西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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11/12/30(金)

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今から10年前の「学び合いの仕組みと不思議」(東洋館)で以下のように書きました。

『本書、及び前著において、クラス内で学び合わせる方法とその意味を述べた。しかし、同じ学年の40人の子どもたちだけの学び合いには限界がある。やはり教師が全面に出なければならない場面も多い。筆者としては、出来るだけ子どもを全面に出したい。そのための鍵と感じ、現在研究しつつあるのは「異学年」の学び合いである。優れた部における先輩・後輩の学び合いを、教科活動の中に取り入れたいと考えている(即ち、学び合う学校)。

 この異学年の学びは、言葉としては受け入れやすいが、教科学習の中に異学年を取り入れることをイメージする事は難しいだろう。一人の教師が、同時に二つの内容(例えば5年生の内容と、6年生の内容)を語ることは出来ない。したがって、一人の教師が40人の子どもを教える図式で解釈すれば、教科学習の異学年は不可能になる。しかし、子どもたちが学び合うことを基本におくならば可能である。この学び合いを想像できる方も、異学年=お兄さん、お姉さん/弟、妹の図式で考えがちである。しかし、実際は学年の差はありつつも、固定的な教える/教えられる関係は無くなる。例えば、職員室での関係を思い出して欲しい。先輩教師や後輩教師との関係は固定的ではない。最初は、それなりに堅いものであっても、しばらくすると馬鹿話もするようになる。先輩教師をそれなりに立てつつも、からかったり、遊んだりするようになる。教え方、校務分掌にしても、はじめは教えられる一方だった後輩教師が、逆に、先輩教師に教えるようになる。つまり、雰囲気のいい職員室、それが、学び合いが成立した異学年の姿である。この姿は現在実践研究を進めている段階である。

 さらに、異学年にとどまらない。学校同士がネットワークで結びついた学び合い(即ち、学び合う学校群)、学校外の一般社会と結びついた学び合い(即ち、学び合う社会)を模索している。それによって、社会みんなが救われるのではと考えているが、こうなると宗教に近くなってしまう。筆者の研究室所属のゼミ生には「最終的には「学び合う宇宙」までいけたらいいな」といって、ほら話を締めくくることにしている。

 あなたの前にいる子どもたちを全て救うことが出来る。それも簡単な方法で。こんな夢を一緒に共有しませんか?』

 10年前は理論的そうなるだろう、というレベルでした。が、今は「学び合う社会」の雛形は数年のうちに実現できるところまで来た。我ながら本当に驚いた。

 25年前に大学教師になった。その頃は、高校教師だった時、救いきれなかった子どもの姿を必死に忘れようと思い、とりつかれたように研究し、論文を書きまくった。大学院の同級生からは、どの学会誌を見ても「おまえの論文がある」と言われた。多くの学会から賞を頂いた。達成感もあった。が、自分のやっている研究は研究としては正しいが、自分の心の中にある教師の心に響かなかった。

 平成8年度から意を決した。それまで部分的にやっていた子どもの姿を徹底的に見るという研究にシフトした。その中で『学び合い』を形成し、洗練し、発展させた。みずからの『学び合い』を陳腐化し、新たな『学び合い』に脱皮させた。が、その方向性は当初から全く一致している。なぜ、凡夫たる私がそれを分かったんだろう、と思う。でも、当たり前だと思う。私が創り上げたのではなく、そこにあったから。じゃあ、あと十年でどんな「そこにある」ものを見いだせるのだろう。

きっと、あと十年たてば分かるのだろうな。

o4dao4da2011/12/31 14:41一人も見捨てずに、最後の日まで人から必要とされる人生を送ろう」というものは素敵ですね。

とっても素敵ですね。先日植松努さんという北海道でロケットの部品を作ってナサから受注が来るようになった町工場の方の話を聞きました。ここ数年の話らしいです。

挫折をのりこえながらも、夢はかなう!いっぽでも進めていくことの意義を体感しました。先生がぐんぐん進めていることが希望になります。わくわくしますね。

jun24kawajun24kawa2012/01/01 08:04みんなでやれば、凄いことが出来る。逆に、みんなでやれなければ、首相だってやれることは限られている。