西川純のメモ このページをアンテナに追加 RSSフィード

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11/03/06(日)

[]理論と実践 22:11 理論と実践 - 西川純のメモ を含むブックマーク はてなブックマーク - 理論と実践 - 西川純のメモ 理論と実践 - 西川純のメモ のブックマークコメント

私はしつこく、『学び合い』は考え方であってテクニックではない、と連呼します。でも、本当は『学び合い』以外の従来型指導だって同じです。考え方とテクニックを分けて、考え方を理解した上でテクニックを使わなければならないのです。そうでなくてはテクニックが有効に働かない。

学び合い』にもテクニックはあります。例えば、褒めるというようなテクニックもあります。振り返りカードなどもあります。全部を列記して手引き書には書きませんが、山ほどあります。でも、そのテクニック「も」考え方を理解していなければ無力です。例えば、何のために褒めるかということを理解せずに、褒め続けたら「うるさい」だけになります。

残念ながら、我が国の教育実践で、『学び合い』以外に理論を明確に示した例を私は知りません。少なくとも自然科学に比肩するレベルでと言う意味です。つまり、実証的データによって裏打ちされている。また、その理論が短く表現される、少数の基本に集約されているという意味でです。そして、我が国の教育実践はそれいを意識せずに、テクニックレベルのことで是非を論じています。

例えばです。広い意味での“学び合い”にしても基本の考え方は違います。まず、学びあうこと自体に意味があると考える立場があります。『学び合い』や学びの共同体がこれに含まれると思います。しかし、圧倒的多数の“学び合い”は手段として“学び合い”を使っています。大きく分けて、主に人間関係向上・生徒指導の手段として“学び合い”を使うタイプです。典型的な例は、犬山の“学び合い”だと思います。それ故、学力テストに強硬に反対したのだと思います。逆に、主に学力向上の手段として“学び合い”を使うタイプです。おそらく、これが一番多い。

さらに、子どもの能力がどの程度である、また、人間の本性として持っている“学び合う”能力はどのようなものか、ということによって、「クラス会議」、「バス学習」、「班会議」、「グループ学習」、「ペア学習」・・・・という風に分かれます。ちなみに『学び合い』は子どもたちの能力を高く評価しており、小さい気のあった者同士“学び合う”のはホモサピエンスの本性と考えています。一方、気の合わない同士の“学び合い”は、人間社会の発展に伴って形成されており、まだ本性までには至っていないと考えます。それ故に、「一人も見捨てずに」を教師が求めるべきだと考えます。しかし、それ以外は子どもたちが出来ると考えるのです。

 実は『学び合い』以外の“学び合い”の人たちの間では軋轢も少ないです。理由は方法のブレンドをするという折衷案が出来るからです。ところが考え方を明示し、それを意識化させるから軋轢が生じるのです。でも、テクニックは考え方の反映、陰なのです。だから、考え方を理解しなければテクニックは有効に働くわけないのです。だから、名人教師の指導案・教材をそのまま使っても授業がうまくいかないのは当然です。

 考え方を理解し、それとの関係でテクニックを選択したとしたら、非『学び合い』の方々の間でも当然、軋轢は生じます。おそらく代表的な者だとしたら、“学び合い”を学校研究の柱にしている学校の先生方にも、人間関係・生徒指導の手段として“学び合い”を考えている方もおられるし、学力向上の手段として“学び合い”を考えている方がいます。本当に学校研究の実をあげるためには、少なくとも意識する必要があると思うのです。

追伸 私のメモを読んでいる方は、色々に勉強していると思います。以下で書くことを、他を否定する意味で書いているのではないことをご理解ください(私の性格からそう誤解されることを恐れつつ)。

 皆さんの学ばれた様々の実践の中で、「こうである」と言うことに関して、実証データで示せる実践はどれだけあるでしょうか?専門的に言えば、曖昧な言葉を定義する場合、それをどのようにして測定するかということで定義することが出来ます。このことを操作的定義と言います。これがないと、一つの言葉がありとあらゆる意味に解釈されてしまうのです。例えば、学力にしても、教師の自作テスト、業者テスト、ピザ型テスト、NRT・・で計れる学力は別物です。それを整理せずに議論すると話が通じません。

 もう一つあります。皆さんの学ばれた実践の中で、その理論をごく少数の短い言葉で表現している実践はあるでしょうか?表現が長くなったり、多数である場合、その意味が多義的になったり、互いに矛盾することがあります。

 繰り返し言いますが、否定するつもりではなく、あくまでも現状の『学び合い』を取り巻く環境を理解するためのですので・・・・

 例えば、学びの共同体に関して、上記を思い起こしてください。私も大好きな佐藤先生の著作は多数です。しかし、それらは学びの共同体の実践に対して表現豊かに記載されています。しかし、それらを一貫する理論を短くまとめたものを見たことがおありでしょうか?また、その表現の中で、定量的・定性的なデータが示されたことがあるでしょうか?結果として何が生じるか?それは、100人いたら100人の学びの共同体が生まれてしまうのです。それはテクニックレベルの違いではなく、考え方レベルの違いです。それが学びの共同体が広がりやすい理由の一つなのだと思っています。考えを意識せず、考えを変える必要もないからです。でも、考え方を意識せずに実践することによって生じる問題が起こります。(従って、学びの共同体の実践者の中には、『学び合い』の考え方をお持ちの方も少なくありません。いや、多いと思っています。)

 私は、軋轢が生じることを理解しつつも、誤解なく理解してもらうことを大事にしています。多くの人に受け入れてもらうより、はっきりと分かった人が増えることを目指しているのです。「一人も見捨てない」ことを実現するには、それが迂遠なように見えて、確実な道だと確信しているのです。

 なお、これは『学び合い』以外の実践もすべきことだと私は思います。つまり、自分たちの実践をごく少数の短い言葉で理論的に表現にすべきです。そして、そこでの言葉の意味が何であるかを、定量的・定性的なデータで保証すべきです。と、私は思うのです。おそらく、このレベルの議論だったら実りの多い議論が出来る。残念ながら、現在はテクニックレベルの議論、また、考え方とテクニックをチャンポンにしている議論に終始しているように思います。

追伸 以上書きながら、これを書くべきではないという声が私には聞こえます。日本的には、私もあなたもともに良いですよね、という安易な合意が尊ばれます。でも、ちゃんと議論することが大事だと思うのです。ただ、残念ながら、大人のルールに則った議論が出来る方が案外少ないのが残念です。

maya-1maya-12011/03/06 17:34学校生協のチラシは、各県毎ではなく、全国一律だと思います。
川中島の会での、西川先生のまとめの端的なお話ありがとうございました。

jun24kawajun24kawa2011/03/06 17:41え、そうだったんだ~・・・
ありがとうございました。
でも、全国の人が声を上げてくれると意味があるとおもいました。

bunbun-hbunbun-h2011/03/06 23:02「へんなひと」
1年前に広島の夜に伺ったお父様の話と、その後のブログでの銀座と指輪の話とを、高知の夜に合わせて質問させていただいたわけですが・・・。
で、もちろん「へんなひと」という言葉は、私にとっては、自分自身に対しても他者に対してもほめ言葉ではあるのです・・・。

suikanomeisantisuikanomeisanti2011/03/06 23:15自分はまだ中途半端に『学び合い』を理解しているようでなりません。「考え方」とは、手引き書のP15第3章のことでよろしいでしょうか。

twoyoshitwoyoshi2011/03/07 00:13横井との会で会いましたが、僕的には全然企画内でした。素直でとってもいい子でした。『学び合い』同士も同じ意見だったと思います。彼も居心地が良さそうでした。きっと今日もそうだったのだと思います。

sakusaku0428sakusaku04282011/03/07 05:33《ヒゲ、パイプ、スリーピースの私がジープで、大学に毎日行くのです。》ぜひ、その当時のお写真を拝見させていただきたいです。
みんな「自分探し」の旅をしているのでしょうね。
私の大学時代は… あっ☆Nishiくんに知られている。

jun24kawajun24kawa2011/03/07 06:53bunbunさんへ
 そうですね。実は、我々みんなは変人だと思っています。
suikanomeisanti
 はい、そうです。『学び合い』の基本は短い言葉です。でも、その短い言葉にはものすごい意味が潜んでいます。
twoshiさんへ
 同感です。ただ、内面云々を言うには過ごした時間が短いので、外面のみに限らせていただきました。私も、話してみて、非常に素直で、純で、チャーミングな学生さんだと思いました。
sakusakuさんへ
 あははは。その頃は自意識が異常に過剰だったので、写真を撮ることを拒否していました。

moripimoripi2011/03/07 10:15再度ブログ開始するきっかけは先生こブログを拝見したことです。保護者であっても「苦言の提示は殆ど」ではなく、「建設的な提案ができる側であること」でした。私も変わっていますが「変わってる」といわれることにやや快感が芽生え始めたのはどういう現象が始まったのか・・・?それがワカラナイ、また放置してる自分は原則「鬼嫁」またまた「いと、おかし」(笑)です。いつか知るでしょう。岡山の会で初めてお会いした時「昔、やっとっただろうな」
と直感はしてました→言葉が失礼になりました、ごめんなさい。

jun24kawajun24kawa2011/03/07 12:05どこに繋がるか分からないですね。

hideki55hideki552011/03/15 15:39西川先生、こんにちは。日本教育新聞の3月7日に西川先生の…『学び合い』のある教室へ1…の記事が掲載されていました。これからのシリーズも楽しみにしています。

jun24kawajun24kawa2011/03/15 17:18乞うご期待!