紙を読めば、「なんで大学教師になっちまったんだろう」とボロボロと涙を流していました。

 そのうちに一人ずつ連絡がなくなりました。そして最後まで手紙を送り続けた子がいました。恥ずかしい話ですが、私の印象は弱い子です。教師だったらお分かりだと思いますが、とりわけ賢い子ととりわけ手のかかった子は記憶に残るものです。それ以外の子どもの印象は弱いものです。最後まで手紙を送り続けた子どもは、その中でも特別に印象の無い子です。その子の手紙を読むと、その子の感受性がいかに豊かで、深い悲しみを持っていた子であることを遅ればせに知りました。そしてそれを知らなかった自分を恥じました。

 「この教材は子どもたちにわかりやすい」という言う人がいると、私は「誰がわかりやすいの?」と突っ込みたくなる。たしかに「分かりやすい子」もいるでしょう、でも、それと同数の「全く分からん子」がいます。そして大多数の子は、その教材より分かりやすい教材があります(たいていはクラスメート)。一人一人の子どものデータを記録、分析すれば、「子ども」という抽象的な存在は無く、一生懸命に生きている一人一人がいることがよく分かります。

もし、三十人の子どもを頭に浮かべて公平でありたいと考えれば、頭がくらくらするほど難しいこと、いや、不可能なことです。人には依怙贔屓は必ずあります。教師その気が無かったとしても、教師を使うのがうまい子がいる一方、下手な子がいます。そして仮に公平であったとしても、それは教師の目から見たときの公平であり、子どもは公平であるとは思わないでしょう。

 だから私は基本的なルールを自分に課し、その多くは明文化し、子どもたちに公開するようにしています。つまり啓蒙君主では無く、法治国家による公務員になろうとしています。おそらく私ほど明文化している教師は少ないと思います。でも、私はそれを必要だと信じています。http://p.tl/kpIj

 本日の学部ゼミで話したことの一部です。

[]ダブルチュチュ 05:48 ダブルチュチュ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ダブルチュチュ - 西川純のメモ ダブルチュチュ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 家内は食事の後片付け等があり、その後に風呂に入ります。いつもは息子の添い寝は私です(最近は私の添い寝を息子がしています)。寝るときはチュチュして寝ます。

 昨日は珍しく家事が早く終わったので、久しぶりに3人で布団に入りました。こういうときは息子の両のほほに我々がチューをします。その後、息子が我々の両ほほにチューをしてくれて、「おやすみなさい」で就寝です。

 ちなみに息子は中1です。いつまで続けられるかな~?

[]もし 05:21 もし - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - もし - 西川純のメモ もし - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私の研究者としての出発点は理科教育学です。27歳で大学人となったときは当然、一生涯、理科教育学を研究するもんだと思っていました。大学人として野心もありました。でも、それは四十代ですべてかないました。

 41歳で理科教育学会賞を得ました。42歳の教授は上越教育大学最年少記録です。44歳で博士の学位を取りました。博士の○合資格を取り、46歳で博士の学位を教え子に与えました。その年に理科教育学会の学会誌編集委員長になり5年間勤めました。

 もし、私が理科教育学の世界に生きていたら、幸せだったろうな~っと、辛くなると考えます。

13/06/03(月)

[]伝えられないこと 21:16 伝えられないこと - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 伝えられないこと - 西川純のメモ 伝えられないこと - 西川純のメモ のブックマークコメント

 どんなに伝えても、何年も教えても、教えられないこと。それは「一人も見捨てない」ということへの拘り。

 でも、分からない人の方が普通だと思います。私の方が病的です。映画は子どもが出る映画はだめです。というのは子どもが不幸になる部分があると耐えられないのです。絶対に見終わればいい映画と分かっているのですが、見られない映画が山ほどあります。でもその映画の紹介を見ただけで涙があふれてとまらなくなります(たとえばライフイスビュティフル)。テレビで「虐待」という言葉が出たとたんに、電源をオフにします。間違って知ってしまうと、それだけで1週間は寝付きが悪くなる。

 その私はよりによって定時制高校に勤めてしまいました。知りたくもないリアルな現実をあとからあとから知ることになってしまいました。

 もちろん自分の心の平静を保つために「みんなハッピー」という夢は教師になって早々に封印しました。でも、その負い目を補うために、エンターテーメント性の高い授業を追い求め、大学院で学んだ教材の知識を雨あられと与え、テレビドラマで出てくる教師を演じていました。でも、それでも救われない子どもがいて、いや、最後に崖から突き落とす自分がいて。だから弱い私は大学に避難したのです。本当に弱い私です。

 幸い、『学び合い』に出会いました。地獄の苦しみの中から救われる子どもを数多く見ました。私のような教師が平静な日常を取り戻すことに手伝えたことを誇りに思います。だから、今は自分が魔法使いのように思えます。昔の私には考えもつかないことが分かり、多くの教師が悩んでいることに関して明確な指針を語ることができます。でも、それを信じてくれないと何も変わらない。

 不遜ながら言います。いろいろなことが見えるのです。そして、どうしたら「まし」になることがはっきり見える。でも、それには「一人も見捨てたくない」という願いが必要なのです。それがあれば、いろいろな状況で踏ん張れる。幾人かを見捨ててもいいと思えば他のアプローチの方が良いように思えます。でも、そう思えば、多くの子どもが地獄の苦しみに陥る。でも、分かっても周りが分かってくれない。イエスの最後の言葉「わが神、わが神、どうして私をお見棄てになったのか」という気持ちが分かる。

 なんで解決もできなものを見える能力と、それを苦しみに感じる感性を私に与えたのか。高校教師の最後に感じたと同じ苦しさを大学教師になって感じています。自然科学ならば証明は簡単ですが、教育は社会科学なのです。

 今、これから逃れる方法は、今の段階で「一人も見捨てたくない」という冷静に考えれば病的な欲求を共感してもらえる人が必要なのです。でも、これはその人の内在するもので決まるものなのです。私のような病的な人が必要です。

13/06/02(日)

[]学ぶ意味 19:42 学ぶ意味 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学ぶ意味 - 西川純のメモ 学ぶ意味 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 大学院に入ってから十数年間、学校で学ぶ意味を模索した。多くの本を読んだが、子供の現実を思えば空理空論にしか見えない。そして、そんなの考えるのは無駄だと思い、分かるわけないと思った。でも、今は分かる。分かれば、どうすればいいかも分かる。理論とはそういうものであらねばならない。

 今教えていることが、一生涯の幸せにつながると語れる教師がどれだけいるだろうか。でも、それを語れれば、ごく普通の教師が、カリスマ教師以上のパワーを持つ。

[]職能形成 08:54 職能形成 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 職能形成 - 西川純のメモ 職能形成 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 以前、教師の職能形成の発達を研究しました。その結果、最初は教材に関する知識・技能を職能だと考える段階です。次は指導法に関する知識・技能を職能だと考える段階です。次は学習者を理解する知識・技能を職能だと考える段階です。多くの場合、前段階の職能を包含して発達するので、「教材」→「教材+指導法」→「教材+指導法+学習者理解」と発達します。ただし、人によっては「教材」で止まり、それで教員キャリアーを終える人もいます。もちろん「教材」で止まるからダメというわけではありません。教材の知識・技能を極める人もいます。ここまでは『学び合い』を分かる前の段階での研究です。

 『学び合い』を分かると、それ以降の段階があることが分かりました。というか、「学習者理解」には個人を理解する知識・技能と、集団を理解する知識・技能とに分かれるのです。さらに言えば集団を理解する知識・技能にも4~6人程度のグループを理解する知識・技能と数十人、数百人のグループを理解する知識・技能とに分かれます。この最終段階の知識技能は郡市レベルでも数人程度ぐらいしか持っていない職能です。

 例えば、授業検討会で「○○さんはこういうことをやっていた」と発言し、その意味を語れる人がいます。これは個人を理解する知識・技能のある人です。「○○さん達のグループでは、・・・・・・・」と発言し、その意味が語れる人がいます。これはグループを理解する知識・技能がある人です。そして、「○○さん達のグループでは・・・・・・、そして○○さんがそれを見ていて、それを自分たちのグループに伝えて・・・・・」と語り、教室の対角線の位置にあるグループ間の関わりを語れる人がいます。これが集団を見取る知識・技能のある人です。思い出して下さい。このレベルのことを授業検討会で語れる人がどれほどいるでしょうか、郡市レベルでも数人程度ぐらいというのもうなずけるでしょう。そして、その人は、その郡市では授業名人として一目も二目も置かれる人だと思います。

 私は研究授業の時、子どもより教師を見ています。それを見れば、それぞれの教師がどのレベルの教師なのかが分かります。

 教材や指導法のレベルの教師の場合、授業中はずっと教師を見ています。学習者理解の教師は子どもをよく見ています。そして、個人レベルの理解の人は特定の子どもにべったりくっつきます。ところが集団レベルの教師の場合は教室全体を見ます。そして、ポイントとなる兆候が見られたとき、すっとそこに近づき、そして教室全体を俯瞰する位置に戻ります。ね、種明かしすれば、凄く簡単なことでしょ。

 異学年『学び合い』では数百人の子どもが素晴らしい行動をしまくります。私は感激で涙を流したり、ほほえましい言動に笑ったりします。これを見せれば異学年『学び合い』がすくに分かるはずだと思い込んでしまいます。しかし、考えてみれば、集団を見取る能力の無い人には意味不明な状況なのだと思います。特に教材や指導法レベルの人にとっては教師は何もやっていないとしか見えないのですから、「日本を崩壊させる」と思うのでしょう。

 教師の職能の最終段階を初任でも分かりやすく整理・精選したノウハウが『学び合い』があります。先に述べたように、教師の職能段階を見取るにはどうしたら良いか、種明かしすれば簡単なことですよね。それが数多くあるのです。だから、初任者でも数百人の集団をコントロールすることが出来るのです。

追伸 『学び合い』を分からない人にいきなり異学年『学び合い』を見せるのでは無く、ちゃんとノウハウを教えてからでないとだめかな~っと思いました。

[]再生産 08:54 再生産 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 再生産 - 西川純のメモ 再生産 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は教員養成系大学に勤めています。何年かに一度は推薦入試の面接を担当します。受験生には「何故、本学を志望したか」に類した質問をするのが通例です。試験管の方は、そんな回答に意味が無いと言うことを知っています。というのは、見事に定型的な話が延々と続くのです。しかし、これを言わせることによって、受験生の気持ちをほぐし、次の質問をやりやすくするためです。

 では、その定型的な話とは何かと言えば、受験生の小中高で教えてもらった教師の話をします。その教師によって救われた経験を語り、そして自分も○○先生のような教師になりたいと語るのです。これが受験生の最初の質問に対する回答の七八割は占めているでしょう。中には涙ながらに語る人がいます。受験用の脚色や演技の部分を割り引いても、事実そういうことがあったと思います。

 実は私にもそういう経験はあります。私の高校2年の最後の模試では英語の偏差値は27でした。他の科目もメタメタでした。その私が現役で筑波大学に進学できたのは、先生方のおかげです。特に英語のS先生、数学のH先生は夏休み期間もほぼ毎日高校に出勤し、私を個人指導して頂きました。結婚式にもご参加頂きましたし、今でも年賀状をやりとりしています。

 教員養成系に進学した学生の多くは以上のような教師の恩沢に浴した人なのです。

 しかし、一人の教師に与えられた時間は等しく1日24時間です。そして、私のような学習指導でも生活指導でも、個人指導の時間を膨大に必要としています。従って、私のような、そして教員養成系大学に進学する学生の多くが経験した教師の恩沢は、多くの子どもは浴せないのです。しかし、それが分かっていない。考えてみて下さい。今まで見たどんな教師ドラマでもいいです。クラスの三十人の内、スターが占める人数は何人でしょうか?それを変だと思わない人が大多数なのです。

 過半数が分かって、大多数が不幸で無いクラスや授業だったらば、従来型の授業でも可能です。しかし、私は全員が分かって、全員が幸せで、それが一生涯の幸せに繋がるクラスや授業を作りたい。しかし、一部の子どもがとてつもなく不幸であり、それを見逃している子ども達も幸福では無いことを多くの教師や、教師の卵は知りません。

 私は面接で、延々と恩師への感謝と尊敬を述べている受験生を見ながら、「あ~、このままの再生産が続くのかな~」と暗い思いに駆られます。残念ながら、クラスの同級生の楽しい思い出を主に語った受験生を一人も出会ったことがありません。(http://p.tl/aSFM

scorpion1104scorpion11042013/06/02 18:29異学年『学び合い』のとてつもない効果を考えると身震いがします。少子化で学年が単学級の学校ほど子どもたちが、絶対に必要としている時代になったと思います。学級での『学び合い』のパワーどころではない動き、学級『学び合い』でできないことをやってのける凄さを目の当たりにした、昨年の新潟県の全校『学び合い』は凄かったです。

jun24kawajun24kawa2013/06/02 19:05ただ集団を見とれない人には、単に混乱としか見えないことを心にとめてね。

scorpion1104scorpion11042013/06/02 21:57その全校『学び合い』の出張報告を校内研修で行った際に、西川先生が書かれているような状態の職員室でした。ほとんどの教師には、単に混乱としか見えないのだということがよくわかりました。でも、学級『学び合い』を経験した子どもたちは、異学年『学び合い』はすぐに理解してくれるだろうと考えます。教師の理解は、多分後からついてくるような気がします。今を悩んでいる子どもたちには、教師理解は後からでもいいから体験させてあげたいと思っています。

ogymogym2013/06/02 23:29授業後の検討会の教師同士の話し合いのちぐはぐさは、この「見方の違い」なのだろうなぁと妙に納得しました。ありがとうございます。

jun24kawajun24kawa2013/06/03 07:04そう理解して、無理せずに、したたかにやってください。

13/06/01(土)

[]メリハリ 07:27 メリハリ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - メリハリ - 西川純のメモ メリハリ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 学生さんは教育実習で子どもを叱れません。これは若い先生も同じで叱れない先生が少なくありません。理由を聞くと「叱ると嫌われるから」と言います。その度に、「好かれるために教師をやっているのでは無いよ」と言います。

 子どもに嫌がられることを言えないと、メリハリのある授業が出来ません。しっかり絞めるところがあるから、また、絞められるという確信があるから、しっかりと子どもに自由を与えられるのです。しっかりと絞められるという確信が無いと、子どもに任せきることが出来ません。

 ハッキリと言えない理由は、「言いたいか/言いたくないか」のレベルだからです。「言うべきか/言わなくて良いか」のレベルで考えるべきなのです。そして「本当に子ども達のためになるか」ということを考えるべきです。もし「子どものために絶対必要だ」ということを確信できれば、それを語ることは出来ます。

 私はゼミ生をからかいますが、殆ど叱ると言うことはありません、そして怒鳴ったのは私の教師人生で4回だけです(http://p.tl/Dji5 の事例1の学生に対してもう一回怒鳴りました)。ということでゼミ生の中で一度も叱られた経験が無く卒業・修了する学生が圧倒的大多数で、私が怒鳴っている姿を想像できない学生ばかりだと思います。

 しかし、私は学生からは怖がられていると思います。何しろ夢にまで私が出て、脂汗で起きる学生もいますから。でも、その夢に出る私は怖い顔をしているのでは無く、ニコニコしているのです。何故でしょうか?

 私が学生たちに何かを求めるとき、そのことが学生たちに「得」になるかを考えます。それが「得」だと確信したら、学生達にそれをちゃんと語ります。その後は「それでいいのかな?」と問い続けるだけです。そして、「君らの人生がどうなっても、私の人生には影響が無い」と言います。自分の「得」ということを納得し、私がちょいちょいからかいながら思い出させる、それが一番きついのです。

 強面になる必要はありません、「言うべきか/言わなくて良いか」のレベルで考えるべきなのです。そして「本当に子ども達のためになるか」ということを考えるべきです。そうすればニコニコしながらからかうことが、怒鳴るより強い影響があります。そして、『学び合い』でやれば抜けが少なくなります。

[]底上げ 07:27 底上げ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 底上げ - 西川純のメモ 底上げ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 「『学び合い』は成績下位の子どもの底上げには良いけど・・・」と言われることは少なくありません。『学び合い』は成績上位、中位にも効果が大きいのですが、それは子どもをちゃんと見ていないと短期間では見とれないと思います。でも、下位の子の変容は比較的単純に見て取れます。

 「底上げ」という言葉に反応しました。なんか軽い言葉だなと思うのです。下位の子がどのような気持ちでいるのかを思えば恐ろしくなります。下位の子は以下のような状態なのです。

○殆ど何も分からない話を45分(もしくは50分)聞きます。それが一日6回、週30回聞かねばなりません。それが9年間、多くの子どもは12年か続くのです。悉皆の研修会で訳の分からん話を聞いているときの気持ちを思いだして下さい。どう考えても「拷問」です。

○自分が勉強が出来ないことが分かるとバカにされるのでは無いかビクビクしています。既にバカにされているのが、もっとバカにされるのです。

○現状のクラスでは勉強の善し悪しで序列が形成されます。何故なら教師の頭の中でそれが序列になっているからです。従って、勉強の出来ない子は、勉強以外の休み時間やその他の時間では弱い立場です。最も弱い立場の子どもは、長い休みの時間は教室にいたたまれなくなり、図書館に避難したり、職員室の前の廊下でうろうろして行き交う教師に話しかけたりします。何故なら大人は自分をまともに扱ってくれるからです。

 これがクラスの2割の子どもの姿です。『学び合い』はこの子達を比較的短期間で解放することが出来ます。それを「底上げ」という言葉で表現すべきなのでしょうか?そんな軽いものでは無いと思います。

 教師になる人の多くは、その2割になったことが一度もありません。だから、彼らの気持ちを共感しにくいのです。そして、一斉指導の授業では上記の苦しみは見えないし、見たくないものは見ないようにしている。だから「底上げ」という表現になるのだと思います。

追伸 私のゼミに入る学生の中で、2割を経験した子が比較的多いことに気づきました。小中学校ではトップ集団を爆走して地域の進学校に入ります。そこでトップでは無い状況に戸惑い、自暴自棄になり2割の中で苦しみます。しかし、高校3年で踏ん張り直し大学に入った子です。彼らは絶対に「底上げ」という言葉を使わないと思います。