西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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12/02/08(水)

[]秋田 18:26 秋田 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 秋田 - 西川純のメモ 秋田 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 2月18日に秋田で話します。お誘いします。

[]議論 11:06 議論 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 議論 - 西川純のメモ 議論 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私はゼミ生と議論することは大好きです。

 議論は喧嘩とは違います。喧嘩の目的は相手に勝つことです。しかし、議論の目的は互いがよりよい合意を形成するためです。その場合は、どちらか正しいかが決まらないことは良くあることです。しかし、議論によってどこが同じで、どこが違い、その違いを生じているのは、根拠となる前提のどこが違うかが分かります。でも、議論の結果、どちらかが相対的に正しいという決着がつく場合があります。その場合は、相対的に正しくないとなった方が「得」なのです。なぜならば、相対的に正しいとなった方は、既存の理解を変更しません。ところが、相対的に正しくないとなった方は、相対的に正しい方に修正できます。だから得なのです。これが喧嘩との決定的な違いです。だから議論が好きなのです。

 研究者も人の子であり、感情の動物です。しかし、この議論の作法はたたき込まれます。従って、会議の場でどんなに議論しても、そして、時に声を荒げたとしても、議論であるので会議を離れたら拘るものではありません。少なくとも、そのようなふりをしないと馬鹿にされます。そして、私のゼミでも、そのような作法をゼミ生に伝えているつもりです。

 さて、ゼミ生と議論して本当は、相対的に正しくないという結果が出た方が得なのですが、ま、そうなることは滅多にありません。というのはゼミ生との議論は『学び合い』に関してのことが圧倒的だからです。

 西川ゼミでは、ゼミ生は良くやっています。ゼミ生には言いませんが、何時ねているんだろうと思うことは少なくありません。そのゼミ生が、『学び合い』にシフトしてからだけでも約百人いるのです。それらの血と汗の結晶たるデータが私の頭の中にあるのです。そして、それを実践する全国の同志からの様々な情報が私の中で集まります。それらが整理されているのですから、ゼミ生が語る言葉の圧倒的大多数は、その全てを言わぬ前にほぼ見通せて、大脳を使わなくとも脊椎で回答できます。

 が、そのゼミ生が2年間の全力を尽くすと私を越えるようになります(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20101017/1287318862)。それが何よりも嬉しい。だって、その瞬間に一歩高見に到達できるのだから。私が偉そうに言っていることの大部分は、多くのゼミ生や同志の方から教えていただいたことです。私はそれを整理し、次のゼミ生や同志の方に100年前から知っていたように喋っているだけのことです。常に成長し続けなければ、緩慢な死しかありません。

 感激の瞬間は何時起こるか分かりません。最近もありました。(http://bit.ly/yePXCh 前のゼミとの関係が分からないと分かりづらいと思いますが)至福のひとときです。越えられた瞬間に、ゼミ生と一緒に妄想を暴走させるのです。

追伸 私とゼミ生とのやりとりは、最近はHPに公開しています(http://bit.ly/zGggOn)。見ていただければ分かると思いますが、修士2年の映像が極端に少ないと思います。理由はあります。第一は、1年も私とつきあっていれば、私に質問したら何を言われるだろうかと言うことが想像できます。だから、ゼミの必要がないのです。ゼミの時は「問題ありません。やるだけです」の一言ですみます。私のゼミ生に言っていることは、非常にシンプルな『学び合い』の理論に基づいて一貫しているからです。ま、理系の単純馬鹿なのです。ちなみに修士2年に『学び合い』に関して質問すれば、おそらくどの院生も同じようなことを言うはずです。理由の第二は、話題が非常に微妙な内容も含まれるのです。修士2年ともなると、学部卒業の院生も、支援に入っている学校の校長や主任とそのようなことを議論することがあります。修士2年が私に相談することの多くは、そのレベルのことです。従って、殆ど公開不能なのです。