ツイッター http://twitter.com/jun24kawa
『学び合い』メールマガジン参加者募集中!(無料)http://www.mag2.com/m/0000270912.html
『学び合い』マップ募集中!(無料)http://manabiai.g.hatena.ne.jp/kokohagw/
授業公開の仲介のガイドライン http://dl.dropbox.com/u/352241/manabiai-data/koukai.pdf
だめで元々で、とりあえずドロップボックス(http://db.tt/bMZAZwx)とjimdo(http://jp.jimdo.com/)の無料アカウントを登録してみてはいかがでしょうか?実に簡単ですから。
本格的にトライする人も多くいると思います。その際、人とのつながりが大事です。身近にいる人と繋がれるとありがたいですよね。『学び合い』を実践される方は、『学び合い』マップ(https://www.google.com/maps/d/edit?mid=zDInXkSSxyO4.kNDji5uDNm0Y)に、是非、登録下さい。登録は、『学び合い』マップ登録フォーム(http://form1.fc2.com/form/?id=77081b4d4f40dd2f)から出来ます。 「私なんて、人になんか教えられるレベルに行っていない」と思う方へ。だからいいんですよ。一番知っている人が、一番の教え手ではないことは『学び合い』を実践しているならば、子どもを見れば分かるでしょ。それに、教える必要はないのです。共に学び合えばいいのです。いや、愚痴を言ったり、笑ったりする、それでいいのです。 是非、一人でも多くの人がマップに登録下さい。強く、強く、お誘いします。
13/01/27(日)
sweetsdaisukiおやすみなさい、です!
いつも、日本のために、世界のために!、
ありがとうございます。大大大爆睡してください☆
scorpion1104それと、御家族のために!ですね。
それから、sweetsdaisukiさんも。
jun24kawaおはようございます。気持ちよく、起きました。
13/01/26(土)
■ [嬉しい]西宮浜小学校

昨日は西宮浜小学校で研究発表会がありました。『学び合い』がかなり注目されていることを実感しました。なにしろ、参加者の半数以上が市外、県外の方なのです。九州からの参加者も多く、岩手・秋田からもおいでになっています。
その学校には多くの先生方がいて、『学び合い』への取り入れ方も様々です。きわめて健全な学校だと思います。私は二つのことを提案しました。第一は、学力保証をするには、課題のひねりとか声がけのレベルで考えるのではなく、「一人も見捨てず」という考えをしっかり子ども達に定着して欲しいということです。第二は、学校をよくするために異学年『学び合い』を提案しました。
今度、お邪魔するときにはさらに、大化けしていると思います。
追伸 今回は、子どもの前で話すことになりました。これって正直一番嫌な依頼です。だって、子どもはつまらないと如実につまらなそうにしますので。だから、いわゆる、一斉指導のテクニックを使いました。
karakusa01子ども達への特別講演…そういうことだったんですか。でもとても話の内容ががっつりと伝わってきましたよ。その後、子ども達は給食時間に話題にしたそうですよ。
jun24kawaあはははは。それは良かった。2割に伝われば良いのですから。
13/01/24(木)
■ [大事なこと]喧嘩の作法

社会人となれば、喧嘩もするでしょう。でも、喧嘩には作法があります。
相手方として、相手を特定しない対象、特定した組織、特定した個人の3種類あります。
普通は「特定しない対象」にした方が無難です。攻め方がハッキリするまではそうすべきです。絶対に避けるべきは「特定した組織」です。個人と組織の戦いは絶対に個人が負けます。組織との戦いは、こちらが組織になって、組織の名前で戦うべきです。でも、本当に勝とうとすれば、相手を個人すべきです。そして、自分を組織にすべきです。
最近、体罰や退職のマスコミことで議論がなされているようです。
本当に怒るならば、その番組の責任者は誰かを見つけ出しましょう。それが見つけられならば「○○の番組の担当プロディーサー」と書くべきです。そして、その番組のテレビ局の相対的に望ましい番組をみつけ「○○番組では」と対比すべきです。
そうなれば、「○○の番組の担当プロディーサー」にとっては辛いと思います。
逆に、個人攻撃を受けたならば、組織人として動いたことを強調すべきです。
が、一番良いのは、「相手を特定しない対象」に止めるべきです。私の発言はかなり過激なようですが、過去をチェックしてください。特定できる相手を非難することは極々まれです。そして、そうであっても、かなり表現には気をつけています。
■ [嬉しい]良い学校

本日は西宮市の山口小学校にお邪魔しました。この学校の校長は明日の研究会を開く西宮浜小学校の前の校長です。その関係で、お邪魔しました。
私はいろいろなものを見ます。『学び合い』が分かると非常に分かるのです。例えば、本日は授業研究があって、研究主任の先生の授業を全校の先生方が参観しているのです。おそらく先生方は私は子どもを見ているだろうと思っているでしょう。たしかに見ています。でも、参観している先生方も見ているのです。それで見えたもの。それは教員間の関係がとても良いと言うことです。
私の講演がありました。その後の質問が良い。何が良いかと言えば、どう考えても、採用数年以内と思われる先生も手を上げて質問できるのです。これは凄いことです。そして、中堅ベテランの方の質問も的を得た、そして『学び合い』をやるための質問です。嬉しかったです。
その後、校長室でいろいろなことを話しました。でも、とても興味深いのは、となりの職員室から笑い声が絶えないのです。こりゃ良い学校だと思いました。そのような学校に関われる喜びと光栄を感じました。
例によっていっぱい宿題を与えました。でも、あの職員集団と校長・教頭なれば、やすやすと乗り越えるでしょう。あはははは
■ [大事なこと]『学び合い』サークル

私は人と関係を結ぶとき、とても慎重です。そして、本格的につきあうならば、一生涯つきあえると思うところとつきあいたいと思っています。
教育同人社という会社は長くつきあいたい会社だと思っています。
実は、かなり前に教育同人社のアンテナの高いある方より、本格的に『学び合い』をサポートしたいとのお申し出をいただきました。でも、私はその方を個人的に知りませんので躊躇しました。会社は営利で動くものです。おつきあいするとしたら、損はさせられません。でも、その時点で、損をさせないとは自信は持てませんでした。損させて、嫌な思いをさせるぐらいだったら、最初から関係を結ばない方が良い。だから、丁重にお申し出をお断りしました。
次に関わったのは、東京でフォーラムがあったときです。そこに教育同人社の宣伝ブースがありました。私はいつもながらボーッと会全体を見ていました。そうすると不思議な光景が目に入りました。それは宣伝ブースの教育同人社の社員の方が、フォーラムの講演を聴いているのです。そして、講演の後の活動に参加しているのです。これはビックリしました。
様々な学会に関わりました。全国大会には様々な業者の方がブースを出します。しかし、業者の方の目的は自社の製品の販売です。そのため、学会発表の間の休憩は忙しいのですが、学会発表中は暇で、その際は休憩しています。ところが、教育同人社の人は一生懸命になって『学び合い』を学ぼうとしているのです。そのことが教育同人社を注目したきっかけです。
その後、社長を始め、かなり偉い面々が上越に来て『学び合い』を参観してくれます。そして、うちのゼミ生と飲み会をします。そして、私と関係なく、ゼミ生とつながり始めたのです。私は何度も、短期的に営業的にペイすることを約束できないことを確認しました。しかし、それを超えて『学び合い』の子どもの姿のすごさを語るのです。つい先だっても、私ではなくゼミ生と飲むためだけに、東京から社員が二人、上越においでになりました。なんと懐が深い会社だと思いました。
こうなれば、得は約束できなくても、損はさせられないと思います。
関東近隣の同志と教育同人社の人が相談して、『学び合い』の課題集をつくったらいいのではないかと話が決まりました。
『学び合い』を学校としてやり始める人の最初の悩みは、課題をどうするかということです。もちろん、本格的に『学び合い』が分かれば、課題は融通無碍になんとでも出来ることが分かります。でも、最初の人は分かりません。それをネット上で公開したら良いのではないかと言うことを考えました。
もし業者テストの問題と関連する課題があったらとてもありがたいと思います。それをダウンロードしてそれを課題にすれば良いのですから。そして、それによってテストの点数が上がります。
でも、その恩沢を『学び合い』をやっている人だけしか味わえないならば、それは営利的に成り立ちません。でも、ご安心あれ。そのような課題があれば、日々のミニテストに使えるのです。また、宿題に使えます。そして、子どもにそのアドレスを教えれば、テスト前の勉強に使えるのです。それも無料で。
でも、この手の教材が備えなければならないこと、それは4月から3月までの全てがそろっていることです。そして、小学校だったら国社算理の4教科は全部そろえるべきです。それほど儲かる話でもないのに、結果を出してくれました。
そのような基礎的なレベルを超えた、課題も各自がアップできるシステムも出来ました。
が、この種のシステムは本当にオープンにする前に、β版というものがあります。この文章を読んでいる方にお願いします。以下の文章を読んでちょっと試してほしいのです。そして、どうしたら良いかのアイディアを教えてください。お願いします。
私は皆さんレベルの人だけはなく、日本中の教師と、その指導下にいる子どもを見捨てたくないと思っています。お願いします。
大きなファイルなので、ちょっと時間がかかります。
■ [お誘い]西宮と高崎

今日、明日と兵庫県の西宮市で講演のために神戸に来ております。そのなかで明日は研究発表です。http://goo.gl/gjY6v
昨日、研修主任の先生と飲みましたが、市の指定研究で拘束がかかっていないのにも関わらず、300人以上の参加になりそうだとおっしゃっていました。しかし、『学び合い』の研究発表でよくあることなのですが、市の指定研究なのにも関わらず、遠方からの参加者が多い一方、近隣からの先生の参加が相対的に少ないそうです。遠方の方はもちろん、近隣の方のご参加をお誘いします。
当日申し込みはOKですが、出来れば学校に連絡してください。
また、2月2日には群馬県高崎市で『学び合い』群馬の会が開かれます。『学び合い』の会として最も早く開かれた会の一つです。http://goo.gl/hA37B
以上、お誘いします。
追伸 『学び合い』の同志の方々は、比較的、近くの会に顔を出される傾向の方が少なくないと思います。ブログ等でしっている「あの方」と合って愚痴を言い合うのは楽しいですよ。
karakusa01明日が楽しみです。お話しできるでしょうか・・・。
jun24kawa歓迎します。ようは、近づいていたければです。
13/01/21(月)
■ [大事なこと]苦しい

本日はゼミ生の修了のための学習成果発表会がありました。一人一人は素晴らしいものです。しかし、私の心を捉えて放してくれないのは、あるゼミ生の言ったことです。そのゼミ生の知っている障害者の小学生は傷害の合併症で心臓に障害を持っているそうです。私の頭を占めているのは、その子のために自分は何が出来るかです。
マクロに考えれば、出来ることはあります。しかし、ミクロに見れば無力です。でも、それを何とかしなければならないという思いに逃げられない。
■ [大事なこと]課題で大事なこと

最近、ある先生から「地域の先生方に『学び合い』の授業を公開することになったので、課題を見て欲しい」との依頼がありました。読みましたが、妥当な内容だと思いました。そこで、何を心配してメールしたのかを聞きました。その先生からは、この課題で子ども達が誤解無く動けるかとの返答です。以下は私のレスです。以下は、毎日の課題について同じことです。
『あはははは
では、大事なことをお教えします。
普通の教師は、どうやったら子ども達全員が誤解なく動けるかということを考えます。
結論から言えば、そりゃ無理です。
クラスには多様な子どもがいて、誤解の程度も質も多様です。
押さえるべきは、クラスの中で塾・予備校・通信教材を使っているであろう2割の子どもが誤解なく解けるかというところを考えましょう。
大抵の教師が出す問題は大丈夫です。
ま、ポイントとしては、答えを教師が書いて、答え合わせ用に用意しておくことです。
そうすれば、最初に答え合わせをする得意な子が気づきます。
案外、自分が出した問題の答えを教師自身が書けないという、ひねりすぎた問題もありますから、かならず答えを書いて下さい。
そして、多くの教師がやっていないこと、それは全員が課題を達成することがいかに大事かをちゃんと語って下さい。
あなたの場合だったら、その日のみんなの姿によって●●市や●●県が変わるんだ、ということを熱く語って下さい。
お勧めは、もうそろそろ、『学び合い』ステップアップで紹介した自己評価カードを作成し、そこに1単元分の課題を事前に渡しておきましょう。そうすれば確実です。』
一般の教師は、教材や発問を何とかしようとします。『学び合い』は集団を動かそうとします。子どもがその気にならなければ、全てのテクニックは無駄です。
13/01/19(土)
■ [大事なこと]最先端

個人ゼミの際、あるゼミ生から最近のゼミ生の研究成果を本や講演で紹介していないことを指摘されました。鋭いです。
平成17年から18年頃には、多くの先生方が悩んでいるレベルのことは私にとっては解決済みなことなのです。最近になって紹介している異学年『学び合い』だって、その頃には既に基本は確立されています。
現在、私が講演や本で紹介していることは殆ど平成18年以前に明らかにされたことばかりです。では、それ以降に明らかにしたことを何故、本や講演で紹介しないのでしょうか?それは先に進みすぎて、それを理解出来る人があまりにも少ないからです。そのため、市場として成り立たないのです。
でも、平成18年以降に明らかにしたことを、ちょっと紹介しましょう。
●子どもが指導要領原文を読み解いて、その規準に基づいて具体的な基準を子ども達が作成します。そして自己評価するのです。それが『学び合い』によってどのように変化するかを明らかにする研究です。結論から言えば、小学生であっても比較的短い期間で教師も納得するような基準を子ども達全員が作成できるようになり、教師の評価に一致する自己評価できるという結果を出しています。そして、それは『学び合い』の結果であることも明らかにしています。が、答え合わせをするとき教師用指導書を見せることでビックリする先生方が多い現状では、宇宙人を見ました、と同じレベルで捉えられるでしょうね。
●子ども達が教科書を改良するのです。これまた、成績が向上して、素晴らしい教科書を作成します。つまり、子ども達が教科書作成者の立場でその教科を学ぶのです。
●『学び合い』だと、こどもの躾けが行き届かないと誤解している方がいます。しかし、『学び合い』では規範が育ちます。その構造を明がにした研究があります。結局、学習と同じように、2割の子どもがリードし、6割の子どもがフォローするという構造があるのです。
●ノート指導をしなければならないという先生がいます。しかし、『学び合い』によってノートは質が高くなります。その過程を明らかにした研究があります。
●『学び合い』によって教師の力量が向上することを明らかにする研究があります。しかし、ミニ理学部、ミニ文学部の知識が多いことが教師の力量だと思ったり、二流の芸人になることが良い教師の力量だと思っている現状において、なかなか理解されないでしょうね。
そして、最近は学校全体の『学び合い』における教師集団の研究等をやっています。しかし、これは学校全体の『学び合い』を経験したことの無い人にはちんぷんかんぷんでしょう。そして、その集団を保護者集団に広げ、地域コミュニティに広げる研究をしています。さらにちんぷんかんぷんでしょうね。その他、山ほど面白い研究があります。
結局、上記の研究を広げるには、その前提となるものが広がらなければならないのです。
■ [嬉しい]新年会

昨日のゼミの新年会・学部2年生歓迎会には地元の『学び合い』実践者の方も参加していただきました。また、ゼミ生(私では無いですよ)との顔つなぎのために教育同人社の方がお二人、東京から来られました。ゼミ生と飲み会をするために二人を400km遠方に出張させる凄い会社もあるんだなと思いました。あまりにもったいないと思ったので、私とのディスカッションの時間を設けようと思ったのですが、その方々とゼミ生との間で話し合いがあって(つまり私は蚊帳の外)、私との話し合いは飲み会の時にちょこちょこっとやれば良いのでは無いか、との結論が私以外の当事者の間で合意されたようです。あはははは。お二人はゼミ生のように輪の中に入っています。『学び合い』の仲間の飲み会はいつでもそうですね。だって、多様な人と折り合いを付けて自らの課題を解決すること、が重要であると思っている人なのですから。
会は私の乾杯の音頭(30秒程度)で始まり、あとはゴチャゴチャです。私の目の前にいた新ゼミ生の学部2年の子に「ビックリした?」と聞いたら頷いていました。彼曰く、自己紹介をしなければならないかと思って用意していたようなのですが、まったくスルーしたので拍子抜けしたのです。
かなり以前に我々が明らかにしたことです。子ども達に自由にすると話のジャンルによって集団のサイズが変わります。会話は二人が基本です。当たり前ですよね。でも、多くの授業は一人の子どもが全体の前で話させて、それが会話の練習だと思っているようですが・・・・・。
何かをつくる、決めるというのは4人ぐらいの集団がつくられます。社会科で『学び合い』を始めた当初は、集まれば良いんだということで8人以上の子どもが机を並べて勉強することがあります。社会科での『学び合い』では、最初は言葉の確認という作業をします。8人以上の集団ではその確認が非効率になります。結果として、ほっておくと4人ぐらいの集団に落ち着きます。
そして、全体の合意を形成するというときにのみ、全員が集まって集団がつくられます。職員会議でも、細かいことを延々と話す先生っていますよね。そういうときってどう思います?「そんなこと、係で話し合って整理して会議に出せよ」と思うでしょ。あれです。
一般の懇親会では、様々な仕掛けがなされています。挨拶、乾杯、締めの挨拶。自己紹介、ゲーム、席替えタイム等々があります。それらは、よりよい懇親会をするためにある仕掛けです。しかし、必ずしもうまく機能していない場合があります。
延々と続く挨拶は、会話の時間を奪います。それは自己紹介やゲームもそうです。ちょうど話が盛り上がってきたときに、席替えタイムがある場合があります。何故でしょう?それは、一人一人のその時のニーズが異なっているのに、一律の良い方法を課すからです。それは『学び合い』的な発想では無い。
『学び合い』的に考えれば、方法を強いるのでは無く、目的を共有することです。懇親会の目的は多様な人と折り合いを付けて自らの課題を解決することです。その意味を共有したならば、方法は邪魔です。一人一人が判断します。その状態がゴチャゴチャという状態です。
水の分子はランダムに動いており、無数の水分子の一つ一つの動きを予想し、コントロールすることは不可能です。しかし、それをコントロールしようとして凍らすという方法をとることも出来るでしょう。しかし、一件ランダムな動きに見えたとしても水分子は熱力学の法則に従っています。一定の場を与えれば、自ずとコントロールできます。容器を与えれば、液体も気体もその形になります。重力や電場を与えれば液体も気体もそれにそった動きをします。
懇親会における、その容器、その場は、「多様な人と折り合いを付けて自らの課題を解決すること」というそもそもの目的です。あとは一人一人が集団力学の法則に従って動きます。
13/01/16(水)
■ [大事なこと]富

かなり前から「富」というものを考えています。なぜなら、それが分かるともっと子ども達に『学び合い』の意味が分かりやすくなる。今のとこと、『学び合い』を子どもに説明する中心は学校観です。つまり、多様な人と折り合いをつけることが人間の最高の能力であると説明しています。では、その能力を使って何を得るべきなのか、それをハッキリさせたいと思っています。今のところは、現状の「富」を前提にして受験や仕事での出世などで説明しています。しかし、私が知りたいのは彼らが住む社会における富なのです。
本当の富、それを本気で考え始めたのは「断絶の航海」というSFを読んだ頃からですから30年前です。それまでにも貨幣は富では無く、それを象徴するものであるということは知っていました。しかし、貨幣は富と等価で交換するのですから、富とは別なものであるという言葉は、私には言葉遊びに過ぎないと感じました。
『学び合い』を研究し始めて経営学に興味を持ちドラッカーを読み始めました。そして、トフラーの「富の未来」を読みました。結果として「断絶の航海」で必要としているSF的な技術は基本的にいらないということが分かりました。つまり、マンズローの外的欲求が満たされた後であれば「断絶の航海」レベルの社会が出来ると言うことです。少なくとも現代の日本は「生理的欲求」、「安全欲求」が満たされています。そして、『学び合い』が地域コミュニティーを再生するようになれば、生涯にわたって集団に属することが出来「社会的欲求」を満たすことが出来ます。
私が考えているのは、そのような社会における「富」とは何かと言うことです。これについてはドラッカーもトフラーも明確には示していません。彼らに分からないことを私ごときが分かるとは思えないのですが、考えています。
「断絶の航海」においては「尊敬」だと書いています。マンズローも「尊厳欲求」だと書いています。しかし、『学び合い』における子どもの様子を見ていると、それは容易く満たされるように思うのです。たしかにノーベル賞の受賞者が受ける尊敬を「尊敬」だと考えるならば全ての人が教授し得ない「尊敬」です。それは「ノーベル賞」がことさら凄いことだと価値付けされているから生じることです。それは炭素の結晶にすぎないダイヤモンドに価値を与えているのと同じぐらい馬鹿馬鹿しいことです。またブドウ汁を発酵させた葡萄酒に数十万の値をつけたり、バイオリンに数億つけたりするのと同じです。その価値を分かる人にとっては価値あることですが、世界中の人の中でその価値が分かる人がどれほどいるでしょうか?その人達だけの「富」であるならば、とてもそのような値段になるわけありません。分かりもしない人にも「富」だと思わせることによって生じる価値です。さて、そのような馬鹿馬鹿しいことが無くなれば、全ての人はその人に合った「尊厳欲求」を満たすことが出来るように思います。またその先の「自己実現欲求」も同じ理屈で実現可能です。ようは、自分なりの「富」が確立することが大事なのだと思います。
と、ここまで書いてきて、自分なりの整理が出来ました。つまり、『学び合い』の社会が成立することによって、他者の「安全欲求」、「生理的欲求」を満たす集団に所属することによって「社会的欲求」を満たし、それによって「尊厳欲求」を満たす。その上で、自分なりの「富」を満たすことによって「自己実現欲求」満たそうとする。というものです。
我々はどんな自分の「富」をもっているでしょうか?考えると面白いですよ。高価な宝石を持っていることを知っているのは自分一人で、それを付けて外出しなくて満足できる宝石はあるでしょうか?それは服装もバックもそうです。それは本当の「富」ではありません。「尊厳欲求」や「社会的欲求」を満たすための模造品に過ぎません。
食べ物も同じです。ホテルで出されるごちそうは美味しいですが、3日も続けば食傷気味になります。酒だって、利き酒大会をすれば、蘊蓄と実際の乖離は明白です。私は本当に美味しいものは高くは無い、というものが持論です。何故なら、本当に美味しくて、毎日食べたいと思うようなものだったら、人類は量産するでしょう。そして、価格は手ごろなものになると思います(少なくとも現代の日本では)。
そう、自分なりの「富」の創出。それが「富の未来」のように思うのです。
■ [大事なこと]老後

私も53です。老後を考えます。私の本当に好きなのは何かということを考えます。第一は、家族といることです。それが無いと体を壊して死ぬでしょう。
さて、それを満たした後は何かなと考えます。私は今までに3度、徹底的に自分の欲求を制限したときがあります。それは大学入試、大学院、そして息子の子育ての時です。その時は色々なものを制限しました。そして大学入試や大学院では極限まで頭を使いましたので、頭は疲れていました。その時の状態は老後の状態に合っているように思います。
そこから想像すると、以下のようなものです。
家内から言われた仕事は率先してします。それ以外は掘りごたつに座っています。そして、好きなSFや星新一のショートショートを読みながらお茶を飲みます。たまにレンタルビデオを借りて映画を見ます。外出は、家内の買い物につきあうぐらい。基本的に家から10km以上には出ません。毎日2時間程度、本を書いたりブログを更新したりします。週に2日ぐらい、午前中だけの講義をします。そして、年に10回程度の講演をします。講演には家内同伴で、夫婦旅行と兼用します。そして月に1度ぐらいの地域の催し物に参加します。
というようなものです。
『学び合い』が進行すれば、地域コミュニティーの繋がりが出来るので、私より素晴らしい老後が生じるはずです。(残念ながら私は「非」『学び合い』人間なので、そこには参加しないだろうと思います。)きっと、全ての人が二十代後半ぐらいから上記のような生活が出来るようになるのがパラダイスなのだと思います。
13/01/14(月)
■ [大事なこと]あともう少し

『学び合い』の仲間にはTOSSでがんばった人は少なくありません。その一人から朝一番に「すでにご存じかもしれませんが、TOSS2月号は、学び合い批判特集らしいです。私もまだ見ていませんが。ついに、向山先生に、批判されるほどになったのですね。とりあえず、本屋で探してみようと思います。」とのメールが来ました。
実践界の巨星である向山先生にコメントをいただけることは地方大学の中堅教授としては望外のことです。いさんで本屋に行きました。しかし、残念ながら向山先生のコメントは佐藤学先生に向けてのコメントでした。そして、そこで書かれていることの大部分は、おそらく「学びの共同体」に向けてのようです。お一方だけ、『学び合い』スタートブックを引用されてコメントされておられました。しかし、『学び合い』が「学びの共同体」と同じだと思っているようです。
一つだけ確かなことがあります。『学び合い』の生を見た方はおられないと言うことです。『学び合い』の生を見た方だったらおわかりだと思いますが、見た目から「学びの共同体」と全く違います。両者を一緒の範疇にまとめることは無いと思います。
誤解せよ、TOSSの方々の視界に『学び合い』が入っていただいたと言うことはありがたい次第です。そして、『学び合い』スタートブックを読者の多い雑誌で取り上げて頂いたこと、宣伝効果抜群です。ありがたい次第です。以前、『学び合い』批判を継続的に行っていた方がおられましたが、そのおかげで『学び合い』にたどり着いた方は少なくありません。それと同じです。私からも、是非、教室ツーウェイ2月号をご覧になることをお勧めいたします。
そのうちに、『学び合い』(二重括弧の学び合い)にコメントをいただける時期も来るのではないかと思います。ただ「学びの共同体」であのコメントなのですから、『学び合い』は意味不明すぎてコメントが出来にくいのではないかと危惧します。
追伸 以前のコメントに書いたとおり、私はTOSSを高く評価しています。現在の学校は職員室での教育力を極端に低下させました。その中で法則化運動やTOSSが潰れそうになった若手教師に手をさしのべたのです。TOSSを批判される方もいますが、その方が若手にどれだけ手をさしのべたかを自問すべきです。もし、手近な若手に手をさしのべていたならば、その人は校外にそれほど学ぶ必要性はなくなるはずです。なお、TOSSの狙っていることと、『学び合い』で狙っていることは違った次元なので暖かく見ております。
13/01/13(日)

3月23日に東海フェスタが名古屋市で開かれます。http://goo.gl/UgSbk
24日に名古屋市で名古屋・愛知の会が開かれます。http://goo.gl/ljTJH
ということで両日は名古屋です。
toyohashi-start名古屋に2日間も来られるのですね!!
昨年、フェスタの方に参加しました☆
どちらか一つは先生にも会いに行きたいと思います♪
とても楽しみです。
jun24kawaまっていま~す
13/01/12(土)
makiwarisan昨日はありがとうございました。お話ができて本当に感激です。先生の志の高さに強く心を動かされました。ますます前進できそうです。
jun24kawaフルスロットルでばく進しましょう。
13/01/10(木)
■ [大事なこと]教師の役割

『学び合い』では教師は何もしないという誤解があります。とんでもないことです。『学び合い』を分からない人には何もしていないように見えると思いますが、そのようなところが重要さを分かっていない様々なことをしています。でも、見えないのですよね。
でも、その先があります。『学び合い』の教師の本当の仕事は授業外の時間にあります。クラスに『学び合い』の文化が根付けば、授業レベルのことは子ども集団で自律的にやれますから。
しかし、クラスが成熟しても子ども達には出来ないことがあります。それは予算の獲得、対外的な大人の組織との調整等があります。
我がゼミでは見事に授業レベルのことはゼミ生達がやります。では私は何をするか、それは彼らが思いもつかない彼らのためになる子とを実現することを絶えず考え、それを実現するために色々なことをしています。それは3ヶ月後に実現することもあり、半年後に実現することもあり、数年後に実現することもあります。ゼミ生とは全く別次元のことを考えられる、それが『学び合い』における教師であり、管理職です。
それは子ども達が学ぶこと指導法という同次元の高低の問題では無く、別次元であるべきなのです。
追伸 そのことでイライラが募ると、ゼミ生のところに行って、ものすごく馬鹿馬鹿しいことを連発してストレスを発散しています。ふぉふぉふぉ
13/01/09(水)
■ [大事なこと]義務

「壁を越えられないときに教えてくれる一流の人のすごい考え方」を読みました。読みやすかったので、30分ほどで読み終わりました。その中で一番気に入ったエピソードです。
マザー・テレサが「世界の人々を幸せにするために、我々はいったい何をすれば良いのでしょうか?」と言われて応えた言葉です。それは「まず、あなたが家に帰って家族を幸せにしてあげて下さい」です。
テレサと比すのはおこがましいですが、結婚式で祝辞を頼まれたときに必ず言う言葉は「幸せになりなさい」です。人として他人の幸せを喜び願えないのは不幸です。しかし、自分が不幸であると、他人の幸せを喜び願えなくなります。だから、幸せにならなければならないのです。と言います。
日本の教師は「○○すべきだ」、「○○するのは当然だ」と周りから言われ続けています。そして、教師同士もそのように求め合い、自分に強います。しかし、家族そろって食事が出来る時間に出勤し、帰宅するべきなのです。休日は家族と過ごすべきなのです。それは義務だと思います。だから勤務時間外の休日の定常的な部活指導はしてはいけないと思っています。
そして、それは教え子にも良い影響があります。子どもにとって身近な大人の代表は教師です。家庭人の姿を伝えるのは教師の仕事なのです。
我々はそれを主張しましょう。そしてそれを主張できるような結果を出しましょう。とりあえず、そう言える人は、言いましょう。それが年長者の勤めであると思います。
■ [お誘い]保原小学校

福島県伊達市の保原小学校は震災の影響で校舎が使えなくなり、学年別に他の学校に間借りして授業を再開しました。しかし、震災が様々な面に影響しました。それを乗り越えるために『学び合い』を学校として取り組みました。2月8日に研究会があります。http://goo.gl/JLBf1
13/01/07(月)
■ [お誘い]1月11日

急遽ですが、北見さんのお誘いもあり、1月11日は神奈川の会に参加することにしました。http://goo.gl/1Gxej
■ [大事なこと]学級崩壊

思い出話です。我が父は空手、柔道、弓道等の武術が趣味で、空手ではかなりの高段者でした。小さい頃はバリバリのスパルタ教育です。ところが、中学校入学したら「純、これからは叩いて叱らない」と宣言しました。叱られると叩かれるというパブロフの条件付けが成されているので、言われたときはポカンとしました。
息子を育てると父の気持ちが分かります。小学校低学年あたりは、体で覚えさせた部分が多いように思います。しかし、中学年から徐々に説明の度合いが多くなりました。そして、高学年になってからはよほどのことが無ければ手は出ません。理由は納得させる方が有効だからです。そして手を出せば出すほど、納得させることが困難になるからです。これって子育てをした人だったら感覚で分かると思います。
学校現場では、高学年を担任する度に学級崩壊する小学校の先生がいます。人としては悪い人ではありません。むしろ、教育熱心な方です。そのような先生の中で、比較的多いのは低学年の担任が多い方のように思います。
おそらく低学年での指導の仕方を、そのまま高学年に適用してしまうことが原因に思うのです。高学年では納得させねばなりません。まどろっこしくてもです。そうでなければ子ども達は動きます。悪くすると反抗します。クラスの中で頭の良い子がいると、組織的に反抗します。それが学級崩壊です。
納得させる。これは「平和で民主的な国家及び社会の形成者」を育成するためには、絶対条件です。
教科学習だって同じです。とにかく一方的に説明し、板書し、それを写させることが「平和で民主的な国家及び社会の形成者」に繋がるとは思えません。どうして民主国家である日本では、啓蒙的絶対君主によってクラスが支配されているのでしょうか?それを合理化する論理は、欧米人がアフリカに入った当初の理屈と全く同じです。
13/01/05(土)
■ [お誘い]冬のツアー

冬の出張の一覧です。東京、神戸、福島、名古屋のお近くの方にお誘いします。
1月11日 前泊で神奈川の会に参加することにしました。http://goo.gl/1Gxej
1月12日 臨床教科教育学会(東京海洋大学)。学会長として話します。
1月23日 前泊で、神戸で飲みます。『学び合い』の仲間が多いです。ご希望者は私に連絡下さい。
1月24日 兵庫県西宮市立山口小学校の研修会に参加します。
1月25日 西宮市立西宮浜小学校の研究発表会に参加します。児童向けの話と教育関係者向けの2種類の講演をします。http://goo.gl/gjY6v
2月2日 『学び合い』群馬の会が高崎であります。『学び合い』の会として最も早く開かれた会の一つです。この会の「売り」の一つが、子どもや保護者の発表があると言うことだと思います。面白いですよ~。私も講演しますが、子どもや保護者には負けます。http://goo.gl/hA37B
2月7日 福島県伊達市保原小学校での研修会に参加します。夜は福島市で『学び合い』の仲間と飲みます。参加希望者はg5o0t9o9さんに連絡して下さい。http://goo.gl/IxnG6
2月8日 保原小学校の研究発表会に参加します。講演します。なお、この日の午前中はあいていますので、私と話したい人どうぞ。
3月23日 東海教育フェスタに参加します。講演します。http://6thtokaifes.jimdo.com/
13/01/04(金)
■ [お願い]携帯メール

親指でピコピコと携帯電話を打てる人を見ていると異星人のように思えます。私には出来ません。ということで私の連絡手段はコンピュータの電子メールなのです。その私に携帯メールで連絡をする方は少なくないのです。ところが困ったことが起こります。携帯電話はスパムメールを拒否するために、コンピューターメールを一律に拒否する設定をディフォルトになっていることが少なくないのです。このような方からのメールは受けることが出来ますが、私からの返信を送ることは出来ません。
もし、私に携帯メールで連絡する場合は、以上のことをご注意下さいね。
■ [大事なこと]結果が全て

『学び合い』を「教師が何もやっていない、手抜きの授業だ」等の誤解があり、攻撃があります。日本の教育の不易の部分を守っている先生方の当然の反応です。どうしたらいいか、結果を出すしかありません。
私の研究室運営は完全無欠の『学び合い』です。結果として、平均的な大学教師だったら自分で書くべきところを学生さんたちが書いています。あまり詳しく書くと差し障りがあるので控えますが、例えで言えば、要録や通信簿や県に出す書類を子ども達が書いているということだとお考え下さい。おそらく多くの同志はドン引きになっていると思います。が、西川ゼミではそれが普通になっているのです。(もちろん、最終的な責任は私が取ることを覚悟してですよ)
このことは身近な同僚には暗黙の内に知られていますし、事務の人も知っています。事務の人が「?」とビックリしても、学生が自分たちが西川ゼミの学生だと言うと、「あ、西川先生のところね」で納得してもらっています。
では、何故出来るか。それは、ありとあらゆる方面で抜群の実績を上げ続けているからです。それは学術でも実践でも、教育でも研究でもです。そして、それができるのは、結果を出す必要性を学生達にちゃんと説明しているからです。
一定以上の高校だったら結果とは受験成績です。それで結果を出せば、それに文句を言える人はいません。がんがんに結果を出しましょう。
もちろん、結果を出すまでは身を隠しコソコソしましょう。でも、結果を出し始めてもしばらくはコソコソしましょ。徐々に本性を出しましょう。
■ [大事なこと]したたか

私は苦労されている同志の方へ、「したたかに」という言葉を書きます。その意味を書きたいと思います。
ある若い人がいます。学生時代から『学び合い』に興味を持った人です。ある県の学校に採用されました。久しぶりにスカイプ(インターネットのテレビ電話)で繋がって話しました。馬鹿話をしばらくして、「『学び合い』やっている?」と聞きました。新規採用者ですので、「先生、何言っているんですか。出来るわけ無いでしょ」という反応が来るだろうと思っていました。と、こ、ろ、が、フルの『学び合い』を普通にやっているそうです。腰を抜かしました。私が「へ?管理職は何って言っているの?」と聞きました。その人は「管理職は『学び合い』をしていることに気づいていません」との返答です。これまた腰を抜かしました。何故?と聞いてみて納得しました。
その人は、従来指導型で授業をしたら書くであろう板書を書くのです。子ども達には「これを気にせずやって。先生が書きたいから書いているんだ」と言っているそうです。子ども達は板書を気にせず学び合います。
さて、廊下を通る管理職にはどう見えるでしょうか?子ども達は立ち歩いて相談しています。しかし、黒板にはしっかりと板書が成されているのです。そのため、従来指導型の授業をしっかりして、今は「たまたま」子ども達が相談してもよい時間なんだ、と解釈します。
私は「あんたは偉い。狸だね~。でも、誰も読まない板書を書くのはむなしくない?」と聞きました。その人は「それを書けば『学び合い』を出来るのですから、お安いご用ですよ」と事も無げに言いました。なお、もちろんしっかり見られる場面では、しっかりとした従来指導をやります。
私の言う「したたか」とはこのレベルのことを言います。
後に学長になった方から聞いた話です。「西川、偉くなる人の特徴はなんだか分かるか?偉くなる人は人の話をしっかりと聞くんだ。そして、それを無視するんだ」とのことです。これまた「したたか」の意味するものです。
全国の同志へ。したたかになりましょう。
■ [大事なこと]ホールプロダクト

今までにもホールプロダクトという言葉を何度も使いました。ちょっと説明します。
世の中には買えば直ぐにその良さを実感できるものというものがあります。例えばお菓子などが代表的です。お菓子は買って食べればその美味しさが分かります。しかし、買ってもその良さを直ぐにも実感できないものがあります。IT関係の製品が代表的です。その製品がいかに優秀であっても、わかりやすい取扱説明書が無ければ利用する人は一部の人ばかりになってしまいます。例えばiPhoneだって書店に取扱説明書がふんだんにあふれるまでは買う人は少ないですよね。『学び合い』もそうです。
ホールプロダクトとは、製品を売れるようにするための補助製品、サービスの一群を指します。これには4つあります。『学び合い』を例にしましょう。
コアプロダクト:製品そのものです。つまり『学び合い』です。
期待プロダクト:購入者が最低限使いたいと思っていることを確実に保証するための補助製品、サービスです。iPhoneでいえば、電話をかけられる、メールを出来る、少数のアプリを使えるための取扱説明書がそれにあたります。『学び合い』で言えば、とりあえず人間関係が著しく向上し、それなりに成績が上がる(少なくとも下がらない)がそれにあたります。具体的な製品は『学び合い』ステップアップにあたります。今までも私のホームページ上には様々な情報をアップしていました。しかし、安心で確実に最低限の成果を保証するにはどうするか、というポイントがなかなか分かりませんでした。しかし、今ではステップアップで提案している「週に1度から」がポイントだと確信しています。
拡張プロダクト:購入者が買ったらこんなこと出来るだろうな、出来たら良いな、ということを実現できる補助製品、サービスです。iPhoneには様々なアプリがあることは多くの人は知っています。しかし、それを使い切っているのはごく少数です。『学び合い』で言えば、教師同士の『学び合い』であり、学校レベルの『学び合い』がそれにあたります。 ただし、学校長や研究主任レベルの人にとっては期待プロダクトになります。
長らくお待たせしましたが、今年の春には出版します。これが成功するためには、個人の『学び合い』と同様に「週に1度」です。それを学校レベルでやればいいのです。そのほかにも色々なノウハウがあります。例えば、「無理にやらせず、コアメンバーを3人つくる」、「『学び合い』をテーマとせず、一人も見捨てない、をテーマにする。そして、それをテストの最低点で評価する」等があります。
ムーアはIT製品のようなものがキャズムを乗り越え売れるためには、大量購入者を納得させることが必要だと言っています。何故なら、一人の購入者を納得させられれば、一括購入してくれるからです。だから、今年の春を楽しみにしているのです。
理想プロダクト:購入者が予想していないようなことを実現するための補助製品、サービスです。このレベルのプロダクトまで備えるのはごくごく希でだと思います。なぜなら、このレベルに達するには「文化」と言われるまでのレベルに達しなければなりません。最近で言えば、携帯電話がインターネットと合体したとき、また、テレビがコマーシャルというものを生み出したときに文化になる運命を得ました。
『学び合い』で言えば地域コミュニティの再生がそれにあたります。少なくとも上越では単発ですが、その端緒となる試みを行っています。これを文化にするためには前段階の拡張プロダクトによって学校レベルの『学び合い』が一定数を超える必要があるでしょう。私はあと数年と見ています。そうなったら理想プロダクトに取りかかろうと思います。
長々書きましたが、何を書きたいのか。全国には学校レベル、地域レベルで『学び合い』を取り入れたいと考えている同志がいます。私が直接お会いした方もおられますし、そうで無い方も多くいることを知っています。その方々へのメッセージです。
今年の春をお待ち下さい。
■ [大事なこと]広げる

たまに「私は『学び合い』を広げることをするつもりはありません」という人がいます。非常に残念に思います。私としては『学び合い』を広げなくても良いけど、「一人も見捨てない」を広げて欲しいと願います。結局、それがあなたの願っていることを確実にすることだからと分かって欲しいと願っています。
おそらく『学び合い』を授業方法だと思うから生じる誤解なのだと思います。『学び合い』の本体は「一人も見捨てない」です。それを今のところ実現するための方法論はあります。それは影に過ぎません。しかし、それを影ではなく本体と誤解されているのです。
つまり、「私は『学び合い』を広げることをするつもりはありません」という言葉は私にとって「私は「一人も見捨てない」ということを広げることをするつもりはありません」と言っているのと同じなのです。もちろん、「一人も見捨てない」ことを実現するのは『学び合い』ばかりでないという反論もあるでしょう。でも、これまた『学び合い』を授業方法と誤解しているから出る反論です。
もし、現状の影である方法より「一人も見捨てない」ことを確実にする方法があるならば、私は直ぐにそれを採用します。事実、過去の私の本や論文をお読みになれば、15年前の方法と現状が違うことが分かるはずです。いや、数年前の方法とも違います。ただ、『学び合い』では子ども集団の能力を高く評価するという子ども観が一貫しているので、見た目に見えるビックリするような姿に幻惑されて、それを実現している方法の激変が見えにくいのだと思います。
ニュートンの古典力学はF=mαに尽きます。それを3次元に拡張し、微分・積分すれば殆ど全ての公式が引き出されます。『学び合い』は「一人も見捨てない」という願いと、人の能力で一番強力なのは何かという学校観をクラスから学校へ、学校から社会に拡張し、微分・積分すればありとあらゆるところに適用できます。おそらく適用できないのは夫婦間と親子間だけぐらいでしょう。それが授業方法と誤解されるのは残念です。
しかし、しょうが無いでしょうね。いきなり考え方を理解せよと言われてもそれは無理。だから、ホールプロダクトを提供しているのです。しかし、ホールプロダクトに書かれているのは授業方法なのですから。
F-Katagiriありがとうございます。したたかにやります。人の話にいちいち反論しないことにします。
jun24kawa偉い、偉い、よしよし。
でもね。Kさんの場合は、目もそのように装わなければね。
あはははあ
13/01/03(木)
■ [大事なこと]みんな

ある確信があります。事務と教員が馬鹿話をすることがとても大事です。私が勤めた高校はそうでした。小さい定時制ですが、事務職、用務、給食、教員、参加率100%の飲み会を毎回していました。警備の人は残念ながら参加できませんでしたが、普段はいっしょでした。それが普通と思っていた初任でした。
■ [大事なこと]お願い

今後の社会改革の鍵は教師が握っていると信じています。科学技術の進歩でもなく、政治改革でもなく、経済改革でもありません。また学校制度の改革ですらありません。そんなのを待っていたら「百年河清をまつ」ことになります。
次世代の多感な十数年間を預かっているのは教師です。どんな学校制度であっても、どんな管理体制であっても、最後は教師が握っています。少なくとも現在の日本はそれが可能です。
今の日本で地域コミュニティが一致するミッションは何でしょうか?おそらく、我が子、我が孫の成長を願うということが最も一致するミッションです。学校がそのミッションを掲げたら、地域コミュニティが再生します。つまり、教師は地域の大人も握っているのです。
全国の『学び合い』の同志の方に願いたい。そのレベルで志を持って頂きたい。自分のクラスの子どもを救う授業方法と考えないで下さい。あなたの教え子の来年、卒業後、大人になったときに彼らの幸せを願って下さい。そのために何をすべきかを考えて頂きたい。
当然、自分のクラスにとどまらず、自分の学校、自分の地域に視点が行くはずです。そうなれば授業論にはとどまりません。学校観や子ども観を拡大して適用しなければならないはずです。
もう一つ、悪しき選民主義に陥らないで下さい。自らの考えが正しいと信じることは良いことです。しかし、いらざる軋轢は避けましょう。したたかにやりましょう。自分の考えとは違う人であっても、人としては信じましょう。そして、考えの違うところをギリギリまで戦わせず、折り合いをつけられるところで折り合って下さい。玉砕は気持ちいいかも知れませんが、我が儘すぎます。(これは私自身が一番自戒すべきことです)
全ての人が、自分と同じようになる必要はありません。集団に多様性が無くなれば必ず死に至ります。最高の『学び合い』のクラスを創ったとしても、本当に『学び合い』を理解し、全力を注いでいるのはごく一部です。それでいいのです。寛容になりましょう。
13/01/02(水)
■ [大事なこと]予算がかからない負担感解消

一昔前だったら、教員を多く配置し少人数指導をすれば教師の負担感も解消され良い授業が出来るという素人的な発想が多かったように思います。そんなことで解決できないことは日本中にある僻地小規模校の教師だったらよく分かることです。幸か不幸かフロンティアスクールで少人数加配が実施されて、それが無意味であることは多くの教師が実感しました。加配よって30人のクラスが20人ぐらいに再編成されることぐらいが限界です。そうなってもやらなければならない仕事量は殆ど変わりません。むしろ、加配に関わる教師間の調整の手間がかかります。また、能力別のクラス再編をした学校では、子ども達に勝ち組、負け組のレッテルが貼られることになります。クラスの名前を「じっくりコース」と「ぐんぐんコース」としても、子ども達にはばれています。その結果、教員の加配をして少人数指導すれば良いんだ、という考え方は影を潜めました。
おそらく、今の教員の数を3倍にするぐらいすれば大きな変化があるでしょう。しかし現在の教員の数は100万人です。それを3倍にするには200万人の増員です。年収700万円として、14兆円かかります。無理に決まっています。
では、どうするかです。
私の提案です。第一は、小学校を教科担任制にすることです。小学校は学級担任制です。そのため、一人の子どもの問題を一人の教師が抱えることになりがちです。おおむね各クラスは3人の先生が担当するようにするのです。低学年、中学年、高学年の3クラスで構成されている小規模小学校もあります。その場合は3人の担任が全学年を担当するのです。これによって小学校でも中学校の学年団のような組織が機能します。現在、心の病で休職している教師の中で一番多いのは小学校の教師です。
第二は、規制緩和です。現在、加配されている人員には色々な制約があります。例えば、特別支援のための加配は特別支援のためにしか使えません。少人数加配は少人数指導にしか使えません。そして、教育委員会は各種の記録でチェックします。それをやめるのです。つまり、積算根拠は特別支援や少人数指導であったとしても、その使い道は校長の裁量とするのです。
小さな学校であろうと、大きな学校であろうと、基本的な書類や出張の数は同じです。結果として、小さな学校の先生は膨大な書類の山や出張に忙殺されています。それをこなすための事務処理担当の人を雇うというのもありだと思うのです。
第三は中学校区単位での事務センター機能です。学校の書類の中には、日付を変えて、定型的な情報(校長名、児童・生徒数、住所等)を入れればほぼ完成という書類は少なくありません。中学校の事務組織を充実させ、その手の書類を一括して作成します。各学校・各教員に絶対チェックして欲しい部分は赤字にします。それを各学校、各教員にチェックしてもらうのです。
第四はアウトソーシングです。学校内の遊具の安全チェックは、中学校区(もしくは複数の中学校区)で一括して業者にアウトソーシングします。教員がやるより専門の人にやってもらった方が確実だし、安価な場合は少なくありません。
以上はおそらく学校長の能力に関わらず、教育委員会の指導によって一定以上の成果が上がるものだと思います。
しかし、その先があります。
第五は地域との連携です。中学校、高校の教師は明らかに労働基準法に違反している労働を強いられています。それは部活指導です。私は教員養成系大学に勤務しています。学生から小学校と中学校のどちらの教師になるべきかを聞かれたとき、「部活指導をしたいならば中学校、そうでないなら小学校」と言います。そして、部活指導をしたいという学生には、結婚してからの生活をゆっくりと話します。
学校の部活は社会体育と連携すべきです。既に一部の地域で実現していますが、月曜日から金曜日までは学校の野球部が、土日は社会体育の野球部になるのです。教師は教師である以上に、良き夫、良き妻、良き親であるべきだと私は確信しています。教え子を救うために、自分の子どもを犠牲にするのは美談ではありません。
現在、子どもに関することは何から何まで学校の責任になってしまいます。学校内で起こったことは当然です。しかし、生徒が商店街で悪さをすると学校に連絡が行き、教師が謝りに行くのはおかしい。学校外でのことは地域で解決できるコミュニティーを作るべきだと思います。地域との連携には無限の可能性があります。ドラッカーは非営利組織の成否はどれだけボランティアを獲得できるかであると看破しています。
そして第六は、『学び合い』です。『学び合い』をご存じの方はこの意味が分かるでしょうし、ご存じでない方は短い説明では分からないと思いますので割愛します。
13/01/01(火)
■ [大事なこと]忙しさの原因

私が高校教師だった二十数年前は、学校には余裕がありました。放課後に子どもと遊ぶ先生もいました。教務室にいけば雑談をしている教師がいました。夏休みには、ゆったりと教材準備をしている先生がいました。ところが今は違います。
多くの人は、教師は、夏休みは暇だろうと思っています。実際は全く違います。毎日、毎日、研修が連続して組まれ、年度によっては授業のある期間より忙しいのが実情です。
今は、放課後に子どもと対応している時間もありません。教員の労働を調査した報告書 によれば平均的な教員の姿は以下の通りです。
『起床時間は5時48分。家を出るのは7時11分、通勤時間は25分で、7時36分には学校につく。教員は職員室に行き身支度を調えた後、授業準備、書類の整理、部活指導、校門指導などによりかかる。実際の仕事開始である。子どもが教室にそろった8時18分から朝礼、朝の会、朝学習・読書の指導をする。1時間目の授業は8時40分くらいからになる。時間割上の授業が終わった後での清掃指導や帰りの会などが終了する時間が16時03分。その後、教員はクラブや部活の指導、採点や成績つけ、書類作成などの仕事をこなす。学校を出るのはその3時間後の19時26分である。その間に休息をとっているのはたったの20分である。帰宅に要する時間は朝より長くて30分だから自宅には19時32分着で、就寝までの帰宅後の時間は3時間53分、就寝時刻は23時25分となっている。睡眠時間は7時間に満たずに6時間23分である。』
いかがでしょうか?これが学校の先生の実情です。最近、もてはやされているフィンランドの教員の労働時間は6時間16分(日本11時間6分)で睡眠時間は7時間42分(日本6時間23分)です。私が知っている人の経験談に、笑えない話があります。上記の状態を問題にした労働基準局が学校に申し入れをしたそうです 。しかし、労働基準局の申し入れた労働時間では学校の仕事が終わりません。そこで、教務主任が学校近くの喫茶店で仕事や会議をすることを提案し、そうなったとのことです。
日本の教員は何故こんなに忙しいのでしょうか?先の調査によれば、書類作成に大きな差があることを指摘しています。例えば、フィンランドでは月当たりの書類作成は5.7なのに対して、日本のそれは22.8と極端に多い状態です。例えば日本の場合、O157の事件があると、行政はそれに対応したマニュアルを作らなければなりません。一人一人の教師は、そのマニュアルに沿った膨大なチェックリストを書かなければならなりません。例えば、マスクを忘れた子どもがいたかどうかというチェック項目があります。もし、マスクを忘れた子どもがいた場合、その子に対してどのような指導をしたかを詳細に書く欄があります。それが毎日続くのです。
研究機関の薬品が盗まれ事件が起こると、学校における薬品管理が厳しくなります。今までは、オープンな棚で大ざっぱな量の管理にとどまっていたのが、厳重な薬品庫にしまわれ鍵で管理をするようになります。数量計算は厳密で、毎回の実験ごとに使った薬品の量を記録しなければなりません 。
遊具で事故が起こると、遊具確認が徹底的に行われるようになります。今までは、係の教師が一人でチェックしていたが、複数の先生がチェックを厳重に行うようになります。例えば、ロープには複数の先生がぶら下がり、鉄棒は様々な技を教師がチェックするようになります。そして、それに関する書類を作成します。
以上は、ほんの一例に過ぎません。実際は上記の数十、数百倍の書類の山に埋もれています。現在の教師は教育職ではなく事務職になっているのです。
これらの書類書きは、以下のような過程で生まれ、蓄積しているのです。まず、教育に関して何らかの事件が起こったとします。国会の議会答弁に対応するため、直ちに、文部科学省が調査を実施します。それは県に、市町村におろされ、最終的に各学校でその調査が実施されます。このようなことは国レベルのみならず、県、そして市町村レベルの議会で議論されます。それに伴って、県、市町村の教育委員会が独自に調査を行います。結果として、何か問題が起こる度に、国、県、市町村からの、ほぼ同じ調査が各学校で行われることになります。
その次には、「これこれの対策を講じました」と目に見える形で議会に報告しなければなりません。具体的には、誰からも文句が出ないような厳重なマニュアルを作成することとなります。そして、一度、そのようなマニュアルを作れば、それはそれ以降毎年実施されることになります。なぜなら、「もう必要はない」という説得力のある説明は困難であるからです。そのような調査・マニュアルに対応した書類が学校現場には山のようにあります。それは、それで意味があるでしょう。たしかに厳重にチェックすれば事故は防げます。しかし、どんな教師であっても1日は24時間で、家に帰れば守るべき人がいる家庭人である教師が多い。その有限の時間を上記のような書類書きやチェックに費やせば、今まで費やしていた部分(即ち子どもと接する時間など)を割愛せざるを得ません。問題は、「それに値する書類であるのか?」です。
そして、それらの各種調査は最終的には冊子としてまとめられます。文部科学省、県、市町村でそれぞれまとめられた冊子が学校には山のようにあります。それらの冊子には、教育事務所の指導主事が時間を費やしまとめた表やグラフがふんだんにあります。役所の文章なのですから、踏み込んだ分析はできません、結果として、それらの分析の最後には、分析する前から明かな考察がつけられています。そのため、学校の誰も読まずに、どこかの書庫に保管されます。それらの冊子の印刷のために、数百万円単位のお金が使われています。それらの予算は、校舎の修繕や教材の購入に使えたかも知れないお金なのです。
■ [大事なこと]時代が近づいている

教育の世界にコーチングやファシリテーションという言葉が入ってきたのはそれほど昔ではありません。そして最近はマネージメントという言葉が入ってきています。しかし、マネージメントにも2種類あります。それは、部下が5人程度で自分も部下と一緒になって仕事をするマネージメントがあります。これは会社で言えば、主任や係長レベルのマネージメントです。しかし、部下が数十人以上になれば、管理者は部下と一緒の仕事をするわけにはいきません。マネージメントに専念しなければなりません。会社で言えば部長以上の管理職がこれにあたります。この二つは同じ管理職でありながら別個の能力を求められているのです。今、教育に出始めたマネージメントは主任や係長レベルのマネージメントです。やがて部長以上のマネージメントの重要性に気づくはずです。それが『学び合い』ですから。
■ [大事なこと]校長・教頭

学校管理職の養成を本格的にすべきだと思っています。そのために第一にやらねばならないのは、校長に必要な資質は何かということです。私は校長の本当の仕事は何かと言えば、組織の基本方針を明確に定め、評価することであり、集団のモラリティを維持・向上することだと思っています。そして、それに特化すべきです。
ご存じの通り、教頭試験では教育法規に関わる試験が中心となります。しかし、そんなのは校長が必ずしも知るべきこととは思いません。校長に必要な資質はコンプライアンスの意味を理解し、部下にそれを語れる能力だと思います。
私は学校に少人数加配をするぐらいだったら事務組織を充実すべきだと思っています。小さな学校でも事務職を相当程度置き、しっかりした事務局長を置くべきだと思います。事務職の人は現在、教員が書いている書類を書くのです。例えば、指導要録も基本的な文章は担任が書きますが、問題が起こらないような表現に直すのは事務職の方がやります。学校遊具の安全確認、薬品管理などは事務職の方がやります。そして事務局長になるには、現在、教頭試験で問われている教育法規を問うのです。私は教頭を廃止しても、しっかりした事務組織を作るべきだと思います。その方が、教員の加配をして少人数にするより、教員の負担感は少なくなり、余裕のある指導が出来るはずです。
では、校長は何をするべきか、その手がかりになるのはMBAのカリキュラムです。マーケティング論、組織論、リーダーシップ論、オペレーショナルマネージメント論等があります。現在、学校管理職ではここが弱いように思います。企業経営学の父と言われるドラッカーは、学校の経営は企業経営より難しいと言っています。ところが、その難しい学校経営を、企業経営のノウハウも使わずにやるなんてどだい無理なことです。
と言いつつ・・・自分は・・・愚かな自分を許してあげるのって,意外と難しいです。・・・よし,自分にも感謝。