西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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だめで元々で、とりあえずドロップボックス(http://db.tt/bMZAZwx)とjimdo(http://jp.jimdo.com/)の無料アカウントを登録してみてはいかがでしょうか?実に簡単ですから。

本格的にトライする人も多くいると思います。その際、人とのつながりが大事です。身近にいる人と繋がれるとありがたいですよね。『学び合い』を実践される方は、『学び合い』マップ(https://www.google.com/maps/d/edit?mid=zDInXkSSxyO4.kNDji5uDNm0Y)に、是非、登録下さい。登録は、『学び合い』マップ登録フォーム(http://form1.fc2.com/form/?id=77081b4d4f40dd2f)から出来ます。  「私なんて、人になんか教えられるレベルに行っていない」と思う方へ。だからいいんですよ。一番知っている人が、一番の教え手ではないことは『学び合い』を実践しているならば、子どもを見れば分かるでしょ。それに、教える必要はないのです。共に学び合えばいいのです。いや、愚痴を言ったり、笑ったりする、それでいいのです。  是非、一人でも多くの人がマップに登録下さい。強く、強く、お誘いします。

11/10/31(月)

[]上司 20:57 上司 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 上司 - 西川純のメモ 上司 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ふと思います。私は生涯において、直属の上司(指導教官を含む)の悪口、陰口を言ったことは一度もありません。誰に聞いても良い、と断言します。

 ふと思いました。私は幸せだと。

追伸 文句を言ったことはあります。当人に直接。

[]バカ 13:07 バカ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - バカ - 西川純のメモ バカ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 社会人ですので、ごく親しい人でない方に「バカ」とは言いません。

 が、ゼミ生や心許した同志には「バカ」と言います。この場合は、悪い意味はありません。ゼミ生を叱る場合は「愚か」と言います。バカにも二通りの意味があります。経験不足な人が、それ故に失敗する場合に使います。この場合は、「しょうがないな~。可愛いやつ」という意味です。が、「凄い!」、「素晴らしい!」という表現が当てはまる人もいます。

 私の言っていること、書いていることは、多くの人にとって荒唐無稽、新興宗教の様に思われます。しかし、徹頭徹尾、学術論文に基づき、実践の実績を伴ったことに基づいているのですので、私にとってはごく当たり前なことなのです。が、同志の方にさえも「また、言っている」と言われるように思われます。

 本日、福岡の立花高校にお邪魔しました。校長と職員の方々とお会いした。素晴らしい。校長先生と二人で話したとき、ある話を聞いたとき感激して嗚咽をして泣いてしまった。子どもの姿ではなくです。目指している志と、その実績に関してです。同志です。私と同じに、多くの人からバカげていると思われることを信じ、そして実績を上げている人がいる。嬉しい。

[]長崎の会 07:44 長崎の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 長崎の会 - 西川純のメモ 長崎の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日は長崎の会でした。とても良い会になりました。なによりも、今後に繋がる色々な人のネットワークが生まれたと思います。おそらく2年の内にはハッキリとした成果が生まれるはずです。ワクワク

[]夢を語る 07:44 夢を語る - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 夢を語る - 西川純のメモ 夢を語る - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、ふと気づきました。息子に「方法」を強いている点。親子関係は『学び合い』は不可能です。でも、その親子関係においても「方法」は強いてはならない、ということは正しいと思います。むしろ夢を持たせることの方が大事。私の提案する方法が良い方法であったとしても本人が使う気にならない限り機能しませんから。

sakusaku0428sakusaku04282011/10/31 09:39『夢』を大切にして、「方法」は強いない。
夢の実現にむけて、今朝の部活の練習で「てっぺんの朝礼」を取り入れたみませんか?と投げかけてみたところ、話し合いの結果、取り入れてやってみよう!ということになり、今朝の先ほどから野球部で「てっぺんの朝礼」をはじめました。来年の文化祭でステージ発表するのもありかなー、とワクワクしています。

jun24kawajun24kawa2011/10/31 12:59あとの評価は方法を評価せず、結果の評価をね。

scorpion1104scorpion11042011/10/31 21:04長崎の会は、歌のように雨(どしゃぶりの)でしたが予定以上の参加者が来てくださり、驚きました。西川先生のお話は70代の方の心も揺さぶり、高校生の心にも響く素晴らしい講演会でした。
70代の方から今日電話があり、西川先生の御著書を職場の小学校の先生方にお貸ししたいと言われました。すぐに持って行きますと返事をいたしました。
一番に会場に来た高校生のお母様に御礼の電話をしましたら、彼女が帰宅してから2時間『学び合い』の会のマシンガントークをしたと言われました。参加のお誘いをしていただいて本当に良かったと感謝の言葉をいただきました。
それに…参加者の多くの方々が一人も見捨てないという思いを持って参加されたことがフリートークの自己紹介でわかり感動してしまいました。そのような方々に『学び合い』を知っていただいて会を開いて良かった~と心底思いました。
西川先生、運営者としては未熟者で失礼なことも多々あったことをお詫びいたします。次回には今日のことをしっかり踏まえて、3回目の計画をしてまいります。次回、「バカ」と言われるように頑張ります。

jun24kawajun24kawa2011/11/01 04:39大いに期待しています。お馬鹿さん。

11/10/30(日)

[]きっかけ 08:21 きっかけ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - きっかけ - 西川純のメモ きっかけ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日、長崎の先生方に語ったことです。

 暴言・暴力が起こると、教師はその時何が起こったかを聞き出し、その原因を探ります。ところが、その多くが「え?なんでそんなこと・・・・」と思うようなことです。そうなると、その子を「そんなことでも切れる、意味不明の子ども」と考えます。意味不明なのですから確信を持った対処は出来ず、ごく常識的な対処しかできません。そして、それが繰り返されます。そのような繰り返しの中で、徒労感を感じ、へとへとになります。

 実は、これは教科学習の中で「何故分からないのか?」と教師が分からない理由をとな時です。単純に「その場」の情報から解釈しようとするためです。暴言・暴力を繰り返す子どもも暴言・暴力をすると楽しい、というわけではありません。それ以外に選択の無いほど追い詰められイライラが募るのです。1日の中で、いや、数日の中で、徐々にイライラがたまっていって、それが決壊する最後の一歩が「え?なんでそんなこと・・・・」なのです。だから、暴言・暴力の原因を「え?なんでそんなこと・・・・」に求めてもしょうがない。

 では、徐々にイライラをためるような諸事項を一つ一つ解決すべきでしょうか?そりゃ無理だ。たいていの場合、その原因は教師には分からないところで起こっています。家庭での場合、そりゃ、教師がどうしようもありません。そんな問題を起こす家庭の保護者に「こんこん」と説教して何とか出来ると思いますか?学校だって、教師の目の届かないところがある。百歩譲って、それらが全て解明できて、全て対処可能だったとしましょう。でも、そんなことをすれば、教師は「その子」に殆どのエネルギーを費やし、へとへとになってしまう。

 教師に出来ないことはあります。でも、出来る子ともあります。子ども同士がちょっとづつ互いのイライラの解消をすればいいのです。そんなに難しくない。「いっしょにやろうよ」、「それいいね」、「ふ~んなるほど」というような何気ない声がけがあるだけで、イライラがちょっとずつ減らせることが出来ます。

 『学び合い』のようにゴチャゴチャした環境にいれば、少なくともその子は埋没します。そうなれば無意識で教師が出している「あの子は問題児」というオーラを消すことが出来ます。これだけでイライラのかなりを解消することが出来ます。

 『学び合い』では多くの暴言・暴力を繰り返す子をごく普通の子どもに変えています。私自身も地元の『学び合い』学校で何人もその変化を見ています。顔が別人になるのです。そして、担任の先生の顔も。100%解決できるか、と問われれれば「分かりません」としか答えられません。しかし、「まし」になることは100%確信しています。少なくとも今以下には絶対になりません。

 ただ、そのためには「その子」という意識を捨てねばなりません。「その子」のためと思って子どもに語れば、多くの子ども、特に『学び合い』をリードするような子は「何でそんなことするの」と思うでしょう。人は滅私奉公では続きません(我々の研究によればおおよそ最大40日ぐらい)。だから「その子」を一度忘れ、クラス全員のためと考え、クラス全員のためのことをするのです。その結果、「その子」も救われるのです。これはかなりの意識改革を必要とします。

karakusa01karakusa012011/10/30 09:16意識改革…そうですね。でも100%「まし」になることは感じています。まだまだ、なかなか「その子」を忘れるが難しい(苦笑)精進です。

jun24kawajun24kawa2011/10/30 15:27本当に忘れては駄目です。ようは、その子を含めたみんなを救いたいという本来の目的に立脚しましょう。

karakusa01karakusa012011/10/31 00:32もちろんですとも。その子を含めて一人も見捨てない集団作りです。ありがとうございます。

11/10/29(土)

[]願い 21:07 願い - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 願い - 西川純のメモ 願い - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』はシンプルだから、教師の心がもろに子どもの姿に現れる。でも、未熟な私は心で勝負と言われても・・・。でも、心がだめでも、どういう心になりたいか、というところで心優しき子どもは評価してくる。有り難い。

 もちろん、『学び合い』であろうと無かろうと、心ある教師は願っている。ただ、その願いの中に無意識に除外されている子どもがいれば、その子どもはそれが分かる。怖い。でも、逆に言えば、心にあればその子どもも分かってくれる。頼もしいと思います。

[]出会い 20:52 出会い - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 出会い - 西川純のメモ 出会い - 西川純のメモ のブックマークコメント

 出張は嫌いだけど、出張すると新しい出会いがある。本日も、本当にまじめな先生に出会えた。本当に幸せな60代を過ごす方に出会えた。人の幸せは人の出会いにあると思う。

追伸 十年以上ぶりだと思います。完全無欠におごってもらったという経験をしました。

[]出発 06:12 出発 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 出発 - 西川純のメモ 出発 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今から、出発します。

hina-desuhina-desu2011/10/29 06:39お気をつけて。
京都でお会いしましょう。

munehiromunehiro2011/10/29 06:51福岡でお待ちしております。

sakusaku0428sakusaku04282011/10/29 07:27山口上空?(新幹線?)を通過されますときに、『念(今+心)』を送ってください。あっ山口だけでなかったですね(笑)

motoryoumotoryou2011/10/29 09:2228日、上越にお邪魔していました。すぐ戻る必要があったので、失礼ながらご挨拶できませんでした。

maya-1maya-12011/10/29 16:3330日、長崎でお世話になります。

jun24kawajun24kawa2011/10/29 20:49hinaへ
男子三日合わざれば・・・。来しているよ。
muneさんへ
待っててね。
sakusakuさんへ
そういえば、寝て起きて下見たところが山口あたり、年の影響かな~
motoryouさんへ
お~、それは残念。
maya-1さんへ
お泊まりのホテル前を通り過ぎました。あははは

sakusaku0428sakusaku04282011/10/29 22:19ありがとうございます。私は、まずは明日の文化祭顔晴ります!

MugenMugen2011/10/30 00:08お気をつけてお越しください!

11/10/28(金)

[]ツアー 06:54 ツアー - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ツアー - 西川純のメモ ツアー - 西川純のメモ のブックマークコメント

 明日から8日間かけて、長崎、佐賀、福岡、大阪、京都へツアーです。以下の日程で動きます。それぞれに参加したい方は連絡先にご連絡下さい。連絡先のないものは、私へ連絡下さい。飲み会の参加も歓迎いたします。

10月29日 長崎へ 空港到着後直ちに懇談

30日 長崎の会 http://bit.ly/qojpTn 飲み会

31日 立花高校に訪問。昼に佐賀に移動。佐賀県教育委員会にご挨拶。

11月1日 午前 多久市立西渓中学校に訪問。午後 佐城教育事務所で講演 http://bit.ly/pEMiLr 飲み会

2日 終日 多久市緑が丘小学校に訪問 飲み会

3日 福岡の会 http://bit.ly/sTFdiC

4日 大阪府堺市の同志の「教室」を訪問。午後 研究室のメンバーと京都で合流 飲み会

5日 午前中 京都の佛教大学で研究室のメンバーが発表。午後 上越に帰ります。

[]飴と鞭 05:53 飴と鞭 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 飴と鞭 - 西川純のメモ 飴と鞭 - 西川純のメモ のブックマークコメント

  現在、『学び合い』の手ほどきをしている先生に語ったこと。

 クラスに問題があったら、それを子どもたちに語ること。一人で解決できないことを一人で抱え込むより、「まし」です。その際、「その子」が原因とは思わない。その子が悪い、その子が可哀想と思っていると、率直に語れない。その子の問題ではなく、集団の問題だと思う。そして、その原因は自分の心だと思う。その問題を解決することが、みんなの「得」だと確信する。そうでなければ自信を持って語れない。

 悪しき集団主義の場合、連帯責任を問う。また、逆に、ご褒美を与える。しかし、そのもの自体が成り立つことを「得」と思えば、飴も鞭も必要ない。飴や鞭ではなく、一人も見捨てないことが得であり、それが成り立たないと自らが損であることを語るべき。

追伸 ご褒美に、「5分早く授業を終わらせる」という先生がいます。でも、それだと授業が罰になっている。

tetsu4062tetsu40622011/10/28 13:31先生、「佛」教大学ですよ!

jun24kawajun24kawa2011/10/29 00:06修正いたしました。ありがとう。

sakusaku0428sakusaku04282011/10/29 05:17せっかく西日本に来られるので伺ってご報告したいことがございましたが… 週末に今年締めくくりの大会がございまして、優勝するための練習を行います。
今話せることだけお伝えいたしますと…
私がいる宇部市でも『学び合い』の風を吹かせることができそうな感じになってきています。今の校長先生は『学び合い』をわかってくださっていますので、本当にありがたいです。

jun24kawajun24kawa2011/10/29 05:36期待しています。

11/10/27(木)

[]課題 18:34 課題 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 課題 - 西川純のメモ 課題 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』をやり始めた方は、課題づくりが難しいと言われる。確かにそうかもしれない。しかし、努力の方向性が違っている。今までの授業で良しとされていた努力の方向で進むと、元の木阿弥になる危険性が高い。

 『学び合い』の課題は、教科の人が喜びそうな良い課題ではありません。少なくともクラスの2割の成績上位層が誤りなくその問題の意図を理解し、その是非を判断できる課題でなりません。そうでなければ子どもは動けませんから。

 結果として、ものすごく単純な課題になります。そうなると、教科の好きな人は「それは違う」と言われます。しかし、彼らの会話を聞いて欲しい。シンプルな課題を子どもが深い、深い課題にします。本当の問題解決学習をするのです。

 ポイントは、「一人も見捨てず」にです。今まで見捨てられていた子ども分かるまでの会話には、その教科の本質が現れます。教材に目を奪われて「一人も見捨てず」を疎かにすれば『学び合い』は成立しません。しかし、教材研究が足りないと誤解すれば、元の木阿弥へ一直線です。

Kyo_TokyoKyo_Tokyo2011/10/27 19:18いつも、ありがとうございます

「教科書何ページを全員が理解する」

という単純な課題でも、

「全員達成を目指す中で、豊かな学びが生じる」

という訳ですね

成績が良い子たちに

「仲間を助けることは、自分自身にとっても得」

という事を理解させるのに、いつも苦労をしています

でも、子どもたち同士が学び合っている姿は、お互いの成長につながっているのだろうなと感じるので、

担任の先生の協力を求めながら、子どもたちに語っています

私にとっては

教材研究よりは、その課題を学ぶことの意味を考えたり、どうすれば子どもたちがやる気を高めてくれるかを考える方が楽しく感じます

これからも、実践し続けます!

jun24kawajun24kawa2011/10/27 22:17はい。なによりも、教師が信じ、ぶれないことが大事ですね。

imayouimayou2011/10/27 22:34結果につながる課題を考えていきたいと思います。
先週、ほぼテストと同じ問題プリントを『学び合い』でやり、直後にテストをしましたが、平均は86点でした…

jun24kawajun24kawa2011/10/28 05:50平均点ではなく、最低点に着目し、子どもに求めて下さい。『学び合い』の基本は一人も見捨てず、ですから。当然、平均点は驚異的に上がります。はじめはしんどいですが、それが大事。

11/10/26(水)

[]250万ヒット 22:58 250万ヒット - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 250万ヒット - 西川純のメモ 250万ヒット - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ご愛顧感謝します。最近は平均三千ヒット/日です。

[]いわゆる”学び合い18:15 いわゆる”学び合い” - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - いわゆる”学び合い” - 西川純のメモ いわゆる”学び合い” - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ある新聞に「集団の力を活用した教育」に関しての連載がありました。内容は面白いものです。東日本大震災から筆をおこし、日本の文化と「集団の力を活用した教育」との関係を述べています。そして古くからある、班活動、当番制などの「集団の力を活用した教育」の限界を述べたものです。これを読むと、一般の人が考える「集団の力を活用した教育」のイメージと、その限界をどのように考えているかが端的に読み取れます。逆に言えば『学び合い』との違いも端的に表れています。

 非常に興味深かったのは、日本の「集団の力を活用した教育」を積極的に評価する視点が「落ち着いて助け合って学んでいる」というように「落ち着いて」という表現を使っている点です。これは一般の教育者の意見と同じなのでしょう。整然とした学び合いが良しとしているのです。これは、目標は決めるが方法は任すという『学び合い』と、方法も教師が決めるという一般の「集団の力を活用した教育」との違いを表すものでしょう。

 さらに「集団の力を活用した教育」の問題として、「集団の中のメンバーたちは仲良くして、協力し合うけど、集団になじめない者は、排除してしまいがちになる」、「わかったふりをする」という二つをあげている点です。これは『学び合い』と筆者の言う「集団の力を活用した教育」との決定的な違いでしょう。

 おそらく筆者も当然のこととして意識していないと思うのですが、「集団の力を活用した教育」の主語は「教師」なのです。でも、『学び合い』では「集団の力を活用した教育」の主語は子どもです。『学び合い』で強く求めるのは集団になることではなく、一人も見捨てずに課題達成することであり、それを通して一人も見捨てないということが「得」であることを学ばせるのです。一人も見捨てないことを求めていることと、排除とは相容れないものです。

 そして、筆者はフィンランドを例に挙げ、手厚い教育をすべきであると結論づけています。これも違いです。我々は子どもの多様性が凄いことを知っています。35人学級を30人学級にしても25人学級にしても不可能です。一人の子どもが理解するためには非常に長い会話が必要なのです。一人学級を実現しなければなりません。現在、義務教育の教員の給与は5兆円です。もし一人学級を実現するならば170兆円必要です。いや、それでも足りない。子どもと教師の相性がありますから。つまり日本の国家予算を全仏いやしても無理なのです。

35人学級を30人学級にしたとしても焼け石に水です。アフリカの飢餓地域に3000万人の人が飢えに苦しんでいるとします。そこに高価な栄養食品を300万人分送ったならば2700万人は餓死します。その高価な栄養食品の予算で、3000万人分の屑米を送った方が多くの人を救えます。第一、そのような安価な食品の方が体にいい場合は少なくないのです。

筆者の指摘する「教師が集団の力を活用した教育」の現状と問題点は正鵠を得ています。そして、現状での常識で導き出される結論は、教師のマンパワーと滅私奉公の検診という物量作戦しかありません。でも、それでは焼け石に水です。

ま、『学び合い』が理解されれば、上記のことが笑い話になると思いますが・・・・。日本の教育の不易な部分を守っている方々に理解してもらえるには、少々時間がかかるでしょうね。でも、あくまでも少々です。

bunbun-hbunbun-h2011/10/26 23:54主語は「私」ではなく「私たち」なのです。

(『・・・主語は「教師」なのです・・・』に、インパクトを受けたので、それに呼応して、自分自身のメモとしてもここに書きました)

jun24kawajun24kawa2011/10/27 05:44え?どこのぶぶんでしょうか?
セオリーに関わる部分は我々、それ以外は私に意識的に書き違えていますが

bunbun-hbunbun-h2011/10/27 08:01もちろん反論とか批判とかではありません。
『・・・主語は「教師」なのです・・・』あたりに何か強く感じる(プラスの意味で)ものがあり、コメントに書いた言葉を思いました。
反論みたいなまぎらわしいコメントでした。すみませんでした。

jun24kawajun24kawa2011/10/27 17:03いえいえ、単純に誤字があったかと心配した次第です。

FlipperKFlipperK2011/10/27 22:11>教師のマンパワーと滅私奉公の献身という物量作戦

「滅私奉公」する先生がいい先生であり、それが当たり前だと6年前までは思っていました。
 ちょっと考えればあり得ないことなのに、そうなっていない現実がまわりにゴロゴロしています。

jun24kawajun24kawa2011/10/27 22:18『学び合い』をやればそれが見えますよね。そう見える教師を少しずる増やし、潰れる教師を救いましょうね。

11/10/25(火)

[]得 14:17 得 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 得 - 西川純のメモ 得 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 何故、日本を変える、ということが得なのかを質問されたので回答します。ま、以下に長々書きましたが、子ども達に「一人も見捨てず」ということを求めることが得であると説明するのと同じです。


「日本を変える」は無理じゃない

 私はゼミ生に、我々は日本を変える集団だ、と語り、求めます。ま、「何言ってんの?無理じゃん」と思うのが普通です。が、私は信じています。これに関しては説明が必要ですね。

 権力者は日本を変えられるが、一般市民は変えられないと思いますよね?でも、思い出してください。ここ十代の日本国首相を思い出してください。名前を思い出せますか?そして、その人がやった「日本を変えたこと」を思い浮かべられますか?おそらく、十人を思い出せなかっただろうし、思いさせたとしても、その人がやった「日本を変えたこと」を思い出せない人ばかりではないでしょうか?

 日本は1億人以上の巨大組織です。そのトップが何らかの命令をしたとしても、それを実際に行うのは人です。例えば、十のことをやったとしても、それが閣議で大臣に伝わり、それが事務局長、局長、課長、課長補佐、係長という本省のラインで伝言ゲームをすることになります。そして、各段階では上の命令を解釈する部分があるのです。もし、解釈で0.9倍にしたとしたら、10段階の伝言ゲームをすれば、3分の1になってしまいます。その伝言ゲームは、地方の行政組織に伝わるのです。結局、日本国首相であったとしても、それを実現する末端までの数多くの人の協力がなければ何も出来ません。

 職階が上がれば、権力を持てば大きなことを出来ると思う人は、永遠に何も出来ません。何かを成す人は、どんな職階であったとしても、様々な人と繋がりながら、自らの夢を語ります。そして様々な人と繋がりながら、自らの願いを洗練させます。そんな人が願いを叶えます。

 無理と思う人は、「自分が無理」と思っているから無理なんです。でも、私は出来ると思います。なぜならば、私は「我々は出来る」と思っているからです。

 日本を変えろ、とゼミ生に語っている私は毎日何をしているでしょうか?非常に、規則正しい生活をしています。

 6時に起床です。直ちに着替えて家のカーテンを開けます。6時10分ごろ、まだ眠りたい、と言っている息子の布団をはがし、コチョコチョとくすぐります。家内が朝食と私の弁当づくりを始める頃に、息子の朝学習をチェックします。その合間に、メールチェックをします。7時10分ごろに息子と朝食開始、7時30分ごろ朝食終了。息子の仕上げ磨きをして、制服に着替えさせます。7時45分に家の前に集まる近くの子どもを学校に送り出します。直ちに車に乗って大学へ。8時に大学到着。直ちに、メールチェックをします。この時間帯までに、全国からの質問メールに応えます。11時30分に学食に行きます(50分には授業がおわり、混みますので)。11時50分に食べ終わり、メールボックスに手紙を取りに行きます。12時から2時半ぐらいまで学内の書類づくりやブログをアップします。2時半ぐらいに学生さんのいる場所でお茶を飲みながら馬鹿話をします。3時半ぐらいに研究室に戻り、メールに返答をします。6時ぐらいに院生さんの場所に行き、本日、問題がなかったかを確認します。6時45分に帰宅です。7時に自宅に着きます。直ちに息子に体温をチェックさせ7時10分ごろに風呂に入ります。風呂から上がって、息子の髪の毛を乾かします。息子がテレビを見ている脇で、メールに返信します。7時45分ぐらいに夕食開始、8時半ごろに終わります。その後、息子の仕上げ磨き、パジャマを着させ、8時50分には布団に入れ、添い寝です。9時40分頃に添い寝から出て、メールチェックをします。その頃、家内は風呂に入ります。10時半頃、髪を乾かした家内とテーブルでゴチャゴチャと話します。10時45分頃、メールチェックをして、11時就寝。

 私の1日は基本的に上記の繰り返しです。そして、私の過ごしている時間の最も多くの時間を費やしているのは、全国の見知らぬ人からのメールに返信すること、そして、ブログに記事をアップすることです。ごく普通のことを毎日、毎日、やっています。今まで私に質問メールをした方だったら知っているはずです。一度たりとも、不誠実に返信したことはありません。ときにはA4版で5ページ以上のメールも書いています。そして、きわめて早く返信しています。それをずっと十年以上続けています。

 どこに劇的なものがあるでしょうか?なんもありません。でも、この毎日の積み上げが日本を変えることであることに確信を持っています。現在、関西で『学び合い』が広がったのは、見ず知らずの3人の学生さんが土曜日に突然合いたいと言ってきたので2時間ほど話をしたことが原因です。現在、神奈川で『学び合い』が広がったのは、一人の大学生の方が、『学び合い』をみたいと言ってきたので相手をしたからです。宮城で『学び合い』が広がったのは、『学び合い』の会場で私に議論をふっかけた相手に、最後まで説明し続けたからです。福岡で広がったのも、高知で広まったのも、メールでの質問に最後まで返信しつつけたからです。・・・・・・。全部、全部、聞かれたら、頼まれたら、自分の出来ることをした、というだけのことです。

 そういう人たちが全国にいます。直に合うのは年に1度ぐらいかもしれません。いや、1度もない人もいます。でも、その方々の息づかいを私は感じています。それぞれの人がネットワークなり、その人たちが出来ることをやっています。一人一人のやっていることは劇的なものではなくとも、それらの積算したものは大きなものになります。さらに、1+1が2ではなく、4にも6にもなることを知っています。

 ゼミ生には、日本を変えることは凄いことをすることではない。自分の出来ることがあるはずだ。それをやればいい、と言います。例えば、ブログやミクシーでも良い。アマゾンの書評に書き込みをすることでも良い。知り合いに話すことで良い。どんなことが、その後に大きな変化を引き起こすか分かりません。そして、それが大きな変化を引き起こすことがなくても、もし、一人の教師の心に届けば、数百、数千の子どもに意味あることを成していることであり、尊いことであるとかたります。

 私はゼミ生に意図的に広い範囲の同志と繋がる機会を与えています。そして、彼らの成果がより広い範囲に影響を与える場を提供するよう政治をします。彼らは、今、数人の学生が学校を変え、地域を変えることが出来る可能性を感じ始めています。私が求めた日本を変えると言うことは、あながち荒唐無稽ではないと確信する学生が増えつつあります。

 つまり、日本を変える、というのは荒唐無稽ではないのです。「自分」と思えば、それはそうです。そして事実です。日本国首相だって無理です。でも、「我々」と思えば、それは不可能ではないのです。ポイントは自分ではなく「我々」なんです。

 では、出来るとして、何故、それを私はゼミ生に求めるか、そして自らにそれを課すか?それは、「得」だからです。一人の子どもに拘っている限りは出口はありません。むしろ一人も見捨てない集団を作ることの方が可能性はある。

 考えてみてください。日本を変えるということを大学生や現職者に言ったら、荒唐無稽と思いますよね。でも、クラスの子どもに一人も見捨てずに、と求めることは子どもにとっては同じように荒唐無稽です。だって、クラスと言ったって、話したことの殆ど無い子どもは少なくない。ハッキリ言って嫌いな子どももいます。ましてや異学年学習で百人を超える集団で『学び合い』、一人も見捨てるなと言ったって荒唐無稽だと思います。

 単学年の『学び合い』をしていると、「○○ちゃんは言っても聞いてくれない!」と涙ながらに教師に訴える子がいます。そして、保護者に先生が手抜きしていると訴える子がいます。十中八九、特定の一人、もしくは数人が「お世話係」になってしまった場合です。また、異学年学習で「教えるばかりで自分たちの勉強にならない」と訴える高学年がいます。これまた、高学年の数人が「お世話係」になってしまった場合です。残念ながら、それらの原因は、個にこだわっている教師の心なんです。とにかく、気になる子を世話する子がいて、なんとか問題が解決しているならば、それはありがたいという気持ちです。これを解決するためには、みんなが実は得であるということを語らなければなりません。

 そして、子どもたちは、その語りを聞いて、その教師の「腹」を探ります。考えてみてください。異学年の『学び合い』をしている教師が、「自分のクラス」のことばかり考えていたら、どうでしょうか?単学年の『学び合い』をしているとき、「気になるあの子」のことばあかり考えていたらどうでしょうか?ばれてしまいます。では、異学年の『学び合い』の時、その異学年のことを考えていたらOKでしょうか?私はそう思いません。おそらく、仲間や同僚だったらOKでしょう。でも、管理職とは認めてくれません。自分たちより上の次元で考えられ、それを自分たちの次元に矛盾無く繋げられるからこそ管理職と認められ、その管理下で動くのです。これを校長に置き換えれば理の当然ですよね。

 私は教師としては西川ゼミが高い成果を上げ続けることが求められています。そして、今、西川ゼミは二十代そこそこの学生も、学校をどうあるべきかを考えねばならない課題を持っています。いや、学校同士をどのように結びつけるか、学校と地域をどのように結びつけるかを課題としています。なれば、彼らに「日本を変える」という課題を与えるのは必然です。そして、彼らにそれを私が求めるためには、私自身の言動がそれに矛盾無いものでなければならない。そして、彼ら以上の視点で課題を考えられねば管理職として認めてもらえない。

 長々と書きましたが、以上に書いたことが、『学び合い』の学校観と子ども観に一致していることはお分かりだと思います。その「多様な」という言葉、「有能である」という言葉の意味が高いレベルなのです。もし、子どもにそれを求めるならば、教師もそれに矛盾しない言動をすべきです。でも、無理ではないのです。自分でやるのではなく、みんなでやればいいのですから。そして、それが得なのです。多様・有能であるという言葉の意味を限定的に考え、それで問題が解決される方ならばどうぞ。でも、スーパーマンでない凡夫である私はそれが出来ないから『学び合い』をやっています。

「日本を変える」は得

 私の指導教員は小林学先生です。本当に優しくて素晴らしい先生でした。東京都の高校の教師でしたが、若くして指導主事に抜擢され、そして、文部省の教科調査官になり、筑波大学の教授になられた方です。私が東京都から合格通知を受けた後、その小林先生にどうやったら出世できるかを聞いたことがあります。その時、小林先生が笑いながら話してくれたことです。

 小林先生は私に、「採用されれば、いろいろな研修団体の会に参加すると思うよ。その会に出席して受け付けをしたとき、何をする?」と聞かれました。ま、名簿に名前を書いて、会場に移動します。しかし、それでは駄目だそうです。小林先生曰く、受付の人に「何か手伝うことはないですか?」と聞くことだそうです。おそらく、最初は断られるでしょう。でも、二三度申し出ると、仕事が用意して待ってくれる。そして、終われば、打ち上げに参加します。そうすると、今まで出会えない人と会うことが出来る。情報が広がり、より高度な仕事が与えられる・・・・。

 この話を最初に聞いたのは学生の頃です。そのころは「ふ~ん。そんなもんか。つまり、頭を下げて仕事をすれば報われる」というような話として理解していました。ところが、大学に勤めるようになって、本当の意味が分かるようになりました。 小林先生の話は「出世」というものより一般性の高い意味が含まれています。人は等質な人とつきあうのは楽なのですが、得をするのは異質な人とつきあうことなのです。考えて下さい。人類の歴史の中での交易は異質な者同士の間でなされました。海岸近くの人は山の人と物を交換しました。それは海岸近くの人にとってはありふれた物が山では価値ある物であり、山ではありふれた物が海岸近くでは高価な物になるからです。だから、両者がともに「得」だと思うから交易が続いたのです。

 これは物ばかりではありません。情報もそうです。アメリカの社会学者が、結婚相手を誰に紹介されたか調査しました。その結果、親友や肉親ではなく、それほど親しくない知人からの人が多かったのです。何故でしょう?それは親友や肉親が知っている人は、当人も知っている人なのです。その人の中で相手がいないのですから。(実は私の場合もそうです。)

 さて、上記のことが分かり始めたのは、大学に就職してからです。大学の教員だと、二十代後半の私も現場のお偉いさんと一緒に飲む機会は少なくありません。そして、大学教員だと気楽に色々な話をしてもらえます。そこでの愚痴の多くは、使える若手がいないと言うことです。たいていの教師の視野は自分のクラスに限定され、主任レベルでも学校レベルに限定されます。そして、市や県レベルのことを考えている人は殆どいません。ところが、県指定・文科省指定の研究会があり、そこで汗を流してくれる若手・中堅がいないのです。教頭試験がちらつく年代には、そういう仕事を頼め、受ける人はある程度いません。しかし、それより若い年代では殆どいません。でも、どんな会でも若手・中堅・ベテランには別々な役割があり、それぞれを担う人が必要なのです。結果として、教頭試験がちらつく年代で市や県レベルの仕事をしても目立ちませんが、若手・中堅時代にそれをやる人は光るのです。だから、若手・中堅のお偉いさんの中での評価はある程度一致します。

 小林先生の話を最初に聞いたときは、若手の教員の側からの視点でしか見えませんでした。しかし、実は使える若手をお偉いさん達はひどく求めているということが分かりました。

 このことは私も当てはまります。私は四十代の前半に新しいコースの立ち上げの中心メンバーにいました。そして四十代前半に新しい専攻(教職大学院)の中心メンバーにいました。普通だったら数十人のチームで立ち上げますが、上記のコースの立ち上げの場合、その基本コンセプトをほぼ一人に任せてもらえました。そして専攻の立ち上げの場合、その基本コンセプトはもちろん、スタッフの構成に至るまでありとあらゆつことを任せてもらいました。当時の大学管理職はもちろん、立ち上げの中心メンバーの方々が私を信頼していただいたからです。

理由は、私が自分の研究室やコースというレベルではなく、常に大学や日本の教員養成をどうしたらいいか、というレベルで考え続けたからです。それも半年、一年のレベルではなく、十数年というレベルでです。結果として、関係法規の施行令・施行規則レベルのことを学びました。様々なことを事務職員の方から教えてもらいました。だから大学管理職にも議論をふっかけますし、ご下命をいただけば直ぐに案を提出できます。だって、既に用意しているのですから。結果として、自分の考える研究環境や教育環境を確保することが出来ます。

 事務職員の方々は、大学の置かれている環境が厳しいことを理解しています。しかし、それに対応すべき教員が少ないことを困っています。だから、私が議論をふっかけるような職員の方にとっては私は有り難い存在だと思います。つまり、互いにメリットがあるのです。これは大学管理職にとっても同様です。地元の偉いさんが使える若手・中堅を必要としているように私を必要としています。そして、私にとっては、自分の願う研究・環境を確保する権限のある管理職が私を認めてくれるのは有り難い。

 おそらく横並びのことを毎年やって、来年も同じようなことをする人にとっては志を高くする必要性はあまりないでしょう。そして、目の前の子どもが阻害されていたとしても、それは「その子が悪い」、「保護者が悪い」、「日本の教育システムが悪い」と合理化する人も志を高くする必要性はあまりないでしょう。

 が、その人は幸せなのでしょうか?起きている時間の殆どの時間を占めている勤務時間に誇りや楽しみが無くて幸せとは私には思えません。子どもを見捨てて合理化している人も安穏とはしてはいられません。今の時代の保護者は民主主義で育てられています。権利意識も高い、かつ、論も弁も立つ方がいます。

 学校の職場の教育力は著しく下がっています。無計画な採用計画の結果、年齢バランスが崩れたためだと私は確信しています。結果として、先輩のサポートを受けられない若手が大量に生まれました。逆に言えば、若手のサポートを受けられず、若手と同じ意識で授業をして潰れていく中堅が生まれました。考えて下さい。若手でも中堅でもベテランでも、どうしようもなく忙しい時や、家庭・健康の問題で頭がいっぱいになるときはあります。その時、ちょっと助けてもらえれば、それを乗り越えることが出来ます。しかし、普段の助け・助けられる関係が無くてそれが出来るでしょうか?自分のことでいっぱいいっぱいの同僚が助けてもらえるでしょうか?逆に、自分のことでいっぱいいっぱいのあなたが同僚を助けるでしょうか?無理です。そして、一般職員と管理職が対立的にすることによって管理しようとしている現状では、それらの職場の関係を改善するする力は管理職にはありません。

 今、教師の200人の一人は心の病で休職中です。ということは職場において一人や二人はその予備群という現状です。さて、このような状態が「幸せ」でしょうか?

 これを打開しようとしてスーパーマン教師や滅私奉公の教師になろうと努力している人がいます。が、スーパーマン教師になれるのはごくごく一部です。日本中の100万人の教師の中で千人もいません。滅私奉公でやれば家庭は崩れます。不良を救って、我が子を不良にしては幸せになれるわけありません。

 ではどうしたらいいか?自分の学年・教科・学校・市・県を越えた人と繋がることが「得」なのです。それも、あなたと異質な人と繋がることが「得」なのです。では、どうすればいいでしょうか?自分の学年・教科・学校・市・県を越えた志を持ち、それを実現する行動をすればいいのです。それ故、私は「日本を変える」という志を掲げているのです。もちろん最後に獄死するような革命家になる必要はありません。先に述べたように、毎日、普通にやれることをすればいいのです。

でも政治をしてください

 市や県が違う人と繋がれることは重要ですが、同時に、同じ職場の人と繋がれることも大事です。 私は筑波大学第二学群生物学類に入学しました。同級生は80人です。その中に非常に変わった人がいます。A君としましょう。A君は、私の学生宿舎の部屋の隣の隣です。ところが、彼を宿舎で見かけることは殆どありません。A君は授業で見かけることは希ですし、いても目立ちません。なにしろ「A君としゃべった」ということが同級生の中でホットな話題となりました。我々はA君は人と話すことが好きじゃない人なんだな~っと思っていました。ところが、「A君が、知らない数人と話していた。それも笑いながら!」という驚愕のニュースが同級生の中で流れました。みんなは信じられませんでした。

 しばらくして、A君はある宗教団体に属していること、そして、その宗教団体の人とは話すこと、ということを知りました。そして、それによって、その宗教団体のことをカルト的に捉え、非常に嫌な印象を持ちました。その宗教団体にかぶれるとA君みたいになるんだな、と思うようになったんです。そして、A君は途中で退学しました。同級生との関係を絶って卒業できるほど大学は甘くはありません。A君も同級生との関係を絶って卒業できるほどの能力はありませんでした。

 他山の石です。『学び合い』を知れば、多くの教師が「良し」としているものを全く別な視点で見ることになります。多くの教師が見逃している「アラ」がよく見えてしまうのです。私は『学び合い』が従来型に比べて圧倒的に優れていると思います。従来型と「いいとこ取り」のようなことが出来るような差ではなく、圧倒的に優れていると思います。が、それは従来型と『学び合い』の比較です。従来型の授業をしている人と『学び合い』の授業をしている人の比較ではありません。圧倒的大多数の教師は善意の人です。そして、我々はみんな愚かである部分を持っています。みんな同じです。変な選民意識を持ってしまえば、A君のような行動になります。そして、A君のような行動をすれば、『学び合い』がカルトのように思われてしまいます。それは本人にも『学び合い』にも不幸です。

karakusa01karakusa012011/10/26 06:24『学び合い』を実践しつつ、1人の子どもに拘っている自分がいます。反省です。
>一人の子どもに拘っている限りは出口はありません。むしろ一人も見捨てない集団を作ることの方が可能性はある。
「一人も見捨てない」まだまだです…精進

jun24kawajun24kawa2011/10/26 07:07その迷いは大事です。個を見捨てたくないという思いが原典なのですから。http://bit.ly/nTEpOO

sakusaku0428sakusaku04282011/10/26 17:11《不良を救って、我が子を不良にしては幸せになれるわけありません。》前回放送された仮面ライダーフォーゼにこのようなシーンが描かれていました。気をつけたいと思います…

jun24kawajun24kawa2011/10/26 18:32基本は自分、そして家族です。教師は幸せにならねばならない。だって、不幸な教師に良い教育は出来ませんから。

11/10/23(日)

[]個 12:16 個 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 個 - 西川純のメモ 個 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は息子の学校の文化祭です。様々な学年の子どもたちの出し物があります。大抵のクラスは集団を見ることが出来ます。が、息子のクラスの場合は、息子しか見えません。

sakusaku0428sakusaku04282011/10/24 05:01お月さまが大きく見えるのと同じですね。私も同じですが、ときどき同級生を見たときに、「この子大きくなったなー」と感じることがあります。毎日見ていないからこそ気付けることかもしれませんね。

jun24kawajun24kawa2011/10/24 19:42はい。我が子の成長は分かりにくいものです。

11/10/22(土)

[]誰もいない 19:27 誰もいない - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 誰もいない - 西川純のメモ 誰もいない - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は午前、午後、夕方の3回大学に行きました。午前も午後も、だ~れもいません。あれ?っと思いました。しかし、理由が分かりました。我がゼミの入っている学校では文化祭・学習発表会の集中日です。その関係で準備と当日で、ゼミ生は出払っていました。夜に行ったら、鍋を囲んでいるゼミ生がいました。いいな~っと思います。

 食べたら受験勉強があるよ。

追伸 こんな風に学校と関わるので、学校の先生から忘年会に誘われる関係になれます。これは学部の教育実習ではあり得ないことですよね。

imayouimayou2011/10/22 22:45いつもお世話になっています。うちの学校の学習発表会もゼミ長他2名の院生さんにお手伝いいただきました。
日頃の教育活動でも皆さんの手を借りなくては成しえないことばかりなので、とても助かっています。
今回は念願の院生さんを含めての打ち上げを開催することができました。

jun24kawajun24kawa2011/10/23 06:49お世話になっております。相互が得るものが多い関係が一番ですよね。

11/10/21(金)

[]得 22:00 得 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 得 - 西川純のメモ 得 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、ゼミ生から「何故先生は日本を変えろ」というのか?と聞かれました。このことはHPに公開しています。だから「HPにアップしているよ」と言いましたが、あれじゃ分からない、と言われました。あははは。さもありなん。答えは得だからです。

http://bit.ly/qPr6t1

hina-desuhina-desu2011/10/21 23:30多くの先生と、「日本を変えよう。それが自分にとって得だ」という意識の先生であっても教師という仕事は、仕事であって両者に変わりは無いという点に引っかかっていたんです。
ありがとうございました。

jun24kawajun24kawa2011/10/22 19:22期待していますよ。

11/10/20(木)

[]自己嫌悪 22:09 自己嫌悪 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 自己嫌悪 - 西川純のメモ 自己嫌悪 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 意味不明なメモです。

 科学の真理を明らかにする自然科学者の場合、その明らかにした真理と明らかにした人の人格とは別に考えてもらえる。しかし社会科学者の場合、明らかにした真理と明らかにした人の人格は不分離です。社会科学の場合、明らかにされたものが正しいか、否かは、自然ではなく「人」集団が判断するから。

 『学び合い』は私にとっては自然科学、数多くのデータに裏打ちされた生物学の延長上にあります。が、多くの人の場合は社会科学と捉えられている。となれば、『学び合い』を語る私は『学び合い』と同様にシンプルで、揺るぎなくならねばならない。ま、それは可能だと思います。『学び合い』は非常にシンプルだから。しかし、それに矛盾していないと思われなければならない。アスペ傾向の「頭の良い中学生」レベルの社会的能力の私は、それは不可能のように思います。

 私が高校教師だったときの原罪が、『学び合い』を知れば何が原因かが分かります。過去の罪はあがなえない。でも、それが再現されない社会が出来そうに思えます。それの障害に自分はなりたくない。

 もっと人格的に大人で、学識も高く、高潔な人が背負ってくれたら、もっと早く、もっと広く『学び合い』が広がったのではないか、と思います。例えば、佐藤学先生だったら、と。足下さえ危うい私です。足下だからこそ。

[]反省 19:26 反省 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 反省 - 西川純のメモ 反省 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 反省し、仕切り直し。あらゆることをやり、少しでも救われる子どもを多くしたい。

bunbun-hbunbun-h2011/10/20 22:20すでに『学び合い』を語る者はたくさんいるんですから、先生もその者たちの、そのうちの1人であっていいんじゃないでしょうか。
そうであれば、先生も(もちろん私も!)その者たちが多様であることに貢献している1人になるのですから。

tontan2tontan22011/10/20 22:28私たち実践家がそれを証明していきます。
ちなみに関わった者としては、佐藤先生も西川先生も変わりないくらい人間性・人格・能力に優れた人だと思います。

jun24kawajun24kawa2011/10/20 22:40bunbunさん
 そのことは私が分かっています。が、そうでもない部分があることも事実です。私の至らなさを、『学び合い』の至らなさに繋がることを恐れるのです。現在の自然科学のように個人を離れる段階に早くなって欲しいと願うのです。そうすれば、はやく、引きこもれる。
tontanさんへ
 そうtontanさんのようなかたを引きつけられるのは『学び合い』のセオリーだと思います。私ではありません。おそらく私が書くことは、正しいことです。が、私自身はアスペ傾向の賢い中学生なのです。事実と理論の分離がなされれば気楽です。私もあなたより優れた部分はあるでしょう。あなたほど人間性・人格・能力で優れていない。

jun24kawajun24kawa2011/10/20 22:59追伸です。引きこもる前までは、踏ん張れますので。

tontan2tontan22011/10/20 23:06大丈夫です。
私も今日もツィッターで「あなたはアスペルだから検査した方がいい」って言われてるくらいですから(笑)。逆にそれくらい突き進む能力がないと学びの仕組みなんて解明できなかったと思います。

bunbun-hbunbun-h2011/10/20 23:12逆にそれくらい突き進む能力・・・才能ゆえですよね。
私も才能はないけど変わり者ではあるんでしょうね。
でも、
その変わり者を増やそうと、子どもたちを集めてクラブやってます。
実は。

scorpion1104scorpion11042011/10/20 23:39こうして公に吐露されることにご誠実さを感じます。自己嫌悪の塊のような自分に近しい部分をお持ちなのだと勝ってに親近感を覚えます。西川先生が『学び合い』の入り口に立っていてくださるから、惹かれて入るものもたくさんいると思います。西川先生のお人柄ならばこそです。失礼をかえりみず書いてしまいました。お許しください。

sakusaku0428sakusaku04282011/10/21 05:26少々心の風邪をひかれているようですね。
半信半疑で送ったメールに直ぐ応えていただいたときの感動を今でも昨日のように覚えています。私もそんな人になりたいと思っています。
私は中国の会をきっかけに心のインフルエンザが治り(厄も抜け)絶好調で驀進中です。
明日は、佐藤学先生とお会いする機会(市内の中学校の公開授業)がございますが、『学び合い』を広めるために、質問をさせていただこうと考えています。

jun24kawajun24kawa2011/10/21 06:49皆々様へ。言葉足らずでした。
全国的なレベルのことだったら、bunbunさんのご指摘のごとく、私は一つのパーツだと思っています。また研究者としての私だったら、この年齢にしては、かなり優秀だと思っています。しかし、上越の地での広がり、西川ゼミの教師としては至らぬことが多く限界を感じます。が、セオリーに戻って一晩考えましたので、現状を理解しました。私のやるべきことはセオリーに戻ることです。それでOKかは分かりませんが、「まし」であることは確かです。

ima-kiyima-kiy2011/10/21 11:37遠くの地でどんなに成果が上がっていても、ごく身近なところでつまずくと、そちらに目が奪われてしまいますよね。何があったか、つい想像してしまいます。
でも、純ちゃんはそのままの純ちゃんでいてください。

jun24kawajun24kawa2011/10/21 19:38はい、もちろんです。

FlipperKFlipperK2011/10/21 20:55 少なくとも私はネット上で先生の『語り』に触れなければ、『学び合い』との出会いはもっと遅れていたと思います。私はまずセオリーではなく、人柄に触れたのだと思っています。

jun24kawajun24kawa2011/10/21 22:02たいした男ではありませんが。有り難うございます。

11/10/19(水)

[]小規模校の連携 11:25 小規模校の連携 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 小規模校の連携 - 西川純のメモ 小規模校の連携 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ある小規模校では、小規模校同士の職員忘年会が計画されています。そして、その先には小規模校同士の合同修学旅行です。これがどれほどの実利的なメリットがあるか、小規模校に勤務された方だったらお分かりになると思います。これが実現できるのは、日常の教科学習で連携を深められる『学び合い』の強みです。

 あははは

chinjichinji2011/10/19 12:22私が以前勤務していた学校では、4校で修学旅行に行っていました。教科学習では連携はしていないので、まず合同の修学旅行から入った形になります。ただ、それだと、継続性に書けるので、なんとも物足りない感じがありました。

今後、強科でも連携できるとパワーアップするだろうなと感じています。

小規模校同士の実践、生で見てみたいです。

jun24kawajun24kawa2011/10/19 14:25期待しています。条件はそろいつつあります。

11/10/18(火)

[]原因 22:06 原因 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 原因 - 西川純のメモ 原因 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 意味不明なメモ。どこが原因か、『学び合い』を分からないと分からないよな。結果として起こったここの具体事例に目がいくなよな。

11/10/17(月)

[]問題解決学習 11:25 問題解決学習 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 問題解決学習 - 西川純のメモ 問題解決学習 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 同志の学校の管理職が問題解決学習を推進し、『学び合い』を蛇蝎のように嫌う場合があるかも知れません。その時、どのように理解すべきか、簡単にメモりたいと思います。

 問題解決学習は戦後教育の成立と共にデューイの教育学が導入されました。しかし、その後、それが批判され系統主義に傾いたことに対抗するため上田薫先生が中心となって「社会科の初志を貫く会」が立ち上げられ、それが現在の問題解決学習に繋がっています。

 おそらく、同志の御校の管理職は専門は社会で初志を貫く会に所属された方なのかも知れません。

 長い実践の蓄積の中で様々な指導法が開発されました。しかし、それとともにどんどん形骸化していったのです。残念ながら。

 デューイや上田先生の著作を読めば、その願いは民主的国家の形成者を育成し民主主義を根付かせたいという願いが最上位に位置づけられます。ま、『学び合い』であれば「一人も見捨てない」にあたるものです。そして、それを実現するために「日常の諸問題」を解決することを授業で進めました。

 が日常の諸問題を解決することを推し進めれば、当然、旧来の教科の内容がおろそかになります。結果としてその反動がおこり系統学習が復権しました。このような振り子の動きは何度もありました。最近では「ゆとり学習」の反動がありましたよね。

 上田先生や初志の会の方々は、次の系統学習の中でも問題解決学習を根付かしたいと願いました。そして、それをより広い教師(つまり、それほど力量のない教師でも)が実践できるようにするため、様々な指導法が開発されました。そして、社会科以外の教科にも広めようとしたのです。が、繰り返しますが、その過程で、問題解決学習が目指している民主的国家の形成者を育成し民主主義を根付かせたいという願いが薄れてしまいました。そして指導要領のしばりから、「日常の諸問題」を解決することから外れました。当然、「日常の諸問題」ではなく教科の内容の問題解決であれば、子ども達がそれらを解決しようとする必然性は低まります。それを補うために様々なテクニックが開発されましたが、どうしても教科の不得意な子どもに必然性を感じさせることは難しくなります。それによって、「問題解決学習は結局、成績上の数人が活躍し、大部分の子どもは置いてきぼり」という批判が生まれるのです。

 さて、問題解決学習の実践を積まれた方の中には、『学び合い』を蛇蝎のように嫌う方がいます。しかし、その根幹はまったく同じなのです。だって、「民主的国家の形成者を育成し民主主義を根付かせたいという願い」と「一人も見捨てない」ということが矛盾することでしょうか?

 戦後の問題解決学習では、なんとか既存の教科内容を日常の諸問題にしようと苦労しました。ところが『学び合い』の場合教科内容はいじくらずに、「一人も見捨てない」という日常の諸問題を解決することが出来るのです。これが問題解決学習とどこが違うでしょうか?残念ながら根本の願いが忘れ去られているように思うのです。問題解決能力を育成すること自体が問題解決学習の願いではありません。あくまでも民主的国家の形成者を育成し民主主義を根付かせたいという願いだと思うのです。

 テクニックのレベルで見れば対立するかも知れません。でも、願いのレベルで見れば、同じ方向を向いています。結局、その是非は、どのように教えているかで判断するのではなく、それで運営されているクラスがどれほど民主的であるかで判断すればいいのです。

追伸 『学び合い』の見た目に惑わされ、その背後にある「一人も見捨てない」という強力な原理原則、そして、そのための教師の指導力が見過ごされてしまい、あたかも無政府状態と誤解する方も多いので困るのです。

maya-1maya-12011/10/17 11:52私は、社会科の免許を持っており、長い間中学校の社会科に携わってきました。西川先生もおっしゃっているように生徒美菜が問題解決のための必然性を持っていれば問題はないのですが、なかなか荘は行かないのです。現時点で、私は、『学び合い』は究極の問題解決学習であるととらえています。

jun24kawajun24kawa2011/10/17 12:03私もそう思います。そう思える社会科の方もいますし、そうでないかたもいますね。

takami_swctakami_swc2011/10/17 22:21問題解決学習についてとてもよくわかりました。完全保存版にします。
問題解決学習の本筋を理解している人たちとは理解し合えるような気がします。でも,我々を苦しめているのはそんな志の高い人たちではないような気がします。そのような人と折り合いをつけていくにはどうすればいいのでしょうか。

jun24kawajun24kawa2011/10/18 05:56いえいえ、横並びでなく、問題解決学習に取り組もうとする方は志の高い方です。が、今の段階で理解できない人はいます。あくまでも「今」は。そういう方とは距離を置き、分かる人を増やせばいいのです。

11/10/16(日)

[]新たな試み 19:05 新たな試み - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 新たな試み - 西川純のメモ 新たな試み - 西川純のメモ のブックマークコメント

 素晴らしい可能性のある試みです。お誘いします。http://bit.ly/rc7MiI

[]次 06:45 次 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 次 - 西川純のメモ 次 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 一夜明ければ、次が開始します。

 物事、出来る前は荒唐無稽に見えても、一度出来る子とが分かれば、あとは簡単です。おそらく小々連携はゼミ生ご日常の活動をやりながらでも、連携する小学校を支援することは出来るでしょう。事実、昨日のうちに今年中に3つの小学校が合同で『学び合い』をする目鼻はつきました。

 では次は何でしょう。一つは小中連携というより、中学校区の小中学校群の形成です。これが出来上がれば、中1ギャップ、高一ギャップを乗り越えられ、小規模校で育った子どもが潰れないようになれるでしょう。

 二つ目は、保護者を学校に巻き込むことです。最初は家庭科のミシン指導で保護者の協力を得る、放課後学習を地域で維持するなどの道筋があります。でも、それはごくごく入り口に過ぎません。本当にやりたいこと、それはイベントではなく常態にすることです。例えば、教室で子どもたちが『学び合い』をやっている後ろにちゃぶ台があり、そこでは3、4人の保護者と担任が、お茶を飲みながら四方山話をするのです。職員室には大机があり、そこには十人弱の地域のシルバー世代がいます。そこでも、学校の職員とお茶を飲みながら四方山話をするのです。その人達は、クラス・学校で何かがあったら「はい、喜んで」と支援する人です。例えば、自習監督が必要→「はい、喜んで」、テストの○付け→「はい、喜んで」、ルーティーンの書類づくり→「はい、喜んで」です。中には、退職された教員の方もいるでしょう。その方は、教職員の一員として参加します。特殊な技術が要求される場合もあるでしょう。例えば、水道管が壊れた→地域の方が知り合いの地域の人に電話をする→駆けつけて部品代だけで修理してくれる。このようなことが常態になったら、その学校は数千万円の予算を持っていると同じです。高齢化する日本において社会が成立するためには、高齢者を死ぬ寸前まで働いてもらわなければなりません。そして、それが生き甲斐にならねばなりません。

 上記の二つが成り立ったら。それは新たな地域コミュニティーを創造することが出来ます。日本の多くの人たちの幸せを保証することが出来ます。もちろん僻地に限らず、大都会においても同様です。今、都市部の学校の中には、一学年一クラスの小学校は山ほどあります。

 妄想します。学校にはものすごい可能性がある。と。

tontan2tontan22011/10/16 19:40紹介ありがとうございます。子どもにとっていい形にしていきたいと思います。

jun24kawajun24kawa2011/10/16 20:31直感です。大化けしましょ。楽しみです。

11/10/15(土)

[]越後『学び合い』の会 21:43 越後『学び合い』の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 越後『学び合い』の会 - 西川純のメモ 越後『学び合い』の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今、懇親会を終えました。

 断言します。開会式からはじまる懇親会までの一連の越後『学び合い』の会、私が教育の世界に入ってから、最高の会でした。とにかくトータルで素晴らしい。教師が成長し、子どもが成長し、保護者が成長し、地域が成長するという会でした。このうちの一つか二つだったら他にもあるでしょう。が、四つが全て成り立った会でした。参加者が本当に楽しめた会でもあります。

 すみません。断言します。本日、来なかった方。あなたは損をしました。あはははは。参加しなければ、分からないよな~

 懇親会の締めは、『学び合い』を学校に導入した3人の校長の出し物です。若手・中堅のいる中で、童心に帰れる管理職、素晴らしい!

 あ~。私は幸せです。

 が、この瞬間に、この会が私にとってスタンダードな会になりました。この会を乗り越える会を生み出さねば。もちろん、勝算はあります。ふぉふぉふぉ

[]越後『学び合い』の会 08:06 越後『学び合い』の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 越後『学び合い』の会 - 西川純のメモ 越後『学び合い』の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 さあ、今から出発です。今日一日、思いっきり楽しむぞ!

Joyfull1129Joyfull11292011/10/15 23:18うーん、行けばよかった…。損をしたかもしれません。

o4dao4da2011/10/16 00:11あたたかい空気をめいいっぱい感じました。ありがとうございます。

karakusa01karakusa012011/10/16 00:52帰りました。本当に参加して良かったです。ありがとうございました。
したたかに進めます。

yukari0841yukari08412011/10/16 05:32本当にありがとうございました。いろいろとご迷惑をおかけしました。懇親会には参加することができませんでしたが、それでも、私も今までで最高の会だと感じていました。閉会時の先生の言葉に懐の大きさを感じました。朝、駐車場についてから、閉会までの西川研の皆さんの振る舞いに感心いたしました。また、成長のプロセスを感じることができました。西川研のOさんには最初から最後まで本当にご迷惑をおかけしました・・・が・・・・これからも・・・よろしくお願いします。両校の校長先生とお話しできたこと、南能生の保護者の方から声をかけていただけたこと、木浦の校長先生を通じて、地域の方とつながることができたこと・・・そして、数回しかあっていない子どもが日常のくらしのことを話題に話しかけてくれたこと・・・・どこを切り取っても、本当にありがたいことです。西川先生・・・最高の会でした。ありがとうございました。

jun24kawajun24kawa2011/10/16 05:56joyfullさんへ
 ふぉふぉふぉ
o4daさんへ
 オジサンの心配していること。前に進めるんですよ!
karakusaさんへ
 ご参集ありがとうございます。でも、懇親会に参加したら面白方ですよ。色々あったけど、三人の校長がバカ面白く、有り難い、寸劇をしてくれました。本当に懐の深い方々です。これ「も」この世界に入ってから初めて見るゴージャスな出し物でした。
yukariさんへ
 よかった、よかった。やって、すんごく、よかったね!

ogymogym2011/10/17 00:25ありがとうございました。研究室発各校での広まりの様子から『驀進中』を実感しました。こちらでも、したたか~に、進めていきます^^;。

jun24kawajun24kawa2011/10/17 06:48期待しています。今度は複数で来てね。

chia_nechia_ne2011/10/17 22:41先日はお世話になりました。ありがとうございました。久しぶりにお会いでき、久しぶりに会に参加させていただき、また元気をいただきました。大事な「学び」についてもお話できて楽しかったです。ありがとうございました。

jun24kawajun24kawa2011/10/18 05:54どんどん、繋がりましょう!

11/10/14(金)

[]西川ゼミ 05:50 西川ゼミ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 西川ゼミ - 西川純のメモ 西川ゼミ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 毎年のことながら、あるゼミ生が自分たちがどっぷりと『学び合い』の中にいることを気づいていないということを気づきました。もし、西川ゼミの運営を小中学校に置き換えるとどうなるかを書いてみました。

 まず、時間割はありません。子どもたちには教育基本法・学校教育法・指導要領の原文が与えられます。そして、それらを一人も例外なく達成することを求めます。子どもたちは教室にはあまりいません。ま、三分の二以上は、教室の外にいます。彼らは指導要領の定めることを一人も例外なく達成するため、図書館に行ったり、他の学年の人と話し合ったり、いや、他校の小中学校、いや高校に行っているのです。中には、学校の時間に塾に行っている子もいます。一人一人が使える有効なツールを選択し、活用します。部活等の課外活動はありません。その代わり、放課後も子どもたちはずっと自主的に勉強しています。時間の区切りは無く、休み時間はありません。休みたい人は一人一人休むのです。給食も、一定時間内ならば各自が食べたいときに食べるのです。従って、子どもたちの学ぶ時間は、各教科で規定される時間より遙かに上回ります。朝の会、終わりの会はありません。大事な情報はネット上のやりとりで共有します。意志決定と面と向かった情報共有は毎週1回のホームルームでやります。しかし、そこには教師は殆どいません。ホームルームの運営は、子どもたちが異学年で行っています。

 じゃあ教師は何をやっているか?順不同で書くと以下のようになります。

1) 様々な子どもたちの活動を実現するにはお金がいります。施設が入ります。それを獲得するための書類書きや交渉をします。

2) 様々な子どもたちの活動を実現するには、他の組織の協力が必要です。そのための調整や交渉をします。

3) 食事やお茶はいっしょにして馬鹿話をします。

4) 週に1度は面談を行い、相談を受けます。

 以上のことは、今まで教師がやっていたことをしなくてもいいのでやれるのです。最後に、

5) 集団が不健全になってきたら、分析し、謝り、仕切り直す。つまり説教します

 以上はビックリするような状況だと思います。現状に囚われず、教育法規を冷静に読めば、上記が法に触れることではないのです。つまり、出来ることです。では、西川ゼミと小中との決定的な違いは何か、選択の権利が子どもたちにあるかどうかです。もし、各ゼミへの配属が出席番号で配属されるものであるならば、私はゼミ生に対して「法で定められた範囲」の課題を与えるでしょう。しかし、希望によって所属するので、彼らには「自分の心に響き、多くの人の心に響く教育研究を通して、自らを高め、一人も見捨てない教育・社会を実現する」という課題、簡単に言えば、日本を変えろ、という課題を与えることが出来ます。ありがたいことです。

 今日明日、この数年のゼミ生(以下の「ゼミ」には趣旨に賛同する他のゼミ生も含まれます)、特に現ゼミ生の知恵とエネルギーの蓄積で創り上げた越後『学び合い』の会が開かれます。ゼミ生の前では常に「当然」という顔を保っていますが、冷静に考えればとてつもないことを彼らはやりとげています。楽しみです。

追伸 上記のように運営されているため、越後『学び合い』の会の詳細は私は知りません。が、さすがに二日前になっても私が何時にどこに行けばいいかぐらいは知らねばならないと思ったので、お願いして教えてもらいました。ちなみに、ゼミのコンパの連絡が私に「だけ」届いていなくて、コンパ係が「あ、先生に連絡していませんでした。すみません」ということは非常に良くあることです。これには困ります。

sakusaku0428sakusaku04282011/10/14 07:22後半は「親はなくとも子は育つ」的だなと思いながら読まさせていただきました。
西川先生に紹介していただきましたHPですが、おかげさまで、今朝だいたい完成いたしました。ありがとうございました。
これだと、学校のHPなんかも同僚のいろいろな先生方に関わっていただきながら簡単にできそうです。

jun24kawajun24kawa2011/10/14 08:19でしょ!あとはドロップボックスを利用すれば鬼に金棒です。http://db.tt/bMZAZwx

11/10/13(木)

[]グランドデザイン 07:05 グランドデザイン - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - グランドデザイン - 西川純のメモ グランドデザイン - 西川純のメモ のブックマークコメント

 職業柄、色々な学校のグランドデザインを見ますが、しっくりしません。どこかで見たことがあるな、と思うのです。多くの学校で研究発表大会で研究主任が説明する「本校の研究仮説」の図と同じです。

 ○何でもかんでも関係ありそうな言葉がちりばめられている。

 ○それらの優先順序、もしくは因果関係が無い。

 ○とにかく全部を矢印で結んでいる。

 このような図は、全く意味をなしません。何故なら、その言葉の中で矛盾することがあります。「規律正しい」と「自律的」というのもそうです。何故なら、多くの教師の場合「規律正しく」とは教師の命令通りになるということです。結果として、自律的とは教師の命令通りに自律的になるという意味不明のことを求めてしまいます。また、優先順序が曖昧になります。結局、その場その場に応じて、管理職が都合の良い言葉を絵乱舞ことになります。

 私がもし『学び合い』で学校をつくるとしたら、そのグランドデザインは「一人も例外なく、多様な人と折り合いをつけて自らの課題を解決できる子どもにする」という言葉が図の真ん中に位置します。それだけでも良いと思います。しかし、もし地域連携とか保護者との連携とか学習指導とか・・・という言葉を位置づけるとしたら、矢印の方向は「一人も例外なく、多様な人と折り合いをつけて自らの課題を解決できる子どもにする」から他への一方向です。また、矢印も交差せず単純です。つまり、学校における様々な問題が起こったら「一人も例外なく、多様な人と折り合いをつけて自らの課題を解決できる子どもにする」という一つの基準に照らして判断します。

 グラインドデザインとは本来そういうものです。やりたいことの羅列ではなく、やりたいことを勧める上での基準であるべきだと思うのです。ま、世のしがらみで、そう書けないことはよく分かります。

11/10/12(水)

[]うん、その通り 06:46 うん、その通り - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - うん、その通り - 西川純のメモ うん、その通り - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』に関して、○○流とか自校化ということに私は抵抗があります(http://bit.ly/n2s6sC)。それは『学び合い』を科学のようなものだと考えるからです。でも、それぞれが色々な方向性を求めるのは当然です。でも、違和感を感じていました。それがどこのところか、もやもやしていましたが、ゼミ生の一文を読んで納得しました(http://amba.to/q90jqG)。それは、○○流とか自校化と言う人は方法のところを言います。例えば、「最後に確認テストを入れる」とか、「一人の考えを確立する時間を設ける」とか。でも、本当はどんな子どもの姿を実現したいか、というとこにこそ○○流とか自校化があるべきなのです。

 例えば「最後に確認テストを入れる」というのは、「その課題を確実に出来る」ということでしたら、良いように見えます。しかし、教師が確認テストを入れなければ課題達成が出来ない子どもが、その人のその学校の目指すべき子どもの姿とは思えないのです。教師がそのようなことをしなくても、自分が、周りの子どもが確認テストをすることのほうが目指すべき姿だと思います。「一人の考えを確立する時間を設ける」も同じです。大人になれば、どんな雑踏の中でも自分の考えをまとめることが出来なければなりません。うるさいから職場の人たちに「静かに」と求められる人はいないでしょう。また、何も考えずに人に聞く大人が職場で生き残れるわけもありません。職場では色々な人から声をかけられます。その際、「ちょっと待っててね」と言えなければなりません。

 つまり、○○流とか自校化と言われる場合、「その場」のことのみで、目指すべき姿が無いのです。私は一人も見捨てないという願いのことを話したいのに、「その場」のことを気にされてそこが抜け落ちているからモヤモヤしていたのだと思います。

追伸 ゼミ生である二十四の兄ちゃんがこれだけの文章を書けることを誇りに思います。ま、西川ゼミの教育方針が正しいと言うことですけど。フォフォフォ

追伸2 もちろん○○流とか自校化と大上段に振りかざすのではなく、今の自分のクラス・学校の現状に鑑みて、しょうがないから方法に走る、というのは「あり」です。目指すべき子どもの姿を見失わず、それに至らない現状を恥じて、その方法を使う分には。

11/10/11(火)

[]ありがたい 22:48 ありがたい - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ありがたい - 西川純のメモ ありがたい - 西川純のメモ のブックマークコメント

 我がゼミのゼミ生の常識人の先生だったら馬鹿げている提案を受け入れ、それを高めていただける学校がある。教師として、ただただありがたい。

[]救い 22:10 救い - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 救い - 西川純のメモ 救い - 西川純のメモ のブックマークコメント

 以下で書くことは、ブログで書くべきではないと分かっているのですが、ムカムカ感が強すぎるので書きます。

 私は特定の宗教を信じていません。強いていれば汎神論です。その根本3つのことを信じています。一つは神・仏はいるだろう。二つはそれは全知全能だろう。第三はそれは生きとし生けるものを愛しているだろう。というものです。大抵の宗教は概ね、その方向性は正しいものです。が、個々の細かいところになると、矛盾が生じます。特に、二つ目と三つ目が矛盾します。例えば、全知全能の神仏がいるとして、何故ホロコーストがあったのか、何故、広島・長崎の原爆があったのか。私の身近だったら、私が高校で教えた子どもたちは、何でそういう人生を子どもの頃から歩まなければならなかったのか。(神学的な解釈は色々あると思いますが、それは以下で書く、無学な在家には無縁なことですから)

 私なりの解釈は、現世は色々あるけど、来世はそんなことがどうでも良いほど幸せになるのだろう、という至極、楽天的な解釈で落ち着いています。

 ということで、特定の名号や念仏を唱えるだけで来世の幸せが保障されるという宗教に親近感を感じます。私の家の葬式仏教は浄土真宗です。ということで、親鸞さんは高校から読んでいましたし、好きでした(が、基本的に私は無宗教です。)。その浄土真宗のことをわかりやすく解説する人で、前から読んでいた人の新刊書が家に届きました。読みました。げんなりします。書いていることは原典に即しており、正しいと思うのです。が、同時に、それじゃ無学の在家は絶対に救われないだろうと思うのです。今の時代だったら、それを要求しても応えられる人は少なくありません。しかし、人類の圧倒的大部分の時代、つまり、生きるだけで精一杯の人は絶対に到達できないことを要求しています。それが弥陀の本願とは思えないし、それが弥陀の本願だとしたら、無学な在家の人にとってはちんぷんかんぷんです。

 ここまで書いても問題なのに、以下を書き加えると、きっと「そんなこと書くと誤解を生むから書くべきではない」と言われるだろうな、と思いながらも書きます。

 『学び合い』は非常にシンプルな原理原則で構築している科学と近い理論だと思っています。でも、その理論の根本は「一人も見捨てない」ということです。もし、『学び合い』の手引き書に書いてあること、導入書に書いてあることを理解していなければ、『学び合い』は実践できないとしているならば「一人も見捨てない」ということに矛盾します。だから、全員、分からなくても良いのです。集団の2割程度がある程度分かっているならば、8割は生分かりでも大丈夫です。それは、『学び合い』のクラスでで起こっていることですよね。クラスの大多数が本当に理解していることを必須としていたら、普通のクラスでは永遠に『学び合い』は実現するわけありません。ごく一部でも本当に理解して、まわりが「いいんだろうな~」と思うレベルでOKで十分だと思います。現状が人数が少なすぎるので、やっている人は2割にならなければなりません。でも、広がれば、大多数は生分かりでOKだと思っています。

 日本は日本国憲法によって動いています。が、日本国憲法を「平和主義」、「主権在民」、「基本的人権の尊重」に直接関わる条文「以外」を知っている人が日本人にどれだけいるでしょう。いや「平和主義」、「主権在民」、「基本的人権の尊重」に限っても、そのデリケートな表現の意味することを分かっている人がどれほどいるでしょう。殆どいません。でも、分かっている人も少数います。それで良いのだと思います。

 一人も見捨てない、と言うことに矛盾する記述にムカムカしてこれを書きます。その方が親鸞さんの原典に即して学術的に正しいことを書いたとしても、私には納得できません。弥陀の本願とは、無学な、生きるに精一杯で、親鸞さんの原典を読む時間もない人ももれなく救うものだと、私は信じています。

[]毎日 19:40 毎日 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 毎日 - 西川純のメモ 毎日 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 毎日、毎日、自分の出来ることをします。それがずっとやれば、大きなことが出来ると夢想します。

karakusa01karakusa012011/10/11 22:57ときどき『学び合い』は宗教的だ…といわれることがあります。でも今、僕はそれを信じています。

jun24kawajun24kawa2011/10/12 06:53科学は人類史上最も成功した宗教だと思っています。私は『学び合い』は宗教か?と問われれば、科学と同じ宗教ですと応えたい。科学は常に成長しつつある宗教です。開祖がだれかとも分からない昔から、数千年を経ている居間においても成長しています。そして、歴史に残るきら星のごとき偉大な科学者は、過去の科学者に乗り越えられる存在です。また、科学は神格的な個人に属しません。理系人間の私としては、そう理解しています。そして信じています。

11/10/10(月)

[]有能 17:14 有能 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 有能 - 西川純のメモ 有能 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ある方から「先生の考えている、「子どもたちは有能」とする考え方の「有能」とは、とくに子どものどういったところを「有能」と考えていらっしゃいますか?私は、子どもたちの「知的好奇心」のことかな?と、ある本を読んでいて感じました。」という質問を受けました。大事なことなのでメモります。

 私の考える有能とは文字通り、有能です。

 例えば、アインシュタインとある学校の6年生の一クラス30人と比べましょう。

 与えられた課題が微分方程式を解くという課題だったら、アインシュタインの方が遙かに有能です。おそらく日本中の全部の6年生を合わせたより有能でしょう。

 しかし、3桁の足し算を筆算で計算するという課題だとしたら、30人の6年生の方が有能だと思います。だって、アインシュタインだって6年生の30倍速く計算できるわけではありません。30人で分担すれば、遙かに早いはずです。仮に30倍計算が速く立って、30倍速く筆算を「書ける」わけありません。

 そして、そのクラスが『学び合い』をやっているクラスだったとしたら、そのクラスの●ちゃんが計算間違いをしたとしたら、その原因は何かを言い当てる事に関しては、アインシュタインはそのクラスの一人にもおとります。そこで必要なのは、どれだけの時間を共有しているかが決定的ですから。

 そして、そのクラスの●ちゃんがやる気をなくしたとき、「やろうよ」と声をかけたときの影響力も、そのクラスの一人よりもアインシュタインは劣ります。

 そう考えれば、現実の教室で一人一人の子どもが悩んでいることを一人も見捨てずに解決することに関して、子どもたちは有能であると私は考えるのです。

11/10/09(日)

[]良い先生 19:09 良い先生 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 良い先生 - 西川純のメモ 良い先生 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 もし、「良い先生に必要なものは何ですか?」と質問すれば、圧倒的大多数の人は「話が面白い・分かる授業が出来る」と答えるでしょう。細かいところでは「板書が綺麗・整理されている」等が出てくるでしょう。多くの教師の職能に関する研究は、このようなものに基づいて質問項目を構成しています。ですので、当然、「話が面白い・分かる授業が出来る」という設問に対して多くの人が○を選択します。

 では、みなさん、皆さん思い出して下さい。皆さんの教えてもらった先生の中で、一番、良い先生だな~っと思う先生を思い出して下さい。その先生は「話が面白かったでしょうか?」、「授業は分かりやすかったですか?」、「板書は綺麗・整理されていましたか?」。おそらくそうではないですね。

 今から十年以上前に、そのような調査をしました。その当時は、教師は面白くて分かりやすさが勝負だ、と思いこんでいた私にとっては驚愕の結果でした。しかし、同時に『学び合い』研究にシフトしつつある時期だったので、その結果を理解することも出来ました。考えてみれば当たり前です。

 我々は授業の仕方で教師を見ているのではありません。授業の仕方のみならず、ぼっとしているときの姿、とっさに出る一言、その他様々のその先生から出る情報を元にして、その先生を解釈します。その結果をメンバーで共有します。その結果、かなり正確に評価でいます。

 対教師だったらかなり過去であるため、忘れているかもしれませんし、不正確になっていると思います。では、校長に置き換えて下さい。良い校長とはどんな人ですか?という質問に応えて下さい。そして、過去に仕えた校長の中で良かった校長を思い出して下さい。それらは一致していません。

 良い先生という言葉と、実際の良い先生は別物です。しかし、残念ながら「良い先生」という言葉に基づいて教師の職能を想定し、それに邁進する教師がいます。子ども「たち」は、もっと深いところ、「人」を見ているのですが・・・・

[]中学校理科 08:58 中学校理科 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 中学校理科 - 西川純のメモ 中学校理科 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 千葉大学附属中学校で理科の『学び合い』の授業が公開されます。11月11日です。お誘いします。http://bit.ly/n5wevT

[]ショー 07:50 ショー - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ショー - 西川純のメモ ショー - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私が高校現場の教師だったときの話です。学生実験で2時間かけた炎色反応の実験を、期末試験のテスト問題に出しました。その実験は好評であったため、目論見としてはいい点数を取ってくれるのではと思っていました。しかし、結果は散々です。そこで、答え合わせの際、「これこれの実験をやったのに何故解けなかった?」と聞きました。ところが、クラスの大多数は「そんな実験やっていない」と確信を持って答えていました。いろいろ、その実験の説明をしたところ、最後に彼らが言った言葉は「あー、あの赤く光った実験!」でした。私は炎色反応の実験を見せたつもりだったが、生徒は「赤い光の実験」として見ていたのでした。

 昨日、テレビを見ていたら、サイエンスショーが放映された。それなりに楽しめます。サイエンスショーの後に、その実験が科学とどのように関わっているかを語ります。その人が全米で優秀教師に選ばれたことが紹介されます。視聴者、そして番組制作者も、そのような実験は理科教育の正しい姿のように印象づけられたのではないかな~っと思いました。

 ある教師の研修団体での授業コンテストを参観したときがあります。出演者は様々な趣向で授業を構成します。漫才のしゃべくりを駆使したり、教具を活用したり、はては侍の扮装をした人がいました。私は言葉のおもしろさを駆使しながらも、教材の本筋を捉えている方の授業が良いかな、と思ったのですが、侍の扮装の人が最優秀でした。もちろん、ショートしては素晴らしいことは私も同意です。子どものために努力されていることも分かります。が、ショー化すること重きを置きすぎ、大事なところを見失っているように感じるのです。

 ショーは一発勝負です。だから、話術も大事、演出も大事です。が、授業は違います。子どもは授業ではなく、教師「その人」で学習するか否かを決めます。その教師が、子どもたちをどういう存在だと思っているか、何のために自分は教師でいるのか、というスタンスが大事です。教師は芸人ではありません。もちろん芸人の能力が合った方が良い。でも、その能力を持つ人はごくわずかです。修行すれば達するのではなく、才能の問題です。これが分かっていないな~っと思うのです。

ogymogym2011/10/09 22:05>皆さん思い出して下さい。
>今から十年以上前に、そのような調査をしました。

経年後の振り返りによる「教育の結果?影響?調査」のような研究、多くあるのでしょうか。
 ビンタをする先生の評価が友人によってまったく違っていて面白いと思ったこと、教師成りたての頃子ども時代にあれだけ多量に授業を受けているにもかかわらず恩師の授業をほとんど思い出せず不思議に思ったこと・・・とても興味あります。

jun24kawajun24kawa2011/10/09 22:14人によって評価が変わるのは、個で対応したからだと思います。
人として意味あることを伝える教師になりたいものです。

11/10/08(土)

[]孫 10:52 孫 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 孫 - 西川純のメモ 孫 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 他ゼミの学生が勇気をふるって私に質問に来ました。内容はマインドマップに関してですが、話は「教科の力は教師の方が高いから、教師が子どもの躓きをみとるべきだ」という考えに根ざしていることが分かりました。色々と説明しました。が、踏ん張って議論しました。可愛いものです。

 私には孫はいません。でも、孫弟子はいます。孫のように可愛いものです。是非、再挑戦して欲しいです。

http://bit.ly/nnBjPO

11/10/07(金)

[]直接子どものためになる授業検討会 22:25 直接子どものためになる授業検討会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 直接子どものためになる授業検討会 - 西川純のメモ 直接子どものためになる授業検討会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、地元の新井北小学校で授業公開がありました。自校や近隣の学校の先生方や指導主事の方が参加されるものです。決して大々的な会ではありません。しかし、私が知りうる様々な会の中でもトップクラスの素晴らしい会でした。

 概略を言います。

 6年生のクラスが『学び合い』授業の公開をしました。久しぶりに見るクラスですが、一皮むけた感じがします。本年度から始めたクラスですが、なんか、文化になっているなと先生と子どもたちの姿から伺えます。

 隣の5年生は自習です。『学び合い』の自習です。その学校の校長が「なんだ、こっちも見ればいいのに」と言い、その担任の先生もいたずらっぽい目で笑います。子どもたちに公開しても良いか?と担任の先生が聞くと、子どもたちが元気いっぱいOKです。ということでこちらも公開です。こんな授業公開は『学び合い』以外ではあり得ないでしょうね。あははは

 授業を終わっての検討会です。

 課題はみんなが『学び合い』を理解するという課題です。それを6年生の子どもと参観者の前に言います。どうぞと言ったとたんに子どもたちが参観の方々にちって議論し合います。参観の方々も、色々な子どもたちと話し合います。自由です。その集団は、アメーバーのように常に変わります。

 参観の方々からは、かなり厳しい質問もあり、子どもたちがじっくりと説明します。それが、どの子も、どの子もしっかりと語れる姿によって、『学び合い』が本物だと言うことは分かっていただけたと思います。

 そして、感動ものだったのは、最後のまとめです。司会の方から参観の方々にコメントを求めました。その全ての方々のコメントが秀逸でした。『学び合い』によってどんなところが成長したか、そして、どんなところが課題かを、愛情豊かにそして的確に子どもたちに語っていただきました。本当にためになる授業検討会です。

 多くの授業検討会は、授業者と指導した指導主事、そして司会者が中心になって動かす、教師だけが参加する会です。しかし、今回の会は子どもが参加し、教師も子どもも直接役に立つ検討会になりました。

 素晴らしい。その一言です。これだけの素晴らしい会が、ごく少人数の教師しか味わえないなんて、本当にもったいない!

11/10/06(木)

[]連載 23:04 連載 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 連載 - 西川純のメモ 連載 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 日本教育新聞で半年間の連載の機会を頂きました。この前終わりましたが、こんどは教育新聞から連載の機会を頂きました。場は違っても、分かっている人はいて、機会を与えていただける。ありがたいことです。

[]特技 22:15 特技 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 特技 - 西川純のメモ 特技 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私の特技であり、欠点であること。それは、人の苦しみを、共感できる。これが強すぎるので、辛いことも多い。でも、それだから今の自分がある。

追伸 自分の言ったことがどれほど無神経かを分からないという欠点がある。これは家内からよく叱られます。

[]頭が下がる 22:17 頭が下がる - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 頭が下がる - 西川純のメモ 頭が下がる - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ゼミ生にはなかなか言いませんが、本当に頭が下がる。偉大だと思う。

11/10/05(水)

[]福岡の会 22:04 福岡の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 福岡の会 - 西川純のメモ 福岡の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 11月3日に福岡の会があります。http://bit.ly/ns9Dhn

[]群馬の会 22:01 群馬の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 群馬の会 - 西川純のメモ 群馬の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本年度の群馬の会は1月28日です。第一報です。

[]大事なこと 06:46 大事なこと - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 大事なこと - 西川純のメモ 大事なこと - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』を成立させ、維持できるか否かのポイントは「一人も見捨てない」という願いと、それから生じる理想の高さ、だと思います。

 例えばテクニックを併用すれば、つまらなそうにしている子どもは必ず生じます。人間にとって他の人間ほどオールマイティの興味関心の対象はありませんから。もちろんカリスマ性の高い、プレゼン能力の高い人がそれをやればかなりの割合が興味を持つかも知れません。でも全員ではありません。さらに言えば、そのカリスマ性の高い、プレゼン能力の高い人であっても、いつもハイテンションで授業をやることはできません。そうなればつまらなそうな子どもは生まれます。

 さらに、そんな授業をやっていれば、阻害される子どもは生まれます。なぜなら、そのような授業は教師が引っ張る授業です。従って、その正否は教師が責任を背負っていると子どもは認識します。そうなれば、他のこのために何かをするという「面倒」なことは手を抜きます。さらに、クラスメートは教師の歓心を奪い合うライバルになります。結果として阻害される子どもは生まれます。

 一人も見捨てないという強い願い、そして一人でも見捨ててしまったらどんな恐ろしいことが起こるかという恐れが弱いと、それを見過ごし、「自分が良い授業をする」ことに集中してしまう。本当は「自分」ではなく「全ての子どもにとって」なのですが。

 一人も見捨てない、という一点を守っていれば、子どもたちはどんどん高まります。そうなれば、自分自身も高まらなければなりません。彼らが自分のクラスの一人も見捨てずということを考えているならば、もっと高い次元で一人も見捨てずを意識し、行動しなければなりません。そうでなければ、早晩、オピニオンリーダーの子どもが手を抜き始めます。

 と偉そうな事を書いていますが、私自身も「一人も見捨てず」というこうことが弱くなることがあります。そうすれば、私のクラスである西川ゼミに問題が生じます。ただ、長く『学び合い』につきあっているので、復帰も早い。つまり、結局、「一人も見捨てず」、それに基づく学校観・子ども観に立ち戻るしかないということは分かっていますから。そして、常に高い理想を持っている全国の人と繋がることによって、自分の理想の高さを維持し、高めています。

 私も色々な教師と出会いました。亡くなられた佐藤準一さんのように最高のクラスを創れる人には強烈な願いと確信があると思います。

 そして、万人にフィットする、最高の教材、最高のテクニックは「人」なのです。全ての教材、テクニックは、一人一人の子どもに合わせたオーダーメイドであらねばなりません。ところが、「人」以外の教材・テクニックはオーダーメイドにすることは出来ません。最高の教材・テクニックは一人も見捨てないということが自身に「得」だと理解している集団なのです。

bunbun-hbunbun-h2011/10/05 18:47子どもたちのおかげで、一人も見捨てないという強い願い、が、一人も見捨てないという温かい願いへと、自分自身が変わってきているような気もします。それが今の仕事のなかでの自分自身をも助けてくれているという実感があります。

bunbun-hbunbun-h2011/10/05 18:51追伸(補足) 今の自分の仕事で、めげそうなのを助けてもらっているような、ということです。めげる≒壊れる

jun24kawajun24kawa2011/10/05 22:02繋がりは力です。人はそういうもんですよね。

munehiromunehiro2011/10/06 21:01福岡の会ご紹介ありがとうございます。
いい会になるように、精進しております。

jun24kawajun24kawa2011/10/06 22:06絶対になるに決まってます!

11/10/04(火)

[]ネットワーク 06:47 ネットワーク - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ネットワーク - 西川純のメモ ネットワーク - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今、『学び合い』の教室同士をスカイプで繋ぐプロジェクトがフェイスブックでとんたんさんたちが進行中です。これが本格化すれば凄いことが出来ます。楽しみです。昨日は、一つの学級と私が繋がりました。子どもは可愛いな。

tontan2tontan22011/10/04 23:09おもしろいでしょ? 「学び合い」に限らず様々な実践者がおります。多様な方々がいていろいろ面白いです。これを例えば県単位のグループ、へき地校のグループなどでやってみるのも面白いとおもいます。問題は、アホなセキュリティーと情報管理です。アホなセキュリティーは、都市部だとwimaxなどの外部のネット回線引き込むことでかのうになりますが、へき地だとちょっと難しいですね。また、管理職や保護者の同意を得ないで勝手にやるとトラブルになる可能性もあることを考えなければなりません。そのためには下準備がとても大切です。でも「面倒だからいいや」とあきらめるにはもったいないくらいの効力がもたらされます。

jun24kawajun24kawa2011/10/05 05:43実は我がゼミでも過去にパイロット的なことはやっていました。が、それほと多くの人を巻き込んでいませんでした。どんどん進めて下さい。セキュリティの問題ですが、wifiで十分繋げられますよ。

nao_takanao_taka2011/10/05 14:29学校では、サーバーのファイヤーウォール等で制限され、Skypeが使えないことが多いのです。ustreamやyoutubeも見られない場合が多々あります。わたしの場合は、教育委員会に頼んだところサーバーの設定を変えてもらえたのですが、そういった柔軟な委員会は希だろうなと思います。

jun24kawajun24kawa2011/10/05 17:48危険だから運動会をやめるというような対応ですね。目的は教育のためではなく、文句を言われないため。になっているような

11/10/03(月)

[]新規採用者 20:52 新規採用者 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 新規採用者 - 西川純のメモ 新規採用者 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 若い人から、特に新規採用者から「『学び合い』をやるべきなのでしょうか?」と聞かれます。その時、以下のように応えます。

私:『学び合い』の授業の方法をやるかやらないかではなく、『学び合い』が一番大事にしている「一人も見捨てない」という願いを思い出して下さい。新規採用者は「一人も見捨てない」という願いを持たなくて良いでしょうか?

新規採用者:首を振る

私:では、従来型の授業で「一人も見捨てない」ということを実現できますか?

新規採用者:首を振る

私:『学び合い』以上に「一人も見捨てない」を実現できるものがあると思いますか?

新規採用者:首を振る

私:答えは出ましたね。

 そうなると、次に聞かれるのは、「私に『学び合い』が出来るでしょうか?」です。

私:では、あなたは今までの授業で満足でしたか?

新規採用者:首を振る

私:『学び合い』の方が簡単ですよ。だって、元気いっぱいの子どもを静かにさせるのと、動いて話しても良い、でも一人も見捨てるなと言うのとどちらが簡単だと思いますか?

新規採用者:動いて話しても良い方です。

私:じゃ、『学び合い』の方が簡単でしょ?もちろん、『学び合い』をビックリする人は多いよ。でも、見た目は普通の授業にしか見えない『学び合い』をすれば良いんだよ。

ogymogym2011/10/03 22:34初任教員:従来型の授業で「一人も見捨てない」ということを実現できますか?
管理職&研修主任:首を振る

このあたりが勝負ポイントのように思います。(そんなの無理だって。見捨ててもしょうがない。俺もこれまでの教員人生そうしてきた)って意味で否定の首振りをするかもしれません。
「ねえねえ、この教材(プリント)使ってみたら子どもたち食いつきよかったよ。やってみない?」「前の学校で○○をやったらとてもうまくいったから私どうしても○○やりたいの」のような個人的主張はよく通るのが教員組織のように思います。これらと同じネタで広めていってみたいです。

jun24kawajun24kawa2011/10/04 06:45あははは
上記は『学び合い』を学びたい人用の語りですので、分かりたくない人に言えば喧嘩になりますので。したたにやってね。

11/10/02(日)

[]荒波 20:54 荒波 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 荒波 - 西川純のメモ 荒波 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 日本の色々なところの同志が、上司という荒波に悩んでいることが改めて分かった。

 そこで一言。

 急流で舵を取る方法は、流れより速く進まなければなりません。

[]どうしようもない上司 17:15 どうしようもない上司 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - どうしようもない上司 - 西川純のメモ どうしようもない上司 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日のメモに関連して別な同志からのメールに関連してメモります。

 もし、あなたの上司がどうしようもない上司でゴチャゴチャと言ってきたらどうするか?です。

1) 議論を避ける。

相手は分かりたくないし、分かる能力もないのですから無意味です。だから、議論は避ける方が良い。やれば感情的にこじれます。

2) 悪口は避ける。

悪口はやがて相手に伝わると考えた方が良い。これまた感情的にならせれば手間がかかる。少なくとも、同じ職場の人はもちろんのこと、同じ業界の人とは避けた方が良いと思います。相手を悪く思ってはいけません。相手は善意の人なのですから。その人を憎めば、自分が醜くなります。

3) 距離を置く。

出来るだけ、関わらないようにするのです。でも、それでも相手から近づいてくると思いますので、その場合は以下のことをするのです。

4) 反対するのではなく分からないと言う。

とにかく無能になるのです。相手を言っていることを分かろうとするスタンスを維持します。そして、分からないから説明を求めるのです。何度も、分からないのですみません、と言いながら説明を何度も求めるのです。時には、その根拠を聞くのです。大抵のどうしようもない上司は自分の少ない経験を拡大解釈しているだけですので、それが一般的な根拠を聞けばいいのです。これを繰り返すと相手は言いよどみます。ただし、最後の一手を詰めてはいけません。とにかく、目的は自分と話すのが面倒だと思わせるのです。

5) 仕事は遅く、質を低く。

これも無能と思わせる方法です。これを繰り返せば、あなたに仕事を頼まなくなります。結果として、関わりが少なくなります。

6) その人の上の人には繋がる。

どんな人でも、その上の人はいます。学校内に見つけられなくとも、学校外の業界を探せばいるものです。その人に繋がり、その人には自分の能力を認めてもらうことです。ただし、悪口は避けた方が良い。一度言い始めると止めどなくなるし、そうなればあなたが醜くなってしまう。

7) 同じ職場の人とは良好な関係を築く。

その上司がどうしようもないのではなく、あなた自身がどうしようもないのかも知れません。どちらがどうしようもないか、それは同僚が判断しています。

追伸 いわゆる問題教師の人で手のかかる人の行動は4)、5)なのです。それが上司が一番困る人なんです。公務員は無能を理由にクビにすることは事実上出来ませんから。おそらく同志にとって一番辛いのは4)ですね。でもやりましょう。

追伸2 私は幸いなことに直属の上司に恵まれていました。もの凄く。が、こんなやんちゃな私が業界で生き残るには、それなりの知恵が必要です。その一つが上記の通りです。

[]生きる力 09:40 生きる力 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 生きる力 - 西川純のメモ 生きる力 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 家内が本屋である教材を買ってきました。今、それを息子にやらせています。その本の監修者が以下のように書かれています。

 『現代社会は、自動車の免許から就職活動の採用試験、司法試験、国際学力テストなど、何をするにも「テスト」がついてきます。つまりテストで点をつける力は、学力ではなくても、現代の生きる力なのです。』

 いいな、と思います。どこがといえば「学力ではなくても」と書かれている点です。

 学力とは何か?という議論は不毛です。学力の定義なんて決まっていません。その本人が定義するしかないのです。一人一人が別々の定義をしているのですから、それが正しいか否かを議論しても不毛なのです。さらに言えば、多くの場合、それを定義せずに議論している。さらに不毛です。

 ではテストの点は現代を生きる力なのでしょうか?先の監修者の書かれている通り生きる力の一つだと思います。が、先に例示されている殆どは二十代前半で終わってしまうことです。私も高校の教員採用試験に合格した瞬間、「あ~、これで試験を受けることはなくなった」と思いました。高校教師の殆どは管理職を目指しませんので、試験を受ける必要はありません。

 それでは二十代後半から必要な生きる力は何か?『学び合い』の場合は「多様な人と折り合いをつけて自らの課題を解決すること」だとハッキリと定義しています。では、従来指導型ではどのように考えているのでしょうか?文部科学省が例示している網羅的な生きる力を本気に信じている教師がどれほどいるでしょうか?いたとしても、それが今日この日の指導に一対一対応する授業を、一分一秒の例外もなく実践していると断言できる人がいるでしょうか?

さらに言えば、二十代前半までのテストで点をつける能力も「多様な人と折り合いをつけて自らの課題を解決すること」だと思っています。

 職業柄、色々な人と仕事を一緒にします。その中で東京大学出身者と仕事をすることがあります。そして、その全員が明るくて、人当たりのいい人ばかりです。プロトタイプ化された偏差値エリートの東大生のイメージとは真逆です。ま、そんな人もいるかもしれませんが、これまであった人全員がそうであるということから、かなりの割合の人は明るくて、人当たりのいい人のように思います。でも、当然だと思います。一人だけの力で偏差値を上げられる人はたまにはいます。でも、そんな人はごくわずかです。多くの人は、多様な人と折り合いをつけて、他人の能力を活用しながら偏差値を上げていると思います。その意味で、東大生はそのもっとも長けた人とも言えると思います。そして、それは正しいことは『学び合い』研究でも明らかになっています。

[]批判 07:37 批判 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 批判 - 西川純のメモ 批判 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ある遠方の同志から以下の質問を受けました。大事なのでメモります。

『1つ目 『学び合い』批判を聞くときは、どのような気持ちで相手方の話を聞くのがいいでしょうか?

2つ目 『学び合い』を受け入れない批判的な人と公の場で付き合わねばならないのですが、『学び合い』を絡めて関係のない業務も批判的な態度に出る場合、本日のブログのように一時退散ですか?』

 ちなみに私も大学に勤めております。そして教職大学院という組織に勤めております。当然、同僚の圧倒的多数は非『学び合い』です。でも、楽しく勤務させております。毎週水曜日の教職大学院の専攻会議では、10分以内に1回は爆笑が起こるような和やかな会議です。

 では、どうするか?

 どんな人間関係にも相容れない部分はあるはずです。それを徹底的に議論し、自説に拘り続ければ喧嘩になるのは当然です。これは愛し合って、一生を共にしようと誓い合った夫婦でもあります。ましてや仕事の同僚にあるのは当然です。だから、そのような部分はみんな避けるべきです。

 だから、議論はしてもとことんまで議論せず、途中で「どちらもありね」という外交的決着をすればいいのです。

 でも、希に上記のことが分からず、とことんまで議論をする人がいたとします。その場合は、「な~るほど」とじっくり聞いて、「分かりました」と応えて、無視すればいいのです。私だって、地方講演で偉い人に議論をふっかけられるときにはこの手のことをやります。

 校長(私の場合学長)も含めて、自分の授業の詳細をチェックできる人はいないし、コントロールできる人はいません。彼らがハッキリ評価できて、具体的に指導できるのは「結果」です。だから、他の人にとやかく言われないような結果を出しましょう。私の場合は、抜群の結果を常に出すように心がけています。

 さて、上記が成り立つ上で最も大事なこと。それは意見の相違があったとしても、人としてその人達を尊敬し好きだと思うことです。そのためには、その人達といっぱい話すのです。その多くは馬鹿話です。それが失われると上記の作戦は、とげとげしい結果に繋がります。http://bit.ly/haeBsO

takami_swctakami_swc2011/10/02 19:42身の回りにいる上司のほとんどがこのメモのような上司なので困ります。自分の価値観を押し付けてくる。そしてその価値観は,客観的なものではなく単なるその人の経験です。うんざりします。でも時代は動いているので,これからそんな上司が少なくなってやがては絶滅し化石のようになっていくことを待ち望んでいます。

jun24kawajun24kawa2011/10/02 20:56永遠になくなりませんよ。だって、我々が数十年後には、そういう上司なっている危険性がありますよ。ふぉふぉふぉ

o4dao4da2011/10/02 21:01しかし急流で舵を取る方法は、流れより速く進まなければなりません。は大変な気がしていまいました。

sumi-chansumi-chan2011/10/02 21:26>>急流で舵を取る方法は、流れより速く進まなければなりません。
私も、その意味するところが理解できず、イメージも持てません。(^_^;
大変そうだな、私にはとても無理そうだな、というのはなんとなく分かります。苦笑

jun24kawajun24kawa2011/10/02 21:55簡単に言います。バカと同じ次元にうごめいている限りは、上司のバカには勝てない、ということです。ふぉふぉふぉ

jun24kawajun24kawa2011/10/02 21:56追伸です。勝てるとして。ちょいと時間がかかりますよ。

o4dao4da2011/10/02 22:35なるほど、本やネット読んで新しい考えに触れたり、いろいろな人とつながったりすればいいのですね。そんなことだけで渦巻かずにと解釈しました。なんか負けずにぎゃふんといわす結果をすぐに出すと解釈して苦しい印象うけましたが、それでは同じですね、一喜一憂して。もっとわかってくれる考え、仲間を大切にしたいと思います。

jun24kawajun24kawa2011/10/02 22:37ピンポン!

takami_swctakami_swc2011/10/03 08:15>バカと同じ次元にうごめいている限りは、上司のバカには勝てない。
今はその状態ですね。その上をいかないといけません。

jun24kawajun24kawa2011/10/03 12:28期待しています。

11/10/01(土)

[]越後『学び合い』の会 19:12 越後『学び合い』の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 越後『学び合い』の会 - 西川純のメモ 越後『学び合い』の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 明後日は越後『学び合い』の会です。 http://bit.ly/ruxcwY

[]越後『学び合い』の会 07:08 越後『学び合い』の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 越後『学び合い』の会 - 西川純のメモ 越後『学び合い』の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今年度の越後『学び合い』の会のテーマは学校同士の連携、地域との連携です。

 全国には学年1クラスの小学校・中学校がどれほどあるのでしょうか?その学校では、全く同じメンバーで6年、9年を過ごすのです。自ずとメンバーないでの序列が固定します。言わず、語らずうちに物事が進みます。でも、中学校に進学したら、高校に進学したら、そんな状態が激変します。

 ずっとトップだった子どもが、そうでない状態に叩き込まれます。コミュニケーション障害を持った子どもは、小さい学校では教師が抱え込み、周りもそれなりに理解していました。ところがいきなり雑踏の中に取り残されるのです。その急激な変化は小規模校の子どもが等しく受けるものです。中1ギャップ、高1ギャップで潰れていく小規模の子どもはどれほどいるのでしょうか?

 今回の越後『学び合い』の会はそれに対する回答をお見せしたいと思います。同じ学校段階の連携だと、他県や他国の学校同士で連携する例はよく見かけます。おそらく全く違った地域で学んだ子どもが関わることで、社会や総合学習に役に立つと思っているのだと思います。でも、それが何回実現できるでしょう。そして、その程度でどれほどの効果があるのでしょうか?

 一方、近くの学校同士で連携する例はあまり知りません。しかし、その学校の子どもたちは、同じ中学校に進学し、同じ高校に進学する可能性がある子です。そして、他県・他国の学校に連携する予算があれば、その数十倍やれます。そして、『学び合い』ならば定常的にやることが出来るのです。

 我々は、その先を見据えています。例えば教師だって、小さな学校では学び合うことがなかなか難しい。全校『学び合い』はその一つの回答です。しかし、学校連携の『学び合い』は、それを一気に加速することが出来ます。

 例えば地域コミュニティーです。過疎化が進み、地域を守ろうとして、その核となる学校の統廃合に絶対反対します。しかし、人数の減っていくコミュニティーに学校があっても何も出来ません。地域コミュニティーが統合し、大きくならねばなりません。地域の核となっている学校が連携することがその第一歩だと思っています。

今年度はその第一歩です。小規模校の子どもたちがどれほどたくましくなっているかを見に来て下さい。そして、この子達なら中1ギャップ、高一ギャップを乗り越えることが出来ます。

http://echigomanabiai.jimdo.com/

 全国の同志へ。自分は関係ないと思っているかも知れませんが、「その先」が分かっているか否かで、次の一手が違いますよ。フォフォフォ

sakusaku0428sakusaku04282011/10/02 03:57初任研である僻地学校にうかがったことがございます。正直に申しましてそのときは「自分には関係ないなー」と思っていました。
しかし、宇部で借家に住んでいて自治会の総会に参加したとき、「年配の方ばかりで子どもたちがいない」という状況でした。過疎化も他人事ではないと感じました。

jun24kawajun24kawa2011/10/02 07:15日本の小学校の約半数は学年1クラスだと思います。