西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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12/02/02(木)

[]脱皮 12:50 脱皮 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 脱皮 - 西川純のメモ 脱皮 - 西川純のメモ のブックマークコメント

本日のメモの大部分は、多くの人にも意味不明かも知れませんし、どうでも良いことかも知れませんが、私にとってはとても大事なことなのでメモります。そして、手引き書に加筆します。

この前の群馬の会に参加した方の中には、私がどのような問題意識で行動しているかをお話ししました。簡単に言えば、以下の通りです

『これからより多くの人に『学び合い』を広げる行動をします。そのため、同志の方には私が変質したように見えるときがあるかも知れませんが、私はぶれていません。同志の方は、『学び合い』の考え方を堅持し、実績を上げて、考え方を伝えて下さい。』

というものです。が、これでは武器も与えずに、頑張れ、と言っているようなものです。研究者に出来ないこともありますが、研究者だから出来ることもあります。それを考えました。

集団は拡大すると堕落する。これは多くの宗教団体や政治団体や、そして教育団体も例外ではありません。何故ならば、誤り多い個人によって動かされているからです。さらに、集団が当初に持っていた目的が、集団の存続・拡大自体にすり替えられる危険性があるからです。ソビエト共産党の堕落はスターリンの求めに応じて、共産党員用の特権を認めたところから始まったと言われます。

 が、数千年の歴史の中で、そのような堕落の影響を最小限度に抑えた集団があります。それは数学者の集団です。近代自然科学は数百年間、そのような堕落の影響を最小限に抑えました。それは誤り多い個人によって動かされない数少ない定義によって構築されているからです。その定義が冗長になったり、暗示的で不明確であればあるほど、個人的な解釈が入ってしまう。

 『学び合い』は拡大するし、するべきです。日本の子どもの2割程度は、毎日の勉強が意味不明で、その分からない状態がその子の人格否定のラベルになってしまっている。そのような授業を週に30時間程度受けなければならない生活を二十年間弱続けなければなりません。現在、二百人に一人の教師が心の病で休職しています。ということはかなりの教師が追い詰められていることを意味します。そして、そうでない子どもも教師も、自分たちの近くにそのような人がいることを知っているのに、気づかないようにしています。『学び合い』が拡大すれば、かなり「まし」になることは確かです。

 しかし、拡大すれば集団は堕落する。堕落しないように拡大する過程で、私は多くの注意を払いました。第一に、固定的な組織はつくりませんでした。全国に広がる『学び合い』の会は勝手連です。だれが開いても良いし、その上下関係はない。会則はないし、排他的な特権はない。基本的に個人的な信頼を基盤としたネット上のアメーバーのような組織となっています。一方、その基本となる考え方を、実証的なデータに基づいて記載することをしました。これは数学や自然科学の成功にならったものです。

 しかし、『学び合い』が広がれば、そのようなことを熟読し、理解し実践する人(コアメンバー)以外の人が多く参入します。私はそのことによって『学び合い』が堕落することを恐れました。それ故、手引き書レベルのことを書くことさえ躊躇いました。そして、書いたのは実践書というより、実証的研究を紹介する本を書きました。しかし、ある程度のコアメンバーが生まれたことから、手引き書を書くこと、そしてネット上で公開することを決意しました。手引き書の意味するものは何かを実際に見せられるし、話せるコアメンバーがいるからです。しかし、現状はコアメンバーの卵になる人ぐらいしか『学び合い』には手を出しません。でも、日本中の多くの子どもはそれ以外の教師の下で学んでいます。そして、日本中の苦しんでいる教師の多くはそういう人ではありません。

 といっても選民主義を言っているのではありません。人はそうせざる場合には分厚いマニュアルを読みますが、そうでなければ誰だって耳学問ですませます。私だって携帯電話ではそうです。人はあるジャンルでは分厚いマニュアルを開く役割を担い、別なジャンルでは耳学問ですませています。『学び合い』もマニュアルを開く人と、耳学問ですます人がいても当然です。

 耳学問ですます人たちに広げる段階に進んできたと私は認識しています。そのためには、「考え方」を一度さておいて、分かりやすい方法を提供しなければなりません。それを通して「考え方」を学ぶ必然性を感じる方も生まれるし、方法のレベルに留まる人もいる。しかし、それらが混在しているならば、実態として誤った方向には進みません。しかし、そのためにはコアメンバーが踏ん張ってもらわなければなりません。

 その時に不安なのは、『学び合い』の考えのどこのところに重点を置くかということで混乱が生じることです。仏教の歴史がそれを例示しているように思います。仏教には様々な戒律があります。しかし、状況によって戒律を変更可能です。が、戒律のどこを変えて良いか変えて悪いのか、どの程度変えて良いのかという、「戒律」の上位基準を明確にしていませんでした。また、仏教には様々な仏典があります。それらは釈迦の根本思想を示すものもある一方、それを一般大衆に分かりやすくするため方便(説明するための意図的な本当ではないこと)もあります。ところが数ある仏典の中で、どれを根本と捉え、とれを方便とするかで意見が分かれるために、様々な宗派が生まれました。が、数学はそのようなことがありません。非常に厳選された公理を定め、それに基づいているからです。

 私が現状の教育に限界を感じ、『学び合い』を成立させる根拠を書いたのは1999年の「何故理科は難しいと言われるか」です。そして2000年に、最初の『学び合い』の本である「学び合う教室」を書きました。その頃の私の意識は、現在の私とは全く別です。その頃は、私が高校教師の時に見捨てたような子どもも少しでも分かるようになって欲しい、というレベルでした。そして、視野は教室レベルです。が、今は違います。教室ではなく、学校、地域に視野を広げています。そのため、関係する人も教師個人レベルではなく、校内教師集団、市町村の教師集団、県レベルの教師集団に広がっています。さらに、子ども、保護者、地域住民に広がっています。さらに、『学び合い』は学校教育の枠を越えて、塾・予備校のような学校以外の教育、医療における教育、企業における教育等に広がっています。そして、もうしばらくすると、教育という殻さえも脱皮するときが来ると思います。そのようなとき、教育のための定義を脱皮する必要性があると思います。

 そのためには、拡大する『学び合い』を整理するための定義を定める必要があり、それは研究者の仕事のように考えます。

 2012年段階の状況での定義を考えます。

twoyoshitwoyoshi2012/02/02 23:21西川先生、やはりあなたを師としたことに間違いはありませんでした。教育学のレベルから社会学のレベルに『学び合い』が鮮やかに再定義されています。仮説という事は、当然次の研究はこのレベルを研究で実証する事になるのですね。ものすごい臨床研究になりますよ。これは。

twoyoshitwoyoshi2012/02/02 23:21西川先生、やはりあなたを師としたことに間違いはありませんでした。教育学のレベルから社会学のレベルに『学び合い』が鮮やかに再定義されています。仮説という事は、当然次の研究はこのレベルを研究で実証する事になるのですね。ものすごい臨床研究になりますよ。これは。

katokiti2003katokiti20032012/02/03 00:22先日の群馬の講演、そして今日のブログを拝読し、すごく腑に落ちています。
「何が?」って言われると、上手く言えませんが…。

言語だけでも、情景が浮かぶくらいにできるといいなあ…と思います。

tetsu4062tetsu40622012/02/03 01:05私の中の人類、というかヒトの不完全性はその自我そのものでした。それゆえにエゴは消えず、それぞれの価値へ歩み、その不整合さ歪みが世界をけして素晴らしい方向へと歩ませ得ない

tetsu4062tetsu40622012/02/03 01:08ヒトはもっと種の存続と集団の維持の為に「完璧」に存在するべきだ。コロニーを形成するアリのように。
しかし

tetsu4062tetsu40622012/02/03 01:10人類はなんて不完全極まりない生物なのかなどと思っておりました。(えらく端折ったのでかなり誤解を招く言い方をしましたが)
しかし、『

tetsu4062tetsu40622012/02/03 01:18しかし『学び合い』はそんなヒトの不完全さを集団からうまく、歪みとして表出させないようにするようにできる。訓練することで。ヒトは元来そうやってうまくやっていた。不完全なりに。やはり『学び合い』とはヒトの営みのとっても大事な機能だと。

tetsu4062tetsu40622012/02/03 01:22以前にも増して教育理論に留まらぬ『学び合い』の考え方にとっても楽しくなりました。やはり社会学などからのアプローチや組織論などの方向からのつながりをもっと持ちたいです。教育のみにならない研究機関とのつながり

tetsu4062tetsu40622012/02/03 01:25つながりをもてればさらなる広がりが教育とは別方向からの援護射撃が期待できるのになあ。などと愚かにも思っております・・・

なぜだか切れ切れのコメントになって申し訳ありませんでした。

jun24kawajun24kawa2012/02/03 07:12twoyoshiさんへ
 ふぉふぉふぉ。えっへん。自らの製品、サービス、プロセスを自ら陳腐化させることが、誰かに陳腐化させられることを防ぐ唯一の方法である。(ドラッカー)
katokitiさんへ
 おそらく教育の次元を越えたところで俯瞰すると、教育のあり方が見えて、そこから日々の方法が見えると思っています。
tesu4062さんへ
 ホモサピエンスの素晴らしいところは本能に縛られないところです。本能に縛られると、その進歩は100万年単位になってしまう。しかし、本能に縛られないからこそ、進歩が早いのだと思います。

katokiti2003katokiti20032012/02/04 20:01>教育の次元を越えたところで俯瞰すると
確かに。
最近、ぼくにとって教育とか教師としての仕事って、完全にその他(例えば父親としてとか、いち剣道愛好家とか、地域住民とか)の生活との垣根というか壁が全くありません。

jun24kawajun24kawa2012/02/05 06:17私もそうです。ただ、夫婦関係・親子関係には適応できないのが玉に瑕です。集団ではないし、私は夫婦関係では管理者ではないので。とほほ

katokiti2003katokiti20032012/02/05 19:39夫婦関係ではぼくも完全に管理「されている」側です(笑)
今の立場、役割でできることがあるんですよね(^o^)

jun24kawajun24kawa2012/02/06 06:44はい。私もそうです。