西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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13/02/23(土)

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 大学で生物学を専攻しました。そこで感激したことを三つあげろと言われれば、第一に動物系統分類学のレポートです。何でも良いから1日、動物を観察しなさいという課題です。私は下宿のクモをじっと観察しました。じっと観察するだけで、色々なことが分かります。第二は、大学3年の冬に下田の臨海実習センターで、ウニの初期発生を三日間徹夜で観察したことです。発生学の本で見るのとは違いました。第三は、卒業研究で生物物理学で学んだことです。ゴチャゴチャとした生物現象を大胆に単純なモデルにすることによって、現象が見えてくることを学びました。三十年経っても、その感激を忘れません。

 が、それを万人すべからく学ぶものとは思っていません。

 私のように感激できる人もいますが、出来ない人もいます。それで良いと思います。そして、仮に感激できる人であっても、与えられた時間は有限です。もし、全ての教科の先生が、自分の感激を元に、子ども達に求めたら、子どもがアップアップしてしまいます。どうも、そのあたりが分かる教師は多くはない。

 万人すべからく学ぶべきものは何か?

 それは教育基本法の第1条に書いてあります。つまり「人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成」なのです。自分が教えていることが、上記にどう関係するかを説明できなければなりません。ただし、注意は、それは一般の人に説明できなければならないのです。つまり、その教科が大好きな人達が集まって、マスターベーションしているような話し合いではダメだと言うことです。

 おそらく、その教科の内容レベルのことを説得することは不可能だと思います。ちなみに私は理科教育学会から学会賞をいただいた数少ない人間の一人ですが、理科が大嫌いな家内に理科で学ぶ内容レベルのことに関して説得できません。

 自分の教えていることに関して、一般国民に説明し「人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成」であると「納得」してもらえる説明が出来る教師がどれほどいるでしょうか?残念ながら、その必要性を感じていない人が多いと思います。

 与えられた教科書をとりあえず教えて、それに従ってくれるふりをしている子どもの前ではそれでも気にせずにいられます。でも、そうでなくなったとき、何のために学ぶのかを言えない教師は潰れるでしょう。

 私にはある悪夢があります。

 現状の教師が手を焼いている子は、特別支援の必要な子や学力下位層の子ども達です。でも、本当に大変なのは学力上位層の子どもが教師に反乱したときです。その論が正しいとしたらどうでしょうか?教育基本法や学習指導要領、はては中央教育審議会の答申を読むような子が生まれたら。教育関連法規を読むような子が生まれたら。そして、それをもとに正当なプロセスを踏んで、要求してきたら。校則に関して訴訟を起こされたら。笑い話ではなく、そういう時代はやがて来る。そして、意外にも早いかも知れません。新刊書の「7つのルール」に書いたとおり、学級崩壊はその前兆なのです。