西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

西川純です。新潟県上越市の上越教育大学の教育実践高度化専攻(教職大学院)で『学び合い』を研究しています。諸般の事情で、このブログのコメントは『学び合い』グループのメンバー限定です。メンバー登録は、いつでもOKです。ウエルカムです。なお、メールはメンバー以外にもオープンですので、いつでもメールください。メールのやりとりで高まりましょうね。メールアドレスは、junとiamjun.comを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。もし、送れない場合はhttp://bit.ly/sAj4IIを参照下さい。西川研究室はいつでも参観OKです。 詳細は http://www.iamjun.com/をご覧下さい。 もし『学び合い』グループに参加される場合は、 http://manabiai.g.hatena.ne.jp/をご参照ください。
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だめで元々で、とりあえずドロップボックス(http://db.tt/bMZAZwx)とjimdo(http://jp.jimdo.com/)の無料アカウントを登録してみてはいかがでしょうか?実に簡単ですから。

本格的にトライする人も多くいると思います。その際、人とのつながりが大事です。身近にいる人と繋がれるとありがたいですよね。『学び合い』を実践される方は、『学び合い』マップ(https://www.google.com/maps/d/edit?mid=zDInXkSSxyO4.kNDji5uDNm0Y)に、是非、登録下さい。登録は、『学び合い』マップ登録フォーム(http://form1.fc2.com/form/?id=77081b4d4f40dd2f)から出来ます。  「私なんて、人になんか教えられるレベルに行っていない」と思う方へ。だからいいんですよ。一番知っている人が、一番の教え手ではないことは『学び合い』を実践しているならば、子どもを見れば分かるでしょ。それに、教える必要はないのです。共に学び合えばいいのです。いや、愚痴を言ったり、笑ったりする、それでいいのです。  是非、一人でも多くの人がマップに登録下さい。強く、強く、お誘いします。

11/08/31(水)

[]戦い方 07:03 戦い方 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 戦い方 - 西川純のメモ 戦い方 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近、ゼミ生が怒り狂っているので、政治的な戦い方に関して講釈しました。

 第一に、相手を憎まないことです。憎めば、心が乱れ、作戦を誤ります。大抵の敵は、誤解しているか、愚かなのか、怖がっているのか、いずれかです。いずれも我々の脅威ではありません。その事例の場合、私は相手方の立場に立って分析しました。その結果、その人は追い詰められていることを説明しました。実は、怒るのではなく、哀れむべき人であることを説明しました。

 第二に、そのような相手に論破しようとしても無駄です。だって、絶対に負けを認めないはずですから。では、どうするか。論戦を見ている人は、どう見ているかポイントです。そして、その論理ではなく、その態度が判断のポイントとなります。その事例の場合、その人がかなり大人げない態度をしていることを指摘し、周りからどう見えるかを話しました。

 私にも、かなり長期間にわたって挑みかかってくる方がいます。しかし、私は聞き流します。その人が大人げない言葉と態度で大きな声を出せば出すほど、『学び合い』に興味を持ってくれる人が増えてきています。ありがたいことです。

 愚かな敵は、無力な味方より、強力な味方になる。扱い方によっては。私の持論です。

[]偶然 06:47 偶然 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 偶然 - 西川純のメモ 偶然 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近、びっくりする偶然が私の耳に入ります。ある日本人学校の同志のクラスの新入生は、『学び合い』クラスの出身だった。ある同志が海外視察に出かけたら、別の同志といっしょだった。

 私も最近ありました。ある学校の先生が『学び合い』を学びたいと言うことで手ほどきにその学校に行きました。学校の校門を入ろうとすると、なんと信州大学の三崎研究室の出身者がいるではないでしょうか!話を聞いたら、結果を出すべく、したたかにやっているそうです。ということで、その学校では、私が校門を入る瞬間から同志が二人いることになりました。

 これだけ偶然が重なると、もう、必然としか言いようがありません。我々の密度は、我々が思う以上に高くなっていると思います。

[]山口大会 06:47 山口大会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 山口大会 - 西川純のメモ 山口大会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 9月4日に『学び合い』山口大会(http://bit.ly/pZkHd0)があります。会は日曜日開催ですので、終了後の懇親会はありません。が、前日の飲み会はあります。もし、参加される方で前泊される方がおられれば、金曜日までに私に連絡下さい。懇親会を担当している方に連絡いたします。

追伸 私は当日、山口大会では最後まではいられません。実は9月4日は我が家の大事な記念日なのです。ということで、途中で失礼いたしますので、私と議論されたい方は是非。

[]種まき 06:47 種まき - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 種まき - 西川純のメモ 種まき - 西川純のメモ のブックマークコメント

 この数日、種まきにばく進中です。蒔いている種はとても良い種です。だが、土壌が受け入れてくれない。でも、根付いた種もあります。岡山の同志が蒔いた種が、広島で芽が出ていることを、しっかりと確認することが出来ました。頼もしい限りです。どこまで化けるかワクワクします。九州の同志は、海外でも種を蒔きました。私は、その種が日本に持ち帰られると思っています。

 本日は中学校の管理職に配られる雑誌の取材を受けます。私の頭には越後屋の妄想が渦巻いています。ふぉふぉふぉ

FlipperKFlipperK2011/08/31 19:52 種が芽吹いたということをとてもうれしく、力強く感じました。足下より、全体をかえる方が楽だということを実感として感じます。が、あきらめず足下にもせっせと種をまき、水をまき続けたいと思います。
 先日、ある保護者から、『学び合い』で進めている今の学級経営に対してかなり肯定的なご意見を頂きました。保護者にも焦らず種をまいていきたいと思います。

jun24kawajun24kawa2011/09/01 05:27期待しています

OB1989OB19892011/09/01 05:51理科で相撲の卒論を書いて,英語を教えた好青年です。よろしくお願いします。

jun24kawajun24kawa2011/09/01 05:56はい、テーマが面白かったので覚えています。理科担当でした。今後が楽しみです。

11/08/29(月)

[]本日 07:05 本日 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 本日 - 西川純のメモ 本日 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は朝早く出かけ、地元の中学校の先生に手ほどきをします。終わり次第、富山に出かけ中学校合同の講演会で話します。帰り次第、広島からおいでになる小学校の先生方ご一行と飲みます。なかなか忙しい一日です。

 種をまきます。

bunbun-hbunbun-h2011/08/29 07:48お疲れ様です。
広島の先生方によろしくお伝えください。

jun24kawajun24kawa2011/08/30 07:34あなたのことが話題になりました。ふぉふぉふぉ

11/08/27(土)

[]添い寝 06:13 添い寝 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 添い寝 - 西川純のメモ 添い寝 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 未だに私は息子の添い寝をします。9時前に寝かしつけて、約45分後にそっと起き出します。ちなみに私のブログが欠けている日は、大抵、そのまま爆睡してしまった日です。

 添い寝はいつまで続けようかな・・・とも思います。

 たまにですが、添い寝をしていると、息子が「だっこして」と言うときがあります。だっこすると、息子が力を込めてだっこします。その時は、ぎゅっとだっこして、チュチュをいっぱいします。「もう、安心した?」と言うと、うなずきます。こういうときは寝付きが良いです。

 これがあるから、やめられない。

[]褒める 06:13 褒める - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 褒める - 西川純のメモ 褒める - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は『学び合い』を始めた人にアドバイスするとき、「褒めなさい」とアドバイスします。『学び合い』の初期段階では2割程度の子がものすごく頑張っているのです。ところが、『学び合い』初心者は頑張っている子ではなく、駄目な子に目がいきます。そうなって叱ります。しかし、頑張っているのに評価されない2割はやがてやる気を失ってしまうのです。だから、駄目な子ではなく、頑張っている子を褒めましょう、とアドバイスします。

 ところが私は殆どゼミ生を褒めません。ゼミ生が褒めるだろうな、と期待して報告しても、「それは織り込み済みのこと、あなたの達成すべきは・・」と語ります。

 理由は、集団が形成されているからです。それ故、私が褒めずとも、仲間が褒めてくれる。そして、関わっている外部の人たちから褒めてくれる。そして我がゼミは集団としてかなり有能だと信じています。大多数の人は褒めて成長します。しかし、本当に有能な人は駄目だと言われて成長します。だからです。

 が、気づかれぬように、感激の涙を流すことは少なくありません。彼らの達成したことで感激するレベルになるのは、それは2年間の積み上げの最後の段階です。しかし、それをなそうとするために心、そしてそれの鏡である行動に関して、感激することがあります。私が忘れてしまった「志」を呼び覚ましてくれるときです。

 今、我がゼミは爆走しています。目標は与えました。評価は「駄目だし」です。環境の整備も手を尽くしました。残っていること、それは集団としての健全性を維持することです。そのための集団としての評価です。

 我がゼミが1年間でなす事の凄さを想像すると、畏怖を感じます。

[]評価 06:13 評価 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 評価 - 西川純のメモ 評価 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 同志がコメントしてくれたので、気をよくして補足です(http://bit.ly/qVHkfH)。

 評価とは見続けること、これを言い換えると、評価とは願い続けることなのです。評価は目標と一対です。願うことを与え、それが達成しているかを評価するのです。つまり、評価し続けることを維持する根本は、目標の達成を願う心です。

 しかし、教師も人の子です。目に入りやすい子どももいれば、目立たない子もいる。それがかなりの数なのです。一人も見捨てずにを達成するためには、個ではなく集団を見るしかありません。これに心揺るがないようにするには、セオリーが必要です。

dai42takadadai42takada2011/08/27 13:41「評価とは見続けること」は短いけれど深い言葉ですね。私の職場の中心となるTさんは,褒め上手だと感じています。だから職場はとてもよい雰囲気ですし,どの先生も気持ち良く働けている気がしています。N先生の「褒めなさいとアドバイスします。」というご指摘の通り,職場の中で学び合える雰囲気があるのは「Tさんが褒め上手だからかも?」と思い始めました。ただ,とても優しい人なので,厳しさが足りない気がします。そういう意味では「目標に達していない場合(人)には,褒めながらも厳しく評価をすべきなのかな」と考えています。

jun24kawajun24kawa2011/08/28 09:55『学び合い』では教師がことさら罰したりはしません。それを達成しなかった場合、失うのは自分自身であることを気づかせるのです。

11/08/26(金)

[]成長 19:16 成長 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 成長 - 西川純のメモ 成長 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日、息子の足の大きさが家内と同じになったことが判明。家内の背を抜かすのは、あとわずかかも。

bunbun-hbunbun-h2011/08/26 20:08そして次はあなたの番よ・・・
大変に申し訳ございません、でも、この日記の次に続くコメントとしてこれを書けと言われているように感じるのは、私のせいなのでしょうか?
どうも、ここは連歌みたいに上の句に対して下の句を書かなければと思うのですよ。

FlipperKFlipperK2011/08/26 20:14偶然ですねぇ。昨日、私の息子の足のサイズが私の足のサイズに「後1センチ」にせまっていることが分かりました。

jun24kawajun24kawa2011/08/27 05:41まさに!
それを待っています。私は176センチですが、息子には180以上になって欲しい。

11/08/25(木)

[]心 06:42 心 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 心 - 西川純のメモ 心 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日までお二人の研修者がいました。お二人に伝えたこと、それは「心」で勝負だと言うこと。子どもは教師のテクニックや話術を見ているのではない。子どもは教師の心を見ている。そして能力を見ている。

 心は見えるもの。人は様々な仕草、表情、声の抑揚をします。それらを長期間観察し、一貫するものが心です。能力は見えるもの。それは自分(子ども)たちが望むことを実現するために、いや自分たちが思いもしないようなことを実現するための能力は、現実にそれが実現できるか否かで分かるもの。

 『学び合い』の場合、その心とは「一人も見捨てない」という心、そして、それを実現するための学校観、子ども観。『学び合い』の場合、その能力とは、高い志を維持することによって、高い志を持つ多様な人と繋がり、その能力を借りる能力。誰でも出来ること、でも、それを維持し続けるにはネットワークが必要。

 教諭と校長(部下と上司)に置き換えれば、理の当然の話。

[]醜悪 06:42 醜悪 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 醜悪 - 西川純のメモ 醜悪 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 『学び合い』が分かると、今まで良しとしているものが悪しきものに見えてしまいます。善意の尊敬すべき教師の言動が醜悪に見えてしまう。

 昨日、テレビを見ていたら素晴らしい指導力で高い成果を上げている部活、そしてその顧問の先生が映されていました。一つ一つの言動を見ていると、「全ての子どもの成長のために全国優勝」ではなく、「全国優勝を実現すれば多くの子どもの成長に繋がる」と思っているとしか思えないのです。そして部員の多さを見ると、「あ~、これじゃ1割強の子どもがドロップアウトしても、優勝を目指せるな~」と思えるのです。

 事実かどうか正確に分かるわけでもなく、失敬だと思うのですが、テレビに映し出される微妙な言動の集積は、それを指し示し、私には醜悪に見えてしまう。難儀なものです。

tontan2tontan22011/08/25 21:56私もよく「学び合い」が持続できるかどうかは教師の「信念」と言うことが多いのですが、そういわれるとうまくいかない教師は「信念」が足りないみたいで、それはまるで宗教みたいだと批判されることがあります。でも私は今後もそう言い続けようと思っています。私もテクニックはそれなりにあるのだけど、最終的に何が子どもを動かすのかというと教師の信念でしか言いようがありません。
教育の「信念」を創り上げてことが「教師」なのでしょうね。40過ぎて、迷わずそう言えるようになりました。私も教師と教師との関わり方が大事だと強く強く思います。

jun24kawajun24kawa2011/08/25 22:17はい。色々な人がいて、いいんです。愚直に、頑固に言う人。そして柔軟に当たりの軟らかい表現を言う人。あなたも、前者の人なんですよ。あははは

11/08/24(水)

[]つきあう 05:42 つきあう - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - つきあう - 西川純のメモ つきあう - 西川純のメモ のブックマークコメント

 島田紳助さんが暴力団関係者とつきあったため芸能界を引退することになった。でも、「つきあった」ことが罪とは思えない。どのようにつきあったか、また、その結果として何が生じたか、で評価すべきのように思う。ま、何かがあったのでしょうね。

11/08/22(月)

[]免許更新講習 22:24 免許更新講習 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 免許更新講習 - 西川純のメモ 免許更新講習 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 本日は免許更新講習の講師として長岡で講演しました。気持ちよく語れました。話を聞いていただいた方々のおかげです。種はまかれました。

[]越後『学び合い』の会 22:16 越後『学び合い』の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 越後『学び合い』の会 - 西川純のメモ 越後『学び合い』の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 毎年、その時点での最先端の『学び合い』を生の子どもの姿で提案しています、越後『学び合い』の会、今年のテーマは地域コミュニティの再生です。メインでは、複数の学校が共に学び合う姿を提案します。地域コミュニティの全面的なバックアップを得て、じっくりと語り合える宿泊プランを提供します。お早めのお申し込みをお待ちしています。

http://echigomanabiai.jimdo.com/

[]創業者 05:45 創業者 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 創業者 - 西川純のメモ 創業者 - 西川純のメモ のブックマークコメント

ドラッカーの数ある言葉の中で特に大好きな言葉の一つが以下のものです。

『ベンチャービジネスにとり、最大の危機は、製品なりサービスが、何であり、何であるべきか、どのように買われるべきかを、顧客以上に知っているということである。必要なことは、予期せざる成功を機会と見なし、自分たちの専門に対する侮辱とは見ない姿勢である。マーケティングのあの基本原則を受け入れることである。つまり、企業というものは、顧客を改心させることによって対価を得ているのではないということである。顧客を満足させることによって対価を得ているのである。』という言葉が、「イノベーションと企業家精神」(ダイヤモンド社、1985、327-328)という本にあります。

 顧客には様々な種類があります。第一は、リスクを無視し、新たな可能性を求め購入する人。第二は、リスクを意識しつつ、リスクを負っても新たな可能性を求め購入する人。第三は、リスクを負うつもりはなく、改良を求め購入する人。第四は、リスクを負うつもりはなく、周りが全員使用しているのでそうせざるを得なくて購入する人。第五は、変わりたくないので購入しない人。

 私は授業方法としての『学び合い』が広がるより、「一人も見捨てない」ことが広がることが願いです。が、「一人も見捨てない」ということは顧客に改心することを求めているのです。当然、『学び合い』が広がれば、それを求めない人が多くなります。しかし、「一人も見捨てない」ことを意識しない顧客であっても、テクニックとしての『学び合い』が広がれば結果として「一人も見捨てない」教育は広がります。

 憲法の条文が分からなくても、憲法の条文の中で運用されている諸法の中で普通に生活する人が多くなれば、憲法の条文の願う社会が実現されます。憲法の条文が分かる人は集団の2割もいれば十分です。『学び合い』もそれと同じです。

 先に述べた顧客の第一及び第二までは「一人も見捨てない」ということと『学び合い』は矛盾しません。しかし、第三以降になってくると、顧客は「一人も見捨てない」ということを否定はしないまでも意識せずになります。そして、時には「一人も見捨てない」ということを軽視し始めます。このときに、ドラッカーの言葉の意味が重要になるのです。

 私にとって「一人も見捨てない」という目的のために『学び合い』があるのだけど、多くの人は『学び合い』をテクニックとして利用し、「一人も見捨てない」ということを軽視する。その時、「一人も見捨てない」という私の目的を達するために、「一人も見捨てない」ということを軽視する顧客に対して、「企業というものは、顧客を改心させることによって対価を得ているのではないということである。顧客を満足させることによって対価を得ているのである。」ということを自らに課せるか否かです。

 本田宗一郎はそれが出来なかった。だから、経営の一線から身を引きました。

F-KatagiriF-Katagiri2011/08/23 15:32昨日の講習、同僚が受講したそうです。「面白い!もしかしたら片桐が影響を受けた人では?」と思いながら聞いていたそうです。「私の指導教官です。」と教えると「やっぱり!」だそうです。

bunbun-hbunbun-h2011/08/23 19:15私の隣県のある学校が学校あげて『学び合い』に取り組んでいて(ご承知のとおり)、昨日そこの校長先生と話をすることができて、そのホットな気分で今日、地元小に行って私の同級生の教師に山口の会のチラシを見せたら、「これなのよね!」とそのチラシの西川先生の顔写真を指ではじくようにして「夏休みに「スタートブック」を読んで、こんな世界もあるのか、と思っていたのよ」と私に言いました。
以上、今日の私のブログのネタの予定ですが、片桐さんにつられてコメントしました。
(ここまで来るのに4年の年月が必要でした。大切な年月です)

t-oshimat-oshima2011/08/23 22:28私は今日は新潟でキャリア教育についての講習でした。話を聞けば聞くほどキャリア教育の理念は『学び合い』の考え方と同じなんだなあと思いました。『学び合い』の考え方が、目の前の学力向上だけを考えるものではなく、将来を見すえ、社会で必要な力をつけることを考えているからなのだと思います。だから、私にとっては、キャリア教育を特別難しく考える必要はないのだなあと安心しました。

jun24kawajun24kawa2011/08/24 05:32Katagiriさんへ
 点と点が、線と線が、面と面を繋がる事例が増えましたね。たのしみです。
bunbunさんへ
 あなたの人的ネットワークの複雑さと多様性にも脱帽です。
oshimaさんへ
 何事も、押さえるべきところを押さえれば、当人がやりますから。当人にやるきにさせなきゃ、何事も無駄。そして、当人がやるかやらぬかは、集団によって変わるものです。だから、教師は集団づくりに意を尽くすことだと思います。

11/08/21(日)

[]生坂 19:11 生坂 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 生坂 - 西川純のメモ 生坂 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 生坂での『学び合い』の会に参加しました。それぞれの会にはそれぞれの香りがあります。その多様性がとても心地よかった。明日は免許講習会で長岡に参ります。


[]価値観 19:33 価値観 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 価値観 - 西川純のメモ 価値観 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 意外かもしれませんが学校教育は特定の考えを子どもに強いるところなのです。その「考え」とはその国の法に基づくものです。だから、国によっては特定の宗教や政治信条を子どもに与えることが学校教育の最大の目的であるのです。ちなみに、我が国では、憲法第20条の規定により、公立学校では宗教教育は禁止されています。

 一方、憲法をはじめとする我が国の諸法に合致する政治信条を学ばせています。つまり、日本において「も」政治教育は行われています。

 ある方から、『学び合い』を伝えることに違和感を感じるとのメールをいただきます。気持ちは分かります。『学び合い』を新興宗教のように思う方は少なくありません。しかし、『学び合い』で子どもに強いるのは、指導要領で定められたものの最も基礎的なことを達成することに関して、「一人も見捨てるな」ということです。これは宗教でしょうか?当たり前のことではないでしょうか?「同級生の中には見捨てもしょうがない人がいる」ということを子どもに学ばせることと、どちらが憲法・教育基本法の精神に合致するでしょうか?

 『学び合い』は「一人も見捨てない」という原初の願い、それを実現するための学校観と子ども観の考え方です。それ以外は、そこから派生したものです。

11/08/20(土)

[]評価 07:35 評価 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 評価 - 西川純のメモ 評価 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 今は同僚であるMさんが院生だったとき、「先生、評価とは何ですか?」と聞かれました。私は「見続けること」と即答しました。それは私の指導教員だった小林先生の教えがあったからです(http://bit.ly/qKtzPI)。

 色々な方から『学び合い』における評価はどうしたらいいかを聞かれます。私なりに、その教科の特性にあった評価方法をアドバイスすることがあります。結局は、指導要領をちゃんと読むことを勧めます。そして、忙しい場合は業者テストの点数におけるクラスの最低点で評価すれば、集団の評価が簡単にできます。では、その途中過程をどのように評価したらいいのでしょうか?

 ポイントは、一人一人の成長に興味を持ち続けることです。持ち続ければ、「見る」という行動をします。これは『学び合い』をやり始めた教師がやり過ぎて、集団を見ないという行動が起こります。これはアウトです。しかし、『学び合い』がそれなりに動き始めたら、集団を見ることと並行して「個」を見ることは有効です。(ただし、並行でして見られるまでは「個」を見ることを封印するべきです)

 ではどうしたらいいか、私のお薦めは「からかう」ことです。ま、キャラ的に出来ない人だったら気軽な世間話をすればいいのです。例えば「お、調子良さそうだね」とか、「新しい筆箱買ったの?」の類でも結構です。長々した話は不必要です(というより勉強のじゃまになります)、一言声をかけ、その反応を見るのです。万巻の書物を読まなくても、なんかおかしければそれを感じることが出来ます。そして、それが本当におかしければ、集団を集めて「最近みんなが変だ。何とかしなさい。私がすべきこと、正すべきことがあれば教えて欲しい。」と集団に返せばいいのです。実は、「変」であることは、子どもは知っているはずです。だから教師がそれを指摘すればどきりとするはずです。

追伸 私はゼミ生と昼食を食べます。そこで馬鹿話をします。ゼミ生がいない部屋を覗き、その机の上にあるものを見ます。それだけでかなりのことが分かります。毎日出来る評価です。各年度のゼミの仕上がりの具合は、昼飯の参加率で分かります。おそらく歴代のゼミ生が昼食を食べるか食べないかは、私との相性の問題だと思っていると思います。しかし、違います。自分と10~30歳も離れている人、それも私のようにつまらん人と話すのがつまらないのは当然です。ゼミ生が昼食にゼミでいっしょに食べるか否かを決めているのは、ゼミ生集団の仕上がり(金魚を見ているか否か)を示しているのです。

katunori-skatunori-s2011/08/20 18:29小林先生の教え。「毎日、水槽をのぞく」でしたね。
これを読み,得心できました。
私が「評価とは何ですか」と言われたら,「関心を持ってみること」と即答したと思います。そんなこと,当たり前ですね。
農家の方は「毎日,畑の作物を見る」のが基本だそうです。「作物に足音を聞かせる」と。
「見続ける」に,心から納得できました。
ありがとうございました。

jun24kawajun24kawa2011/08/20 21:55普通のことを毎日やることが、大事ですね。

11/08/18(木)

[]ゼミ 20:51 ゼミ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ゼミ - 西川純のメモ ゼミ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 総合的に、誇らしく思います。彼らに負けない、私であらねば。

dai42takadadai42takada2011/08/19 20:20コメントありがとうございました。私は「西川研でみなさんと討論したい」というのが夢でしたが,このブログの仲間に参加していれば,その夢に近い場が得られるような気がしています。この機会とつながりを大切にしたいです。これからよろしくお願いします。

jun24kawajun24kawa2011/08/19 20:51まっていますよ。ゴチャゴチャの中にいると、『学び合い』ってこんなこと、ってわかりますよ。

11/08/17(水)

[]論文の書き方 22:24 論文の書き方 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 論文の書き方 - 西川純のメモ 論文の書き方 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 大学研究者の業績は、レフリー付き論文(別名A論文)の数で決まります。A論文とは、第一に日本学術会議の登録されている学会の発行する学会誌に掲載されたもの。さらに、それは学会の学会誌編集委員会が指定する複数の審査委員の審査結果によって編集委員会が掲載決定した論文を指します。

 日本の教科教育研究者の中で、四十年弱の研究者生活の中で、教科教育学の分野でこのA論文を十以上書いた人は5%もいないと思います。博士課程の無い大学(つまり、圧倒的大多数の大学)の場合、このA論文を1または0の業績の人はかなりいます。ところが私は百五十以上の業績を持っています。そして、私の研究室の場合、学部生の卒業研究でもA論文を書きます。理由は簡単です。書き方を知っているからです。

 論文は家を造って売るようなものです。作り方知っていなければ、学会誌の審査委員に掲載可能判断(つまり購入)をいただけません。しかし、家を造るにしても3種類の作り方があります。一番簡単なのは、リフォームです。つまり、殆ど他人が構築したものを一部手直しするというやり方です。二番目は一戸建てです。この場合は自分で基礎工事を行い、家を建て、建具を組み込み、内装をするという一連のことを出来なければなりません。第三番目はディベロッパーです。これは家を建てると言うより、宅地として適切な土地を切り開きます。

 数多くの論文を稼ぐにはとりあえずはリフォームを主として、一戸建てを建てるという戦略が一番楽です。しかし、ある宅地に建てられる軒数は限られていますので、同業者の戦いは熾烈になります。

 その点、ディベロッパーは、その宅地が地の利を得ているならば、一発で膨大な軒数を稼ぐことが出来ます。いや、自らは最初の数軒を建てた後は、一戸建て業者に土地を開放すればいいのです。

 西川研究室にはリフォームや一戸建ての膨大なノウハウがあります。その95%は「実証的教育研究の技法」という本に書きました。我がゼミで「名著」と言われるのは、私の他の本をさしおいて、この本を指します。ゼミに所属した当初は、この本は取っつきにくいものです。しかし、実際に論文を書こうとすると、その悩むところの殆どがそこに書かれていることにゼミ生はビックリするので、最終的に「名著」を冠されるのです。そして5%は口伝です。これは隠そうという気持ちで口伝になっているのではなく、文字に出来ない、曰く言い難い部分があるのです。これがあるから、我がゼミの論文生産性が高いのです。

 が、ディベロッパーの部分は口伝のみで成り立っていますし、結局のところ、その当人の感性によるものなので、基本的に教えると言うことが出来ない部分です。

 私は生涯に3つの宅地を開発しました。第一は、修士論文の時です。それを一言で言えば「データで教育を語ろう」ということです。それまで数値的データで議論されることがほとんど無く、あっても小学生の自由研究レベルの分析であったのを、統計学の手法によって論証しようとするものです。今ではごく当たり前ですが、理科教育学で最も初期にそれをやったのは私だと自負しています。第二は、三十代から四十代前半の時です。一言で言えば「頭の仕組み基づいて教育を語ろう」ということです。教科教育学に認知心理学の知見を導入しようとしたものです。当時の理科教育学の若手・中堅の十人弱でやったものです。そして第三が『学び合い』です。

 私としては、このディベロッパーレベルの教科教育学研究の誕生が見てみたいと願います。不遜ながら、もうリフォームや一戸建てレベルの研究を読む気はしません。だから、クラスレベルの『学び合い』には興味は殆どありません。今は学校、地域、県レベルの研究の方にシフトし、そのレベルから教室レベルの改善を実現したいと思っています。あと5年は最前線で戦えるでしょう。そして、気持ちとしては退職の最後の年まで最前線で戦いたい。が、それを脅かす若手がいつ出るか、怖いような楽しいような。

追伸 個人のエゴですが。それが私の教え子や、『学び合い』の同志から生まれて欲しいと願うのです。もちろん、私は負けるつもりはありませんので。あははは

[]キャッチコピー 08:12 キャッチコピー - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - キャッチコピー - 西川純のメモ キャッチコピー - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は『学び合い』を保守派の人に認めさせる戦略を考えているのです。日本全体の保守派を説得するのは無理です。ですので、その中の一部にターゲットを絞った作戦をとろうと思います。経営学ではセグメント化と言います。そのセグメントは、隙間産業でなければなりません。そして、問題が重篤で、その解決のためには努力を惜しまない部分でなければなりません。

 私は、「児童数50人以下の小学校の全校異学年の算数、また、上記の中学校区の中学校(全校が150人以下の中学校)」が良いのではないかと考えています。

 このターゲットだったら、成績のこととかはあまり問題にならないと思います(逆に言えば、そうでない学校にターゲットを絞るのです)。『学び合い』の人間関係向上には速やかに効果がみられます。しかし、成績は時間もかかりますし、教師のセンスが問われます。その意味で適切な隙間産業だと思います。

 さて、へき地校の校長・教頭・研究主任レベルに『学び合い』を売り込む場合、以下のような書式のメッセージを作ることが有効です。(ムーアによると)

 その書式とは、

AはBで問題を抱えているC向けの、Dの学習であり、Eすることが出来ます。そして、Fとは違って、これはGが備わっています。

ここでポイントは、Fがポピュラーで、多くのへき地校の校長・教頭・研究主任レベルの人がそれを導入することに対して、ある程度の努力は惜しまないものです。自分の製品を相手に分かりやすく説明するのに、相手がよく知っている製品と対比させると分かりやすいのです。

今のところの、私の案としては、以下をざっと考えました。でも、本当に素人考えですので、知恵を下さい。

全校『学び合い』は、「固定化された人間関係」で問題を抱えている「小規模校」向けの「ソーシャルスキルトレーニング」であり、「学年を超えた多様な対人関係を体験」することができます。「従来のソーシャルスキルトレーニングや縦割り班活動」と違って「教科学習の時間をそのまま使い、定常的に実施することが出来る異学年交流授業」です。なお、マンパワー不足で手の回らない「特別支援の必要な子に対する支援」、「校内研修の充実」の問題も同時に解決することが可能です。(最後の部分はムーアは削るべきだと述べていますが、削りがたいのです)

 そして、それに対応したホールプロダクト、つまり、何も考えなくてもその通りやれば必ず出来るような資料をつくるのです。例えば、それようの『学び合い』の導入書をつくるのです。へき地校にはあまり必要のない部分は大幅にカットします。おおよそ10ページぐらいを目指します。そして、付録には上越地域で用いられている教科書に完全準拠した年間課題一覧を付けるのです。

 完全なテクニックです。でも、中には『学び合い』の可能性に気づく人がいるはずです。そこを足がかりにしようかな、と思うのです。そして、上越でプロトタイプをつくったら、へき地校の割合が多い都道府県・地域に売り込むのです。

 もちろん、「最善の方法は、多様な方法を柔軟にやりつづける」ことです。だけど、多様な方法の一つに考えています。少なくとも、今年度は意図的にへき地校にエネルギーを注ぎたいと思います。私の直感です。これはビンゴだと思います。

http://bit.ly/n9a6EU

[]容積 08:12 容積 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 容積 - 西川純のメモ 容積 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 夏休みの宿題をやっている息子が「容積ってどうやって求めるの?」と聞きました。へ?と思いつつも「縦×横×高さだよ」と教えると、「な~んだ、体積ということと同じだね」と応えました。

 考えてみれば、彼の読む教科書や通信教材は全て「体積」と表記されています。ところが息子の夏休みの問題集には「容積」と書かれていました。「あ~・・・。ユーザーチェックのない技術者のマニュアル」のような間違いをしているのだなと思いました。

[]発達 08:12 発達 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 発達 - 西川純のメモ 発達 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 発達段階にあった指導、という言葉があります。おおかたの教師にとっては正しい言葉と思われています。しかし、私はそれには乗りません。

 仮に「発達段階」というものがあったとしましょう。では、小学校2年生の発達段階というのがあるでしょうか?ありません。あるのは一人一人の子どもの発達段階です。そして、2年生には4月2日から翌年の4月1日生まれの実年齢で1年のひらきのある子ども集団です。では、どの子にターゲットを絞るのでしょうか?さらに、個人個人の発達段階の多様性は子どもを知っている人だったら周知のはずです。極端な例が特別な支援の必要な子です。そうでない子の中には、それに準じた子どももいますし、中学校の子供用の本を易々と読んでいる子がいます。では、どの子の「発達段階にあった指導」をするのでしょうか?一人の教師が全ての子どもにあった、それぞれの「発達段階にあった指導」を出来るわけありません。従って、仮に「発達段階があった」としても、発達段階にあった指導は出来ないのです。

 そして実際は多くの教師が思い描いているようなピアジェ流の発達段階は無いことは1970年代以降では常識とされています。彼の発達段階は認知心理学で言う文脈依存性・領域固有性を無視した実験に基づくものです。1960年代頃はその反証実験が学術論文になりましたが、1970年代頃になると常識となったのでよほどのことがない限り学術論文とならなくなったのです。残念ながら、上記の理解が学校現場に広がっていないように思います。

追伸 ピアジェの心を総体として捉えようという考え方は現在も多くの研究に影響を与えています。

maya-1maya-12011/08/17 08:24「ソーシャルスキルトレーニング」という言葉は現場では極めて受け入れやすい概念となっている気がします。これをしっかりと生かすというのは有効であると思えます。そこで「学級・学年を超えた、教科学習で行うソーシャルトレーニング」などちょっと浮かんできました。

jun24kawajun24kawa2011/08/17 18:25ありがとうございました。

h-kanzh-kanz2011/08/18 00:11西川先生がよくおっしゃっていた「超一流の研究」という言葉は、いつも頭の中をぐるぐるとめぐり、常に私にプレッシャーを与え続けています。部活動で実績を残し続け、いまだにそこから抜けられない名将としては、西川先生相手に勝てる気はしないまでも、ちゃんと試合になるようにしたいところです。
追伸:「実証的教育研究の技法」は研究者にとって名著です。そして、「なぜ理科は難しいと言われるのか?」は、教育者にとって名著です。この本は、教師にいい意味で「わきまえる」ことを示していると私は解釈しています。

jun24kawajun24kawa2011/08/18 06:36期待していますよ。厳しくね

Kyo_TokyoKyo_Tokyo2011/08/18 12:22いつも、ありがとうございます

僻地校で『学び合い』の実践が広まり、それが、その地域の都市部の学校にも広まっていくと良いですね

大都市や保守的な地域ほど、困っている先生や子どもは多いと思うのですが、そのような地域は、まずは従来型のように周りから批判を受けない実践ができる先生が増えていく必要があるのでしょうね

東北での普及について考えたいと思います

jun24kawajun24kawa2011/08/18 13:22是非。あたなた今そこにいるのも天のおぼしめしかも。

11/08/16(火)

[]時間 06:16 時間 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 時間 - 西川純のメモ 時間 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私はゼミ生を殆ど叱りません。からかう程度です。だって、しょうがない程度ですから。しかし、例外的に本気になって叱ることの一つは、発表時間を守らないことです。

 客観的に見ると、それより重大なことをしても呆れて、からかう程度なのに対して、発表時間を守らないと叱ります。理由は、発表時間を守らないという原因にある心があるからです。発表時間を守れない理由は二つあります。第一は、話の組み立てを考えていないからです。思いつきのレベルを、牛のションベンのようにだらだらと語っているようです。これは相手に対して不誠実です。第一の原因だけだとしたら、話の途中で切れば良いだけのことです。ところがそれをしないのは、自分の話がとてつもなく大事で、他の人の時間なんてどうでも良いほどであるという不遜さがあるからです。

 だから、今まで聞いた講演・発表で時間が守れなかったものでよかったものは一つもありません。もちろん、時間が守れたら素晴らしいかと言うことではありません。しかし、時間が守れなかったものがよいものでないことには例外はありません。

 そのため、世のしがらみのある仕事から離れて久しい人と一緒に仕事をするのは大嫌いです。なぜなら時間を守らないからです。最悪なのは、その人の後に仕事をすることです。大抵は、時間を大幅にオーバーします。結果として、自分の話(その話の組み立てに時間をかけた)をはしょらなければなりません。

 自戒です。もし、私が講演時間を守らず、そしてそれを本気に気に病んでいないようになったら、それは脳軟化症が始まったという証拠です。もし、そうなったら、この日のメモを見せて下さい。おそらく、何のかんのというかもしれませんが、本人(つまり私)は自覚します。

追伸 だから、私は立川談志さんの最近の話は大嫌いです。他のどなたが褒め称えても、私には聞くに堪えない。醜悪さを感じます。落語協会に所属していた頃の立川談志さんは本当に天才だと思います。芝浜、黄金餅、死神などは絶品でした。世のしがらみをものともせずにいる状態になると、よほどの人間でないと甘くなります。天才であっても、ぎりぎりまで自分の話を組み立て、そぎ落とす営みがなければ、ひどい話になります。そして、その傲慢さと手抜きの心は話に現れます。天才ならず凡夫なればなおさらです。これまた自戒です。

[]直ぐやる 05:33 直ぐやる - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 直ぐやる - 西川純のメモ 直ぐやる - 西川純のメモ のブックマークコメント

 息子を見ていると、私によく似ています。自分の興味があることに集中して、それ以外のことを直ぐに忘れます。そのため、言いつけられたことを忘れ、よく叱られます。息子のは「忘れるのは誰にでもあること、おとうさんもよくある。どうしたらいいか?それは言われたら直ぐにやる。それ以外にない」と言います。

 ゼミ生によく言います。「日本を変えろと私がよく言うが、無茶苦茶凄いことをやれと言うわけではない。自分の生活を乱さずに出来る普通のことを、毎日やり続けること。ポイントは毎日やり続けること。そして、大きなことを願うならば、そのレベルを願っている人と繋がること。繋がりたいならば誠意を持つこと。誠意と言っても凄いことではない。家族に迷惑をかけない範囲の、ごく普通のことを常にやり続けること。おはようと言われれば、おはようと言う。いや、自分からおはようと言う。そのレベルのことを常にやる。信用金庫がその人に金を貸すか否かを決めるのは、その人の資産や預金残高で決めるのではなく、その人がどれだけ長期間その信用金庫の口座を持っていたか、そしてその預金残高の長期の推移傾向だ」と語ります。

 私は自分がいかに不誠実であるかを知っています。というより、私はアスペ傾向があるため、相手の気持ちをくみ取り損なう傾向があります。そして、相手から不誠実と思われるといかに不利かを知っています。だから、身を守る戦略として、自分の出来ることを、直ぐに、常に、やるという、私でも出来ることをし続けています。

http://bit.ly/qD3gu6

http://bit.ly/oftn98

http://bit.ly/qcnjSe

追伸 この手のメモを書くと、「私ではないでしょうか?」というメールをいただきます。何度も書きますが、それを書こうとするような方は、そうではありません。ご安心を。あははは

FlipperKFlipperK2011/08/16 20:55 自分のことのように読ませていただきました。と、いうか、心の中で滝のように冷や汗がながれています。

takami_swctakami_swc2011/08/16 21:23同じです。自分のことかどうかはさておき,大なり小なり同じような不誠実は思当たります。自戒,自戒ですね。

jun24kawajun24kawa2011/08/17 06:20あははは
メモで書いたようにお二人ではありません。
ただ、自戒に生かしていただければありがたい。

11/08/15(月)

[]質問に応えて 16:48 質問に応えて - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 質問に応えて - 西川純のメモ 質問に応えて - 西川純のメモ のブックマークコメント

 東京でのフォーラムでは、私の講演の後、質問・感想がポストイットに書かれ、張られました。それに書かれたことに対して、レスをしていませんでした。それに対して、レスをしたいと思います。

 なお、時間の関係で短いレスしかできません。ご容赦下さい。足りない場合は、是非、メール下さい。誠意を持ってレスします。なお、私のメールアドレスはグーグルで検索すれば私のHPやブログがヒットし、そこにメールアドレスが分かるようになります。なお、HPの『学び合い』を学ぶコーナーを見れば、読み終わるには1週間以上かかる膨大な情報が公開されています(無料で)。

 なお、私は全てのメールには誠意を持って返答いたしますが、以下の場合はそうしません。第一は、大人と大人の会話のお約束が守れない方です。面識のない相手と直にあったときにしないようなことはしないで下さい。第二は、不誠実な方です。例えば、自分が必要なときは直ぐにレスを求めるのに対して、私からのメールに対してのレスがないか、自分が必要なときにレスするような方です。返答が遅れる場合は、とりあえず受け取ったという返答は必要だと思います。また、誠意を持ったメールには「ありがとう」という一言は直ぐに必要だと思います。もちろん、私の返答が納得できない場合は、納得できないという返答(たたし大人の会話のルールで)を送ることは、誠意だと思います。少なくとも返答無しの場合は不誠実だと思います。

 ということで私のメールのやりとりをする方の99.9%以上はそうではないですよね。だからご安心下さい。

 さて、ポストイットの内容と私のレスを以下に挙げます。

Q:ミッション「1人も見捨てない」「子どもの力を信じる」

A:質問形式ではないので、エールとして受け取らせていただきます。

Q:今、大変になっているところからでも実践できるのですか?

A:はい、実践できます。というより、他にないと思います。考えて下さい。その大変な状態をどのように脱しますか?教師一人で出来ますか?出来ませんよね。だから、子どもたちみんなと脱するしかありません。考えて下さい。そのクラスの多くは、今の状態は自分たちに不利であることを理解しています。そして、クラスのオピニオンリーダーは、それをハッキリ意識できるはずです。であれば、その子達にみんなが出来るようになろうと声がけするのが『学び合い』です。大変な状態から『学び合い』をするのは、クラスがよい状態から出発するより大変です。でも、それより他に道はないとは思いませんか?

Q:何から始めたらよいですか?

A:出来れば生の『学び合い』を見ることがお勧めです。それがかなわなければ、私や三崎先生の本をお読み下さい。私のHPには各種の資料があります。とりあえずはネットブックの「導入書」をお読み下さい。そして何よりも大事なのは、疑問を持てば知っている人(例えば私に電子メールで)に聞くことです。理解には対話が必要です。子どもと同じです。

Q:西川先生の講演の目的は?

A:あははは。主催者からは私のライフヒストリーを30分程度でまとめて欲しいと依頼がありました。

Q:Skypeを使う意味は何?必要?

A:今回は十分に活用できたかは疑問があるかもしれませんが、今後活用すると良いと思います。

Q:子ども同士の自己評価の方法

◦ 自己評価

▪ 正確な評価ができる。

▪ 生徒の方が厳しい傾向

▪ …とのことでしたが、具体的な自己評価方法が気になりました。評価方法は生徒が考えるのでしょうか?

• 『学び合い』による子どもの自己評価の厳しさを、私も実感しています。彼らの凄さを感じる場面の一つです。

A:詳細は以下をご参照下さい。

中井弘子・水落芳明・桐生徹・神崎弘範・西川純:中学校理科授業における学習者の相互作用による自己評価に関する事例的研究、理科教育学研究、日本理科教育学会、51(1)、93-102

 なお、小学校については杵渕さんの修士論文があります。ようは、指導要領の原文を示し、それに基づく評価をするよう求めるだけのことです。子どもの中には、それが出来る子は2割はいて、その子から広がります。

Q:本当に『学び合い』のみで授業が成立するのか。自信がありません。

A:事実として、それで成り立っている人がいます。逆に聞きますが、元気いっぱいの子ども、中にはADHDの子がいるクラスで、子どもたちを1時間、黙って、座らせて、ノートをとらせる授業のみで成立するのですか?あはははは

Q:「1人も見捨てない」心に深く残りました。

A:ありがとうございます。

Q:『学び合い』とは何ですか?

A:一人も見捨てない、という原初の願いを徹底的に突き詰めた結果です。

Q:「全ての子を救う」ということに対して、何を基準に「救った」と言えるのか?

A:一人一人によって救われたいものは違います。しかし、それを教師が分かるわけありません。では、教師は何に注目するか、第一にクラスの最低点だと思います。「救われた」ふりを子どもは出来ます。しかし、テストの点数を上げるふりは出来ません。クラスのひずみは、テストの最低点にまずは現れます。それで救ったとは思いませんが、まずはそこからだと思います。

Q:西川先生の「夢」の中に、「全校生徒が体育館で集まって「学び合い」を…」というものがありましたが、全校集会とはちがう形なのでしょうか?具体的に教えていただけると嬉しいです。私も「いいなあ、やってみたいなあ。」と思いました(将来)。

A:全校『学び合い』自体は4年前から実践を積み上げています。現在は複数の学校の全校『学び合い』をやり始めたところです。

 全校集会・運動会のようなものとの違いは、第一に目的が共有しているかです。例えば、全校集会をやっているとき、子どもにこの全校集会の目的は何?と聞いたとき応えられる子どもはどれだけいるでしょうか?おそらく限りなく0だと思います。運動会との違いは定常的にやっていることです。ある学校では、年間の算数は全て全校『学び合い』で実践しました。そして、子どもたちに全校『学び合い』の目的は何?と聞けば、「全員が課題を達成すること」と答えられます。見たければ上越においで下さい。いつでもやっています。

Q:失敗談を教えてほしい。

A:私の『学び合い』の手引き書でQ&Aは過去の失敗事例とお考え下さい。なお、「はてな」の『学び合い』グループ(私のブログからリンクされています)を読めば、どんなことに悩み乗り越えているか、リアルタイムで読めます。もちろん、私もです。偉そうに言っていますが、私自身も自分のゼミでは失敗をします。それはブログで書いています。

Q:子どもの自己評価の具体的な項目、やり方を教えていただきたいです。

A:先に紹介した自己評価関係の文献をお読み下さい。なお、私にメールいただければ対応いたします。

Q:子どもたちが「つながりたい」「つながれる」と信じて、私も「学び合い」を始めたいです。

A:是非。『学び合い』で一番難しいのは「やる」と決意すること。やれば、それほど難しくはないですよ(ただし、何でも同じですが、簡単だというわけではありません)

Q:共感>研究授業の検討会は子どもたちに問いかけた方がおもしろい。

A:考えれば当たり前だと思うのです。ね。

Q:クラス全体に、教えるために勉強するまで追い込んでいいのか?

A:はい、それは教える側の子どもにとっても重要なことだと思います。なぜなら、『学び合い』はテストの点数を上げることを目的としているわけではありません。大人になってから大事なことを学ぶことを目的としています。100点を取ることを目的としているのだったら、それほど追い込む必要はありません。しかし、彼らが大人になったとき頼れる仲間を得ることは重要だと思うのです。

Q:もっと学びたい。

A:是非、たたけよさらば開かれん、求めよさらば与えられん。

Q:課題のあることない子との

A:すみません、質問の意味が分かりません。メールいただければお応えします。

Q:Pとの関係

A:すみません、質問の意味が分かりません。メールいただければお応えします。

Q:全員が分かるようにするのは、教師の仕事(子どもではない)のでは?

A:はい。そう思います。一人一人が分かるためには、その子にあった支援が必要です。ところが、一人の教師では物理的に不可能です。だって、一校時ごとに支援が必要があり、一校時をクラスの人数で割れば、その時間で支援は不可能であることは明らかにです。だから、『学び合い』では教師が教えるのではなく、クラス全員が支え合う集団づくりにエネルギーを費やしています。それが教師の仕事だと思うのです。

Q:どうでもいいけどどうしてみんな(共有ボードに)端から貼っていくんだろう。もったいない…。

A:あははは。それは社会心理学のパーソナルスペースの項をお読みなるとヒントがあると思います。

Q:「子どもが全て運営する研究会」実現したら素敵ですよね。

A:ほぼそれに近い実践をしている中学校はありますよ。とても素敵です。なお、方法は子どもに任せますが、目標の設定と評価は、教師の専権事項だと思います。

Q:研究主題を子どもに伝えることはすごく有効だと思います。今度子どもたちに話してみます。

A:是非。少なくともそれで失うものは殆ど無いはずです。

Q:「1人も見捨てない」この考えがクラス全体に浸透することが、『学び合い』がよく成り立つのだと感じました。

A:はい。それで一貫した行動を教師がするのですから浸透します。

Q:「1人も見捨てない」ということを忘れてはいけないことを、改めて強く思いました。

A:はい。それは道徳の徳目ではなく、実利的な得なのだと思います。だから続くのです。

Q:分かっている子(分かる子)がいるという前提で成り立つように思うのですが、塾などで先取り学習をしていない子が多数派であるグループでも成り立つのでしょうか?

A:はい、0でなければなりたちます。おそらく日本の殆どで成り立ちます。例外は僻地小規模校で同級生が数人という場合があります。その場合は、異学年学習を定常化すればよいのです。

Q:「少し分かる子」が少し、大多数が「分からない」場合は?

A:上記と同じです。

Q:仰っていた「荒れた学校(分からない子がほとんど)」でも可能?

A:可能です。学力低位の高校で成立させた事例を持っています。しかし、先に述べたように、あれた学校で始めるのは大変ですが、『学び合い』以外に出来るかを考えて下さい。おそらく、カリスマ教師や怖い教師の前ではよい子になります。しかし、そうでない教師の前でしわ寄せが来ます。そして、その教師が「力のない教師」と攻められます。なによりも、古典的な社会心理学の研究が成果が示すように、そういう学校ではいじめが発生します。つまり、見栄えは良くなっても、実態を悪化させるのです。

Lewin,K.,Lippitt,R. & White,R.K., Patterns of aggressive behavior in experimentally created “social climates”, Journal of Social Psychology, 10, 1939, pp.271-299

Q:あらかじめ分かってる訳じゃなくて、その場で分かるかどうかってことじゃないですかね。

A:そういう場合もありますが、日本の現状では、学校でやっている中の下に合わせた授業レベルを答えられる子は2割はいます。そういう国に育っています。現状の一斉学習が生まれた明治当初の状況とは違います。このあたりの詳細は私のHPに公開しているネットブックの手引き書に書いています。

Q:学び合う集団づくりの意味は分かるが、「①塾やベネッセで下積みがある」「②補習するでなく、集団で全員が分かる」この2点についてはハードルが高すぎて、もっと実践例を知りたいと思っています。

A:あははは。これが成り立ってないクラスは僻地小規模校以外無いですよ。試しに、授業をする前に、単元テストをされると良いですよ。2割以上は約8割の点数をとるはずです。

Q:学ぶ構えのない子どもに対し、どのような形でスイッチを入れるのか?学び合いとの関わりで、どのように変えていけるのか?

A:その子達にとって学習でスイッチは入りません。入るとしたらクラスの人間関係です。だから一人も見捨てずということがスイッチになるのです。

Q:「分かった!」と言うことがどういうことか分からない子どもたちに、「本当に分かった!」というレベルに達するまでのプロセスを見てみたいなあと思っています。

A:長いプロセスです。それを本気で見るならば上越教育大学の西川ゼミにおいで下さい。いやっていうほど、膨大な子どもたちのつぶやき・行動を通して学べます。結論から言えば、エポックメーキングな行動ではなく、馬鹿馬鹿しいほど普通の行動が、気の遠くなるほどの積み上げによって出来上がることが分かります。だからほど、本当に分かるためには、気の遠くなるほどの子どもたちのつぶやき・行動を見るしかないのです。

Q:子どもたちのモチベーションはどうやって高める?少しずつ「ぼくたちはできる!」という体験を積み重ねる?

A:最初は、単純に黙って座っている授業より楽しい、から始まります。でも、もっと上を目指すには、本気で一人も見捨てないことしかないことが分かるのです。ま、「クラブ」の野球クラブが「部」の野球部になり、甲子園を目指せる野球部になる過程を想像下さい。

Q:「これがクラス全員で目指し達成できた『学び合い』だっ!」と生徒達が実感できる体験をさせたい。それができないと、生徒が動かない…。

A:それはいきなりは無理です。上記の通りの積み上げが必要です。しかし、そこで必要になるのは段階にあった指導プロセスではなく、一貫した「一人も見捨てず」という教師のスタンスです。

Q:日本の学校だと人間関係の部分は、教科学習以外にも学べるところがたくさんあると思う(文化祭なり体育祭なり)。勉強までみんな「同じ目標」にするのは疑問。できない子にはよいのだろうが、できる子はどうなる?

Q:私はそう思いません。日本の学校の「全て」の子どもが今日学習以外で学べるとは思いません。『学び合い』は一人も見捨てずにです。なお、出来る子が出来ない子を教えるという枠組みで考えるならば出来る子はメリットはありません。しかし、『学び合い』はそうではありません。折り合いを付けて自らの課題を解決することです。ちなみに『学び合い』を一番強く支持するのは、出来る子です。なぜなら、それが自分にとってメリットがあることをもっとも深く理解しているのは彼らですから。そのあたりは、私のHPのネットブックの手引き書をご覧下さい。絶版した「勉強しなさい!を言わない授業」には詳細があります。

Q:「学力向上と人間関係は表裏一体である!」と言い切ろう!「勉強するってかっこいい」と思う集団を形成しよう!

A:はい。そう言い切ることの方が、かけ算の繰り上がりを教えるより、はるかに教師の仕事だと思います。前者は教師だけが出来ることです。

Q:「学びの共同体」と『学び合い』との違い、あるいは同じところ。

A:最も質問される回数の多い質問の一つです。以下をご参照下さい。http://bit.ly/lSGq8w

Q:教師の必要性、役割。

A:一人も見捨てるな、と言い続けることが教師の仕事です。経営学のリッカートを読むと分かると思うのですが、管理職には上級管理職と下級管理職がいます。前者が社長や取締役で後者が係長・主任があたります。後者は部下と同じような仕事をしつつ管理職の役を一部行い、前者は管理職の仕事に専念します。後者は、部下が行っていること(学校の場合、漢字の書き取り、かけ算の速さ)の知識・技能の高さが業績に比例します。しかし、前者の場合は、その相関はほとんどみられません。前者に必要な職能とは、集団の達成すべき課題を部下がやる気になるような語りを出来るか否かなんです。また、人からいやがられても、評価を行い、駄目ならば駄目という能力です。学校で言えば、先輩教師と校長の違いと考えればいいでしょう。従来の授業における教師の役割は下級管理職であり、『学び合い』における教師の役割は上級管理職です。

Q:教師の役割がイマイチピンと来なかった。いいなあと思う未来は見えたと思う。

A:役割は上記の通りです。

Q:他の先生から「場のシメ方」を学ぶ、と言う話。『学び合い』は単に放任しているだけじゃないことが分かった。その塩梅が難しそう。

A:塩梅はあればあったに超したことはありませんが、必須ではありません。重要なのは、一貫して求め続けるか否かです。どんな塩梅をしても、それにフィットする子どもはいるし、フィットしない子どももいます。集団の利害に一致する占め方(一人も見捨てずに)なれば、集団のメンバーの中で納得させあいます。ま、一般論ですが、昔から言われることですが、一つしっかり叱るためには十褒めねばなりません。駄目なところに目を奪われるのではなく、良いところに目を向けることが大事です。

Q:子どもの持っている力を信じるというのは、簡単そうで難しい。『学び合い』で教師はどんな役割で、何をして、何をしてはいけないんだろう?分からなくなってきました。

A:子ども個人を信じる必要はありませんし、してはいけません。するとその子に「ミニ教師」を押しつけて負担を負わせることになります。我々が信じるべきは子ども集団です。最初はクラスの2割程度の子ども集団が動いてくれます。しかし、それが4週間程度で6割になり、3ヶ月程度で8割になり、そして1年かけて十割の子どもを信じればいいのです。少なくとも、自分一人を信じるよりは、信じられますよ。少なくとも私は2割の子ども以上のことが出来るとは自分を評価していません。だから、少なくとも「まし」と信じています。

Q:昔の教え子(暴走族?)達が、今の西川先生の主張を聞いたら、なんて言うかなあ…?

A:それは自信がありません。でも、彼らの前に教師として前に立つとしたら、『学び合い』以上のものは無いと思いません。少なくともかってやった、面白くて、分かったつもりにさせる授業の結果として生まれるものをよく知っていますから。

Q:ミッションを課すこと(課された課題を解決すること)から、課題・目的(ゴール)を自ら見つけることへは、大きな飛躍が必要な気がしますが?

A:個人としては大きな飛躍ですが、集団としてはなめらかな変化です。ある程度成長したクラス(まあ、3ヶ月ぐらい、純『学び合い』を実践したクラス)だったら、かなり無茶な要求もこなしますよ。というのは、それをこなせる子が数人いれば、集団の力をその方向に向けられますから。

Q:「話を聞こうとする態度」と「構え」はどう違うのか?コンテンツとミッションの違いですか?受け身とインタラクティブな授業の違いですか?楽しそうだなという思いは共通ですね。

A:態度と構えは、ま、同じ意味と考えて下さい。強いて言えば、構えの方が学術用語の縛りがないので広い意味で使えます。ただし、『学び合い』は相互作用を目的としているのではなく、結果として相互作用的になります。あくまでも目的は、多様な人と折り合いをつけて自らの課題を解決することを学ぶことですから。なお、『学び合い』は楽しいのは最初です。最後は大変です。ま、炎天下の中で校庭を走っている野球部を思い出して下さい。炎天下で校庭を走ることは楽しくありません。しかし、その意味が分かれば、やります。

Q:『学び合い』は技能教科では想像しやすいけど、算数や理科などでは「1人も見捨てない」状況を作り出す環境はどのようなものなのだろうかと、とても興味が湧きました。

A:小中高の全教科は基本的に技能教科だと思います。そして、どの教科も大学の専門レベルを超えれば技能を超えます。でも、いずれにせよ、我々は課題を解決する際、最大の「ツール」は人です。

Q:『学び合い』が成立しやすい教科や単元があると思うのですが。全ての授業できちんと成立するものなのでしょうか?

A:教師が入りやすい教科はあるかもしれませんが、子どもにとって成立しやすい教科はありません。全部成立しやすい。だって、黙って黒板を写す授業より分かりやすいし、楽しいですから。そして、全ての教科で実績がありますよ。

Q:管理職の強い意志がないと難しいと感じています。

A:管理職が意志を持っていただければやりやすい。でも、それは必須ではありません。管理職に望むのは反対しないで欲しい、それだけです。重要なのは、その学校の職員集団の中で一定数の教師から「徳」があると思われる教師を含む3人が『学び合い』に取り組もうと思っているか否かです。それが出来るか否かが学校で取り組む場合の大きな山です。それを成り立たせるためには、職員集団の中で折り合いを付けることと、結果です。

 逆に、管理職がどんなに求めても、「徳」のある教師を説得できないならば、無理です。

Q:保護者への理解は得られるのでしょうか?

A:基本的にはちゃっとした理解のプロセスを行い、結果を出せば理解してもらえます。その詳細は、私のHPに公開しています、導入書の後半に書いてあります。ポイントは、一人の保護者からクレームが出たとたんにおたおたするぐらいだったら、ちゃんと事前に布石を置くと言うことです。

Q:中学校の教科担任制だと、クラスによって、学年によって『学び合い』が成り立ちにくいことがある。どうしたらいいのか。今の悩みです。

A:そんなことはありません。子どもは教師ごとにその姿を変えます。『学び合い』が成立する時間は小学校も中高の変わりありません。子どもが変わる時間ではなく、教師の替わる時間なのです。

 中学校での問題は、中学校の学年意識です。学年主任が強制的だと横並びを要求する場合があります。その場合は、したたかにやって下さい。でも、一度、理解されれば中学校の方が学年意識があるので広がるのは楽ですよ。だって、あなたが国語で『学び合い』を成立させれば、それは学年全員が『学び合い』で何が求められるかを子どもは経験しているのです。ですので、数学の先生が『学び合い』をやりたいというならば、その先生の授業であなたが数学をすればいいのです。課題は数学の先生と相談して決めて下さい。おそらく子どもは「先生、なんでいるの今は数学だよ」と言うかもしれません。でも、「今日は私が数学を教える。では、本日の課題は○○だ。いつも通りの『学び合い』で良い。絶対に一人も見捨てるな。どうぞ」と言えば、『学び合い』が成立します。「国語では『学び合い』は成立するけど、数学では難しい」と言っている数学の先生に対する証拠は、一目瞭然です。

Q:年齢の違いでの『学び合い』は、知っていることに大きな幅がある場の『学び合い』はどんな感じなの?

A:以前、そのような研究をしました。でも、結論から言えば、それは本質的ではありませんでした。大事なのは教師のスタンスでした。

古田豊、西川純(2001.9):小学校理科学習における『学び合い』の発達に関する研究、話し合いケースに着目して、日本教科教育学会誌、24(2)、日本教科教育学会、11-20

Q:『学び合い』を始めるにあたって、小1~6と段階があると思うのですが、どういった段階を踏んでいくとよいのか。そのあたりについて聞いてみたいと思います。よろしくお願いします。

A:上記の通りです。殆ど段階を踏む必要はありません。まあ、低学年での「喧嘩」の対応策程度です。詳細は、私のHPに公開している、導入書をお読み下さい。

Q:特別支援学級内でも『学び合い』は可能か?一般級と同じやり方でよい?

A:殆ど同じです。ただ配慮がいる場合もあります。

 特別支援学級の子どもの中には、『学び合い』においては通常学級で学んで問題が無く、中には100点を取れる子どももいます。それらの子どもは、疲れている担任から特別支援に追いやられた子どもたちです。おそらく特別支援学級の半数以上がその子達です。ちなみに私は小学校3年までは知恵遅れと担任に思われていました。その子の場合は、通常学級が『学び合い』が成立したら、いつでも戻すことが出来ます。

 しかし、ごく一部ですが、本当に能力的に障害のある子がいます。その子の場合は、常に通常学級で学ぶのは疲れてしまいます。しかし、その子も社会に出なければなりません。そこには特別支援の人はいません。その子は、通常学級の子どもと折り合いを付けることを学ぶ必要があります。だから、通常学級と特別支援学級とを並行しなければなりません。その塩梅は、その子に合わせるしかありません。

 きつい一言ですが、もし、その子を特別支援学級でずっと学ばせていたら、その子は社会に出る勉強をいつするのでしょうか?このことを考えながら、バランスをとって下さいい。

Q:多動で教室を出て行く子がいる学級で、その子も入れて『学び合う』ことは可能でしょうか?

A:あはははは。そのタイプの子どもが一番楽です。だって、『学び合い』だと全員が多動状態になるのです。だから、その子が目立たなくなります。おそらく1週間以内に問題が解決します。その場合、クラスに語るべきは「静かにしなさい」ではなく「動いて良いのよ。でも、みんなが出来るために全力を出しなさい」と。

 以上、準備委員会よりいただいたポストイットは以上でした。時間の関係で短いコメントですが、分からなかったら場合は、いつでもメール下さい。誠意を持って回答します。

scorpion1104scorpion11042011/08/15 20:04「一人も見捨てない」とは、どのようなことなのか。
N先生が個々の感じた一つひとつのQにも誠意を持って応えてくださっておられること自体が、「一人も見捨てない」そのものであることを私たちに言葉だけでなく行動でも示してくださっておられる。そして、「子どもの力を信じる」とは、私たちそれぞれの力をも信じてくださっているということだと思う。
お盆のお休みのときにまで、私たちのために本当にありがとうございます。

sakana10sakana102011/08/16 00:48ブログに書くと記事が流れていってしまうので「Q&A」といったカテゴリーをつけるか、HPの方にQ&Aのページが欲しいです。

sumi-chansumi-chan2011/08/16 00:54西川先生、ありがとうございます。
フォーラムのスタッフブログ、および、フォーラムHPにも掲載させて頂きたいと思います。よろしくお願いします。

jun24kawajun24kawa2011/08/16 05:14scorpionさんへ
 出来ることを、します。
sakanaさんへ
 直ぐ対応するでしょ?
sumi-chanさんへ
 ご苦労様でした。

11/08/14(日)

[]実験教 19:56 実験教 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 実験教 - 西川純のメモ 実験教 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私は理科人です。理科人には「実験教」という宗教があります。何しろ、それが宗教であることを知らないほど深く信仰されています。この宗教では「見れば分かる」という宗旨です。だから出来るだけ見せるべきだと考え、見れば分かると思うのです。

 非理科人の息子と一緒に科学博物館に行くと、情けないほど、この宗教が馬鹿馬鹿しいことが分かります。理科人である私には科学博物館の様々なディスプレーが何を意図しているのかが分かります。ところが息子はそれに気づいていずに、単に「球を投げ」、「動かし」、「自分を映し」・・・・をしているだけです。そして、その現象が実に驚異的であったとしても、それが驚異的とは思っていません。単に、いつもとは違うなという点です。そこのディスプレーが一つ一つ数百万円以上をかけていて、それが複数のビルを閉めているのですから、天文学的な金額です。

 この手の展示物は、理科がよく分かって理科が大好きな人が設計します。しっかり確かめていませんので断言できませんが、ここもそうではないかと思います。何故、日本中の大部分を占めている非理科人の意見を聞かないのだろうか?なぜなら利用者の大部分は非理科人なのですから。

 『学び合い』では教科書づくりを課題にすることがあります。彼らは実に素晴らしい教科書を作ります。子どもがそれだけの能力があると信じている『学び合い』なればと思います。ちなみにこれで神埼氏は博士の学位を得ました。

追伸 どこかの科学館が申し出てもらえるならば、非理科人からの科学館づくりを子どもたちに与えたいと思います。素晴らしいものが出来ると思います。少なくとも、非理科人にとっての科学博物館という意味だったら、今より「まし」であることは断言できます。だって、ユーザーの声を聞かずに、記述者の声で作った商品が売れた試しはありませんから。

追伸2 見せることは有効です。それは確かです。でも、見せても分かる人はごく一部だと言うことも確かです。『学び合い』は生を見ることは有効です。でも、分からない人もいます。人は自分の既に持っている枠組みで理解しますから。それに「分かりたくない人は」絶対に分かりませんから。

神崎弘範、西川純(2006.11):総合的な学習の時間のねらいを踏まえた理科学習の展開の可能性について、『学び合い』を軸とした生徒による教科書作りの活動を通して、理科の教育(投稿分野)、55(11)、66-71

後藤正英、久保田善彦、水落芳明、西川純(2007.3):中学校の理科実験における子どもの課題解決に関する一考察、「探究の過程」を強制しないカリキュラムにおける実験の予想に着目して、理科教育学研究、日本理科教育学会、47(3)、1-8

後藤正英、久保田善彦、西川純(2007.10):課題選択学習における子どもの単元構成に関する研究、理科の教育(投稿分野)、日本理科教育学会、56(10)、65-68

神崎弘範、西川純、久保田善彦(2007.11):生徒同士の相互作用を重視した理科学習における「自作教科書作りの活動」についての実践的研究、中学2年生理科・「電流のはたらき」の単元の実践から、理科教育学研究、日本理科教育学会、48(2)、23-34

福留明子、西川純(2008.2):小学校1年生における子どもの相互作用を生かした学習について、『学び合い』による学校探検の教科書作りを通して、臨床教科教育学会誌、臨床教科教育学会、8(1)、89-106

藤井麻里・水落芳明・西川純(2009.11):道徳における『学び合い』関する実践的研究、-小学生による道徳教材作りを通した学びからの考察-、臨床教科教育学会誌、臨床教科教育学会、9(2)、55-65

神崎弘範・西川純・久保田善彦・水落芳明・桐生徹(2010.3):自作教科書作りの活動からみた「生徒の考えるわかりやすさの要件」についての実践的研究、理科教育学研究、日本理科教育学会、49(3)、77-90

[]講演 19:21 講演 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 講演 - 西川純のメモ 講演 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 私の講演は、不遜ながら飽きないものだと思います。が、10ぐらい聞こうと思った人に、150ぐらいの情報をたたき込むのですから、何が何だか分からなくなります。従って、司会者から「質問は?」と言われて質問する人はよほどの方です。が、さすがフォーラム。聞く準備が出来ている人が多いので、聞く構えが出来ています。

 でも、いっぱい質問したいことがあったと思います。それに応えたかったと思いました。が、30分の中であれば、これが出来る限りと思います。

 フォーラムの準備委員会の方々に感謝いたします。

 http://bit.ly/rr33Ti

makiwarisanmakiwarisan2011/08/14 22:25講演が何分でも、その人の「志」は、伝わってきます。
その「志」が、人の心を動かし、新たな行動を生み出すのだと
思っています。だから、なるべく前で肌で感じていたのです。

jun24kawajun24kawa2011/08/15 06:13ありがとうございます。
志を一人で保つ人は歴史に残るような人レベルの人だけが出来ることだと思います。凡夫は人の志を充填し合って維持できる。私も二百人の人の志をいただきながら語れました。もちろんmakiwarisanの志も。

11/08/13(土)

[]美意識 20:05 美意識 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 美意識 - 西川純のメモ 美意識 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 職能のイメージに『学び合い』とそれ以外に大きな違いがあるように感じます。今までは、現状にプラスアルファーを求めてきた。引き出しの多い教員、ていう表現が典型的ですよね。でも、『学び合い』はぎりぎりまでそぎ落とす。

 何も変哲のない教師が、何もしていないように見えるのに、学級がうまくいく。他の人から、「どうしたらこのようにうまくいくのか」を問われたら、「別に何もしていないよ」とさりげなく言うのがかっこいい。ま、何もしなくてうまくいくわけ無いよね。でも、そのあたりが格好いいのです。

[]熱い 20:01 熱い - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 熱い - 西川純のメモ 熱い - 西川純のメモ のブックマークコメント

 日本が亜熱帯になってきたことが現実味を帯びてきました。あつい、熱すぎます。

FlipperKFlipperK2011/08/13 21:05「先生のところはええよなぁ」と言われるときに、「ええ、子どもに恵まれてますから」と返すのがたまりません。倒錯しているのかもしれませんが…。

jun24kawajun24kawa2011/08/14 05:36そういう自慢が美しいと思います。

11/08/12(金)

[]痛快 17:40 痛快 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 痛快 - 西川純のメモ 痛快 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ある海外の日本人学校に転校生が入学してきました。実は、子どもは日本では『学び合い』学級で育った子です。

 明らかに偶然です。しかし、偶然は確率的にある必然が起こるときに起こるものです。あははは痛快です。と同時に、その子は強運の持ち主です。

http://bit.ly/pswIBe

11/08/11(木)

[]ゴチャゴチャ 05:37 ゴチャゴチャ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - ゴチャゴチャ - 西川純のメモ ゴチャゴチャ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 よく学生に言うことです。私は何もしないけど、うまくいくことが一番好き、と。『学び合い』に関する日本中のゴチャゴチャがとても心地良い。

11/08/10(水)

[]中国の会 19:54 中国の会 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 中国の会 - 西川純のメモ 中国の会 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 9月4日に山口で『学び合い』中国の会が開かれます。私も話します。http://bit.ly/pZkHd0

[]補足 09:13 補足 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 補足 - 西川純のメモ 補足 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 先のメモで「一部の子どもを見捨ててもしょうがない」と思うタイプの人として自身の協働性が弱まり病んでいる人のことを書きました。他に私の知る限り2タイプいます。

 いずれも他人の気持ちを想像する能力が低い人です。以下のリンクで紹介するメモの前者は、見捨てられる子の存在は理解しているが、それがどれほど苦しんでいるかが分からない人です。後者は、見捨てられている子がいること自体が理解できない人です。

http://bit.ly/hgHCCW

[]譲れぬ一線 06:33 譲れぬ一線 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 譲れぬ一線 - 西川純のメモ 譲れぬ一線 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 東京の『学び合い』フォーラムでは、話の内容と言うよりも参観者の空気を感じたくて、色々な発表を遠くから見ていました。そうすると分科会の中には「これを言うと西川先生からは違うと言われると思うが」とか、ひどいのになると「叱られる」と言う人がいました。あははは。ま、笑いながら言っているのですが、ネタの一つだと思います。しかし、その人はそうでないことは分かっていますが、聞いた人の中には本気にする人もいるかもしれません。ましてや、全国の人の中にはそう思っている人は少なくないと思います。そこでメモります。

 まず、私はガンガンの従来型指導は大好きです。子どもたち(私の場合は学生さんや現職さん)に一言も言わせず、ジェットコースターのようなマシンガントークで1時間半の講義中語りまくるのは快感です。講演も同じですが、語る前には不安で不安でしょうがないのですが、一度語り始めればフルスロット。ま、教師になろうと思うような人は、これが好きな人が多いでしょうね。

 テクニックの有効性は分かっています。それを旨く使えるならば使えばいい。話術もカリスマ性もそうです。でも、それを必須事項としたら、それに合わない教師を見捨ててしまいます。それらが必須事項ではないと言っているのです。そして、本末転倒する危険性があることを意識出来るならば、先に述べたように使った方が良い。

 教科の内容なんてくそ食らえと書きます。でも、レトリックです。そうでも書かなければ学校観が伝われないから。自分な好きなもの、それを伝えたいと思うことは当然です。そして、例え教えたものが子どもに分からなくても、その内容に対する気持ちは子どもに伝わります。

 子ども集団は有能だと書きます。でも、そうでもない状態の集団がある場合を否定しません。でも、有能だと考えなければ問題の解決策が見えないからこそ、有能だと考えるべきだというレトリックです。

 では、譲れない一線は何か?それは「一部の子どもを見捨ててもしょうがない」とある人が言ったら、「あなたは私の同志ではない」と思います。実際には「一部の子どもを見捨てていても」そうは思いません。私だってそうです。でも、それに対しての心のやましさを失えば同志ではない。でも、その人を人格否定はしません。その人は病んでいるのですから。つまり周りから見捨てられているのですから。

 考え方とテクニック、これは相対的なもので、入れ子構造のようなものです。「一人も見捨てない」という始原の願いに対しては、学校観・子ども観さえもテクニックと言えます。最善の方法(テクニック)は、多様な方法を柔軟に適用し続けることです。

追伸 第一に、私がどう思うかなんて、どうでも良いことですよね。私を引き合いに出されると、私が怖い人のように思われてしまいます。あははは

t-oshimat-oshima2011/08/10 09:15「お~なるほど~。そういうことなのかあ~。なるほど、納得納得。」
自分にとって理解が深まった記事でした。ありがとうございます。

i-Kawa-nakajimai-Kawa-nakajima2011/08/10 12:40自分のありようを反省させられるコメントです。と同時に、すごくうれしいコメントです!勇気が出ます。

jun24kawajun24kawa2011/08/11 05:34お二人へ
コメントありがとうございます。楽しみです。

ogymogym2011/08/13 10:59>その人は病んでいるのですから。つまり周りから見捨てられているのですから。

「あの子はしょうがない!」と職員室中が納得して終わる事例検討会議の中で、そうですよねーと賛同できないことでどうも私が異端として見捨てられがちです^^;

まあ、自分もみんなもみんな幾分病んでいるってことで折り合いをつけてすすめていきます^^;

jun24kawajun24kawa2011/08/13 19:27したたかにね

11/08/09(火)

[]高校 21:59 高校 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 高校 - 西川純のメモ 高校 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 高校教師は基本的に教員養成系大学で養成されません。例えば私は理学部(正確に言えば第二学群生物学類)を卒業しました。教員免許に必要な教職科目は他学部の先生の単位を取ります。そして、普段教えてくれる先生は「科学こそ素晴らしく、教師は科学者になれないやつらの仕事」と思っていたと思います。少なくとも、「教育なんて大学で学ばなくても科学さえ学べばいいんだ。教育なんて学校に勤めたらそこで学べばいい」とはっきりと言われたことは何度もあります。

 現場で高校教師の研修会に参加すると、そこで交わされる会話は理学部で交わされる会話と同じ言葉が使われます。しかし、その会話は理学部で実際に研究されているものよりも低レベルであることは私でも分かります。でも、とにかく教育のことが会話されることは殆どありません。そのような高校教師が多いのですから、当然、高校教師向けの教育書は殆どありません。あるとしたら面白実験書や、学校で行われる実験を精密な物理で記述しているような本が多少あるぐらいです。

 ところが、何が原因かはわかりませんが、この数年、明らかな変化が見られます。内容ではなく指導に興味を持つ高校教師が増えてきています。今年の『学び合い』フォーラムでは高校教師の参加がやたら増えているのが印象的です。あきらかに例外的な教師がたまたま興味を持ったというレベルではなく、高校教師の指向性がはっきりと変わり始めていると思います。

 私のところには様々なチャンネルから、様々なアプローチがあります。それらは独立しています。が、ハッキリとした傾向が見られます。それを一言で言えば、個人のレベルでのトレンドではなく、明らかに学校・行政のレベルでのトレンドです。これが続くならば、あと3年以内に、高校教育と『学び合い』の関係は激変すると思います。

 現在の高校の変化を見るならば、相対的に中学校の変化が弱いように思います。何故なのだろうと思います。中学校の特徴は、学年意識が強い。これは導入の段階では障害になりますが、逆に、一度導入されるならば、学年レベルで一気に進む可能性があるのです。もったいないな~。

追伸 今私が感じている変化を、私の元々の出自である理科教育学の世界が感じているか?とふと頭に思いました。少なくとも学会誌(私はその一つの学会誌の編集委員長です)にはそのトレンドが現れていません。小学校での授業研究がどんどん高校教育に入り込み、それが学術研究に反映されるかもしれません。モニターしたいともいます。

[]偽学生さん 06:45 偽学生さん - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 偽学生さん - 西川純のメモ 偽学生さん - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日は埼玉から大分から参集いただいた偽学生さんを交えて関西で講義をしました。その後、飲み会。楽しかった。点と点を線に、線と線を面に、面と面を立体にしたいと願います。

goemon-lebesguegoemon-lebesgue2011/08/10 05:58 偽学生。本当に楽しく充実した2日間でした。ありがとうございました。素敵な子供達を育てることが出来るように頑張ります。

jun24kawajun24kawa2011/08/10 06:08楽しかったね。

11/08/08(月)

[]退職後 07:03 退職後 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 退職後 - 西川純のメモ 退職後 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 大学には准教授(昔だったら助教授)の時にはバリバリと業績を上げているのに、教授になるとパタリとやむ人がいます。結局、その人にとっては教授になることが夢であって、研究によって何かをなすことが目的ではなかったのですね。もちろん、研究者の能力のピークは二十代後半から三十代前半です。それ以降になると、明らかに発想力も弱まる。何よりも目が弱くなり、集中力も衰える。だから、最先端の研究を自らがやることは限界があります。でも、年代ごとにやれることはあります。例えば、研究室を主宰しチームとして業績を上げる。研究プロジェクトを立ち上げ、学会レベルのチームによって業績を上げる。学会の潮流を俯瞰し、次の方向性を指し示す総説を書く。また、若い研究者がやりやすい大学を創るために政治を行う。やろうとすれば何でも出来るはずです。そして、これは大学人以外も同じでしょう。

 日本は高齢化社会です。このような社会が豊かになるためには、中堅・若手世代が頑張っても限界があります。高齢化社会が豊かになるためには、死ぬ直前まで老年世代が働き続けてもらえなければなりません。もちろん働き方は多様です。会社で働くものあるでしょう。家事で働き、子育て世代が十二分に働けるようにするのも大事な仕事です。また、ボランティアで社会奉仕するのも一つです。とにかく、「朝は何時に起きなければならない」という日が週の大多数を占めるようになるべきだと思います。

 『学び合い』の会には、退職まであと数年という方が初参加でこられることは少なくありません。なんて素敵なんだろうと思います。そういう方は仕事のために仕事をしている分けではありません。また、教育とは全く違う仕事をしているのに、『学び合い』の会で汗を流してくれる人がいます。その人は『学び合い』の学校観を体現している人だと思います。

 こんなことを書いていると頭に思い浮かぶ人がいます。様々な地域の『学び合い』の会に参加する方だったら、誰のことを書いているのかはおわかりだと思います。その方は、退職直前の最後の学校で校長として『学び合い』を学びました。そして『学び合い』の学校を創り上げました。退職後は地域の非常勤講師を務めています。面白いのは、端で見ていると退職後の方が一層自由で発想豊かに活動しているようです(http://kokucheese.com/event/index/13230/)。とても素敵です。この方の場合、校長になることが目的なのではなく、教育を通して何かをなすことが生涯の目的なのだと思います。私も退職後はこうありたいと願います。(引きこもり願望の私なので不安なのですが)

 でも、全ての人がそのような機会を与えられる分けではありません。アメリカと違って日本の場合はNPOが発達していません。県庁所在地レベルの都市を除外したら、必ずしも自分にフィットした活動の場が保証されているとは限りません。町村レベルだったらフィットするしないどころか、そのような場がない場合もあります。

 ドラッカーは次の社会の未来をNPOに託しました。しかし、私は学校に託したい。なぜならどんな地域にもあるスタッフのそろった組織は、今や学校しかありません。今年度中に、その姿の一歩を示したいと思います。

maya-1maya-12011/08/08 10:53こんな形で取り上げて頂き恐縮です。講演の時間短時間ですがよろしくお願い致します。

bunbun-hbunbun-h2011/08/08 12:23「その姿」は朧にイメージできます。
その朧なイメージを具現化させていきたい。
「教育を通して何かをなすことが生涯の目的」になるということについてもまことに『学び合い』というものは有り難いものであると思います。

jun24kawajun24kawa2011/08/08 21:27maya1さんへ
本日、58歳の先生へ、あなたの話をしました。定年はないと。
bunbunさんへ
あなたの場合は、もともと定年はないですよね。あはははは

bunbun-hbunbun-h2011/08/08 21:29はい。もちろんです!

11/08/07(日)

[]フォーラム 08:06 フォーラム - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - フォーラム - 西川純のメモ フォーラム - 西川純のメモ のブックマークコメント

 フォーラムに参加した。楽しかった。それにしても『学び合い』の会は特徴があります。

 第一は、メンバーの多様さです。教員に限ったとしても、若手、中堅、ベテラン、管理職、これらが全部集まるような教育の会というのは私は他に知りません。さらに、学生さんや塾関係、教育に関連する企業の方、そして、教育に関係していない方の参加する会を他に知りません。残念ながら、今回の会には保護者・子どもの参加が少なかった。埼玉、群馬の会あたりだとその参加比率が30%越えることもありますから。いずれにしても、こんな会は他に知りません。

 第二は、懇親会参加率の高さです。多くの会では、主催者や旧主催者、そしてお偉いさん、が参加して、多くの会の参加者は参加しないのではないでしょうか?しかし、『学び合い』の会では懇親会参加率は高い。特にフォーラムの場合は約半分の人が参加するという効率です。これは他に例を知りません。

 いずれも健全な証拠です。

追伸 次回は関西になりました。次々回は中国地方ということになるのかな?

makiwarisanmakiwarisan2011/08/07 22:17初めて直接話を聞くことができました。一番前で聞いていたので、言葉の裏にある熱い思いが伝わって来ました。感激です。
「一人も見捨てない」今でも、心に響いています。

jun24kawajun24kawa2011/08/08 06:25ありがとうございます。安易に流れそうになる自分を、人と繋がり、自分を鼓舞して維持しています。

sumi-chansumi-chan2011/08/08 13:06ありがとうございました。
皆様のおかげで無事2日間を終えることができ、感謝しております。

会場の端の方や会場外のソファなどで、いろんな方(特に若者)と楽しそうに話し込んでいらっしゃいましたね。一体どんな宿題を出されたのやら、、笑

今年のフォーラムでは嬉しい驚きがたくさんありましたが、その中の1つに、スタッフの若い人たちがもう来年のことをかなり真剣に考えているということがありました。私などはもう全く次のことなど考えられる状態ではありませんでしたが、本当に頼もしく感じました。これからがますます楽しみです。今後ともよろしくお願いします。

jun24kawajun24kawa2011/08/08 21:31おっと~
年寄りじみたこと言って~あはははは
ご苦労様でした。
ネットワークの勝利だと思います。

11/08/05(金)

[]キャズム理論 17:48 キャズム理論 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - キャズム理論 - 西川純のメモ キャズム理論 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 最近の状況の一部に、ムーアの本に書いてあったような状況があるので、以前読んだムーアのキャズム理論を再読しました。最初よんだときはロジャーズの傍系のように読めたのですが、今は違って読めるようになりました。

 以前はニッチ市場の選定は、「そんなに小さいことやっても・・」と思いましたが、現実のニッチ市場で実践した経験から、その可能性の重大さが分かるようになりました。

 ニッチ市場に対しての抵抗感が無くなれば、ポジショニングの意味もよく分かります。

 ホールプロダクトに関して、「考えと方法」から否定的だったのですが、3種類の手引き書を書いて、「ホールプロダクトを提供しても考えにいたる人もいること」と「ホールプロダクトがないとやらない人が多いこと」を経験したので、抵抗感が無くなりました。

 もちろん『学び合い』を売り込もうとする教育の市場は、ハイテク市場と似ている点はあります(つまり、行動様式の変更を求めている)が、アリーアダプターとアーリーマジョリティとの対立がないという相違点もあります。従って、単純にロジャーズの理論に則った戦略も有効だと思います。

 しかし、最善の方法は、多様な方法を柔軟にやり続けることですから、キャムズ理論に則った戦略も併用したいと思い始めています。これの次は、ムーアのトルネードかクリステンセンの破壊的イノベーションがいいかなと思っています。いずれにせよ、両方とも市場にある程度商品が根付いてからの戦略ですから。

追伸 おそらく教師の方には意味不明のメモですが、自分自身へのメモです。 

11/08/04(木)

[]福岡 16:26 福岡 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 福岡 - 西川純のメモ 福岡 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 8月16日に福岡で『学び合い』の会が開かれます。http://bit.ly/qcCm2r

Kyo_TokyoKyo_Tokyo2011/08/04 19:04ご紹介ありがとうございます!

九州各地の先生方と学び合って参ります!!

jun24kawajun24kawa2011/08/05 05:53期待しています。

11/08/03(水)

[]利益 13:43 利益 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 利益 - 西川純のメモ 利益 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 ドラッカーに以下の言葉があります。

『利益には三つの役割がある。

 第一に、事業活動の有効性と健全性を評価測定する。

 第二に、陳腐化、更新、リスク、不確実性をカバーする。この観点から見るならば、いわゆる利益なるものは存在しないことになる。事業継続のコストがあるだけである。こうしたコストをカバーすることは企業の責任そのものである。

 第三に、直接的には社内留保による自己金融の道を開き、間接的には事業に適した形での外部資金の導入誘因となることによって、事業のイノベーションと拡大に必要な資金の調達を確実にする。』(現代の経営)

 簡単に言い換えると、企業における利益は目的ではなく、事業継続と発展のために必要だと言うことです。利益のために企業があるのではなく、社会にとって意味ある活動を維持発展するために利益が必要なのです。この言葉は、主に企業経営者が心すべき言葉として数多く引用される言葉です。しかし、これは非営利団体の経営においても心しなければならないと思います。

 非営利団体の場合は、善意が先行し、予算が甘くなりがちです。そして、失敗したら人の善意に頼ったり、最悪、自腹を切ったりします。そして、それが美談のようになります。しかし、違います。決定的に欠けているのは「事業継続」と「発展」の視点です。

 もし、その人が十年、百年と自腹を切る覚悟と、切れる裏付けがあるならばOKです。しかし、そんな人はいません。自分の気が向いたから自腹を切るというのは経営者としては失格です。善意の夢は夢として持つことは正しい。しかし、その時点での予算にあった活動をすることは大事です。それであれば事業継続は可能です。

 予算もそうですが、人も同じです。非営利団体において最大の資産はボランティアです。自分がいなくても成り立つような人のネットワークは必要です。

 『学び合い』の会においても、上記は正しい。事業継続に責任のある人が経営者です。

[]仙台 08:10 仙台 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 仙台 - 西川純のメモ 仙台 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 仙台で『学び合い』の同志、若い学生さん、NPOの人と会えた。みんな、幸せな社会を実現するために、自分の出来ることをしている方々。楽しかった。

Kyo_TokyoKyo_Tokyo2011/08/03 18:26昨日は遅い時間までありがとうございました

昨日の会を開催して、仙台を中心にして『学び合い』のネットワークが拡がっていけばと思いました

私自身は、学校以外の方や、様々な年代の方が集まってマネジメントについて語り合う会を創っていきたいと思っているのですが、ご指摘のように、更にネットワークが拡がるように運営を工夫していきたいと思います

ありがとうございました!

bunbun-hbunbun-h2011/08/03 19:55その利益はどこからやって来るのか、なにが生み出すのか。
格差? いえいえ、それは本来的には差異からです。願わくば。
(すみません、引用されたドラッガ―の言葉への反射的な独り言です)

jun24kawajun24kawa2011/08/03 21:03kyoさんへ
期待しています。
bunbunさんへ
その利益はどこから得られるか。ちょっと頭を使えば生まれるのです。利益を生み出そうとする意識があるか、無いかの違いです。

gkgkgkgkgkgkgkgkgkgk2011/08/04 08:10会場にぎりぎりの入りで大変失礼しました。
温かく迎えて下さりありがとうございます。
先生の講演を聴いて納得できることが多かったです。
週末は東京でフォーラムがありますが仙台で学んだことをもとに自分のできることを邁進していきます。
追伸:今度はVTRをとるなどして『学び合い』がうまくいっていないことをメールで相談させて下さい。
絶対に一人も見捨てないことを実践で広める覚悟でやります。
今後ともよろしくお願いします。
ありがとうございました。

jun24kawajun24kawa2011/08/04 08:16いつでも、どうぞ。お気軽に。

11/08/02(火)

[]自ら 08:42 自ら - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 自ら - 西川純のメモ 自ら - 西川純のメモ のブックマークコメント

 同志のブログに触発されて。(http://bit.ly/qhVB0H

 私が理科コースに所属していたときに聞いた話です。学生がデータをとったので、先生が「二つの条件の違いを明らかにする方法を考えなさい」と指示しました。翌日になってその学生に聞いてみたら、「一生懸命、考えたのですが分かりません」と答えたそうです。その学生は、人にも相談せず、本も読まず、とにかく一人で考えてたそうです。その先生はあきれました。当たり前です。一人の学生が考えて、統計学を生み出し、検定法を案出するわけあり得ません。

 自然科学は、その最たるものですが、研究というものはすべからくそういうものです。学生には「研究には3つのものが必要だ。それは、資料を読み、人と議論し、自ら考える。その一つでも欠けたらば研究にはならない」と言います。何かをなそうとする場合、まずは先人の知恵を借り、人と議論して、自分の考えを生み出すのです。0からは生み出せません。

 「自分で考え、自分で決断し、自ら行動し、自ら責任をとる」という言葉があります。これは正しい。しかし、この言葉を誤解して子どもに強いる場合があります。家庭生活は例外的ですが、一般社会で求められるのは「みんなで考え、みんなで決断し、みんなで行動し、自らの責任をとる」能力です。

 「自分で考え、自分で決断し、自ら行動し、自ら責任をとる」が暴走してしまえば、私が理科コースで聞いたような学生を生み出します。

[]発表能力 08:42 発表能力 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 発表能力 - 西川純のメモ 発表能力 - 西川純のメモ のブックマークコメント

 同志のブログに触発されて。(http://bit.ly/nFvMIq

 『学び合い』では発表能力を育てられないと言われます。そもそも発表能力に何が必要なのでしょうか?多くの教師は、話形などを教えようとします。しかし、そうではありません。

 発表能力に必要なのは、第一に、発表する相手への基本的な信頼です。極端な例は場面緘黙の子どもです。その子は家では喋っています。つまり、喋る能力はあるのです。ところが学校では話せなくなります。それは、保護者は話を受け入れてくれるだろうという信頼があり、クラスメートにはそれがないのです。

 教師だってそうです。赴任当初の学校で、職員会議で手を挙げて発言することが出来る教師はどれだけいるでしょうか?子どもにとってクラスのみんなの前で話すことはそれぐらい抵抗があることです。

 発表能力に必要なものの第二は、その必然性です。大人になって多くの人の前で発表する場合、そうする必然性があります。例えば、不祝儀の親族挨拶は、忙しい中、葬式に来ていただいた方々への感謝と、家族の身の振り方の報告する必然性があります。職員会議で立って発言する場合も、何らかの目的があります。

 ところが、朝の会で子どもが全員のまで発表するとき、本人に発表する必然性があるのでしょうか?出席番号順に順番が回ってくるから発表するのではないでしょうか?発表したいものがあるのではなく、発表しなければならないから発表するのではないでしょうか?

 相手に対する信頼感を持ち、発表するに値する必然性があってから、そこで話し方が出てきます。しかし、いきなりクラスの前で発表させても無理です。自らが発表する前に、膨大な情報の吸収が必要です。

 ただし、その情報は分割せずに、そのもの自体の情報が必要です。具体的には、我々は喋る前に、膨大に話を聞きます。また、我々がものを書く前に、膨大に読まねばなりません。それらは英語の教科書のように分割され、単純化されたものではなく、本人が興味を思うようなものでなければならないのです。言うまでもなく、興味を持つものは一人一人で違うのです。ケネディやキング牧師の歴史的な演説を、いきなり凄いと思うような子どもは多くはいません。

 以上のように整理すれば、『学び合い』こそが全体の前で発表する能力の育成に必要なのが分かると思います。

 日々の教科学習の中で、自分の「素」(例えば分からないと素直に言える)を出しても、それを受容してもらえるという経験を積み上げればクラスメートに対する信頼も生まれます。

 日々の教科学習の中で、自分が分からないことを喋り、人が分からないところを説明することに必然性があることは自明です。

 そして、色々な人のしゃべり方を自分で選択することが出来ます。

 では、日々の『学び合い』を、一般の人が考える「全体の前で発表する能力」にするにはどうしたらいいでしょうか?ポイントは「必然性」だと思います。

 よくありがちな「最近の私のこと」では、全体に話す必然性はありません。それは、そのことに興味を持ちそうな人に喋ればいいことです。むしろ、空気を読んで、自分だけが興味を持つようなことを大勢の前で喋らない能力の方が大事です。

 『学び合い』における話をするグループサイズを研究したことがあります。それによれば、算数などで起こる「聞く、教える」という場合は、二人が基本サイズで、それが流動化します。ところが、何かを協働でやる場合、例えば実験をする、本の読み合わせをする、壁新聞を作るなどの場合は、四五人が基本サイズです。これは教師が「一人でやっても良いし、グループでやっても良いよ」と人数を自由にした状態で、子どもが選択するサイズなのです。ところが、クラス全体の目的の確認の場合は、何も言わなくてもクラス全体で話し合います。

 職員会議で説明します。例えば、職員会議でスターター担当のある先生が、昨年度にスターター担当だったある先生に、ピストルの保管場所はどこかを全体の前で聞いたとしたら、どう思うでしょうか?おそらく、「時間の無駄だな~。そんなこと会議が終わってから個人的に聞けばいいじゃないか?」と思うのではないでしょうか?

 また、職員会議で運動会の行進曲の選曲を議題にされたらどう思うでしょうか?「時間の無駄だな~。そんなことは係で決めて、報告事項にすればいいじゃないか?」と思うのではないでしょうか?

 しかし、「運動会に関して保護者にどのような注意を連絡するか」、「運動会で何を達成するか」のように全体で合意する必要があることを、ごく一部の先生が決めて報告したらどうでしょうか?たとえ大多数の人が合意することが確実であったとしても、「みなさん、よろしいですね」という合意を、全員の前で合意する儀式は必要ですよね。

 子どもたちも全く同じでした。

 要は、「最近の私のこと」という題ではなく、「このクラス全員が100点を取れるようにするにはどうしたらいいか?」とか、「修学旅行の自由行動で最低限守ることは何にするか」とか、「給食の先生に迷惑をかけないように、早くきれいに食べるにはどうしたらいいか」という題を掲げるのです。

 ただし、『学び合い』を通して、基本的な信頼感を成立した後の話です。そこで、様々な人の発表を聞きながら、自分なりの発表の仕方を作り出すのです。

ogymogym2011/08/02 21:23>>二つの条件の違いを明らかにする方法を考えなさい
『考える』の定義の誤解が生む悲劇のように思いました。
自分も他の意見を取り入れるのは自分で考えていないように思えてどうバランスをとったらいいか迷った頃がありました。その時は自分で考えてしまったのですが、皆に話題として出せたらみんなの話題として考えが深まったのかも・・・同じ思いの同士もいたのかも・・・と思いました。
なるほど、です。

jun24kawajun24kawa2011/08/03 08:09ネットワークを構築して下さいね。

ogymogym2011/08/03 22:37はい^^;

11/08/01(月)

[] その子を変えようとするアプローチ 05:41  その子を変えようとするアプローチ - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク -  その子を変えようとするアプローチ - 西川純のメモ  その子を変えようとするアプローチ - 西川純のメモ のブックマークコメント

 昨日のメモで「その子を変えようとするアプローチ」というものが何かというご質問をツイッターで受けました。まさに、そうでないという点が『学び合い』を特徴なのですから。補足したいと思います。

 教師が気になる子はいます。それは特別支援の必要な子に限りません。暴言・暴力を乱発する子。阻害されている子。場面緘黙の子。家庭的な問題を抱える子。・・・・・。そうなると、その子を変えようとし始めます。

 ところが、歴代の教師が変えようとしていたが変えられない子どもです。そんな簡単に変えられるわけありません。ましてや家庭的な問題は教師が手を触れられないところです(教師ドラマでは簡単に解決できますが)。そして、気になる子が3、4人いるとなるとパニックになってしまいます。

 善意の教師は全ての時間をかけてそれに対応しようとします。しかし、そうすれば本当に守るべき自分の家族を犠牲にしてしまいます。そして、気になる子を変えようとすると、その子以外の子どもの対応が出来なくなります。

 キリスト教の聖書に、百匹の羊を持つ羊飼いの例があります。神は一匹の羊が見つからなくなると九十九匹の羊を野原に残して探すそうです。しかし、これは神だから出来ることです。我々がそうすれば、野原に残した九十九匹がオオカミに食べられてしまいます。

「その子」を変えようとするアプローチは、保護者や「その子」専任となれる人(例えば介助員)が出来ることであり、教師はやってはいけないことだとおもいます。だから、『学び合い』では「その子」を忘れます。かなり辛いですが、忘れるように努力します。なぜなら、それに拘っても出口はないからです。

 一人に拘るのではなく、一人も見捨てない集団づくりに拘るのが『学び合い』です。特別支援の必要な子だけではなく、全ての子どもは「特別な支援」を必要としています。

 その支援とは、神のごとき能力で初めて出来ることだとは思いません。ただ、膨大な会話は必要だと思います。それによってどのようなことが必要なのかが分かります。そして、相手を共感することは出来ます。それは一人の教師では不可能ですが、子ども集団ではできます。

 そして、仮にその問題は解決できないかもしれません。特に、家庭的な問題は解決できないでしょう。でも、その子を理解する集団をその子が持てば、みんなが持てば、その子は社会の中で生きていけます。幸せに生きていけます。

 『学び合い』は一人も見捨てないことに拘ります。だから、集団づくりに拘るのです。これは、ごく普通の教師でも出来る凄いことです。