西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
ツイッター http://twitter.com/jun24kawa
『学び合い』メールマガジン参加者募集中!(無料)http://www.mag2.com/m/0000270912.html
『学び合い』マップ募集中!(無料)http://manabiai.g.hatena.ne.jp/kokohagw/
授業公開の仲介のガイドライン http://dl.dropbox.com/u/352241/manabiai-data/koukai.pdf
だめで元々で、とりあえずドロップボックス(http://db.tt/bMZAZwx)とjimdo(http://jp.jimdo.com/)の無料アカウントを登録してみてはいかがでしょうか?実に簡単ですから。

本格的にトライする人も多くいると思います。その際、人とのつながりが大事です。身近にいる人と繋がれるとありがたいですよね。『学び合い』を実践される方は、『学び合い』マップ(https://www.google.com/maps/d/edit?mid=zDInXkSSxyO4.kNDji5uDNm0Y)に、是非、登録下さい。登録は、『学び合い』マップ登録フォーム(http://form1.fc2.com/form/?id=77081b4d4f40dd2f)から出来ます。  「私なんて、人になんか教えられるレベルに行っていない」と思う方へ。だからいいんですよ。一番知っている人が、一番の教え手ではないことは『学び合い』を実践しているならば、子どもを見れば分かるでしょ。それに、教える必要はないのです。共に学び合えばいいのです。いや、愚痴を言ったり、笑ったりする、それでいいのです。  是非、一人でも多くの人がマップに登録下さい。強く、強く、お誘いします。

12/11/30(金)

[]授業公開 20:13 授業公開 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 授業公開 - 西川純のメモ 授業公開 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は圧巻の『学び合い』学校の公開がありました。あらゆる面で大満足です。

12/11/29(木)

[]仕上がり 06:57 仕上がり - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 仕上がり - 西川純のメモ 仕上がり - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日は新潟市で『学び合い』で学校作りをしている学校に参観に行きました。素晴らしい仕上がりです。

 その日に授業を公開する先生が、校長室でお茶を飲んでいる私に挨拶に来ました。その顔を見て、「こりゃ化けたな」ということは分かります。理由は簡単です。普通、私が学校に行くと「この人が、変な授業の教祖だな」とか、「この先生のおかげで、また、忙しくなるのか・・」という目で私を見る先生がいます。いや、その方が多いでしょう。しかし、『学び合い』を実践し、子どもの変容を見取れば、『学び合い』が本物であることが分かります。そうなれば私を見る目が変わります。つまりに、ニコニコして親しげな表情になるのです。わかりやすいでしょ。

 私は授業を見ながら、その先生の授業を見ている先生の何人かと話せました。その会話の中で、『学び合い』の府に落ち方を探りました。質問の仕方で、どのレベルまで納得しているかが分かります。『学び合い』を本気で実践しているからこそ出る質問でした。

 この学校は良い学校になる、と確信できました。

[]折り合い 06:50 折り合い - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 折り合い - 西川純のメモ 折り合い - 西川純のメモ のブックマークコメント

 一昨日のメモで書いたことをもう少し詳しく説明したいと思います。

 そのクラスでは3年と4年の複式です。以前は「渡り」という小規模校で行われている変則授業を行っていました。つまり、一方の学年で指導して、課題を与えて自習させます。そして自習している間に他方の学年を指導し、課題を与えて自習します。そして、・・・。ということが繰り返すのです。

 『学び合い』で国語をやることによってそれを解消しました。つまり、それぞれの学年の課題を与えて、さあどうぞ、です。さらに、そのクラスのでは、毎日毎日、課題を与える段階を超えて単元レベルのことを事前にまとめて与えています。

 最近は両学年ともそれぞれの学年の物語を学んでいました。そして、それぞれの感想文を書きました。参観に行ったときは、それぞれが書いた作文を互いに交流させて高めようという段階です。その日の課題は「4人の友だちと作文を読み合う。自分の考えと同じところ、違うところをそれぞれまとめる。」という課題です。

 ところが課題を与えて、さあどうぞ、という段階で12人のクラスなかで作文を忘れた子が4人いることが判明したのです。普通の授業だったら、もうアウトです。ところが『学び合い』だったので教師の方からは「その中で全員が勉強になるように考えなさい」という至極抽象的な指示をしました。

 最初のグループ分けでは紆余曲折がありましたが、6人の異学年集団が出来ました。それぞれに作文を忘れた子どもが同数になるように子ども達が工夫したのです。

 一方のグループ(Aとします)は忘れた子がみんな自分の作文の内容を覚えていたので、「六人分の感想文を聞いて、同じところと違うところをまとめる」という教師の与えた課題に沿った課題を考えたのです。つまり、作文は忘れた子は自分の作文の内容を覚えているだけみんなに話すということで、作文を忘れたことを乗り越えようとしたのです。

 ところが他方のグループ(Bとします)は、忘れた子の一人が自分の作文の内容を覚えていなかったのです。従って、Aグループのように課題解決は出来ません。しかし、4年生のリーダー格の子が教師の与えた課題に忠実にやろうとBグループをリードしたのです。しかし、忘れた子はそれができません。そんなことでごたごたしているうちにAグループは終わりました。そしてまだ終わっていないBグループの様子を見に来ました。Aグループは自分たちは課題を変形して課題達成したことをBグループに伝えたのです。そこから3年生から、だから課題を変えてやるべきだといったのに、という意見が爆発しました。そこで4年のリーダー格の子どもは課題に忠実であるべきだと主張しました。普段だったら彼の意見がすんなり通るのに3年生は引きません。彼らは全員達成をするためには課題を変形するべきだという考えていたのです。結果として、3年生の意見が大勢になりAグループと同じような課題にして進めました。

 4年生のリーダー格にとって、このようなことが起こったのは初めてです。泣き出したのです。クラス全員が集まって全員達成を目指し、同時に泣いている4年の子をなだめながらいました。そんなドラマがありました。

 結果として全員達成は出来ませんでした。教師は教師が与えた課題には忠実であるべきだと言うことを語り、同時に、全員達成のために自分たちで知恵を出したことを褒めました。

 次の時間は、全校『学び合い』です。前の時間のことは引きずらず全員が全力を出していました。

 小規模校の『学び合い』で私が先生方に語ることは、この『学び合い』の最大の眼目は進学先で潰れない子ども、子ども集団を創ることであることです。小規模校の場合、ほぼ家庭教師状態になります。経験のある先生が家庭教師になるならば、その子との相性が良ければ、もしかしたら『学び合い』を超える学力向上が出来るかも知れません。しかし、その子が中学校、高等学校に進学したら、そのような家庭教師状態は維持できません。

 また、小規模校の場合は、自ずから固定的な序列が発生します。序列と言うより役割という方が適切かも知れません。小規模校ではそのような役割を演じ続けるならば軋轢は生じず毎日を過ごすことが出来ます。しかし、中学校、高校に進学したら様々な子どもとの衝突が起こり、6年間、9年間リーダーである子が、そうでなくなることを経験してしまいます。

 いずれの原因にせよ、それがもとで潰れることもがどれほどいるか・・・・・

 我々が子ども達が激論を戦わせ、そして泣く子がいることを、ニコニコして見ていたのは、『学び合い』によって子ども達が成長していることを確信したからです。

karakusa01karakusa012012/11/29 23:01同じようなことが我がクラスでも起きました。

jun24kawajun24kawa2012/11/30 03:54そんなことが日々、日常でおこるところが『学び合い』の良いところですね。

12/11/27(火)

[]参観 17:44 参観 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 参観 - 西川純のメモ 参観 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日、紹介した方々と一緒に地元の実践校での実践を見てもらいました。全校体制で学年を超えた『学び合い』のすばらしさを伝えられたと思います。

 が、本日、私的に一番面白かったのは、一時間目の国語の授業の『学び合い』です。3年生は3年の教科書で学習をして、4年生は4年の教科書で学習しています。本日は、それぞれの作品を読んだ感想を読み合わせて、その人の作文の特徴を見いだし合おうという課題です。

 ところが、なんと子ども達の3分の一の子どもが作文を持ってくるのを忘れてしまったのです。

 想像して下さい。これが従来指導型だったら壊滅的でどうしようもありません。しかし、『学び合い』だったので、担任が「全員が勉強なるように工夫して下さい」と投げかけました。そこからはドラマが始まります。おそらくどんな道徳の時間よりも充実したものが1時間の中に詰まっていました。

 その様子を担任の先生も、見ていたその学校の校長先生も、私もゼミ生もニコニコしながら楽しんでいました。あ~素晴らしかった。

[]大ヒット 07:27 大ヒット - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 大ヒット - 西川純のメモ 大ヒット - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』スタートブック』の7刷目の増刷が決まりました!

2000部増刷の予定です。これで1万6500部になります。教育書としては驚異的な大ヒットだと思います。嬉しい。

karakusa01karakusa012012/11/28 23:33スタートブックの増刷おめでとうございます。
>「全員が勉強なるように工夫して下さい」
すてきな語りですね。」
見習いたいです…。

jun24kawajun24kawa2012/11/29 20:56是非!

12/11/26(月)

[]多様 21:06 多様 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 多様 - 西川純のメモ 多様 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は、和歌山県の校長・指導主事・小学校教諭・中学校教諭、板橋県の区議会議員、山形県の小学校教諭、中学校の二つの中学校の教諭、そして、我がゼミの学卒院生と現職院生が集まって飲み会をしました。

 そこに参加しながら、異質であることのメリットを感じながら時間を過ごしました。

12/11/25(日)

[]無駄な時間を削る 10:35 無駄な時間を削る - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 無駄な時間を削る - 西川純のメモ 無駄な時間を削る - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私が西川ゼミ全体に語る時間というのは年間を通して15分以下だと思います。その代わりに個人ゼミ(ただし数人いっしょにやります)を大事にします。

 では、何故、従来指導型でやられている全体に対する一斉指導の部分が少ないのか、それには理由はあります。ありとあらゆることを明文化しているからです。

 例えば、私のゼミ運営の基本方針は『学び合い』で運営しています。とにかくゼミ生に任せます。ただし、一つ求めているのは、独り決めしないでゼミで話し合って決めることを求めています。そうすれば私が考えるよりは良いものが出来ます。そして報告、連絡は不要であると明言します。しかし、リスク管理上、例外規定はあります。そのあたりを全て明文化しています。http://goo.gl/v5xXc

 『学び合い』の学術研究、実践研究の詳細は学術論文や書籍に表しています。そしてそれらの研究を進めるためのノウハウの殆どは実証的教育研究の技法(大学教育出版)に書いてあります。そしてそれらに書き切れないこと、つまり最新事情や秘伝などはゼミ生集団の中に文化として存在します。

 つまり、定型的なことは全て明文化し、そうできないことは集団の文化にするのです。そうすれば私がごちゃごちゃと全体に言うことはありません。私がやるべきことは、そこにいて見ていることです。さらに言えば、私がその事に注目していると言うことが集団が分かっていれば、私がいることさえ必要ありません。だから、私は全体ゼミには殆どいません。学会発表の練習会にもいません。とにかく、ありとあらゆる場面で私はいません。そしてゼミ生もそれを当然だと思っています。そして、超ハイレベルのアウトプットを出しています。自慢のゼミ生です。

 小中高の先生の中には「そんなの大学だから出来ること」と思う人もいるかも知れません。しかし、そうではありません。受験勉強を思い起こして下さい。「志望校に入る」ということさえ納得させれば、あとは教師がごちゃごちゃする必要はありません。いや、そうすれば邪魔になります。では、その時、教師がやるべきことは何でしょうか?第一に、志望校に入ることがどのような意味があるかを語ることです。第二に、今の状態がそれに値する行動かです。しかし、そのことも子ども達の中に内在化すれば、それすらも不要です。そこにいれば良い、いや、いる必要性もありません。もちろん、それが出来る子どもがいますが、そうでない子どももいます。しかし、集団の文化にすれば大丈夫です。

追伸 ただし、私の気の緩みからゼミの質が落ちたなと言うことがあれば、まず謝り、1時間程度はじっくり語ります。3、4年に一度あります。

[]良い授業 07:45 良い授業 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 良い授業 - 西川純のメモ 良い授業 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 多くの教師のイメージする良い授業とは、「全員が楽しく、大多数が分かって、一部の子どもが深い教科理解に至る」というものだと思います。それだったら、今まで通りの授業でも、力のある例外的な教師だったら出来るかも知れません。

 しかし、私のイメージする良い授業とは、「全員が楽しく、全員が分かる」授業です。しかし、多くの教師はそれは無理だと思っています。事実、今まで通りの授業では絶対に不可能です。これは単純計算で証明できます。つまり、一人一人の疑問は違うのですから、一人一人に合った指導が必要です。であれば1校時を人数分で割れば1分数十秒です。そんなので分からせられるわけありません。もし、「全員が楽しく、全員が分かる」を無理である授業をすることは教師の責任放棄です。

 では『学び合い』だと「全員が楽しく、全員が分かる」のか?と問われれば、それが常に成り立つとは言えないことは確かです。しかし、その可能性はあることは確かです。何故なら、クラスの子ども全員が教師であり学習者であるならば、今までよりも可能性が高いことは確かです。つまり、責任を放棄していません。

 もし、『学び合い』より可能性が高いものがあるならば、私は直ぐに『学び合い』を捨てます。というよりも、今の『学び合い』はそうやって何度も脱皮して成長したものなのですから。

[]責任 07:17 責任 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 責任 - 西川純のメモ 責任 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』に対する超古典的な誤解に、「責任放棄」であるというものがあります。改めて書きます。goo.gl/xNDKG、goo.gl/n5p4y

 医者の仕事は何でしょうか?聴診器で心音を聞くことでしょうか?注射をすることでしょうか?薬を処方することでしょうか?違います。医者の仕事は病気を治すことです。聴診器も注射も薬も、病気を治すという仕事のために、必要なときに選択される手段にすぎません。

 今から7年弱前に院生さんと一緒に、地元小学校に行きました。目的は、その学校で『学び合い』を取り入れる際、疑問に思っていることを実践者の人から聞きたいという希望を叶えるためです。従って、イントロダクションの部分は私が語りましたが、後はお二人にお任せです。

 帰りの車の中で、「どんな質問が応えるのに難しかった?」と聞きました。典型的な疑問が多かったようですが、印象深い質問が二つありました。第一は、「教えるのが教師の仕事だから、それをやるなと言われても納得できない」です。第二は、「教材研究が教師の専門性であるので、それが無かったら、教師の専門性は何だろうか?」です。色々な応え方がありますが、聞かれた前後の意味を勘案して、それに対する「私だったら」の応えをメモります。

 第一の質問に対しては、以下の通りです。

 教えるのが教師の仕事ではありません。教師の仕事は人格の完成です(教育基本法の第1条にあります)。さて、人格の完成とは何でしょう?それは、人と関わりながら教材を学び、それを分かり、心を成長させ、それによって人と関わり合いながら社会の一員となれる人を育てることです。我々は、「分かり」、「心を成長させ」、「社会の一員となる」は不分離と考えています。話を簡単にするために、教師の仕事は「分からせる」ことだとしましょう。これは、多くの教師が納得してくれるでしょう。

 であれば、「先生が教えることが、分からせるに最も優れたものなら、教えてください」と言います。少なくとも、「先生が教えることが、分からせることに最も優れたことが多いなら、どうぞ、教えてください」と言います。同時に、「でも、その根拠を教えてください?」と言うでしょう。考えてください。子どもは一人一人多様です。どんな教師でも、クラスには「出来る子」と「出来ない子」がいることは知っています。また、「図を書いて理解するタイプ」、「言葉で理解するタイプ」がいるでしょう。「帰納的に考えるタイプ」、「演繹的に考えるタイプ」がいるでしょう。その他、様々なタイプの子がいます。そのような子どもがいっぺんに分かるような説明ってあると思います?あり得ません!

 もし、それぞれの子どもにとって、それぞれ最善の説明があることが理解してもらったとしましょう。クラスの子どもたち、一人一人のタイプがどんなタイプか把握している教師なんているのでしょうか?また、それぞれに対応した最善の説明の仕方を考えられる教師なんているのでしょうか?1万歩(百歩ではありません)譲って、それらを出来るとして、どうやって数十人の子どもに語るのでしょうか?そんなの不可能です。再度、問います。「先生が教えることが、分からせるに最も優れたものなら、教えてください」と言います。少なくとも、「先生が教えることが、分からせることに最も優れたことが多いなら、どうぞ、教えてください」と言います。同時に、「でも、その根拠を教えてください?」と言うでしょう。教師の仕事は「教えること」ではなく、「分からせること」なんです。

 教材研究も同じです。「先生が教材研究をすることが、分からせるに最も優れたものなら、教材研究してください」と言うでしょう。そして、「その根拠を教えてください?」と言うでしょう。何故、教師は深い教材研究が必要なんでしょう。大抵の教師の考える教材研究の効能は、一人一人の子どもの質問に対して、即妙の反応が出来るため、と考えています。しかし、それがナンセンスなのは上記の通りです。

 我々は目標の設定が大事だと考えています。であるので、教材研究は目標設定に大事だ、と言えるかもしれません。でも、そんなことしなければ目標設定が出来ないとしたら、1年間の授業の中で、何時間分、それの恩恵に浴せるのでしょうか?そして、それ以外の授業は、どうやってやるのでしょうか? さらに言えば、認知心理学によれば教材研究をしっかりすると、分からない子どもの気持ちと理解が理解出来なくなります。

 教師の仕事は、「全ての子ども」に「1年中」分からせることが仕事です。それが「教えること」、「深い教材研究」で出来るのでしたら、どうぞ。私には出来ません。

 教えることに熱意を持ち、教材研究に時間を費やす方は、既に素晴らしい授業をされているのでしょう。でも、そのような力のある先生ならば、子ども達とともに授業を作り上げたなら、ものすごいことが出来るんです。

[]責任放棄 07:17 責任放棄 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 責任放棄 - 西川純のメモ 責任放棄 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 教育基本法第1条には「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」とあります。ということは、学校教育は1分1秒の例外もなく、人格の完成を目指したものであるべきです。

 従って「2桁の足し算」を教えるときも、1分1秒の例外もなくそれがどのように人格の完成に関わるのかを自覚し説明できなければなりません。それが出来ないならば責任放棄なのです。

 教師とは「2桁の足し算」を教える人ではなく、「人の道」を教える人なのです。

 しかし、多くの人はなんとなく「いっぱい学んで、いっぱい出来れば」は人格の完成だと思っているのではないでしょうか?しかし、その時の人格の完成とは何でしょう?それを明確に言えなければ責任の放棄です。

 百歩譲って、なんとなく「いっぱい学んで、いっぱい出来る」レベルだとしましょう。だったら、国民から負託されていることは、「学習指導要領で示されている内容を国民全員に学ばせる」ことです。例外なく全員です。一人も見捨てず、です。それをあきらめたら、それは責任放棄です。

karakusa01karakusa012012/11/26 23:38いつになく熱い先生に最敬礼です。小さな種でも蒔いていきます。まず、本校から…

jun24kawajun24kawa2012/11/27 06:06期待しています。

12/11/24(土)

[]人気者 19:05 人気者 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 人気者 - 西川純のメモ 人気者 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 家にいるとき、居間で電子メールの返事を書いたり、本の原稿の手を入れたりしている最中、息子や家内からいろいろ話しかけられます。その度に、手を止めて話を聞いて、応えます。仕事の効率は下がりますが、心の中で幸せを感じます。

12/11/23(金)

[]怖い 17:54 怖い - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 怖い - 西川純のメモ 怖い - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は上越教育大学教職大学院の中期試験です。全国各地から受験生が集まりました。教職大学院のコース長という立場から、面接会場の責任者になっています。ということで、私は最初に型どおりの質問をします。その後、同室の先生が質問をします。私は司会者という立場から基本的に質問はしません。

 例外は二つです。明確に『学び合い』を目的にして入学する人の場合は、周りの先生方が「あなた質問しなさい」というオーラを発するので質問します。もう一つは、受験生が緊張でガチガチになったとき、その緊張をほぐすために笑いをとるような話をします。

 しかし、入学後に「西川先生が一番厳しい質問をした」という人が少なくないのです。そんなはずありません。だって、上記のように私は発言しないし、もし、発言する場合は笑いをとる話をするだけなのに。だれかの質問を私の発面だと取り違えられているとしか考えられません。残念だな~

 もしかしたら、受験生に受験番号と氏名を聞く型どおりの質問が、一番厳しい質問なのかな~・・・そんなわけ無いよな。

 ゼミ生だったらおわかりなはずです。私は他の人がやってくれる仕事は、徹底的に関わらないようにしているのです。私は無実です。

12/11/21(水)

[]慌てて 11:00 慌てて - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 慌てて - 西川純のメモ 慌てて - 西川純のメモ のブックマークコメント

 先ほど、一斉指導の入門書を来春に出すと書きましたら、「『学び合い』だけでは不十分ですか」という問い合わせが来たので、慌てて書きます。

 『学び合い』でたやすく達成できるレベルのことを一斉指導でやるとしたら名人級の力量が必要です。だって、一人で全部やらねばならないのですから。『学び合い』だったら子ども達と一緒に出来るのですから、はるかに「まし」です。

 しかし、私は採用1年目に暴走族相手に物理の授業をそれなりに成立させることが出来ました。自分で言うのも何ですが、私の講演会を聞いた方だったら分かると思いますが、私は一斉指導はうまいです。最近は腕は落ちましたが、若い頃はもっとうまかった。

 じゃあ、どうして一斉指導がうまくいくか。理学部出身で教え方をほとんど教えてもらっていない私が1年でそれなりのレベルに達したのですから、そんなすごいことではありません。今まで類書で書かれているものとは別のことをやっていたのです。振り返ってみれば、実は『学び合い』の基礎に通じるものが有効だったのです。つまり、子どもの力を借りる一斉指導です。

 そこを最初に書こうと思います。それから三十年間もがきながら、教え方に関する考え方が変わってきました。今度の本は私の三十年間を若い教師に追体験してもらうような本にしたいと思います。

 そして最終章には『学び合い』が出てきます。もちろん書き切れません。あくまでも『学び合い』でやると今まで解決できないことが出来ることを書きます。そして、あとがきには「詳しくはステップアップ、スタートブックをお読み下さい」となるのです。

 ね、私が何を狙っているかおわかりですよね。

 が、自分で言うのも何ですが、私が持っている一斉指導のノウハウを使えれば、簡単に、かなりのレベルに達せます。今までゼミ生相手だけには話した内容を公開します。

[]年長者の生き残り方 07:11 年長者の生き残り方 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 年長者の生き残り方 - 西川純のメモ 年長者の生き残り方 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 大学は教授、准教授、講師、助教という縦社会です。私はその中で生きてきました。助手(今の助教)時代、私に横柄な態度のA教授がいました。廊下で会って私が挨拶をしても、目もくれずに通り過ぎます。私は約十年間それを続けましたが、「きっと宗教上の理由で挨拶をしないのだろう(笑)」と判断し、私も挨拶をするのをやめました。

 その私は上越教育大学の中で最年少記録で教授になりました。それが決まった直後のことです。A教授と廊下で出会いました。A教授は私に挨拶をしようかどうしようか迷っている様子がありありとしています。私は宗教上の理由から、その教授の横を目もくれずに過ぎ去りました(笑)。その教授は五十代後半から発言力も影響力も失い、いるかいないか分からない教授として退職されました。

 それに対照的な教授がいました。若い私にも挨拶は欠かさず、声をかけてくれる人です。また、よき機会、よき仕事を与えてくれる人です。その人は他の若い人にもそのような態度をしていました。その方は五十代、六十代になるにつれて発言力も影響力は増しました。それはその人を支えようとする人がいるからです。

 年長者の生き残り方、それは若い人を大事にすることだと思っています。それは三十代から始まり、四十代にはハッキリとした行動で表せなければなりません。五十代ではもう遅い。

[]資源 06:52 資源 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 資源 - 西川純のメモ 資源 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 日本における最大の未開拓の資源、それは日本海に眠るメタンハイドレートではありません。それは元気な高齢者です。その方々が死ぬ前日まで働いてもらって税金を払ってもらうのです。そんなこと前面に出してくれる政党がいたら私はそこに投票するのに。

[]教師も 06:52 教師も - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教師も - 西川純のメモ 教師も - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は子どもも一人も見捨てたくないと願っています。それは教師に対しても同じです。

 そもそも、教師は約100万人います。一つの職業としては最もありふれた職業なのです。その人達にプロ野球選手並みの特殊能力を求めるのは無理がある。だから私が求めるのは3つだけ、子ども・保護者の悪口を言わない、人と繋がる、出来ることをする、だけです(http://goo.gl/5YLUW)。

 もちろんノウハウは必要でしょう。でも、それが多くあったらアップアップになります。例えば、学年別、教科別のノウハウなんて覚えきれるわけありません。だから、『学び合い』に関しては『学び合い』ステップアップの1冊にまとめました。私は『学び合い』は考え方であることを強調します。でも、それが分からない人がいたとしても、残念だな~っと思いますが、しょうがないな~っと思います。そもそも考え方のレベルで分かる人は全員ではありません。ま、2割程度の教師が理解していただければ十分だと思っているのです。そして6割程度の人が『学び合い』ステップアップに書いてある程度のことが出来れば、2+6=8割の人が『学び合い』をそれなりに出来ます。2割の人が『学び合い』に大反対であっても子どもは救われると思っています。そもそも反対者がいないと言うことは不健全です。

 ちなみに、今、一斉指導のノウハウをまとめて本にしているところです。次の春に出版予定です。これまた1冊にまとめられます。

 世間は教師に「努力の物量作戦」(水落氏の名言)を求めています。残念ながら教師の中にも努力の物量作戦を求めている人がいます。が、その人が出来たとしても、誰もが出来るわけではありません。世の中には「俺も苦労したからお前も苦労しろ」という人がいますが、「俺は苦労したから、お前は苦労させないよ」という人もいます。それなりの年齢、それなりの発言力のある教師は後者であるべきだと思うのです。

 それが老後の自分を守る術です。

[]第一優先 05:51 第一優先 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 第一優先 - 西川純のメモ 第一優先 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』では「一人も見捨てない」ということが第一優先です。もちろん、子どもを見捨てて良い、と思っている教師は殆どいないでしょう。でも、優先順序が一番か否かで分かれるように思います。

 多くの教師も、そして私も知っています。教科で学べる深いレベルを全ての子どもが学べるわけではないことを。例えば、波動を時間を位置を三角関数で表すことを理解できる子どもはあまりいないと思います。空間を集合として理解したり、演算を群や環で理解し、すっきりしたりする人なんて本当に希だと思います。方丈記ならまだしも、現在の風俗習慣とかけはなれた源氏物語に共感できる人はそれほどいないと思います。

 これは小学校レベルでも同じです。例えば、小学校算数の教科書は、まず考え方があり、計算があり、応用問題が続くという構成です。しかし、あれで分かる子は希です。あれで分かる子は、空間を集合として理解したり、演算を群や環で理解し、すっきりしたりする人、つまり数学が大好きな人なんです。つまり教科書を作っている人たちだけです。

 数学は定義があり、そこから演繹します。しかし、多くの人はそういう理解をしているわけではありません。大抵は帰納的に理解しています。算数の場合だと、考え方は取り合え宇あやふやのままで計算の仕方を覚え、計算が出来るようになります。その後に、応用問題をします。そんなことをしているうちに、なんとなく考え方が分かるようになります。そして、多くの子どもは、考え方は最後まで、なんとなく、のレベルだと思います。思い出して下さい。マイナス×マイナスが何故プラスなのでしょうか?答えられる人は少ないですよね。1たす1は何故2なのでしょうか、それを厳密に答えるにはペアノの公理が必要ですが、答えられる人は少ないですよね。そして、それに関して違和感を感じなかった。何故かと言えば、なんとなくのレベルでとどまっているからです。

 だから、それを子どもに求めたら無理があります。

 しかし、教え方によってはそれが分かると思っている教師がいます。しかし、それは無理です。そして、分かるわけではないが、授業ではそれを目指すべきだと思っている教師がいます。それは何故かと言えば、分からない子どもがどれほど苦しんでいるかが分かっていないからです。しかし、それはしょうがありません。私を含めて教師となるような人は、分かったから大学まで行けて、教師になった人なのですから。

 もちろん教師となった人であっても、不得意な科目で苦しんだ経験はあるでしょう。私も英語や漢文で壊滅的に苦しみました。しかし、その一方で得意な科目があったから、そして不得意ではない科目が大部分だったから教師になれたと思います。そのため、不得意な科目が大部分で、壊滅的な科目が少なくない人の気持ちや状態が分からないのです。経験が無いので想像できないのは当然でしょう。

 どういう状態でしょうか?悉皆研修で大学の教師のちんぷんかんぷんの講義を1時間半聴く状態を思い出して下さい。それが6時間続く状態を想像して下さい。それが週5日間続く状態を想像して下さい。それが小中高の12年間続く状態を想像して下さい。それだけではありません。定期的にそれがテストされるのです。それによって教室で序列がつけられる状態を想像して下さい。地獄だと思います。

 一人も見捨てたくない、これが第一優先にすべき理由は、ここにあります。幸いなことに、一人も見捨てたくない、を第一優先にすれば、教科の深みも達成する可能性が高まります。しかし、教科の深みを第一優先にすれば、絶対に少なからざる子どもを見捨ててしまうことになります。

12/11/20(火)

[]一斉指導も 07:09 一斉指導も - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 一斉指導も - 西川純のメモ 一斉指導も - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ゼミ生から聞いたことです。面接試験の時、面接官の人から「西川研究室ですか?」と言われてドキリとしたそうです。もちろんゼミ生は『学び合い』のことを喋ったわけではありません。せいぜい「一人も見捨てたくない」というあたりを言ったかも知れない、とそのゼミ生は言っていました。

 上越教育大学教職大学院出身であることは受験書類に書いてあります、しかし、ゼミ関係のことは書いてありません。それで見破られるということは『学び合い』のことをかなり知っている方と思います。

 この文章をお読みになる方には面接官になっているかたも、これからなろうとする方もおられると思います。ゼミ生のために以下を書きます。

 私の研究室のゼミ生は一斉指導のかなりのレベルの授業が出来ます。これに関しては確信があります。第一に上越教育大学教職大学院のスタッフです。当然ながらほとんどは一斉指導のオーソリティです。素晴らしい教師です。その人達から教えてもらっています。第二に本学教職大学院のカリキュラムが実践的で協働を大事にしている点です。

 そのような他に、我がゼミ生は二つのことを徹底的に学んでいます。第一に、子どもを見る目です。つまらなそうにしている子ども、分からなそうにしている子どもが、嫌でも目に入るようにしています。全ての授業改善はそこから出発します。我がゼミ生は全ての子どもの全てのつぶやきをICレコーダーとビデオで記録し、それを丹念に分析するという膨大な作業をしています。そのため、目の前にいる子どもをちらりと一瞥するだけで、その裏で何が起こっているかを知ることが出来ます。これは教卓から見ているだけでは三十年かかっても出来ないことです。これを二十代前半の学生が出来るようにしています。

 そのような学生は一斉指導に関わる様々な勉強をしています。そして研修会に参加します。私自身、TOSSをはじめとする様々な研修団体に参加することをゼミ生に奨励しています。

 第二に、折り合いです。本学教職大学院の教育実習はかなり革新的な実習です。それは現職教員と学卒院先生がチームとなって、現場学校に入ります。そして、単なる授業をする実習ではなく、その学校の課題を一緒に解決するチームになるのです。わかりやすいのは忘年会に当然のようによばれるような関係を結ぶのです。時には、その学校の先生方がよばれないPTAの飲み会にも誘われる関係を結ぶのです。そして、その過程の中で、学卒院生は三十代、四十代の教員とのつきあい方を学びます。その関係は教師と生徒という関係でもなく、上司と部下という関係でもなく、仲の良い先輩と後輩の関係を結びます。

 そして、我々のゼミ生は「新興宗教」と揶揄される『学び合い』の研究室のゼミ生として各学校に入ります。当然、疑問を持たれる先生もいらっしゃる。その方々からは、最初は色眼鏡で見られます。当然のことです。私はゼミ生に「『学び合い』を嫌われても良い、しかし、君らの人を信じてもらえるようにしなさい」と求めます。そして、そのことを実現しています。

 授業改善をし続ける教師、そして、職場の人と折り合いをつけられる教師です。つまり、即戦力の教師です。そして一斉指導をやれと言われれば、当然、一定以上のことは出来ます。

 ということで、全国の教育委員会、学校の方々へ。御県、御学校の課題は何であり、即戦力として使える若手教員としてゼミ生を推薦します。本当に自慢のゼミ生なんです。

[]群馬の会 05:34 群馬の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 群馬の会 - 西川純のメモ 群馬の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 フォーラムの次に開催され、開催しつつけている会は群馬の会です。2013年の開催の日程が決まりました。お誘いします。http://goo.gl/BBDit

[]守破離 05:23 守破離 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 守破離 - 西川純のメモ 守破離 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 何度も書きましたが、物事を学ぶ段階には守破離というものがあります。まずは守の段階が必要です。我流ではなく、先人の見いだした型を素直になぞる段階です。この段階で我流を出せば学ぶことは出来ません。

 次は破の段階です。先人の型にとらわれず、自分に合わせた型を見いだす段階です。この段階でそのコアの部分が何かということがわかり、それが内在化すれば離の段階に至ります。つまり、コアの部分が分かれば、守でやっていたこと、そして破で生み出そうとしていたものが実は違いが無いことに気づきます。

先人が生み出した型も、自らが生み出した型もどちらも意識せず、コアの部分に基づき考え、行動することが出来ます。

学び合い』は考え方だと繰り返します。一人も見捨てたくないという願いと、それを実現するための学校観、子ども観です。3つとも書けば1行で収まるものです。しかし、それは古典物理学がF=mαという至極単純な式を3次元に拡張し、微分、積分すれば古典物理学の公式がほとんど導かれると同様に上記の願いと考え方は強力なのです。

残念ながら、『学び合い』のコアの部分を考え方ではなく、教え方だと考えてしまうと離の段階で本当に『学び合い』ではなくなります。つまり、一人も見捨てたくないという部分が弱くなってしまいます。

しかし、今の段階でそれを全ての人に求めても無理です。文化は人の間にあるものですから。分かってくれる人を増やさねば。でも、一定数は必ず必要です。広げること、深めること、両方とも必要です。

[]管理者 05:23 管理者 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 管理者 - 西川純のメモ 管理者 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 易きに流れるのは人の性です。

 私は叱りません、怒りません。大抵はバカなことを言って笑っています。しかし、私のゼミ生への圧力は強大です。ゼミ生は夢の中で私を見るそうです。しかし、その姿はニコニコ笑っている私の姿です。しかし、それはとても怖いそうです。何故でしょう。

 私はゼミ生に、ゼミ生にとって得だと確信していることしか求めていません。ゼミ生もそれが得だということが分かっているので、馬車馬のようにやります。私はゼミ生に「それをするかしないかはあなたにとって意味があるので、私の人生には関係ない」と言い切ります。そう言い切れるだけ、そのことはゼミ生の人生にとって意味があると私は確信しています。

 しかし、易きに流れるは人の性です。私の管理下を離れれば、何が得であるかをさておいて、直近の易きに流れてしまいます。でも、私だってそうです。だから、多くの人と繋がることによって、自らの志を腐らせないようにしています。そして、可愛い教え子を守るためには、一人も見捨てない、という文化を広げるしかないのだと思います。

 それは小学校、中学校、高校、高等専門学校の同志の方も同じだと思うのです。

ogymogym2012/11/20 19:50「守破離」学生の時分に最新事情を学んだり、教員として異地区異学校で違う研修を受ける中で、何が「守」であるかまったく分からなくなりました。学校が変わればセオリーが変わってしまう。皆は何を「守」としているのだろう。今は『学び合い』の考え方がしっくりです。それは共感してもらえるのだろうか。そんなことを思います。

jun24kawajun24kawa2012/11/21 05:13一人も見捨てたくない、というレベルでは共感してもらえる人は多いと思います。しかし、全員ではない、ということが残念です。

12/11/19(月)

[]無駄 05:54 無駄 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 無駄 - 西川純のメモ 無駄 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は学部相手に一つだけのコマがあります。そこでは従来指導型『学び合い』をしています。つまり、途中と最後にまとめを入れます。ま、教え好きの私の娯楽みたいなものです。

 この前のゼミの飲み会で、その授業を聞いている学部生から聞いたと思われるゼミ生が、それは無駄であると言っていました。つまり、学生同士でレベルの高い話をした後に、私がそれより低いレベルのまとめをしている、という苦言です。

 にわかには信じがたいことです。だって私が学部生に語っているのはかなり革命的な意識改革をしないと理解できないことです。しかし、それが本当ならば、凄いことです。嬉しい限りです。

[]無敵の受験高校 05:39 無敵の受験高校 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 無敵の受験高校 - 西川純のメモ 無敵の受験高校 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 もし、その地域の進学校であるならば、灘・開成を遙かに凌駕する高校を作るのは容易いことです。ま、意識改革は大変でしょうが。

 簡単です。完全『学び合い』をすればいい。

 文部科学省の縛りがあるから、時間割はあります。教科担任もいます。が、教科担任は今までのような授業はしません。

 子ども達は部活に入ります。部活の名称は「東京大学合格部」、「医学部合格部」、「早稲田慶応合格部」・・・です。そして教科学習の時間は全て部活の時間にするのです。

 じゃあ、教師は何をするのか。以下は高度に関係しているので順不同です。

 第一に、子ども達一人一人が自分の将来を考え、その中で大学入試を位置づける意味を語ります。

 第二に、受験は団体戦であることを語ります。

 第三に、その団体戦で培ったネットワークが、大学でも、就職後も最大の武器になることを語ります。

 第四に、そのような強大なパワーを持った集団が成り立つためには志の高いミッションを持つべきであることを語ります。

 それより一段低い仕事として、教科の内容に関する仕事があります。それは、受験に役立つツールを探し、提案することです。それとの関連ですが、各大学の傾向を調べ情報提供することです。

 一定以上の子どもにとって、教師の授業は邪魔です。ということを認めるのは辛いだろうな~。でも、認められたら凄いこと出来るんだけど。

12/11/16(金)

[]型 05:43 型 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 型 - 西川純のメモ 型 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』の本体は「一人も見捨てない」という願いと、『学び合い』の学校観と子ども観です。それ以外のものは全て影に過ぎません。以上のことを確信し、子どもの前に立てば『学び合い』は出来ます。

 しかし、授業は心、と言っても何が何だか分かりません。だからノウハウを蓄積しました。それらが『学び合い』ステップアップやスタートブックとしてまとめられました。『学び合い』を実践すると、ほぼ同じところに悩みます。それらは先人達によって乗り越えられ、それによってノウハウが形成されました。

 そのノウハウ通りのことをやれば、そこそこの『学び合い』は確実に出来るレベルまでノウハウは整備されたと思います。しかし、『学び合い』をやり始めた方は本体と影の違いが分かりません。その結果、各人に合わせていかようにも変更できるノウハウの部分と、ゆるがせにしてはならない本体の差が分かりません。どうしたら、その差が分かるか?それは授業の最後に「全員達成したか?」と子ども達を評価できるか否かだと思います。

 それを求めるためには、子ども達に十分に任せなければなりません。教師が長々説明し、長々まとめてしまえば、最後の一人が出来るか出来ないかの責任は教師にあると子どもは思います。そして教師もそう思います。結果として「全員達成したか?」と評価できなくなります。

 従って、『学び合い』において最も重要な型は、授業の最後に「全員達成したか?」と自信を持って子どもに語れるか否かだと思います。

追伸 西川ゼミの場合は、この評価は年に一度です。卒業生・修了生が参加する最後のゼミの時です。毎年、全く同じ評価をします。だって、成果が抜群なんですから。

12/11/15(木)

[]偉大 21:02 偉大 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 偉大 - 西川純のメモ 偉大 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私のHPの動画を見ている方だったらおわかりだと思いますが、私のゼミ生に対する対応はけちょんけちょんです。でも、分かっています。彼らは私より偉大です。

 私が高校教師だったとき子ども救えなかった。うまい授業、わかりやすい授業、テレビドラマ的な教師でやりました。でも救えなかった。今は、私は上越で伝えられない。

 が、ゼミ生は偉大です。彼らは私の出来ないことをしています。凄いと思います。

 昨年のゼミ生がある学校の先生方と一緒に学校作りをしました。その姿を見た二人の先生が地元の学校に戻り、その種を多くの方々が育てました。その学校の先生方が、その先を願っておいでになりました。その学校には700人の子どもがいます。我がゼミ生は、少なくともその700人の人生に意味あることをしています。

 私よりゼミ生は偉大です。でも、けちょんけちょんにします。彼らのため、日本全国の子どもため、何よりも私の人生のため。

[]参観 06:27 参観 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 参観 - 西川純のメモ 参観 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』の強みの一つに、いつでも参観OKということがあります。指導主事訪問や研究発表会にのみできる授業とは違います。それに、自分を見せるのではなく、子どもを見てもらうのですから、教師にとって気が楽です。そして、なによりも参観すれば子どもや教師が成長します。見られることによって美しくなるのは、年頃の女性ばかりではありません。

 が、いつでもと言ってもいろいろあります。典型的なのは学校行事の関係で振替休日の日があります。また、学校行事の直前はかなり変則的な時間割になり、教科学習の時間が準備の時間になります。また、教育実習生がいるときは、基本的に従来型の授業をすることになります(あははは)。ということで日程調整は必要です。

追伸 ただし、現状、隠れキリシタン状態の方が少なくないので、その点はご理解をお願いします。

tomkicktomkick2012/11/15 21:18うちの学校もいつでも参観OKです (^_^)
ぜひおいで下さいまし。

jun24kawajun24kawa2012/11/16 05:15その節はよろしくお願いします。

12/11/14(水)

[]参観ラッシュ 19:44 参観ラッシュ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 参観ラッシュ - 西川純のメモ 参観ラッシュ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今月は参観ラッシュです。

 明日からは福島の小学校からお二方がおいでになります。学校ぐるみで『学び合い』をしているので、小中学校の『学び合い』ではなく、西川ゼミという『学び合い』集団を参観することを希望されました。西川ゼミを希望される大学生の場合はそのような希望がありましたが、現職教員の方からのご希望は初めてです。

 26日~27日にかけての参観者は、和歌山から5名、山形から1名、静岡の別々の中学校からそれぞれ1名、そして東京都板橋区の区議会議員さん3名という11名の参観者です。前日には飲み会です。

 そして30日は新井北小学校での学校公開です。異学年『学び合い』と単学年の『学び合い』を公開します。

 『学び合い』では参観者は大歓迎です。だって、ごく普通にやっている授業を見せているのですから。そして、見てもらうことによって子ども達が成長します。

[]OK記念日 19:34 OK記念日 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - OK記念日 - 西川純のメモ OK記念日 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は数ある我が家の記念日の一つ、プロポーズOK記念日です。ということで神戸で買って自宅に送った肉ですき焼きです。

sakusaku0428sakusaku04282012/11/15 05:16おめでとうございます。どんなに超ご多忙であっても家族を大切にされていらっしゃる姿はお手本とさせていただきたいです。なかなかできていないことは多いのですが、できることからコツコツとやっていきたいと思います。

jun24kawajun24kawa2012/11/15 05:35できることを、どんどんやりましょう。

12/11/13(火)

[]ツアー 05:29 ツアー - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ツアー - 西川純のメモ ツアー - 西川純のメモ のブックマークコメント

 中国・近畿ツアーから戻ってきました。充実したものでした。その間に感じたこと、考えたことは3つです。

 第一は実践校です。今から5年ほど前のことです。上越に『学び合い』を学びに来た人が、その時点の『学び合い』の課題として学校として実践している学校が少ないと言うことです。しかし現状は学校として取り組む学校、取り組もうとする学校の数が増えています。これは学校長や研究主任レベルの人が『学び合い』に注目しているからだと思います。そのような人が学校として取り組もうとする場合、自分が取り組めるかだけではなく、他の同僚も取り組めるかということを重視します。5年前に比べれば、その環境は整いました。特に、『学び合い』ステップアップやスタートブックの刊行によって、それらは整備されたと思います。そして来年の夏前に刊行したい本によってパンデミックの準備は整うと思います。来年度はパンデミック開始の年にしたいと願っています。

 第二は『学び合い』の肝です。『学び合い』ステップアップやスタートブックによって『学び合い』のノウハウは整備されました。しかし、その根幹は、授業の最初に課題をシャープに語り、全員達成を求める。子ども達に任せる。最後に全員達成が出来たかを評価する。というものです。そして、それが成り立つか、成り立たないかは、本人が何を願って『学び合い』を実践しているかだと思います。これはノウハウの問題ではなく、文化の問題だと思いました。

 第三は中学校へのアプローチです。『学び合い』の仲間には学びの共同体で汗をかいた人がかなりいます。今回、そのような方々からいろいろなことを教えてもらいました。今までも知っていたことは多かったのですが、全く知らなかったことを教えてもらいました。腰を抜かすようなこともです。そして、何故、学びの共同体が中学校を中心として広がっているか、その理由が分かったように思います。しかし、それだったら『学び合い』も中学校にもっと、もっと広がって良いはずのように思います。

 一昨年度よりキャズム理論に基づく戦略を展開しています(http://goo.gl/VQx37)。それは小学校において一定の成果を上げつつあります。今回、中学校においてターゲットとすべきニッチェ市場(ニッチェといってもかなりの市場ですが)が見えてきました。これからそのセグメントを対象としたトータルな解決策を提案したいと思います。

bunbun-hbunbun-h2012/11/13 12:30確かに状況は次の段階に入っているのでしょう。
この5年の間、わくわくしながら出かけたりしていましたが、何かが変わりました。
これからも変化に逆らわずに進んで行きたいと思っています。
「わくわく」できるかどうかを指針としながら。
(なにはともあれ、中国・近畿ツアーお疲れ様でした)

jun24kawajun24kawa2012/11/13 21:01年に一度はbunbunさんに合わねば。

chunsuzumechunsuzume2012/11/14 16:02こんにちは。先日は神戸でお世話になりました。今は学校現場でないところに勤めていますが,学校ではないからこそ学び合いが活きる場面があると感じることがよくあります。学校外での学び合いを作ります。

jun24kawajun24kawa2012/11/14 19:33楽しみです。あなたなら出来ます。

12/11/10(土)

[]目標と評価 07:29 目標と評価 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 目標と評価 - 西川純のメモ 目標と評価 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 現在、講演ツアー中です。

 朝、ホテルでニュースを見ていたら法科大学院のことが紹介されています。法科大学院の問題点、そりゃ、簡単に言えば合格率が低いことです。それに対して、法科大学院の教授がいろいろ言っていましたが、本当のところは言っていないのが分かります。教職大学院の教師である私は、かわいそうに、と同情するしかありません。

 法科大学院の合格率が上がらない原因、そりゃ、目標と評価が一致していないのです。

 法科大学院も教職大学院も「あるべき職能」を想定し、授業内容から授業方法までびったりと規定されています。二十年間、大学人として過ごしている私にとって、それはまるで小中高の規定のようです。本当に細かい。ま、しょうがありません、大学人に任せたらとんでもないことになる、と思われてもしょうがないことを今までの教員養成ではしていましたから。例えば、某大学の学生が文部科学省に訴えました。内容はその大学の教科教育学の授業についてです。

 教科教育学は独立した学として成立したのは比較的若い学問です。その専門家は昔はそれほどいませんでした。その結果、当初は教科専門の先生の中で教育に関心と意欲の高い先生が担当しました。しかし、それがずっと続いている大学もあります。つまり、教科専門では教授になれない人が、教科教育学を担当するならば教授にしてやる、という条件で教科教育学を担当するということもありました。そんな風になったひとは心の中で納得しているわけではありません。その某大学の某教授は、その担当する教科教育学の講義の最初に「私は教科教育学は意味はないと思っている。そのため、今から○○学の授業をする」と宣言し、教科教育学を教えなかったそうです。こんなことが文部科学省に訴えられたら、大学に任せられないと思われてもしようがありません。

 司法や教育に願いを持った人たちが集まり、あるべき職能を議論してつくられた教育内容や教育方法は、大学人個人の思いつきよりは蓋然性は高いと思います。が、問題は評価です。そのような教育を受けた人が評価されるのは、司法試験であり、教員採用試験なのです。ところが、その試験と法科大学院の教育内容と必ずしも一致していないのが合格率の低さの最大の原因です。

 当然、法科大学院の中にはそのようなことに対応し、教育内容を司法試験に一致した受験対策を入れようとするところもあります。が、それに対して文部科学省は法科大学院の規定に基づき、それはだめ、と指導することになります。法科大学院の先生方は「じゃあ、どうすればいいんだよ」と言いたいと思います。

 教職大学院も似たような問題を抱えています。教職大学院の教育内容はよりよい教師に必要な内容を網羅的に含めています。授業方法もマスプロ、座学を禁止し、対話を重視し実践を重視した内容です。が、教員採用試験で出されるのはそれとは違います。

 かつて大分で情実で採用した事件がありました。その事件以降、特に、都道府県では客観性を大事にします。しかし、相対的に妥当性は犠牲にしなければならなくなります。結果として一次試験は大学入試に似たような問題にならざるを得ません。つまり規定されているカリキュラムとテストが一致しません。

 しかし、幸い法科大学院と違って教職大学院のいいところがあります。現在、教職大学院の修了生に対して、ペーパーテストの一次試験を免除する都道府県があります。そして、その数はどんどん増えています。課されるのは面接と実技です。これだったら教職大学院の修了生は圧倒的に有利です。3週間程度の教育実習とは実習の質と量が段違いに違います。また、講義の内容も面接と実技にフィットする内容です。つまり目標と評価が一致しています。

 もちろん、大学入試のような試験を課す都道府県もあります。しかし、それでも、まだましです。というのは臨時採用で授業をしながら受験する人の場合、受験勉強する人は受験勉強をする暇がありません。そのため、面接と実技に行く前のペーパーテストで落とされてしまうのです。その点、教職大学院の場合は相対的に受験勉強にエネルギーを費やせます。特に上越教育大学のカリキュラムでは修士1年の1月から修士2年の8月まで、全くフリーにする、つまり受験に専念できるようになっているのです。

 ということで、法科大学院の先生をかわいそうだな~っと思うのです。

ftogpxtakaftogpxtaka2012/11/10 20:41中国の会など本当にお疲れ様でした。
今回はお恥ずかしい事情(恥ずかしすぎるため、詳細は書きませんが・・・)で参加できず、本当に悔しいです。
また先生にお会いできることを楽しみにしています。
先生もお疲れを出されませんように。

jun24kawajun24kawa2012/11/11 06:49次をお待ちしております。

tomkicktomkick2012/11/11 23:45西川先生
今日はありがとうございました。
そして,明日もどうぞよろしくお願いします。またアドバイスいただけると幸いです。

jun24kawajun24kawa2012/11/12 05:58おまかせあれ

tomkicktomkick2012/11/12 21:08西川先生
今日もありがとうございました。
連日西川先生のお話を聞かせていただき,授業を一緒に廻らせていただいて,このところの自分に足りていなかったことがよくわかりました。
1月までに,今の課題をクリアしながら進めていけるようにがんばります。
どうぞよろしくお願いします。

jun24kawajun24kawa2012/11/13 04:38期待しています

12/11/09(金)

[]子どもの説明 18:46 子どもの説明 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 子どもの説明 - 西川純のメモ 子どもの説明 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は広島市の三入小学校に行きました。全校で『学び合い』を取り入れている学校です。授業を参観しましたが心が温かくなりました。また、先生方が前向きに取り組んでいただいている姿を嬉しく見ました。

karakusa01karakusa012012/11/10 01:29明朝は中国の会ですね。今回は土曜学校公開があるため参加できません。また、先生の話聞きたいです。

jun24kawajun24kawa2012/11/10 07:30ふぉふぉふぉ。いつも通り、笑いと涙の感動編です。なんちゃって

12/11/08(木)

[]指導教員 06:03 指導教員 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 指導教員 - 西川純のメモ 指導教員 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私が採用された頃は指導教員はありませんでした。しかし、現在は指導教員が1年間サポートします。多くの人、それも両方の側から聞くと、相性が大事なように思います。

 もし、この制度を生かすとしたらどうしたらいいか、というアイディアがあります。

 平成15年にやった研究です。年長の教師の若い教師が話し合いながら授業改善をするのです。最初は若い教師が授業をして、年長の教師がアドバイスします。ポイントは、数週間たつと年長の教師が授業をして、若い教師が意見を言うのです。これを繰り返します。最初は年長の教師が強い立場でアドバイスするのですが、徐々に対話が成り立ってくるのです。そりゃそうでしょう。偉そうなことを言っても、数週間後に自分がそれを実際に見せなければならないのですから。それも、数週間連続で。

 指導教員と初任教員が交互に授業をするというシステムが望ましいと思うのです。

追伸 多くの方が感じていると思うのですが、非常勤講師で何年も教えている人に指導員の人がつくのは・・・・。逆に言えば、指導員のサポート無しで非常勤の人が教えるのは・・・・。この両者を矛盾無く合理的に説明することって出来るのかな?

[]育て方 05:39 育て方 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 育て方 - 西川純のメモ 育て方 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 人は喋る前に数年間かけて膨大に聞かねばなりません。そして、書く前には膨大に読まねばなりません。当たり前のことです。しかし、教員養成においてはそうではないようです。まだ、教師としての立ち位置が定まらないうちに、いきなり授業をさせられる。それも、現場では絶対に出来ないような時間をかけて授業案を作るということをします。

 私はあまり意味が無いように思います。教育実習の数週間で授業が出来るようになるのであれば、そんな実習無しでも採用されて1ヶ月たてば出来るようになれます。事実、以前、中学生に小学生相手の授業をさせましたが、教育実習生レベルの授業が出来ました。ま、考えてみれば当たり前です。彼らは十年弱は授業を受けていたのですから。

 教師教育で本当に必要なのは、教師になるぞ、という立ち位置で膨大に授業を見ることだと思います。その中で、自分だったらこうする、どうする、ということをシミュレーションするのです。そして、その次に授業をするのです。

 教職大学院での我がゼミは、学卒院生さんの場合は授業を直ぐにはしません。最初は学校のありとあらゆることのサポートをします。そして授業をいっぱい見ます。そんなとき、先生方が出張があるとき、いきなり1日担任を任されます。ゼミ生自慢ですが、我がゼミ生はそれが出来ます。『学び合い』では、授業の流し方ではなく、その時間で達成すべきものは何か、ということを考えることを大事にします。それさえ分かっていれば、従来型の授業でもうまく出来ます。だって、何を達成すべきなのか、という視点が学習者の時に持っていなかったことなのです。それ以外の流し方に関しては、十数年も授業を受けているのですから分かっています。

[]顔つき 05:20 顔つき - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 顔つき - 西川純のメモ 顔つき - 西川純のメモ のブックマークコメント

 修士1年生の学卒院生の顔つきが、とても良くなっています。一言で言えば、凛々しくなっています。

 教師にとっての最高の教師は子どもです。それも学部の教育実習のような短期間のつながりではなく、数ヶ月にわたるつながりだと思います。そして、『学び合い』を本ではなく、現実の姿で学ぶことが出来る。

 我ながら、本学の教職大学院のカリキュラムは素晴らしいと思います。そして、そのような場を与えていただいている、支援校の方々に感謝です。

12/11/07(水)

[]学部4年生の方へ 05:56 学部4年生の方へ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学部4年生の方へ - 西川純のメモ 学部4年生の方へ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 上越教育大学の教職大学院の宣伝です。本学の教職大学院は変わったカリキュラム構造をしています。授業のほとんどは修士1年の前期に集中しています。教育実習は修士1年と2年の9月から12月にあります。

 ということは、修士1年の1月から翌年の8月いっぱいは授業が全く無しです。何でそんなカリキュラムにしたかと言えば、一つの理由は受験対策です。非常勤講師をしながらの受験はとても大変です。まじめに授業をしていればとても勉強する暇はありませんよ。

 教職大学院修了者に対してペーパーテストを免除する県は少なくありません。

 中央教育審議会の答申にもあるように、今後は修士が教師の基本的な姿になります。つまり、今の1種免許が今の2種免許の位置づけになります。

[]現職の方へ 05:56 現職の方へ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 現職の方へ - 西川純のメモ 現職の方へ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 現職の方が大学院に行きたい場合、そのネックというのは地元を離れられない、というものがあります。

上越教育大学の教職大学院の宣伝です。本学の教職大学院は変わったカリキュラム構造をしています。授業のほとんどは修士1年の前期に集中しています。教育実習は修士1年と2年の9月から12月にあります。

 そして実習は現任校で出来るのです。ということは、絶対に上越にべったりいなければならないのは修士1年の4月から8月までの5ヶ月間だけなんです。それ以外は定期的に上越に来る必要はありますが、基本は地元で活動できます。

 日本中の多くの現職派遣の場合、14条適用と呼ばれるもので派遣されます。つまり、1年目は大学院で学べますが、2年目は通常と同じ勤務をしながら大学院に籍を置くというものです。しかし、担任や授業やその他の校務があるのですから忙しくて集中できません。

 しかし、上越教育大学への派遣制度は2年間派遣です。つまり、2年目に仕事がつかないのです。もちろん、現任校で実習させてもらうのですから、「はいよろこんで」の精神で仕事をしなければなりません。しかし、担任もありませんし、絶対にしなければならない授業もありませんし、校務分掌もありません。ゆったりと実践研究を勝手知ったる学校で出来るのです。

 現任校にもお得です。あなたの派遣期間は補充が入ります。そして、あなたが戻れば過員になるのです。それもその学校のことを知り尽くした人です。ね、お得でしょ。管理職に派遣のことを切り出しやすいと思います。

[]ツアー 05:33 ツアー - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ツアー - 西川純のメモ ツアー - 西川純のメモ のブックマークコメント

 8日は広島に行きます。9日は広島市で『学び合い』で学校作りをしている三入小学校に行きます。その後、三入小学校の先生方と島根の益田に移動します。10日は益田で『学び合い』中国の会(http://bit.ly/TK4Mek)に参加します。終了後、神戸に移動。11日は神戸で兵庫の会(http://goo.gl/imWeS)があります。12日は兵庫で『学び合い』で学校作りしている西宮浜小学校に行きます。そして昼頃そちらを出発して上越に戻ります。

[]その先 05:19 その先 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - その先 - 西川純のメモ その先 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 若い先生が上越に学びに来ています。教師経験が1年ちょっとの中学校の先生です。先輩教師から『学び合い』ステップアップを紹介され、全ての授業を『学び合い』にチェンジしました。しかし、うまくいかない、ということでメールを私に送りました。忙しかったので、その先生の学校に電話してアドバイスしました。その時、機会があったら上越に遊びに来たら、と申しました。それが1010日です。

 なんと、直ぐに校長先生の相談し、2泊3日の研修を許されたのです。私はその方にフルの『学び合い』を全部の授業でやっていることを校長先生は知っているのですか、と伺いましたが、ご存じなそうです。なんと理解のある管理職なんだろう、と思いました。きっと優れた部活指導を出来る教師だったんだろうな、と想像します。

 その若い先生は、どういう課題を出せばいいのだろうか、という入門者が持つ典型的な疑問を抱えて上越に来ました。『学び合い』ステップアップに書いたとおりに課題の出し方を手ほどきしました。そして、学習指導要領を読むことは大事であることを語りました。

 しかし、本当の手ほどきは、そこからです。その先生と対話することによって、その先生が子どもを信じ切れていないことが原因であることを自己分析されました。そこで、『学び合い』が単なる分かる授業を目指しているのではなく、子どもの幸せを保証する教育であることを理解してもらいました。そして、まずは反発する子どもではなく、動いてくれる子どもに着目すべきことを語りました。

 結局、従来型指導であっても『学び合い』であっても、教師がどのように子どもに対峙するか、という覚悟が教育の成否を決めているのです。『学び合い』はその覚悟をシンプルに表現しているのでわかりやすいのです。

 その覚悟が出来ていて、子どもを信じられる教師がどのような授業を出来るかを、公開していない教材をいろいろ見せました(一般公開の許諾を得ていないものです)。若い先生はそのレベルの高さに唖然とされていました。よく『学び合い』に関して、教科の本質がどうのこうのと言われる方がいます。しかし、それは『学び合い』の初期段階です。その段階は教科の本質よりも集団づくりに集中しています。しかし集団が形成され、子どもを信じられるようになれば、教科の本質が分からなければ達成できない課題を与えれば、教師がいろいろと手立てをしなくても、子ども達がものすごいレベルにまで達することを実例を通してお見せしました。それも、一部の子ではなく、全員がです。若い先生は目を見開いて、口を半開きにしながらそれを見ていました。

 私のところには大学院進学希望者からのメールがよく来ます。その時によく書くことです。大学院で最初に学ぶべきものは、何を学ぶべきかを学ぶことだと思うのです。大学レベル、また、現場レベルで疑問に思うようなことは、そりゃ大学や現場で学べます。大学院まで来る必要は無いと思います。しかし、大学や現場では疑問にすら思わないことを疑問に思うようになれるから、大学や現場では学べないことを学ぶことが出来ると思います。

 その方は、課題の出し方に関して10のことを学ぼうとして上越に来ました。もちろんそれも学びました。しかし、その方が今まで思いもしなかったことを100や200学んで上越を出発されました。その方の頭の中は、今、嵐のような状態だと思います。

明日は関東の同志の授業参観です。その同志は人柄温厚な方です。きっと嵐を鎮め理解に至らせると思います。

12/11/06(火)

[]失敗 05:13 失敗 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 失敗 - 西川純のメモ 失敗 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ゼミ生達には言っていたことですが、個々で公開し損ないました。昨日の毎日新聞(全国版)に『学び合い』が載っています。

[]成績を上げられる先生 05:03 成績を上げられる先生 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 成績を上げられる先生 - 西川純のメモ 成績を上げられる先生 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 クラスには4種類の子どもがいます。第一は、授業内容を既に知っている子です。塾予備校・通信教材の発達している今では、このような子は少なくありません。また、理科や社会科の場合は趣味でその手の啓蒙書を読んでいる子は少なくありません。

 第二は、教師の説明がなくても、自習で理解できる子どもです。日本の教科書は優秀です。読めば分かるようになっています。さらに安価で良質の参考書や問題集が手に入ります。思い出して下さい。授業はちんぷんかんぷんだったけど、テスト前に集中して勉強し理解したことを繰り返した人は少なくないと思います。

 第一、第二のタイプの子どもは教師が思うより多いのです。理由は簡単です。どの教科も、どの学校段階でも、一般の教師は「中の下」に合わせた授業をしています。結果として「上」、「中の上」と「中の中」にとっては簡単な授業をしているのです。

 第三のタイプは、教師の授業によって分かる子どもです。そして、第四のタイプは教師の授業ではちんぷんかんぷんな子どもです。

 この中で、従来型の授業で恩恵があるのは、第三のタイプの子どもだけなのです。さらに言えば、教師の説明が子どもの説明より良いという子はさらに少ない。日本の教員養成も、教員再教育も素人的には正しいが、実際には間違っている前提に立っています。それはよく知っている人ほど教えられるという前提です。これは認知心理学によって誤りであることが明らかにされています。ま、そんなことを持ち出さなくても、大学の教師や専門家の話が分からないと同じと言えば分かりますよね。認知的なギャップが激しいとその語る内容が伝わらないのです。教師はその教科が大好きだから教師になる人がほとんどです。従って、その教科が分からない子どもに伝える言葉を持たないのです。

 以上の通り、教師が教えるという従来型は非常に効率が悪いのです。

 が、世の中には、「あの先生が担任になると成績が上がる」という教師がいます。何故でしょう。おおよそ二つのタイプに分けられます。

 第一は、中の下に特化したドリル練習を徹底的に繰り返すのです。先に述べたように、第一のタイプと第二のタイプの子どもは、教師が何をしようと、また、何もしなくてもちゃんと勉強します。そして、第四のタイプの子どもは、教師が何をしようと、また、何もしなくても、ちんぷんかんぷんのままです。従って、何らかの効果があるとしたら第三のタイプの子だけなのです。つまり、中の下の子です。この子にドリル練習を繰り返せば、その子達の成績が上がります。しかし、第四のタイプの子どもは置いてけぼりです。だから、成績の分布を見れば、上記のような指導をしているか否かは一目瞭然です。どうなるかと言えば、分散の大きい山が90点や80点付近にあると同時に、低い点数にもう一つの山が表れます。それが成績を上げることの出来る先生の実態です。

 しかし、第二のタイプの成績を上げることの出来る先生がいます。集団のやる気を上げられる教師です。公立学校で高い成績を維持できる部活指導を出来る教師がやっていることを教科指導でやっているのです。この教師の場合は成績分布がフタコブラクダになりません。当然、第二のタイプの教師の方が、第一の教師より望ましい。なぜならば、教師の職責は学習指導要領に示されている最低学力を国民に等しく保証することですから。

 しかし、第二のタイプの教師はその教師の人徳やカリスマ性などによって実現しています。これは全ての教師が実現できることではありません。

 『学び合い』はシンプルな学校観と子ども観を理解し、「一人も見捨てない」ということを軸にすればだれでも第二のタイプの教師になれることを明らかにしているのです。

12/11/05(月)

[]内職 21:00 内職 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 内職 - 西川純のメモ 内職 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、ある教師の方と話しました。ある程度以上の能力のある子どもにとって教師の授業は無駄、邪魔であることを話しました。

 その方は、高校の思い出を語りました。その方は、高校時代、授業中は教師の授業を聞かずに内職したそうです。結果として成績が上がり、みごと志望校に入ったそうです。

 やっぱりね。

[]勉強法 07:23 勉強法 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 勉強法 - 西川純のメモ 勉強法 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は好きなことはどんどんやりますが、嫌いなことは先延ばしにします。多くの人も同様でしょうが、私の場合は極端です。その結果、小中高とも数学、理科、社会は全て5なのですが、英語は2もしくは3でした。国語も古典・漢文が入り始めてから成績が下がりました。

 私の入学した高校の当時は、節目節目で飲み会があり、高校名でボトルが入るような学校でした。校外模試はありません。そんな学校でした。私はその学校でトップだったので、勉強に不安無く過ごしていました。

 高校2年の最後に、高校入学後最初の校外模試が始めてありました。しばらくして結果がきました。英語の偏差値が27なのです。みなさん、偏差値に27と言うことがあるということ知っていましたか?偏差値73並の凄い偏差値です。愕然としました。慌てて、中学校1年からの教科書を集めて、その最後にある単語をチェックしました。その結果、「a」や「the」を含めて私の知っている単語は100ぐらいであることが判明しました。これでは27は当然です。

 私のやったことは、本屋に行って、私の読んで分かるような本(説明と問題が一対になっているような本)を買いました。そして、徹底的に問題を解きます。解けた問題は最初は黄色いラインマーカーで塗ります。次は赤、最後は緑で塗ります。三色のラインマーカーを重ねるとほぼ黒くなります。そうなると、その問題は解きません。これを何度も何度も繰り返します。最初はどんどん解ける問題が増えます。まあ、六割程度の問題は直ぐに出来るようになります。ところが、そこからが大変です。うんうんうなっても八割以上は行きません。そこで高校の先生に質問します。そして、十割分かるようになりました。結果として夏休み明けには、英語は偏差値60以上をとれるようになりました。つまり、6年間の英語学習は半年で挽回できたのです。

 しかし、この感覚は大学入試をした人だったら分かると思います。考えて下さい。月給数百万円の名物予備校講師の授業を1時間受けるのと、自分に合った参考書・問題集を使ってどんどん勉強するのと、どちらが単位時間あたりの学習効果が高いでしょうか?明らかに後者です。一番良い学習法は、自分に合った勉強法で自分のペースでやる方が良いに決まっています。

 人には「分かっていること」、「本を読めば自分で分かること」、「人に説明してもらわないと分からないこと」の3つの部分があります。「分かっていること」、「本を読めば自分で分かること」を人に説明してもらうのは時間のロスです。さらに、人に説明してもらうときは対話が必要です。それが無い場合は、本を読んでいるのと同じです。ということで月給数百万円の名物講師の授業ですら非効率なのです。ましてや、普通の給料をもらっている普通の教師の授業は無駄であり、邪魔なのです。

 まとめると効率が良い勉強法は、自分に合った本を使って、自分のペースで問題をどんどん解くという方法です。それでも分からないところを人から教えてもらうという方法です。どのような本を使うかということは人によって違うと思います。人に教えてもらわないと分からないという部分がどれほどか、ということは人によって違うと思います。しかし、自分のペースで、自分に合ったツールを使うということは普遍性があります。

 さて、息子のことです。息子を見ていると私によく似ています。出来るところがるんるん気分で勉強するのですが、出来ないとくさります。そして、「こんなのどうでもいいんだ」と合理化をして先送りします。

 息子は附属小学校に入っています。そこで附属中学校対策としてテストをして90点以下は再テストということになりました。その結果、算数のテストが悪かったです。学校は、家で教えて下さいとのことです。

 附属の学力は家庭の教育力に依存していることがよく分かります。附属に入れる家庭は教育熱心です。そしてママ友ネットワークの中で互いにプレシャーを与えます。附属はそれをうまく利用していると思います。

 そこで私の出番です。本屋に行って問題集と参考書が一対になっている本を探しました。息子に読ませて読みやすいかを確認しました。次にその問題集をスキャナーで読み込みました。そして既に学んでいる部分をプリントアウトして、それを全て解くように指示しました。大部分は息子は解けます。マルバツをつけた問題集とそれに対応する参考書を与え、解けなかった問題を解きなさいと指示します。息子が出来たと入ったら、解けた問題を除外した問題をプリンターで印刷し、解かせます。これを繰り返すと、息子がどうしても分からないところが分かってきます。そこで私がその部分を教えます。そして、問題を解かせます。全部解けるようになるまでこれを繰り返しました。連休3日で終わりました。次のテストでは算数はほぼ満点を取れるようになりました。

次に、6年生の後半で習うところに関して、それと同様に行いました。2週間ほどで出来るようになりました。ある意味当然なことです。現状の授業は非常に非効率な方法ですから。

 しかし、学校の教師は私よりもっと凄いことが出来ます。我が息子の場合は、私が教えなければならない部分が少ない。しかし、私が教えなければならない部分が多い子が我が息子だったら私がパンクします。私が教えているのは、家にいるときの仕事をしている傍らでちょこちょこっと教える程度ですから。

 我が息子の場合は将来に具体的な夢があります。そこに関連づけて説明すると彼は勉強します。6時間ぶっ続けで算数の問題に立ち向かうのです。しかし、多くの子どもはそうではない。私のような家庭学習は息子のような子どもには有効ですが一般には成り立たないと思います。

 しかし、学び合う学習集団を創れば、分からないことがあったら徹底的に教えてもらえます。そして、やる気が起きない子どもに対して、いっしょにやろうよと入ってくれる仲間がいるのです。

『 学び合い』研究で分かっていたことですが、我が子を通して、現状の学校の非効率さに愕然とした次第です。

 もし、学力のある子どもが「先生、先生の授業より自分で勉強した方が分かるから、図書室で勉強させて」と言ったら教師はなんと言うでしょうか?それは事実であることを教師は知っているはずです。でも許すわけないですよね。そうすれば「学校はみんなで勉強するところだから」と言うでしょう。そこでその子どもは「でも、みんなで勉強していないじゃない。先生の話を聞いてノートに書いているだけだよ」と言ったらどうでしょうか?

 子どもだったら言いくるめられるかもしれません。しかし、保護者がそう言ったらどうでしょうか?現在、そういう保護者が生まれています。そして、それが今後増えます。

sweetsdaisukisweetsdaisuki2012/11/05 22:24西川先生、こんばんは☆
私は高校時代、先生の説明を聞くのがなぜか苦痛で苦痛で、
教室を飛び出したい衝動を一生懸命抑えていました。
自分から「学びたい」と感じることがどういうことかが、
わからないくらい、勉強が苦痛で、
プライドとイイ子精神だけで自分を支えていました。
もっともっと、授業中に友達とかかわりたかったです。
もっともっと、意見を交換して
目標達成に向けて、みんなでワクワクしたかったです。
今、先生を始め、みなさんの記事に救われる思いです。
ありがとうございます。

jun24kawajun24kawa2012/11/06 03:38教師になるような我々ですらそうなのですから、一般の子の苦痛はどれほどなのでしょうか。早く、解放してあげたいですね。

12/11/04(日)

[]家庭 22:07 家庭 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 家庭 - 西川純のメモ 家庭 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 息子の勉強を見ています。2週間で半年分の算数の学習が可能です。ということは学校は何をしているのか、と改めで思います。これでは、家庭によって子どもの将来が決まると言うことが、実感として分かります。

 ある程度の能力のある子にとって、教師は無用です。というか邪魔です。適切なテキストさえあれば、直ぐに分かる程度のことを学校でしています。理論的に分かっていたことを我が子で確認できました。

 でも、私がちょこちょこっとで、教えられる以上のことを教師が出来ます。でも、それに気づいていただけません。

12/11/03(土)

[]学会発表 19:31 学会発表 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学会発表 - 西川純のメモ 学会発表 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 我がゼミでは、学部4年に1度学会発表することになっています。さらに、大学院の場合は、修士1年の冬に1回、修士2年に2回の計三回の学会発表することになっています。「学会発表なんて出来るのだろうか?」と最初はびびりますが、我がゼミに入れば自然に出来るようになります。

 といっても私が手取り足取り教えることはしません。学会発表に関しては私は全くノータッチです。しかし、見事なレベルにまでゼミ生は成長します。本日も、私のことをよく知っている方から「先生のゼミは、あの学会発表の指導を先生は何もしていないんですよね?」と聞かれたので、「はい」と応えました。その先生はゼミ生の発表のクオリティの高さを褒めていました。このクオリティの秘密は二つです。

 第一には、私の指導するようなことの95%は「実証的教育研究の技法」という本の中に書いています。我がゼミで「名著」と言う場合は、他の本を差し置いてこの本のことを指します。とにかく、学術研究のノウハウのほとんどを書いた本です。ですので、この本を何度も読み直せば研究が出来るようになります。

 しかし、本に書ききれないものがあります。いわゆる秘伝みたいなものです。これはゼミ集団の中にあります。私が何も言わなくても、ゼミ生が自主的に学会発表の準備を始め、プレ発表会を開き、互いのレジュメをチェックし合います。しかし、これって全国大会の常連校だったら当然ですよね。どの時期に、何をしなければならない、ということの文化が部活の中にあれば、顧問がごちゃごちゃ言う必要はありません。

 我がゼミは多くの学術研究とは違い、また、実践研究とも違います。学術研究と実践研究の往還があるというレベルではなく、表裏一体と言うべき姿です。それに慣れてしまえば、いわゆる学術研究がもの足らなくなります。同時に、いわゆる実践研究ももの足らなくなります。しかし、我々と違った立ち位置の研究を見ることは、自らの立ち位置を理解するにはとても大事なことです。だから、役に立つとか参考になることがなくても参加し、見る必要があるのです。

 我々は節目節目がないと、だらだらと先延ばしにしてしまいます。しかし、学会発表をするということがあるため、節目節目でその時点での結果をまとめ吟味する必要が出てきます。これがあることによって、最後にひずみを起こさずにまとめることが出来ます。

 一般の人は多くの人の前で話す能力の獲得は必須ではありません。しかし、教師の場合は、それは重要な能力です。我がゼミ生は教師になろうとする人たちの集団です。だから、これを課す必要があるのです。これは学卒院生ばかりではなく、十年以上の経験がある現職院生も同じです。案外、学校の先生は事実に基づいて論理的に話すというトレーニングを受けていません。端的な例ですが、各学校の研究発表の研究主任の発表で、論理的で実証的な事例は本当に少ないです。あれを根拠を明示し、プレゼンを吟味すれば、インパクトは大きいはずです。

 学会発表は部活の遠征みたいなものです。遠征は重要ですが、そこまでの行き帰り、夜の懇親会にも意味があります。というより、私が院生時代には「夜の懇親会で飲むために発表するんだ」と教えられたぐらいです。

 我がゼミは大学に籍を置いています。大学では学術の実績が無ければ、他の実績が無ければ潰される危険性があります。我がゼミは常に学術の成果を高いレベルで出し続けた集団です。だから、そちらの方向からの後ろ指が指されませんでした。

 というもろもろの意味がありますが、今回の学会発表はいずれにおいてもパーフェクトな結果だと満足しています。ま、それにしても指導教員バカかも知れませんが、ゼミ生達は惚れ惚れとするほど優秀な集団だと思います。

12/11/02(金)

[]専門性 21:25 専門性 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 専門性 - 西川純のメモ 専門性 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日はイマキヨさん、学校のご厚意で高校国語の授業を見せていただきました。いろいろなことを学びました。その中で特に嬉しかったのは教科の専門性です。

 私は基本的に教科の専門性を前提にしません。というのは子どもを一人も見捨てたくないのと同様に、教師も一人も見捨てたくないからです。高い専門性を否定するのではなく、それを全体としたくないのです。

 しかし、本日のイマキヨさんの説明、また、幸い同席いただいた国語の先生の会話を聞いて、実はウルウルしていたのです。というのは教科の専門性が生かされると、このような会話が成り立つのか、ということを感じたからです。

 関係各位に感謝します。

e_chigoyae_chigoya2012/11/03 16:36ご参観ありがとうございました。24kawa先生に授業を見ていただくのは初めてですね。忌憚のないご指摘やご質問をいただき、非常に楽しく学びの多い事後検討会になりました。24kawa先生が相手なので、取り繕う必要もなくお話しできました。おかげさまで、授業を作るのも、生徒とわいわい勉強するのも、振り返って反省するのも、楽しくやれています。また来てください。

jun24kawajun24kawa2012/11/03 19:09変な話ですが、まず、字がうまいのに感心しました。次に、ピント張り詰めた中で粛々と進んでいる姿、良いですね。ビックリしたのは、私が高校教師だったときとの違いです。当時は、教材が分かっていれば良いんだ、という世界でしたし、一人一人が天皇陛下でした。廊下を歩いたら、生徒達が「今日は授業研究があるのかな」と我々を見ながら話している姿にビックリしました。生徒達にも授業研究という言葉が一般化している高校に隔世の感を得ました。その中で、したたかに実績を上げているあなたに敬意を感じます。同時に、このような機会を与える高等学校が生まれていることに嬉しく感じました。
追伸 最後に課題を詳しく教えている、ということを知って謎が解けました。かなりの子どもが、あの時間の中盤までにノートに全訳をしているでこりゃ凄いな、と思っていましたが、そんな仕掛けがあったんですね。1年生であれだけのことができるならば、3年生の結果が楽しみですね。尻のたたきがいのある生徒だと感じました。

12/11/01(木)

[]シンプル 22:21 シンプル - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - シンプル - 西川純のメモ シンプル - 西川純のメモ のブックマークコメント

 自然科学が成功したのは、シンプルな原理原則に拘り、それをあらゆる方向に展開したこと。そして、その原理原則に則らないところがあれば、それを乗り越えるシンプルな原理原則を構築したこと。

 原理原則を建前と考え、運用に頼るかぎり自然科学のような成功はなかった。もちろん、運用を否定したら動きません。しかし、原理原則があり、運用が補足する、この関係を崩してはダメだと思うのです。

 と、本質的に単純バカの理系人間は思います。

g5o0t9o9g5o0t9o92012/11/01 23:41従って,やはり戻るべきは『導入書』。そしてそれを支える先生の研究論文(cini等で検索)だと感じます。科学の歴史には,その分野の知識のまとまりと発展の方向を理解する上で立ち戻るべき足場(古典及び古典を形作った前史的著作群)が必ずありますから。

jun24kawajun24kawa2012/11/02 10:12すべての人がそれを学ぶべきであるとは思いませんが、一部は必要ですね。大学院、お待ちしていますよ。