西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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12/01/26(木)

[]医療 07:11 医療 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 医療 - 西川純のメモ 医療 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ネットで「「教え合い」や「学び合い」による「教育」は、医師が患者に「治し合い」をしろと言っているようなもの。患者同士がいくら知恵を出し合っても、勉強におけるトリガーポイント・筋硬結は、永遠に見つけられないだろう。」というコメントを見出しました。多くの方が感じることだと思います。

 上記のように思われるにはいくつかの誤解があると思います。

 第一の誤解は、実際の子どもたちが躓いているところは何か?ということです。我々は子どもたちが何を分からないかを膨大なデータから見ています。その結果、子どもたちは教師からは本当に馬鹿馬鹿しいレベルで引っかかります。例えば、「国道って道のこと?」とクラスメートに聞いている子どもがいます。また、「あ、それはここを見れば良いんだよ」と教科書を指し示し、「あ、な~んだ」と言う会話もあります。ところが現状の授業ではそれが出来ません。そして、子どもはそこで学習を放棄します。授業開始5分でどんどん子ども達は宇宙に旅立つのです。

 第二の誤解は、現状の日本の子どもたちの学力分布です。現状の授業は教師しかそのことを知らないという学制発布の時代に形成されたものです。その時代は、コピーは無いし、本も高かった。そのような時代であれば、教師が黒板に書き、それを写すという教育しかあり得なかった。ところが、現状は塾・予備校・通信教材があふれています。さらに親が高学歴になり、中には教員免許状を持つ親も増えました。結果として、どんなクラスにも2割ぐらいは、学校で教える前に勉強済みの子どもが生まれました。そのような子どもは、教師がこの時間で何を言わせたいのかが分かっています。ただし心優しき子どもは、それを授業の最初に言えば、教師の立場がないので、分からないふりをしているのです。

 第三の誤解は、ものを知れば知るほど、深い理解をすればするほど、教え方がうまくなるという誤解です。素人的には正しいように思います。多くの常識なのでしょう。そして、現状の教員養成はそれに基づいています。しかし、これは認知心理学のエキスパート・ノービス研究からも否定されています。ま、そんなことを言わなくても、大学まで勉強した人だったら、教えてもらった小中高大の中で壊滅的に分からない授業をしたのは誰かを思い出せばいいと思います。天に唾しますが、大学教師です。何故、教え方下手なのでしょうか?それはあまりにも分かりすぎるから、分からない人を理解することが出来ないのです。教え教えられるという関係において、分かれば分かるほど良い、という単純な関係は成り立ちません。教え教えられる両者の理解が適度であるとき学びが成立します。従って、教師より子ども(それもそれほど成績の良くない子ども)の方が、教師には理解不能の子どもにとっては良い教え手になります。

 第四の誤解は、分からない子に必要なのは知識・理解だけではなく、それ以上にその子の気持ちにより添うことが必要なのです。例えば、やる気を失っている子どもにとって、ちんぷんかんぷんな授業をする教師が「やろうよ」と言うのと、周りの親しい子どもが「いっしょにやろうよ」と言うのとでは、どちらが効果的でしょうか?やる気がなければ、いかなる授業も無意味です。

 第五の誤解は、子どもの多様性がどれだけかということに関連しています。今の授業は、「分かっている子」、「分からない子」と大づかみに2分法をしています。そして、分からない子ども用の素晴らしい教え方があると思っています。しかし、実際は「分かっている子」も「分からない子」も一人一人違っているのです。分かる子がもっと分かるための方法、分からない子が分かるための方法は、一人一人違っています。どの方法が、それかを判断できるのは当人しかありません。だから、当人との対話が必要なのです。それも膨大な会話が。しかし、このようなことは教師には物理的には出来ません。

 さて、以上を踏まえて、現状の教育を医療に置き換えると以下の通りになります。

 擦り傷だったら消毒して、絆創膏を貼ればいいです。二日酔いだったら、水を多めに飲んで寝ればいい。しかし、そのようなことは医療行為であるとして、大学病院の医者にやってもらわなければなりません。町には町医者がいるのですが、それはたまに大学病院の医者が「やってもいいよ」と許した場合にのみ許されます。このような社会では、全ての人が大学病院に殺到します。結果として、圧倒的大多数は医者に診てもらうことは不可能です。結果として、擦り傷や二日酔い程度の患者は、そのうちに自然治癒してしまいます。しかし、そのような患者のために医療を受けられない癌の患者が、早期発見することなく死ぬのです。

 では、『学び合い』ではどうなるか。擦り傷や二日酔い程度は自分で直します。鼻風邪程度も自宅出直します。しかし、熱が38度以上になったら、町医者に行きます。また、なんかどうも変だな、と思うと町医者に行きます。かかりつけの町医者であれば、その患者の過去の履歴に基づき、だいたいの病気の原因を判断できます。が、それでは判断できない場合、また、重篤な病気の兆候があった場合、大学病院への紹介状を書きます。大学病院では、そのような患者を中心に診察するのです。

 さて、どちらの方が「まし」か?自明だと思います。

追伸 私だって旧来の枠組みでかつては考えていました。今のように考えられるのは、膨大な子ども達の実態を二十年以上積み上げた結果です。多くの方が誤解するのは当然です。

tm43919tm439192012/01/26 12:27「医療&教育熟議」主催者として・・・
『学び合い』を「治し合い」と比べられるなんて、と思ってしまいました。どの誤解もごもっともですよね!
そして宣伝していきます。
http://ik-jukugi.jimdo.com/

jun24kawajun24kawa2012/01/26 12:40ともに人相手の仕事ですから。ね。宜しくお願いいたします。