西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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だめで元々で、とりあえずドロップボックス(http://db.tt/bMZAZwx)とjimdo(http://jp.jimdo.com/)の無料アカウントを登録してみてはいかがでしょうか?実に簡単ですから。

本格的にトライする人も多くいると思います。その際、人とのつながりが大事です。身近にいる人と繋がれるとありがたいですよね。『学び合い』を実践される方は、『学び合い』マップ(https://www.google.com/maps/d/edit?mid=zDInXkSSxyO4.kNDji5uDNm0Y)に、是非、登録下さい。登録は、『学び合い』マップ登録フォーム(http://form1.fc2.com/form/?id=77081b4d4f40dd2f)から出来ます。  「私なんて、人になんか教えられるレベルに行っていない」と思う方へ。だからいいんですよ。一番知っている人が、一番の教え手ではないことは『学び合い』を実践しているならば、子どもを見れば分かるでしょ。それに、教える必要はないのです。共に学び合えばいいのです。いや、愚痴を言ったり、笑ったりする、それでいいのです。  是非、一人でも多くの人がマップに登録下さい。強く、強く、お誘いします。

12/02/29(水)

[]送り出す 08:53 送り出す - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 送り出す - 西川純のメモ 送り出す - 西川純のメモ のブックマークコメント

 もうそろそろゼミ生を送り出す次期になりました。今から十年以上ぐらい前までは自分がピーターパンになったように感じます。巣立って行かれる方は、普通の社会に戻れます。ところが、私は大学という特殊な環境の中に取り残されます。ネバーランドは、短期間滞在するならパラダイスです。でも、数十年生きるには、なかなかしんどい世界です。

 しかし、『学び合い』が広がるにつれるに従って、私も普通の社会に繋がることが出来てピーターパンではないと感じられるようになれました。さらに最近になり、上越で『学び合い』を実践する場を確保できるようになると状況が変わります。今年は、送り出すゼミ生を心配になっている私がいます。彼らの戻る世界では、必ずしも『学び合い』が成立している場ではありません。職員同士がばらばらな職場に入る可能性があります。もちろん、本学教職大学院はそのような職場でも生き残れる能力を与えるためのカリキュラムを用意しました。大丈夫だと思います。が、我が子を戦地に送り出す気持ちです。

12/02/28(火)

[]千葉の会 05:48 千葉の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 千葉の会 - 西川純のメモ 千葉の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 3月3日に千葉の会があります。http://kokucheese.com/event/index/27429/

12/02/27(月)

[]石巻 06:43 石巻 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 石巻 - 西川純のメモ 石巻 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 石巻で3月31日に『学び合い』と地域コミュニティの再生に関して話します。お誘いします。なお、仙石線の一部がバス代行となっています。ご注意下さい。車はOKです。http://bit.ly/Ad8EWD

12/02/26(日)

[]ずれ 07:43 ずれ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ずれ - 西川純のメモ ずれ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 これが分かっていない、あれが分かっていない、とクレームを付けるのは、大抵は大学人と進学校の教師です。そして、社会に出て問題だと言います。しかし、企業はそんなことにクレームを付けません。企業が大学生に求めているのはコミュニケーション能力。

 成人に頭のいい人、つまり有能な人はどんな人かを聞きます。ポイントは実際に頭のいい人を思い浮かべてから、その人に当てはまるか否かを聞くのです。つまり、「頭の良い」という言葉ではなく、実際の人の特徴を聞きます。

 結果は、「話が面白い人」と「人の気持ちに共感できる人」が特徴でした。ありがちな知識豊富で発想力がある人ではありません。この結果は、世界各国で共通していました。多くの人にとって意外かもしれませんが、当たり前のことです。

 どんな能力であっても、個人の持てる能力は限られたものです。一番強力な力は他人の能力を喜んで使わせてもらえる能力なのです。能力を個人単位で考えず集団単位で考えるべきです。だから企業はコミュニケーション能力を第一に求めています。が、学校はそれに気づいていない。

12/02/25(土)

[]戦略 19:25 戦略 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 戦略 - 西川純のメモ 戦略 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 日本数学会が大学生の4分の1が平均値すら分かっていないという結果を発表しました。bit.ly/AuLVfW

 この手のことは様々な学会で定期的に行われていることです。そのことからそれぞれの教科を重視すべきだ、具体的には時間数を上げて欲しいということが繋がります。ただ今回の特徴は実証的なデータでそれを示した点が高く評価できる点だと思います。

 が、無理があると思います。

 第一に、「大学生の4分の1が分からない」としたら、そんな学生を大学に入学させているのか?という疑問がわきます。そして、大学生の殆どは卒業しますから、平均値すら分かっていない学生を卒業させているのか?という疑問がわきます。そういうことをしている大学人が「大学生の4分の1が分からない」のは小中高の教育の問題だと指摘しても説得力に欠けます。

 第二に、どの教科も同じ要求をしているので、劇的に時間数を上げる可能性は低いのです。

 でも、数学を背負う人は絶対に必要です。では、どうするか。私は数学を専門にする人の教育はそれ以外の人の教育とは違うと思います。理系といえども、工学を専門とする人の教育と数学を専門とする人の教育は違います。例えば、微分方程式だって、工学の人はそれの解を求める能力が求められます。一方、数学の人の場合は、それに解が存在するか否かを証明する能力が求められます。そして、いずれにせよ、それらは現状の算数の延長上にあるわけではありません。

 現状の教育は、数学(拡大して理系)の人を養成する人の教育とそれ以外の人の教育を足して2で割っているような教育のように思えるのです。そして、どちらにとっても益がない。結果として、大学に進学した段階で、その教育を受ける準備を受けていない学生を大量生産しています。一方、小中高で数学を蛇蝎のように嫌う子どもを大量発生しています。

 私は少なくとも高校段階で理系、文系、外国語系、実技系、教養系のように分かれて、それに特化した教育を受けさせるべきだと思います。理系の高校では小中までの算数・数学をいったんチャラにして、イプシロンデルタ論法から解析学を学ぶべきだと思うのです。

 様々な学会では、現状の足して2で割る教育を前提とするアピールではなく、現状の教育の仕組みを大胆に改革することを求めるようなアピールをしてはいかがかと考えます。9月入学より、実質的な意味があると思うのです。

追伸 センセーショナルな報道ではなく、数学会の発表した提言を読むと、提言は入試制度において大学自身に記述式を求めており、中等教育への一方的な提言ではありませんでした。

12/02/24(金)

[]バカ学生 22:40 バカ学生 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - バカ学生 - 西川純のメモ バカ学生 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 手の付けられないバカ学生がいます。高校時代から酒を飲み、銀座で飲み歩いていました。親が職人で、酒を飲むことに抵抗が無く、中学生から晩酌につきあわせたと聞きます。その流れで高校から飲みに行くと、小遣いを渡すのです。その流れで、大学時代も当時の初任給の2倍ぐらいの仕送を受けているのです。それも、服や車の車検等は親がかりです。

 理解できない美意識のもとに、パイプを吸うわ、葉巻を吸うわ。大学に絹の三つ揃いで通学します。ヒゲを生やしていました。大学の殆どの時間は、遊びまくっていました。大学の学部のゼミ所属では、指導教員から拒否され、拝み倒して所属させてもらいました。その新歓コンパでは酔った勢いで相撲で投げ飛ばし、指導教員を投げ飛ばし歯を折りました。無茶苦茶な学生です。

 というのは私です。ですので、どんな学生も「まし」と思います。結局、学生の姿は様々であっても、人としての姿は同じです。愚かであり、有能であり。一人一人が幸せであって欲しいと願います。私ですら、幸せなのですから。

[]あの子 07:11 あの子 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - あの子 - 西川純のメモ あの子 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は毎日、毎日、全国の様々な教師からの相談メールを読みます。その文章の中で問題を起こしている子どもの記載が目立つと、「あ、原因はあれだな」と判断できます。

 『学び合い』の初期段階はもの凄く簡単です。というのはホモサピエンスの本能のママの姿ですから。じゃましなければその姿は出ます。籠の中の雀を放せば、心配しなくても雀は雀の行動をします。それと同じです。

 しかし、そのままでは初期段階から中期段階には進めません。1年やっても10年やってもです。雀を1年観察しても、犬の行動はしませんし、アリの行動はしません。それと同じです。『学び合い』の初期にやる可視化等の様々なテクニックは本能のままの行動を出やすくするだけ以上の機能はありません。『学び合い』の初期段階と中期段階の違いは一点だけです。それは「一人も見捨てずに」ということがクラス集団の中に根付いているか、いないかの違いです。「一人も見捨てずに」はホモサピエンスの本能ではありません。教育のなせる技です。どのように教育するか、それは語るしかありません。

 しかし、それが中々語れない。理由は、語っている教師自身が「一人も見捨てず」ということは得であるとは思っていないのです。例えば、「あんな子どもに教えるなんて難儀だろうな~」と思ってしまいます。その端的な兆候が問題となる子どもの記述が長くなるのです。その記述の意味は「こんな子どもがいるのだから、『学び合い』は成長しない」と思っている証拠なのです。

 では、どうするか。その「あの子」から目をそらしましょう。教師がなんとかしようとしても駄目です。集団に目を向けましょう。クラスの中には、教師がちゃんと語れば、それに応えてくれる子どもは2割います。でも、誰だとは分かりません。だから、集団に語るのです。そして、「一人も見捨てない」ということは、一人も例外なく「得」であることを自信を持って語るのです。では、自信を持って語るにはどうしたらいいでしょうか?難儀かも知れませんが、長編の『学び合い』の手引き書をお読み下さい。そして、考えて下さい。「一人、二人は見捨ててもしょうがないと思っている現状の教師」と「不可能であっても、一人も見捨てないと踏ん張り続ける教師」とどちらが「まし」でしょうか?明らかに、圧倒的に後者がましです。

 従来指導型の教師は、授業がうまくいかないと、「テクニック」や「あの子」に原因を求めます。が、『学び合い』では「自分の心」に原因を求めます。だって、どんな「テクニック」だってクラス全員にフィットするわけ無い。そして「あの子」が仮に原因だったとしても、他人を動かせるわけ無いし、ましてや「あの子」は無理。であるならば、「自分の心」に問いかけます。

 私も大学で教師をやっています。25年間に膨大な学生を指導しています。当然、「あの子」はいます。そして、私も「テクニック」や「あの子」に原因を探ろうとします。しかし、しばらくすると、それが無意味であることに気づきます。そして、「自分の心」を問い直し、全体に語ります。それで解決するか分からなくとも、それしかないことは知っています。十数年『学び合い』を研究し、実践した結果、「テクニック」や「あの子」に原因を探ろうとして、それが無意味だということに気づくまでの時間は短くなりました。

suikanomeisantisuikanomeisanti2012/02/24 07:25『学び合い』では「自分の心」に原因を求めます。『学び合い』が考え方だと言われる所以ですね。やはりそこがツボなんですね。課題や方法を模索しながらも、「やっぱり、自分自身の心に原因があるな」と感じています。

jun24kawajun24kawa2012/02/24 08:05はい。ちゃんと語れば、子どもは動きます。

takami_swctakami_swc2012/02/25 14:13「あの子」を何とかしようとする教師の努力は無駄なのでしょうか?あの子を何とかしようとしてもがく,その努力が教師の力を伸ばすのでは?と質問されたことがあります。その通りだと自分は思っています。『学び合い』を知ると,そのあたりを勘違いしてしまうことが多いように思います。自分はそうでした。

katokiti2003katokiti20032012/02/25 15:58>ちゃんと語れば、子どもは動きます。

この「ちゃんと」の解釈がかなり重要ですね。

jun24kawajun24kawa2012/02/25 16:17takamiさんへ
 教師の時間が無限ならば、「あの子」に関わることはありでしょう。でも、有限です。であるならば、限られた時間を集団を伸ばすために使うべきだと私は思っています。
katokitiさんへ
 この「ちゃんと」を意味深い言葉に解釈すれば、あっという間に従来指導に戻ってしまいます。言葉通りです。言えばいいのです。ただし、本人が本気で信じることが重要です。信じれば、それは巧まなくても様々なところに出ます。

takami_swctakami_swc2012/02/25 22:06あの子にかかわれば,その集団にかかわる時間が減りますよね。集団を伸ばすことを考えたほうが実りが多いということはわかります。目先のことにとらわれていると,大切なものを見失うということですね。

jun24kawajun24kawa2012/02/26 07:06はい。あの子に拘るのではなく、あの子を含めた全員を見捨てない集団づくりに拘るべきと思うのです。

12/02/23(木)

[]忘れない 06:56 忘れない - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 忘れない - 西川純のメモ 忘れない - 西川純のメモ のブックマークコメント

 人は精神的な健全を保つため、過去の記憶を加工し整理する。それは素晴らしい能力だと思う。でも、じっくりと自分の小中高の時代を思い出して欲しい。それはパラダイスだっただろうか?いえ、地獄だったと思います。少なくとも、私の場合は、高校以前に戻りたくはありません。教師というのは現状の学校システムにフィットした人種です、その一人である私でもそうなのです。

 クラスの2割がどれほどの地獄を毎日、毎日、味わっているか。それを昨晩、思いました。そうなると眠れなくなります。それを解決する方向で前進しえぬ自分の性格や力量を情けなくなります。自分ではなく、自分たちと考えねばなりません。でも、忘れたくない。それを封印した研究者に戻りたくはない。

12/02/22(水)

[]お土産 08:48 お土産 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - お土産 - 西川純のメモ お土産 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ここ1ヶ月ぐらいはお客様が来ません。そこでゼミ生から、「そんなこと我々の前で言うぐらいだったら、メモで公開すべきだ」と言われていることを公開します。失礼はご容赦下さい。

 私へのお土産の中で一番困るものは、お菓子です。だって、体重の増え方を気にしている夫婦と、食べ盛りに入り始めたとはいえ小学校5年生一人の3人家族にお菓子をワンパックもらっても、しょうがありません。そのようなお菓子は、手を付けずに、ゼミ生に渡します。美味しいお菓子を私の目の前にブル下げられるのは、禁煙中の人にタバコを贈るようなものです。宜しくお願いいたします。

追伸 お菓子の場合は、私の見えないところで、ゼミ生にお渡しいただければと思います。

[]ターニングポイント 07:02 ターニングポイント - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ターニングポイント - 西川純のメモ ターニングポイント - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私の人生で苦しかった時は以下の通りです。

 高校2年の最後の実力試験で英語が偏差値27という驚異的な点数をもらって愕然としたとき。

 遊び回って過ごしたため、大学で本当に学べていない自分に愕然とした大学4年の時。

 大学院1年の終わりに、それまでやろうとしていたマレーシアとの比較教育が出来ないことが分かり、修士論文のテーマを急激に変更したとき。

 本当に就職できるのか不安だった、教員採用試験の受験勉強をしている研究生の時。

 高校教員として採用されている時。前半は、暴走族相手にどのように授業をしたらよいかを悩みました。後半は、彼らの悩みを解決できない自分のふがいなさを悩みました。

 27歳で大学教員に採用され、子どものいない職場の中で自分は何をしたらいいかを悩んだ時。

 30歳で、それまでの不摂生がたたって急性アルコール性肝障害で入院し、自分の弱さを自覚し、自分の人生を考えた時。

 研究者としては業績を積み上げたが、教師の自分の心に響かないことに悩んだ38歳の時。

 程度の差はあれ、かなりきつかった。でも、そこから逃れる道は、効率が良いか悪いかを度外視して、とにかくもがき続けること。それしかありませんでした。そして、その結果として、今の自分がいます。ゼミ生の多くは、その時期にいます。効率を度外視して、とにかくもがいて欲しいと願います。それしか無いのですから。 

12/02/21(火)

[]成長 22:40 成長 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 成長 - 西川純のメモ 成長 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本当に、かなり高度な話に息子がついてきてくれる。

12/02/20(月)

[]西川流 18:42 西川流 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 西川流 - 西川純のメモ 西川流 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 たまに西川流『学び合い』ではなく、本校独自(私独自)の『学び合い』を求める、と言う言葉を聞きます。困ったな~と思います。あえて私が拘っているのは何かといえば「一人も見捨てず」で、そのための学校観・子ども観だけです。

 以下の例は物理嫌(つまり日本人の大多数)の方には分かりづらいかもしれませんが、最も正確なたとえ話なのであえて書きます。

 大学で物理を学んでビックリしたのは、F=mαという式を3次元空間に拡張して、それを積分したり微分したりすれば高校で学んだ物理の公式の大多数は導かれるということです。な~んだ、と思いました。高校ではそれらをばらばらの公式にして覚えさせ、使わしているのですから。が、大多数の人にとっては、そのやり方の方がまだ「まし」の教え方であることも分かります。とにもかくにも物理学の訳の分からんF=mαという公式を丸の見込みして、それを微分したり積分したりするのは難儀ですから。とりあえず、実際に使える公式を覚えさせ、それを適用する方が「まし」ですから。

 でも、本当に物理を学ぶとしたならば、大学の物理学のように基本となるF=mαを学び、それを様々に展開し、その強力さを実感する方が良いのです。高校での物理は、その前準備にしか過ぎません。

 私は色々な人に『学び合い』の手ほどきをします。それは具体的な色々な場面で、どうやるかという質問に応えるものです。私はありとあらゆる事に瞬時に応えます。その理由は、『学び合い』をし始めた方の悩みは非常にパターン化しているということが第一の理由です。でも、それだけではありません。『学び合い』は学校観と子ども観の二つの考え方からありとあらゆる事が導かれるからです。あたかも古典力学の公式がF=mαから導かれるようなものです。

 でも、手ほどきを受けている方にとっては、その公式から導かれる具体の手だてが『学び合い』の本体と思ってしまいます。そして○○流『学び合い』というのは、そのレベルの違いを言っている。でも、それが本体と矛盾しないならば、私にとってはどうでも良いことです。困ってしまうのは、そのレベルの手だてが『学び合い』の本体に矛盾してしまう場合です。本当に困ったな~っと思うのです。でも、最初は本体とどうでも良いことの違いが分からないのは当然です。

 現在、二つの学校の『学び合い』の手ほどきをしています。実に仕上がりが良い。その理由は「素直」なのです(http://bit.ly/xiQvRZ)。私の言うことは驚天動地のように見えるようなことです。でも、とりあえず「素直」にやっていただいている。「素直」にやっていただければ、子どもは速やかに優れた力を出してくれます。そういう姿を多く見ることによって、本当に子ども集団は有能であると思ってもらえます。そして、教科学習と生徒指導は矛盾しないという姿を見れば、学校教育の目的は何かということを受け入れられるのです。そのような経験を通して、学校観・子ども観を理解し、一人も捨てないということが建前ではなく実現可能であることを実感していただける。素直が大事だと本日も思いました。

追伸 手ほどきが終われば、その人、その学校が、学校観・子ども観に照らして考えればいいことです。それが多様であることは望ましいことです。

12/02/19(日)

[]我が家 17:03 我が家 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 我が家 - 西川純のメモ 我が家 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 我が家に到着。こたつで座っていると息子が私の膝の中に入る。とても気持ちが良い。

12/02/18(土)

[]誠実 22:47 誠実 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 誠実 - 西川純のメモ 誠実 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は『学び合い』を学びたい人に対して、一度たりとも不誠実なことはしていません。相手が誠実で、大人の対応をしているならば、例外は一度もありません。理由は得だからです。

 どの人かは分かりませんが、大きなことをなす人がいます。その人と繋がるならば、私には出来ないことをしてくれる。では、大きな事をなす人とはどんな人でしょう、それは人と繋がれる人です。では、人と繋がれる人とはどんな人でしょう。それは高い志を持っている人です。志が高ければ、志の高い人と繋がれる。本日もそういう人と繋がれました。

[]秋田 10:48 秋田 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 秋田 - 西川純のメモ 秋田 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は秋田で語ります。心に届け、と語ります。

12/02/17(金)

[]見て下さい 05:16 見て下さい - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 見て下さい - 西川純のメモ 見て下さい - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は『学び合い』に疑問を持つ人に、「自分の目で見て下さい」とよく言います。見て聴けば大多数の人は分かります。まず分かりやすいのは学習が継続する点です。授業開始5分で宇宙に旅立つ子がいます。授業開始15分になると半数近くの子どもが宇宙に旅立ちます。『学び合い』では子どもは楽しそうに話しています。一見、馬鹿話をしているように見えますが、近くによって話を聞けば課題から基本的に離れません。(残念ながら、子どもの声に耳を傾けず、離れた位置で見ている人には学級崩壊にしか見えませんが)

 私は職業柄、色々な授業を見に行きます。もちろん、従来指導型もです。従来指導型の授業でもずっと教師が話しっぱなしというのは多くはありません。大抵は、子どもが自由に活動している場面があります。その際、子どもに近づいて「今、何をしているの?」と聞きます。従来指導型の場合、多くの子どもがその問いに答えられません。さらに答えられる子どももやるべき作業のことは答えますが、その作業の目的は答えられません。『学び合い』の場合は、それを質問すれば子どもは答えます。

 そして、『学び合い』の場合、『学び合い』のことを子どもに聞けば、かなり理論的に答えられます。これは一般的には本当に希だと思います。でも、『学び合い』は『学び合い』のことを理論的に子どもたちが理解していなければ、あるレベル以上はいけないのです。

 昨年の秋に越後『学び合い』の会を開きました。そこでは二つの小学校の『学び合い』を公開しました。参加者は『学び合い』に関する率直な疑問を子どもたちにぶつけました。彼らは『学び合い』を理論的に参加者に答えました。それも特定の子どもがではなく、どんな子どもに聞いても、自分の言葉で答えました。

 で、参加者の一人が、地元の学校に戻り、自分の学校を『学び合い』を軸にしました。本日は、その学校に参観に行きます。楽しみです。

追伸 『学び合い』は魔法ではありません。いたらぬところもあるでしょう。しかし、実際に見て、子どもと語れば、かなり「まし」であることは日々子どもを教えている教師ならば分かるはずです。『学び合い』はイベントではなく、ごく普通にやっています。いつでもどうぞ。

12/02/16(木)

[]秋田2 20:47 秋田2 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 秋田2 - 西川純のメモ 秋田2 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 大人のゼミ生と大人の飲み会をしました。と、いいましても、大笑いしながらですが。でも、私が与えるプレッシャーのレベルが違います。

[]秋田 16:41 秋田 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 秋田 - 西川純のメモ 秋田 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ツイッター風だと、秋田なう、というところです。6時間以上電車に揺られて、ちょいとばて気味です。http://bit.ly/yeRYzx

12/02/15(水)

[]誠実 22:37 誠実 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 誠実 - 西川純のメモ 誠実 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 悩み多き、ゼミ生に語ったことです。それは、凡人の最高の処世術は、筋を通し、自分の出来ることをやり続けること。それが中長期的には「得」になること。

 この短い言葉の実例をゼミ生に語れば、ま、2時間は語れます。この説教はゼミ生だけが聞けることです。愛おしみながら、説教します。

[]秋田 22:23 秋田 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 秋田 - 西川純のメモ 秋田 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 明日から3泊4日で秋田に行きます。少なくとも一人の人は、凄く喜びます。それだけで十分です。私が目指す道のために多くを賭けてくれた人ですから。

12/02/14(火)

[]意味不明 20:47 意味不明 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 意味不明 - 西川純のメモ 意味不明 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、ある同志から意味不明な質問を受けました。意味不明なのですが、同じ疑問を持っている人もいるかも知れないので、アップします。なんだか分かりませんが、自分の出来ることをするしかありません。それは多様です。案外、自分が出来ることが人には出来ないことがあります。逆に、自分には出来ないことを易々と出来る人もいます。同じ志を持った色々な人と繋がればいいのです。

          同志からの質問

1.『学び合い』グループに、管理職とか担任のような役割がありますか?

2.あるとすれば、それは西川先生ということになるのですが、そうですか?

3.ないとすれば、なぜ管理職(担任)がいなくても成り立つのでしょう?それは既に『学び合い』の考え方が共有されているからで、考え方を伝えるべき管理職(担任)がいなくても成り立つ、ということでしょうか?

           私の回答

あはははは

学び合い』は自然科学のようにしたいと思っています(http://bit.ly/yqFBN0)。

自然科学に管理職はいますか?

管理職がいない自然科学は成立しませんか?


          同志からの返信

西川先生

先生、その回答は、とてもスッキリします。

ありがとうございます。(^^)/

なんか、このところの、いろいろな人のブログに書かれていることを読んで、

訳が分からなくなってましたけれども、

今の通りに、そこそこやっていけばいいのかな。と思いました。

ありがとうございます。

[]2日間 19:46 2日間 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 2日間 - 西川純のメモ 2日間 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 この二日間は埼玉から高校教師二人と一緒に、新潟の『学び合い』校4つと高校教師の実践者を見て回りわりました。

 いずれも確実な進歩が見られています。それもかなり凄い予兆を感じます。2日間、お二人ともの凄く一杯しゃべりました。初対面の人も数年来の知り合いのように感じます。あ~、楽しかった。

 が、二日間、大学での仕事がストップしています。ので、明日は大変です。

tokucyotokucyo2012/02/14 21:34『学び合い』は「自然科学」である!
この説明ですっきりする人って多いみたいですが、
私の場合、正直言って?????です…。
文系人間にもわかりやすい喩えって何でしょうね?
(しょうもないコメントですみません)

twoyoshitwoyoshi2012/02/14 21:55ヒトの遺伝子に備わっている、集団を構成しようとする生存本能を教室空間でも利用できることを発見したのが西川先生です。

jun24kawajun24kawa2012/02/15 06:44tokucyoさんへ
Akiさんので了解したみたいですね。私の説明は、メモにあるリンクをお読み下さい。
twoyoshiさんへ
私は今も生物研究をしているように思います。

12/02/13(月)

[]ゼミ長 22:35 ゼミ長 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ゼミ長 - 西川純のメモ ゼミ長 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 異学年学習に関する過去の研究成果の一つです。

 異学年学習をすると下学年は上学年に「これでいいですか?」と聞きます。上学年は99%以上「いいんじゃない」と応えます。そんなにOKと言われるのに下学年は確認します。何故か?「いいんじゃない」という一言は、「何かあった時に尻を拭くよ」という意味だからです。では、何故、上学年は「いいんじゃない」と言うのでしょうか?それは、それを言えば下学年が一生懸命になって色々なことをやってくれるからです。

 西川ゼミには下は20歳の学生から40歳代の現職院生が含まれます。そして、教職大学院になってから3代続けて20歳代の学卒院生がゼミ長になっています。そして、4代目も学卒院生だそうです。非常に興味深い現象だと思っています。 

[]劇的ビフォーアンドアフター 22:35 劇的ビフォーアンドアフター - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 劇的ビフォーアンドアフター - 西川純のメモ 劇的ビフォーアンドアフター - 西川純のメモ のブックマークコメント

 3校を回ってみました。それぞれが実に素晴らしい。楽しい1日でした。

[]劇的ビフォーアンドアフター 06:49 劇的ビフォーアンドアフター - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 劇的ビフォーアンドアフター - 西川純のメモ 劇的ビフォーアンドアフター - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は埼玉から高校の同志をお二人迎えて3校を回ります。最初は『学び合い』を学校づくりの軸に据えて2ヶ月弱の学校。次は2週間の学校、次は1年の学校です。

 『学び合い』を導入して最初の3ヶ月で変化するのは、実は子どもではなく教師なのです。だから、『学び合い』が腑に落ちた先生は子どもが変化するのに3ヶ月も必要ありません。3校を回ることによって、先生方の立ち位置の変化がよく分かると思います。

 でも、こんな面白い見物、3人だけしか見ないなんてもったいないな~

[]ドラマ 05:59 ドラマ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ドラマ - 西川純のメモ ドラマ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 同志のメモがとても心に響いたので、紹介します。分からない子が分かるまでの過程がよく分かります。不安の中にいる子どもが踏ん張れるのは「見捨てられないという安心感」です。そして、分かった時にみんなが喜んでくれる喜び。『学び合い』を実践している教師自身、この二つは経験している人は少ないだろう。私も。そこには想像を絶するドラマがあると思います。http://manabiai.g.hatena.ne.jp/concert3/20120210

concert3concert32012/02/13 18:17ご紹介ありがとうございます。どんなことがあっても見捨てられない、支えてもらえるという安心感は次も頑張ろうという意欲にもなりました。先生が大切になさっていることを、これまでとは違う角度で実感できてよかった。今後の語りにいかしていきます。

sweetsdaisukisweetsdaisuki2012/02/13 22:17先生!行きたかったです。ビフォアーアフターを見せていただきたかったです!!本州遠し(笑)。でもいつか必ず、天草の未来を見学させてください。そして天草の島ごと『学び合い』島にします。フフフフフ

jun24kawajun24kawa2012/02/13 22:42concertさんへ
 是非。良き、経験でしたね。
sweetsdaisukiさんへ
 ふふふ。見ると学べますよ。次の機会を待っています。

12/02/12(日)

[]秋田 16:08 秋田 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 秋田 - 西川純のメモ 秋田 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 2月18日に秋田で講演します。お誘いします。http://bit.ly/yeRYzx

[] 同志の皆さんへ 14:52  同志の皆さんへ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク -  同志の皆さんへ - 西川純のメモ  同志の皆さんへ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 一昨年の越後『学び合い』の会では、『学び合い』で学校づくりをしている子ども達とのフリートークがありました。私がふらふらしていると数人の子どもが私を取り囲んで、「西川先生は日本を変えろ、と言っているが、世界を変えろにすべきだ」と詰め寄られたのです。私はタジタジとなり「一度、それを言ってしまえば、私の出張先が世界になってしまう。それでは私の体が持たない。それは君たちに任せたよ」と言いましたが、子ども達は納得しませんでした。私は逃げました。素晴らしい子ども達です。

 同じ学校の先生方に『学び合い』を伝えられないで悶々としている人は少なくないでしょう。でも、実は、皆さんは多くの子どもに伝えているのです。そして、少なくとも2割の子どもには、かなり理論的に伝えているはずです(でなければ『学び合い』は成立しませんから)。そして、その子たちを通して、少なくない保護者に『学び合い』を伝えているのです。その人達を繋げる仕組みを誰か考えてくれないかな~っと思います。

 皆さんが「教室」レベルの志を語っているならば、彼らは同級生の間で繋がれます。皆さんが「学校」レベルの志を語っているならば、彼らは学校レベルの間で繋がれます。みなさんが「県」レベルの志を語っているならば、彼らは県レベルの間で繋がれます。そして、「国」レベルの志を語っているならば、彼らは国レベルの間で繋がれます。

 繋がった保護者は社会の中で様々な立場の方がいます。そして、子ども達もやがてその中に入ります。現在は繋がるツール(ツイッター、フェイスブック等)があるのです。それらが繋がったら、どんなことが出来るでしょうか?

 教師が多く集う集団の中で、上記を妄想できる集団がどれだけあるでしょうか?それが出来るのは我々の目指しているものが、「分かる」レベルのことを越えているからです。この強みを最大限に生かすべきです。

 ね、保護者・子どもの同志の皆さんへ。教師の同志より、柔軟にこの課題を乗り越えられるのは皆さんだと思うのです。 

karakusa01karakusa012012/02/12 23:15悶々…悶々…悶々…
”繋がる”ですね。

jun24kawajun24kawa2012/02/13 05:50ゼミ生に語ります。クラスの問題が解決できないならば、学校で考える、それでもだめなら地域で考える、それでもだめなら県で考える、それでもだめなら日本で考える。『学び合い』の場合は、より問題を大きくする方が、簡単なのです。

12/02/11(土)

[]削る 15:07 削る - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 削る - 西川純のメモ 削る - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今の教育研究者、教育実践者は「良い方法は何か?」という問いかけを様々な場面に適用しています。私もそうでした。そして膨大な論文を書きました。それらの研究によって教え方一つで平均点は10点以上上がるのです。驚異的な結果だともいます。多くの学会から賞を頂きました。しかし、それらは平均点の上昇です。全員ではありません。そこで、十年以上前に、一人一人の子どもの誤解を徹底的に調べました。私の当初のもくろみとしては、4、5程度の典型的な誤解を明らかにして、それを併用した指導法を開発しようと思ったのです。それによって1、2の指導法では分かることの出来なかった子どもを全員分かるようにしたかったのです。が、調べれば、調べるほど「一人一人は違う」という結果になるのです。それを無理矢理に数タイプの誤解パターンに落とし込むことは出来ませんでした。結果としては、「一人一人の良い方法がある」という至極当たり前であり、そして従来型指導では永遠に達成できない結論になりました。

 そこで「良い方法は何か?」ではなく、「良い方法を見いだせるのは誰か?」という問いかけにシフトしました。この問いかけのシフトはコペルニクス的転換だと思います。その答えは「本人であり周りの子ども」です。分かったか、分からないかを判断できるのは本人なのですから、良い方法か否かを判断できるのは本人しかできません。そして、本人がそれを見いだせない時には、それを見いだすためには他者との膨大な会話が必要です。それには時間がかかり、一人の教師対数十人の子どもには無理なことです。だから、「本人であり周りの子ども」なのです。

 さて、そうであるならば、「本人であり周りの子ども」に解決のための時間が必要です。何故なら、膨大な会話が必要であり、それには時間がかかるからです。ところが授業時間は45分なり、50分間という限定があります。「本人であり周りの子ども」の時間を確保するには、それ以外の時間を削るしか方法がありません。そこで、従来の教師の発問、板書等の時間をどんどん削りました。私にも従来指導型の囚われがあります。だから、十年以上かけて少しずつ削ったのです。削って、削って最後に残ったのは、「本人であり周りの子ども」がやろうと思わせる「目標の設定と評価」であり、「本人であり周りの子ども」がやろうと思った時にやりやすい「環境の整備」です。

 この「目標の設定と評価」や「環境の整備」も十数年間かけて削ったのです。「目標の設定と評価」の当初は従来指導型と同様に「良い目標の課題があり、良い評価がある」と思っていました。しかし、教科内容ではなく学ぶ意義こそそれだという結論になりました。そして、万人に適応できる学ぶ意義として洗練されたのが現在の学校観です。「環境の整備」も様々なツールがあります。例えば、誰が出来て誰が出来ないと分かりやすくするネームプレートなどがそれにあたります。しかし、本当の環境の整備とは子どもたちのネットワークなのです。子ども集団の能力を信じ、学校観に基づいてみんなを求める、それが「環境の整備」です。そしてそのレベルだったら数ヶ月に一度、程度しか集団への教師の手だては必要ありません。その代わり、常に揺るぎない心で、子どもを「見る」だけで十分です。

 当然、問題は起こります。その時、「良い方法は何か?」という気持ちは起こります。私もです。西川ゼミで問題が起これば、私はパニックになり、どのように解決すべきかという具体的な方法を案出しようとします。が、頭の中でシミュレーションをし始め、一人一人のゼミ生の顔を思い浮かべれば、全てにフィットするとは思えないのです。その中でパニックが徐々に収まると、「良い方法を見いだせるのは誰か?」という問いかけに回帰します。結果は「本人であり周りの子ども」なのです。私ではありません。そして頭に浮かんだ方法を全て捨てて、ゼミ生全員に語ることにします。私が現状をどのように見ているか、そしてどのようにならぬかを。それで解決できるかは分からなくとも、私が「良い方法は何か?」を考えるより「まし」であることは確かです。

 プラスαではなく、ギリギリまで削ることです。

[]理想 15:07 理想 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 理想 - 西川純のメモ 理想 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本人及び周りの子が必死になって考えるようにするのに必要なのは、語る力です。といっても語らなくても良いのです。教師がどのような理想を持っているかがありさえすれば、自ずと伝わるものです。

 本人及び周りの子どもが必死になって考えるようにするには、どんな理想を持てばいいか。それはとてつもない高い志と明日実現しなければならないことの間に、多種多様な志や計画があり、それらが有機的に繋げることです(http://bit.ly/qPr6t1)。

 私はゼミ生に「自分の心に響き、多くの人の心に響く教育研究を通して、自らを高め、一人も見捨てない教育・社会を実現する」という課題を挙げています。普段は長いので「日本を変えろ」という表現しています。当然、「このオヤジ、狂っているのか?」とか「ま、建前だよね」と思います。が、しばらくすると「このオヤジは本気でそれが出来ると思いこんでいるみたいだし、ゼミの先輩もそれが出来ると思っている。俺はどんな集団に入ってしまったのだ・・・」と思い始めます。が、自分たちが日常的にやっていることが、日本の遠くの人の運命に影響を与えている、という実感できる経験をすることになります。そして、自分にとって得であることを実感します。そのようなことが可能なのは私たちは「日本を変える」という志を持っているから、日本中の志の高い人とネットワークを組むことが出来るからです。

 というと、それは大学だから、と言いたくなるかも知れません。でも、違います。クラスを越えて学校の視点で物事を考えねばならない課題を子ども達に与えることは可能です。いや、郡市レベルの教育を変えたい、と子どもに思わせることは可能です。いや、そのレベルだったら今でも実現しています。でも、それを実現するには、教師自身が子ども達よりも一歩も二歩も、先の理想を持たねばなりません。

 方法は子どもが考えること。しかし、達成すべき目標の設定は教師の専権事項です。その目標の設定は「多様な人と折り合いを付け自らの課題を解決すること」に矛盾しない、多様な人に私はスポットを当てています。

 西川ゼミでは、5年ほど前からクラスを越えて学校レベルのことを考えています。昨年度からは学校群レベルのことを考えており、本年度は実現しました。来年度は、それを拡大・拡充します。そして、来年度から地域コミュニティの再生を本格的に我がゼミの中心に据えたいと思っています。これらはゼミ生集団が自律的に実現できる準備は整いました。

 私は、アーリーマジョリティ向けの情報発信に関してやろうと思っています。それによって、既に開発した学校レベルの『学び合い』の仕組みを全国的に広げたい。それのみが教師一人も見捨てない道だと私は思っているからです。結局、理解には膨大な会話が必要だから。

tokucyotokucyo2012/02/12 09:55◇「削る」について
先生の現在の考えに至るまでの過程がとてもよくわかりました。
すごく失礼な言い方になりますが、「悩んでいる等身大の姿」に接したような感じを持ちました。(少しホッとしています…すみません)『学び合い』にトライしよう!としているわけですが、やっぱり囚われているものは多いです。自分でイメージしているほど、すっきりとシフトチェンジはできないと思っています。「それなら、従来型から始めなさい」と先生は仰るかもしれませんが、それはそれで「違う」ような気がします。(たぶん自分は「従来型」という言葉に甘えそうです…)ただ、今回の記事を読んで、少し頭の中がクリアになったような気もします。まとまらないコメントですみません。

jun24kawajun24kawa2012/02/12 14:54最善の方法なんてありません。一人一人の最善の道があるのです。ただ、それに必要なのは膨大な対話です。繋がることです。私の好きな言葉があります。最善な方法は、多様な方法を柔軟にやり続けること、です。

tokucyotokucyo2012/02/12 19:11>多様な方法を柔軟にやり続けること
これは案外得意だったりします。自分らしく、悪あがきしていきたいと思います。

jun24kawajun24kawa2012/02/12 19:20是非!

12/02/10(金)

[]薬 08:20 薬 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 薬 - 西川純のメモ 薬 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 以前、講演会の後の質疑の時間に受けた質問に応えて「『学び合い』はよく効く薬です。でも、用法・用量を守らなければなりません。でも、あまりにもラディカルなので、常識的な先生は薬をいっきに飲むことはしません。大抵は用量を半分にして飲む。しかし、それでは本当の効果は得られないし、時には悪く働く」と申しました。先ほど、その質問者の方から再度、同じ質問を受けたのでメモりました。

 現状、西川ゼミで行っている『学び合い』の手ほどきにおける「方法」は極めてシンプルです。指導要領・指導書・業者テストを参考に、極めてシンプルな課題を作る。そこで大事なのは、学習者の2割以上は確実にその趣旨を理解できることです。課題提示はおおむね2、3分間。その後、子どもたちに任せます。おおよそ40分弱です。そして、最後のまとめです。ありがちな内容の確認はしません。あるのは、全員達成をしたか、そして全員達成のために自分の頭と体の全力を尽くしたか、その一点です。ですのでこれまた2、3分です。不安でしょうが無い人のために、声がけの方法や、課題の作り方のノウハウを伝えますが、なるべく早めに、それらを捨てて、『学び合い』の学校観・子ども観が身体化することを促します。つまり、どういう行動・手立てをしようかと考えなくても、その場その場で体が動くようにするのです。そして、体が動かなくとも心に強くあるように誘います。

 めちゃくちゃシンプルです。が、シンプルなので、『学び合い』の学校観・子ども観に対面せざるを得なくなります。色々な問題が起こったとき、『学び合い』の学校観・子ども観に立ち戻ってどうすれば良いかを考えざるを得なくなるのです。そうすれば、色々の問題があっても学校観/子ども観に立ち戻れば解決できる、という経験が出来ます。それによって、学校観・子ども観がいかに強力であるかを実感できるのです。しかし、手ほどきした人の中でそれが出来る人もいれば、出来ない人がいます。

 常識的な人の場合、従来型との併用を計ります。具体的には、教師が出る場面が多くなり、子どもが任される場面が多くなります。根本的な原因は、子ども集団の能力をどの程度に評価するかです。子どもは子どもと考えるか、子ども集団ととらえ、子ども集団はかなりの能力があり教師を凌駕する(目標の設定以外は)と考えるかの差です。順調にいくならば、やがて子ども集団の有能性を実感し、どんどんシンプルになります。が、逆に、どんどん従来型の比重が重くなってしまう危険性もあります。

 我々のやっているシンプルな「方法」は極めて短期間に、ごく普通の教師でも高いレベルに移行することが出来ます。た、だ、し、そのためには何か問題が起こったときに「学校観や子ども観に立ち戻って考えてみればどう?」と問いかける人、集団と繋がれなければなりません。文章を読んだだけで、そういうことが出来る人はそれほど多くはいません(でも、確実にいますが)。

 従って、そういう人と繋がれる人はシンプルな薬を丸呑みしたらいいと思います。そうでない人の場合は、薬の量を加減して、シロップを混ぜて飲めばいいかもしれません。でも、私は後者で誤りなくシンプルな薬を飲めるようになれるための手立てを考えている次第です。

 現在、貸し切りバスの車中です。ゼミ生一同といっしょにあるOBの授業を参観に行きます。この方は、学校観・子ども観で授業を構成し、極限まで削りきった授業をします。例えば、指導要領の原文を与えるだけで、学期単位を子どもに任せることが出来る方です。と、いうと、大方の方はどん引きしますよね。でも、教師だったら全員経験しているのです。それは大学入試、教員採用試験の受験勉強です。思い出して下さい、「志望校に入る」、「採用される」という文字にして十文字に満たない目標の下で、1年以上の継続した学習を成立させたはずです。そこに必要としたのは何でしょう。その目標を達成したいという強い願いだったと思います。それさえあれば、それを実現する膨大なツールは世にあふれているのです。

 しかし、それを全ての子どもに成り立たせるには子どものネットワークが必要です。そのネットワークを全ての子ども、特に集団をリードする子どもに納得させるためには、何が一番大事かという学校観が必要です。そして、彼らが最大限に自らの頭を使うようにさせるには任せなければならず、そのためには子ども観が必要です。

 茫洋とした風貌と行動の人です。クラスは自由闊達なクラスだと思います。でも、西川ゼミと同じ運営がなされていることに気づけるでしょうか?薬を丸呑みし、そして年々、その薬の純度を上げている集団がどのような集団になるのか。

 以上でよろしいでしょうか?Sさん。あなたは飲みたいんでしょ。じゃ、飲みましょ。私は支えますよ。

追伸 私がもっとあたりの柔らかいあの人のような人になれば良かったのにと思います。本日参観する方は、そう思う人の一人です。ま、自分は変えられないし、全ての人にフィットする人はいませんから。今の自分でもフィットする少数の人はいますから。

twoyoshitwoyoshi2012/02/11 08:08自分も今の学校で、そういう授業を目指しますよ。先生方と生徒、そして保護者の方々のために。

jun24kawajun24kawa2012/02/11 14:46何度も院で語ったように、ポイントはネットワークです。そのネットワークを構築できる志は伝授したつもりですよ。期待しています。

12/02/09(木)

[]スキー合宿 20:42 スキー合宿 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - スキー合宿 - 西川純のメモ スキー合宿 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は、息子はスキー合宿で不在です。息子が家族から離れるのは生まれてから2回目です。彼はるんるん気分で出発しました。

 が、我々は変です。が、家内となんか新婚気分です。

12/02/08(水)

[]秋田 18:26 秋田 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 秋田 - 西川純のメモ 秋田 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 2月18日に秋田で話します。お誘いします。

[]議論 11:06 議論 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 議論 - 西川純のメモ 議論 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私はゼミ生と議論することは大好きです。

 議論は喧嘩とは違います。喧嘩の目的は相手に勝つことです。しかし、議論の目的は互いがよりよい合意を形成するためです。その場合は、どちらか正しいかが決まらないことは良くあることです。しかし、議論によってどこが同じで、どこが違い、その違いを生じているのは、根拠となる前提のどこが違うかが分かります。でも、議論の結果、どちらかが相対的に正しいという決着がつく場合があります。その場合は、相対的に正しくないとなった方が「得」なのです。なぜならば、相対的に正しいとなった方は、既存の理解を変更しません。ところが、相対的に正しくないとなった方は、相対的に正しい方に修正できます。だから得なのです。これが喧嘩との決定的な違いです。だから議論が好きなのです。

 研究者も人の子であり、感情の動物です。しかし、この議論の作法はたたき込まれます。従って、会議の場でどんなに議論しても、そして、時に声を荒げたとしても、議論であるので会議を離れたら拘るものではありません。少なくとも、そのようなふりをしないと馬鹿にされます。そして、私のゼミでも、そのような作法をゼミ生に伝えているつもりです。

 さて、ゼミ生と議論して本当は、相対的に正しくないという結果が出た方が得なのですが、ま、そうなることは滅多にありません。というのはゼミ生との議論は『学び合い』に関してのことが圧倒的だからです。

 西川ゼミでは、ゼミ生は良くやっています。ゼミ生には言いませんが、何時ねているんだろうと思うことは少なくありません。そのゼミ生が、『学び合い』にシフトしてからだけでも約百人いるのです。それらの血と汗の結晶たるデータが私の頭の中にあるのです。そして、それを実践する全国の同志からの様々な情報が私の中で集まります。それらが整理されているのですから、ゼミ生が語る言葉の圧倒的大多数は、その全てを言わぬ前にほぼ見通せて、大脳を使わなくとも脊椎で回答できます。

 が、そのゼミ生が2年間の全力を尽くすと私を越えるようになります(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20101017/1287318862)。それが何よりも嬉しい。だって、その瞬間に一歩高見に到達できるのだから。私が偉そうに言っていることの大部分は、多くのゼミ生や同志の方から教えていただいたことです。私はそれを整理し、次のゼミ生や同志の方に100年前から知っていたように喋っているだけのことです。常に成長し続けなければ、緩慢な死しかありません。

 感激の瞬間は何時起こるか分かりません。最近もありました。(http://bit.ly/yePXCh 前のゼミとの関係が分からないと分かりづらいと思いますが)至福のひとときです。越えられた瞬間に、ゼミ生と一緒に妄想を暴走させるのです。

追伸 私とゼミ生とのやりとりは、最近はHPに公開しています(http://bit.ly/zGggOn)。見ていただければ分かると思いますが、修士2年の映像が極端に少ないと思います。理由はあります。第一は、1年も私とつきあっていれば、私に質問したら何を言われるだろうかと言うことが想像できます。だから、ゼミの必要がないのです。ゼミの時は「問題ありません。やるだけです」の一言ですみます。私のゼミ生に言っていることは、非常にシンプルな『学び合い』の理論に基づいて一貫しているからです。ま、理系の単純馬鹿なのです。ちなみに修士2年に『学び合い』に関して質問すれば、おそらくどの院生も同じようなことを言うはずです。理由の第二は、話題が非常に微妙な内容も含まれるのです。修士2年ともなると、学部卒業の院生も、支援に入っている学校の校長や主任とそのようなことを議論することがあります。修士2年が私に相談することの多くは、そのレベルのことです。従って、殆ど公開不能なのです。

12/02/07(火)

[]子ども無縁社会 13:33 子ども無縁社会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 子ども無縁社会 - 西川純のメモ 子ども無縁社会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 Kさんのブログに刺激され「子ども無縁社会」を注文した。そして読もうとした、が、読めなかった。項目を拾うだけで、動悸は激しくなるし、何が何だか分からなくなってしまう。中にはリアルに特定の子どもの姿が浮かんでしまう。まさに地獄。これに耐えられない弱さがあるから、私は高校教師としては踏ん張れなかった。毎日、一升以上の酒を毎日飲まなければ生きていけなかった。

 この地獄を解決するには、社会を変えねばならないと思う。私の出来ることがあると思う。

[]一人も見捨てない 09:03 一人も見捨てない - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 一人も見捨てない - 西川純のメモ 一人も見捨てない - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は『学び合い』の根幹を「一人も見捨てない」ということに置いています。が、私がゼミ生達には普段は言いません。また、私が直接手ほどきしている学校でも普段は言いません。普段は「全員課題達成せよ」等と言います。「一人も見捨てない」と言うと話が重くなるからです。が、ゼミ生達に最も重要なことを語るときは、それを「一人も見捨てない」ということを根幹にして話します。ま、年に0~数回レベルですが。私の関わる学校でも、それを語るべき時には語っています。

 「全員課題達成せよ」等でも普段は大丈夫でしょう。そして、優れた教師であれば、それを言わなくても大丈夫かも知れません。「非常に問題のある最後の一人が取り残され続いたとき」、「非常に困難な課題を与え、それを納得させるとき」、「自分の愚かさから、手を抜いたために集団がだれ、それを仕切り直すとき」等には「全員達成せよ」レベルの語りでは乗り越えられません。その時は、『学び合い』の考え方をじっくりと語らなければなりません。

 「9割程度の子どもがそこそこOKなら良い」レベルならば、『学び合い』以外でも可能でしょう。でも、その1割がどれほどの地獄の中にいるのかを知っています。そして1割の子どもが見捨てられていることを気にしないようにしていることが自動化している9割の子どもを憂います。そして、そのような子が大人になったときの社会を憂います。本当に十割を目指すならば『学び合い』しかないと、私は思っています。十割できる、とは断言しません。しかし、それを実現するとしたら、『学び合い』しかないと思っているのです。

 もしかしたらスーパー教師ならば、『学び合い』以外でも十割を目指せるのかも知れません。また、優れた教師ならば「一人も見捨てない」ということをことさら言わなくても『学び合い』で十割を目指せるのかも知れません。が、日本には100万人の小中高の教師がいます。それらの人が全てそのレベルに達せるとは思えないのです。なにしろ大村はま先生の教え子だった人(現在は教師です)から「我々は大村先生をばばあと呼んでいました」と直接聞いたことがあります。大村先生ですらそうであるならば、と思います。少なくとも私には無理です。(私の場合は「くそ」じじいでしょう)

 もちろん、「一人も見捨てない」と子どもに語るのは簡単ではありません。「また、うざったい話をするのかよ~」と思われることを危惧する人はいるでしょう。「そんなこと言っても無理」、「そんなこと言えば暗くなる」と思う人がいるかも知れません。しかし、「一人も見捨てない」ということが『学び合い』を成立させ、高める根幹なのです。子ども達が一人も見捨てないから、非常に高度な会話を積み上げ、折り合いを付けた人間関係を築くのです。一人を見捨てる集団は、早晩、二人目を見捨て、三人目を見捨てます。だから、教師は「一人も見捨てない」ということを踏ん張らねばなりません。そのためには「一人も見捨てない」とは「徳」ではなく、「得」であることを確信し、それを理論的にまた、実例を通して語れなければならないのです。

 これは100万人の教師が語ることが出来るべきだと私は思います。が、それが無理だということも分かっています。でも、深い課題を作り上げる教科の力量、当意即妙に子ども達の会話を紡ぐ能力よりは遙かに簡単です。せめて2割の教師が「一人も見捨てない」ということを語れ、その教師を含んだ教師集団が有機的に動けば「一人も見捨てられない」教育は実現されます。これは、『学び合い』における子ども集団の構造と全く同じです。子ども集団の中で、教師の願っていることを本当に理解できる子は多くはありません。しかし、確実に2割はいます。そして2割もいれば十分です。

追伸 深い課題を作り上げる教科の力量、当意即妙に子ども達の会話を紡ぐ能力は他の教師に伝えることは困難です。しかし、『学び合い』は何であるかはそれよりも他の教師に伝えやすい。さらに、伝えられない教師であっても、子ども達の2割には伝えることが出来ます。従って教科担任制の中高であれば、2割の教師が分かっていれば集団は『学び合い』で動きます。そして、小学校であっても担任や専科の先生のいずれかが分かっていれば大丈夫です。深い課題を作り上げる教科の力量、当意即妙に子ども達の会話を紡ぐ能力は子どもに伝えることは困難だし、伝わったとしてもそれを活用する場は従来指導型では殆ど与えられていません。

[]『学び合い』高校部会 06:40 『学び合い』高校部会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 『学び合い』高校部会 - 西川純のメモ 『学び合い』高校部会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 全国の『学び合い』の会で高校教師の参加が急増しています。それに応えて高校部会が立ち上がりました。お誘いします。http://manabiai.g.hatena.ne.jp/twoyoshi/20120206/1328542758

makine45makine452012/02/07 21:21私も苦しみながら読みました。一気に読むことはできませんでした。読み終わって、この現実を変えなければならないと強く感じています。教室でできることから、私は始めようと思っています。

makiwarisanmakiwarisan2012/02/07 21:30良く考えたら「一人も見捨てない」という言葉は、一般の人には抵抗があるのかもしれませんね。でも、そういえば、昨年の7月の全校朝会で、学級代表が「うちのクラスは、一人も見捨てないことを大切にしています。」と言っていたことを思い出しました。内容は、子どもにお任せでしたので、今考えたら(良く言ったよなあ)と思ってしまいますね。

jun24kawajun24kawa2012/02/07 22:12makineさんへ
 あの現実を変えるための手だてを進行中です。
makiwarisanさんへ
 その言葉にたどり着いたのには何かあるのだと思います。

ghjalghjal2012/02/08 07:16自分にとっては、至極当然で単純で意味深い言葉でも、意外に気持ち悪がられる「一人も見捨てない」という言葉です。あるとき、子どもに、「だって、先生は一人も見捨てるなっていったじゃない。」と子どもに注意されたときは、ドキッとしました。

jun24kawajun24kawa2012/02/08 09:54ようは、言葉ではなく、それを発する人が何を考えて発しているかですよね。そして、多くの人はその場に応じて、同じ言葉も違ったレベルで語ります。結果として別な言葉を使っても同じ意味が伝わるし、同じ言葉を使っても別な意味に伝えることが出来ます。だから、一人も見捨てないという言葉も、ghjalさんが語れば、当然のように伝わったのだと思います。

12/02/06(月)

[]人 22:42 人 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 人 - 西川純のメモ 人 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、我がゼミが支援に入った学校の校長先生が話し合った。その内容はゼミ生のブログ(http://amba.to/yn5UCH)に書いてあったことと重なる。

 『学び合い』を「変」と思う方が普通だとゼミ生には繰り返し語ります。私が語ることは多くの人には共感を得ないとも語ります。でも、『学び合い』を理解した人の誠実は分かります。『学び合い』は「変」と思ったとしても、ゼミ生の誠は分かります。そこから『学び合い』も理解してもらえます。

 ゼミ生の至らないことは多いだろう。でも、「一人も見捨てない」という、多くの教師にとっては「建前」と整理されることを、本気で実現できる「かも」と思いこんでいる学生集団は大きな力を持っています。ゼミ生が実感してている以上に。

[]三研究室合同卒業旅行 22:21 三研究室合同卒業旅行 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 三研究室合同卒業旅行 - 西川純のメモ 三研究室合同卒業旅行 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日は、教え子であり同僚である水落さん、久保田さんの研究室と一緒の旅行です。いつも関わっている学生さん達ですので、気楽な会です。ということで、昨日は久しぶりに飲み過ぎました。ふぉふぉふぉ

[]これって凄いかも 22:21 これって凄いかも - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - これって凄いかも - 西川純のメモ これって凄いかも - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ムーアの理論に基づき、昨年の夏頃から暖めていた成果を「小規模校向けの全校教科学習活動」としてネットブックにアップしました(http://bit.ly/n9a6EUhttp://bit.ly/tvTn3E)。そして、それは今年の1月から地元の一つの学校(A校としましょう)で実践しています。そして本日から別のB校でも始めました。本日はA校、B校を参観して手ほどきをしました。

 私が生み出したものながら、そして、理論的には予想していたものながら、ほれぼれとするほど凄いものを生み出したと畏怖します。A校に関しては、今の状態では考え得る最高の状態にまで進んでいます。全校教科学習活動というのは週に1度だけ全校で『学び合い』をする活動です。その活動は小規模校用にアレンジしています。ですので、A校が『学び合い』を経験するのは8回目にすぎません。が、参観すると素晴らしい。子どもの変容は当たり前のことですが、先生方の変容の速度が凄いのです。中には、お亡くなりになった埼玉の佐藤準一さんと二重写しになるような、子どもとじゃれ合いながらプレッシャーを与える教師の姿が見られるのです。超小規模校なので、子どもだけでは解決できない場合があります。その場合は、教師の介入が必要な時があります。その間合いが絶妙なのです。入りながらも暴走せず、すっと引く。『学び合い』の考え方が腑に落ちない限り絶対に出来ない間合いが皆さんが出来るのです。本当に凄い。

 B校での最初の実践です。先生方はびくびくです。やって良いこと、悪いことの線引きが分からなく戸惑っていました。その先生がたにアドバイスをすると、そのアドバイスがするすると吸収されるのがよく分かるのです。打てば響く。そんな感じです。次回が本当に楽しみです。A校と同じように超高速で進化するであろうことを確信しました。

 小規模へき地校は、牧歌的な印象を受ける方が多いですが、実は追い詰められています。子どもも教師も。だから、受け入れる素地が十分にあるのです。そして、子どもたちは授業以外は全校『学び合い』で過ごしている時間が多い。それに週1度だったら、怪しげな『学び合い』に全面的に乗っかれる。そして、全面的にのっかれば、直ぐに『学び合い』によって開放される子どもたちの凄さを実感されます。だから成長が早い。分かりさえすれば、次のステージに移る可能性が高くなります。

 A校の先生方には、全校『学び合い』の周期を多くすること、多様な教科に広げること、そして他校との交流が必要なこと、そして地域の人たちを巻き込むことを語りました。分かっていただけたと思います。そして、一ヶ月後にはB校の先生方にも分かっていただけると思います。

 我ながら凄いマニュアルを作っちゃったと思います。あとは、声がけのマニュアルと、課題づくりのマニュアルを作れば、パンデミックの準備は完了だと思います。

 『学び合い』で学校づくりを考えている同志の方へ。無理強いはしないで下さい。『学び合い』を「変」と思うのが健全な先生です。その方々に強いれば、学ぶよりも、それを否定することにエネルギーを費やします。だから、分かる人に伝えればいい。でも、もし全校でやろうとする場合、週1の全校教科学習レベルから入ると良いと思います。それで『学び合い』が変な新興宗教ではなく、まっとうなことを純粋にやっているだけのことであることが分かります。

追伸 声がけのマニュアルと、課題づくりのマニュアルを今年度中に用意せねば。それさえ出来れば、広がり方は早くなる。その上で、その上の状態を示せる同志がいれば、「考え方」のレベルにシフトできる。

[]学修成果発表 18:11 学修成果発表 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 学修成果発表 - 西川純のメモ 学修成果発表 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 自慢のゼミ生の発表を動画アップしました。http://bit.ly/At3Vhd

[]基準 08:50 基準 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 基準 - 西川純のメモ 基準 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は色々な方から質問されたとき、その是非の判断するまでの時間が非常に短いと思います。その多くは、何度も聞かれるパターン化されているものなので、大脳を使わなくても脊椎レベルで判断できます。しかし、それ以外のものでは判断が速いと思います。秘密は、シンプルな判断基準を持っているからです。(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20011023/1173073088

[]大人 08:21 大人 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 大人 - 西川純のメモ 大人 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』を教育としてではなく、人材管理と考えると旧来の「しっぽ」を捨てやすいのではないかな~っと思います。もちろん、「日本でいちばん大切にしたい会社」で紹介されているような、部下の幸せを第一と考える会社の人材管理です。

 私は25で高校教師になりましが、その教室には36歳のNさん、42歳のHさんがいました(定時制高校なので)。その人から「先生」と呼ばれることに非常に抵抗感があったのですが、仕事です。そして、上越教育大学に25年勤めています。その大学には四十代、三十代の現職教員が派遣されます。結果として、私の大学教師人生の過半数は、過半数のゼミ生が私より年上という状態でした。ゼミ生の全員が私より年下という状態は十年になりません。四十代、三十代で家庭も子どももいる人を指導する場合、当然、指導できる範囲と出来ない範囲(逆に私が指導された方が良い範囲)の線引きに敏感になります。また、指導する場合、学則に則り、強く求める範囲と提案すべき範囲の線引きに敏感になります。 また、大人に教えるのですから、手取り足取り、おむつ替え、ということはしません。そして、何かを求める場合は、ちゃんとその理由を言わなければなりません。

 私が「学習者は有能である」と言う場合は、大人と同じレベルで有能で、また、限界もあると考えます。基本的に、大人として考えます(小学校1年生でも)。そして、それを越えたことをする場合は吟味します。具体的には、そのようなことを全員できないか?と問います。たいていの場合は、誰かが出来ます。一人も見捨てないという原則さえ守れば、大人が介入する必要はありません。

 『学び合い』を理解するにはドラッカーやリッカート等の経営学の巨星の本を読むと良いと思います。上級管理職(社長、取締役)に求められているのは細かなことではありません。もっと大きな視点で動かねばなりません。具体的には、その集団の進むべき基本戦略の方向性を決めることです。その場その場で臨機応変に対応するところは下級管理職(主任、係長)の仕事です。

 日本の教育において上記の意味で教育を行った優れた教育者としてまず頭に上るのは吉田松陰でした。彼の松下村塾で彼は殆ど教えませんでした。学習の殆どは学習者の中で完結していました。その代わりに吉田松陰がやったこと、それは学習者が想像も出来ない夢想をすることです。彼の夢想が時代の方向にあっていたため、彼のもとからは優れた人材が生まれました。『学び合い』もはじめは「これこれを実現せよ」と具体的な課題を与えます。そして、それを教師が評価します。それは下級管理職のやっていることと同じです。しかし、子ども集団が育てば、抽象的でとらえどころのないもの凄いことを求めます。そのレベルになると細かな評価は他者が出来ません。管理職が言えることは「それでいいのか?それで十分か?私にはつまらない」とだめ出しをするだけのことです。

 私はそのレベルのことを小学校1年生でも出来ると確信しています。

追伸 立志伝の経営者の経営学は松下幸之助以外は読むべき本は少ないように思います。急激に会社が大きくなると町工場での経営学を大会社でも適用できると思い込む人が少なくない。それを旨くシフトしたのが松下幸之助だと思います。そして、自分には出来ないと思い身を引いたのが本田宗一郎です。ドラッカーはこのシフトが出来るか出来ないかがベンチャー企業の最大のポイントだと言っています。教師も同じです。従来指導型でも良きことが『学び合い』にも良きことである場合もあります。しかし、一定以上になれば質的に別種になるのです。教室レベルでの『学び合い』と、学校・学校群・地域コミュニティレベルの『学び合い』は別種です。後者の『学び合い』は、上級管理職と下級管理職を分けて運用すれば前者でも適用できますが、前者の『学び合い』は後者に適用できません。なぜなら、前者には下級管理職のノウハウはありますが、上級管理職の立ち位置の視点が弱いからです

twoyoshitwoyoshi2012/02/07 00:15ふむふむ、なるほどなるほど。

scorpion1104scorpion11042012/02/07 05:31学修成果発表、拝見いたしました。内容もさることながら無駄のない
シンプルな流れの中に綿密に計算された組み立てにゼミ生さんの渾身の思いが溢れていました。滅多に見ることができない貴重な映像をありがとうございました。研究というのは、このレベルのことを求められておられるのだということも理解できました。

jun24kawajun24kawa2012/02/07 06:39ありがとうございます。

12/02/05(日)

[]三研究室旅行 16:02 三研究室旅行 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 三研究室旅行 - 西川純のメモ 三研究室旅行 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は、三研究室(西川、久保田、水落)の合同卒業旅行です。全部で一つの学科レベルの集団です。今日は楽しく、飲むぞ~!

[]豊橋の会 06:43 豊橋の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 豊橋の会 - 西川純のメモ 豊橋の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 3月4日に豊橋で『学び合い』の会があります。bit.ly/wqildY


[]市民革命 09:35 市民革命 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 市民革命 - 西川純のメモ 市民革命 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 日本には色々な先生が色々な方法で教えている。しかし、それを何故使っているか、それをちゃんと説明している教師がどれほどいるだろうか?例えば、学校集会でクラスごとに一列に並ぶのは何故だろう?教室での声の大きさは4段階なのは何故だろうか(3.5が適切な場合はあろうのではないだろうか?)。

また、○○メソッドでも、○○学習でも何でも良い。それを何故使おうとしているか説明しているだろうか?もしかしたら「これは○○を勉強するには良い方法なのだよ」とは説明しているかもしれない。でも、何故、それが有効なのかを理論的に説明しているだろうか?そして、それを使っている時、その説明した理論に基づいて修正し、それを子どもたちに理論的に修正しているだろうか?おそらく否だろう。何故なら、それが有効であるということを理論的・実験的に実証している○○メソッドや○○学習は少ないから。

さらに、それは学習以外の場面で基本方針としている理論と一致しているだろうか?おそらく否だろう。学習以外の場面での行動指針は、常識や経験則を越えるものは少ない。また、生徒指導と学習指導を分けて考えている人の方が多い。

 生徒指導でも学習指導でも、本当に定着するためには、集団の2割程度が理論的に理解しなければならない。そして、集団の文化にするしかない。その当たりが現状で決定的に欠けている。教師は啓蒙専制君主のように、子どもに分かるだろうというレベルの情報しか与えていない。民主主義では分かろうと分かるまいと情報はちゃんと与えるべき。そうすれば、それを理解できる人もいる。その人が周りに伝える。

 『学び合い』では教師用指導書を子どもに公開している。それを変だと思う人もいれば、駄目だと思う人もいる。しかし、『学び合い』では当然と思う。教育基本法第1条には「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」とある。民主的な国家及び社会の形成者は、民主的な学校・教室で育てなければならない。啓蒙専制君主国家のような学校・教室では、真の民主的な国家及び社会の形成者と思います。

 啓蒙専制君主は臣民を慈しんでいると思っているでしょう。しかし、人はそう思っていなかったから民主的な国家を打ち立てました。そして、啓蒙専制君主国家は民主国家に負けたのです。その革命が教室で学校で早く起こらないかと思うのです。

FlipperKFlipperK2012/02/05 17:09 全くおっしゃるとおりだと思います。きちんと説明できていない点がほとんどだと思います。だから子ども達は「当事者意識」をもてないのでしょう。もう20年以上前のこと、私の出身県のある高校で校則を生徒の代表者が話し合って決めたということがあったように記憶しています。具体的にどのように決まったのかは分かりませんが、できた校則は大人達から見て「ごくまっとうな」ものだったそうです。

katokiti2003katokiti20032012/02/05 19:47拝読させていただき
「何で納得いかないのに、やらなきゃいけないんだよ!」
って反発ばかりしていた数十年前を思い出して、思わず笑ってしまいました。
難しい言葉はよく分かりませんが、『学び合い』に出会って以降、職員室で他の先生方との会話の中で、
「それって子どもたちに説明して分かるの?」
って聞かれることが増えたような気がします。
「なぜやるか」を話すとき、もちろんぼくなりにかみ砕いて話しますが、
「若干難しいかなあ…?」
と思うことは多々ありますが、意外に分かってくれている子がしっかりといて(2割まで行かないかも知れませんが)、いつのまにかその文化が広がっていたり、同じ事を子どもたち同士が会話で使っていたりすることがありますね。
あるある~ってうなずいてしまいました。
余談ですが、ぼくは学習指導要領の原文公開まではしていませんが、同様の意味合いのことを伝えるようにはしています。

jun24kawajun24kawa2012/02/06 06:43FlipperKさんへ
 子どもに当事者意識を持たせることは大事です。というか、当事者ですから。
katokitiさんへ
 こんど原文を見せると良いですよ。分かる子はいますし、大人として認められたと思うと思います。

katokiti2003katokiti20032012/02/06 23:33西川先生
「原文」に関しては、今は話す程度にとどめます。
今のぼくのまわりの状況を考えると、メリットもありますが、あまりにもリスキーな点が多い。

jun24kawajun24kawa2012/02/07 06:38了解です。したたかにね。

12/02/04(土)

[]発表会 19:15 発表会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 発表会 - 西川純のメモ 発表会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は上越教育大学の教職大学院の発表会です。本学の教職大学院は、現場の学校に長期に入って、そこの職員と一緒になって学校改革をします。それが本学教職大学院の教育実習なのです。

 本日の発表会は、地元の学校の先生方の前で、全チームの発表がありました。どれも素晴らしいものです。誇らしいと思いました。

12/02/03(金)

[]名古屋の会 19:33 名古屋の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 名古屋の会 - 西川純のメモ 名古屋の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 愛知◆第2回『学び合い』を学ぶ,名古屋・愛知の会(2012/02/10 (金) 午後6時 〜 午後9時 名古屋市東生涯学習センター第4集会室)http://bit.ly/yquphM

[]民主主義 08:52 民主主義 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 民主主義 - 西川純のメモ 民主主義 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 民主主義の代表的な宣言としては、「人間と市民の権利の宣言」と「アメリカ独立宣言」があります。前者では「国民議会として構成されたフランス人民の代表者たちは、人の権利に対する無知、忘却、または軽視が、公の不幸と政府の腐敗の唯一の原因であることを考慮し、人の譲りわたすことのできない神聖な自然的権利を、厳粛な宣言において提示することを決意した。」と述べ、後者では「我らは以下の諸事実を自明なものと見なす。すべての人間は平等につくられている。創造主によって、生存、自由そして幸福の追求を含むある侵すべからざる権利を与えられている。」と述べています。いずれも、人は個人として不可侵な「権利」を持っていると書かれています。

 が、人を生物の一つと考えるようにトレーニングされた私には違和感があるのです。それだったら、バクテリアに不可侵な「権利」があると言うのか?と。でも、『ホモサピエンスは、多様な他者と折り合いを付けることが、個人にせよ集団にせよ最大の生存戦略である。』と考え、個人なり集団が互いの生存を認め合うおりあいをつけた結果が民主主義だと考えると非常にしっくりするのです。そういう「おりあい」は生物の生態系ではよくあることです。それを分析すると高度なコントロール機関がありそうに思えるときもあります。しかし、実際は個体及び種の生存のために「おりあい」を付けた結果であり、統合されたコントロール機関はありません。あるのは個体・種に分散された小システムがあるだけです。

 つまり、民主主義を「徳」で記載するのではなく、「得」で記載すべきだと思うのです。

szeidzsiszeidzsi2012/02/03 19:33人間は他の種と違ってお互いを殺し合う種とも言えます。そう考えると「おりあいをつける」というのはお互いが生き延びるための知恵、種を存続させるための「得」の知恵とも言えるかなと思います。

takami_swctakami_swc2012/02/03 20:47名古屋の会,お知らせくださりありがとうございます。『学び合い』を中心に語り合える会にしたいと思っています。参加を希望されている方々は,必ずしも『学び合い』な人ばかりではないのですが,いろいろな立場の方の話を聞くのは,刺激になります。

jun24kawajun24kawa2012/02/03 20:52Szeidzsiさんへ
 いえいえ、同じ食物・伴侶を求めている同種は戦い合う種の方が多いですよ。同じパイを奪い合っている大多数の種はそうです。でも、ホモサピエンスは協働することによってパイを増やす道を見出しました。『学び合い』はその洗練された形だと思います。
takamiさんへ
 楽しんで下さい。

szeidzsiszeidzsi2012/02/04 08:10上に私の書いた「おりあい」はパイの奪い合いで固体及び種が生存できなくなるための「おりあい」でヒト意外の種でもあるが、『学び合い』の「おりあい」は協働でパイを増やすヒトレベルだからこその「おりあい」であるという理解でよろしいですか?

twoyoshitwoyoshi2012/02/04 09:39そもそもアメリカの民主主義が神の存在を前提としているところに、民主主義が純粋科学を前提にしていませんからね。

jun24kawajun24kawa2012/02/04 19:05szeidzsiさんへ
 すみません、お書きになっている意味が分からないのですが・・・・
twoyoshiさんへ
 アメリカ人は今でも過半数は天地創造を信じている国ですから。

12/02/02(木)

[]脱皮 12:50 脱皮 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 脱皮 - 西川純のメモ 脱皮 - 西川純のメモ のブックマークコメント

本日のメモの大部分は、多くの人にも意味不明かも知れませんし、どうでも良いことかも知れませんが、私にとってはとても大事なことなのでメモります。そして、手引き書に加筆します。

この前の群馬の会に参加した方の中には、私がどのような問題意識で行動しているかをお話ししました。簡単に言えば、以下の通りです

『これからより多くの人に『学び合い』を広げる行動をします。そのため、同志の方には私が変質したように見えるときがあるかも知れませんが、私はぶれていません。同志の方は、『学び合い』の考え方を堅持し、実績を上げて、考え方を伝えて下さい。』

というものです。が、これでは武器も与えずに、頑張れ、と言っているようなものです。研究者に出来ないこともありますが、研究者だから出来ることもあります。それを考えました。

集団は拡大すると堕落する。これは多くの宗教団体や政治団体や、そして教育団体も例外ではありません。何故ならば、誤り多い個人によって動かされているからです。さらに、集団が当初に持っていた目的が、集団の存続・拡大自体にすり替えられる危険性があるからです。ソビエト共産党の堕落はスターリンの求めに応じて、共産党員用の特権を認めたところから始まったと言われます。

 が、数千年の歴史の中で、そのような堕落の影響を最小限度に抑えた集団があります。それは数学者の集団です。近代自然科学は数百年間、そのような堕落の影響を最小限に抑えました。それは誤り多い個人によって動かされない数少ない定義によって構築されているからです。その定義が冗長になったり、暗示的で不明確であればあるほど、個人的な解釈が入ってしまう。

 『学び合い』は拡大するし、するべきです。日本の子どもの2割程度は、毎日の勉強が意味不明で、その分からない状態がその子の人格否定のラベルになってしまっている。そのような授業を週に30時間程度受けなければならない生活を二十年間弱続けなければなりません。現在、二百人に一人の教師が心の病で休職しています。ということはかなりの教師が追い詰められていることを意味します。そして、そうでない子どもも教師も、自分たちの近くにそのような人がいることを知っているのに、気づかないようにしています。『学び合い』が拡大すれば、かなり「まし」になることは確かです。

 しかし、拡大すれば集団は堕落する。堕落しないように拡大する過程で、私は多くの注意を払いました。第一に、固定的な組織はつくりませんでした。全国に広がる『学び合い』の会は勝手連です。だれが開いても良いし、その上下関係はない。会則はないし、排他的な特権はない。基本的に個人的な信頼を基盤としたネット上のアメーバーのような組織となっています。一方、その基本となる考え方を、実証的なデータに基づいて記載することをしました。これは数学や自然科学の成功にならったものです。

 しかし、『学び合い』が広がれば、そのようなことを熟読し、理解し実践する人(コアメンバー)以外の人が多く参入します。私はそのことによって『学び合い』が堕落することを恐れました。それ故、手引き書レベルのことを書くことさえ躊躇いました。そして、書いたのは実践書というより、実証的研究を紹介する本を書きました。しかし、ある程度のコアメンバーが生まれたことから、手引き書を書くこと、そしてネット上で公開することを決意しました。手引き書の意味するものは何かを実際に見せられるし、話せるコアメンバーがいるからです。しかし、現状はコアメンバーの卵になる人ぐらいしか『学び合い』には手を出しません。でも、日本中の多くの子どもはそれ以外の教師の下で学んでいます。そして、日本中の苦しんでいる教師の多くはそういう人ではありません。

 といっても選民主義を言っているのではありません。人はそうせざる場合には分厚いマニュアルを読みますが、そうでなければ誰だって耳学問ですませます。私だって携帯電話ではそうです。人はあるジャンルでは分厚いマニュアルを開く役割を担い、別なジャンルでは耳学問ですませています。『学び合い』もマニュアルを開く人と、耳学問ですます人がいても当然です。

 耳学問ですます人たちに広げる段階に進んできたと私は認識しています。そのためには、「考え方」を一度さておいて、分かりやすい方法を提供しなければなりません。それを通して「考え方」を学ぶ必然性を感じる方も生まれるし、方法のレベルに留まる人もいる。しかし、それらが混在しているならば、実態として誤った方向には進みません。しかし、そのためにはコアメンバーが踏ん張ってもらわなければなりません。

 その時に不安なのは、『学び合い』の考えのどこのところに重点を置くかということで混乱が生じることです。仏教の歴史がそれを例示しているように思います。仏教には様々な戒律があります。しかし、状況によって戒律を変更可能です。が、戒律のどこを変えて良いか変えて悪いのか、どの程度変えて良いのかという、「戒律」の上位基準を明確にしていませんでした。また、仏教には様々な仏典があります。それらは釈迦の根本思想を示すものもある一方、それを一般大衆に分かりやすくするため方便(説明するための意図的な本当ではないこと)もあります。ところが数ある仏典の中で、どれを根本と捉え、とれを方便とするかで意見が分かれるために、様々な宗派が生まれました。が、数学はそのようなことがありません。非常に厳選された公理を定め、それに基づいているからです。

 私が現状の教育に限界を感じ、『学び合い』を成立させる根拠を書いたのは1999年の「何故理科は難しいと言われるか」です。そして2000年に、最初の『学び合い』の本である「学び合う教室」を書きました。その頃の私の意識は、現在の私とは全く別です。その頃は、私が高校教師の時に見捨てたような子どもも少しでも分かるようになって欲しい、というレベルでした。そして、視野は教室レベルです。が、今は違います。教室ではなく、学校、地域に視野を広げています。そのため、関係する人も教師個人レベルではなく、校内教師集団、市町村の教師集団、県レベルの教師集団に広がっています。さらに、子ども、保護者、地域住民に広がっています。さらに、『学び合い』は学校教育の枠を越えて、塾・予備校のような学校以外の教育、医療における教育、企業における教育等に広がっています。そして、もうしばらくすると、教育という殻さえも脱皮するときが来ると思います。そのようなとき、教育のための定義を脱皮する必要性があると思います。

 そのためには、拡大する『学び合い』を整理するための定義を定める必要があり、それは研究者の仕事のように考えます。

 2012年段階の状況での定義を考えます。

[]生存戦略仮説(今のところは仮説としたいと思います)の定義 12:50 生存戦略仮説(今のところは仮説としたいと思います)の定義 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 生存戦略仮説(今のところは仮説としたいと思います)の定義 - 西川純のメモ 生存戦略仮説(今のところは仮説としたいと思います)の定義 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『ホモサピエンスは、多様な他者と折り合いを付けることが、個人にせよ集団にせよ最大の生存戦略である。』

 いかなる生物も、また、物理現象も他との相互作用を持つ。しかし、ホモサピエンスの特徴は、同種のホモサピエンスとの相互作用が生存において多くの比重を占めるという特徴がある。さらに、その相互作用も作用・反作用のような単純な相互作用のみならず、非常に高度な相互作用(おりあい)をするという特徴がある。その事によって、個々人としては不完全で弱いものであったとしても、集団及び集団の中の個人は相対的にかなり強力になり得る。

 ホモサピエンスの歴史の中で、折り合いを付けるべき他者は、サルと同様な狭い意味の血縁から始まり、ダンバー数程度の群れに広がり、各種技術(大規模な生産技術や通信技術等)の開発に伴い順次拡大していった。現状の民主主義や福祉はこの具体的な現れである。

[]生存戦略仮説への妥当性の検証方法 12:50 生存戦略仮説への妥当性の検証方法 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 生存戦略仮説への妥当性の検証方法 - 西川純のメモ 生存戦略仮説への妥当性の検証方法 - 西川純のメモ のブックマークコメント

『対象となる個人・集団を明確に定める。次に「生存」を客観的に評価できる基準を定める。生存戦略仮説への妥当性は、対象の広さ、基準の高さ、基準を下回る者(即ち生存できなかった者)の少なさの三つで評価される。』

「対象」、「基準」、「容認されうる基準を下回る者の数」は法に反してはならないし、ステークホルダー(利害関係者)の同意が必要である。また、基準において重要なのは高邁であるかではなく、客観的であるかである。高邁であるが客観的でない基準は、基準がないと同様である。これらを曖昧にすると、それらを明確にした他者から駆逐されるか、吸収される。但し、基準は基準に過ぎません、生存の意味を問い直し、より高い基準に再設定すべきです。

[]『学び合い』の定義 12:50 『学び合い』の定義 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 『学び合い』の定義 - 西川純のメモ 『学び合い』の定義 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『生存戦略仮説を基にする教育の考え方』

 生存戦略仮説に基づく、「学校は、多様な人と折り合いをつけて自らの課題を達成する経験を通して、その有効性を実感し、より多くの人が自分の同僚であることを学ぶ場」であるという学校観を基礎としている。そこから、生存戦略を駆使する子ども集団は強力であることから、「子どもたちは有能である」という子ども観が引き出される。

以上ことから、「教師の仕事は、目標の設定、評価、環境の整備で、教授(子どもから見れば学習)は子どもに任せるべきだ」という授業観が現在は導かれている。しかし、この授業観は研究・実践の蓄積によって、その意味するものは常に再定義され、その適用範囲は徐々に拡大している。

なお、”学び合い”は生存戦略に基づく集団における個人の多くが、多くの場面で選択する方法である。『学び合い』において顕著に表れる現象であるので名称に用いた。しかし、生存戦略に基づく集団における個人の行動は多様であり、必ずしも、いわゆる“学び合い”しない個人がいることもある。『学び合い』の目的は、“学び合う”ことではない。また、『学び合い』は“学び合う”ことを手段とするものでもない。個人として集団として、あらゆるレベルでの生存を実現すること(これを“一人も見捨てない”、もしくは“全員が達成する”こと)を目指している。

[]『学び合い』への妥当性の検証方法 12:50 『学び合い』への妥当性の検証方法 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 『学び合い』への妥当性の検証方法 - 西川純のメモ 『学び合い』への妥当性の検証方法 - 西川純のメモ のブックマークコメント

『対象となる個人・集団を明確に定める。例えば、クラスであるならば、交流学級の子どもを含めた集団を対象とするのか、含めない集団を対象とするのかを定める。次に「生存」を客観的に評価できる基準を定める。例えば、業者テスト(もしくは県配信テスト等々)のテストの80点以上や、どんな方法であっても25mを、足をつかずに泳ぐ等の基準を定める。『学び合い』への妥当性は、対象の広さ、基準の高さ、基準を下回る者(即ち生存できなかった者)の少なさの三つで評価される。』

上記の注意点は、4つある。

 第一に、基準は高邁であるか否かではなく、客観的であるか否かで判断される。「深い読み」を客観的に評価する方法があればそれを使っても良いが、無いならば、基準が無いのと同様であるので、高邁ではない基準がある方が相対的に望ましい。

第二に、学校教育のような非営利団体の特徴は、ステークホルダーが多様であるという特徴を持つ。「深い読み」は高まっても、業者テストの点数が低い場合、ステークホルダーを納得させることが出来ないならば、現状においてステークホルダーが納得する基準を採用すべきである。

 第三に、平均で判断するのではなく、基準を下回る者の少なさで判断する。基準を下回る者の少なさで判断する。基準を下回る者が非常に少ないか皆無な場合は、平均点は上がる。しかし、平均点を上げても、基準を下回る者は必ずしも少なくなるとは限らない。平均を上げるのであれば、一部を切り捨てた特殊な方法で実現可能である。結果として、歪な達成者の分布が生まれる。それは生存戦略仮説に基づく『学び合い』に妥当しない。

 つまり、今後、『学び合い』に関する議論をする場合、最終的には対象の広さ、基準の高さ、基準を下回る者(即ち生存できなかった者)の少なさの三つで議論すればいいのです。教科の内容を持ち出し、基準を下回る者が多くなる危険性に目をそらしたら、それは『学び合い』ではないと思います。同様に精神論を持ち出し、客観的なデータで議論の決着を付けないのも同様です。

 しかし、第四に、基準は基準に過ぎません、教育の意味を問い直し、より高い基準に再設定すべきです。但し、それは一から三までのレベルをクリアーした後だと思います。その後は、精神論や哲学的議論はあります。数学も自然科学も、本当の最先端は「美」とか「認識」という不可思議なものが錯綜するものですから。

以上を守れば、『学び合い』は堕落しないと思います。

[]同僚 12:50 同僚 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 同僚 - 西川純のメモ 同僚 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私の所属する教職大学院のメンバーは、大学の離れたところに研究室が散在しています。そのため、メンバー同士の事務手続きは出来るだけネット上でやっています。

 ある先生が教職大学院のメンバーにある情報を記入して返信して欲しいとエクセルファイルを添付してきました。私の場合は、全部の欄に100を入力すればいいので、横着して、「全部100ということで処理して下さい」と返信しました。

 ところが次のメンバーが、ちゃんとエクセルにデータを入力して担当者に返信しました。そして、「ついでに西川先生の分も記入しておきました。」とありました。

 脱帽です。こんな心優しき同僚に囲まれている大学の職場って、全国でもそうないだろうな~っと思いました。

[]乳臭い 06:33 乳臭い - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 乳臭い - 西川純のメモ 乳臭い - 西川純のメモ のブックマークコメント

 朝一番、寝起きの息子(小学校5年生)に頬ずりしました。熱いぐらいの柔らかいほっぺに鼻を近づけると生まれたての赤ちゃんの乳臭さを感じます。

twoyoshitwoyoshi2012/02/02 23:21西川先生、やはりあなたを師としたことに間違いはありませんでした。教育学のレベルから社会学のレベルに『学び合い』が鮮やかに再定義されています。仮説という事は、当然次の研究はこのレベルを研究で実証する事になるのですね。ものすごい臨床研究になりますよ。これは。

twoyoshitwoyoshi2012/02/02 23:21西川先生、やはりあなたを師としたことに間違いはありませんでした。教育学のレベルから社会学のレベルに『学び合い』が鮮やかに再定義されています。仮説という事は、当然次の研究はこのレベルを研究で実証する事になるのですね。ものすごい臨床研究になりますよ。これは。

katokiti2003katokiti20032012/02/03 00:22先日の群馬の講演、そして今日のブログを拝読し、すごく腑に落ちています。
「何が?」って言われると、上手く言えませんが…。

言語だけでも、情景が浮かぶくらいにできるといいなあ…と思います。

tetsu4062tetsu40622012/02/03 01:05私の中の人類、というかヒトの不完全性はその自我そのものでした。それゆえにエゴは消えず、それぞれの価値へ歩み、その不整合さ歪みが世界をけして素晴らしい方向へと歩ませ得ない

tetsu4062tetsu40622012/02/03 01:08ヒトはもっと種の存続と集団の維持の為に「完璧」に存在するべきだ。コロニーを形成するアリのように。
しかし

tetsu4062tetsu40622012/02/03 01:10人類はなんて不完全極まりない生物なのかなどと思っておりました。(えらく端折ったのでかなり誤解を招く言い方をしましたが)
しかし、『

tetsu4062tetsu40622012/02/03 01:18しかし『学び合い』はそんなヒトの不完全さを集団からうまく、歪みとして表出させないようにするようにできる。訓練することで。ヒトは元来そうやってうまくやっていた。不完全なりに。やはり『学び合い』とはヒトの営みのとっても大事な機能だと。

tetsu4062tetsu40622012/02/03 01:22以前にも増して教育理論に留まらぬ『学び合い』の考え方にとっても楽しくなりました。やはり社会学などからのアプローチや組織論などの方向からのつながりをもっと持ちたいです。教育のみにならない研究機関とのつながり

tetsu4062tetsu40622012/02/03 01:25つながりをもてればさらなる広がりが教育とは別方向からの援護射撃が期待できるのになあ。などと愚かにも思っております・・・

なぜだか切れ切れのコメントになって申し訳ありませんでした。

jun24kawajun24kawa2012/02/03 07:12twoyoshiさんへ
 ふぉふぉふぉ。えっへん。自らの製品、サービス、プロセスを自ら陳腐化させることが、誰かに陳腐化させられることを防ぐ唯一の方法である。(ドラッカー)
katokitiさんへ
 おそらく教育の次元を越えたところで俯瞰すると、教育のあり方が見えて、そこから日々の方法が見えると思っています。
tesu4062さんへ
 ホモサピエンスの素晴らしいところは本能に縛られないところです。本能に縛られると、その進歩は100万年単位になってしまう。しかし、本能に縛られないからこそ、進歩が早いのだと思います。

katokiti2003katokiti20032012/02/04 20:01>教育の次元を越えたところで俯瞰すると
確かに。
最近、ぼくにとって教育とか教師としての仕事って、完全にその他(例えば父親としてとか、いち剣道愛好家とか、地域住民とか)の生活との垣根というか壁が全くありません。

jun24kawajun24kawa2012/02/05 06:17私もそうです。ただ、夫婦関係・親子関係には適応できないのが玉に瑕です。集団ではないし、私は夫婦関係では管理者ではないので。とほほ

katokiti2003katokiti20032012/02/05 19:39夫婦関係ではぼくも完全に管理「されている」側です(笑)
今の立場、役割でできることがあるんですよね(^o^)

jun24kawajun24kawa2012/02/06 06:44はい。私もそうです。

12/02/01(水)

[]社会科 17:22 社会科 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 社会科 - 西川純のメモ 社会科 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 朝一番に、教員採用試験の一般教養を勉強しているゼミ生から「どうやったら社会科を覚えることが出来ますか?」と聞かれました。私は社会科で大学入試以外は、一度もノートも付けたこともないし、参考書も問題集もやったことがないし、テスト勉強もやったことがありません。しかし、小中高の社会科は常に5段階の5でした。理由は簡単です。本が大好きなのです。日本や海外の歴史小説が大好きで読みまくりました。それを理解するには歴史地図を読まねばなりません。そこから派生して、色々な本を読みました。そのため、勉強するという意識無く、それらが有機的に頭の中に入っているのです。

 息子は私と似ています。休みの日に「どこに行きたい?」と聞くと、本屋と答えます。小学校1年生の時に、高校入試問題を2問だけですが解いた子どもです(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20080308/1204965326)。

 偶然ですが、息子の社会科の実力を知りたいと思いました。そこで、昨日、5年生の息子に、6年生の社会科全単元を網羅する16枚のA3版の業者テストを与え、帰るまでに解いておくように指示しました。帰ってから採点すると、夏目漱石の「漱」などの難しい漢字は書けませんでしたが、ひらがなでもOKという採点基準ならば、全単元に渡って70点以上はとっていました。我が子だと思います。

 こういうところは私と似て良いのですが、似て欲しくないところがあります。それは嫌いなところは勉強しないというところです。このあたりはなんとかせねばと思っています。

bunbun-hbunbun-h2012/02/01 20:13うちの受験生の愚息も同じようなところがあります。
勉強なんてしてなさそうなのに、日本史や世界史や生物などの成績がいいんです。(勉強してないから英語や数学はだめですけど)
戦争マニアっぽい息子が、ようやくに受験勉強体制に入り始めたころのある日のこと、こたつに入って、武器の本をみていたので、女房が「休憩?」と聞くと、「こうやって武器の変遷をみてると、そのときどきの時代背景とつながってくるんだ」と言ったのだそうです。

FlipperKFlipperK2012/02/01 20:26 私も似た経験があります。「社会ってどうやって勉強してんの」と問われても、答えようがなかった記憶があります。
 ちなみに我が長女(岡山でお目にかかったあの子です)も似た傾向があります。困ったことに嫌いなことはとことんやらないという所も似ています。小言を言うと「父親似ですから」と、返されます。

jun24kawajun24kawa2012/02/01 22:12三家族は似ているんですね。

karakusa01karakusa012012/02/02 00:04好きこそものの…でしょうか(笑)いやはやDNAか。我が子もスイミングをやめて、今ハマりきっているハンドボールに転向です。

jun24kawajun24kawa2012/02/02 06:31おたくもなんですね。

tetsu4062tetsu40622012/02/14 22:14暗記に苦労した人間であり,社会科が専門である身としてそのゼミ生とは是非話したいのものです。