西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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本格的にトライする人も多くいると思います。その際、人とのつながりが大事です。身近にいる人と繋がれるとありがたいですよね。『学び合い』を実践される方は、『学び合い』マップ(https://www.google.com/maps/d/edit?mid=zDInXkSSxyO4.kNDji5uDNm0Y)に、是非、登録下さい。登録は、『学び合い』マップ登録フォーム(http://form1.fc2.com/form/?id=77081b4d4f40dd2f)から出来ます。  「私なんて、人になんか教えられるレベルに行っていない」と思う方へ。だからいいんですよ。一番知っている人が、一番の教え手ではないことは『学び合い』を実践しているならば、子どもを見れば分かるでしょ。それに、教える必要はないのです。共に学び合えばいいのです。いや、愚痴を言ったり、笑ったりする、それでいいのです。  是非、一人でも多くの人がマップに登録下さい。強く、強く、お誘いします。

12/08/31(金)

[]違うな~ 21:09 違うな~ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 違うな~ - 西川純のメモ 違うな~ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 テレビで有名高校のクイズ番組がありました。ま、すごいです。が、同時に「知の浪費だな~」と思います。

 あそこに出ている生徒達は、問題解決能力も高いし、その意志も強い。が、その問題解決の課題が、クイズ番組や受験にしか使えない部分に費やしているように思います。あれだけの能力のある子が将来に生きる問題解決に使えば良いのに、と思います。

 ほれぼれするほど、すごい子どもを見ながら、浪費だな~っと思います。

 将来に生きる問題解決。それは、彼らの将来の問題解決を早く向かわせれば良い。そうすれば、彼らはその先もあるし、それに必要な基礎を自ら見いだせる。彼らの将来の課題を見いだせるのは彼らです。誰でもない。

[]国威発揚 06:58 国威発揚 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 国威発揚 - 西川純のメモ 国威発揚 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 日本が大事だと思っていることが、諸外国ではそれほど大事だと思っているわけではありません。オリンピックだってノーベル賞だって、すべての国が日本と同じぐらい重要な尺度と思っているわけではありません。絶対的な尺度はないと思います。

 発展途上国、中進国が国威発揚のためにオリンピックにお金をかけているとしても、日本がいつまでもそれと同じことをしてもしょうがないように思います。むしろパラリンピックの結果の方が、先進国であり高齢社会の日本にとって国の姿を現しているように思うのです。パラリンピックが全国放送され、それを国民が見ている、そんな国は良い国のように思うのです。

12/08/30(木)

[]九州旅行 19:56 九州旅行 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 九州旅行 - 西川純のメモ 九州旅行 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、1週間の家族旅行から帰ってきました。家族で大満足の旅でした。

 博多は「一蘭」のラーメンが家内に受けました。味はもちろんですが、女性が周りを気にせずに食べられる点が気にいったようです。

 太宰府では、私の大好きな両手招き猫を大量発見、購入です。梅が枝餅を食べましたが、焦げ目があって美味。饅頭の名物においしいものはないと思っていましたが、びっくりです。

 長崎は中華街でチャンポンと皿うどんを食べました。美味しかった。出島資料館もグラバー邸も、私が以前来たときよりも充実していました。夜は稲佐山に泊まりました。ホテルからの夜景は絶品です。おまけに打ち上げ花火が海で上げられていました。

 佐賀では吉野ヶ里遺跡を見ました。意外に立派なのにびっくり。嬉野温泉にとまりました。

 帰りは金沢に一泊し、本日帰りました。

 息子は次は韓国旅行と言います。家内は四国が良いのではといっています。でも、私は東・南九州もいいのではと思っています。

 旅行は楽しかったけど、家は一番。

kazumiyusakazumiyusa2012/08/30 22:24 福岡にも来ていただき、ありがとうございます。本日、佐賀の『学び合い』学習会に参加させていただき、また九州での風を感じてきました。

jun24kawajun24kawa2012/08/31 18:28福岡はいいところですね。どんどん、そこに風を起こしてください。

12/08/28(火)

[]増刷 19:41 増刷 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 増刷 - 西川純のメモ 増刷 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 「クラスがうまくいく! 『学び合い』ステップアップ」(学陽書房)が1ヶ月少々で増刷になりました。不遜ながら自分でも世を変える力の本だと思っていますが、世に受け入れられて感謝に堪えません。2刷は3000との判断をいただきました。今後も勢いが衰えぬとの出版社の判断をいただきました。有り難い。

[]教職大学院の2年間 17:52 教職大学院の2年間 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教職大学院の2年間 - 西川純のメモ 教職大学院の2年間 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 教職大学院は様々なシステムがあります。以下は上越教育大学教職大学院、特に西川ゼミを想定してのこととご理解下さい。なお、多くの人にとっては、後半の「入り方」や「おまけ」のところが重要なのかもしれません。

<修士1年前期>

 この期間は必修科目が目白押しです。月曜日から水曜日まではびっちり授業が詰まっています。が、大丈夫です。

 不遜ながら私は全国各地から高額の講演料でよばれています。しかし、その私レベルの話の内容と面白さ(サービス精神)の大学教師で固めているのが本学教職大学院の売りです。最初はそのような講義を聴きます。やがて様々なメンバーでチームを組んで追求課題をやります。そして、発表します。最後にレポートを書きます。指導教員がその指導レポートのチェックをします。

<修士1年後期>

 4人程度のチームを構成し特定の学校に入ります。いわゆる実習です。しかし、授業だけやる実習とは異なります。イメージとしては非常勤講師(それも副担任もある)、もしくはボランディアのようなイメージが良いかもしれません。しかし、それ以上です。その学校の課題を、校長や研究主任・教務主任と相談しながら支援します。

 学部を卒業したばかりの学卒院生が校長や研究主任・教務主任とちゃんと議論するのですから、凄いものです。もちろん、現職教員はそれ以上のレベルのことをします。例えば、複数の校長と調整して、学校連携を企画するのも仕事です。

 チームで入りますので、何か問題があればチームで解決します。さらに、同じ研究室内のチーム同士で議論し、協力します。

<修士2年前期>

 修士1年後期の1月から修士2年前期の9月まで、全く授業がありません。何故かと言えば、学卒院生が教員採用試験に集中することが出来るためです。また、現職院生の場合は、各自の問題意識の中で、入りたい学校で実践と研究を行います。

<修士2年後期>

 2回目の実習です。1年目の課題を踏まえて、本格的に実習に入ります。それをもとに学習の成果をまとめます。

<研究>

 教職大学院は修士論文は課されません。しかし、西川ゼミの場合は学会発表はするし、学術論文は書きます。というとビックリされるかもしれませんが、普通にやれば学会誌レベルの研究は自動的に出来るようなシステムになっています。学生には以下のように説明します。

 例えば、顕微鏡は十六世紀末にオランダで作られました。さて、もし、十五世紀に小学校にある程度の光学顕微鏡を持っている人がいたとします。その人が大発見を出来ない理由があり得るでしょうか?まずあり得ません。だって、普通に見れば、大発見になるのですから。

 さて、西川ゼミでは数百大のICレコーダーと数十台のビデオカメラで子ども達の様子を記録し、分析します。さて、上記のデータが以下に価値があるデータであるかは論を待ちません。ところが、もし大学の教師が「あなたの授業の様子を記録させて下さい。あなたと子どもの全員にICレコーダーを付けて、授業の様子を3台のビデオカメラで記録させて下さい。それを3ヶ月以上お願いします」と現場の教師に頼んで受けてもらえる可能性はあるでしょうか?まず無いでしょう。そして、多くの教育研究者は上記のような手間のかかる研究はしません。というより出来ないと思います。

 つまり、十五世紀に光学顕微鏡を持っていると同じなのです。

 なお、在学中に学術論文を書き上げることが出来れば、奨学金の全学・一部免除になる可能性があります。

<入り方>

 実習校は基本的には上越近辺の学校を想定していますが、それ以外の学校でもOKなのです。つ、ま、り、もし現職教員の場合、校長がOKしてくれたら自分の学校で実習が出来るのです。十四条の派遣(つまり、1年は大学にいて、2年目は現場で修士論文を書く)という派遣とは異なって、2年間、担任も校務もない状態でじっくりと実践と研究が出来ます。現任校も派遣教師の抜けを補う教師が補填されているので、派遣教師は「過員」のような位置で学校を支える事が出来ます。ということで喜ばれます。

 つまり、本当に上越にいなければならないのは、1年目の前期の月曜から水曜日で、1年目の8月からは基本的に地元で実践できるのです。ただし、大学院修了に必要な発表の会には参加してもらいますし、月に1度程度はこちらに来てゼミ全体で議論することは必要です。

 全国の『学び合い』の管理職の皆様へ。上記がどれほど意味があるか、お考え下さい。上越で『学び合い』の奥義を学んだ過員が御校に生まれるのです。ふぉふぉふぉ

<おまけ>

 なお、単位を取れば小学校免許や中学校免許も取ることも出来ます。教職大学院の修了学生だけを対象とした教員採用試験の一部免除制度があります。人数制限がある場合もありますが、本学の大学院の半数は現職院生、つまり教員採用試験を受けない人なのですから、推薦を受けられる可能性が高いです。なお、中央教育審議会の答申にハッキリと教員免許の修士化が出されています。学部卒業だけで教員になるより、有利だと私は思います。

[]自画自賛 14:24 自画自賛 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 自画自賛 - 西川純のメモ 自画自賛 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日の読売新聞の一面は、教職大学院の定員充足が不十分であり、今後の教員養成の受け皿になるためには十分なインセンティブを与えるべき事が書かれていました。しかし、一方、終わりの方のページには、そのような状況にあっても上越教育大学は定員を充足し、地元の教育委員会との連携もうまくいっていることが書かれていました(少なくとも関東甲信越地方は)。

 このようなことを書いてもらえる実績を上げられたのは教職大学院スタッフのチームワークであり、関係する方々のご協力のたまものです。しかし、少しは自分を賞めてやりたい気持ちになりました。ということで以下、自慢話です。

 上越教育大学の教職大学院は私が学長に計画を立てさせて欲しいと直談判して始まりました。はじめは学長の指摘ワーキングから始まり、徐々に組織化しましたが、その最初から計画を立てさせてもらいました。一介の四十代前半の教授に一つの専攻の立ち上げを任せてもらうと言うことは異例だと思います。その後も、一貫して学長団は支持していただけました。

 さて、立ち上げることになって関係する法規や答申を読んでみてビックリしました。大学の教育は基本的に大学の自由裁量の範囲が広いのですが、教職大学院の場合は小中高の学習指導要領並みに細かに規定されているのです。ある意味、小中高以上の規定があります。ところが、それに対するインセンティブ、つまり教職大学院修了生が受けるメリットは殆どありません(幸い、最近は各種のメリットが整備されていますが、当時は、ほぼ無いような状態です)。つまり、大変なのに、お得感が無いのです。調べれば調べるほど、こんなことやる大学があるのだろうかと思いました。現在もそうですが、教職大学院を立ち上げようとする大学が限られているのはごくごく当然です。平均的な大学人だったらバカにするなと言いたくなると思います。

 しかし上越教育大学は教員養成のトップランナーであるし、それを失えばその存在意義を失います。何が何でも設置しなければなりません。

 冷静に再度、法規を読めば、逃げ道はあります。つまり、今までの大学院の看板の掛け替えでも何とか出来る部分は少なくありません。しかし、上越教育大学はそれを選択できません。県庁所在地にも無く、新幹線の停車駅でもない大学の教職大学院に進学しようと思ってもらうためには、かなり異質でなければなりません。そもれ、他大学がまねようとしてもまねられない異質さでなければならないのです。

 では上越教育大学の特徴は何か?

第一に、現職派遣の院生の割合が非常に高いと言うことです。おそらく、この特徴を持っている大学は上越教育大学と兵庫教育大学と鳴門教育大学ぐらいだと思います。この特徴から派生して、研究の実績を持つ現職教員をOBOGに多く抱えているという特徴があります。

第二に、全国区の大学であるという点です。多くの教員養成系大学は、地元の人が進学します。ところが、新潟県には新潟大学と上越教育大学という二つの教員養成系大学があるため、例外的に全国区の大学になりました。同時に、多くの現職派遣の人は地元の大学院に進学しますが、これまた上越教育大学には全国の現職派遣の人が来ます。この特徴を学卒院生と現職院生の共に持っている大学は上越教育大学のみと思います。

第三に、地元教育委員会との関係が非常に良好であるという特徴です。もともと上越教育大学は地元の教員研修団体が中心になって誘致活動をした大学なのです。昔の話を聞くと、なんと地元の先生方がお金を出し合って大学を誘致したそうです。その経緯から、地元の学校が全面的に大学をバックアップしてくれています。例えば、国立大学の教育実習は殆どが附属学校だと思います。一方、私立大学の教育実習は学生さんの出身学校だと思います。ところが、上越教育大学の教育実習は附属学校の占める割合は少なく、大部分は地元の学校が積極的に引き受けてくれます。新潟県から多くの現職派遣の院生を送っていただいている関係で、地元学校には大学院OBも多く、中には教え子の校長・教頭も少なくありません。これは上越教育大学のみの特徴だと言えると思います。

以上3つの特徴を活かせば、他の大学がまねできない本学独特のカリキュラムが出来ると思いました。

私が基本構想を担当したのですから、そのキーワードは[臨床力]と「協働力」です。後者は『学び合い』と言っていいと思います。ちなみに教職大学院の殆どは非『学び合い』の従来型の学習で名をはせた方々です。しかし、教員同士は「よい教育を実現しよう」というミッションにおいて『学び合い』が成立しています。(だから専攻の飲み会の参加率が基本的に100%なのです)

本学のカリキュラムの特徴は、色々なメンバー(様々な都道府県の派遣、様々な大学出身)の人たちが仲間としてチームを組んで実習をします。いわゆる、現職派遣の院生が学卒院生を指導するという形ではなく、あくまでも同僚としてです。ま、指導教員が校長で、現職派遣の院生が中堅教師、学卒院生が若手教員という立場になります。これによって学卒院生が成長し、かつ、現職派遣院生との軋轢を避けることが出来ます。同時に、現場の年齢バランスの崩壊から、年配からの教えてもらった経験は豊富ですが、若年の教員とつきあう経験が不足している教員にその機会を与えます。それによって若手教員とのつきあい方を学べます。なにか問題が起こったら校長の立場の教員が断を下します。これって異学年の『学び合い』と全く同じ運営です。

ちなみに、私は二十年以上、現職派遣院生を教えていますが、その院生が大学院で学べた最大のものは仲間であると言います。それなりの年齢になり、それなりの職階につけば、なかなか相談できない色々な問題に出くわします。そんなとき、他県ではどうやっているかという情報を、腹を割って得ることが出来るのは、同じ釜の飯を食った他県の現職派遣の仲間だからです。

次に、実習校に授業するという実習ではなく、学校の仲間になるという実習を行います。学部の実習での授業は教員の仕事の一部です。教員には様々な仕事があります。それを丸ごと経験することが出来る実習にしました。そのためには、その学校の抱える問題、解決したい課題を学校から話を聞き、それにあった支援計画を立てなければなりません。これは象牙の塔で学問をしていた人では無理な話です。しかし、上越教育大学は地元の学校と良好な関係を気づいていますし、現場の学校とちゃんと話を出来る教員でスタッフを固めています。おそらく現職経験のある日本でも数少ない教育の博士号を持つスタッフをそろえているのはまずいません。

教職大学院の開設当初は「また、現場学校の教育実習負担が増えるのではないか」という恐れから地元学校の中には様子見の学校は少なくありませんでした。しかし、開設以来の実績から、教職大学院の実習生は地元学校では奪い合いの様相になっています。ちなみに、我がゼミの学生は忘年会には必ず呼ばれます。また、先生方が呼ばれないPTAの飲み会にも呼ばれることもあるのです。

以上のことは『学び合い』の理論より、また、それまでの西川研究室の運営経験からうまくいくことは自信がありました。しかし、予想以上にうまくいきました。なによりも、専攻のスタッフの個々人の力量や協働力の凄さは私の予想を遙かに超えていました。なにしろ、専攻の中で大変な仕事が誰が担当するかを話し合ったとき、だれかが手を挙げてくれるだろうということを信じられるのです。だれかが頭を使って色々なことを企画してくれます。専攻会議は週に1度あります(多くの大学は月に1度程度だと思います)が、多いという感覚はありません。絶えず、だれかが色々な提案をしてくれます。そして会議時間の5分の一から4分の一程度は馬鹿話をして大爆笑しながら会議が進みます。このような同僚を持ち得たと言うこと、それも例外がないというのは私の予想を遙かに超えていました。おそらく、専攻内教員間の悪口は皆無と思います。

このような仲間とだったら、どんどん素晴らしい教員養成・教員再教育が出来ると思います。

aki1021aki10212012/08/29 00:33前任校で、実際に上越教育大学教職大学院の支援を受けていた立場から・・・。

若い院生さんからも現職の院生さんからも、多くのことを学ばせていただきました。相談にのっていただいたり、助けていただいたりすることが多く、同僚以上に「同僚」のような関係が築かれていたように思います。

個人的に心から幸せだと思ったのは、西川研究室ではない、他の研究室からの支援を受けていたことです。
院生さんは西川先生の講義を受けていたりして『学び合い』のことをご存知なので、説明しなくても分かってくださり、しかも尊重してくださいました。
その上で、ご自分の研究室の「最先端」の情報を教えていただきました。多くのことを学びました。贅沢で幸せな時間でした。(この時に教わったことは、かなりの財産です)

実際、院生さん達のご苦労はかなりなものだと思うのですが、現場にとって支援は本当にありがたく、互いにWin・Winの関係が築けていたように感じました。


現場経験の無い若い院生さんが、惚れ惚れするぐらいに動きがよくて(採用されたら、即戦力だなあ)と感心するほどだったのは、現職の院生さんとの協働が、うまく機能していたからだと思います。
そんな院生さんたちが、本当に羨ましかったです。

jun24kawajun24kawa2012/08/29 06:24これ、フェイスブックでもつかってもいいですか?

aki1021aki10212012/08/29 07:53もちろんです。

jun24kawajun24kawa2012/08/29 12:30ありがとうございます。

12/08/27(月)

[]洗脳旅行改め 16:36 洗脳旅行改め - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 洗脳旅行改め - 西川純のメモ 洗脳旅行改め - 西川純のメモ のブックマークコメント

 以前、『学び合い』を学びに上越に来られる旅行をギャグで「洗脳旅行」と言っていました。ところが、ギャグでとらえられない方もおられるので研修旅行と名称変更しました。ところが、本日、ある方が「また洗心旅行に行きたい」とのメールを送ってくれました。洗心旅行というのは良い言い方だと思いました。

[]無神経 16:23 無神経 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 無神経 - 西川純のメモ 無神経 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 長崎の原爆資料館に現物大の原爆の模型がありました。その横に並んで記念撮影をしている人がいました。それも誇らしげに。ビックリして近づくと、中国語で話している人たちでした。その後も、独立したグループが同じことしていました。全て中国語を話していました。

 おそらく第二次大戦中、現地の人の死体の前で記念撮影している日本人の写真を中国の方はどんな気持ちで見るでしょう。それと同じ事をしていることを理解できないのだと思います。悪気はないことは分かりますが、残念です。他山の石です。

12/08/26(日)

[]非難 07:42 非難 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 非難 - 西川純のメモ 非難 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 思い出して下さい。最近、家族以外の人に公的にかつ明確に非難されたことがあるでしょうか?おそらく、殆どの人は無いと思います。そして、1年のスパンを広げても、10も無いと思います。そして、それが1度でもあれば最低でも数日ぐらいは落ち込むと思います。

 ところが日本国首相レベルになると、天下の大悪人のような非難をありとあらゆる人から受けます。圧倒的大多数の人はそのような非難に耐えられないと思います。それは日本国首相になるような人も同じです。これに対応する方法は、「非難する人を大悪人で愚かな敵であると考える」しかありえないと思います。大悪人で愚かな人に非難されてもあまり心は痛みませんから。

 もう一つの道があります。それは、「非難する人」と繋がっていている仲間の人と繋がり、「非難する人」の情報を遮断するのです。つまり「非難」を仲間というフィルターを通すのです。この場合、その仲間の人の判断・配慮が重要なポイントなのです。

 その仲間の人が全ての情報を遮断すれば「裸の王様」になってしまいます。しかし、相手の気持ちを考えず、そのままの情報を流せば、その仲間は非難する人となんら変わりなくなり非難する人になってしまいます。私を含めて、自分は非難されるとひどく落ち込むのに、人に対しては無配慮な人は少なくありません。

 幸い、私には仲間います。例えば、ゼミ生やOBOGは2年間以上、私という生物を観察しています。結果として、私がいかに落ち込みやすいし、心配性であることを知っています。私と無関係に、自分たちで多くの問題を解決してくれます。私に知らせる情報は極力限り、その情報を流す場合は小心な私に配慮してもらっています。おかげで、大学人として生きることが出来ます。感謝です。

12/08/24(金)

[]派遣 05:32 派遣 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 派遣 - 西川純のメモ 派遣 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日は大学院入試でした。実に質の高い受験生が多く大満足でした。特に嬉しかったのは、派遣する県が増えたことです。教職大学院制度が始まった当初は、本学教職大学院に派遣する県は多くはありませんでした。幸い、教職大学院制度の認知と本学の実績を理解していただき、派遣するようになった県がどんどん増えてきました。嬉しい限りです。

g5o0t9o9g5o0t9o92012/08/25 00:36金津中の五嶋です。本校の講演会の際,黒い服を着た女性の先生を覚えてますでしょうか。本日,校内研修全体会があり,その先生と『学び合い』の考え方について意見を交換し,「やっとわかった」という言葉をもらいました。講演後,職場で普通に『学び合い』という単語が出てくるようになり,学習形態の選択肢に『学び合い』が入っている先生や2学期に挑戦するという先生も出てきました。校長も大変興味深く記録のビデオを見ておりました。イベントとして全校『学び合い』(保護者参観も)の企画もやってみようか。という話も出てきています。あの日の講演会は大きかったです。

jun24kawajun24kawa2012/08/25 20:56あなたは優しいね。これでエネルギーが充填できます。感謝。大いに期待しています。

12/08/23(木)

[]熟睡 07:02 熟睡 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 熟睡 - 西川純のメモ 熟睡 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日は講演をいたしました。熱く、暑苦しく語りました。多くの方に伝わったと思います。また、学校で取り組むための作戦会議も出来て実り多い会でした。私の大好きな、熱くて、いたずらっぽい先生がいっぱいいました。

 が、悉皆の会だからしょうがないとは思うのですが。私の大声の講演中、最初から最後まで熟睡の先生が7人はいました。それも講師紹介の時からで、私が話し始める前からなのです。その先生は、自分のクラスの子どもになんて言っているんだろうな~っと思いました。ま、教師というのは、自分に出来ないことを人に求める職業ですから。あははは

 もちろん、私の能力不足があったと思います。反省。

追伸 以前、そのような先生がいましたが、後から聞いたら心の病で薬を服用され、その副作用で寝てしまうとのことでした。そういう場合もあるのなかな

FlipperKFlipperK2012/08/26 09:12<その副作用で寝てしまうとのことでした

よくあることだと思います。その手の薬を飲んでいると、突発的に眠気がおそってきます。(少なくとも私の場合)ただ、よく続いても1時間ほどで目が覚めてしまうので、夜に熟睡はできませんけどね。自分の授業中でもたったまま気がつけば数分間の記憶がない、ということもあります。
 先生の講演の場合、聴くつもりで参加されている人で寝てしまう人はハナっから聴く気がないのか、副作用に苦しんでいる人のどちらかだと思いますけど、私は。いずれにしろ能力不足を考えられる必要はないと思いますよ。

jun24kawajun24kawa2012/08/26 17:29ありがとうございます。

12/08/22(水)

[]風を吹かせる 07:21 風を吹かせる - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 風を吹かせる - 西川純のメモ 風を吹かせる - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私が認知心理学に基づく理科教育研究をしていた時期です。当時の院生さん達と二つの学会に参加しました。当時の理科教育学は古典的な文献研究と教材開発が主であり、心理学的な基礎を持った定量的な研究は希でした。

 ところが二つの学会では心理学的な基礎を持った定量的な研究が大きなウエートを占めていました。明らかに風が変わったことがハッキリしています。古典的な文献研究と教材開発が主であった学会で、心理学的な基礎を持った定量的な研究をしていた私が主流になったことにびっくりして、当時の院生さんが「西川先生はこのようになることを知っていたのですか?」と聞かれました。

 私は「学会の潮流を予測なんかできない。学会の潮流を変えたんだよ。」と応えました。当時活きの良かった若手研究者が中心になってグループを作り、一大キャンペーンを張ったのです。その人数は少なくとも、人の数倍、十数倍の情報発信をすれば、あっという間に主流になります。

 確信を持った少数の革新者が積極的に情報発信をすれば風は起こります。

[]埼玉の会 05:35 埼玉の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 埼玉の会 - 西川純のメモ 埼玉の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 8月25日に埼玉で会があります。お誘いします。http://goo.gl/wj9OS

motoryoumotoryou2012/08/22 07:40県の国語大会でも,この間宮城K中の講演会の時にもきてくださっていた,教頭先生が助言者として参加していて,「まさに!」と思うようなことを指摘してくださいました。これも,ですね。

jun24kawajun24kawa2012/08/22 12:09宮城でも、点が線になったようですね。もう少しで、面になり、次は立体になります。楽しみです。

12/08/21(火)

[]心を込めて 21:08 心を込めて - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 心を込めて - 西川純のメモ 心を込めて - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日は長岡、本日は富山、明日は埼玉で講演をします。心に届けと願って語りました。幸い、届いた後の手立ては『学び合い』ステップアップがあります。それが今までとの違いです。これから面白いことが多くなると思います。

[]風を吹かせる 21:08 風を吹かせる - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 風を吹かせる - 西川純のメモ 風を吹かせる - 西川純のメモ のブックマークコメント

 追い風は吹くのではなく、吹かせるのです。一人一人が風を吹かせるのです。風は、大きなこと生み出します。仲間を、そして見ず知らずの教師と子どもの人生を変えるかもしれません。http://goo.gl/saf1s

karakusa01karakusa012012/08/23 22:43すてきな新聞記事ですね。僕もいろんなところで少しずつ声を出せるようになってきました。

jun24kawajun24kawa2012/08/24 07:03それを多様にやり続ければ、一人の人間でもかなりのことが出来ます。ポイントは、いっしょに声を出せる人を生み出すことです。

12/08/20(月)

[]免許講習 20:18 免許講習 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 免許講習 - 西川純のメモ 免許講習 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、長岡で免許更新講習の講師を務めました。そこで生西川を見るために愛知から受講する方に会いました。なんかスターになった気分。光栄です。

[]トランクス記念日 20:18 トランクス記念日 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - トランクス記念日 - 西川純のメモ トランクス記念日 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日より息子はブリーフからトランクスに移行しました。

12/08/19(日)

[]校長の方へ 19:13 校長の方へ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 校長の方へ - 西川純のメモ 校長の方へ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 もし、あなたが校長で『学び合い』を学校で取り組みたいと願ったならばどうしたらいいでしょうか?まず職員の顔を一人一人思い浮かべてください。「一人も見捨てない」という教育にフィットする教員は2割はいるはずです。その中に、周りの職員が認める中堅・ベテランが含まれていたら、まず成功は確実です。

 次に『学び合い』ステップアップやスタートブックを読ませてください。でも、おそらく半信半疑だと思います。そうしたら複数の教員で生の『学び合い』を参観させてください。『学び合い』は今までの教育とはかなり異質です。本を読んでも既存の枠組みで理解しようとして誤読をするのが通例です。しかし、あなたが思い浮かべる教師だったら、生を見ればその意味するものを理解できます。ただし、これを学校に戻って説明するのはなかなか難儀だと思います。ま、「上越に行ったら妙高山に雪男がいた」と言うようなものです。その言葉に説得力を持たせるには二人の教員が必要なのです。なによりも、おそらく参観からの帰りの道で目で見たものを互いに語り合うことによって理解が深まります。

 そうしたら、『学び合い』をやろうとする職員にとりあえずステップアップやスタートブック通りに実践させてください。悩みがあれば、私にメールをさせてください。私は絶対に、絶対に誠意を持って対応します。また、コンピューターに堪能な方がいればスカイプで相談を承ります。

[]学校で取り組むには 18:57 学校で取り組むには - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学校で取り組むには - 西川純のメモ 学校で取り組むには - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近では学校で『学び合い』を取り組むために相談を受ける頻度が急激に増えています。ある意味、当然です。学校の先生の悩みの大部分は教科指導の悩みです。ところが、それを一緒になって研修することが困難です。授業の見せ合いは多くの学校でやっていますが、見せる側と見る側に分かれており、一緒に授業を作るということができません。それが中学校、高校だとほぼ不可能です。『学び合い』の場合、学級を超え、学年を超え、教科を超えて教職員が一緒になって研修することができます。

 さて、私は今まで多くの人から学校として『学び合い』を取り入れることを相談を受け、その成否を見守っていました。その結果、何がポイントかがわかります。

 意外かもしれませんが、校長が『学び合い』に肯定的であることは絶対条件ではありません。もちろん反対した場合は『学び合い』を実践することは難しくなると思います(不可能ではありませんよ。『学び合い』とは見えない『学び合い』がありますから)。少なくとも、『学び合い』をやることを反対しなければいいのです。

 成否の第一ポイントは、校内でそれなりに認められた中堅教師を含む3人が『学び合い』を良いものだと分かっていることです。3人が「やりたい」と言っていた場合、それをつぶすのは難しいと思います。ようは3人で実践して、成果を出せばいいのです。たやすいはずです。『学び合い』ステップアップに書いたとおりのことをやれば、人間関係の改善は比較的短期間に確実に『学び合い』は結果を出せます。3ヶ月もやれば、学力向上も成果が見えるはずです(抜群かどうかは分かりませんが)。なによりも、今までも穏やかな気持ちで授業を出来るあなたの雰囲気が変わるはずです。そうなれば、興味を持つ人も出ます。そうしたら『学び合い』ステップアップに書いたように、合同『学び合い』をすればいいだけのことです。

 以上が成功するか否かは、周りの同僚と健全な人間関係を維持できるか否かです。そして、周りの同僚の仕事を積極的に手伝いましょう。出来るはずです。『学び合い』をしていれば時間に余裕が生まれるはずですから。とりあえずは『学び合い』のことで突っ込んだ話はしない方がいいと思います。

 さて、次の段階になり、『学び合い』を学校全体で取り組もうという段階に進んだときのポイントです。それは『学び合い』を目的としないでください。同僚に『学び合い』を実践することを強いないでください。『学び合い』は教師の心で行う教育です。やる気のない人にテクニックを伝えてもおそらく失敗します。だって、失敗したくてしょうがないのですから。そして「ほら、私の言ったようにと言いたいのですから」、その気持ちをクラスの子供は分かっているから。

 では、何を研修のテーマとするか、それは「一人も例外なく最低学力を保証する」ということが一倍良いと思います。おそらく、それに反対する職員はいないはずです。ただ、このままだと曖昧な学力のままです。そこで「教科で学ぶべきものは様々ありますが、まずはテストで示される点数で学力を評価しましょう。それ以上のものはありますが、テストで計れる程度のものを全員が獲得した後に、それらを狙える環境が整うと思います」と言えば、通ると思います。

 ただ、注意があります。平均値ではなく、基準点以下の子どもが何人かということで評価するのです。小学校の業者テストの場合は期待得点を基準点とすればいいはずです。中高であるならば、「すべての生徒が学ぶべき最低学力を持っているならば80点をとれるテストを作りましょう」と申し合わせて、80点を基準点にすればいいのです。

 おそらく平均値を上げる指導は今までの授業でも出来ます。どうやるかと言えば、おおよそ中位の子どもにターゲットを当てた「良い指導」をすればいいのです。しかし、その場合は下位層の子どもは取り残され、得点分布は広がります。ひどいときにはフタコブラクダになってしまいます。

 では、最低点を今までの授業であげようとした場合、出来るのは最下層の子どもを残して個別指導すると言うことしかありません。しかし、最下層の子どもに個別指導をする場合、2、3人が限界です。結果として、その2、3人は点数を上げることが出来ても、それ以外の最下層の子どもの点数は上がりません。そこで次のテストの前に、上がらなかった2、3人を残して個別指導をすれば、その子は上がりますが、個別指導を受けられない子どもは下がります。まるでモグラたたきのようです。これが多くの教師が多くの時間を指導に費やしても成果につながらなかった理由です。

 結局、最下層も中位層も上位層も成績を上げることは出来るのは、みんなでみんなを支える『学び合い』しかありえません。そして、その結果は明確に出てきます。その結果をみれば分かる人は分かります(分かりたくない人は、分かりません。でも、しばらくほっておきましょう。本当は分かっているのですから)。

 以上2点を守れば、学校での『学び合い』は成立します。

[]反対者 07:33 反対者 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 反対者 - 西川純のメモ 反対者 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 息子は放送プロジェクト(放送委員会)のプロ長をやっています。私にそっくりの息子の性格から言って、絶対にプロ長は向いていないと思ったので諦めるように勧めました。しかし、息子は絶対にやると言い張り、そしてプロ長に選出されました。

 私の思った通り、マイペースで人の気持ちをくみ取れない私と同じ性格に起因する軋轢が生じています。それを息子が悩んでいます。息子が悩むのは可哀想だけど、息子とぶつかっている子どもに対しても同情してしまうのです。

 しかし、息子があんまり落ち込むので、昨日は本来は9時に就寝なのにも関わらず、10時15分まで話しをせがまれました。そこで語ったことです。

 『何かを成そうと思えば、自分を非難する人が生まれるのは当然だよ。それが嫌だったら先頭を走るのではなく、伴走をする程度にした方が良い。だからプロ長はやめろと言ったんだ。そしてプロ長になったらどんなことが起こるかを言ったはずだ。でも、やりたいと言ったのでプロ長になったんだろう。なってみたらお父さんが言った通りになった。ではどうするか。自分を非難する人がいると、みんなが自分を非難しているように思えるが、そんなことはない。何でも2、6、2の割合になる。プロジェクトの人の人数の2割程度の数がお前に積極的に反対する人だよね。(息子はうなずく)それだったら普通だよ。でも目を転じれば、2割の人はおまえを指示している。そして過半数の人は支持もしないし非難もしない。これは構造の問題だ。おまえがどんなに素晴らしいプロ長になってもこれは変わらない。非難する人を恨むんじゃない。その人の枠組みではお前を理解できないのだよ。聞き流しなさい。その代わり、お前を支持する2割を意識しなさい。そして、全体に向かって全体が成立する目標を語りなさい。

ちなみに、今度インターネットでお父さんの名前や『学び合い』で検索してみなさい、お前の数千倍の人から、数万倍ひどいことを言われているよ。私はそれを読まないし、反論もしない。生産的ではないからね。そんなことより、自分のやるべきことを考える方が意味がある。』

学び合い』ステップアップや『学び合い』スタートブックを読了した息子は理解しました。問題は、それを実行できるか、です。

12/08/18(土)

「大事なこと」どちらが正常 08:49 「大事なこと」どちらが正常 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 「大事なこと」どちらが正常 - 西川純のメモ 「大事なこと」どちらが正常 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ゼミ生には自分たちが「変」で『学び合い』を分からない人のほうが普通である、と繰り返し言います。しかし、それはこの100年間だけのことです。人類の歴史から言えば、今の授業が「変」で『学び合い』は普通に戻すだけのことです。

 『学び合い』の手引き書に書いたことです。現状の授業は、ホモサピエンス数百万年の歴史の中では、「変」なあだ花だと思っています。『学び合い』は正常に戻すだけのことです。以下は引用です。

学び合い』は良いことずくめです。となると、「うまい話には何かがある」と眉に唾を付けたくなるのが人情です。私のところに月に5,6回ぐらいは「東京のマンションに投資すると絶対に儲かります」という勧誘電話が来ます。しかし、世の中にはうまい話はないと思っているので、瞬時に「興味ありません」と電話を切ります。それと同様に、先に書いた『学び合い』の成果は「うまい話」すぎて信じられないでしょうね。でも、時代の必然と考えています。

 我々の『学び合い』は言語という高度のコミュニケーション手段を持った群れる生物が、数百万年の生存競争の中で洗練したものです。意外かもしれませんが、人類の歴史の中で一斉指導が制度化したのは、近代学校制度が成立した200年弱だけです。それ以外の数百万年は『学び合い』で人類は過ごしていました。人類の歴史の中で一斉指導が成立したのも必然がありました。そしてそれが廃れていくのにも必然があると考えています。

 ほ乳類一般は、本能の他に学習によって生きるすべを獲得しています。猿人の時代から、人類はその学習に依存する割合の高い生物です。その学習は組織的なものではなく、血縁者を中心とした小さいコミュニティの中で、仕事に参加する中で学んでいました。それらは中世では徒弟制度と言われました 。ところが近世になるに従って身分制度が崩壊します。それによって農夫の子は農夫になるとは限らず、商人の子は商人の子になるとは限りません。米を作る農夫になるための知識・技能、織物商人なるための知識・技能は限られています。だから徒弟制度にでも伝えられます。しかし、あらゆる職業になるための大人を育てるには、あらゆる職業に必要となる知識・技能を教え、学ばなければなりません。そして、それらの共通の知識・技能を抽出すれば、個々の具体的な仕事・作業から離れていきます。その結果として成立したのは、職場とは別個の組織的な学習の場である学校です。

 当時の本は高価でした。コピー機もありません。学校で教える知識・技能を持っている人は、高学歴の一部の人だけです。つまり、教師からしか知識・技能を得ることはできません。一人の教師を雇うには予算がかかります。義務教育制度を維持することと、予算とのかねあいがあります。一人の教師が多数の子どもを教えるという一斉指導は当時の時代の必然です。

 ところが時代は変わりました。少子化によって保護者はお金をかけるようになり、都市部では塾・予備校などの学校以外の教育施設が一般化しました。しかし、これは都市部に限ったことではありません。本は安価になりました。通信教材も充実し、地方でも高度な教育を受けることが可能になり、事実、利用者は少なくありません。高等教育が一般化し、高校教育・大学教育を受ける人が多くなりました。結果として、学校で学ぶ知識・技能を持っている人は教師ばかりではなく、多くの保護者が持つようになり、通信教材を学ぶ我が子の横に座って教えることが出来る家庭が増えました 。テレビ・インターネットは学校教育では考えられない予算をかけた教材や、多種多様な教材を無料で与えてくれます。さらに言えば、日本の指導要領は全国民が学ぶべきことを規定しているものですので、極端に難しいことは求めていません。そして、日本の教科書は、その指導要領に準拠しております。そして日本の教科書は優秀ですし、副読本・参考書は多様です。従って、それらを利用すれば、自力で理解することが出来る子どもがいると考えています。その結果として、学校で学ぶ知識・技能を持っている「子ども」、また、自力で解決出来る「子ども」が出現するようになりました。『学び合い』はそのような「子ども」の存在を前提にしています。今から50年前には『学び合い』は不可能(もしくは困難)だったと思います。そして、現在においても発展途上国では困難だと思います。しかし、現在の我が国においては『学び合い』は必然となります。

 しかし、正確に言えば、『学び合い』を受け入れられる環境は1980年代、1990年代頃からは可能になっていたと思います。現在ほどではありませんが、塾・予備校に行く子どもはかなりいました。テレビでも良質な情報を流していました。また、良質な参考書は本屋にあふれていました。大卒の保護者も多くなりました。では、何故、1980年代、1990年代ではないのでしょうか?

 おそらく、保護者の変化が大きいと思います。私の時代は、保護者は戦前の教育を受けた人や、戦前の影響が色濃く残った教育で育った人たちです。それ故、教師が子どもを殴ったとしても「愛の鞭」と考える人たちでした。よほどのことがなければ、学校に怒鳴り込むということはありません。ところが、今の保護者はどうでしょうか?戦後教育で育てられた人に育てられた人たちです。自分の子どもの学力保障が成されていないとクレームを言います。自分の子どもが安心出来る環境を保障しないとクレームを言います。それが行きすぎた人をモンスターペアレンツと呼ぶ場合がありますが、親としての心情としては理解出来ます。そして、問題があれば納得するまで教師・学校に問い合わせ、求める親は多くなっています。

 従来型の授業では、必ず1、2割の子どもは、かなり厳しい状態におかれています。昔だったらクレームを言われなくて気にせずにいたのが、今はクレームを言われるようになったのです。行政もそれに対応して、クレームを言われないような自己防衛をし始めます。具体的には、「やっています」と証明するためのマニュアルや報告書を作成します。結果として、教師は書類作成に追われ疲れるようになります。そうなれば、保護者からのクレームに対応出来る心の余裕が無くなってもしょうがありません。

 さらにそれに追い打ちしたのは、学校の教師教育に対する教育力の低下です。十数年前から、少子化の対策として急激に採用を減らしました。ところが最近になって、少人数対策と大量退職に対応するため急激に採用を増やしています。結果として、教職員の年齢分布はフタコブラクダのような分布になっています。

さらに、交通の便利な学校の場合は、異動したがらず、結果としてベテランが多い学校になります。不便なところは新規採用者で補充するため、若手が多い学校になります。結果としてヒトコブラクダのような年齢バランスになります。

年齢分布がフタコブラクダのような職場では、ベテランが若手を教えることになります。しかし、教え込むという形になり、若手にとっては抑圧されたという印象を持ちます。結果として、煙たがります。一生懸命に教えたのに煙たがられたベテランは「今の若い奴らは」となります。年齢分布がヒトコブラクダのような職場では、最初は仲が良いのですが、似たようなもの同士の「突っ張り合い」がおこり問題が起こると人格否定まで進む危険性があります。結果として、相互不可侵で落ち着きます。

私が教師だった二十年以上前には、職員室の横にはお茶飲み場があり、色々の話が出来る場所があったと思います。私の職場だった高校では、新任教員である私を飲みに連れて行って奢ってくれた先輩教師がいっぱいいました。今はどうでしょうか?ベテランの先生は「今の若い奴らはつきあいが悪い」と愚痴を言います。でもしょうがありません、飲みに行ってもつまらないのですから、付き合わないのです。私は週に1回以上は先輩と飲みに行きました。理由は楽しいからです。しかし、それは個々人の問題ではなく、年齢バランスと選択の幅の問題なのです。

現在、指導能力不足で分限を受けている教師は、新任ではなく四十代の教師です。つまり、二十年以上教師をしていた人たちです。二十年使えた自分の指導が使えなくなり、改善できずに潰れていってしまったのです。使えた指導が使えなくなるのは当然です。子どもが変わり、保護者が変わっているからです。しかし、それ以上に変わっているのは自分なのですが、自分の年齢は自分では分からないものです。四十代になっても、頭の中は二十代のまんまということは普通です(私もそうでした)。しかし、子どもの前に立ったとき、子どもが教師に期待することは二十代前半の教師と四十代の教師とでは異なります。ところが、自分の年齢が分からないため、その切り替えが出来なくなります。しかし、若い教師と付き合えば自分の年齢が分かります。人間は関係の生物です。若い教師と付き合うことによって、中堅の振る舞いをするようになり、ベテランの振る舞いをするようになります。そして、若い教師に教えている中で、自分が学んでいくのです。ところが、そのようなことが出来ないと、昔のままの指導を続けることになり、結果として指導力不足になってしまいます。今の学校には、採用以来、ずっと最若年であるという三十代後半の教師はかなりいます。彼らは、学校において常に若手であり、中堅としての立ち位置に立ったことがないのです。

以上のような結果、自分に限界を感じている教師が増えました。

今までのことを捨てて、新しいことに取り組むというのは大変な決意が入ります。特に、いままででも「そこそこ」出来る場合は、ズルズルとなってしまう場合は少なくありません。考えて下さい。携帯電話の会社を変えたり、機械の会社を変えたりするのは難儀ですよね。ましてや授業を変えるのは大変なことです。

本屋に並ぶ本の圧倒的大多数はテクニックです。それらは自分を変えなくても使えるものばかりです。まあ、今までの携帯に周辺機器やアプリを導入して機能充実を図るようなものです。ところが『学び合い』は考えを変えることを求めています。これは、携帯会社を乗り換えたり、同じ携帯会社であっても操作法が異なる別会社の機種に乗り換えたりするのと同じようなものです。嫌がるのは当然です。

ところが、今、まさに、そうしないとどうにもしようがなくなっている時代になり、そして、今後はもっとどうしようもない時代になります。それが、今、『学び合い』が急激に広がっている理由です。

[]一人も見捨てない 07:43 一人も見捨てない - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 一人も見捨てない - 西川純のメモ 一人も見捨てない - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日のメモに対する補足です。

 日本の教師の圧倒的大多数は一人も見捨てないことを目指して献身的に努力しています。勤務時間を超え、家族との時間を削ってでもです。その多くの方々は、そのような努力をしても救いきれない子どもがいることを知っています。その子どもたちが苦しんでいることを知っています。でも、今以上に何も出来ないことを知っています。だから、どこかで「しょうがない」と思わなければ精神的に病んでしまいます。それを納得するために、殺人的に自分を追い込んでいる教師が少なくありません。私は、そのような方々に共感したり、同情したりすることはしても、怒るわけありません。

 私は精神的に弱かった。独身で家族と離れていました。そして、私の勤務校は最底辺の高校で、暴走族はうじゃうじゃいるし、中学校の内申書が純粋無垢のオール1の子が山といました。家庭的には救いがない子どもは山ほどいました。そして、その子達にとって、健全な社会との繋がりの最後の最後です。退学して数日で窃盗で逮捕された子どももいます。退学して1ヶ月でヤクザのパシリなった子どももいます。独身だった私はありとあらゆることをしました。可愛がってくれた教頭先生が「君には嫁さんを紹介しないよ。君は早死にしそうだから」と言われました。おそらく、精神的に弱い私は、大学に異動しなければ早死にしたと思います。

 だから、学校現場で救いきれない子どもを毎日見続け、それをなんとかしようと努力しつつ、それでも報われないのに努力し続ける日本中の多くの教師に対して、尊敬の念を持ちはしても怒るわけはありません。

 私が怒っている対象は、見捨てられている子どもがどれほど苦しんでいるかを分かりもせず、分かろうともせず、自信が勝ち組であると思いこんで十把一絡げに批評している人たちにたいしてです。でも、そんな人は少数です。

 私が「一人も見捨てない」と言えるようになるには、二十年以上かかりました。学生時代は研究と実践を積み上げれば良い教師になれると単純に信じていました。しかし、高校教師になって1ヶ月以内に、それまで学んだことは殆ど役に立たないことを理解しました。大学や大学院で私が学んだことは、全て学ぼうという構えのある子どもに有効であり、学ぼうという構えのない子どもには無意味でした。それから落語を聞いたり、面白教材本をあさったり、教師ドラマの若い教師のようなことをして暴走族に物理の授業を成立させることが出来るようになりました。しかし、知っていました。分かった気持ちにさせることは出来ても、全員に分からせることは出来ないことを。また、私の授業でハッピーにさせることは出来ても、彼らが家庭や職場での苦しみを癒すことは出来ないことを。でも、私にはそれ以上のことは出来ませんでした。

 私は大学に異動して、私が高校で教えた子どもが分かるにはどうしたらいいか研究しました。その過程で3つの学会から5つの賞をもらいました。しかし、認知心理学のエキスパート・ノービス研究や誤解研究から、今の授業では絶対に分からせることは出来ないことを2000年ごろ結論しました。何故なら、子どもの分かり方は一人一人違うからです。現状では子どもの誤解A、誤解Bというおおざっぱなくくりでまとめ、それに対する指導法は対応できます。しかし、子どもの誤解はそんな単純なものではなく、一人一人違います。ところが毎時間、毎時間、30人が一人一人の誤解や発展的な課題を持っていることを認めると、それに対する指導が必要です。ところが1校時の人数分で割れば、1分少少です。さらに、現状では教師は板書発問に大部分の時間を費やしているため、個別対応の時間は極わずか。それを30人で割れば、十数秒もないでしょう。

 さらに日本の教員養成・教員再教育は認知心理学的には明らかに誤った仮定の上に成り立っています。それは、教師がよく分かり、よく知っていれば、良く教えられるという素人的な仮定です。実際は、知れば知るほど、分からない人の気持ちは分からなくなり、分からない人を説明できないのが人の頭の構造です。分かりやすいのは大学教師が教えるのは下手だといわれるのは、それは知りすぎており、分かりすぎているからです。

 だから、「どのような指導を教師をすればいいか」という今までの問いを捨て、「その子にとって最善の指導はどれであるかを分かるのは誰か」という問いをたてました。それは「本人であり、周りの子ども」です。当たり前のことですが、教師はエスパーではなく、子どもの心を読み取ることは分かりません。その子が、分かったか、分からないのか、面白いのか面白くないのかを分かるのは当人しかありません。その当人がそれを元に分かる手助けを出来るには膨大な会話が必要で、それは物理的には教師には永遠に出来ないことです。これは努力云々では乗り越えられないものです。だから善意の教師があれだけ努力しても満たされなかったのは当然です。

 でも、その当時は「より多くの子どもが分かる」程度の志でした。「分かる」とうことを目指していましたが、やがて学習指導と生徒指導が関係することが分かっていました。それも、両者が独立で密接に関わっているというのではなく、両者は不分離であることが分かりました。やがて「分かる」から「救う」という志にシフトしました。

 しかし、一人も見捨てずと言えるにはさらに時間がかかりました。様々な障害を持つ子どもも含めて「救える」と確信を持てるようになれたのは、2005年ごろからの実践・研究成果に基づくものです。しかし、それを完璧にするにはクラスでは完結できません。クラスの学習を安定させるには、学校が有機的に関わらなければなりません。それに確信を持てるようになれたのは2009年頃からの全校『学び合い』の実践・研究成果に基づくものです。だから私が「一人も見捨てない」という言葉を使い始めたのはその頃だと思います。

 しかし、その頃は、学校にいる間「一人も見捨てない」でした。しかし、愛する教え子の幸せを保障するには、学校間の連携や地域との連携が必要です。学校間は既に実現しました。これから3年間で地域コミュニティーの再生が我がゼミの課題です。

 私が教育研究に足を踏み入れたのは1982年です。それから「一人も見捨てない」という言葉を言うには27年もかかってしまいました。それまでに書いたレフリー付き論文は143報で、これは平均的な教育研究者二十人弱の業績に当たります。「一人も見捨てない」ということが難しいのはごく当然です。しかし、『学び合い』を4月1日から3月31日、1回やれば、少なくとも「一人も見捨てない」ということは可能かも知れないと実感できるほどの実践・研究の積み上げはあると思います。

karakusa01karakusa012012/08/19 02:30最近の先生の日記、前にもまして「熱い」ですね。9月に向けふんどしを締め直そうと思います。

jun24kawajun24kawa2012/08/19 08:27はい。実はステップアップを上梓あとの最初の学期です。何が起こるか、楽しみです。

12/08/17(金)

[]逆から言えば 22:01 逆から言えば - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 逆から言えば - 西川純のメモ 逆から言えば - 西川純のメモ のブックマークコメント

 逆から言えば、ちょっと方向を変えるだけで、2割の子どもを地獄の苦しみから救い、8割の子どもに正しい道を教えられる。教師は、普通の人が凄い出来る職業なんです。素晴らしい職業です。

[]大事なこと 21:55 大事なこと - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 大事なこと - 西川純のメモ 大事なこと - 西川純のメモ のブックマークコメント

 日本の2割の子どもは毎日地獄の苦しみを受けている。その苦しみの原因は、漢字が書けない、計算が出来ない、ではありません。ましてや、深い読みが出来ない、科学的概念が形成できない、ではありません。もっと単純で、もっと大事なこと。それは、繋がれる人がいないこと。結果として、それを見過ごしている8割の心を蝕んでいる。それが分からない教師が多すぎる。それが悲しい。

[]本音 21:46 本音 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 本音 - 西川純のメモ 本音 - 西川純のメモ のブックマークコメント

学術的に『学び合い』を理解する人、『学び合い』という新たなメソッドを求めた人。分かります。私もそうです。でも、今は、一人も見捨てない(その中には私自身も)という願いで動いています。その願いで動いている人と、そうでない人には差がある。でも、そうでない人も理解できます。私だって、「一人も見捨てない」ということを言えるまでに何年かかったことか・・・・。

 多くの教師は「一人も見捨てない」という志を就職後数ヶ月で封印します。しばらくすると封印したことも忘れ、見捨てられている子どもを視界に入らないようにします。しょうがありません、そうできなければ気が変になります。私の場合は、それが下手だったので、毎日1升の酒を飲まねば寝られなかった

 実際に教職につかねば、教師という職業の業が分からないのは当然です。ものを教えればいいと言う職業ではなく、一人一人、数十人、数百人の人生に影響を与える職業です。そして、その何割かを切り捨てなければならない恐ろしい職業です。

 早く、多くの人にその封印を解いて欲しい。それによって、教師という職に本当に誇りを持てる。

 と分かっているのですが、酔いの勢いで・・・

 てーめら、自分を勝ち組だと思いこんで、今踏みにじっている多くの人生をわからねーのか!教育は研究ではない、人様の人生を預かっているんだ、ご託並べるのは良いが、人様の人生に責任を負っていることを自覚しろ。そのための研究だ。俺だってたいしたことは出来ない、でも、人様の人生を預かっているんだから、自分の家族に迷惑しない範囲内で全力を尽くしているんだ。批判するのは誰でも出来る。ようは何をするかだ。批評家にならず、自分の出来ることをしろ。今踏みにじっている日本国民の2割程度、それを見過ごすから、今の自分の不満もあり、不安もあるんだ。

 と。酔いました。

[]心と行動 21:46 心と行動 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 心と行動 - 西川純のメモ 心と行動 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 全国の同志からお悩みメールを受けます。多くで語ること、それは個ではなく集団に視点を向けること。個にこだわっている限りは、解決はありえない。と。

 でも、個にこだわる心を失って、集団を動かすことは出来ません。個にこだわり、でも、それを実現するために個を封印する。辛いことです。みんな幸せになって欲しい。

[]佐賀の会 12:11 佐賀の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 佐賀の会 - 西川純のメモ 佐賀の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 8月30日に昼(http://goo.gl/zVf5D)および夜(http://goo.gl/bG01j)の勉強会があります。お誘いします。

tokucyotokucyo2012/08/17 23:49酔いの一言、自戒を込めて「うんうん」です。自分の封印はまだ解け切れていません…。先生、もっと酔いましょ。

concert3concert32012/08/18 05:36勉強会のご紹介ありがとうございました。5月にいただいたアドバイスをもとに流れを考えてみました。今苦しんでいる子どもたちが人と繋がる幸せを感じることができるように,自分にできることを頑張ります。

jun24kawajun24kawa2012/08/18 09:00tokucyoさんへ
 ちょっと酔いすぎました。あははは
concert3さんへ
 九州、期待しています。広域のネットワークの構築と市町村レベルのネットワークの構築期待しています。新たな事務所の仲間に伝え下さいね。期待しています。

12/08/16(木)

[]補足 08:26 補足 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 補足 - 西川純のメモ 補足 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』は教室における教師は校長であり、子どもたちは教諭であると考えます。そして、クラスは有機的に機能する学校という非営利団体であると考えます。

 校長が毎日、国語の教材研究をしていたらおかしいと普通に思うと思います。校長が教諭のように授業したり、校長の役目をしたりするのも変だと思うと思います。

 企業には部下と同じような仕事をしつつ管理する管理職がいます。主任や係長レベルの管理職です。ところが、部下とは全く違った次元の仕事をだけをする管理職がいます。取締役や社長レベルの管理職です。

 いままでは部下や主任や係長レベルの教師に必要な情報はふんだんにあります。ところが、取締役や社長レベルの教師に必要な情報は殆どありません。だから、『学び合い』があります。『学び合い』において、いままでの情報は全て子どもが利用すれば優れた情報になります。ただ子どもは多様で、その子どもごとにフィットする方法は違います。だから、一つの方法を強いません。取締役や社長レベルの教師が部下に求めるのは、方法ではなく結果です。『学び合い』の場合、それは「一人も見捨てない」ということ。

 教諭の仕事と校長の仕事に上下はありません。ただ次元が違うのです。昨日のメモの補足です。

munehiromunehiro2012/08/16 20:59福岡ミニ学習会の報告です。
とってもいいチームになりそうです。
福岡のブレイクスルーは間近でした。
マジかーって感じです。

jun24kawajun24kawa2012/08/16 21:45あははは。面白い人たちでしょ。期待しています。
今から、定常的にやってください。二三人が集まって愚痴を言い合う会で十分です。

12/08/15(水)

[]次元が違う 19:02 次元が違う - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 次元が違う - 西川純のメモ 次元が違う - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』と他は次元が違うと思うのです。もちろん、どちらが良いとか悪いとかでもなく、どちらが高いとか低いとかでもなく、ただ、次元が違うのです。

 世にある様々な教育書、それを子どもに読ませようと考えたら『学び合い』で、教師しか読めないし読むべきでないと考えたら『学び合い』ではありません。だから、『学び合い』とそれ以外を並列で比較すること自体がナンセンスなのです。次元が違うのです。

 では教師のやるべきものは何でしょうか?それは100年以上続く企業のミッションを定める起業者のすべきことです。それは自らの社会的意義を自らのエゴと矛盾無いミッションを定めることです。『学び合い』の学校観の中にある「多様な人と折り合いをつけて自らの課題を解決する」と一致します。

 会社の主任や係長の仕事も、社長や取締役の仕事もどちらも重要なことです。どちらが良いとか悪いとかでもなく、どちらが高いとか低いとかでもなく、ただ、次元が違うのです。それは、教諭の仕事と校長の仕事と同じです。『学び合い』とそれ以外はそれと同じで次元が違うのです。

 本日、優れた教育書を読みながら思いました。

12/08/14(火)

[]メダル数 07:34 メダル数 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - メダル数 - 西川純のメモ メダル数 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私の意図していない部分に注目されてしまいました。その部分は言葉足らずだったので補足します。

 オリンピックでメダルや入賞することは、本人や家族や地域の人には重要な意味があると思います。そして、同国人として私もそれを喜びます。私が奇異に思うのはそれを合算したメダル数を云々することです。

 世界の大会に出場し、ビリにならなかったというだけで凄いことです(もちろんビリになっても凄いことです)。そして、それは本人の一生の思い出になり、家族や地域の人の思い出になるでしょう。ところがメダルを取らないと、それを評価しないということがしっくり来ません。果ては金ではないと全て駄目というのは論外です(幸い、今回のオリンピックではそのような風潮は少なかったと感じます)。さらに、メダル数を合算できるというのは、ある競技の銅メダルと、別な競技の銅メダルを同等に見ていると言うことです。私はそのようには思えないのです。

 こんなことを書こうと思ったのは、息子が他国とメダル数を比較して、悔しいと私に言ったことがきっかけです。私は息子に以下のように語りました。

 「発展途上の国の場合、国のみんなが「やるぞ!」と思わせるためにオリンピックのメダルやメダル数を大事にするのは当然だと思う。日本もかつてはそうだった。それしかなかったからね。でも、今の日本はそうではない。国が丸抱えに選手を育てている国に勝てるわけはない。負ければ収容所に送られるかも知れない国に勝てるわけ無い。そして、勝つ必要もない。全てのオリンピックの選手の一人一人には意味のある競技であり、結果であったと思うよ。だから、それを温かく見てあげよう。単純なメダル数ではなく、その意味が何かを考えなければならないよ。」

 それを語り終わったとき、この図式は入試と全く同じだなと感じました。自分にとってどのような意味があるかという吟味がなされず、とりあえず偏差値の序列で進学先を考えている人が多いと思います。例えば、私は動物行動学を大学で学びたかった。そのために進学先を生物学を学べるところと考えていました。でも、動物行動学を学べる大学はどこで、どのような研究者がどのような研究をしているかを調べていませんでした。そこに考えが至れば、それを調べたはずです。ちゃんと調べれば、進学先は京都大学か農業工業大学しかないことは高校生の私でも分かったはずです。当時、むさぼり読んだ動物行動学の本の著者や訳者はその大学の先生方でした。実は私のゼミ生の中には、高校3年でそれをしたゼミ生がいます(http://goo.gl/cybwZ

 しかし、その先があります。子どもたちに自分の人生を考えて欲しい。そのためには、まず、自分の考える幸せとは何かと言うことを持たねばなりません。それも偉人伝を読むことによって得られる幸せや志ではなく、ごくごく普通の人が実現できる幸せをです。ちなみに、私の場合は「安定した収入を得られる続けられる職業について、一生つきあえる伴侶を得て、子どもをなす」ということです。あわてて補足しますが、結婚や出産が必須と言うことではありません。ようは一生つきあえる人たちを持ち、死後にも繋げられる何かを成すということです。私の場合は、それを伴侶と子どもにしただけのことです。いずれにせよ、子どもたちに幸せとは何かを考えて欲しいと願います。

 そのレベルで進学先や就職先を選べば、かなり多様になるはずです。そして、一人一人の子どもが偏差値ではなく、個々人の幸せに基づいて行動するならば、学校教育における競争は協働に変化するはずです。

 息子がメダル数を云々した後に、考えたことです。

12/08/13(月)

[]競争 19:02 競争 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 競争 - 西川純のメモ 競争 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今回のオリンピックで過去最多のメダルを取ったそうです。成果を出せた人がいたことを喜びます。が、だから何なのでしょうか?メダルを多く取ることがどんな意味があるのでしょうか?私には分かりません。

 単純な軸は便利なのですが、問題を単純化してしまいます。典型的なのは偏差値です。非常に便利な軸なのですが、それによって自分の進路を決めている人がいるように思います。自分の将来を考えるのを先送りして、先送りできる保障として偏差値がある。

 とりあえず、学校の勉強が得意で偏差値を追い求め、小学校、中学校、高等学校、大学で有名校に進学し、有名企業に就職できたとして、それは幸せを保障するものではありません。そりゃ、偏差値が10以上違っていれば、有利にいきられる部分もあるでしょう。しかし、5程度はあまり意味はないと思います。

 もっと悲惨なのは、とりあえず勉強が出来るので研究者の道に進んだ人です。学校の偏差値で求められるものと、研究者で求められるものは重なる部分は多くはありません。必要条件にはなるかも知れませんが、十分条件で求められるものは偏差値に反する場合は少なくありません。

 子どもたちに自分の人生を考える時間を与えるべきだと思います。

[]事務所長 16:33 事務所長 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 事務所長 - 西川純のメモ 事務所長 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 各県には教育事務所というのがあります。その事務所長は校長職と校長職の間に入る仕事です。たいていの方は喜んでなるわけではありません。でも、事務所長だから出来ることがあります。それを最大限に活かす人もいます。下のメモで紹介している中学校の校長先生がそのような方の一人です。

 どんな職階も出来ないこともあります。でも、どんな職階もそれだから出来ることがあります。どちらに着目するか。分かれ目です。

[]研究発表全体会 16:27 研究発表全体会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 研究発表全体会 - 西川純のメモ 研究発表全体会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 子どもに学校の研究テーマを公開しない、子どもが学校の研究テーマを語れないなんてナンセンスです。全体会に子どもたちが参加しています。子どもたちが説明しています。この当たり前のことを、もっと広げたい。http://goo.gl/zZ7vn

[]名古屋 16:18 名古屋 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 名古屋 - 西川純のメモ 名古屋 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 8月20日に名古屋で『学び合い』の会が開かれます。お誘いします。http://goo.gl/VyC8h

12/08/12(日)

[]教職 06:27 教職 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 教職 - 西川純のメモ 教職 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 教員養成系の大学に勤めて26年です。その間、色々な学生から、教員以外の食に進みたいのですが、という相談を受けます。その時、以下のように語ります。

 まず、どんな職業についても幸せになれるし、どんな職業についても不幸せになってしまう。自分の職業を天職とするつもりがあるか否かで決まります。ああなればよかった、こうなればよかった、と思っていれば、どんな職業についても不幸せになります。今、君が考えている職について幸せになれるかも知れないし、不幸せになる可能性もあるよ。

 もし、君が東京大学法学部で学んでいるならば官僚の道を勧めます。もし、君が慶応大学経済学部で学んでいるならば商社の道を勧めます。しかし、君は教員養成系大学で学んでいます。だから、君の4年間のキャリアーを活かすには、教員がベストです。もし、教員以外の道を目指すならば、別な大学なり専門学校に進路変更すべきだと思います。

 教員の良いところ。これは就職前に高校の恩師から教えてもらったことです。第一は、教員社会は正しいことを言って、青臭いと言われずに受け止めてもらえる。第二は、おそらく男女の機会均等が最も進んだ職業であること。これは女性にとって意味あるだけというわけではなく、伴侶が教員である男性にとっても意味があります。

 私は28年間、教員をやっており天職だと思っています。研究者の業績を褒められるより、教師として褒められる方が嬉しい。

12/08/11(土)

[]ゼミ目標 16:09 ゼミ目標 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ゼミ目標 - 西川純のメモ ゼミ目標 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 超長文ですが、我がゼミの皆さんに私が求めることを書いたものをそのままアップします。

本研究室の目標を「自分の心に響き、多くの人の心に響く教育研究を通して、自らを高め、一人も見捨てない教育・社会を実現する」としました。

 おそらく皆さんの本当の希望は「自分の心に響き、自らを高め」であると思います(単に修了・卒業したいレベルの人は、西川研究室に所属しよう何て思いませんから)。実は私もそうです。しかし、そのレベルを超えた目標を、研究室の目標として掲げることは重要だと考えています。

 世の中には倫理学というのがあります。大学生の頃、それを読みあさった時があります。でも、カント、ヘーゲル、西田は全く分かりませんでした。相対的に分かりやすかったのは和辻です。でも、それでも分かりませんでした。それいらいずっとご無沙汰でしたが、「利己的なサル他人を思いやるサル」 という本はどんな倫理学の本より面白く、ためになりました。それによれば、サルにおいても倫理的と思われる行動が見られます。そして、その行動が発生する理由は、その行動によって間接的に利益を得るからです。つまり、弱い仲間を助けたサルは、その群れの他のメンバーから「お返し」が来るんです。なぜ、そんな「お返し」をするかといえば、自分が弱い立場になった時の「保険」みたいなのものです。カント、ヘーゲル、西田のように、どっかに純粋無垢な「善」があるように書かれるのではなく、生々しく、かつ、凄く納得出来るものです。我々は、学び合う能力は本能の中にあると考えています。だから、ゴチャゴチャ言わなくても、自然に発生するものだと信じています。上記の知見は、教師がゴチャゴチャ言わなくても、自然に助け合いが起こるであろうと期待出来ることを証明するものだと思います。

 しかし限界があります。別な猿学者の「ケータイを持ったサル」という本によれば、サルが自身の群れと感じる範囲は極めて狭く、基本は親兄弟で、広がっても普段見知っている集団を越えることは無いそうです。そして、現代の「ひきこもり」や「傍若無人の若者」は、人間の本能の中に組み込まれた「群れ」の範囲がサル並だと考えると、至極当然に解釈出来るとしています。おそらく、これは若者に限らず、人間全般の本能の限界と考えるべきなのでしょう。例えば、年配のおばちゃんが、人の迷惑考えず大声を出しているのは、自分が話している以外の人を、「群れ以外」と分類し、人と認識していないからです。

 私はサルと同じように、自身の損得と、社会の損得自身を冷静に分析し、社会の損得に矛盾しない自分の損得を設定することは「得」だと思います。 つまり、みんなを助けるという社会的要請に応えることが自分の得になっていることは、サルと同様に人間でも正しいと思います。ただし、人間の本能に組み込まれている 「みんな(もしくは群れ・社会)は、サルと同様に親兄弟、もしくは見知った狭い集団レベルが限界なのだと思います。教師の例で言えば、せいぜい自分の学校の職員集団 レベルで、それを越えた集団を群れと認識することは困難で、従って、郡市レベル、県レベル、日本レベルの集団に対する倫理的な行動をすることは困難なのだと思います。それを越えられるのは、本能ではなく、教育によらねばなりません。

 私の大学院の同級生に「教材レベル」の修士論文を書いた人がいます。修了した時に、「お前が作った教材を お前自身が使うの?」と聞きました。彼の返答は「使わない」とさばさばと答えました。つまり、彼にとっての、その教材は自分が修了するため「だけ」の意味しかありません。仮に、自分が使ったとしても、それだけでは、自分のため「だけ」の意味しかありません。ただし、これは教材レベルの研究に限りません。もし、自らが2年間かけてなしたものを自らが使わないならば・・。仮に、自分は使うとして、それを他の人に知ってもらえないならば・・・。私の知る限り、2年間の研究が終わったとたんに、「思い出」の中に死蔵される研究が多すぎるように思います。そして、そんな人は「損」だと思います。

 私には、自分のため、家族のため、そして自身の狭い群れである西川研究室のためという、相対的に狭い範囲の目標があります。しかし、同時に「専門職大学院のため」、「上越教育大学のため」、「学会のため」、「地元教育界のため」、「日本の教育界のため」等々の様々なレベルの目標があります。そして、それぞれに矛盾が生じないよう、相互に関連づけています。そのような多層的な目標を持つため、様々な人とリンクを持ち、かつ、その援助を得ることが出来ます。その結果、とても「得」をしています。

 一方、比較的狭い範囲の群れのための目標しか持たない人もいます。人それぞれですから、完全否定するわけではありませんが、「損な生き方だな~」と思います。そんな「自分」だけの視点でしか捉えられないならば、結局、周りの協力も限られたものです。色々な場で、短期的には要領よく立ち回っているため、長期的には損をして、そのことに気づいていない人を少なからず見てきました。 要領よく「美味しい仕事」だけをかっさらって、「大変な仕事」をうま~く逃げる、そして口先だけは当たりがいい人っていますよね。そういう人って、本気でそれでOKだと思っているようです。でも、ちょっとの期間つきあえば、そのような人の「底」が見えます。そうなると、そういう人とのお付き合いは要領よく避けます。だって、そんな人とつきあうことは「損」ですから。

 以上の理由から、本研究室の目標を「自分の心に響き、多くの人の心に響く教育研究を通して、自らを高め、一人も見捨てない教育・社会を実現する」としました。是非、皆さんの中で、この目標を基に、多層的な目標群を設定して欲しいと思います。

 補足です。一人も見捨てない教育・社会を実現する、つまり日本を変えるということを掲げる意味は以下の通りです。

「日本を変える」は無理じゃない

 私はゼミ生に、我々は日本を変える集団だ、と語り、求めます。ま、「何言ってんの?無理じゃん」と思うのが普通です。が、私は信じています。これに関しては説明が必要ですね。

 権力者は日本を変えられるが、一般市民は変えられないと思いますよね?でも、思い出してください。ここ十代の日本国首相を思い出してください。名前を思い出せますか?そして、その人がやった「日本を変えたこと」を思い浮かべられますか?おそらく、十人を思い出せなかっただろうし、思いさせたとしても、その人がやった「日本を変えたこと」を思い出せない人ばかりではないでしょうか?

 日本は1億人以上の巨大組織です。そのトップが何らかの命令をしたとしても、それを実際に行うのは人です。例えば、十のことをやったとしても、それが閣議で大臣に伝わり、それが事務局長、局長、課長、課長補佐、係長という本省のラインで伝言ゲームをすることになります。そして、各段階では上の命令を解釈する部分があるのです。もし、解釈で0.9倍にしたとしたら、10段階の伝言ゲームをすれば、3分の1になってしまいます。その伝言ゲームは、地方の行政組織に伝わるのです。結局、日本国首相であったとしても、それを実現する末端までの数多くの人の協力がなければ何も出来ません。

 職階が上がれば、権力を持てば大きなことを出来ると思う人は、永遠に何も出来ません。何かを成す人は、どんな職階であったとしても、様々な人と繋がりながら、自らの夢を語ります。そして様々な人と繋がりながら、自らの願いを洗練させます。そんな人が願いを叶えます。

 無理と思う人は、「自分が無理」と思っているから無理なんです。でも、私は出来ると思います。なぜならば、私は「我々は出来る」と思っているからです。

 日本を変えろ、とゼミ生に語っている私は毎日何をしているでしょうか?非常に、規則正しい生活をしています。

 6時に起床です。直ちに着替えて家のカーテンを開けます。6時10分ごろ、まだ眠りたい、と言っている息子の布団をはがし、コチョコチョとくすぐります。家内が朝食と私の弁当づくりを始める頃に、息子の朝学習をチェックします。その合間に、メールチェックをします。7時10分ごろに息子と朝食開始、7時30分ごろ朝食終了。息子の仕上げ磨きをして、制服に着替えさせます。7時45分に家の前に集まる近くの子どもを学校に送り出します。直ちに車に乗って大学へ。8時に大学到着。直ちに、メールチェックをします。この時間帯までに、全国からの質問メールに応えます。11時30分に学食に行きます(50分には授業がおわり、混みますので)。11時50分に食べ終わり、メールボックスに手紙を取りに行きます。12時から2時半ぐらいまで学内の書類づくりやブログをアップします。2時半ぐらいに学生さんのいる場所でお茶を飲みながら馬鹿話をします。3時半ぐらいに研究室に戻り、メールに返答をします。6時ぐらいに院生さんの場所に行き、本日、問題がなかったかを確認します。6時45分に帰宅です。7時に自宅に着きます。直ちに息子に体温をチェックさせ7時10分ごろに風呂に入ります。風呂から上がって、息子の髪の毛を乾かします。息子がテレビを見ている脇で、メールに返信します。7時45分ぐらいに夕食開始、8時半ごろに終わります。その後、息子の仕上げ磨き、パジャマを着させ、8時50分には布団に入れ、添い寝です。9時40分頃に添い寝から出て、メールチェックをします。その頃、家内は風呂に入ります。10時半頃、髪を乾かした家内とテーブルでゴチャゴチャと話します。10時45分頃、メールチェックをして、11時就寝。

 私の1日は基本的に上記の繰り返しです。そして、私の過ごしている時間の最も多くの時間を費やしているのは、全国の見知らぬ人からのメールに返信すること、そして、ブログに記事をアップすることです。ごく普通のことを毎日、毎日、やっています。今まで私に質問メールをした方だったら知っているはずです。一度たりとも、不誠実に返信したことはありません。ときにはA4版で5ページ以上のメールも書いています。そして、きわめて早く返信しています。それをずっと十年以上続けています。

 どこに劇的なものがあるでしょうか?なんもありません。でも、この毎日の積み上げが日本を変えることであることに確信を持っています。現在、関西で『学び合い』が広がったのは、見ず知らずの3人の学生さんが土曜日に突然合いたいと言ってきたので2時間ほど話をしたことが原因です。現在、神奈川で『学び合い』が広がったのは、一人の大学生の方が、『学び合い』をみたいと言ってきたので相手をしたからです。宮城で『学び合い』が広がったのは、『学び合い』の会場で私に議論をふっかけた相手に、最後まで説明し続けたからです。福岡で広がったのも、高知で広まったのも、メールでの質問に最後まで返信しつつけたからです。・・・・・・。全部、全部、聞かれたら、頼まれたら、自分の出来ることをした、というだけのことです。

 そういう人たちが全国にいます。直に合うのは年に1度ぐらいかもしれません。いや、1度もない人もいます。でも、その方々の息づかいを私は感じています。それぞれの人がネットワークなり、その人たちが出来ることをやっています。一人一人のやっていることは劇的なものではなくとも、それらの積算したものは大きなものになります。さらに、1+1が2ではなく、4にも6にもなることを知っています。

 ゼミ生には、日本を変えることは凄いことをすることではない。自分の出来ることがあるはずだ。それをやればいい、と言います。例えば、ブログやミクシーでも良い。アマゾンの書評に書き込みをすることでも良い。知り合いに話すことで良い。どんなことが、その後に大きな変化を引き起こすか分かりません。そして、それが大きな変化を引き起こすことがなくても、もし、一人の教師の心に届けば、数百、数千の子どもに意味あることを成していることであり、尊いことであるとかたります。

 私はゼミ生に意図的に広い範囲の同志と繋がる機会を与えています。そして、彼らの成果がより広い範囲に影響を与える場を提供するよう政治をします。彼らは、今、数人の学生が学校を変え、地域を変えることが出来る可能性を感じ始めています。私が求めた日本を変えると言うことは、あながち荒唐無稽ではないと確信する学生が増えつつあります。

 つまり、日本を変える、というのは荒唐無稽ではないのです。「自分」と思えば、それはそうです。そして事実です。日本国首相だって無理です。でも、「我々」と思えば、それは不可能ではないのです。ポイントは自分ではなく「我々」なんです。

 では、出来るとして、何故、それを私はゼミ生に求めるか、そして自らにそれを課すか?それは、「得」だからです。一人の子どもに拘っている限りは出口はありません。むしろ一人も見捨てない集団を作ることの方が可能性はある。

 考えてみてください。日本を変えるということを大学生や現職者に言ったら、荒唐無稽と思いますよね。でも、クラスの子どもに一人も見捨てずに、と求めることは子どもにとっては同じように荒唐無稽です。だって、クラスと言ったって、話したことの殆ど無い子どもは少なくない。ハッキリ言って嫌いな子どももいます。ましてや異学年学習で百人を超える集団で『学び合い』、一人も見捨てるなと言ったって荒唐無稽だと思います。

 単学年の『学び合い』をしていると、「○○ちゃんは言っても聞いてくれない!」と涙ながらに教師に訴える子がいます。そして、保護者に先生が手抜きしていると訴える子がいます。十中八九、特定の一人、もしくは数人が「お世話係」になってしまった場合です。また、異学年学習で「教えるばかりで自分たちの勉強にならない」と訴える高学年がいます。これまた、高学年の数人が「お世話係」になってしまった場合です。残念ながら、それらの原因は、個にこだわっている教師の心なんです。とにかく、気になる子を世話する子がいて、なんとか問題が解決しているならば、それはありがたいという気持ちです。これを解決するためには、みんなが実は得であるということを語らなければなりません。

 そして、子どもたちは、その語りを聞いて、その教師の「腹」を探ります。考えてみてください。異学年の『学び合い』をしている教師が、「自分のクラス」のことばかり考えていたら、どうでしょうか?単学年の『学び合い』をしているとき、「気になるあの子」のことばあかり考えていたらどうでしょうか?ばれてしまいます。では、異学年の『学び合い』の時、その異学年のことを考えていたらOKでしょうか?私はそう思いません。おそらく、仲間や同僚だったらOKでしょう。でも、管理職とは認めてくれません。自分たちより上の次元で考えられ、それを自分たちの次元に矛盾無く繋げられるからこそ管理職と認められ、その管理下で動くのです。これを校長に置き換えれば理の当然ですよね。

 私は教師としては西川ゼミが高い成果を上げ続けることが求められています。そして、今、西川ゼミは二十代そこそこの学生も、学校をどうあるべきかを考えねばならない課題を持っています。いや、学校同士をどのように結びつけるか、学校と地域をどのように結びつけるかを課題としています。なれば、彼らに「日本を変える」という課題を与えるのは必然です。そして、彼らにそれを私が求めるためには、私自身の言動がそれに矛盾無いものでなければならない。そして、彼ら以上の視点で課題を考えられねば管理職として認めてもらえない。

 長々と書きましたが、以上に書いたことが、『学び合い』の学校観と子ども観に一致していることはお分かりだと思います。その「多様な」という言葉、「有能である」という言葉の意味が高いレベルなのです。もし、子どもにそれを求めるならば、教師もそれに矛盾しない言動をすべきです。でも、無理ではないのです。自分でやるのではなく、みんなでやればいいのですから。そして、それが得なのです。多様・有能であるという言葉の意味を限定的に考え、それで問題が解決される方ならばどうぞ。でも、スーパーマンでない凡夫である私はそれが出来ないから『学び合い』をやっています。

「日本を変える」は得

 私の指導教員は小林学先生です。本当に優しくて素晴らしい先生でした。東京都の高校の教師でしたが、若くして指導主事に抜擢され、そして、文部省の教科調査官になり、筑波大学の教授になられた方です。私が東京都から合格通知を受けた後、その小林先生にどうやったら出世できるかを聞いたことがあります。その時、小林先生が笑いながら話してくれたことです。

 小林先生は私に、「採用されれば、いろいろな研修団体の会に参加すると思うよ。その会に出席して受け付けをしたとき、何をする?」と聞かれました。ま、名簿に名前を書いて、会場に移動します。しかし、それでは駄目だそうです。小林先生曰く、受付の人に「何か手伝うことはないですか?」と聞くことだそうです。おそらく、最初は断られるでしょう。でも、二三度申し出ると、仕事が用意して待ってくれる。そして、終われば、打ち上げに参加します。そうすると、今まで出会えない人と会うことが出来る。情報が広がり、より高度な仕事が与えられる・・・・。

 この話を最初に聞いたのは学生の頃です。そのころは「ふ~ん。そんなもんか。つまり、頭を下げて仕事をすれば報われる」というような話として理解していました。ところが、大学に勤めるようになって、本当の意味が分かるようになりました。 小林先生の話は「出世」というものより一般性の高い意味が含まれています。人は等質な人とつきあうのは楽なのですが、得をするのは異質な人とつきあうことなのです。考えて下さい。人類の歴史の中での交易は異質な者同士の間でなされました。海岸近くの人は山の人と物を交換しました。それは海岸近くの人にとってはありふれた物が山では価値ある物であり、山ではありふれた物が海岸近くでは高価な物になるからです。だから、両者がともに「得」だと思うから交易が続いたのです。

 これは物ばかりではありません。情報もそうです。アメリカの社会学者が、結婚相手を誰に紹介されたか調査しました。その結果、親友や肉親ではなく、それほど親しくない知人からの人が多かったのです。何故でしょう?それは親友や肉親が知っている人は、当人も知っている人なのです。その人の中で相手がいないのですから。(実は私の場合もそうです。)

 さて、上記のことが分かり始めたのは、大学に就職してからです。大学の教員だと、二十代後半の私も現場のお偉いさんと一緒に飲む機会は少なくありません。そして、大学教員だと気楽に色々な話をしてもらえます。そこでの愚痴の多くは、使える若手がいないと言うことです。たいていの教師の視野は自分のクラスに限定され、主任レベルでも学校レベルに限定されます。そして、市や県レベルのことを考えている人は殆どいません。ところが、県指定・文科省指定の研究会があり、そこで汗を流してくれる若手・中堅がいないのです。教頭試験がちらつく年代には、そういう仕事を頼め、受ける人はある程度いす。しかし、それより若い年代では殆どいません。でも、どんな会でも若手・中堅・ベテランには別々な役割があり、それぞれを担う人が必要なのです。結果として、教頭試験がちらつく年代で市や県レベルの仕事をしても目立ちませんが、若手・中堅時代にそれをやる人は光るのです。だから、若手・中堅のお偉いさんの中での評価はある程度一致します。

 小林先生の話を最初に聞いたときは、若手の教員の側からの視点でしか見えませんでした。しかし、実は使える若手をお偉いさん達はひどく求めているということが分かりました。

 このことは私も当てはまります。私は四十代の前半に新しいコースの立ち上げの中心メンバーにいました。そして四十代前半に新しい専攻(教職大学院)の中心メンバーにいました。普通だったら数十人のチームで立ち上げますが、上記のコースの立ち上げの場合、その基本コンセプトをほぼ一人に任せてもらえました。そして専攻の立ち上げの場合、その基本コンセプトはもちろん、スタッフの構成に至るまでありとあらゆつことを任せてもらいました。当時の大学管理職はもちろん、立ち上げの中心メンバーの方々が私を信頼していただいたからです。

理由は、私が自分の研究室やコースというレベルではなく、常に大学や日本の教員養成をどうしたらいいか、というレベルで考え続けたからです。それも半年、一年のレベルではなく、十数年というレベルでです。結果として、関係法規の施行令・施行規則レベルのことを学びました。様々なことを事務職員の方から教えてもらいました。だから大学管理職にも議論をふっかけますし、ご下命をいただけば直ぐに案を提出できます。だって、既に用意しているのですから。結果として、自分の考える研究環境や教育環境を確保することが出来ます。

 事務職員の方々は、大学の置かれている環境が厳しいことを理解しています。しかし、それに対応すべき教員が少ないことを困っています。だから、私が議論をふっかけるような職員の方にとっては私は有り難い存在だと思います。つまり、互いにメリットがあるのです。これは大学管理職にとっても同様です。地元の偉いさんが使える若手・中堅を必要としているように私を必要としています。そして、私にとっては、自分の願う研究・環境を確保する権限のある管理職が私を認めてくれるのは有り難い。

 おそらく横並びのことを毎年やって、来年も同じようなことをする人にとっては志を高くする必要性はあまりないでしょう。そして、目の前の子どもが阻害されていたとしても、それは「その子が悪い」、「保護者が悪い」、「日本の教育システムが悪い」と合理化する人も志を高くする必要性はあまりないでしょう。

 が、その人は幸せなのでしょうか?起きている時間の殆どの時間を占めている勤務時間に誇りや楽しみが無くて幸せとは私には思えません。子どもを見捨てて合理化している人も安穏とはしてはいられません。今の時代の保護者は民主主義で育てられています。権利意識も高い、かつ、論も弁も立つ方がいます。

 学校の職場の教育力は著しく下がっています。無計画な採用計画の結果、年齢バランスが崩れたためだと私は確信しています。結果として、先輩のサポートを受けられない若手が大量に生まれました。逆に言えば、若手のサポートを受けられず、若手と同じ意識で授業をして潰れていく中堅が生まれました。考えて下さい。若手でも中堅でもベテランでも、どうしようもなく忙しい時や、家庭・健康の問題で頭がいっぱいになるときはあります。その時、ちょっと助けてもらえれば、それを乗り越えることが出来ます。しかし、普段の助け・助けられる関係が無くてそれが出来るでしょうか?自分のことでいっぱいいっぱいの同僚が助けてもらえるでしょうか?逆に、自分のことでいっぱいいっぱいのあなたが同僚を助けるでしょうか?無理です。そして、一般職員と管理職が対立的にすることによって管理しようとしている現状では、それらの職場の関係を改善するする力は管理職にはありません。

 今、教師の200人の一人は心の病で休職中です。ということは職場において一人や二人はその予備群という現状です。さて、このような状態が「幸せ」でしょうか?

 これを打開しようとしてスーパーマン教師や滅私奉公の教師になろうと努力している人がいます。が、スーパーマン教師になれるのはごくごく一部です。日本中の100万人の教師の中で千人もいません。滅私奉公でやれば家庭は崩れます。不良を救って、我が子を不良にしては幸せになれるわけありません。

 ではどうしたらいいか?自分の学年・教科・学校・市・県を越えた人と繋がることが「得」なのです。それも、あなたと異質な人と繋がることが「得」なのです。では、どうすればいいでしょうか?自分の学年・教科・学校・市・県を越えた志を持ち、それを実現する行動をすればいいのです。それ故、私は「日本を変える」という志を掲げているのです。もちろん最後に獄死するような革命家になる必要はありません。先に述べたように、毎日、普通にやれることをすればいいのです。

でも政治をしてください

 市や県が違う人と繋がれることは重要ですが、同時に、同じ職場の人と繋がれることも大事です。 私は筑波大学第二学群生物学類に入学しました。同級生は80人です。その中に非常に変わった人がいます。A君としましょう。A君は、私の学生宿舎の部屋の隣の隣です。ところが、彼を宿舎で見かけることは殆どありません。A君は授業で見かけることは希ですし、いても目立ちません。なにしろ「A君としゃべった」ということが同級生の中でホットな話題となりました。我々はA君は人と話すことが好きじゃない人なんだな~っと思っていました。ところが、「A君が、知らない数人と話していた。それも笑いながら!」という驚愕のニュースが同級生の中で流れました。みんなは信じられませんでした。

 しばらくして、A君はある宗教団体に属していること、そして、その宗教団体の人とは話すこと、ということを知りました。そして、それによって、その宗教団体のことをカルト的に捉え、非常に嫌な印象を持ちました。その宗教団体にかぶれるとA君みたいになるんだな、と思うようになったんです。そして、A君は途中で退学しました。同級生との関係を絶って卒業できるほど大学は甘くはありません。A君も同級生との関係を絶って卒業できるほどの能力はありませんでした。

 他山の石です。『学び合い』を知れば、多くの教師が「良し」としているものを全く別な視点で見ることになります。多くの教師が見逃している「アラ」がよく見えてしまうのです。私は『学び合い』が従来型に比べて圧倒的に優れていると思います。従来型と「いいとこ取り」のようなことが出来るような差ではなく、圧倒的に優れていると思います。が、それは従来型と『学び合い』の比較です。従来型の授業をしている人と『学び合い』の授業をしている人の比較ではありません。圧倒的大多数の教師は善意の人です。そして、我々はみんな愚かである部分を持っています。みんな同じです。変な選民意識を持ってしまえば、A君のような行動になります。そして、A君のような行動をすれば、『学び合い』がカルトのように思われてしまいます。それは本人にも『学び合い』にも不幸です。

 教職大学院・教職デザインコースとは

 教職大学院・教職デザインコースには、修士論文・卒業論文が必須として課されないという特徴があります。ただし、これは必ず書けとは言われないですが、書いてはいけないという意味ではありません。また、修士論文・卒業論文は必ずしも書かなくてもOKですが、修了や卒業に値する何らかの成果物が必要です。教職大学院・教職デザインコースは「研究しない」というようは消極的な大学院・コースではありません。本当に実践に役立つ能力を得て、その成果を周りに広げる成果物を書かなければならないという積極的な大学院・コースです。ただ、その形が修士論文・卒業論文に限られないのです。

 西川研究室の考える教師の職能

 圧倒的大多数の善意の教師と私の思っている教師の職能は全然違います。たいていの場合は網羅的な知識・技能が必要だと思います。授業記録や指導案の書き方は基礎的だと思っています。そう思っている先生方が善意である故に辛いのですが、私はそうは思っていません。『学び合い』に至った考えと同じです。たしかに、それの有効性を全面的に否定するわけではありません。しかし、それが有効である場面は、それほど多くはないのです。教師が勤める学校は千差万別、教える教材は千差万別、教える子どもは千差万別です。だら、個々の知識、個々の対応を覚えるとするならば、そりゃきりがない。 じゃ、何が必要かと言えば、 私の考える教師に職能は以下の三つです。網羅的、箇条書き的な普通の教師の職能とはかなり違い、静的ではなく、動的に職能をとらえています。 1)子どもや親のせいにしない。確かに、それが原因なのかもしれないが、それを言ってはおしまい。 2)尊敬すべき、先輩、後輩を捜し、その人といっぱい雑談をする。見いだす方法は、子ども「たち」、地域、保護者に聞けばいい。そして、地域、保護者とのつながり方も先輩・後輩から学べばいい。 3)まねられるところはまねる。まねられないところは、まねる必要はない。今の自分のままで、出来る授業はある。 補足します。 第一の職能がないと、教師の進歩は止まります。教師が求められる能力は多種多様です。例えば偏差値70以上の子どもたちを相手にするのと、暴走族だらけの子どもを相手にするのとでは、求められる対人能力も教材の力も全く違います。小学生を相手にするのと中学生を相手にするのでも違います。また、同じ学校、同じレベルの子どもを教えるのだって、自分が二十代前半であるときと、四十代後半では全く違います。学問的にそれを抽象化することは出来ますが、理論物理学者が車を作れないのと同じ理由で、現実の教室では無力です。結局、教師にとっての最高の教師は「子どもたち」だと思います。子どもたちに教えられながら、常に学び続けなければならないわけです。 若い先生の場合、過去の自分の経験や、他人の経験を知りません。そのため自分を相対化できません。さらに、年を経ると、失敗しても、その失敗を目立たなくするノウハウは確実に増えます。その結果、職員室の中で、あたかも自分だけが駄目のように感じてしまいます。いえいえ、中堅・ベテランでも追い詰められると、自分だけが駄目みたいに感じます。 でもね。今まででは通用しないのは、ごくごく当然です。子どもも変わり、自分も変わっているのですから、調整しなければならないのは当たり前です。これは、『学び合い』だって、一斉指導だって同じです。それが嫌になると、子どもや保護者のせいにしたくなる。人情です。でも、このブログを読んでいる方々だったら、そうした先生がどのような先生であるかは「よ~~~~く」ご存じなはずです。もがくしかありません。もがくのが当たり前です。偉そうなこと言っている私も「当然」、一杯失敗し、落ち込みます。でも、もがくから成長もあります。少なくとも、もがかなければ、現状維持はあり得ません。 でもね。人の能力なんて、たががしれている。もがいても解決できないことが殆どです。そんななかでもがき続けるなんて、神仏でなければ出来るわけありません。当然です。では、子どもや保護者のせいにして合理化する教師になるか、成長しつつけることの出来る教師になれるか、その分かれ目は何かといえば、それが2番目の職能です。これって大事です。自分が分からないこと、困っていることを、解決する方法をこともなげに教えてくれる人っているんですよ。「あ、それね。あははは。知らない人は、なやむよね。それってね・・・・」と教えてくれる人っているもんですよ。答えを知っていなくても、一緒に考えてくれる人はいます。そして、何よりも愚痴を聞いてくれる人はいます。 教えてもらえる、一緒に考えてくれる、そして愚痴を聞いてもらえる。そこで得られる最大のものは何か?そりゃ、もう一度、自分で考える勇気をもらえることなんです。教えてもらえることでさえ、結局、自分の場面にそのまま使えるものではありません。やっぱり、子どもたちという教師の教師の前で実践して、自分でもがくしかありません。これは『学び合い』も同じです。 私も落ち込んだとき、いつまでも愚痴を聞いてくれた先輩教師が、十数人の職場でしたが片手以上いました。職員室の横のお茶飲み場では足りない時は、その愚痴を聞いてくれるために酒場や自宅で「奢って」もらえる機会が、週1回以上はありました。今から考えると、驚異的に恵まれていたと思います。でも、今の職場は年齢バランスの崩壊や、様々な要因で私のいた頃とはだいぶ様変わりしていると思います。その場合は、あらゆるチャンネルで繋がることが大事です。(でも、本当は『学び合い』が広がれば、職場が第一の場になると思いますが)さて、自分が悩み、人と相談し、再度自分で考えるとき重要なのが第三の職能です。溺れている人は浮いているものに必死にしがみつきます。でも、本当に重要なのは自分で泳ぐことです。あくまでも主体は自分であることを忘れてはいけないと思います。

成果を何で出すか

 学術と実践最終的に作成する成果物が何か、という点で、各研究室の特徴が現れます。西川研究室では「学術論文」具体的には、学会誌レベルの論文を成果物とすることを基本としています。「え?!」と思われる方もいらっしゃると思います。でも、理由があります。教師は様々な能力が必要とされる総合的な専門職です。そして、それを獲得する場は様々だと思います。人間性全般に関しては、友人と遊ぶことによって獲得する場合もあるでしょう。一人で黙々と趣味に打ち込むことによって得ることが出来るでしょう。しかし、教師だからこそ必要な能力は、勤務校の実践の中で獲得する方法と、大学・大学院で獲得する方法があると思います。この教職大学院は、それらを融合した教育の場として生まれました。学術無しの実践で学べることだったら、わざわざ大学院に来る必要はありません。真面目に子どもと向き合っていれば、学び取ることが出来ます。逆に、実践に役に立つ「はずだ」と言っている学術が実践に役立ったということを私は知りません。実践に役立つならば、今、その場で実践に役立つことを実証出来るはずです。西川研究室では、学術が実践に役立つこと、逆に、実践が学術の基礎であることを、学術及び実践の成果で積み上げてきました。それ故、「実践の成果に基づく学術論文」を成果物として求めています。

ゼミ集団とは

 2005年3月8日のゼミの話です。ゼミの最後に「他のメンバーのことを心にとめて欲しい。そのためには、研究室にいて欲しい」と語りました。ただし、そこでとめておくと、「研究室にいる」という方法のレベルに止まり、「どれだけいればいいか」という低レベルな発想に繋がるので、以下のような話をしました。 私の指導教官は小林学先生です。嘗ては文部科学省(当時は文部省)の教科調査官で、私が中高で学んだ理科のカリキュラムを作成する際、中心的な役割を果たした方です。教科調査官という仕事柄、日本全国の色々な学校に行く機会を持ちました。小林先生によれば、どんな学校に行っても、その学校の理科室に行き、そこに生き物(特に水槽で飼っている水生生物)を飼っているかどうかを見るそうです。それを見ると、その学校の理科の先生の力が直ぐに分かるそうです。理科室の様子の殆どは、直前になんとかすれば何とか出来るものです。文部省の教科調査官が来るということで、あわてて整理整頓する人もいます。でも、生き物は別です。あわてて整理整頓する人だと、水槽にまで気が回りません。また、気が回っても、水槽の水草・コケの様子をみれば、やっつけ仕事か否かはすぐに分かります。小林先生は、その話をされたあと、私にどうやったら「金魚を殺さずに飼えるか?」と質問されました。皆さんは金魚の飼い方のポイントは何か、ご存じですか? 同じように、学生に質問しました。矢面に立ったYは「水槽をきれいにしたり、餌をこまめにやったり」というような返答をしました(私もそのように答えたように思います)。そこで、Yに以下のように言いました。 そんなこと続けられるの?それに、そんなこと頻繁にやったらどうなる。例えば、毎日毎日、Yの頭を撫でてたり抱擁したりして、「頑張ろうね!」て言ったら?毎日毎日、Yがどれだけ研究をやっているかをテストして、それに対応した指導をことこまかにやったら?それでいいと思う? Yはほほえみと共に、否定しました。 小林先生がおっしゃったのは「毎日、水槽をのぞく」ということです。水槽の生き物を飼った人なら分かると思いますが、毎日毎日、餌をやったらば、水槽の水は濁ります。本当は、餌をやらなくても成り立つようなシステムを成立させることが大事です。それが成り立てば、餌をやる必要は殆どありません。金魚が出す糞は分解され、それを栄養として水草やコケが生えます。そのコケを金魚が食べるため、水槽はコケで濁ることはありません。結果として、水槽を掃除することは殆どありません。水槽の環境が悪化するのは、過剰に餌をやったり、過剰に日を当てたりするためです。それでは金魚を飼っている人は何をすればいいかといえば、「毎日、水槽をのぞく」ということです。毎日水槽をのぞけば、水槽の変化に気づきます。その変化を見れば、別に特別の学習をしなくても、どうやればいいかは常識の範囲内で解決できることばかりです。つまり、金魚の飼い方は、とてつもなく簡単なのです。ところが、多くの学校では、それが出来ません。何故かと言えば「毎日」水槽をのぞいていないからです。そのため、毎日のぞけば気づく変化を見逃し、問題が大きくなり、結果として水槽全体の生き物を殺すことになります。では、何で水槽を毎日のぞけないのでしょうか?その理由は、水槽の中の生き物を心にとめていないからです。 私が西川研究室のメンバーに求めるのは、他のメンバーのことを心にとめて欲しい」ということです。その理由は、それがなければ自分自身の自己実現はあり得ないからです。もし、他のメンバーのことを心にとめるならば、「どうなっているかな~」と思うはずです。そう思っていれば、それを見に行き、話したいと思うはずです。結果として、各人の無理のない範囲で「毎日」モニターしたいと思うはずです。それが「毎日」であるか否かは重要ではありません。また、それが1分であるか、1時間であるか、半日であるかも重要ではありません。「どうなっているかな~」という心が大事なんです。それがありさえすれば、あとは各人の状況の中で妥当な線が出されるはずです。 逆に言えば、問題が起こるということは、どんな良いわけをしても、「やったふりをした」ということを明確に示しています。結果は全てを証明しています。 ただし、一人一人が全メンバーをモニターするなんて無理です。各人の時間帯も違いますし、好き嫌いの相性もあります(当然です)。でも、一人も見捨てない集団を意識して行動して下さい。あなたと繋がれない人が、あなたの繋がれる人と繋がっているれば、それでOKなんです。

o4dao4da2012/08/11 23:35過去にも読んだ記事ですが、こうやって改めて読んでも奮い立たされます。特に仲間(つながり)、時間(未来)といった2つのつながりを強く感じさせられます。今思えば、単純な仕事、単純な毎日1つとっても意義があるということだなと学ばさせていただき先生と出会えてよかったと思います。ありがとうございます。

jun24kawajun24kawa2012/08/12 06:28教職大学院は君(ら)を待っていますよ。ふぉふぉふぉ

scorpion1104scorpion11042012/08/13 07:07小林先生の理科室の話を読んで、小林先生のお人柄が伝わってきました。間接的ですが、そのような心遣いができる教師でありたいと思いました。

tokucyotokucyo2012/08/13 09:10金魚のお話、すごくいいです。クラスの生徒たちにシェアさせていただきます。

jun24kawajun24kawa2012/08/13 14:58scorpionさんへ
小林先生は本当にいい先生でした。
tokucyoさんへ
どうぞどうぞ

12/08/10(金)

[]多様な人との繋がり 18:08 多様な人との繋がり - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 多様な人との繋がり - 西川純のメモ 多様な人との繋がり - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』研究の初期に、情報の三階層というモデルを採用しました。つまり、専門家であるブレインと素人のエンドユーザーは直接繋がることは出来ず、両者を繋ぐゲートキーパーが必要だというモデルです。しかし、現在はそのモデルにはたっていません。理由は子どもたちの会話を分析すると、ブレイン・ゲートキーパー・エンドユーザーがどんどん変わっていくからです。しかし、三階層モデルの中に、面白い知見があります。それはゲートキーパーとエンドユーザーは比較的小集団の中でクローズしています。ところが、その小集団のブレイン同士は繋がっているのです。

 人間が個人的繋がりを持てる人数は150人当たりが限界となります(ダンバー数)。しかし、より大きな集団はあります。例えば全国の『学び合い』のネットワークは距離も人数も遙かに限界を超えています。ではどうしたらいいのでしょうか?

 これに対して単純で画期的な解答を与えてくれたのは、ワッツとストロガッツです。彼らは、基本的に狭い集団「群」の中に、離れた集団を繋ぐリンクをごく少数でも入れただけで、劇的に変わることを明らかにしました。例えば、東京はJRや私鉄や地下鉄で密接に繋がり合った町で構成されています。札幌もそうです。しかし、東京と札幌を鉄道、特に在来線でしか繋げられないとしたならば、両者の交流はかなり困難です。ところが、札幌と東京を飛行機で結んだとたんに、両者の関係は激変します。札幌と千葉、札幌と埼玉、札幌と神奈川、小樽と東京、小樽と千葉・・・・という多くの航空路を開設しなくても、たった一つの札幌と東京の路線だけで関連する地域の関係は激変します。ワッツとストロガッツはそれを科学的に明確に示したのです。

 『学び合い』の仲間には、意図的に色々な地域の人と繋がっている人がいます。それはネットワーク上もあるでしょう。そして、実際に遠方の『学び合い』の会で直に会う方もいます。それらが今後の『学び合い』を支えるものです。

 『学び合い』では教師は子どもたちに「多様な人と折り合いをつける」ことの価値を述べています。そのことを自信を持って語るためにも、是非、多様な人と繋がって下さい。それが自分のクラス、自分の学校の実践の質を保証するものです。

[]福岡の会 05:21 福岡の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 福岡の会 - 西川純のメモ 福岡の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』は懇親会で大きくなる。数多くの『学び合い』の会が、『学び合い』の会の懇親会で生まれました。今回のフォーラムでも、再来年のフォーラムを九州で開くことになりました。その最初の一歩として8月16日に福岡でミニ学習会を開きます。

 福岡、福岡近県の方にお誘いします。詳細は教師の一分さんへ連絡下さい。http://goo.gl/DQRKt

kazumiyusakazumiyusa2012/08/10 13:50懇親会にて皆さんの代表として九州フォーラムを宣言させていただいたkazumiyusaです。先生もミニ学習会にきてくださるのですね!!びっくりしました。本、買いました!!お会いできるのを楽しみにしております。

jun24kawajun24kawa2012/08/10 17:03いえいえ、行きませんよ。あははは。体が持たない。九州の方々が集まって下さい。

kazumiyusakazumiyusa2012/08/10 19:02あら、勘違いしました。すみません。勉強してきます。

g5o0t9o9g5o0t9o92012/08/10 22:40先生がおっしゃった通り,「自信を持って語ること」 これが今の時点での自分の最大の課題だと感じます。この力強い記事に奮い立ち,今回のご講演を契機に広がったこのつながりを大切にしていきたいと強く思えました。ありがとうございます。

jun24kawajun24kawa2012/08/11 06:51子どもに自信を持って語るためには、それに合った行動を自らがやらねばなりません。期待しています。

12/08/09(木)

[]宮城 17:13 宮城 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 宮城 - 西川純のメモ 宮城 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は仙台で語りました。宮城に新しい風が吹く予感を感じました。心に伝われと念じます。あと、宮城の高校で隠れキリシタンをしている先生と会い話しました。あたりは柔らかい方なのですが、私なんぞ足元にも及ばない、タフさがある方だと思いました。

12/08/08(水)

[]意欲 09:33 意欲 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 意欲 - 西川純のメモ 意欲 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は宮城県角田で講演です。主催者から学ぶ意欲について語って欲しいとのご希望がありました。その結果、5年回ぐらいは話していないことを話そうと思いました。

[]『学び合い』の会 09:04 『学び合い』の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 『学び合い』の会 - 西川純のメモ 『学び合い』の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 書くべきか、書かないべきか悩んだのですが、書くことにしました。それは『学び合い』の会についての私の捉えです。

 『学び合い』の会は、『学び合い』を学ぼうとする人の集いですが、『学び合い』ではありません。なぜなら『学び合い』の成立に必須な条件である「管理者」がいないからです。例えば西川ゼミの学生さんに対して私は管理者です。しかし、卒業・修了したら私は管理者でなくなるのです。管理者とはそういうものです。

 従って、『学び合い』の会の主催者が管理者であるわけありません。従って、『学び合い』が成立するわけありません。しかし、『学び合い』に近い状態にする努力は必要です。

 ではどうするか?

 サルの時代から、肉親の間では管理者がいなくても『学び合い』が出来ます。そして、サルがより大きな群れを形成するようになって、同じ群れ同士の間では管理者がいなくても『学び合い』を成立することが出来ます。これらは本能です。しかし、そのような群れを形成していない者同士が『学び合い』を形成するには、管理者は必須です。

 では、どのようにして人はネットワークを形成しているのでしょうか?人のネットワークを分析していると圧倒的大多数は、身近な人の中で完結した集団の中でクローズしています。ところが、少数ですがそうでない人がいます。その人がばらばらの小集団を繋いでいるのです。

 ではどうしたらいいか?『学び合い』の会に参加する人には色々な人がいます。『学び合い』を実践し、その良さを知っている人です。『学び合い』が広がるにつれて、『学び合い』の会に参加する人の中でそのような人の割合は少なくなります。『学び合い』をちょっと実践した人。『学び合い』を実践したことはないが実践したいと思う人。『学び合い』に興味はあるが、実践するつもりは無い人です。それらの人たちがばらばらな状態、それも管理者もいない状態で『学び合い』に近い状態を成立するためには何が必要か?それは『学び合い』を実践し、その良さを知っている人が、動かなければならないのです。私が本でよく書く、2:6:2の2の人が動かなければなりません。もし管理者のいない状態で、『学び合い』に近い状態が成り立たなかったとしたら、他ならない2の人が動かなかったことが原因です。その2の人は他地域の2の人と繋がり、それを繋げる役割を果たすことが期待されています。

 主催者の方から、『学び合い』の会において『学び合い』が成立していないことを議論しているグループが生まれたことを聞きました。その中に、その会話を動かしている方がいる方を見出しました。そして、その中に、他地域の『学び合い』の会にも積極的参加している方が含まれていることを見取りました。それ故、私は安心しました。

 今回の『学び合い』フォーラムの開始直後、主催者の一人に「ミッションを設定していなかったね」と耳に囁きました。その方は「あ!」とした表情になりましたが、微笑まれました。その方は一瞬のうちにそれを理解し、シミュレーションをしたのだと思います。そして、ミッションを明確にする得失と、それを明確にしないことによる自由度の得失を計算されたのだと思います。おそらく、『学び合い』の会で『学び合い』を成立させること以上に、多様な人の中で何が生まれるかを見出そうとすることを優先したのだと思います。その中には、『学び合い』の会は『学び合い』ではないことを明らかにすることも含まれると思っています。私はその判断は正しいと思います。

 色々な問題はある、それを見出した後は、代案を出さねばなりません。そして、行動しなければなりません。それが無いならば、批判は単なる悪口にすぎません。

 では、西川ゼミではどうしているか?西川ゼミでは越後『学び合い』の会を開いています。そこでは私という管理者がいる西川ゼミが中心になって動いています。さらに、それを徹底するために、地元の『学び合い』実践者が管理者となっている子ども集団を参加してもらい、『学び合い』の会の参加者の中に含まれる、『学び合い』が成立している集団の中にいる人数比を高めているのです。もちろん、それであっても、越後『学び合い』の会において参加者全員の管理者はいないのですから完全な『学び合い』成立させことは不可能だと思います。しかし、上記によって実現に近づけようとしています。

 いかなる方法も最善はありません。今回の会において、学生さんの「のり」の会をイメージしている発言がありました。しかし、それに対して、その方向に進むことに違和感を感じる人もいたことを私は知っています。今回のフォーラムは極めて自由な形式でした、だから本来、それを最大限に生かしているならば問題はなかったはずです。どうやったら自由さを生かし切れたかが課題でしょう。

 個人的な印象ですが、『学び合い』ではフリートークという時間があります。これは本当に自由な時間です。今回はそれよりも「お約束」が多かったように思います。結果として、初めての人は「どこまでがお約束で」、「どこからが自由なのか」の切れ目が分かりづらかったのだと思います。

 さてさて、長々と書きましたが。繰り返しになりますが、最善の方法はありません。同志の方々が多様な方法を柔軟にやり続けることが大事です。代案と実行、それが期待されます。

追伸 いずれにせよ、今回のフォーラムは大満足でした。ただ、一点、お願いしたいのは、配付資料の文字が小さかった。オジサンにはなかなか辛いものがあります。あははは

ogymogym2012/08/08 23:15>>『学び合い』の成立に必須な条件

必須条件、は初めて聞く気がします。書籍HP等どこかに参考となるものがあれば教えていただけますでしょうか。

 問題解決型学習・一斉授業の成立に必須な条件はこれまで論じられてないのかな、なんてことも考えさせられました。

motoryoumotoryou2012/08/09 06:43角田ではありがとうございました。おおもとのところを,もう一度考える機会になりました。

motoryoumotoryou2012/08/09 06:43角田ではありがとうございました。おおもとのところを,もう一度考える機会になりました。

jun24kawajun24kawa2012/08/09 06:55ogymさんへ
 そうですね、書いていませんね。教師が必須であるということは、『学び合い』だけではなく、問題解決型でれ、一斉授業でも同じです。教育は目標と評価があり、それは教師しか出来ないものだと思います。そういう意味で、特段書いてはいませんでした。

motoryuさんへ
 かなり前のデータですが、今の『学び合い』の基礎づける大事な学術研究です。お久しぶりにお二人のお顔を拝見し、何故かホッとしました。

g5o0t9o9g5o0t9o92012/08/09 22:16本校の教頭・教務も,綿密な学術研究の積み重ねの上に立った実践理論であることに非常に興味をもっており,本物だと感服していました。何かせねばという気持ちが高まっています。鉄はあかいうちに といきたいと思います。ありがとうございました。『学び合い』を核として多くの新しい仲間と出会えたことも本当に感謝しています。

jun24kawajun24kawa2012/08/10 05:11大いに期待しています。今回、宮城の仲間とも繋がれたと思います。また、近県の福島の仲間とも繋がれたと思います。ネットワークを活用して下さい。凄い結果が、きんきんに現れそうですね。楽しみです。

ogymogym2012/08/10 23:48>教育は目標と評価があり、それは教師しか出来ない
返答ありがとうございました。

12/08/07(火)

[]地域貢献講座 11:26 地域貢献講座 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 地域貢献講座 - 西川純のメモ 地域貢献講座 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 9月1日に上越教育大学の地域貢献講座を長野県塩尻市の教育センターで開きます。私も喋ります。そして、その後懇親会を開きます。お誘いします。

 地域貢献講座の申し込みはhttp://goo.gl/BSnBqへ。懇親会はhttp://goo.gl/w4qiUへどうぞ。

[]高知 11:12 高知 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 高知 - 西川純のメモ 高知 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 イルカさんたちが長い間踏ん張っていたが、次のステージに進む予感を感じる会でした。物事は動くときは、同時に動き始める。時代が求めていると思いました。

12/08/04(土)

[]ツレがうつになりまして 00:03 ツレがうつになりまして - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ツレがうつになりまして - 西川純のメモ ツレがうつになりまして - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は病的に人が不幸になることが嫌です。ということで映画好きなのですが、見られない映画が多い。

 ツレがうつになりまして、という映画はサマーウオーズから久しぶりの満額の好きな映画です。誰も悪人はいない。そして、幸せになっている。

[]『学び合い』フォーラム 00:03 『学び合い』フォーラム - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 『学び合い』フォーラム - 西川純のメモ 『学び合い』フォーラム - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』を実践すれば子ども達は支持します。しかし、「たまには前の授業も良いかも」と言います。理由を聞くと楽だからだそうです。たしかに『学び合い』の授業は黙って聞いていれば前に進む授業とは違います。

 本日の『学び合い』フォーラムの参加者は、この言葉の意味が分かると思います。

[]長崎の会 07:30 長崎の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 長崎の会 - 西川純のメモ 長崎の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 10月14日に長崎『学び合い』の会が開かれます。お誘いします。http://goo.gl/rVpkz

12/08/03(金)

[]我が儘 21:49 我が儘 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 我が儘 - 西川純のメモ 我が儘 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 教師も夫であり、妻であり、親であるのです。だから、家庭の時間を大事にすべきだと言うべきです。でも、若手は言いづらい。ならば、おっさんはそれを言うべきです。

 苦労した人には2種類います。私が苦労したんだから、おまえもしろ。もう一方は、私は苦労したから、おまえはそうなさえない。後者を言うためには、やるべき事は多い。

[]伴侶 21:34 伴侶 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 伴侶 - 西川純のメモ 伴侶 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、出張中にて映画「ツレがうつになりまして」を見ました。それに関して。

 私は家庭の時間を大事にします。大学の仕事で勤務時間を超える仕事を求められると拒否します。これは、ここ3代の学長に関して一貫した方針です。あるとき、そのことを注意されました。その当時の学長に、「私のおむつを替えてくれるのは、学長ではなく家内です」と言いました。それ以来、私に勤務外の仕事は求めなくなりました。しかし、この我が儘が出来るためには、勤務時間内に膨大な仕事をこなし、文句を言われないように最善を尽くしました。

 あるとき尊敬する同僚にそんな話をしました。その同僚は、「おむつを替えるのは奥さんではなく、あなたになるかもしれない」と言いました。一瞬、ビックリしました、それもあるなと思いました。でも、すんなり受け入れられます。

 我が息子を育てるとき、どれほど自分の時間を犠牲にしたか。でも、それは納得しました。息子がニコニコしてくれれば、それでいい。それと同じだと思います。仮に、家内がそうなっても、家内が我が子になるだけです。手はかかりますが、可愛い我妻。それも、ずっと子育てが出来ます。

 ま、気がかりが二点。第一は、女性の寿命は長いこと。でも、私が出来るだけのことをした後は息子とその家族がやってくれるでしょう。もう一つは、我が子を育てるとき、特に、乳児の時は、私に逆らいません。でも、家内の時は逆らうだろうな。でも、それに対する耐性を、中学校に進学する息子で学ばねばと思います。ようは「愛している」ということだと思います。

[]白熱教室 09:40 白熱教室 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 白熱教室 - 西川純のメモ 白熱教室 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 サンデル教授の白熱教室は有名ですね。私もビデオや本を読みました。教師として憧れます。あれをやる方法の解説は色々あると思いますけど、私は比較的簡単だと思います。そして、少なくない教師がそれを実践しています。方法は同じテーマを何度も子ども達と議論するのです。人間の発想は限られています。ま、5回ほどやれば大部分の回答は出てきます。そしてそれに対する良い回答方法も生まれます。白熱教室で出されている話題は、その多くは決まり切ったパターンの積み上げなのです。したがってサンデル教授といえども、聴衆の方からお題を出してもらいそれを議論すれば、あれほどのスピード感は出せないと予想します(もちろん出来るかもしれませんが)。

 でも、たまに自分の予想を超えた発言があります。そうしたら、まず、それを高く評価します。そして、それが何を意味するかを発言者に説明してもらいます。そのうちに頭が整理されて、回答が生まれてきます。

最悪、回答が生まれてこなかった場合はどうしたらいいでしょうか。非常に高く評価し、そしてその話は打ち切りにすればいいのです。発言者の気持ちとしては高く評価されたので気持ちが良くなっています。また、説明をいっぱいできたので満足です。従って、打ち切りにされても、それに拘りません。周りの聴衆も、議論に答えられなかったという印象より、多様な意見を評価できる心の広い人だという印象を持ちます。

という手法を、私も全国からの質問者への対応で使っています。

しかし、大学の講義では使いません。というこは質問者との対応は基本的に1対1の会話です。しかし、数十人以上の授業ではそれをつかうと学習者があまり自分の頭で考えなくなるからです。ということで『学び合い』白熱教室をやっています。

パターンは以下の通りです。現状の確認です。

「今日のお題は●●です。・・・・ここで●●が学校現場で重大な問題であるかを短く説明します・・・・。さて、●●に対してどのように対応すべきかを話し合って下さい。時間は●●分(だいたい15分から30分)です。」

これによって現状の対応策のおおよそが共有されます。時間になったら以下を言います。

「色々な対応策がありますね。でも、ちょっと視点を変えましょう。・・・・・既存の対応策は「その子」「その事」に拘った対応です。しかし、それでは解決できないことを説明して、集団に目を向ける必要があることを短く説明します。・・・・・。では、どうしたらいいでしょか?時間は●●分(大抵は20分から40分)です。」

これによって現状とは違った対応策が出てきます。しかし、大抵は既存の延長上で考えようとするので無理が生じてしまいます。時間が来たら以下を言います。

「さて、色々な対応策があるでしょう。では、『学び合い』ではどう考えるか。・・・・・『学び合い』での実践例を紹介しながら、集団で見ること、一人も見捨てないことの意味を語ります。・・・・・このような視点も持っていただければ有り難い」で話をまとめます。

おそらく、ありとあらゆる問題が、『学び合い』の見方で分析することが出来ます。だから、授業の種は尽きません。1時間半の講義中の私の発言時間はせいぜい15分程度です。2時間になっても、3時間になっても学生さんの話す時間が長くなるだけで、私の発言時間は変わりません。

結果として大学教師が白熱するのではなく、学生さんが白熱する教室が実現できます。

追伸 こっちの方が圧倒的に教師は気が楽で、楽しいのに。

[]今日、明日 07:58 今日、明日 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 今日、明日 - 西川純のメモ 今日、明日 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今日は紀の川市で講演です。かなりの人が問い合わせがあったと聞きました。しかし、今回はご遠慮いただいたとのこと、すみませんでした。そのようなお申し出は、私を通すと話が早いと思います。以降はそのようにして下さい。

 明日はフォーラムです。全国の同志とあえることを楽しみにしています。

http://manabiai.jimdo.com/

tokucyotokucyo2012/08/04 08:24『学び合い』による「白熱教室」ですかぁ。なるほど!と思いました。「白熱教室」は、2年前に授業参観でやってみたことがあります。それなりの意見は出てきましたし、見せ物の授業としてはまあまあだったと思います。でも、おっしゃるように1対1の会話なので、多くの生徒の意見を吸い上げようとした場合、こちらがかなり頑張らなければいけませんでした。そういう意味では、教師の白熱教室だったと思います。この頃は、『学び合い』の発想は全くなかったのでそれでも仕方ないと思ってました。フォーラム参加できません。盛会をお祈りいたします。

jun24kawajun24kawa2012/08/04 22:30一日目終了です。本当に頭がフル回転で、ヘトヘトになりました。

12/08/02(木)

[]年を取ること 22:06 年を取ること - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 年を取ること - 西川純のメモ 年を取ること - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は今まで一度たりとも若い頃に戻りたいとは思ったことはありません。100mを全力疾走しても辛くない、重いものを持ったとしても腰が痛くならない、目を近づければ細かい字を読める、ということが分かっても若い頃には戻りたくない。

 若い頃に、何度も死にたいと思うほど暗いダークな時期が何度かありました。それをもう一度繰り返したいとは思いません。思い出せば赤面することがあります。あんな恥ずかしいこと、惨めなことをいまの自分は耐えられません。

 だから、相対として、毎年、前年度よりは「まし」になっています。10年前に比べればかなりましです。でも、こういう拡大路線はいつまでも続きません。高度成長期の日本が続かなかったように。未だに高度成長期の日本を再現しようとしている人がいますが、ナンセンスだと思います。高度成長期とは違う価値観を持たなければなりません。

 三十代前半までは、自分の頭で勝負する研究をしました。しかし、三十代後半からはチームでやる研究にシフトしました。では、私が六十になって、定年になった後、どのように人生をまとめるのか、最近思います。今、加速度的に面白くなっている自分だからこそ、強く思います。

 その先に何があるかは分かりませんが、なんとなく想像できます。四十代中盤までは初等理科教育法という科目を担当していました。そのために、全学の学生さんの名前と顔を一致させていました。1週間の3分の1程度は、その全学必修の科目の指導のために費やしました。教師としての私としては充実していました。ところが、最終的に私はそれを教えられなくなりました。日本でも数少ない日本理科教育学会賞を受賞した私が、初等理科教育を教えてはいけないと言われたときの憤りはひとしおではありません。しかし、数年がたって冷静になれば、あの労力が膨大な仕事を別な人がやっていくれるありがたさを感じます。そして、なんであんなことやっていたんだろう、と思います。きっとあと十数年以内に、次のステージに移るのだと思います。

[]講演 21:31 講演 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 講演 - 西川純のメモ 講演 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は東京で講演しました。講演時間が1時間だったので、殆ど最初の馬鹿話を話せなかった。ということで、聞いていただいた方々を十分にアイスブレイクできなかった。反省です。でも、伝えたいことは伝えたと思います。

[]同窓会 08:38 同窓会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 同窓会 - 西川純のメモ 同窓会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日は大学の生物時代のミニ同窓会があった。楽しかった。大学教師という立場ではなく、人と飲むと言うことが少なくなったので実に新鮮だった。

 我が青春に悔いがあるとしたら、こんなに面白い人たちと学部時代あまり話さず、遊び回ったこと。でも、今からでも補おうと思いました。

12/08/01(水)

[]脇毛記念日 06:56 脇毛記念日 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 脇毛記念日 - 西川純のメモ 脇毛記念日 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 3週間ほど前からうっすらとした脇毛を発見しました。本日見たら、ハッキリとした黒毛がそれぞれ十本ぐらいあります。成長です。

[]宣伝 05:18 宣伝 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 宣伝 - 西川純のメモ 宣伝 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今度の本は、今まで封印していたバリバリのノウハウ本です。この本を書いた最大の理由は、同志の人を守るには身近に理解者を複数確保することしかないと確信したからです。

 古くからの同志の中には、『学び合い』を俗化する、テクニック化する、某研修団体のようになる、との懸念をする方がいらっしゃいます。その危険性は十分に理解しています。しかし、『学び合い』をアーリーマジョリティに広げる段階に進んだと確信したのです。手引き書に比べ、『学び合い』の理論面は弱いと思います。しかし、それは今度の本を読んだ後に読めばいいことです。読んでいただければお分かりいただけると思いますが、表現は平易にしましたが、決して軸はぶらしてはいません。

 是非、研修会などで話す機会を持った際は、以下をご利用下さい。今度の本は、より多くの方に『学び合い』を知っていただき、それによって同志の方を守る武器だと思っています。http://goo.gl/lvRjL

takami_swctakami_swc2012/08/01 07:54利用させていただきました。裏面に,ステップアップのまえがきにあった,家庭を大切にしながら『学び合い』は実現できることやごくシンプルな考え方であることをのせて,職員の机上にそれとなく置いておきました。少しでも興味をもってくれたらと思っています。

jun24kawajun24kawa2012/08/01 08:51有り難うございます。様々な情報発信をお願いします。